―第二十一章:スラー陥落―


エルはほぼ独断でスラーへと飛んだ。
スフォルツェンド上層部では援軍を出すべきだ、いやスラー国民の救援が先だと様々な意見が交わされていたが、その決定を待たずにエルは転移魔法の陣を描いていた。
スフォルツェンドとスラーは友好国同士の間柄。加えて、スラー聖鬼軍は古くからの友人である。居ても立ってもいられなかった。
驚いたようなホルンの声が不意に途切れ、エルの体は異空間へと移っていた。暖かい空気に包まれるような不思議な感覚を全身で捉えながら、エルは焦燥に駆られていた。
(スラー聖鬼軍・・・どうか、どうか無事で・・・・!)
国や民の被害は元より、彼らの安否が気にかかる。
魔界軍王の一人である妖鳳王サイザーの来襲とあっては、彼らも黙ってはいないだろう。箱の守護をすべく、生身の体をサイボーグ化した彼らの実力は折り紙つきだ。そして人類にとって希望であり絶望でもあるパンドラの箱を何としてでも守り抜く、という悲壮なまでの彼らの決意を思えば、命を捨ててでも勝ちに行く、ということは十分に考えられた。
(コキュウ王子、ガイタ王子、ゴーン王子、ショウ王子、リラ・・・!)
この異空間の体感時間は物の数秒でも、実際の外界の時間の流れとはいささかのタイムラグが生ずる。
それがもどかしく、とにかく一刻も早くスラーへ着いて欲しい、とエルが強く念じているうちに、ふっと空気が変わり、足が地に着く感触がした。
スラーに到着した、と肌で分かり、エルは祈るように閉じていた瞼を開き―――絶句した。
世界のどこよりも進んだ機械技術、その文明に裏打ちされた最強の軍事力、それを誇っていたスラーが、見渡す限り焼け落ちていた。
スラー国軍の主力、鉄のゴーレムや大型要塞軍も無残に破壊され、ただ熱い風が辺りを渦巻いていた。倒壊した建物から上がる火の手が、本来なら漆黒である筈の空を赤く染め上げている。
避難したのか、あるいは皆殺しにされたのか・・・生きている人の姿はどこにも無い。
「そんな・・・あの、スラーが・・・・」
先のスフォルツェンド大戦、その被害よりもなお凄まじい崩壊の姿がそこにあった。幾つもの戦場を駆け、荒廃した国の数々を目の当たりにしていたエルも、その惨状には呆然と立ち尽くした。
機械に溢れ、一方で整然とした美しさを保っていたかつてのスラーの栄光の姿を知っていたからこそ、尚更エルは打ちのめされた。まさか、あのスラーが、こんな・・・。
「―――っ! スラー聖鬼軍!」
ハッと思い当たり、麻痺していた頭がようやく動きを再開する。冷静に思えば、この状況下で彼らが生きているとは楽観的すぎる考えだった。そしてスラー国王もまた。
それでもエルは彼らを探して熱風吹きすさぶ中を駆け回った。幾多もの人間の死骸と機械の残骸の間を駆け抜けて探し続けて、ようやくスラー共和国一高い塔の麓で彼らを見つけた。もう遅かった。
「・・・スラー、聖鬼軍・・・」
掠れ声がエルの唇から漏れた。
次兄ガイタが血に塗れていた。三男のゴーンは機械の体がバラバラに吹き飛ばされていた。一番幼い末弟のショウも斬り裂かれていた。本来の歳が近く、エルと仲の良かった王女リラも息絶えていた。
そして、長兄のコキュウは―――
「・・・コキュウ王子!」
ほんのかすかに動いたような気がして、エルは慌ててコキュウに駆け寄り、うつ伏せに倒れている彼のそばに膝を付いた。彼もまた全身から血を流し、背中は槍で貫かれたかのように、穴がいくつも空いていた。
「コキュウ王子! しっかり!」
この怪我ではもう助からないだろう、と頭の隅で思っても、エルはコキュウを抱き起こさずにはいられなかった。無理だと分かっていても回復魔法を施さずにはいられなかった。肉体のほとんどを機械に置き換えた彼らの体には、生命活動を活性化させる回復魔法は効かないのに。それでも。
「くっ・・・!」
けれど、エルのその法力を込めた掌から彼の、いや彼らの無念さだけはひしひしと伝わってきた。箱を守るため命そのものを賭けて戦い、それでも敵わなかった悔しさも。
パンドラの箱を守れなかったという悔しさも。
コキュウの目に強く焼きついた光景だったのか、その鍵を盾としたサイザーと思われる少女の、強く毅然とした表情も。
「箱は・・・・パンドラの、箱は・・・・」
肉体にはほぼ効果が無い回復魔法が、それでもその意識は呼び戻したのか、コキュウがうっすらと目を開け、うわ言のように呟いた。エルがその名を叫ぶように呼ぶと、コキュウの視線はエルへと向いた。
「エル王女・・・か・・・。無念・・・我らスラー聖鬼軍・・・サイザーを止めることが・・・・・箱を守り抜くことが、できなかった・・・・」
悔しさを滲ませながら、途切れ途切れにコキュウはそう言った。言いながらも、ようやく開いた双眸からはまた急速に生の光が失われつつあった。或いは彼の苦しみを長引かせてしまうだけかもしれない―――エルはそう感じたが、やはり回復魔法は止められなかった。
彼は長年の知己だ。十五年前、リュートが魔族の手に落ちた時、コキュウ達も怒りを口にしていた。落胆するエルを励まし、その悔しさを分かち合ってくれた。それだけで、エルはどれだけ救われたことか。
箱と鍵、そしてひいては世界を守る。彼らはその同志であり、それを越えた友でもあった。
「あの女を・・・止めてくれ・・・」
回復魔法を続けていたエルの手を、コキュウは痛いほどに握り締めてきた。心残りを託すかのように。最期の灯なのか、瞳には再び強い意思が宿っていた。
「あの女? 妖鳳王サイザーのこと?」
「あの女・・・・サイザーを、赤い魔女を、頼む・・・・!」
エルはコキュウをぎゅっと見つめ、しっかりと頷いた。 滲む視界の中、コキュウのその手を包み込むように握り返した。
「箱は魔族の手には渡さないわ。もうすぐスフォルツェンドを守った勇者達もスラーに来る。彼らと力を合わせればきっと大丈夫。絶対に箱は守ってみせる。・・・だから・・・」
エルの懸命な語りかけにコキュウの表情がふっと緩んだ。どこか笑ったようにも見えた。安心したように。
そうして彼の手からもふいに力が抜け、それでエルは彼は死んだのだと、悟った。
「・・・・・・・」
エルは今にも零れ落ちそうだった涙を拭うと、抱え上げていたコキュウの体を地面の上に静かに横たえた。
彼らスラー聖鬼軍を弔いもせずにこのままにしておくのは忍びなかったが、事態は一刻を争う。彼らがサイザーにはこの正確な位置を教えたとは思えない。ならば、サイザーの狙いはおそらく国王だろう。
そう判断を付けて、エルはキッと城を睨みつけた。スラー聖鬼軍を殺めたサイザーへの怒りはあるが、今はむしろ友人を失った悲しみと、彼らの遺志を継ぎ箱を守らなければという使命感の方が強かった。
城はもうほとんど崩壊しかけている。急がねばならない。
そう思い、地を蹴って駆け出そうとしたエルの耳に、僅かに届くものがあった。
美しくも、悲しげな笛の音―――。確かこの曲は、罪を背負い十字架に張り付けにされた聖人の罪を憐れみ、嘆き悲しむ受難曲。
一体誰が吹いているのだろう。風に乗って、城の方角から聞こえてくるようだ。
「まさか・・・サイザーが?」
サイザーの持つ大鎌は、その実、天使の横笛でもある、と耳にしたことがあった。訝しげに思いながらも、エルはとにかく城へと急いだ。
その間も受難曲は流れ続けていたが、メインのメロディを吹き終えたところで不意にその音が止んだ。しばしの静寂の後、城から小さな影が飛び去るのが見えた。
それはもしかしたらサイザーかもしれなかったが、エルは国王の元に向かうことを優先した。崩れ落ちた城のそこかしこで倒れている兵士達の死体を心苦しくも横目で見送りながら、王座の間へと足を進めた。
「シターン国王、どこにいらっしゃるのですか!? シターン国王!」
その名を呼び続けながら必死に探したが、エルが王座に辿り着いた時には、国王はもう絶命していた。
間に合わなかった―――力無く立ち尽くすエルに、またあの受難曲が聞こえてきた。遠く、微かに。
それはやはり、悲しい調べだった。






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ほぼ一年ぶりの更新ですみません・・・。
コキュウさん、話の展開上無理矢理生き長らえさせてしまいました。申し訳ない・・・。


2009年7月19日





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