いつか、またあなたに逢える日まで。




―第七章:Ave Maria―




泣き腫らした目でエルがスフォルツェンド城へと戻ると、そこもまた重苦しい空気が立ち込めていた。
リュートを失い、悲しみと怒りに涙を流す人々。そうして最後にエルを出迎えたのは。
リュートの名を呼び続けながら、嗚咽を上げ続けるホルンだった。
「リュート・・・・リュート・・・・・!」
人目も憚らずうずくまって泣くホルンに、エルも胸が締め付けられるような想いだった。
エルの哀しみも深かったが。
子を失くした母のそれはもっと深く、絶望に染まっていたことだろう。
「ホルン様・・・・」
エルには、彼女にかける言葉が見つからなかった。
ホルンの腕の中のフルートもまた悲しみを感じ取っているのか、絶えず泣き続けている。
聞けば、ホルンの夫であるチェンバレンも、魔族との戦いの末に命を落としたという。ホルンは愛する夫と我が子を、一度に失ったのだ…。
「戦況を申し上げますっ・・・・!」
人々が悲しみにくれる中、傷だらけの兵士が駆け込んできた。
「魔界軍王が去っても、魔族の侵攻は止んでおりません! むしろ、リュート王子を失ったことで、魔族共は勢いを増し、我らスフォルツェンド兵団の士気は下がっております・・・・!」
「・・・・・・」
エルは拳を握り締めた。
まだ戦いは終わってはいない。
あの人が、命をかけてまで守ろうとしたこの国と人々は、今この時も魔族に蹂躙されている。
(リュート・・・・)
哀しみは未だ胸を支配している、それでも。
今は、あの人が守ろうとしたものを守らなくては。
そうでないと、あの人があんなに傷付いてまで戦った意味が無くなってしまう。
「ホルン様! 今度は私が前線へと立ちます!」
毅然とエルは言い放った。
ホルンは涙を浮かべたままの目でエルを見上げた。
「魔界軍王が引き上げたとはいえ、魔族の数は膨大、ましてリュートを欠いたとあっては、魔法兵団だけでは戦況を打破するのには厳しいかもしれません・・・・・できることなら、近隣の国からの援軍の要請をお願いいたします!」
「エル・・・・・」
ホルンはゆっくりと立ち上がってエルを見つめた。
泣いた跡がはっきりと分かる顔。悲しいのには違いないのに、それを耐え、再び戦場へと向かおうとする凛々しい顔。
エルはその顔に、泣きそうなのを堪えるような微笑を浮かべた。
「リュートが守ろうとしたものを、これ以上魔族の好きなようにはさせたくはないですから」
国を、人々を・・・・それから。
エルはホルンが抱いていたフルートの頭をそっと撫でた。フルートはきょとんとした顔でエルを見上げている。
リュートが最後まで守ろうとした妹。あの人が見せた微笑みは、この子に何かを伝えたのだろうか。
「フルート王女・・・・私は行って来るわ。あなたのお兄ちゃんが守ろうとしたものを、守るためにね」
エルはホルンに一礼すると、すぐさま踵を返し、再び戦場へと駆けて行った。
その後姿を、ホルンは真摯に見送っていた。
「パーカス・・・・私は母親失格ね」
ホルンはぽつりと、側に控えていた執事のパーカスに声をかけた。パーカスはほんの少し目を見開いて、は、と驚きの声を漏らした。
「リュートも・・・・・エルも・・・・・そしてフルートにも、悲しい思いをさせてしまった・・・・・・」
ホルンはぎゅっとフルートを抱き締めた。パーカスは何を言ったら良いのか分からず、黙っていた。
「でも、今は・・・・確かにあの子が言う通り、この国と人々を守るべき時ね。リュートが命に代えてまで、守ったものを・・・・」
ホルンの脳裏に鮮やかに蘇るのは、かつてのリュートの姿だ。強き想いを瞳に込めて、『スフォルツェンドもみんなも命に代えてでも守る』と語ったリュートの。
あの時は、命に代えても、等と言うものではないと窘めたが、まさかそれがこうして現実になろうとは思わなかった。まして、それ以上に反魂の法という悪夢が起きようとは。
そのことを認めたくない。その思いがホルンにはある。当たり前だろう、無残にも我が子を失い、しかもその身を魔族に奪われたのならば。
けれど、いつまでも悲しみに沈んでいるわけにはいかない。この国は、未だ戦火の中にある。リュートが全てをかけて守ろうとしたこの国と人々が危険に晒されている。
一日中泣いても越えられなさそうな哀しさだったが、それでも、今は国を治める者として戦うべき時。エルも、彼の想いを分かっていたからこそ、涙を耐えて戦場へと赴いたのだから。
「パーカス、フルートを逃がす算段を整えて下さい。あんな風になってまでリュートが守ったこの子だけは、どうしても失うわけにはいかないから・・・・・」
「ハッ!」
パーカスはホルンの手からフルートを受け取ると、兵士を何人か引き連れて部屋を出て行った。
それを見届けて、ホルンはすっと息を吸い、叫んだ。
「行きますよ皆さん! スフォルツェンドを魔族から守るのです!!」
おお、と兵士達から鬨の声が上がる。
リュートのためにも。
自分を犠牲にしてでも、この国と人々を守るために。
それは他ならぬ彼が、今までずっとしてきたことだから。
彼女もまた、戦おうと思った。









この戦いは、後に第一次スフォルツェンド大戦と呼ばれた。
スフォルツェンド魔法兵団はホルンとエルを中心として一丸となって戦い、また守護国であるダル・セーニョ、友好国であるスラー、それにグローリアー大帝国等の力も借りて、ようやく強大な魔族達を退散させることができた。
リュートは表向きには戦死とされ、戦いが終結した翌日、父・チェンバレンと共に国葬によって送られた。しかし、リュートの方は遺体の無い、仮初めの葬儀。
ホルンやエルはその間中ずっと、俯いて唇を噛み締めていたという。









その日の夕刻、主のいない彼の部屋に、エルは腰を下ろしていた。
彼が愛読していた本の数々が、窓から入ってきた風にパラパラとそのページを躍らせている。それを読む人も、今はもういない。
エルは深い溜息を吐いた。
彼がいないだけで、こんなにも淋しいとは思わなかった。まるで、自分の半身を抉り取られたような哀しみが付きまとう。
いつも側にいたから、余計に。
なのに、あの時だけ離れてしまった。
(やっぱり私も、一緒に戦えば良かった・・・・)
エルが手にした真実の鏡には、先日の戦いの様子が映し出されていた。
鏡の中で、リュートは無数の魔族と戦い、幻竜王ドラムからクラーリィを助け出し、法皇ピックをあっさりと葬り去っていた。
そして、冥法王ベースとリュートとの戦い。
懸命に戦うも力及ばず両腕を折られ、にも関わらず機転を利かせ、リュートは諦めずにベースの体を吹き飛ばす。
けれどベースを倒しきれず、フルートを人質に取られ、自己犠牲自爆呪文を放とうとするも、ギータに喉笛や足、瞳を切り裂かれ、魂を奪われ―――それでもリュートは最後の力を振り絞ってフルートを取り戻した。
エルは再び見た。
その法力の強さゆえ、ベースの聖杯と化した彼の姿を・・・・・。
「リュート・・・・」
エルは泣いていた。
辛い思いをするのは分かっていた、それでも、あの日リュートがどんな風に戦ったのかを知るために。
真実の鏡に映し出されたのは、信じたくない現実だった。
大魔王ケストラーが封印されたことで魔族達は魔力の源を失った。
魔力とは、人間で言う生命力、つまり魔力が尽きると寿命が来て死んでしまう。
そのためにベースの肉体は崩壊しつつあった。だから、彼らはリュートに目を付けた。魔人とまで呼ばれる程の法力を持つ彼に。
反魂の法。
術者がその体内で己の命を分けて邪悪なる魂の玉を作り、魂を抜かれて死体となった者にその玉を埋め込む。
魂を埋め込まれた者は、生き返ったかのように動き始める。だが元の自分の魂が抜かれているため、記憶や感情等は無く、術者の魂のみが反映される人形と化す。
それをリュートは施された。魂を奪われ、その代わりにベースの作った魂を埋め込められ、冥法王の新しい肉体となった―――。
「くっ・・・・・!」
エルは悔しさのあまり拳を握り締めた。彼女が望んだものを映し終えた鏡を傍らに投げ出し、頭を抱えた。
「どうして・・・どうしてこんなことに―――・・・・!」
もしもあの日、魔族が攻めて来なければ。
彼は今まで通り戦い続けただろうが、同時に、待ち望んでいた妹との時間が訪れたのだ。それなのに。
―――彼女が悲しむ理由はもう一つあった。
その彼が大切にしていたフルートだが、今のスフォルツェンドにはいない。
戦いの中、どうしても生き延びさせるためにホルンの手から離れたフルート。
ところが、逃がした先の手違いでフルートは行方不明となってしまった。極秘に兵を挙げ探してはいるが、どこを探しても見つからない。
リュートとフルートを一度に失くし、スフォルツェンドは・・・・・・・誰よりもホルンとエルは、悲嘆にくれていた。
戦いが終わり、平穏が戻ったからこそ、彼らがいないことがこの上なく哀しい。
抑えていた悲しみが涙になって頬を濡らすのを感じながら、エルはそのまま寝入ってしまった。











夢を、見た。
真っ暗な闇の中、リュートが立っていた。愛用していたローブを着て、いつも浮かべていた柔らかな笑みを浮かべて。
リュート!
エルは叫ぶが、声が出ない。手を伸ばしても届かない。
伸ばした手の向こうで、リュートは眉根を寄せて微笑んだ。
「・・・・・ごめんね」
エルは首を振った。そんな言葉が欲しいんじゃない。リュートが謝る必要などないのに。
無意識のうちに涙がぼろぼろと零れた。
「エル・・・・ボクは・・・・・」
リュートは悲痛な表情で言いかけ、口を噤んでしまった。エルは再び手を伸ばした。あの強かった彼が、あまりにも儚く見えたから。
届かない手の向こうで、リュートは冥法王の服を纏って表情を凍りつかせた。
感情の彼の瞳から、それでも再び伝わってきた想い。
『・・・・・ごめんね』











そこで彼女は目を覚ました。
絨毯の上でうずくまったまま寝ていたからだろうか、体中が痛い。顔をしかめながら身を起こすと、朝日の差し込む部屋の中が見えた。
ここはリュートの部屋。まるで陽だまりのような笑顔を浮かべる―――けれどそのリュートはいない。
先程までの夢は、ただの夢だろうか、それとも。
夢を見ながらも泣いていたらしい。残っていた涙を、エルは手で拭った。
『ごめん』、とリュートは言っていた。夢でも、今際の際にも。
彼女から言わせれば、自分の方こそいくら謝っても謝りきれないのだが。
あの時一緒に戦っていたら。反魂の法をどうにかできていたら。
―――反魂の法?
「・・・・もしかしたら、」
リュートは死んだ。認めたくないけれど、確かに。
でもそれは、反魂の法によって魂を奪われたからであって、その彼の魂を取り戻せば、或いは。
エルの瞳に、一つの決意が宿った。
「エル姉ちゃん?」
「わっ!?」
突然声をかけられ、エルは心臓が跳ね上がるほど驚いた。どきどきしながら振り向くと、部屋の入り口にクラーリィが立っていた。この少年はリュートと仲が良く、彼の死を最も悲しんだ者の一人だ。
「どうしたの、こんなとこで」
「うん・・・エル姉ちゃんを探してたんだ。ホルン様に聞いたら、多分ここだって言うから・・・・」
「・・・・・・」
「あのね、ホルン様にはもう言ったんだけど・・・・」
「何?」
優しく聞き返すと、クラーリィは幼い顔に強い意思を込めて、言った。
「ボク、大きくなったら魔法兵団に入るよ! それで、ホルン様とスフォルツェンドを守って、それから・・・・
リュート兄ちゃんを助けるんだ!!」
何の迷いもなくそう言ってのけたクラーリィに、エルは目を丸くした。
「サックス達も、魔法兵団に入るって言ってる。みんな、リュート兄ちゃんを助け出すって!」
「みんなが・・・・・」
クラーリィが言っているのは、リュートやエルと良く遊んでいた子ども達のことだろう。みんなリュートのことが大好きで、だからこそ助け出したいと。
まだ小さな子ども達なのに、その思いが嬉しくてエルは笑みを漏らした。
そう言えば、リュートはいつだったか言っていた。
クラーリィは、未来の大神官だな、と。
『そうさっ、ボクには分かるんだ! その輝きによって君の未来が・・・・。
来たるべき未来の地で、”北”の地だ・・・・そうだな、十五年後に、君はその優しき慈母の”魂”によって、力強い仲間達と共に、人々を苦しめる悪しき魂を持つ魔族を打ち払い、人類を平和に導く・・・・。そんな光を、そんな輝きを君は持っているんだよっ・・・!』
あの日リュートがフルートに言っていた言葉が、唐突にエルの頭に蘇った。
未来の大神官。
十五年後、力強い仲間達と共に魔族を打ち払う。
「・・・・もしかしたら」
エルは再びそう呟いた。クラーリィが不思議そうに彼女を見上げている。
「どうしたの?」
「あ、いや・・・・」
エルは明るい笑みを浮かべた。
「私も落ち込んでいられないなって、思って」
何かを確信したかのようなエルに、クラーリィは首を傾げる。
「それよりクラーリィ、ホルン様に伝えておいてくれないかな?」
「何?」
エルはリュートの膨大な魔法書の一つのページを捲りながら答えた。
「しばらく姿を見せないかもしれないけど、心配しないで、って」









その言葉通り、しばらくの間彼女は、自室に篭もったきり出てこなかった。
部屋の中に気配があることから、彼女が無事なことは分かったが、それでも多くの者が彼女の身を案じた。
「ホルン様、しばらくの間姿を見せず、申し訳ありません」
数日の後、ホルンの前に現れたエルは、そう言って非礼を詫びた。
ホルンは心配そうにエルに駆け寄る。伝言をしてはおいたが、彼女に心配をかけてしまうのは分かっていたことだ。限りない慈愛を湛えた人であるし、それに彼女にとって家族と呼べるのは、今やエルしかいないのだから。
それでも、エルが彼女に何も言わずに事を進めたのは、言ったら必ず止められるに違いなかったからだ。
「エル・・・・少しやつれたようね・・・?」
気遣う様子を見せるホルンに、エルは穏やかに微笑んで。
「ホルン様・・・・・お許し下さい。私、不老の法を使いました」
ざわ、と辺りが騒がしくなった。
「エル・・・あなた・・・・」
ホルンを息を呑む。エルは笑みを浮かべたままだ。
スフォルツェンドには、古くから一つの秘伝の禁呪が伝わっている。
不老の法。
その名の通り、老いることなく肉体を若いままに保て、尚且つ己の法力を増大させることができる魔法。が、そのために膨大なエネルギーを必要とするため、不老の法を使っている間は絶えず寿命が縮んでいく。
寿命が来て、若い姿のままある日突然死ぬことも有り得る危険な魔法―――そのために禁呪とされている。
「何ということを・・・・! 不老の法がどんな魔法か、ご存知なのですか・・・!?」
「勿論知っているわよ」
驚き慌てふためくパーカスに、エルはしれっと返す。
「エル、どうしてそんな・・・・」
「ホルン様、私はリュートを助けたいんです」
きっぱりとエルは言った。
「あの人を、あんな風に奪った魔族達を許せない。私の手でリュートを取り戻したい。
・・・・リュート、あの宴の時言っていたでしょう。フルート王女が、十五年後に仲間達と北の地で魔族達を打ち払うって。私、あれはあの人の予言だと思うんです」
フルート王女もきっとどこかで元気にしています、とエルは続けた。
リュートは予知魔法も得意だった。ホルンはリュートが水晶玉に未来のフルートを映し出していたことをふと思い出した。
「だから私は不老の法を使いました。
あの人がいない間、この国と世界を守るため・・・・それに何より、リュートを取り戻すために」
あなたが幸せならそれで良かった。
だから、あなたから幸せを、命を、待ち受けていた穏やかな時間を、
全てを奪った魔族達が許せなかった。
たとえこの身がどうなろうと、絶対に、あなたは私が取り戻してみせる―――。
エルの強い意思を感じ取って、ホルンは彼女をそっと抱きしめた。
「エル・・・・私はあなたのことも、苦しめてばかりね・・・・・」
「いいんです、そんなの」
リュートやあなたの苦しみに比べたら。
エルはそう思って微苦笑を浮かべた。
(リュート、いつか必ず、あなたを取り戻してみせる・・・・・!)
そうして彼女は、彼女の誓い通り、スフォルツェンドと人々を、守り続けた。
戦乙女として勇敢に戦い、その一方で祈るようにその時をひたすら待ち続けた。








そして、十五年後―――・・・・・・。








第八章へ













ホルン様があの時フルートを逃がしたのは、やっぱりリュートがあそこまでしてフルートを守ったからじゃないかな、というのがありまして。
何か連がブツ切れで読みにくく?てすみません; でもやっぱり一章に纏めたくて。
さぁ、次の章からはいよいよ原作の時間軸の話です。
2004年12月12日


※ちーさんについてちょっと追加。今の今までこの話の中でもずーっとスルーしてたので…(汗) 原作でもギャグで片付けられて、よくよく考えなくてもなかなかに不憫ですな、あの人も。というわけでホントにちょっとですが加筆修正しました。
2012,11,9





戻る