―第二十二章:太陽と月に背いて―
「ホルン様に御子が? それは何ともめでたいではないですか!」
「おめでとうございます、リュート王子!」
「ありがとう。待ちに待った妹か弟だよ! ボクとしては妹がいいんだけどね」
「へへっ。リュート王子ってばはしゃぎまくってるね」
「そうなのよ。もう嬉し過ぎて地に足が着いてないって感じ。リュートもお兄さんになるんだから、コキュウ王子の落ち着きを見習って欲しいところなんだけど」
「はは・・・エル王女は手厳しいですな。いいではありませんか。リュート王子にとって待望の兄弟なのですから」
「ええ、まぁ・・・そうなんだけどね。私もとても楽しみだし」
「エル、リュート王子ならきっと立派な兄君になると思うわよ。コキュウ兄さんと同じくらい。ううん、それ以上かも」
「・・・そうだといいんだけど・・・ほら、あれ見てごらんなさいよ、リラ」
「絶対妹だよ〜! 妹だったら、街で可愛い服をいっぱい買ってあげるんだ! 目いっぱいおしゃれさせて、一緒に色んなところに行くんだ! ・・・はっ! でも可愛過ぎて、変な男に目をつけられたりしたらどうしよう・・・・!」
「リュート王子、まだ生まれてもいないのに・・・ていうか性別も分からないうちから心配し過ぎですぜ」
「うむ。わしも同感だな・・・」
「・・・ほら、ね?」
「う〜ん・・・・」
ホルンの第二子懐妊が分かった頃、リュートは喜び勇んでスラー聖鬼軍に報告していたものだった。コキュウ、ガイタ、ゴーン、リラ、ショウ。傍目にもとても仲良く見えたあの五兄弟は、もうこの世にはいない。その父のシターンも。
懐かしい思い出を振り返っていると、喉の奥が苦しかった。彼らへの餞に、思うまま涙を流したかった。だが、悲しみに浸っている暇は無い。
その後、エルはスフォルツェンドから派遣された後続の軍と共に生存者の探索と救助に当たった。やはりそのほとんどが市街地から遠く離れたところに避難していたが、不思議なことに民間人の被害は少なかった。
妖鳳軍接近の報せを受けてすぐにスラー軍が市民を避難させていたこともあるが、スラーを攻め滅ぼした当のサイザーが、逃げ惑う民間人に敢えて攻撃を仕掛けてきたりはしなかったそうだ。その代わり軍隊のほとんどは壊滅状態だったそうだが、とにかく、生き残ったスラー市民がそう証言してくれた。
その事実に何か引っかかるものを覚えたエルだったが、そのサイザーの真意を測る術は無い。あるとしたら、直接本人を問い詰めるしか。どっちにしろ、彼女を追いかけねばならなかった。サイザーがパンドラの箱の奪取を目論んでいる以上。
市民への救援活動が一段落着くころには、もう陽が高く昇っていた。エルはスフォルツェンド軍に後を任せると、パンドラの箱が封印されているというコラール山に向かった。
コラール山は封印の地にふさわしく、常緑に覆われた険しく広大な山脈。サイザーがいくら十字架を、持ち主を箱の在りかへと導く鍵を持っていても、見つけ出すまでにはある程度の時間は必要だと思われた。本当はそろそろスラーに着いたであろう勇者ハーメル一行を待ちたいところだったが、何せ一刻の猶予も無い。そう考え、一足先にコラール山へと足を踏み入れたエルだったのだが・・・。
「しまった・・・また行き止まりだわ」
見事に道に迷っていた。
ぎゅえーぎゅえーと間の抜けたような鳥の声が辺りに木霊している。脱力して立ち尽くすエルの額から、たらりと汗が流れおちた。
エルの見上げた先には、ほぼ垂直に切り立った岩肌。おそらくこの上は高い崖になっていることだろう。
ちょっと先走り過ぎたかもしれない・・・とエルはぽりぽりと頭をかいた。
(やっぱり何の準備もなく山に登ったのは無謀だったかな〜・・・)
そもそもスフォルツェンドからもほぼ身一つで飛び出してきたのだ。携帯しているのはせいぜい錫杖と通信用の水晶くらい。猪突猛進なきらいのある自分の性格をちょっと反省しつつ、エルは半笑いしながら道を遮る岩肌を見上げた。
見上げた途端、二つの影がこちらに向かって落ちてきた。
「わぁ―――っ!」
「ひぃぃ―――っ!」
「え、ちょ、何!?」
どうやら二人の人間らしい。
エコーをきかせながら落ちてくるその声の主達に、エルは思い切り心当たりがあった。それを意識レベルで認識する前に、このままだとお互いに危険なので、エルは咄嗟に風を生み出す魔法を両の掌から放っていた。
落ちてきた二人は緩やかな上昇気流に支えられ、ふわっと一瞬浮き上り、
「ぐげっ」
「痛いでーすわっ」
どさっと落ちた。
折り重なるように倒れている二人に、エルははーと安堵と呆れの入り混じった溜め息を吐く。
「大丈夫? 二人とも。何でまたいきなり崖から落ちてきたのかしら? クラーリィ、それにコルネット?」
「エ、エル様っ!?」
エルの存在に気が付くと、クラーリィとコルネットはばっと起き上がって身を正した。
「どうしてこちらに?」
「スラーを滅ぼした妖鳳王サイザーの目的はパンドラの箱でしょうからね・・・だからコラール山に来たんだけど、迷っちゃって」
ばつの悪そうに告げたエルに、何故かコルネットはぱぁっと顔を輝かせる。
「まぁっ、奇遇ですわ! 実は私達も彼女を追っているのですけれど、道に迷ってましたの。それで道案内の魔法を使ったのでーすわ」
「崖から落ちて失敗かと思ったら、こうしてエル様と巡り合えるとは・・・やはりコルリンの第六巻は冴えわたってるな!」
「まぁ、お兄様ったら、照れますわv」
「・・・はいはい。兄妹漫才はその辺にしてね」
自分達の世界に入っていきそうな二人を、エルはちょいちょいとつついて止めた。そうしてごほんと咳払いを一つ。
「まぁ、概ね事情は分かったけど、二人がここにいるってことは、」
「ええ、ハーメル達はこの上にいます」
真剣な表情に戻ったクラーリィが、エルの言葉を引き継ぐようにして言った。
「俺は彼らに加勢するためにこちらに来たのですが、ホルン様の話からすると状況はかなり逼迫しています」
「そうね・・・」
エルはついと上を見上げる。道に迷ったのはとんだ誤算だったが、勇者一行と合流できそうなことは僥倖だった。
三人はすぐに浮遊魔法で崖の上へと浮かび上がった。木々の切れ目からぎょっとしたような表情をしているハーメル達が見え、エルはその前にふわりと降り立った。崖から落ちたのはクラーリィとコルネットだけだったのに何故かエルも追加されて戻ってきたのだ。驚くのも当然だろう。
「クラーリィさんもコルネットも無事なのは良かったけど・・・何で、エルまでここに?」
「お久し振りね、フルート」
仰天顔のフルートに、エルはにっこりと笑う。けれどすぐに表情を引き締めた。
「色々と話したいこともあるけど、今はそんな暇は無いわ。あなた達と私の行き先は同じ。パンドラの箱の所よ」
一同を見回し、エルはハーメルのところで視線を止めた。いつになく鋭い目をした彼がいる。
「早くしないと、あいつが・・・・。あんた王女だから、箱の場所は知ってんだろ!?」
焦れるような声を吐き出したハーメルに、エルは一瞬気圧されるように後ずさった。エルが見たことのないハーメルの表情だ。酷くイラついているようにも見える。
エルは申し訳なく思いながらも、静かに首を振った。
「残念だけど、私も詳しくは・・・」
知らないの、と告げようとしたエルの声を、ガサガサっという梢の音が遮った。続いて、どさっ、と何か重たいものが地面に落ちたような音。
一行がそちらを振り向くと、背中からは根の生えた少女が地に倒れ伏していた。少女は血まみれで苦しそうに喘いでいる。今のは、彼女が落ちてきた音か。
どうも今日は落ちものと縁があるな・・・と思いつつ、エルはその少女に刮目した。元は愛らしいであろう顔は、痛みの為か歪んでいる。薄い水色をした短い髪は乱れ、同じような色をした羽が辺りに飛び散っている。肌の露出の多い鎧を身につけ、背中には一対の翼。どう見ても普通の人間ではない。
それに何より、この少女から発せられる魔の気。クラーリィも気付いているのだろう。顔が険しい。この少女は、もしや・・・。
「お、お願いです・・・・サイザー様を、助けて下さい・・・」
少女は途切れ途切れにそう言った。
サイザー様。
その言葉で憶測が確証に変わる。
エルは目を細めるようにしたその少女を見下ろした。
(やっぱり、この子、)
「ムッチムチセクシーなお姉ちゃんが、空から落ちてきた―――!!」
エルの真剣な思考を、ハーメルの煩悩丸出しの声がぶち壊した。
さっきまでのシリアスな雰囲気はどうした、とずっこけるエルの前で、ハーメルは少女のきわどい格好を指摘し、フルートは真っ赤になってそれに突っ込み、クラーリィも同じように赤くなったりしていた。ハーメルはそんなクラーリィをからかい、果ては魔曲使いVS大神官、もといマザコンVSホモ(疑惑)のアホな諍いに発展したりしていた。
コルネットは何故か少女に因縁をつけ、その少女をいじめ倒していた。怒涛のボケ倒しのやり取りに、エルは突っ込むタイミングを失い、顔を引き攣らせるしかなかった。が、ここでようやく我に返る。
「み、みんな落ち着きなさい! あのねぇ、この子は・・・!」
「すまん・・・こいつ、わしの娘なんじゃけど・・・・」
同じく突っ込むに突っ込めなかったオーボウが、その言葉に被るようにして前に進み出る。酷い仕打ちに涙ぐんでいる少女を慌てて介抱し出すオーボウの姿に、やっぱり、とエルは得心する。
「そうか、やはりな。同じ魔気を放っていたから、そうじゃないかと思ったぜ。この二人は、元魔界軍王NO.2、
妖鳳軍・妖鳳王オーボウ将軍と、その娘オカリナだ」
クラーリィがついとメガネを押し上げ、その事実をハーメル一行に告げる。エルが捕捉した。
「この子は妖鳳王サイザーの副官。妖鳳軍ではサイザーに次ぐ実力の持ち主よ」
情報としては知っていた。サイザーが妖鳳王として就任する前の、つまりは先代の妖鳳王は、空の提督とも呼ばれていた、無双の強さを誇ったオーボウという魔族。その伝承の中に語り継がれる名と、スフォルツェンドの古い記録の中に残っていた魔力の体系とその質。それらを組み合わせてみれば、ハーメルの連れた黒カラスの正体はそのオーボウ将軍だと、見当が付いていた。何故今はカラスの姿に身をやつしているかは分からないにしても。
そして現在の妖鳳王サイザーにつき従っている白い鳥のその正体も、名と魔気の質とで判明していた。今まで直接会ったことは無かったが。
事情を知らなかったであろうフルートやコルネットは、驚いたような困惑した表情を浮かべている。
「それより・・・どういうこと? サイザーを助けてって、彼女の身に何があったの?」
エルは率直にオカリナに問うた。オカリナの傷だらけの姿と、サイザーを助けて欲しいという懇願からするに、尋常ではない事態が起こっているようだ。スラーを落とした後、箱の元に向かったはずの彼女に、一体何があったのか。魔族にしてみればうまい具合に事が運んだはずなのに、何故。
エルの言葉を、オカリナは黙って受け止めている。
オーボウの手当てを受けたオカリナは、一同を見遣り、意を決した風にハーメルに対しこう告げた。
「大変なんです・・・勇者ハーメル。あなたの妹のサイザー様が・・・死にそうなんです」
ハーメルはやや目を見開いたが、そう取り乱していない風に、静かに「そうか」とだけ言った。
「・・・妹?」
明かされた衝撃の事実に、エルやフルートらは絶句する。勇者と魔界軍王が―――ハーメルとサイザーが、兄妹。
けれど不思議と、エルはその一方でどこか納得もしていた。先程、ハーメルが見せた焦り・・・それは魔族に箱を奪われてしまうかもしれない、という憂慮より、妹がそのことに関わっている、ということが気にかかっていたからだ、と。そして、オーボウとオカリナ親子が、人間側と魔族側、それぞれに分かれてつき従っていたことにも。
「サイザー様は趙獣王ギータの罠にはまってしまい、瀕死の重傷を負ってしまわれました」
自分の無力さを噛み締めるように、オカリナは言う。
「私はサイザー様が赤子の頃から仕える従者です。・・・あの方は、可哀そうな人なんです。サイザー様は赤子の時に魔族に連れてこられ、パンドラの箱を開けられる血を持つ者として、魔族の中で育てられてきました・・・」
オカリナはぽつりぽつりとサイザーの素性を話し始めた。
サイザーは箱を開けた女・パンドラの娘として、ハーメルと共に双生児で生まれたこと。サイザーが赤子の頃、魔族がパンドラの元からさらっていったこと。それなのに、お前は母親から捨てられた存在だと冥法王ベースに吹きこまれ、母を憎むように兄を恨むように、人を殺すように仕向けられたこと。母親から愛されていないという苛立ちや憎悪、孤独を抱えながら生きてきたこと―――・・・。
それは、あまりにも凄惨な境遇だった。誰もが一言も発することなくオカリナの話に聞き入り、神妙な表情を浮かべている。フルートは涙ぐんでさえいた。
エルのぎゅっと握りしめた拳は、わなわなと震えていた。
(何てこと・・・・。それじゃあサイザーも、魔族の被害者じゃない・・・・)
サイザーとは直接の面識は無い。だが、悪評はよく知っている。つい昨夜もその悪事をこの目で見た。何百もの国を焼き、何万という人間を殺した冷酷無比な魔性の女。
だがその実は、魔族に運命を絡めとられた哀れな一人の少女だった。母の愛情を渇望する、一人の少女だった。
魔族に騙され人殺しを強要され、水晶を通してでしか母親を知らず、想われることも、愛されることも実感が無い生―――それは余りにも、残酷すぎる。
エルの中に湧き上がったのは、サイザーへの憐憫の情と、魔族への、とりわけベースへの怒りだった。幼子を母親から引き離し、嘘偽りを吹き込み人を憎むよう唆す。そういった賢しい遣り口に吐き気さえ覚える。あの冥法王はリュートだけでなく、サイザーの人生をも狂わせたのか。
多くの人々や友人を殺したサイザーへの怒りより、そうするように仕向けた魔族への怒りが今は上回っていた。
(でも、じゃああの受難曲は・・・)
恐らくサイザーが奏でていたのであろう受難曲。曲目は、そう、磔のキリスト。人々の罪を背負い、それを贖うために甘んじて死を受け入れた聖人の姿をモチーフとした曲。
サイザーはパンドラの箱のことを知った時、魔族を裏切り、封印しようとしたのだとオカリナは語った。あの曲は、魔族を欺くために多くの罪を犯しても、それでもいつかは箱を手にし魔族を滅ぼしてみせると、そういったサイザーの覚悟と決意の表れだったのだろうか。
「私の力が至らないばかりに、私がふがいないばかりに、サイザー様を傷つけてしまいました・・・」
オカリナはうつむいて大粒の涙を零した。そうして、震える声でもう一度懇願した。サイザー様を助けて―――と。
一介の魔族の行動だとは思えない。ここまでの感情の吐露。オカリナは本当に、サイザーのことを想っているのだろう。
エルは無言でオカリナの前に屈みこむと、その肩に手をかざし、回復魔法を施し始めた。オカリナが涙にぬれた顔を上げ、エルを不思議そうに見る。
「なっ、何を・・・」
「時間が無いから、申し訳ないけど今は完治させてあげられない。でも、自力で動けるくらいにはするから・・・」
それだけを静かに告げ、エルは回復魔法に集中する。
掌から伝わってきたのは、オカリナがサイザーに向ける強い想い。それは主従を越えた、まるで姉妹のような絆の深さが二人にはあるようにエルには感じられた。
(サイザーの過去を聞いて・・・だからって彼女の罪を簡単に許すことはできないけど。でも、彼女をこのまま死なせてはいけない・・・!)
思うのはそれだけだった。
箱を手に入れ、ひいては世界をあるいは母親を救うためだったとしても、人殺しの罪は罪だ。かの聖人のように罪を背負う覚悟があるのなら、尚更彼女はここで死んではならない。それこそ、スラー聖鬼軍の死が無駄になってしまう。
友を失った悲しみと、そうさせてしまった彼女への怒りと、その彼女を憐れに思う気持ちと。
入り乱れた思いを胸に、エルは唇を噛み締めてオカリナの治癒を続けるのだった。
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ちょっとギャグを入れてみた。エルはどっちかというと突っ込みキャラなので、なかなかギャグに絡めないので。
というか、原作のあれらのギャグにはもう絡む余地が無いというか(笑)
話をさくさくと進めたいところなのですが、まだサイザーには追いつかない・・・。
原作でクラーリィがオーボウとオカリナを知ってる理由が良く分からなかったので経緯をちょっと想像してみた。何で知っとるんだろう、ホント。
この話を書くにあたって改めて10巻を読み直したのですが、サイザーの過去は切な過ぎますね。
2009年7月19日
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