―第三十章:遁走曲―
ヴォーカルからフルートの魂を取り戻した人影の正体がコルネットだということが分かってから、そう言えば彼女もまた出撃の準備をしていたのだった、ということをエルはようやく思い出した。
魔族側にとってこれまた全く予想外の、しかしこの危機一髪の状況下においては勇者一行には何よりの援軍のように感じられた。あのタイミングでコルネットが参戦してくれなかったら、フルートの魂は間違いなくヴォーカルに握り潰されていただろう。そう思うと、エルは改めてぞっとする。
コルネットはフルートの体を抱き抱え、懸命に介抱しているようだった。涙さえ浮かべるその表情からは、以前の邪さなど微塵も感じられない。本当に心からフルートを心配しているようだった。当のフルートは魂を戻されて目を覚ました時、コルネットを見て酷く慌てふためいていたが…どうやら、過去に何か確執があったらしい。
ともあれ、フルートが危機から脱したのは喜ばしかった。無事を笑い合うフルートとサイザーらの姿に単純に思う。ただ……。
勇者一行としては、危機的状況から完全に逃れられたとは言い難い。コルネットという頼もしい味方が一人増えたとはいえ、依然ベース・ヴォーカル・オル・ゴールといった強敵がそろい踏みしている事実には何ら変わりが無いのだ。コルネットは魔闘家としては申し分ない力を持っている、しかしそれでもたった一人だけでこの不利な局面を完全にひっくり返せるとは、エルには思えなかった。
せめて、この体が動かせたなら…。
ベースの結界に囚われているだけのこの身がもどかしかった。手や顔は動かせる、けれどそれだけだ。肝心の腕や足や胴体といった部分は完全に拘束され、法力も出せない。
何もできない。
こんなにもすぐ近くにいるのに。ベースも、フルートも、ヴォーカルも、それなのに何も。
「…いー加減に、解きなさいよねコレ」
堪らず毒づいてみるが、ベースは眼下のヴォーカル達の行く末を見据えているだけで、こちらには一瞥もくれない。その位、己はベースにとっては取るに足らない存在なのだ、と明示されているようで、尚更悲しくなる。この日の為の、今までの十五年間は何だったのか、と。
リュートを取り戻せず、フルートも危険に晒して、肝心な時に動けないで。……何がスフォルツェンドの戦乙女だ……。
自分自身の不甲斐無さに、エルは心底腹が立った。
八つ当たり的にすぐ側にいるベースを睨みつけてみるが、ベースは相変わらず静かに全体の状況を見分しているのみで、今は動こうとはしていなかった。コルネットが全身から凄まじい法力を放出しても尚、リュート・ベースはパンドラの箱を手に、じっと佇んだまま。
「フルートお姉さまを…みんなを、守りますわ!」
堂々と言い切ったコルネットの瞳には、正義の光が宿っていた。彼女の全身から噴き出す法力は、エルが知っていた彼女のそれよりも、ずっと強力だった。想像以上の潜在能力にエルは思い直す。これなら魔族全員を蹴散らす、までにはいかなくても、勇者一行側が有利に戦えるかもしれない…!
そしてフルート達もまた期待の眼差しでコルネットを見守る中、彼女は黄金色の光に包まれながら華麗にフォームチェンジしたのだった。
…スフォルツェンドを騒がせた、あの肉玉状の魔族の姿へと。
「………。」
一同、脱力。誰もが一瞬言葉を失う。
エルもまた肩を落とした。スフォルツェンドを襲った例の魔族がコルネットであるということは、本当の本当であるらしい。ホルンやクラーリィは紛れもない事実を言っていたわけだ。
しっかし改めて見てみると本当に化け物じみているなぁあの姿。コルネットは自信満々っぽく笑ってはいるが。
しかし、多少の事情を知っているエルはともかく、フルートやサイザー達は突如現れた醜悪な魔物がコルネットが変化した姿だとは到底思えなかったようだ。特にワルキューレ達(確かサイザーにつき従う精霊だったと聞いている)は、新手の魔族だと勘違いしたのか、コルネットを槍で突き回している。
「ちょっと、あの、それ間違いなくコルネットだから!」
エルがそう突っ込んでも、コルネットを追いまわすワルキューレ達の耳には届かなかったらしい。
そしてコルネットはエルが気の毒に思うくらい容赦なく、ワルキューレ達に崖の亀裂に突き落とされた。悲鳴を上げながら落下していくコルネット。
「……せっかくの戦力が……」
事情が事情とはいえ、心境としてはトホホホという他ない。スフォルツェンドで水晶越しにこの状況を見ているホルン達も、さぞや唖然としているに違いない。
エルはコルネットが落ちていった崖を力無く見つめるのみだったが、視界の中でリュート・ベースが徐に動いたのに気が付いた。
「…!」
リュートは左手にパンドラの箱を手にしたまま、右腕を水平に持ち上げた。リュートの右掌から離れたベースの生首はふわふわと浮遊している。そしてそのリュートの右掌に、一瞬にして法力が集まるのがエルには分かった。
そして次の瞬間には、リュート・ベースのすぐ前にサイザーの姿があったのだ。
「なっ…!」
当のサイザーが一番驚いているようで、目を見開いている。先程のフルートと同じく、他者にかけた転移魔法…加えて、リュート・ベースが法力で干渉しているのか、サイザーは体を宙に浮かせたまままるで身動きが取れないようだった。
「ベース! サイザーに何をする気…!?」
「成程…こんな所にいたとはな…。箱を開けられる者がな…」
エルの問いに答えたわけではなく、一人何かに納得したかのようにベースが言う。
「箱を開けられる聖なる魂を持つ者……妖鳳王サイザー。いや、元妖鳳王というべきかな…」
「……!?」
その場にいた全員が驚愕の表情を浮かべた。
エルも同様だ。確かにサイザーは以前、箱を開けたことがある。言うなれば実績を持つ者。かつて魔族に籍を置いていても、天使の血を引く清らかな存在。言われてみれば、彼女もまた聖なる魂を有していても不思議ではないのだ。いや、むしろ、何故そのことに今の今まで思い当らなかったのか。
「ケストラー様が教えて下さったのだ。貴様だ、とな。お前の父上がな…。まさか魔族を裏切ったお前が、こんな形で役に立つとは…」
「や、やめなさいっ…!!」
エルは声を上げることしかできないが、それもただただ空しいだけだ。
箱の中のケストラーがベースに何をどう伝えたのかは定かではないが、ケストラー本人がサイザーの魂を求めているというのなら、信憑性はあるのだろう。まして、ケストラーとサイザーは父子の関係…同じく聖女であっても、フルートの魂よりは、サイザーの魂の方が箱の軛を断ち切るのには相応しいと、そう納得できる部分もある。ベースもそう考えたからこそ、今度はサイザーを捕らえたのだろう。
「来いヴォーカル…剣を持ってな。箱を開けるぞ」
「そうかい…ケストラーの親父がそう言ったのかい。だったら間違いねェな。やっと箱が開いてよ…ヤローが出てくるわけだ。面白ぇな。フフフ…ハハハ…!!」
ベースの誘いに、ヴォーカルは愉悦に満ちた笑い声を上げた。どうやらヴォーカルは箱を開けたくて仕方がないらしい。無論、大魔王ケストラーの解放は魔族達すべての願望なのだろうが、とりわけヴォーカルはそれへの執着が強いように、エルは感じたのだ。
(まずい、どうにかして止めないと、今度はサイザーが危ない…!!)
痛いほどそれが分かっているのに、やはりこの身は動かせない。
フルートやオカリナも、絶望の表情を浮かべて立ち尽くしている。
ただ歯噛みするしかないエルは、しかしまた勇ましい制止の声を聞いた。
「待ちなさい、魔族ども! 正義の心に目覚めたサイザーさんの魂を抜き取り、大魔王の復活をさせるなんて、そんなことはさせない!」
どこをどう戻って来たのか、再びのコルネットだった。しかし姿は肉玉である。
台詞だけなら立派なのに姿はソレなものだから、勇者一行のみならずヴォーカルですらひっくり返ってしまっている。
「私の命ある限りっ、そんな悲しいことはさせませんわ!」
「やかましい! またお前かー! ああもうこんな忙しい時に!」
「ひ〜やめて〜また崖落とさないで〜!!」
コルネットはワルキューレ達と漫才のようなやり取りをしながら、必死に自分はコルネットだと弁解している。やっとの思いで崖を這い上がって来たらしいコルネットからしてみれば、そりゃあ必死になるだろう。
水晶でぴょこっと通信してきたホルンの「一応あれはコルネットなのよ」の一言もあり、ようやく勇者一行は肉玉魔族=コルネットの図式が脳内で成り立ったようだった。そしてこれまたようやっと認めて貰えたコルネットは、張り切ってヴォーカルの前に躍り出て、勇敢な言葉を並べ立てていく。
「サイザーさんの魂はこの私が守ってみせますわ! 残虐非道な魔族め! 正義の刃を受けなさい!」
…とこの調子である。コルネットのちょっとずれた正義感ぶり(+その姿)に流石のヴォーカルも気を削がれるのか、呆れ返っているようだ。
「行くぞヴォーカル! 聖母殺人伝説―――!!」
コルネットは体中の口を開き、そのすべてから凄まじい熱線を放った。それはヴォーカルに直撃こそしなかったものの、ダルセーニョの瓦礫の山を一瞬にして燃え上がらせた。熱風が辺りに吹き荒れ、煙が立ち込める。
姿こそ魔族そのものだが、コルネットの攻撃は確かにとてつもない破壊力だった。瞬時に炎上した大地を見れば分かる。
エルやフルートらはその威力に慄きつつ、コルネットのことを見直しかけた。コルネットは自信満々にふんぞり返っている。
「ハハハハ見たか、これぞ我が奥義、究極最大の必殺技ですわ! 今度は外さないぞ化け物め、覚悟しなさいよ! …あっ」
小石に躓き、コルネットは転んだ。そのまま起き上がらない。転んだままじたばたしている。
体が丸いのが災いして、どうやら一人では起き上がれないらしい。
そしてそんな涙目状態のコルネットを、ヴォーカルは容赦なく蹴り飛ばした。先程の崖下に向かって。
あ〜…という断末魔と共にコルネットは落ちていく。ひゅるる〜という音がこちらにまで聞こえてきそうだった。誰かが助けに行けそうな深さではない、誰も彼女に何もできず硬直していた…まぁさっき無事だったから今度もまた大丈夫だろう多分…そんな思いがあったことは否めない。
「フフフ、お遊びはここまでにしておいて…」
ヴォーカルが振り向くと、すぐさま空気が変わった。緊迫した、張り詰めたものへと。
ヴォーカルはベースに向かって…正確にはサイザーに向かって、ゆっくりと歩み寄って来た。
そこにはエルが固唾を呑む程の、殺気。
「そーかい、お前さんかい。お前だとは…気付かなかったぜェ!」
サイザーの背後に回ったヴォーカルは、彼女を地の上の瓦礫に押し付けるようにして、力任せに彼女の羽を毟り取った。サイザーの翼から噴き出す鮮血。苦しげな悲鳴。
「ハハハハ、可哀想になぁ! こんな傷だらけになって、翼ボロボロにして…千切れそうになってまで戦ってよ!! 報われねーよなぁ、おめーが魂だってよ!!」
同情するような言葉とは裏腹に、ヴォーカルは至極楽しげな表情でサイザーの羽を引きちぎっていく。ぶちぶちという生々しい音が響き渡る。それは思わず顔を背けたくなる程の、一方的な暴力。
「あああああっ!!」
「やめなさい、ヴォーカル!!」
サイザーの叫びにエルの声が重なる。言ったところでこのヴォーカルが止まる筈もない、それでも言わずにはいられなかった。鎖の拘束を振り解こうとする腕が足が、堪らなく痛む。それでもこの残虐さを前に、リュート・ベースの結界から抜け出せないと分かっていても抜け出そうとしてエルはもがく。
「今のそなたにできることは何も無いぞ…エレクトーン王女。大人しく事の成り行きを見守っていろ」
「うっ…るさいわね! じっとしていられるわけが無いでしょう!? どれだけサイザーを傷つけて…利用すれば気が済むのよ!?」
ごく静かなベースの一声に、どうしようもなく心が乱される。こんなに近くで、エルのすぐ目の前でサイザーが非道な暴力に晒されているというのに、何もできない。だから余計に。
魂を奪うだけならば、こんな行為は必要ない。ヴォーカルはただ、己の悦楽の為だけにサイザーを痛めつけている。それがエルにはただただ許せなかった。
サイザーの羽は見る見るうちにボロボロになっていき、彼女の体は真っ赤に染まっていき、それを嘲笑う魔族達の声だけが重なる。
「神は無慈悲だな…。哀れな奴よ、天使の血を宿し、箱を開けられる血筋が故に我々魔族にさらわれ、魔の中で生き呪われし運命を生き…躯のごとき母親の心を求め、いたずらに殺戮を繰り返し血に彩られた屍の中を歩んで傷つき、白い翼は真紅に染まった…」
ベースが淡々と述べる間にも、ヴォーカルの加虐は止まらない。どんなにオカリナ達が許しを乞うように泣き叫んでも。
「しかし人に救われ、償うことで心が許された。飛ぶことが許された。人間の為にな…。しかしその翼もまた…傷付き赤く染まる。フフフ…
結局お前は鍵だ。魔族の為のな…」
「ハハハ、これがお前の償いかぁ!? こいつぁ笑わせるぜ!」
生まれてすぐにさらわれ魔族に利用されてきた彼女は、ベースからしてみればやはりどこまでも“道具”でしかないらしい。ベースの、そしてヴォーカルの非道さに、エルは悔しげに涙を滲ませる他なかった。
「やめなさいっ、もう、それ以上は…!」
「ハハハ、そーかいお姫さんよ」
ここでようやくヴォーカルがその手を止め、エルの方に振り向いた。血塗れの羽根が舞う中、どこまでも楽しげに口の端を上げて笑うその魔族の姿におぞましさを覚える。
しかしそれもほんの僅かのことで、ヴォーカルは改めてサイザーに手を振りかざした。
「なら…そろそろこいつの魂を…貰ってやるぜェ!!」
エルの駄目、という声が声になる前に、それまで一方的に嬲られ続けていたサイザーが動いた。鋭く目を見開き、叫ぶ。渾身の力を振り絞るようにして。
「ブリュンヒルデー!!」
直後、サイザーの体を覆っていた甲冑が一人の少女の姿へと変わった。状況をまるで把握できないエルの前で、恐らくはブリュンヒルデという名なのであろうその少女は、ヴォーカルにひしとしがみついた。
「なっ…!」
「今です! サイザー様!!」
この段になってようやくエルは悟った、彼女もまたサイザーの操る精霊達…ワルキューレの一人なのであると。甲冑を纏い、逆立った二つの三つ編みが特徴的なその彼女は、必死の形相でヴォーカルの動きを封じている。
「早く、私ごと…!」
そしてその後は一瞬だった。
すぐさま傍らの大鎌を拾い上げたサイザーは、振り向きざまにヴォーカルにその切っ先を叩き込んだ。
そのワルキューレの少女の体をも貫いて。
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コルネット関連は正直、もっとさらっと流したかったんですが…うまく書けませんでした;
ギャグは文にすると難しいですね…。
2014,10,10
初稿:2014,7,18
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