―第二十四章:前を向いて歩こう―
生きて償え、とかつて妖鳳王だった黒カラスは言った。
兵士や軍隊ばかりではなく、女や子ども、老人や赤ん坊さえ容赦なく殺めてきた魔女は、こんな己が許される筈など無いと泣いた。
魔女と同じく孤児の境遇で、長く母を誤解していた少女は語った。自分は運良く親切な人に拾われて育ち、旅で一緒になった仲間がいたから良かったが、もし魔女と同じ状況になっていたら、どうなっていたか分からないと。
「だから、自分を責めるのはやめて…え〜と、その、なんて言っていいか分からないけど……とにかく、
頑張ろう、よ!」
少女―――フルートのその前向きな、希望に溢れた言葉に、魔女は―――、
サイザーは、何かの呪縛から解放されたかのような、表情をしたのだった。
「…しっかし、相変わらずね〜」
頬に手を当て、苦笑しているエルが見つめる先には、馬鹿でかい火の鳥を従えるライエルと、それに追いかけ回されるハーメルの姿があった。
魔界軍王であるギータを前にボケ倒し、昨夜サイザーが目を覚ました際には逆効果に終わったタレ幕作戦をかまし、今はこうしてライエルを散々いじめ倒したハーメルがその逆襲にあい…と実にぶっ飛んだやり取りの数々。ハーメル一行らしい大ボケの数々に、エルは止められもせず突っ込めもせず(突っ込みはほぼ一人でフルートが担っていた)呆れるしかなかったのだが、サイザーも同じように呆れつつも、何だかんだでその彼らのパワフルさにいつしか引きずり込まれている。
逆にいつまでも深刻でいるよりは、こうやって一行が馬鹿騒ぎをしている方が、サイザーは早く馴染めるのかもしれないな、なんて、そんな風にまで思ってしまう光景だ。
エルの予想通りフルートはサイザーに親身になって接しているし、ハーメルも大分ズレてはいるが妹を励まそうとしているし、ライエルに至ってはサイザーにかなり好意を抱いているようだし、オカリナは主君の無事をすごく喜んでいるし、とそんな姿を見るにつけ、(おもに大ボケに対して)一抹の不安は残るが、サイザーはこのパーティで何とかうまくやっていけるんじゃないかと、そういった気もする。
まだサイザーは、自分の罪を重く深く受け止めているようだけれど…だったらきっと、この先は一行の大きな力となってくれるんじゃないだろうか。ただ。
そんな思考とは別に、エルはとても個人的に、サイザーを糾弾したいことがあった。だからエルは新たな騒動の末に激励の言葉を残して一足早く帰ったクラーリィ+コルネットを見送った後に、一向に向き直った。
先日の雨とは打って変わって、今日はいい天気だ。
「さて、と、私もそろそろ帰るわね。勝手に飛び出してきちゃったから、パーカスあたりに叱られるかもね。
でも、その前に…」
ワープ魔法で飛んでいったクラーリィ達はもう、空で小さな光点になってしまっている。それを一瞥してから、エルはサイザーの前へと歩いていった。
エルの柔らかだった表情が、しんと鋭いものへと変わる。それを察したサイザーの方もまた、唇を引き結んだままエルを見つめ返している。
フルートの回復魔法と、加えて天使である彼女が元々持つ自己治癒能力の高さもあるのだろう、サイザーの全身の怪我はほぼ完治していた。それどころか、フルートの回復魔法は、失われた筈のサイザーの翼や長い髪まで、元通りにしてしまった。フルートの魔法の治癒力に改めて驚かされる。
そしてサイザーは、今はフルートの作ったワンピースを纏い、甲冑こそ着込んでいないものの、魔界軍王の時と同じ姿形でエルと対面しているのだ。
「…サイザー。あなたが先日殺めたスラー聖鬼軍は、私の友人だった…」
「…!」
静かに発せられたエルの言葉に、サイザーだけでなく一同も小さく瞠目する。
「幾ら箱を手にして魔族を封印し、母親を助けるという目的があったとしても、そのことは事実よ」
「……」
サイザーは少し気まずげに目を伏せた。
エルは見咎めるようにそんなサイザーを見る。そうして思い出す。無念のうちに傷つき倒れていったスラー聖鬼軍の五人の姿を。十五年以上も前から知り合っていた、古い友人達…共に使命を果たすため、世界を守るために戦おうと、誓い合っていた同胞達。
長兄として弟達を纏め上げていた生真面目なコキュウ。皮肉屋ではあったが誠実だったガイタ。豪快でありながらも泰然と構えていたゴーン。数少ない女友達の一人で、明るく真っ直ぐだったリラ。やんちゃながらも使命感に燃えていたショウ。……もう、皆いない。この女に殺された。
パンドラの箱を守るために命を賭して戦って、それでも敵わなかった彼らは、どれだけ心残りだったことだろうか。
やはり怒りはあった。サイザーに対して。しかしそれはベースに向けるような激しいものではなく、深く、静かに染み渡るような、怒り。
どんな事情があったにせよ、やはりそれをサイザーに、エルは向けずにはいられなかったのだ。
「それは、その、……すまないとは、思っている」
真っ直ぐに見据えてくるエルを見ていられなくなったのか、サイザーが俯いた。痛い程に分かっている己の罪を、改めて突き付けられたのだ。どんな大義名分があっても、人殺しは人殺し。それがずしりとのしかかる。
エルの穏やかな追及に他の一行は何も言わずに、その緊張の張りつめる応酬を見つめるのみだ。フルートが心配しているような顔をしているのも、分かる。
エルは小さく溜め息を吐いた。自分と同様、スラー聖鬼軍も皆、己の役割に殉ずる思いを抱えて戦ってきた。それで命を落とすようなことがあったとしても、彼らもきっと本望なのだろう。ただ、無念なのはパンドラの箱を守り切れなかったまま命を散らしたことで―――。
そしてコキュウに約束した、パンドラの箱を守ってみせるということを、エルも叶えることはできなかった。サイザーはすべての魔族を封印するのは失敗した。箱は結局魔族の手に落ち、だが鍵を取り戻したのもサイザーだ。
「…お互い様、か」
それを思えば、サイザー一人を責められなかった。約束を破った己も同罪だ。
それに、あの受難曲。サイザーにその覚悟があるのなら。
「…何だ?」
「…いいえ」
エルの小さな呟きが聞こえたのか、サイザーがようやく顔を上げた。エルは何でもないといった風に首を横に振りながら、己の感情を整理しつつ、答える。
「…あなたが、」
これが友人を奪われた自分の、彼女に対しての妥協点だ。
「あなたが、少しでも彼らに申し訳ないっていう気持ちがあるのなら、この先は、あなたの力を世界の平和のために使って。彼らや、シターン王は、そのために尽力していた……ううん、彼らだけじゃない、あなたが殺めてきたたくさんの人達も、平和を願っていたはずだから。だから、これからは、勇者パーティの一員として、その力を使って欲しい。
…たとえどんな理由があったとしても、あなたのその手が、大勢の人を殺めたことには変わらないわ。その罪を背負って生きていくのは、辛いかもしれない…それでも、サイザー、あなたのその力を、今度は人を生かすことへと向けて。魔族達から国を守ろうと必死に戦って、命を落としていった人の分まで…」
言いながら、今度はエルの方が俯いてしまった。サイザーに言っている筈なのに、自分自身が切り裂かれるような思いがした。
だって、彼女に対して言っていることは、そのままそっくりリュートにも当てはまってしまうのだ。“たとえどんな理由があったとしても、その手が大勢の人を殺めたことには変わりはない”。リュートもまた、ベースに操られ、利用され多くの人々を消している…。しかし、やはり諸悪の根源がベースだとしても、人々を殺傷しているのはリュート自身の魔法なのだ。リュートのその手なのだ。
もしもいつか、リュートを助け出せたとして、その時、リュートが同じように罪の意識に苛まれ、苦しんだら、自分は彼に一体どんな言葉をかけたらいいのだろう…?
エルのそんな心境は、サイザーは知る由もない。しかし、友を奪った敵に対して罵るでもなく蔑むでもなく、波のない水面のような怒りを湛えながらもそっと今後の生き方を諭すエルに、サイザーは頷くしかなかった。まだ今後、うまくいくかどうかは分からない。それでも箱を命懸けで守ろうとしたスラーの者達のことも胸の内に留めて…これからを、前向きに歩んでいこうと。
「…よろしく、ね」
サイザーが神妙な顔で頷いたのを見て、エルもようやく明るく微笑んだ。彼女はずっと苦しんできた。今までも、そしてこれからも、苦しむことがあるかもしれない。己の所業に大粒の涙を零したあの時のように。
でも、今は五つの希望達の側にいる。彼らの希望の光が、サイザーのこともきっと支えてくれる。
自分はもう、言いたいことは言った。彼女の罪は罪。それでもサイザーが今後はその力を堂々と違う方向へと役立てるのならそれでいい…すぐには納得いかなくても、それが一番いいような気がした。
張り詰めていた緊張感がふっと緩み、ハーメル一行達も皆、強張っていた顔が元に戻る。
(…まぁ、でも何と言っても、一番悪いのはやっぱりベースの奴なんだけどね!)
そもそも、サイザーをパンドラから引き離したのも、嘘を吹きこんで人間を憎むよう仕向けたのも、ぜ〜んぶそいつのせいだ。
それを思い返すとむかむかしてくる。エルの怒りは、今度はベースへと向いた。
「…帰る前に、もう一つサイザーに聞きたいことがあるの」
「何だ?」
改まったエルには先程までとはまた違う深刻な空気がある。
「…ベースは、元気?」
同じことをドラムにも聞いた気がする。
でもやっぱり、ベースの、リュートの現在の状況を少しでも知りたいとエルが思ってしまうのは、仕方がなかった。ベースへの怒りは抜きにしても、やっぱり、どうしても今現在のリュートのことを知りたかった。もう、十五年も直に会っていないのだ、あの人と。
脈略のないエルの問いに目を丸くさせながらも、それでもサイザーは律儀に応えた。
「元気というかなんというか…。まぁあいつは今の魔界軍の実質上のトップだからな。すべての指揮を下すのはベースだし、知謀、策略、魔力、実力…その高さに誰も逆らったりなどできない。私自身、今でこそ対等に話はできるが…ベースの力を思えば、なるべきならその怒りを買いたくないものだ。…母さんの水晶が私を貫いたのも、ベースの魔法に違いない…裏切った私は用済みということだろう。あいつらしい…」
「…そう」
エルは頷いた。ベースは依然として、やはり魔族のトップに納まっている。リュートの体を用いたままで。
知ってはいても、魔族とかかわりの深かった当事者から聞くと、やはり重みが違う。
ドラムに氷縛結界を放った時のように、もしもその体にまだリュートの意思が残っていたのなら、母から引き離されたサイザーを、フルートとも大きく年齢も変わらないこの少女を、リュートはどう思ったのだろう。
母を恋しがる幼子の姿が、あの虚ろな瞳にも映っていたかもしれないのだ…。
「だが何故そんなことを?」
サイザーの疑問はもっともだった。ハーメルやフルートらも、エルの質問の意図が掴めないらしく、不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「ちょっと、ね。あいつとは深〜い因縁があるから」
それはもう、とてもとても深い。十五年前から、そしてそれよりずっと以前から。
けれど今はまだ、その因縁を話す時ではない。
だからエルは意味深に笑っただけで、それ以上は語らなかった。代わりに、もう一人の憎々しい敵の話を振る。
「ギータに対しても積もりに積もった恨みがあったから、ハーメル君があいつをぼこぼこにした時はちょっと怖かったけど、スッとしちゃったわ、あはは」
飾り気のない本心だった。からっと笑ったエルはそう言うと、今度はハーメルに相対した。今回の一件、このハーメルとサイザーが兄妹であるという事実も驚いたが、それ以上に度肝を抜かれたのは。
「…まさか、ハーメル君が大魔王ケストラーの実の息子だなんてね。驚いたわ」
穏やかな笑みと共に紡がれたエルの言葉に、ハーメルは表情を変えないままで小さく身じろぎした。
大魔王ケストラー。魔族達の頂点に立つ王。そして彼は魔族達すべての命の源とも言える存在であり、だからこそ魔族達はケストラーの封印を解くために躍起になっている…。
そんな計り知れない者の実子なのだ、この勇者は。勇者と名乗りながらも、その身には魔の眷属としての力を宿している。そしてそれは時にハーメルを己では制御できぬ程にも追い詰める。
その力が誤った方へと向けば、とてつもなく強大で、恐ろしい、そんな不安定な存在ともなろう。
けれど、でも、とエルは思う。
「でも、あなたの力添えもあったから、この間ドラムを倒すことができたのよ。それは本当に感謝してる。だから…」
まだ勇者ハーメルとは出会って間もないけれど、エルの知っているハーメルはいつも盛大にボケをかましていて、でも演奏はこの上もなく美しくて、そして時には限りなく真剣な表情を浮かべていて、やはり、救国の英雄だった。
大魔王の血をひいていても、現代における新しき勇者で、五つの大きな希望の一人。
リュートの予言が正しいなら、彼はきっと、いつかフルートや仲間達と共に世界を救うのだ。だから。
「この先の旅もうまくいくように、祈っているわ」
本音だった。私情が入っていないと言えば嘘になるが、エルは、この現世代の勇者達に期待している。
エルがあっさりと己の素性を受け入れてくれたことにハーメルは面食らいながらも、「あ、ああ」と返事をする。
それを見てまたエルはにっこりして、今度こそ、とお暇を告げる。
「それじゃあ、私もそろそろ帰るから」
「うん、色々とありがとう、エル。お母さんにもよろしく」
フルートが笑顔で小さく手を振る。エルも笑った。
ああ、本当に、あの小さかった赤ちゃんが、何と大きくなったのだろう!
「これからも何かと大変なことがあるかもしれないけど、頑張ってね」
サイザーのことは、後は彼らに任せよう。
彼らならきっと大丈夫。
そう思って、エルは転移魔法を展開させた。法力の光がエルの姿を包み込み、そして彼女はその場からふっと姿を消す。
「…彼女は」
エルがかき消えた辺りから視線を動かさないままで、サイザーが静かに口を開く。
フルートが答えた。
「エルのこと? スフォルツェンドの王女の一人で、本名はエレクトーン。私の従姉妹なの」
「…スフォルツェンドの戦乙女、か」
出自に悟るものがあったのだろう、サイザーはぽつりと呟いた。
「思い起こせば、先のドラム戦でも戦っていたな。私も存在は知ってはいたが、直に会ったのは初めてだ。スフォルツェンドを始め、各地で魔族を撃退していると聞く…。しかし、ベースやギータとまで、何やら関わりがあるとはな」
確かに魔法兵団の一人で、大国の王女とはいえ、魔界軍王達と深い関わりがあるというのは何とも奇妙な話だ。
そしてサイザーの素朴な感想に、ライエルもまた先日の大戦中の出来事を思い出す。
「そういえばエルさん、ドラムのことも知ってる風でしたね。何か二人で話し込んだりもしていたし…」
「…不思議な女性じゃの」
オーボウの総括が皆の思いを代弁していた。時折、意味有り気な表情を浮かべながらも、多くは語ろうとしないエル。その謎めいた部分を、また垣間見たような気がした。
何はともあれ。
オーボウは一つ咳払いをして、話を続ける。
「とにかく、この先、その魔界軍王達と直にぶつかる機会もあるじゃろう。しかしわしらはこうして、サイザーとオカリナという心強い新たな仲間を得た…」
一同の視線がその二人に集まる。そしてオカリナはサイザーを見た。
居心地悪そうに背を向け合って立っていたハーメルとサイザーは、顔を見合わせてどこか似た笑みを突き合わせた。
小さな歩み寄りに、フルートにライエル、オカリナ、そしてオーボウの頬も緩む。
「さてと、そろそろ行くかの。北へ―――」
こうして新たな仲間を加えた勇者一行は、また最果ての地に向けての旅路を進み出す。
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一気に11巻中の話が進みました。
まー、スラー編において何を書きたかったかというと、友人のスラー聖鬼軍を奪われたエルがサイザーとどう折り合いを付けるのか。この点ですね。だから原作通りの部分は割とあっさりと流しました。そんな訳でギャグシーンはほとんどないままで終わる。
次はオルゴール編ですね。とは言え、エルの介入する余地は無いので、この辺も原作のアウトサイドをサクッと進んでいくかと思われます。
タイトルは劇場版の主題歌から。
2012,11,7
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