あの日もこんな夜だった。




―第十八章:夜想曲 その2―




第二次スフォルツェンド大戦が終結した、その夜。
厳しい戦いであったが、それに臨み命を賭して戦った勇者達や兵士達を祝い、労うためのささやかな宴が、今スフォルツェンド城の大広間では開催されていた。
城はドラムの攻撃を受けて一部崩壊していたが、周囲を守護していたクルセイダーズを始めとした魔法兵団の迅速な働きにより、避難していた人々への被害もホルンが考えていたよりは無かった。国民もまた勝利を祝い、城のそこかしこでお祝いを繰り広げているようだった。
皆一様に勝利の喜びに酔いしれる中、ただ一人エルはどうしてもお祝いムードにはなれず、とある一室のベッドに腰かけて、ぼんやりと空を見上げていた。
今日は満月だ。窓から差し込む明かりが、室内を仄かに照らしている。
ほんの少しだけ開いた窓から風が流れ、机の上に置かれたままになっている分厚い魔法書のページをぱらぱらと捲っている。
ほとんど、十五年前の大戦後と同じ光景だった。あの日もこうやって、エルはリュートの部屋で思いに耽っていた。
未だリュートが使っていた頃のままにしてある、この部屋で。
「・・・・・・はぁ」
エルは何度目か分からない溜め息を吐いた。散々泣いて、ようやく気分も落ち着いて、ドラムを撃破したことへの喜びもじわじわと沸いては来ているものの、やはり手放しではしゃぐ気持ちにはなれなかった。
こんな気分で宴に参加したら、また雰囲気を壊してしまうだろうという思いもあってエルは参加を自重していた。ホルンやクラーリィもエルを気遣ってか、無理に輪の中へ加えようとはしなかった。それを有り難く思う一方で、途方もなく申し訳ないという気持ちにもなる。
エルは視線をリュートの机の上へと移した。リュートが愛読していた魔法書、魔法陣の描かれたタペストリー、お世辞にも趣味がいいとは言えない置物の数々・・・・どれも、あの頃のままだ。
結局は、自分も十五年前に囚われたままなんだなぁ、とエルは思う。世間的には、リュートのことはもう過去のことで、表向きは第一次スフォルツェンド大戦で戦死となっているから、人々の感覚にしてみればもう過去の人で。ホルンやクラーリィ、パーカスといった面々は真実を知っているけれど、それでもいつまでもそのことだけに縛られる、ということをせず、ちゃんと今を見据えて生きている。
けれど、自分はそうではないのだろう、という感覚が、エルの底には重く沈んでいる。
(今、のことを考えてても、どうしても、あの人のことが頭から離れないのよねー・・・・)
スフォルツェンドを守る、という思いも、リュートを助け出したい、という思いも、すべては十五年前のあの日から繋がっている。元より持っていた思いが、あの日を境にしてすべて、あの人のためという想いに塗り替えられたというか。
仮にも国の代表者が、一人の人間にそこまで縛られてはいけないと思う。エルもそれは分かっている。ホルンもリュートを失った悲しみを押して、女王としての務めを果たしているのだから。
けれど、誰もがリュートを過去の人とする中で、どこか取り戻すことを諦めてしまっている中で、少しくらい今でも彼を諦めない人間がいてもいいんじゃないかな、ともエルは感じている。クラーリィやサックスらも同様だが・・・・つまりは、今でも、一人の人間としての彼のことを想っていていいんじゃないか、と。
それと彼に縛られるのとではまた別だとは思うのだが、エルは今でも、前を向いて進んでいる傍ら、きっとリュートの存在に後ろ髪を引かれている。例えるのならそれが的確と言えた。
簡単に言えば、エルは今でもリュートにこだわり過ぎている、つまりはそれ程、彼女の中で彼の占める割合が大きかったのだろうけれど。
恐らくはベースの意志を無視して放ったのであろうリュートの氷縛結界を目にして、エルの積年押さえていた感情が溢れ出してしまったから尚更、彼への想いにエルは沈み込んでしまっていた。
いつまでも滅入っていても仕方ないという思考と、リュートの心情を想う感情とが釣り合わなかった。
本当なら、彼にはまだ意思があるのかもしれないと、ベースの手から何とか取り戻すことができるかもしれないと、希望はあるんだという思いもある筈なのに―――。
「・・・・誰?」
不意に、遠慮がちなノックに思考を遮られ、エルははっと扉の方へ振り向いた。首だけをそちらに向けて相手の出方を待つ。
「・・・・私です。フルートです」
扉越しにおずおずと声をかけられた。声の主にエルは少なからず驚く。
「フルート王女? ・・・どうしたの?」
「お母さんに、エルさんは多分ここにいるって聞いたから・・・・」
フルートの返答にエルは苦笑した。
辛いこと、悲しいことがあると主のいないこの部屋を訪れてしまうというエルの癖。流石はもう一人の母、ばっちりと見抜いている。
「遠慮しないで、入っても大丈夫よ。・・・・って言っても、ここは私の部屋じゃないんだけどね」
フルートには見える筈も無かったが、エルは今度はほんの少しだけ寂しそうに笑って彼女の入室を促した。
リュートの部屋、というプレートが備え付けられているわけでもなく、ホルンもきっとここが誰の部屋かまではフルートに伝えてはいないだろうから、彼女は何も知らずにここに入るのだろう。
本当は彼女の兄の部屋だが、それを知らないフルートはこの室内を見て、どんな感想を浮かべるのだろう。
「失礼しまーす・・・・。わぁ、本がいっぱい・・・・」
そうっと部屋に入ってきたフルートの、開口一番の台詞はそれだった。扉のちょうど真正面の位置にあるいくつもの高い本棚には、ぎっしりと本が並んでいたからフルートの感想も無理もないと言える。
息を飲んでいるフルートにエルはくすっと微笑みを浮かべると、ベッドから立ち上がり、同じく本棚へと目を向けた。
「そうね。凄いわよね。これ、ほとんど魔法書なのよ」
「魔法の・・・本? お母さんやエルさん、クラーリィさんが使ってたみたいな?」
「ええ、それもあるけど、ここにあるのはもっと高等な魔法のものが多いかも。例えば・・・・ドラムを封じ込めてた、氷縛結界、とかね」
エルは意味ありげな笑みを浮かべると、きょとんとしているフルートに向き直った。
フルートはまだ王女としての正装でなく、村娘の出で立ちをしている。素朴な感じがなんとも愛らしい。パーカス辺りはきっと、近々戴冠式でも行おうと目論んではいるのだろうが・・・・・こんなに立派に大きくなった姿を、リュートにも見せたかったなぁ、とエルはまたじわっと涙が込み上げてきた。
「あの、エルさん?」
「あ、ごめんなさい。ただの思い出し泣きだから気にしないで」
「は、はぁ・・・・」
心配そうなフルートにはたと気付き、エルはひらひらと手を振って誤魔化す。フルートは首を傾げつつも、私も涙もろいところがあるから、親戚だしどこか似てるのかも・・・と少々ずれた感想を抱いてたりした。
「ところで、フルート王女は何でここに?」
「えっ? あ、あの・・・・」
話題を急に切り替えたエルにフルートは口籠った。やや焦った素振りを見せてはいたが、フルートは素直に胸の内を告げる。
「その・・・・エルさんのことが心配で、探しにきたの。ドラムを倒した後も泣いてたし、パーティにもいなかったから、どうしたのかなって気になって」
「それで・・・・パーティを抜け出して、わざわざ私のところに?」
「お母さんには、しばらくはそっとしておいてあげてって言われたけど、やっぱり、どうしても気になって。余計なお世話かもしれないけど、その、エルさんのことが心配だったから・・・・」
たどたどしくもしっかりと言葉を紡いだフルートに、エルは丸くしていた目をゆっくりと細めた。
ああ、この子はやっぱりスフォルツェンドの血筋をしっかりと受け継いでいる。なんて真っ直ぐで、優しい子なんだろう、と。
勿論、彼女の性格すべてが血によるものではないだろうし、育った場所や勇者達と旅をしてきた中で培ったものもあるのだろうけれど・・・・・それでもエルは、フルートのその優しさに素直に感動していた。心配をかけてしまったことをすまなく思う一方で、彼女が自分のことを心配してくれたことに、胸が温かさで満ち溢れた。
きっとこの彼女の優しさが、五つの大きな希望達の絆をあそこまで結び上げたのだろう。
「ご、ごめんなさい。迷惑だった、かしら?」
戸惑った風な声を上げるフルートに、エルはゆっくりと首を振った。
「ううん、あなたのその優しさが嬉しいのよ。・・・・ありがとう」
もう一つの意味でも、エルは嬉しかった。
十五年前、リュートが文字通り命がけでフルートを救ったことは、やはり今の世代にしっかりと繋がっている。彼女らはまだそれを知らなくても、知らせる時期じゃなくても、彼の為したことは今に、強い影響を及ぼしていると。
フルートが、彼女こそが世界を救う鍵となる。リュートのその予言を改めて思い出し、エルの心には不意に、また前向きな意思が蘇ってきた。
そうだ。あの人はまだ魔と戦っている。その彼を取り戻すために私は戦っている。光明が見えたのに、いつまでも落ち込んでいる場合じゃない・・・・・!
エルは今度こそ本当に嬉しさが込み上げてきて、フルートの手を両手でがしっと握った。突然手を握られたフルートは、何が何だか分からない。
「あ、あの、エルさん?」
「本当にありがとう、フルート王女! おかげで私、元気が戻ってきたわ!」
ニコニコと明るい笑顔を浮かべるエルに、フルートも狼狽しつつ安堵が広がっていた。エルが再び朗らかな表情を取り戻した事に、フルートは素直に嬉しさを感じていた。
エルもまた、フルートの優しさに救われていた。同時に、再び胸の内で強く誓う。絶対にリュートを、最愛の妹に会わせてあげるのだと―――。
「さてと、ホルン様やクラーリィにもずいぶん心配かけちゃったし、遅ればせながら私もパーティに行こうかな」
「う、うんっ! 行きましょうよ、きっとお母さんもみんなも、エルさんが元気になったって知ったら喜ぶと思うわ!」
エルのその言葉を聞いて、フルートは手を繋いだまま彼女を引くように扉の方へと向かっていった。誘うフルートにふわりと笑いかけて、ふとエルは足を止めた。
「・・・・どうしたの? エルさん?」
「私のことは、エル、でいいわよ。私達、従姉妹同士なんだから」
それを聞いて、フルートは一瞬目を丸くした後、照れ臭そうに笑った。孤児のはずだった自分に、血の繋がった系譜がいるということがフルートはまだ少しくすぐったいのだろう。
やや戸惑いながら、フルートは親しみを込めて、その名を呼んでみた。
「分かったわ、エル。その代わり・・・・」
「なぁに?」
「私のこともフルートでいいよ。王女、なんてつけなくても・・・・だって私達、従姉妹同士なんでしょう?」
そのままそっくり言葉を返してきたのが何だか可笑しくて、エルはくすくすと笑った。
やっと、今のフルートと本当に仲良くなれた、そんな気がした。
「そう、ね。それじゃあ、行きましょうか、フルート」
フルートが頷いたのを確認して、エルは繋いでいた手を優しく解いて扉へと手をかける。二人で廊下に出て、その部屋を立ち去る刹那、ふと、エルは一瞬だけ遠い瞳をした。
目ざとくそれを見逃さなかったフルートが、遠慮がちにエルに問いかけた。
「ねぇ・・・・そういえば、ここは誰の部屋だったの?」
目線をフルートに向けたエルは、どこか儚い笑みを浮かべて、ただ短くこう答えた。
「私の大切な人の部屋・・・・とだけ言っておこうかな」
その答えに、フルートはそれ以上の追及を避けた。詳細を聞き辛かった、というのもあるが、何より先程のエルが瞳に浮かべた色が、大戦後に浮かべていたものと似ていたからだ。
聞いてはまずいことを聞いてしまったかな、といった顔をしたフルートに、エルは逆に申し訳なさそうに微笑む。
これ以上の心配をかけないように、その後はもっと明るく。
「さ、それじゃあ、行きましょう」
そうしてフルートにそっと声をかけると、二人はそのまま大広間へと向かった。
月の優しい夜の出来事だった。







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エルと今のフルートとの絆が深まるってなところを書きたかったの巻。
やっぱりフルートってパーティのみんなを力付けてるから、エルにもそんな風に接するんだろうな、と。

原作だとどうなのかは不明ですが、このオリハ小説の中ではリュートの部屋がそのまま保存してあるってことで。
エルは多分片付けられないんでしょう。


2008年5月23日








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