―第二章:運命の歯車―




(いくら何でもおかしい…こんな、いつまでも目が覚めないなんて)
流石の宗次郎も、いつになっても覚めない夢を不可解に思い始めていた。
夢の中とはいえ、朝が来て、昼が来て、夜が来る。しっかりと腹も減るし、与えられた粗末なご飯を食べれば、ちゃんと味もする。なるべくさりげなく受け流すようにはしていたが殴られたり蹴られたりすれば痛いし、言いつけられた仕事をこなせば疲労も溜まる。そして夢の中でも夜になれば眠くなり、ぼろ布にくるまるように眠って…それからまた次の日が来るのだ。
夢にしては、諸々の感覚が現実的だった。その上、あの湖の畔で己が目を覚ます兆しがまるで無い。
宗次郎はお勝手仕事を一度止めて、最早すっかり見慣れた今の自分の小さな掌を見る。そのまま握ったり開いたりしてみた。体そのものは子どもの頃に戻ってしまったが、間違いなくこれは己の意志で動かせる己の体である。
単なる夢だったら、ここまでしっかりと思考と行動は繋がらない。普段の夢はもっとこう、茫漠としている。
そして覚めない夢を見続ける中で、いくつか分かったことがあった。
この夢の中での暦は、明治元年、秋。つまり宗次郎が八歳の頃であり、志々雄真実その人に出会った年でもあった。この夢の中ではまだ志々雄は出てきていないが、とにかく、宗次郎にとってはそんな重要な時期を夢見ているようだ。
それから、己を取り巻く状況。自分は先代の米問屋の妾の子として生まれ、母の死後、この家に引き取られて世話になっている、らしい。義理の家族達の面子は義父母、義兄二人、義姉、そして義弟。彼らに自分は良く思われていなく、一応家族の一員とはいえ家族らしい扱いは全く受けず、奉公人以上に奉公人としてこき使われている。この辺りは、実際の過去と何ら変わりがない。
あの頃とまるで変わらぬ日々を、そのままそっくり繰り返している。宗次郎はいつしかそんな印象を持ち始めていた。
「夢にしては長過ぎるし…変に生々しいんだよねぇ」
宗次郎は傍らの盥の水を指先でぴしゃんと弾いてみる。水の冷たさ、指先が濡れる感覚。それは現実世界のものと何ら変わりは無い。水面に波紋が浮かんで消えるその様すらもどこまでも本当で。ただの夢が、ここまで現実を忠実に再現するだろうか?
「もしかして、夢じゃなかったりして」
冗談交じりにそんなことを言ってみて宗次郎は笑い声を上げかけ、―――そのまま、止まる。
これが、夢では無かったとしたら。
その仮定が事実であった場合の事の重大さに気付き、らしくなく宗次郎の頬が固まった。
もしも、これが夢ではなかったら、一体何だというのだろう…?
『もしそれがまだ手遅れでなくば、今からでもやり直しは利かぬのか…?』
またあの台詞が宗次郎の中に不意に蘇った。
(……やり直し?)
そしてそれに、気付く。
時は明治元年秋。ここでの宗次郎は、まだ志々雄と出逢う前。まだ誰かを殺める前。
もしこれが、夢や幻で無かったとして。
まさか本当に、過去に戻ってやり直しをしているとでも?
「…まっさかぁ!」
ぽんと降って湧いたような突拍子もない考えに、自分で考えついた癖に宗次郎は大いに噴き出した。
「いくら何でもそんなこと、ある筈がないよね?」
あまりにも途方もない考えにしばらく笑い声が止められずにいると、どこか遠くの方から「宗次郎! 騒いでないでとっとと皿洗い終わらせな!」と義母の声が飛んできたので、宗次郎は慌てて手を動かし出す。盥に沈んだ皿を取ろうと水に手を浸すたびに指のヒビにぴりっとした痛みが走るのを笑ってやり過ごしながら、しかし先程の馬鹿げた考えがやはり不思議と頭から離れずにいた。
これは夢だ。流浪の途中で自分が、夢を見ているだけなのだ。
幾らあの頃と同じでも、どんなに夢が生々しくても、実際に過去に戻って人生のやり直しをしているだなどと、そんなわけがある筈がない。
―――しかしそうだとしたら、何故いつまでもこの夢は終わらない?
(本当の過去に戻って生き方のやり直しだなんて、できっこない)
この夢の中に落ちる前に、考えていたことだ。けれどどういうわけか、今の宗次郎はまさに決定的に生き方の変わった、あの分岐点のすぐ直前にいる。
今自分の置かれている状況が、夢か、否か。
確かめる手はある。
もし、本当に過去に戻って過去をやり直しているのだとしたら……どういった理由で己が過去に戻ったのか、それはまるで分からない、しかし少なくとも“現時点”での宗次郎は、まだ志々雄に会っていない。西の倉に米俵を百俵移し替えるよう言いつけられ、できなかったことを報告に行った先で酒瓶を投げつけられ、その怪我を井戸で汲んだ水で冷やしていた時に、志々雄と邂逅したのだ。
もし、これが本当に過去をやり直しているというのなら―――
折しも、米は収穫の時期だ。この米問屋にも其処彼処から続々と今秋の俵が納められている。
ならば恐らく、そう遠くないうちに米俵の件を言いつけられる。そして志々雄に出逢う。
その筈だ。
「…なんてね。考え過ぎかな」
今度は手を休めないまま呟きをぽろりとも漏らす。
宗次郎は俄かに浮かんだ自分の考えを信じ切ってはいなかった。けれど完全に違う、と否定もし切れなかった。
ただの夢ならいつかは覚める。しかし、こうも覚めない夢がいつまでも続くのは……。
そして、この夢の中での数日後、宗次郎の仮定を裏付けるような命令が、義父からついに下された。
「米俵百俵を、今日中に西の倉に移せ」と。







米俵を背に、宗次郎は西の倉へと続く石階段をゆっくりと登っていた。
幾ら過去に背負い慣れていても、重いものは重い。油断すると米俵の重みに体を持って行かれそうになるので、前に体重をかけるようにして歩く。肩に食い込む縄も痛い。
(昔の僕って、我ながら良くやったよなぁ)
だってこんな痩せっぽちの体で、満足に食事も与えられてもいなくて、しかも裸足で。
重みに潰されずに米俵を背負えて動けるだけでも殊勲賞ものだ。もっともこんな無茶な要求を日頃から受けていたからこそ、幼い自分は自然と足腰が鍛えられたんだろうけど…などと、冗談めかした考えも浮かぶ。
とはいえ、米俵の重みでずんと痛む足を動かしながら、宗次郎は予測する。青年の体ならいざ知らず、今のこの少年時代の体では、やはり今日中に百俵もの俵を運ぶのは無理だろう。既に日暮れが近いのだ。太陽は柔らかな橙色の光で辺りを淡く染め上げている。
じきに刻限が来て、言いつけられた仕事をこなせなかったことを義父に告げる。義父はきっと怒るだろう、過去と同じに。そして今宵は外で寝ることを命じられ、そしてその時に志々雄と警官がやり合っているのを目の当たりにする。この夢が、自身の過去とそっくり同じならば。
(…もし、また志々雄さんに会ったとして、)
いざその日と同じ局面を迎えようとしている今、そう思わずにはいられない。ここまで過去と同じ流れが来ていても、また志々雄が自分の前に現れるとは限らない、そうしたやり直しもあるのかもしれない……無論そういった考えもあったが、宗次郎はやはり、志々雄とまた出会う場合の方ばかりを思い浮かべてしまっていた。
宗次郎が実際に経験した過去では、志々雄は境遇を語った自分に、弱肉強食の理念を教えてくれた。その言葉を頼りに、宗次郎は義理の家族達を皆殺しにした。
けれど―――
緋村剣心との闘いの中で突きつけられた真実。本当は誰も殺したく無かった、と、それに思い当ってしまった“今の”自分は、果たして同じ過去を辿るだろうか?
義理の家族達を殺す力は、確かにある。かつて彼らに殺されかけたあの時は、無我夢中で刀を振るったから、技術も何もあったものではない。けれど、今の宗次郎は違う。人を効率的に殺すためには、どうしたらいいか。どこが人体の急所であるか。それを良く知っていた。それに何より、剣の扱い方はこの身に良く染みついている。昔のように生命の危機的状況に瀕したとしても再び彼らを殺すことは容易いに違いない、恐らくは。
そしてそれ故に、彼らを殺すこと無くあの場を切り抜けることもまた、多分、可能だろう。殺すための技術を和らげて、せいぜい彼らを行動不能に陥らせる程度に留めておけばいい。
元の宗次郎が得ていた経験が、今の宗次郎にどちらの道も選べることを示唆していた。それこそがやり直しではないのか、と、そういった予感がある。そしてだからこそ、宗次郎はどうすればいいのか分からないのだ。
いざ、自分が再びその局面へと立たされた時、自分がどう動くのか。
宗次郎は立ち止り、少し首を傾けて曖昧な笑みを浮かべた。分からなかった。
(…僕はまた、志々雄さんについていくんだろうか)
そしてそう、それすらも。







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