それは確かに、奇跡だったんだろう。
限りなく優しく、そして、一方でこの上なく残酷な。
―第十七章:ただ、かの人を想う―
―――ホルン様。あなたは・・・後五年の命だというのに・・・・
クラーリィが。
―――ホルン様・・・・フルート姉ちゃん。俺・・・強くなるよ!
トロンが。
―――ホルン様、フルートちゃん・・・・・せっかく逢えた二人なんだから・・・・負けるわけにはいかない!
ライエルが。
それぞれの想いを胸に、ドラムに渾身の力で攻め続ける。己の全てをかけて、強大な敵を撃ち滅ぼすために。魔法兵団も皆全身全霊の力を尽くして、懸命にドラムに立ち向かっている。
―――ホルン様、フルート王女・・・・・リュート! あなた達の、私達のこの国を、これ以上魔族の好きにさせやしない!!
悲壮な決意を胸に秘め、エルもまた絶え間無くドラムに攻撃魔法を繰り出している。すべてはクラーリィが決定打を下す、その瞬間を作るため。
彼ら彼女らがドラムの気を引いている隙に、数万の魔法兵団はすべての力を結集して、ドラムに結界を張っていた。白い光がドラムの周囲を包み込み、その動きを止める。捕らえたことを確信したパーカスが、切迫した様子で言い放つ。
「今だ! クラーリィ!」
「ハァァァァァァァ!!」
その合図を受けたクラーリィが両手に法力を収縮する。トロンはドラム本体に斬り込んでいく。誰もがその瞬間を固唾を飲んで見守っていた。
それはスフォルツェンドを見下ろす場所で、それぞれ違った場所で高みの見物を決め込んでいた魔界軍王二人―――ギータとサイザーも、また。
「似てますねぇ。十五年前に、確かに・・・・」
「だがな・・・・」
「ウオオオオオオッ!!」
裂帛した気合と共に、クラーリィとトロンは硬直しているドラムに一直線に飛び込んでいく。これで勝負が決まる。誰もがそう思った。
だが、竜族の王、ドラムはそこまで甘い相手では無かった。
まるで結界など何でもないとでも言うように、氷竜の首が氷柱を伸ばし、クラーリィを串刺しにした。火炎竜がトロンを火焙りにした。剣竜の刺がライエルを貫いた。黒竜の吐いた光線が、光砂風陣の隙間を縫ってエルを焼き焦がした。
結界がドラムを完全に捕えていると思ったからこその予期せぬ反撃に、皆手酷い傷を負い、悲鳴を上げて地面をのたうちまわった。フルートの、彼らの名を呼ぶ悲痛な声が響き渡る。
「く・・・・なんてことなの・・・・・!」
直接攻撃はほぼ防ぐことができる光砂風陣も、火炎や光線といった攻撃には弱かった。それが唯一の弱点だったのだが、ドラムの反撃を防げなかったエルは眉を歪めてドラムを見上げる。耐魔力を持つローブのおかげで体自体はそこまでの重症ではないものの、全身がひりひりと痛む。
数万人ががりで張った結界が、効かないとでもいうのか。エルは最早愕然としてドラムを見上げるしかなかった。これが通用しないなら、もう、打つ手は・・・・!
「てめえらアリ共が、この完全体ドラム様に勝てると思ってんのかぁ!? 大魔王ドラム様になぁぁっ!」
醜い高笑いを上げ続けるドラムは、数十の口を一度にすべて開いた。口内に黄色く輝く光を集結させると、それを同時に放った。
次の瞬間、轟音と共に燃え上がるスフォルツェンド城の一角。その周囲の街並み。それは余りにも、呆気無くて。
「嘘」
呆然と呟いたのはフルートだった。誰もが顔面蒼白になり、反応が遅れた。一瞬遅れて皆正気を取り戻し、口々に悲嘆の言葉を漏らす。
「あぁ・・・城が、街が燃える!」
「何てことだ! 城の中には避難している国民が!」
ホルンは唖然とするあまり言葉が出ない。今の攻撃でどれほどの民が犠牲になったのか・・・・・どれ程の命が失われたのか。
街の建物が崩壊していく。質実剛健で知られるスフォルツェンド城の土台部分から、炎が広がっていく・・・・。
「駄目なのか。俺じゃ・・・・駄目なのか!?」
膝をついたクラーリィが、己の力不足を嘆く。その面に浮かぶのはただただ悔しさと、スフォルツェンドを守り切ることができなかった悔恨。
エルも、今すぐにでも喚き出したい気分だった。今回の戦いも、また、あの時と同じ悲劇を繰り返したに過ぎないのか・・・・・!
自分の無力さに心底腹が立った。そしてその怒りに身を任せて、エルは再びドラムの前に躍り出た。
自分への怒りと同じくらい、ドラムの行為にエルはこれ以上に無いほどに立腹した。
「やめなさい!! もうこれ以上、スフォルツェンドをみんなを傷つけるのは!!」
憤怒で顔を真っ赤に染めて、瞳の端には悔し涙も滲ませて。
けれど法力を手に向かってくるエルを見ても、ドラムは箸にもかけず鼻で笑う。
「あ〜ん? アリの言葉なんざ聞こえねぇなぁ・・・!」
そのまま、ドラムは一つの首をぶんと振るった。冷静さを欠いていたエルはそれをまともに食らう。先程の光線で光砂風陣は解けてしまっていた・・・・・身を守る術が何も無かったエルは、そのまま容赦なく地面に叩きつけられた。
「ああああっ!!」
「エルさん!」
慌ててだっと駆け寄ったのはフルートだ。エルの肢体が惨たらしく血に塗れている様を見て、思わず眉をひそめてしまう。
「ひ、酷い・・・・こんな・・・・」
「このくらい・・・・何とも、ない・・・・!」
それでもエルは立ち上がろうとする。このくらいの傷、十五年前のリュートに比べたら大したことはない。
あの人は、数十万の魔族の中でたった一人、戦っていた。腕を折られ、喉を潰され、目を斬られても尚、それでもスフォルツェンドと大切な人を守るために、誰も背を守ってくれない状況でたった一人で戦っていた。
あの人の傷みに比べたら、このくらい何ともなかった。けれども立ち上がろうと奮起する心とは裏腹に、手足に十分な力が入らない。
エルは悔しくて悔しくて堪らなかった。
十五年前と違って、主力となる戦士が多くいて、相手の魔界軍王だってたった一人で。
それなのにどうして、勝てないのだろう・・・・・・!!
「悔しい。悔しい・・・・!! こんな、こんなのって・・・・・私は・・・・・!」
エルは喉の奥からせり上がってくる嗚咽を必死でこらえた。
リュートの替わりになどなれないことは、十分分かっていた。それでもせめて、せめてあの人を取り戻すまであの人が還ってくるまで、あの人の分までスフォルツェンドを守ると誓ったのに。
無力な自分が本当に恨めしかった。これでは本当に、あの時と同じ―――。
「ガハハァ! 見たか、これがドラム様の実力よォ!」
ドラムは実に誇らしげに、人間達を見下ろして笑っている。終いには自分はベースよりも上、とまで嘯いている。
にやり、と笑って勝利を確信したドラムは、再びすべての竜の口を開いた。狙いは、ハーメル達のいるスフォルツェンドの主力部隊。防ぐ時間もかわす時間も無かった。
「これで終わりよぉ! 死ねぇぇぇぇ!!」
「!!!!」
誰もが己の身を庇い、咄嗟に目を閉じかけた。だが、攻撃はいつまでもやってこない。代わりに、何かの激しく爆ぜる音。
そうっと目を開けた先に見たものは、たった一人で結界を張って攻撃を食い止める、女王ホルンの姿だった。
「ホルン様!!」
「ガハハ、このワシの攻撃を結界で止めるたぁ、大したもんだぜ!」
バチバチと、ドラムの光線とホルンの結界の競り合う音が唸り声を上げる。一国を簡単に滅ぼすであろう攻撃を両手掌の法力で抑え込んでいるホルンは苦痛の表情、さらに口元からは血が滲み出している。
「ぐぅっ・・・・!」
「ホルン様! やめて下さい!」
「これ以上魔法を使うのは!!」
クラーリィとパーカスが必死に呼びかける。トロンとライエルがその名を呼ぶ。
フルートはホルンの姿と、周囲の人間の懸命に止める様に目に涙を浮かべて、その母に手を伸ばした。
「お母さん!! そんな・・・・せっかく逢えたのに!」
「ホルン様! やめて、やめて下さい、本当に!!」
体に負荷をかけるほどの大魔法が、どれだけホルンの体を蝕むか、どれだけ彼女にとって自殺行為となるか、エルはよく分かっていた。
エルにとっても、ホルンは母だった。本当は伯母と姪、という関係であっても、養い子であるエルにどれだけ温かく接してくれたか、それもよく分かっていた。
そして、リュートもまた、彼女をどれだけ大切に思っていたのかも。
不意に、三人で過ごしたずっと昔のことが、エルの脳裏に浮かんできた。それはまだエルもリュートも幼かった頃の、もう遠い記憶。
他のたくさんの記憶の底に眠っていた、温かな思い出・・・・・。
『ねぇ、母さん、聞いて聞いて! 今日はこんなことがあったんだよ〜』
『あ、リュートってば自分ばっかりずるいんだから。ね、ホルン様、エルの話も聞いて〜っ!』
『母さんってばー!』
『ホルン様ぁ!』
『ふふ。二人とも落ち着いて。大丈夫、どっちもちゃんと聞くから。
・・・・ところで、エル。エルもリュートみたいに、私のことを『お母さん』って呼んでくれて構わないのよ? 私はあなたのお母さんでもあるんだから』
『え・・・・でも、ホルン様は、リュートのお母さんだもん。エルの、本当のお母さんじゃないもん。パーカスもよく言ってる。”そういったことは、きちんとけじめを付けねばなりません”って。よく、分かんないけど』
『もう・・・・・パーカスったら。エルは幾ら妹の・・・・アルトの遺児だとしても、ずっとリュートと共に育ててきてもう我が子も同然なのに・・・・。この子達が本当に公私の分別をつけなければいけない歳になるまでは、せめて・・・・。
・・・ねぇ、エル?』
『・・・・なぁに?』
『エルは、私がお母さんじゃ嫌?』
『! ・・・ううん、そんなことない・・・・』
『そう。でもやっぱりエルにとっては、アルトが本当のお母さんなのよね?』
『・・・・・・うん。エルが赤ちゃんの時に死んじゃったから、覚えて、ないけど・・・・』
『そうよね。でもね、エル、それでいいのよ。アルトは・・・・あなたの本当のお父さんとお母さんは、あなたのことをとっても大切に想っていたのよ。本当に本当に大切にね。
二人は残念なことにエルが赤ちゃんの時にお星様になっちゃったけど、今でも空からエルのことを見守ってるのよ』
『・・・・エルのこと、見てるの?』
『あ、それボク知ってる。死んだ人はお星様になって、空からいっつも見てるんだよね!』
『そうよ。エルは元気にしているかな、毎日笑ってるかな、って、ちゃ〜んと見てるのよ。でもね、お星様はいつも空にいるから、地面には降りてこられないでしょう。だからエルのお母さんは、私にエルのお母さんの代わりになってくれますようにって、お星様になる前にお願いしてたのよ』
『・・・・そう、なの? ホルン様・・・・』
『そうよ。私は確かにエルの本当のお母さんじゃないけど、エルがもし、お母さんに会いたいなぁ、お母さんに抱っこして貰いたいなぁ、って思ったら、いつでも甘えていいのよ。お母さんって呼びたくなったら、いつでもそう呼んでいいの。本当のお母さんじゃなくても、”もう一人のお母さん”って思って貰えたら、エル、私は嬉しいわ』
『もう一人の、お母さん・・・・』
『そうよ。私はあなたのもう一人のお母さん。そしてあなたは、私の、もう一人の大切な子なのよ』
『お・・・お、おか、おかあさ・・・・・。
・・・やっぱり、なんか恥ずかしいよぉ。ホルン様ぁ』
『フフフ。まぁ、慌てなくてもいいわ。あなたがいつか、私のことをお母さんって呼びたくなったら、その時に呼べばいいのよ』
『だってさ。良かったね、エル! 母さんはボクだけの母さんじゃなくって、エルの母さんでもあるんだって! 良かったぁ〜、だってエル、嬉しそうだもの。ボクもなんか、嬉しいや!』
『え、えへへ・・・・。ありがと、リュート。ホルン様・・・・・ありがとう・・・・』
(この体が自由に動けば、すぐにでも駆け寄ってホルン様の代わりに結界を張るのに・・・・!!)
懐かしい記憶から現実へと思考が切り替わる。だから余計に、思うように動かない体が憎かった。エルの葛藤など知らず、ホルンは尚も、ドラムに対し結界を張り続ける。だが、それも徐々に、ドラムに押され始めた。
「!!!」
「ガハハハ、死ねやぁぁぁ!!!」
ホルンの顔が強張る。ドラムは更にそれぞれの竜の口を大きく広げた。光がまた口内に集まり始めた。
この状態で追撃を受けたら、流石のホルンの結界も、そしてスフォルツェンド勢も一溜まりも無い。緊迫した表情が一同の顔に浮かんだ。
「ホルン様・・・・!!」
エルも涙声でその名を呼んだ。
―――だが。
不意に、ドラムの光線が消滅した。
スフォルツェンド勢は目を疑った。それは光線が消滅したから、それだけの理由ではない。
彼らの予想の範疇を遥かに超えた出来事が、ドラムの身に起きていたからだ。
ドラムの数十股に分かれた首が、その一つ一つがそれよりも太い氷の槍で串刺しにされていた。
「ななななな、何じゃあこりゃあ!? 痛ぇ、体が動かねぇ!!」
当のドラム本人も、自らの身に何が起こったのか分からず、困惑と激しい痛みとで気が狂わんばかりに喚き散らしている。その氷の槍から逃れようにも、完全に身を捕えられており、さらに法力がドラムの体をねじ伏せていて、全く身動きが取れない。
動きが止まったのはドラムだけでは無かった。
ホルンとエル、二人もまた、まるで雷でも打たれたかのように硬直していた。エルはただただその信じられない光景に、目を見開くしかなかった。
(何で・・・・・そんな、まさか・・・・・だって、あれは、あの魔法は・・・・・!!)
「何だ!? あれは・・・!?」
スフォルツェンドの兵士達も、一体何が起こったのかさっぱり分からない。
分かるのは、十五年前の戦い、それを知る限られた者達。
「あの技は・・・・氷縛結界」
パーカスが目を見張って叫ぶ。巨大な魔法陣を目の当たりにしたトロンがクラーリィに確かめるような目線を送るが、クラーリィは即座にそれを否定する。
「クラーリィ・・・・」
「違う、俺じゃない! あんな高等呪文・・・・!」
冷や汗すらも滲ませて、自分の力量を遥かに超えたその結界陣を見つめる。
ホルンは腰を抜かしたかのようにすとんと腰をおろし、フルートに支えられたままになっていた。
「そっ、そんな・・・・・まさか」
うわ言のようにホルンは呟く。ホルンの、そしてエルの知る限り、この魔法、氷縛結界の使い手はたった一人しかいない。
俄かには信じられない。けれど、この局面で、ドラムに対しその魔法を放つと思われる人物は、この世にたった一人。
「あれは、リュートの、氷縛結界・・・・・!!」
無意識のうちに呆然と立ち上がったエルが漏らした言葉は、ほとんど声になっていなかった。
彼は遥か昔に失われた古代魔法を、その強大な法力と知力で見事に体現していた。ベースの肉体が失われてる今、その魔法を操れるのはリュートだけだ。
魔族の傀儡と化していても、たった一人、リュートだけだ。
「・・・・今よ。今しかないわ、チャンスは!」
エルは弾かれたようにクラーリィやハーメルに向かって振り返っていた。その言葉に、硬直していた面々もやっと我を取り戻す。
「でっ、でもエルさん、あれは・・・・・」
得体の知れない氷柱を危惧したのだろうか、ライエルが口籠ったように言う。エルはきっと目を尖らせ、この一瞬も惜しいとでもいうように言葉を連ねた。
「あれは氷縛結界・・・・私が知る限り、この世で最強の結界魔法よ。あの魔法は完全にドラムを封じ込めている・・・・・この好機を逃す手はないわ!」
只ならぬエルの剣幕に押されたのか、一同はごくりと唾を飲む。ややあって我に返ったクラーリィは、鋭く魔法兵団に指示を飛ばす。
「魔法兵団! エル様の言う通りだ! あの結界がドラムを捕えている間に、奴に対して一斉砲火! チビ、行くぞ!」
「あ、ああ!」
そうしてトロンに声をかけると、ドラムの本体に向かって跳躍していく。エルも痛みを押してそれに続こうとした、が、やはり体がいうことをきかない。
「・・・・っ」
歯噛みしたエルに、ふっと近付いたのはホルンだった。無言でエルの肩に手を当て、回復魔法を施している。温かな光が、傷ついたエルの体を癒していく―――。
「あ・・・・」
「・・・・・」
何かを言いかけたエルに、ホルンは黙って微笑んで、首を横に振った。ホルンの寿命を思えば、回復魔法を受けるのをエルは拒絶したかった、けれど、それができない雰囲気がホルンからは感じられた。
行ってきなさい、と、優しくも哀しげな瞳で、ホルンはエルをじっと見つめていたのだ。
ホルンもきっと気付いたのだ、氷縛結界を放ったのは誰なのか。いや、気付かぬはずがない。
だからこそ、ホルンはエルの背中を押した。
「・・・・・・」
ホルンの意思を感じ取り、エルは黙って頷いた。そうして、今度は微笑んで一言。
「ありがとう・・・・ホルン様」
そうして今度こそ、エルはクラーリィ達に続く。
ライエルとハーメルは再び二人で大序曲の旋律を奏で始める。それが彼らを後押しする。荘厳な曲を背景に、それぞれが命を賭してドラムを討つ。
(リュート・・・・あなたがくれたこのチャンスを、絶対に無駄にしない・・・・!)
ホルンのおかげで、体は随分軽くなった。高く跳躍したエルは両手を頭上に掲げると、ありったけの法力を錫杖に集めた。眼下のドラムに向けて、その穂先を向けると力の限り叫んだ。
「天輪!!」
「ぐああああっ!!」
エルの渾身の天輪がドラムに深く穿たれる。エルの攻撃と、魔法兵団の砲撃でドラムが怯んだその瞬間に、トロンは高々と剣を振り上げた。
「シーザースラッシュッ!!」
魔曲の力で強化されたその斬撃は、ドラムの本体の奥の奥まで斬り裂いた。さらにその奥にクラーリィは己のイヤリングを投げ込んだ。トロンとともに着地するや否や、その起爆のスイッチとなる言霊を紡ぐ。
「爆!」
同時に、大爆発。ドラムの体内の奥で起こった爆風は、彼の全身を弾き飛ばした。すさまじい爆発により起こった熱風は、スフォルツェンドの街内を駆け抜けた。
「ババババカなぁ、このドラム様がぁぁぁ――――!!」
ドラムは信じられないとでもいうように目を見開いて絶叫した。
そのとき目の前に舞い降りた一つの人影に、ドラムはさらに目を見開くことになった。
「あなたは」
恐れ慄き、ただそれだけをドラムは言った。
ドラムの目前に迫っていたのは、勇者ハーメルだった。
けれど、それはドラムの知っているハーメルではなく、全身に力を漲らせ、ささくれた角と右腕を剥き出しにし、魔族の顔をしていた――――まるで、彼の知る、大魔王ケストラーのように。
ドラムを倒すために、ハーメルは己が忌み嫌っていた魔の力を、ここで解放した。
やはり勇者ハーメルはケストラー様の紛れもない後継者なのだ―――ドラムの思考はそこまで辿り着くことはなく、そのハーメルが振り下ろした拳に、何もかもかき消されてしまった。ドラムの体はその衝撃で四散し、今度こそ、崩れ落ちる―――。
「あ、あぁ・・・・・」
力無い声を上げたのは一体誰だったのか。
ようやく訪れた戦いの終幕を、皆ぼんやりと、見つめ続けることしかできなかった。
そうして白煙が去った後にそこにいたのは、マントを翻し帽子を右手で押さえるハーメルの姿。一方のドラムの姿はもう、どこにも無かった。
それで、ようやく勝利の実感が湧いた。クラーリィは柄にも無く、声を上げてドラムを撃破したことを喜んだ。
「いっ・・・・・やったぁ!」
「やったぜぇ!」
思わず支えていたトロンと肩を組み合って喜びの声を上げてしまい、それに気づいた二人はバツが悪そうにぱっと離れた。
お互いに照れ臭くなって顔を真っ赤にして、けれどちらっと相手を見やると、ようやく相手を認めたような表情を二人して浮かべて、また笑い合った。
「やったぁ! やったわぁ!!」
フルートも飛び上がって喜び、その腕の中でホルンも、ほっとしたような、どこか寂しそうな笑みを浮かべていた。パーカスは激戦が終わったことに放心してぐったりと地面に横たわる。
そして、ライエルはハーメルが単身ドラムに突っ込んでいく前に預かったバイオリンを大切そうに抱えて、おずおずとその彼の背後に近付いた。
ライエルはハーメルの魔の血の凄まじさを知る数少ない人物。もしかしたら彼はまだ魔の血に支配されたままなのでは・・・・・そんな不安を抱えたまま、ただハーメルが振り向くのを待つ。
顔の右半身に手を当て振り向いたハーメルの顔は、その時は確かに、紛れもない勇者ハーメルの顔だった。それを目にしたライエルは、感極まってハーメルに飛びつく。
「ハーちゃん! やったぁ! やったねハーちゃんーっ!」
全身で、ライエルはハーメルの勝利を喜んだ。もう一つ、彼が魔の血に負けなかったことも。
神妙な視線を交わした後、ライエルは心の中でしみじみと思う。もう二度と、こんなことはやらないでくれよ、と。ハーメルは無言のままだったが、ライエルの言わんとすることはよく、分かった。
「みんなーっ! やったぁ、やったわっ!」
その時、元気いっぱいに駆け寄ってきたフルートが、改めて勝利の喜びを口にする。嬉しそうなフルートに、ハーメルもふっとどこか満足そうな笑みを浮かべる。クラーリィもトロンも、ライエルも皆明るい笑顔だ。
その場にいる誰もが、この戦いの勝利の喜びを分かち合っていた。満面の笑みでお互いの奮戦を称えあった。しばし姿を見せなかったオーボウが、実はクラーリィの地界の魔法に吸い込まれていたことも判明したりして・・・・・そんな彼に呆れる一幕があったりしながらも、辺りは笑顔と、喜びに包まれていた。
そんな中で、ただ一人。
勝利の喜びなどとは無縁、とでもいう風に、エルはぽつんとドラムのいた場所を向いて立っていた。
エルは呆然とそこを見つめていた。正確にはドラムのいた場所を、ではなく、あの魔法が発動していた場所を。
皆の勝利を祝う声もまるで遥か遠くの出来事のような気が、エルはしていた。
(・・・・・リュート・・・・)
ドラムを討ち果たした今、エルが思うのはただそれだけだった。気の抜けたような顔をして、リュートの形見の十字架をぎゅうっと握り締める。
もちろん、この勝利はリュートの、氷縛結界の力だけではない。皆がそれぞれ渾身の力で懸命に戦ったからこその勝利だ。けれど、その勝利にリュートも一役買っているというその思いを、エルはどうしても拭えない。
ドラムを封じた氷縛結界が、リュートの魔法が、結果的にスフォルツェンドをこれ以上の災禍から守った。
これは、奇跡なのか。それとも。
(あなたは魔族に囚われの身となっても尚、この国を、みんなを守ろうとしてくれたの・・・・・?)
最早、冥法王の傀儡でも。あの人の心は、まだ人類の守護神のままなのか。
苦しんでいる母を、妹を、みんなを、そしてこの国を、守ったというのか―――・・・・。
(リュート・・・・あなたは、あなたって人は・・・・・!!)
ぐっと、喉の奥が苦しくなった。
もう氷縛結界の陣は消えてしまっている。勇者ハーメルがとどめを刺した時に、ドラムと一緒に吹き飛んでしまった。
けれどエルはリュートの面影を感じるその残滓を、ずっと、ずっと見つめていた。
ドラムを打ち滅ぼした今、エルの心の内に込み上げてくるのは、決して勝利の喜び、などではなく。
(また、私達を・・・・守って・・・・・・・!!)
それは、胸が張り裂けそうな程の。
今すぐにでも叫び出したい程の。
「・・・・・・・・?」
それに始めに気付いたのは、フルートだった。
ハーメルと向かい合い、お互いの無事を確かめ合い、穏やかな視線を交わし合っていた時に、微かに聞こえてきた誰かの泣き声。
フルートはそちらに振り向いた。遅れて、ハーメルもその声の方を見た。
ライエルも、トロンも、クラーリィも、そしてホルンも、その声の主を見た。
瓦礫の上でうずくまっている彼女の姿に、最初は、戦いに勝ったことが嬉しいのかな、とフルートは思った。喜びのあまり泣いているのか、と。
けれど、フルートは即座にその考えを改めた。
膝を折り、静かに泣きじゃくっているエルの顔に浮かぶのは、どう見ても喜びの表情ではなく。
これ以上に無い程の、痛ましい程の悲哀。
「うっ・・・・・ううう・・・・・・」
悲しみを、声を無理矢理押し殺して泣いている。それ以上の言葉はその様に当てはまらなかった。
背中を屈めてしゃくり上げているエルは、ぼたぼたと涙を流し、震えの止まぬ唇から止めどなく泣き声を漏らしていた。両手はぎゅっと、彼女が首から下げた十字架を握り締めている。
顔をくしゃくしゃにして、脇目も振らずにただ己の溢れ出す想いのままに。
「エルさ・・・・・。・・・・・!」
ようやく、彼女が泣いている理由に思い当たったクラーリィは、伸ばしかけた手を引っ込めた。
彼女の感じている痛みは、きっとこの場にいる誰もが知らない。自分ですら、その苦しさは想像がつかない。
今の彼女にかける言葉を、クラーリィは知らない。
「う、あ、ああああ・・・・・・・っ」
ついにはエルは両手で顔を覆って、もう堪えられないという風に大声で泣き始めた。先程までよりも一層切なげな声を上げて泣き続けるエルに、フルートもライエルも誰も、何も言えなかった。何かを言える雰囲気では無かった。
ただ、理由は知らない、けれど想像を超える悲しみが彼女の内にはあるのだと、それだけを思った。
ホルンは唇を噛み締めて、ただ悲しげに目を伏せた。彼女の哀しみは、痛い程ホルンは分かっていた。
(あぁ・・・・リュート、リュート・・・・!)
自分は皆の勝利の余韻を台無しにしている、と思いながらも、エルは溢れる涙を止めることができなかった。十五年分の感情の波が一気に押し寄せてきたかのように、エルはただ、声を上げて泣いた。
リュートがこの国を守ってくれたことに、嬉しさを感じていないわけじゃない。彼を取り戻す光明が見えたような気がして、希望を持ったのも確かだ。
けれど今胸の内を覆うのは、それ以上の、名前をつけられない感情だった。
エルは泣いた。
今の勇者達は、五つの大きな希望達はきっと知らない、十五年前、命をかけて戦った彼を想って。
魔の渦中にありながら、それでも今、祖国のために人々を守るために力を貸してくれた彼を想って。
まだ、たった一人で戦っている彼を想って。
ただ、リュートを想って。
エルはただ、ひたすら泣き続けた。今まで涙を堪えていた分も、吐き出すかのように泣いた。
(エルさん・・・・・どうして、あんなに、悲しそうに泣いてるんだろう・・・・)
フルートが、エルのその涙の訳を知ったのは、この戦いからしばらく後になってからのことだった。
第十八章へ
スフォルツェンド大戦集結。
実際、かつてのリュートのことを知ってる人から見たなら、あの氷縛結界は嬉しさよりも切なさが勝るんじゃないだろうかと、そんな風に思うのです。
今回はホルン様とエルの絆を示すようなシーンも描いてみました。今まで表面上しか書いて無いように思えたので。
2008年5月13日
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