―第二十章:受難曲は天使の調べ―
「そう。フルート達、元気にやってるんだ」
ホルンからフルートへの贈り物を届けに行ってきたクラーリィから報告を聞き、エルは嬉しそうに微笑んだ。
今、勇者ハーメル一行は、スフォルツェンド北東の町を経由して、東の大陸の軍事国家、スラー共和国を目指している。
パンドラの箱の鍵が魔族に奪われてしまった以上、次の狙いは箱の方に違いない、というホルンの判断による進路変更だった。
箱が魔族の手に渡り、その封印が解かれれば恐らく世界は滅びる―――すべてはそれを阻止するため。
もっとも、スラーとて箱を厳重に管理していたから、容易にそれが魔族に奪われるとは考えにくいが、それでも万一ということもある。
そのスラーは世界最大の軍事力を誇り、箱は人目につかぬ山の奥にひっそりと隠していた。そしてその箱を守るためにスラー国王の息子達、すなわちスラーの王子・王女達がパンドラの箱の守護職を務めている。
スラー聖鬼軍と称される彼らは、リュートやエルとも親交があった。国同士が仲が良かったのもあるし、魔族との戦いに力を合わせて臨んだこともあったからだ。
元々の歳はエルと彼らとは大して変わらなかっただろう。けれど彼らは箱を守り抜くために、その体をスラー特有の機械技術を以ってサイボーグ化した。年月が流れても、肉体は老いることが無い―――そういった意味では、不老の法で肉体の老化を止めたエルと似ているともいえる。
そんな彼らの決意を思えば、悲壮さを感じずにはいられなかったが、それだけあのパンドラの箱は人間・魔族双方共に重要な物なのだ。
それを守れることに、スラー聖鬼軍はむしろ誇りを持ってさえいた。己をサイボーグ化することも、厭ったりはしていなかった。
コキュウ、ガイタ、ゴーン、リラ、ショウ―――スラーの兄妹は彼らが守るべきものを守るべく、強くありたいと常に願っていたのだ。そして、あの五人はいつも仲が良かった。
実の兄弟がいないエルはそれを羨ましいと思ったこともあったし、リュートに至ってははっきりと羨ましがっていた。
スラー聖鬼軍は彼らは彼らで、リュートの強さに憧れ、その素晴らしさを称賛していた。
リュートが十五年前の戦いで死して魔族の手に落ちた時も、彼らは本気で心の底から悔しがり、リュートの死に無念の涙を流してくれた―――だからこそ尚更、箱を守ろうとする思いが、より強固なものとなったのかもしれない。
しばらく会っていないけれど、みんな元気かなぁ、とエルは思いを馳せる。
そうしてそのスラーに、現代の勇者達が向かっている。
重要な目的を持つ旅路ではあったが、ハーメル一行は楽しそうに(あるいは大ボケをかましつつ)元気に進んでいるとのことだったので、相変わらずだなぁ、と思いつつもエルはほっとした。
「はい。フルート王女もハーメル達も相変わらずといった感じです。フルート王女はホルン様からのマフラーその他をとても喜んでましたし」
「そう、良かったわ。・・・・そういえば、コルネットが従者として同行してるんですって?」
ふとエルが別の話題を切り出すと、クラーリィは俄然張り切って生き生きとした様子で口を開いた。
現在、勇者一行に同行している魔闘家のコルネットは、クラーリィの実の妹なのだ。
「ええっ。妹はホルン様の従者として、ハーメル達の力になろうと頑張ってます。それに、フルート王女に魔法を教えるという大任を果たそうと張り切ってましたよ!」
「そ、そう・・・・」
「何たってコルリンは可愛いし器量もいいし法力も強い! フルート王女とは歳も近いし、まさに適任ですよ。エル様もそう思うでしょう、はっはっは!」
「そ、そうね・・・・」
あの冷静沈着なクラーリィも、妹のコルネットのこととなると形無しである。いつもこの調子なのでエルはもはや「兄バカね・・・」と突っ込む気力も無かった。
(リュートも負けず劣らずだったけど・・・・憧れてるからってそんなとこまで似なくていいのになぁ)
幼いころに母を失ったコルネットを不憫に思って、クラーリィが必要以上に可愛がる気持ちは分からなくもない。それにしても溺愛し過ぎである。
まぁ色んなことに真っ直ぐなことが、クラーリィのいいところではあるけれど。
「コルネットはフルートと仲良くやってるのかしら?」
「エル様、それは心配には及びませんよ! フルート王女はコルリンのことを妹のように可愛がってくれるそうで。ハーメルにもコルリンには手を出さないよう釘を刺しておいたし、一安心ってとこです!」
「へぇ・・・・なら安心だわ」
エルが呟いた言葉には、こっそりと二つの意味が込められていたりする。
そうしてからふと、エルは考え込む。
(・・・・でも、コルネットは確かにいい子なんだけど、何かちょっと裏表があるのよねー。クラーリィのファンの女官にこっそり黒魔法放ってたりとか・・・・そこがちょっと心配ね〜)
女の勘、とでもいうべきか。
コルネットは基本、素直で優しいしいい子なのだが、ふとした時にブラックな一面を見せる時があるという本質を、エルは見抜いていた。
裏表のある人間は、概してイイ性格をしているものだから、エルはその点が少し引っ掛かっていたが、
(まぁ、フルート王女ならきっと仲良くやれてるだろうし、大丈夫かな?)
と思い直す。
もし何かしらの理由があって、コルネットが本性を出していたのだとしたら・・・・まぁ、それもまた一つの試練ということで。
「どうしたんです? エル様。急に黙っちゃって」
「え、あ、何でもないのよ。オホホホホ!」
「・・・・・・?」
わざとらしいほどに笑い声を上げるエルに、クラーリィは思いっきり訝しむような顔をした。
ややあって、クラーリィはごほんと咳払いを一つ。
「それじゃあ、俺はこの辺で」
「ええ。魔族の残党狩りも大変ね」
「意外に国内に潜んでましたからね。そいつらを駆逐することも、俺達の大事な役割ですから」
「・・・そうね」
エルが笑って頷くと、クラーリィは一礼をして去って行った。
大戦の後も、魔族の残党がいる、という報告がスフォルツェンド内のあちこちから寄せられ、魔法兵団はその対応に追われている。
加えて、街の復興、怪我人の治療、城の修復など、戦いの後もこなすことは山程ある。大神官であるクラーリィはそれらを見回ったり時には指揮したりすることもあるから、尚更大忙しだ。
一方のエルは、今はホルンから呼ばれて城の中枢の一角、通信室に向かうところだった。スフォルツェンドの魔法技術と、友好国でもあるスラーの機械技術を結集して作られた、情報伝達の要の部屋。
水晶を通して映像や音を伝える魔法の応用で、そこから世界のほとんどの場所と連絡を取ることができる。
女王ホルンと、パーカスを始めとした城の高官達が現在そこに集っているという。どこの国と通信が繋がっているのかは知らないが、国内情勢の安定のためにクラーリィがスフォルツェンド中を奔走している今、その代理でという意味も兼ねてエルも召集されたのだという。
通信室前についたエルは、扉を軽くノックして、中にいる者達へと声をかけた。
「スフォルツェンド魔法兵団第一番隊隊長、エレクトーン参りました」
「入りなさい」
ホルンのしっとりとした声がエルの入室を促す。けれどその声は、重々しい緊迫感をも含んでいるように思えた。
只ならぬ雰囲気を感じ取り、エルも強張った面持ちで通信室へと足を踏み入れる。
正面の巨大なモニターに映し出されていたのは、スラー国王シターンだった。長い髭を蓄えた顔には尋常でない緊張感が漂い、エルもこれは只事では無いという気配を瞬時に察した。
「これは・・・・まさか、」
「ああ、そのまさかだ」
エルの発した呟きに、パーカスがモニターから目を逸らさないまま頷く。
「スラー国王。我が祖国スフォルツェンドを救った勇者一行が、そちらへ向かっています」
「そうか・・・それは有り難い。だがな・・・ちょいとばかし、遅過ぎたようじゃの」
ホルンとシターンの静かな、しかし差し迫ったような言葉が交わされる。
(まさか・・・・そんな、こんな早く)
魔族達のあまりにも迅速な行動に、エルは言葉を失わずにはいられない。
つい先日、スフォルツェンドでの大戦が終結したばかりだ。スフォルツェンドも損害を被ったが、魔界軍とて、組織の一角である幻竜軍の一団を、その最中にほとんど失ったはず。それなのに。
得体を知れぬ嫌な予感が、エルの胸にざわざわと押し寄せる。
スフォルツェンドにもたらされた火急の報せ――――それは、妖鳳軍が全軍を率いて、スラーに押し寄せたというものだったのだ。
第二十一章へ
スラー編突入。
クラーリィはスラーには行かなかったのではなく、行けなかったのだと脳内補完。でないと本気でスラーがいたたまれませんからねー。
リュートとスラー聖鬼軍は親交があったから、エルとも当然親交があったという方向で。
2008年6月18日
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