―第三十二章:ラ・トラヴィアータ その2―






どうしてハーメルがここに、と誰もが思ったことだろう。
その位、彼の出現は唐突だった。しかし、勇者一行にしてみれば…とりわけフルートにしてみれば、誰よりも心強い参入者だったに違いない。
肩にオーボウを乗せたハーメルは、一行を見渡し、ここがダル・セーニョである、ということは何となく理解したようだった。それでもまだ状況を掴みかねているようなハーメルに、フルートが縋りついた。
「ハーメル…」
「な…フルート、どうした…?」
照れたように狼狽するハーメルに、フルートが涙ながらに告げる。
「サイザーが…サイザーが……」
フルートはそれ以上何も言えず、嗚咽を上げてしまった。ハーメルの表情が変わる。
周囲を見回したハーメルは、ようやくサイザーを見つけた。血塗れで横たわるサイザーと、彼女を支えるようなオカリナの姿。オカリナもまた悲しげに顔を歪めており、彼女の手によって瞼は伏せられているサイザーは、力無くぐったりとしていた。
呆然とサイザーを見るハーメルの姿に、エルは十五年前のことを思い出す。あの時も、リュートが魂を奪われた後もこんな風だった。魂を奪われた体は生命活動を止め、一見亡骸のようにも見える。今のサイザーも同じようだった。事情を詳しくは知らなくても、事の重大さをハーメルはきっと感じ取ったに違いない。
「ハハハ、こいつはいーや、ケストラーのガキが来やがった! 楽しくなりそーだぜ!!」
ハーメルが現れたことで、ヴォーカルはすっかり標的をエルからハーメルに移したようだった。ハーメルを挑発するように、ヴォーカルは次々に手酷い言葉をぶつけてくる。
「そーだぜ俺がやったんだ。そいつの羽千切って、魂抜いてな! 箱の鍵はぶった斬った、いつでも開けられるぜ! ベースに持ってかれたけどよ!
お前も、ぶっ殺してやるぜ! ハハハハハ…!」
ヴォーカルの高笑いは途中で途切れた。
ハーメルが渾身の力で、ヴォーカルの顔面へと拳を打ち込んだからだ。
その衝撃で吹っ飛んでいくヴォーカル、しかしそれを追いかけていったハーメルが、すぐさま第二撃を振り下ろす。そのまま何度も、何度もヴォーカルを殴っていく。ハーメルの拳がヴォーカルの体に撃ち込まれるたびに、鈍い音が当たる。
戦いという風では無かった。ハーメルはただその怒りのままに、拳を振るっているようだった。
(無理もない…妹であるサイザーを、あんな風にされちゃ…)
つい先程まで臨戦態勢を取っていたエルだが、最早ハーメルに加勢する余地は無かった。
それ程までにハーメルは怒っていた。彼と付き合いの浅いエルにもその位分かる。以前、コラール山で囚われのサイザーを助けに行った際に母であるパンドラを盾にされて、ハーメルは怒りのあまりに理性を失いギータをぼこぼこにしていたことがあったが、今回の怒りはそれ以上だった。
見ているこちらが圧倒される程、我を忘れて拳を打ち込んでいる、ただ迸る怒りのままに…そんな印象を受けた。
「あれは…人間の力では無いな」
黙って戦況を見ていたオーボウがやっと口を開いた。
「凄まじいまでの力強さじゃ。ヴォーカルが組み伏されておる。人間の力であれだけのことができるわけがない…」
確かにオーボウの言う通り、ハーメルはヴォーカルを完全に組み敷いていた。そのまま何発も何発も、拳を叩き込み続けている。ほとんど一方的だった。
「あれこそまさに……魔族の中でも頂点といわれた最強の王…大魔王ケストラーの血の力じゃ…」
フルートが不安そうにオーボウを見遣る。オーボウは続けた。
「これまでたびたび見せてきたことだが、ハーメルは人間と魔王の血を受け継いだ者。普段はこれを人間の血で抑えてきているわけだが、今回はそうはいかぬらしい。大魔王の力が目覚め始めたんじゃ、血の鼓動が脈打ち始めたんじゃ。例えようの無い怒りと共にな…」
「例えようの無い、怒り…?」
「ヴォーカルは奴を怒らせ過ぎた。魔族と人間の間に生まれ幼い頃より迫害を受けて生きてきた、そんなハーメルを初めて理解し、信じてくれた人間達を消された痛み…」
そこでフルートはハッとしたようだった。エルも気が付いた、オーボウのその言は、恐らくはスコア民国の王や民達のことを指していると。
「そして同じように魔族の中で生き、苦しんでいた、サイザーの痛み……」
そんな話をしている間にも、ハーメルはヴォーカルを殴り続けている。己の怒り、妹の、仲間の痛み、そういったものを込めた拳で。
彼にはきっと、彼にしか分からない怒りがある。そして最後に一番重い一撃を、ハーメルはヴォーカルの顔面へと叩き込んだ。瓦礫に沈むヴォーカル。力無く投げ出される手足。さしものヴォーカルも今度こそ…と、誰もが思うような。ハーメルの拳打の嵐が、ようやくそこで止まった。
「………」
血に塗れた手で、ハーメルはヴォーカルを見下ろしていた。これだけ痛めつけても何だかすっきりしない、どこか遣る瀬無い、ハーメルはそんな表情をしているようにも見えた。
しかしとにかく、ヴォーカルもこれまで……、
けれどそういった希望的観測は、またもあっさりと覆された。
ゆらりと立ち上がるヴォーカル。反応が遅れたハーメルが彼に捕まる。ハーメルの顔はヴォーカルの手に掴まれ、力任せに歪められる。
「効かねェ、効かねェなぁ…!」
先程までの意趣返し、とばかりに今度はヴォーカルがハーメルを瓦礫に叩きつける。強く握られているハーメルの顔中から血が噴き出していた。すっかり形勢逆転されてしまったハーメルは、地面に押し付けられ、ヴォーカルに顔面を思い切り踏みつけられた。
「その程度なのかい! 全然痛くねェよ、そんなんじゃ俺なんてぶっ殺せねぇなぁ、ハーメル君!」
ヴォーカルがハーメルを馬鹿にしたように笑う。あれ程までのハーメルの攻撃がまるで効いていなかったのか、と、勇者一行にもう幾度目かも分からない絶望ムードが漂う。
(なんてタフな…ドラムも大概だったけど、ヴォーカルはそれ以上だわ…!)
エルは息を呑んだ。先日の第二次スフォルツェンド大戦での幻竜王にも、こちら側が幾ら押してもまるで効いていないその頑強さに手を焼かされた。そしてこのヴォーカルもまた、サイザーやハーメルがこれだけの攻撃を繰り返してもびくともしない。むしろ、ヴォーカルの方がドラムよりよほど余裕がある。
「拍子抜けしたぜ。もっと強ぇ奴だと思ってたのによ。あんた本当に、ケストラーの息子なのかよ!」
ヴォーカルはハーメルから帽子とバイオリンを奪い取った。帽子を頭にのせ、バイオリンをギターのようにかき鳴らしてみせる。
完全に遊んでいる…! ヴォーカルにとっては大魔王の血をひくハーメルですら、まるで敵ではないというのか。
ヴォーカルは今度は、ハーメルの剥き出しになった頭の角をむんずと掴んだ。
「それでもその顔は…ケストラーそっくりだよな。特にこの角は…。忘れねェぜ…俺を閉じ込めやがった…あのおっさんの顔はよ!
それに…あのヤローはよ、あのヤローがいなけりゃ…!」
ヴォーカルは今までとは違った神妙な表情で何事かを言いかけた。
しかし気が変わったのか、まぁいいや、とハーメルの帽子をバイオリンとを放り投げた。そして、
「面白いことしてやるぜェ!」
と、呆気にとられたままのハーメルを残し後退した。
皆がヴォーカルはどこへ、と見回していると、彼はオカリナの腕の中からサイザーを奪い取り、抱え上げていた。
「なっ…」
「妖鳳王サイザー…いい女だったよな。おめェの妹だろ?」
ヴォーカルはにやりと笑って、サイザーの頬に手を這わせている。そのままダンスを踊るようにサイザーの手を握り、その体を連れ回した。
「いい女だったぜェ。美人だしよー、色っぽかったしよー。気が強くてよぉ、今のお前よりも強かったしな。それでも俺にしてみりゃ、遊びみたいなもんだったけどなー」
この男は、どこまでサイザーを玩べば気が済むのか。挑発だと分かっていても、エルは怒りに震えずにはいられなかった。
「ほんと殺すにゃ…惜しかったぜェ。仲間を守るとか言って先におっ死んじまったら、話にならねェぜ。
ったく、馬鹿な女だぜ…残忍、冷酷、一度飛べば何百という人間を斬り裂く魔性の女…まさに魔族の中の魔族…ハーメルンの赤い魔女さんだぜ、ハハハ」
「うるさいっ! サイザー様を魔女と呼ぶなぁ!」
これまでの主への仕打ち・侮辱にとうとう耐えかねたのだろう、オカリナは立ち上がるとヴォーカルの方へ向かっていった。
「サイザー様を、放せ!!」
攻撃を仕掛けると共にサイザーを取り戻す、しかしそういったオカリナの動きは、ヴォーカルから反撃を受けたことで一瞬で止まってしまった。顔に容赦なく拳を受けたオカリナはその衝撃で吹き飛び、地面の上をのたうち回り苦しげな咳を繰り返す。誰ともなく、彼女の名を呼んだ。
「オカリナ!」
「うるせェよ…雑魚が…」
ヴォーカルは冷酷な瞳でオカリナを見下ろす。主を思うオカリナのことすら、単に鬱陶しいとしか思っていないのだろう。
「これからよー、せっかくお前らが喜ぶよーなプレゼントをしてやろーと思ったのに」
プレゼント…?
その言葉に、エルはとてつもなく嫌な予感がした。そしてそれは、結果的には当たっていたと言える。
しばらく何やらもがいていたヴォーカルは、腹部の口から黒い塊を取り出したのだ。鈍く光る、丸い…。
そしてそれを見た瞬間、十五年前のあの出来事が一気にエルの頭の中を駆け巡った。
(……あれは……!!)
十五年前、同じものを見た。
あの時は、その黒い塊はリュートの中に埋め込まれた。
その途端、リュートはリュートでなくなった。大神官の白い法衣は漆黒の軍服へと変わり、優しかったその心は消された。
リュートはただひたすら冥法王に従い、冥法王の意のままに動く傀儡と化した。
つい先程までこの場にいた、冷たい瞳をしたベースの器。
(それは、それだけは駄目……!!)
今この場で、十五年前のその時のことを知っているエルだけが、これから先に起こるであろうことを悟った。いや、正確に言えば、悟る前に体の方が先に動いたと言っていい。
ヴォーカルがサイザーの口にその塊を押し込もうとした時、そして彼がそれに意識の全てを向けていたその瞬間、エルは黒い塊に向けて一直線の光のような法力を繰り出していた。
「なっ…!」
黒い塊が己の手から弾かれたことにヴォーカルが気付く、転がる黒い魂を追おうとする。
けれどここもエルの方が早かった。先程の法力を放つと同時に動いていたエルが、先にその塊を拾い上げた。
エル自身は気付いていなかったが、塊を握り締めるその表情はどこか憎しみも帯びていた。握り締めるや否や、法力をその掌に集結させる。そのまま強大な法力で包み込むようにして、エルは黒い塊を握り潰した。
掌に塊の感触はもう無く、握り締めた指の間から立ち上る白い煙。無事に魂の玉が消滅したことにエルはほっと息を吐く。ここまでの一連は、ほとんど無我夢中だった。何としてでも止めなければ、と、その思いだけで動いていた。
だからここでようやくしっかりとエルの意識は戻ってきて、けれど唇に満足げな薄笑いを浮かべていたのは、恐らくは無意識のうちだった。
「てめえ……何しやがる!!」
再度サイザーの体を放り投げたヴォーカルが、怒りの形相でエルの方へずかずかと歩み寄ってくる。この上なく不機嫌そうな顔をしたヴォーカルに、けれど何故かエルは胸がスッとするような気分だった。
「これでもう反魂の法はできないわよ。残念だったわね…!」
リュートを冥法王の操り人形へと成さしめた、忌々しい秘術。
ヴォーカルはそれをサイザーへと行おうとしたのだろう、しかしそれを阻止できたことが、不思議とこの上なく愉快だった。この男の思惑を覆せたことに満足していた。
この戦いで何もできなかったこと、リュートを救えなかったことの反動なのか…いずれにせよ、何故かこの時のエルは、どうしようもなく気分が高揚していた。
「術者が生み出した邪悪な魂を込めることで、それを埋められた者を生き返ったかのように動かすことができる邪法……。その魂を作るには膨大な魔力を使う筈よね? 流石のあなたでも、二つ目の魂を作り出すことはリスクが大きいわよね」
「てめ…知ってやがったのか」
ヴォーカルが歯ぎしりをしてエルを睨みつけてきた。エルが指摘したことは事実なのだろう。万全の状態ならともかく、一見ダメージがないとはいえそれでも戦い続けたその体で二つ目の魂を作り出すことは、今のヴォーカルには厳しいに違いない。
そうでなくても、魔族には寿命という枷がある。
だからこそ、こうして無事に対処できたことが痛快で堪らない。
「エレクトーン王女は、十五年前のスフォルツェンドでの戦いにいましたからねェ…よーくご存じなんですよ、反魂の法については、ねぇ」
ヴォーカルの脇からひょっこりと出てきたオル・ゴールがにやりと笑ってそんなことを言う。忘れもしない、十五年前のあの時は、こいつがリュートに例の黒い魂を埋め込んだ。
「あの時も確か、あなたに聖杯の儀を邪魔されましたね。今のこれは、ベース様からリュート王子を取り戻せなかった意趣返し、ってとこですかねェ。
けど、見てみたかったですね、ヴォーカル様の反魂の法で生き返ったサイザー様を…」
オル・ゴールがちらりとサイザーに目を向けた。サイザーを守るようにして側にいるフルートやオカリナが、エルとヴォーカル達とのやり取りを不思議そうに見ている。
「ふざけたこと言わないで! 反魂の法の悲劇はもう繰り返しちゃいけない、絶対に…! 勇者一行達の為に、サイザーの為にも…それだけはどうしても避けたかった!」
エルは怒りと悲しみの交じった声を上げた。
もし、あの魂がサイザーの体に埋め込まれていたなら……、
きっと、サイザーはヴォーカルの性根をしっかり受け継いで蘇ったことだろう。サイザーのことを心配する仲間達の言葉にも耳を貸さず、冷たい瞳で、また誰かを傷つけ、殺めていたかもしれない……リュートのように。
そしてそれは彼女の仲間にとっても、何より彼女自身にとっても、この上なく残酷なことだ。
だからそれを止められたのは本当に良かった。例えこの先自分が、どんな目にあったとしても。
「…俺の楽しみを邪魔した罪は重いぜェ…!!」
案の定、ヴォーカルの怒りの矛先はエルに向かってきた。エルは錫杖を構えて光砂風陣の詠唱を始める、しかし今度はヴォーカルの方が早かった。瞬く間にエルの懐に飛び込んできたヴォーカルは、エルを重い拳打で殴り飛ばした。エルが痛みを感じる前にもう一撃、また一撃。
顔、腹、手、足…至るところを殴り飛ばされる。反撃する暇がない。体勢を立て直すことすら。
骨が軋んだ音が聞こえた気がした。
「エルッ!!」
悲痛な叫び声は、フルートだったろうか。ヴォーカルに殴られ続けるエルには、それすらももう分からなかった。
けれど絶え間なく襲いくる痛みで朦朧とする中、エルはやはり不思議と安堵していた。
サイザーに反魂の法をかけられるのは阻止できた。そしてそれを行おうとした分、ヴォーカルの魔力は減っている。
ならば後はきっと、どうにかできる。勇者一行が何とかしてくれる。勇者ハーメルなら、きっと……。
そんな奇妙な安心感を抱えたまま、エルは意識を手放した。






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やっと反魂の法の阻止まで話が進みました。
あの場面で反魂の法を知ってる者がいたら、何が何でも止めたと思うんですよ…。
ってか解説してないで止めろやオーボウ。

そんなわけでサイザーの黒サイザー化は無しで進みますー。

2014,10,10
初稿:2014,7,31








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