―第二十五章:暗雲―





スフォルツェンド直系の王女であるフルートが魔法を覚えた。
それは王家にとっては大変に喜ばしい事態だった。
事情が事情とはいえ、フルートが王家とは全く関係のない場所で育ったこと、加えてあんな大ボケ勇者と一緒にいることも影響して、訓練をしてもできないのではないかとか、実は王女の名を騙った偽者なのではないかとか、そんな話が高官達の間でひっそりと囁かれていたのも事実であった。
だからこそ、そんな前評判を覆してフルートが回復魔法を使えたことで、彼女が紛れもなく王家の血筋であることが証明され、また単純に我が子の汚名がそそがれたことにホルンは大いに喜んだ。
そしてそんな喜びはこのスフォルツェンドでは……祭りという形で表現される。






「お、お母さん…」
水晶での通信にてその祭りの光景を見たフルートは、言葉を失っていた。
サイザーとオカリナとを仲間に加えたハーメル一行は、コラール山を抜け、山間の町へと移動していた。ホルンは今後の進路などを伝えるべく、こうして水晶越しに一行と連絡を取り合っているのであったが、久し振りに愛娘に会えたことが嬉しくはしゃいでおり、嬉々として最近のスフォルツェンドの様子を伝えているのであった。
「今ねー、フルートが魔法を使えるよーになったことを記念して、市内で“魔法だ!回復だ!フルート祭り”を一週間繰り広げてるのよー! 最終日には“フルート山笠”も出るのよ! もー市内は大騒ぎ!!」
「お…お母さん…」
祭りのイメージ映像を見せるという、何とも器用な真似までホルンはしてみせる。巨大なフルートを模した山笠が市内を盛大に練り歩く様子に、フルートは戦慄せざるを得ないようだ。最早こうなってしまっては、スフォルツェンドも何が何だか分からない。
「これって一体…」
秋田県男鹿半島に伝わるなまはげ祭りをモチーフにしたなまフルートも出る始末とあって、フルートは悩ましげな顔をするしかないようだ。
そんな従姉妹の様子に、水晶を通してエルはこんなアドバイスを送る。
「…諦めなさいフルート。それ、私の時もやったから…」
薄く笑うエルは遠い目をしていた。
エルは十二歳の時だったか…やっぱり初めて回復魔法が使えるようになった際に、こんな風に無駄に盛大に祭りが催された。その時は山笠じゃなくて、山車が出ていた気がする。とにかく、そんな風に祝われては、嬉しさよりも恥ずかしさの方がずっと勝るのだが、スフォルツェンドの人間は存外お祭り騒ぎが好きらしく、市内の人達もノリノリで楽しんでいるのだから手に負えない。
そういえばリュートの時も、“魔法だ!攻撃だ!リュート祭り”なんてのもやってたなーと、エルはついでに思い出す。確かそっちの方は、エルより何年も前にやっていたが。
とにかく、ホルンは我が子の成長が嬉しくて仕方ないらしい。手ずから作った魔法使い風の服をフルートに転送して着せるなど、はしゃぎっぷりは止まるところを知らない。
スフォルツェンドを象徴する十字架模様をふんだんに織り込まれた赤いスカートを纏ったフルートは、村娘風の印象とは一転、どこからどう見ても立派な魔法使いだ。長い髪を下ろしているのもあって雰囲気もガラッと変わり、とても可愛らしい。ホルンの面影が重なるのもあってか、クラーリィは思わず赤面しているほどだ。
ハーメルもまたドキっとくるものがあったのだろうか、真っ赤になっている。
「わぁ、可愛い! とっても似合ってるわー」
「うんうん、素敵よフルート」
「うむ、なかなか似合っとる!」
ホルンとエルとオーボウとに口々に褒められて、フルートは照れ臭そうだ。フルートは服自体は気に入ったようだが…しかしマントにでかでかと刺繍してあるホルンのロゴは恥ずかしかったらしく、いそいそと着替えてしまった。ウインクをばっちり決めたホルンの顔と『スフォルツェンド公国・世界一の魔法使い(はぁと)』…うん、これは恥ずかしい。
ホルンが服を作っていたところは見かけたことがあったエルだったが、マントのそんな刺繍までは知らなかった。
「皆さん、今回の戦い…大変ご苦労様でした」
クラーリィに促され、ホルンは咳払いを一つして改めて勇者一行に向き直った。そうしてやっと本題に入る。
ホルンは一行のコラール山での魔族との戦いを労い、魔族の手にパンドラの箱が渡ったこと、しかし鍵である十字架は一行の手の中に戻ったこと、そしてそれによってひとまずは大魔王ケストラーの復活を回避できたこと、そういった事実を確認した。箱を手に入れたことで、魔族達は十字架を奪いに来るという予想、また地理的にも北に向かうことで冒険はより困難になることも伝え、サイザーとオカリナという強力な仲間の加入に頭を下げた。
それから、この先再びミュージィ大陸に戻り、センザ・スコアを経由して北西から北の都を目指すという進路を提示した。スフォルツェンドに近い北西部は魔族の支配が弱い、そのため比較的安全に進めるだろうというホルンの配慮だ。
伝言を終えた後、今まで映像を浮かべていたそれはごく普通に水晶玉へと戻る。フルートはそれを抱き、遠い地にいる母を思う。
そのスフォルツェンド城内でもまた、通信を終えた水晶を手にしたホルンが、力無く椅子に座っていた。先程までのはしゃいだ姿とは打って変わって、どこか弱々しい。
「…大丈夫ですか、ホルン様」
クラーリィが気遣わしげに声をかけ、ホルンへとブランケットを渡す。ホルンは素直にそれを膝に乗せると、小さく微笑んだ。顔色が悪い。
「あまりご無理をなさらないで下さい、ホルン様」
クラーリィは心配そうに眉尻を下げる。元々、回復魔法の使用で寿命がすり減っていたこと、そして先のドラムとの戦いの中で膨大な法力を使用したことも影響してか、ホルンは体調を崩す日が増えた。だからそばに控えるクラーリィもエルもその身を案じるのだったが、ホルンは何でもないといった風に首を振る。
「フフフ、だって子どもの前では…元気なとこ見せないと、ね」
久し振りに会う娘には、弱った姿を見られたくない。心配をかけたくない。ホルンの親心だ。
それも分かってしまうから、エルもクラーリィもどこか歯痒い。
「でも…できれば……できることならあの子には……、フルートだけでも…魔法など覚えず、この城に留まって…長生きして、欲しかった……」
天井を見上げたホルンが、途切れ途切れに独白する。
そう、フルートが魔法を使えるようになったことは、喜ばしい。一国の王女としても、勇者パーティの一員としても。それは、何よりの力になる。
けれど、回復魔法は術者の寿命を削る。だからフルートが回復魔法を使うたびに、その命は短くなってしまう。
フルートが魔法を覚えたのは嬉しい。その成長を喜びたい。でも、できればそんな魔法は使わないで欲しい。平和な場所で、長生きして欲しい。
子を想う母の、二律背反だった。どちらの気持ちもあるからこそ、母として苦しい…。
そして勇者ハーメルが大魔王の実の息子だったという真実もまた。
ホルンは彼を信じている。彼を信じ、ついていった娘を信じている。しかし、彼にそういった事実がある限り、この先あのパーティはそれによって苦しむこともあるかもしれないのだ。あの子もまた、もしかしたら…。
……リュートやエルが、やはり戦いの道の中で生きてしまったから。リュートが強大な法力を持っていたが故に、ベースの聖杯とされてしまったように。そのリュートを救うために、禁呪に手を染めたエルのように。魔法の力が、すべて幸せをもたらすとは限らない。
だからこそできれば、フルートだけでも、どうか平穏に、と。
叶わない、願ってはいけない。しかし願わずにはいられない。ホルンの、親心だった。
「ホルン様…お疲れでしょうから、お休みになった方が……」
親だからこその葛藤を見て取ったエルが、ホルンにそんな声をかける。しかしその刹那、ホルンの手にしていた水晶に突如、一筋の亀裂が走った。
「なっ!」
「馬鹿な…水晶に、ヒビが…」
驚きに思わずホルンは水晶から手を放してしまう。水晶は床に転がり落ち、あっけなく砕けてしまった。破片が無残に散らばり、エルとクラーリィもそれを呆然と眺める他なかった。
「ふ、不吉な…」
ホルンがおののきながら呟く。勝手に水晶にヒビが入るとは、何かの前触れのようだ。それも、恐らくは悪い方向の。
ホルンもエルもクラーリィも、言い知れぬ不安にかき立てられた。
そしてその不吉な予感は現実のものとなる。







「…今回の件に関しては、私達は手出しをせずに動向を見守れと、そう仰るのですね」
苦々しく言ったエルは奥歯を噛みしめた。
水晶が知らせた不吉……それは冥法王ベースの副官オル・ゴールの来襲だった。
エルからしてみればあの道化師もまた、十五年前の戦いにおいてリュートの肉体から魂を奪い取った憎々しい仇だ。
オル・ゴールはハーメル一行に搦め手から仕掛けてきた。勇者が実は魔族だと触れ込んで魔族を恐れる人々の不安を煽り、その人間達の手によってハーメルを痛めつけ、追い立てて……。ハーメルを魔族だ、と蔑んだ人間達の言葉は、ハーメルだけでなく、フルートの心までも傷つけた。人間達はオル・ゴールに巧みに煽動されていたに過ぎなかったが、それでもその道化芝居はハーメルとフルートを苦しめるのに十分だった。
ハーメルはフルートを突き放し、自信を失くしたフルートは、パーティを離れた……。
オル・ゴールの薄汚い遣り口に、この上なく不愉快な気分になった。エルは怒りに突き動かされるままに一行に加勢に行こうとしたが、ホルンに止められた。水晶で状況を見守るのみで、何の動きも見せないホルンをクラーリィも訝しむ。
しかしホルンは厳しい表情で静かに告げるのだった。
「…勇者ハーメルが大魔王ケストラーの血と肉を受け継ぐ以上、いつかはぶつかる壁です」
ホルンは手の中の水晶に静かに視線を落とす。砕けた水晶は、それでもしっかりと、落ち込んでとぼとぼと歩くフルートの姿を映している。
「私達が手を貸せば、何とか事態は修復できるかもしれません。ですがそれでは、勇者ハーメルとフルートの心は離れたまま…。これは彼ら自身が、自分達で越えねばいけない壁なのです。そうすることで、彼らはより一層強固な、仲間としての絆を得ることができるでしょう…」
その声はあまりにも穏やかなものだった。慈愛の響きを含んですらいた。
エルは、ホルンの言うことは理解できた。確かにこれは、ハーメル達が自分自身で乗り越えねばならないことなのかもしれない。けれど不安は強く木霊する。大魔王の血と肉、改めて突き付けられたそんな途方も無いものに、彼らは打ち勝つことができるのだろうか? 無論、彼らを信じたい気持ちはある。しかしそれでも、本当に静観するだけでいいのか。もしも取り返しのつかない事態になってしまったら―――。
苦悩するエルに、ややあってホルンは振り向いた。
「……!」
そこに浮かんでいた表情に、エルはハッと目を見張る。
…そうだ、愛娘があんな風に傷つけられて、平気でいられる筈がない。駆け寄りたくない筈がない。
それでも、ホルンは女王として、また母親として、静かに見守るという選択をした。
「…エル。あなたが彼らを、フルートを心配する気持ちはよく分かります。ですが、ここはぐっと堪えて下さい。…彼らを、信じましょう」
「…ホルン様」
―――ああ、一番あの子に手を差し伸べたいのは、この方なのだ―――。
「……分かりました。仰せの、ままに」
「ありがとう、エル」
「いいえ…」
力無く返事をしつつ、エルもまたホルンが手にしている水晶を見る。
端から見ているだけでも胸が痛むのに、渦中にいるフルートはどれ程のことだろうか。
従姉妹の心中を慮りながら、エルは遥か彼方の北の都までぼんやりと意識を向ける。
オル・ゴールはベースの副官だ。ああいったやり方はベースの指示なのか、それともオル・ゴールの趣味なのか、オーボウの言を頼りにするなら後者の方だと思うが、いずれにしてもあの冥法王はハーメルとフルートの生木を裂くような別離を見物している筈。
傀儡のリュートも昏い瞳でそれを見て、もし、もしも意思のない筈の彼がそれで何か心動かすようなことがあるのなら―――元々優しい人だ、きっと普通に意識があるのなら盛大に心配しただろうし、すぐに助けに向かおうとするか、或いはホルン様のように敢えて手は出さない道を選ぶかもしれないけれど―――、
どうしようもなく傷つき、打ちひしがれる己の妹に。
あの人は一体、何を思うのだろう?







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オル・ゴール編はハーメル達が自分達で乗り越えなければいけない壁なので、スフォルツェンド陣営は手出しをしません。
原作でもそうでしたが、ホルン様ならきっとこう考えるだろーなと思って、この小説内ではエルがいますが、やはり手出しはさせません。


原作オル・ゴール編にて初めて兄ベース時に表情・モノローグが出たリュート。あのシーンは印象的でしたが、あのシーンがあったから、リュートに転んでしまったんだよな私…。
こんな感じでオル・ゴール編もさっくりと行きます。

2013,3,15







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