今にして思えば、命令に背いてでも、傍にいれば良かった。
―第六章:別れの曲―
いつまでも茫然としてはいられない。
リュートとエルはすぐに支度を整えて、城外へと向かった。
「魔界軍全軍と、魔界軍王か・・・・!」
流石のエルも恐ろしさで背筋に悪寒が走り、体が震えた。
魔族はともかく、問題は魔界軍王だ。彼らの強さ、恐ろしさは聞き及んでいる。実際に相対したことはなかったが、こうして軍王と戦うことになろうとは。
果たして、勝てるのだろうか。
―――いや、勝たねばならない。国を、人々を、守るためには。
「国民を城内に避難させる手筈は整えたし、あとは私達が魔界軍王と戦えばいいわね。他の魔族達は、魔法兵団全軍を駆使すれば何とか・・・・」
リュートの強さは知っている。自分の強さも、分かっているつもりだ。軍王に勝てるかどうか、正直五分といったところだったが、二人で戦えば勝機はあるかも知れない。
「・・・・エル」
ぴた、と、先を行くリュートの足が止まった。突然呼ばれて不思議に思いながらも、エルも立ち止まる。
「何・・・?」
エルの視線の先には、大神官の顔をしたリュートがいた。真摯な面持ちに、エルの心臓はドクンと波打った。
「君には、国境の守りをお願いしたい」
「・・・・どうして!?」
エルは思わずリュートに詰め寄る。リュートはごく静かに言った。
「君も聞いただろう、カスター将軍の報告を・・・・。国境は、今誰も守りについていないんだ。そのままにしておいたら、国境外からどんどん魔族が侵入してしまう」
近くにいるのに、リュートの声は遠くから聞こえてくる。
酷く現実味がないように、エルには思えた。
「だから、君は一番隊を率いて、国境の守りに当たって欲しい。一番隊も強者揃いだし、何より、君がいれば大丈夫だろう」
「―――嫌よ!」
リュートが言い終えるのとほぼ同時に、エルは首を振った。
「あなたの言ってることは分かるわ! でも、納得行かない・・・・!」
エルだって、この国が大切だ。人々だって、ホルンやフルートのように共に暮らす者だって大切だ。
だけど、リュートはそれ以上に。
「私も、あなたと一緒に戦うわ! あなた一人を魔界軍王と戦わせるなんて嫌だ!」
まただ。あなたは私が追いかけても、いつも先を行ってしまう。
いつも、一人で行ってしまう。
独りで戦わせたくないのに。独りで苦しませたくないのに。私も、共に戦いたいのに。
どうしてこの人は、そうやって一人で傷付こうとするんだろう・・・・・!
「エル・・・・」
リュートは、困ったような微笑を浮かべる。
ああ、これはいつものリュートの顔だ。
涙で歪む視界の中、エルはそう思った。
「エルの言いたいことは分かる。でも、今はそんな私情は挟んでいる場合じゃない。この国を守るためには・・・・分かるだろう?」
「・・・・・・・・」
エルの涙をリュートはそっと指で拭った。そうして、限りなく優しく、力強い笑みを向けて。
「大丈夫。ボクは負けない。必ず、無事で帰るから」
「リュート・・・・・」
「ね?」
そんな風に微笑まれては、エルは何も言えない。
無意識のうちに掴んでいたリュートの法衣から、エルはそっと、手を離した。
本当は、離したくなかったけれど。
「・・・・分かった。私は一番隊を率いて、国境の警備に当たる」
ようやく、エルは頷いた。未練は残っていたが、何とか。
エルを見つめるリュートの瞳に、一瞬、切なさが浮かんだ。だけどそれを悟られないように、リュートはもう一度力強く笑んだ。
「気を付けて」
「・・・リュートもね」
そして二人は、反対の方向に走り出した。
リュートは、街の中心部にいる魔界軍王を倒すため。
エルは、国境の魔族を倒し、守りを固めるため。
一度後ろを振り向いて、エルはリュートの後ろ姿を見た。外套をはためかせて走るリュートの姿が、目に焼きついた。
―――今にして思えば、命令に背いてでも、あの人の傍にいれば良かった。
国境は魔族で溢れ返っていた。エルは前線に立って指揮をし、かつ彼女自身も勇敢に戦った。戦乙女、その名に相応しく、彼女は戦場を駆けた。
そうして次第に、魔族達の数は減り、国境の守りも再び機能し始めた。
(リュートは・・・・大丈夫かな・・・・)
戦い続ける彼女には、常にその心配が付き纏っていた。いくら彼が人類史上最強の法力使いでも、魔界軍王相手に無事でいるのか・・・・。
「エル様!」
そんな思考に沈んでいたエルを現実に呼び戻したのは、彼女の部下である兵士達だった。
「どうしたの?」
「大変です・・・・何でも、リュート王子が冥法王相手に苦戦しているとか・・・・!」
「いま報告が入ったのですが、危険な状況らしいです! フルート王女を人質に取られ、魔法兵団は手出しできません!」
「・・・・・・・・!!」
エルからさあっと血の気が引いた。
冥法王ベース。魔界軍王の中でもNO.1の力を持つ冥界の王。その魔力は計り知れず、今の魔界軍の全指揮権を持ち、大魔王ケストラーに次ぐ実力者と言っても過言ではない
(そんな奴相手に、たった一人で戦ってるなんて・・・・!)
それに、フルートを人質に取られたとあっては、魔法兵団だけでなくリュート自身も手を出せまい。
やっぱり、私も一緒に戦うんだった・・・・!
「行って下さい、エル様!」
「え?」
エルの心境を見透かしたかのように、彼女の側近の兵士が言った。
「国境はもう大丈夫でしょう」
「後は我らだけで何とかします・・・だから、エル様は早くリュート王子のところに!」
「・・・・ありがとう・・・・・」
兵士達の心遣いが嬉しくて、エルは微笑んだ。
そうしてすぐにエルは転移魔法の陣を描き、街の中心部を思い浮かべる。
彼女のそのイメージのままに、エルはその場所へ転送された。魔界軍に破壊され、瓦礫と化した町並みが目に映る。多くの魔族と、それ以上に焼き焦げて死体となっている魔族の姿も。
(リュートは、どこに・・・・!?)
エルは必死に辺りを見回す。轟音がして、エルはそちらに目を向けた。
冥法軍相手に戦っているリュートの姿が、見えた。
「何だ・・・・ちゃんと戦ってるんじゃない・・・・・」
エルはほっと安堵の溜息を吐いた。
兵士達の報告を聞いた時には、まさか、と背筋が凍ったが、こうして実際に戦っている彼を目にして、少なからず、安心した。
彼は超獣王ギータを殴り飛ばして、人質になったフルートを取り戻したところだった。
フルートをその腕に抱いて地に膝をつき、哀しい程に優しく、彼は微笑んだ。
「リュート!」
エルがリュートへと駆け寄った時には、転移魔法で送ったのだろう、フルートはその腕の中から消えていた。
「良かった、あなたが、無事で・・・・」
エルも膝をついてリュートの肩に手を置いた。安堵して気が緩んだのか、エルの目に涙が浮かんだ。
リュートは顔を上げて、エルを見た。
―――良かった、君の方こそ、無事で。
「酷い怪我ね・・・待ってて、今回復魔法を、」
「・・・・・エル」
エルの言葉を遮って、リュートは言った。
酷く弱々しい声だった。
「リュート?」
不思議そうにエルがその名を呼ぶと、リュートは微笑んだ。
先程フルートに向けたのと同じくらい優しく、そして、哀しく。
「・・・・・ごめん・・・・・」
リュートはほとんど吐息でそう言うと、瞼を落とした。
全身の力が抜け、もたれかかってきたリュートを、エルはそのまま抱き止める。
「・・・・・・・リュート?」
エルの腕の中で、リュートは微笑みを浮かべたまま、動かなかった。
エルの全身を氷のように冷たいものが走り抜けた。
「え ・ ・ ・ ・ ・ ・ ?」
そんな、まさか、だって、たった今まで、戦って、動いて、喋って・・・・・。
生きてた、のに?
そんな、まさか、だって、
無事に帰ってくるって、言ってたじゃない・・・・。
「リュート・・・・」
エルは茫然とリュートを抱き締めた。
頭の中が真っ白になったようで、何も考えられない。ただ思ったのは。
―――リュートがもう、生きていないということ。
「そこをどいて貰おうか、エレクトーン王女」
低い声に、エルは首だけをそちらへ向けた。
頭だけになった冥法王ベースが浮かんでいた。何も考えられない頭でも、血に濡れたその髭面を、エルは心底憎らしいと思った。
こいつが、こいつがリュートを―――・・・・・!
「もう一度言う。そこをどいて貰おうか、エレクトーン王女」
「嫌よ」
エルはぎり、とベースを睨みつけた。リュートを抱くその腕に一層力を込める。
「これ以上、リュートを傷付けさせるもんですか・・・・!」
「ふん・・・・」
ベースは鼻で小馬鹿にしたように笑った。
次の瞬間、ベースから魔力の衝撃波が迸り、エルの体は吹き飛ばされた。
「あっ!?」
その衝撃で、エルはリュートから手を離してしまった。そのまま、彼女は瓦礫の山に激突する。
「体を失っても、このくらいの芸当、造作もない」
ベースが静かに言い放つ。
「つ・・・・・っ」
咄嗟に受身を取ったので、ダメージはそれ程でもなかったが、それでも走る痛みにエルは顔をしかめた。
と、ハッとして顔を上げる。
「リュートはっ!?」
見れば、先程彼が倒したはずのギータが、彼を抱えていた。反対の手には、宝石のついた杯が。
そしてその後ろには、槍を持った冥法軍の兵士達が控えている。
兵士達が槍を空に向けて突き出した。ギータが、リュートを放り上げようとするのが分かった。
(リュートを串刺しにするつもり!? ・・・そんなことはさせない!)
「天輪!」
エルはその場で光撃魔法最大の威力を持つ魔法を撃った。彼女の手から放たれた法力が、冥法軍の兵士達を消し去っていく。
魔族から咆哮と、驚愕の声が上がる。
同時に、彼女は地を蹴って走った。リュートを取り戻すために。
「タァァァッ!」
「ほう・・・流石は戦乙女、なかなかの法力ですねぇ・・・!」
ギータが冷や汗を浮かべながらも、感嘆した風に言う。
「ベース様! 魔人の血は後回しにして、先に聖杯の儀を行ったほうが良いのでは・・・・!?」
ベースの副官、オル・ゴールがエルの勢いの凄まじさに、慌ててベースに進言する。
「・・・・止むをえんな」
ベースは己の魔力を結集し始めた。漆黒の色をした魔力の塊は玉のようになり、それをオル・ゴールが手に取った。
そのまま、リュートの口の中に押し込む。
破れた法衣の隙間から、リュートの背中の十字架の痣が黒く染まっていくのをエルは見た。
背中の十字架の痣は、スフォルツェンド王家の血筋であることの証。聖なる者であることの証、それが黒く染まるなんて。
(な・・・!? リュートに、何を・・・・?)
そして更に、信じられないものをエルは目にした。思わず、足が止まる。
ぐったりとしていたリュートが立ち上がり、かと思うと、その法衣が、黒の軍服へと姿を変えた。そう、それはかつてベースが纏っていたのと同じ物―――。
そしてそのリュートは、ゆっくりとベースの方へ歩いていったかと思うと。
彼に忠誠を誓うかのように、跪いたのだ。
「リュート・・・・・!」
あのリュートが、あの冥法王に向かってそんなことをするなんて。
驚愕に目を見開くエルに、リュートが振り向いた。
いつもの優しい笑顔など、どこにもなかった。あったのは、ただ冷たい眼差しだけ。
「・・・・・っ!」
見たこともない凍てついた表情。
そう、まるで人形のような。
「リュートに、何をしたの・・・・・?」
戦慄く唇で、エルがやっと言葉を紡ぎ出す。ギータがにやりと笑って答えた。
「反魂の法ですよ」
「・・・・・反魂の、法?」
聞き慣れない言葉をそのまま聞き返す。
「効果は・・・まぁ、見ていれば分かりますよ」
ギータの言葉と平行して、リュートの右の掌の上にベースの首が乗った。ベースは口の端を上げて、醜悪に笑んだ。リュートの表情は凍りついたままだ。
人類の守護神が、冥法王に付き従うようにしてその首を手にしている。
いや。
リュートが、彼を殺した相手に付き従うようにしてその首を手にしている。
これ程、おぞましい光景があるだろうか。
エルは足下がふらつくのを感じた。
どうして、どうしてこんな―――。
「どれ、新しい体、試してみるか・・・・」
ベースが呟くのと同時に、リュートが左手をかざした。放たれた法力が、遠巻きに見ていた魔法兵団を吹き飛ばす。
血を飛び散らせながら倒れていく魔法兵団と、そうさせた本人を見て、エルはその場にへたり込んだ。
あのリュートが。誰よりも強く、優しく、人々を守ってきたリュートが。
その人々を、殺している。
ドウシテ、ドウシテ、コンナ―――。
「ふむ、悪くない」
ベースは新しい体の使い心地に満足そうに笑んで踵を返した。
「引き上げるぞ。我らの用は済んだ・・・後は部下達に任せておけばよい」
「ハッ!」
リュートがベースの首を手にしたままつかつかと歩いていく。ギータやオル・ゴールもそれに続く。
彼らはベースの巨大戦艦、カイゼルクロイツの真下まで来ると足を止めた。カイゼルクロイツは、ベース達を巻き上げるように風を起こした。
巨大な十字架に飲み込まれそうになるリュートを見て、エルはようやく正気に戻った。
連れて行かせない。このまま、リュートを魔族に渡してたまるものか!
「リュート!」
懸命に追いかけ、手を伸ばす。届きそうで届かない。
「この体はもう、わしの物だ。諦めろ、エレクトーン王女」
冷静に言い放つベース。それでもエルは、声の限り叫ぶ。
「リュートを・・・・リュートを返して!!!」
カイゼルクロイツが生み出した風が、彼女の体の自由を奪う。思うように動けないまま、エルはリュートがベースと共に戦艦に入っていくのを見ていることしかできなかった。
「リュート―――ッ!!」
扉が閉じる直前に呼んだ名は、彼に届いただろうか。
絶望に立ち尽くすエルの頭上から、光を湛える何かが降ってきた。地に落ちる前に両手で受け止める。
「あ・・・・・」
リュートが額に着けていた十字架だった。
冥法王の戦艦が去り行く中、その十字架をぎゅっと握り締めて。
エルはようやく、声を上げて泣いた。
第七章へ
第一次スフォルツェンド大戦では、リュートとエルは一緒に戦わない。そのイメージがずっと前からありました。
エルにリュートの傷付く姿を見せたくなかった、というのもあるけど、何よりリュートならそうするんじゃないかな、と思って。そのせいでエルはずっと悩むことになるのですが(ごめんよ、エル(^^;))
サブタイにあるとおり、この章のイメージBGMはショパンの「別れの曲」です。
2004年11月28日
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