あの時も、こんな風に、
皆で力を合わせられたなら。
―第十六章:大序曲から連なる悲愴ソナタ―
ハーメルのバイオリンから、ライエルの黄金のピアノから紡がれる調べは、穏やかで神聖さを漂わせる旋律。二つのメロディが重なり合ってお互いが相手の音の良さを引き出し、優しくもどこか力強いその曲は、その場にいる人々の心の中にすうっと入り込んできた。
ハーメルとライエルが初めて共演しているその姿にフルートは驚きを覚え、感動に心を揺らされながら思わず呟く。
「ハーメルと、ライエルさんが一緒に弾いてる。こんなの初めて・・・・」
「ホウ、『大序曲』か」
いつの間にかフルートに近くにやってきていたオリンがどこか感心した風に頷く。「大序曲?」とエルが聞き返せば、オリンはまた一つ頷いてその曲の解説を始めた。
「チャイコフスキー作曲、『大序曲≪1812年≫』じゃよ」
かつてナポレオン軍率いるフランス軍がロシアに侵攻した時、ロシア軍が奇跡的な戦いでフランス軍を退け勝利に導いた。その奇跡的かつ歴史的勝利に感動してチャイコフスキーが曲にしたのがこの、『大序曲≪1812年≫』だという。
ハーメルとライエルは、戦いの最中だというのに、童心に戻ったかのように酷く楽しそうにその大序曲を弾いている。
「なんて綺麗で、勇ましい曲なの・・・・」
ハーメルとライエルの演奏にエルは聞き入っていた。美しい旋律もさることながら、この曲は体の芯から力が湧き上がってくるような、力強さをも含んでいた。
それはエルだけではなかった。クラーリィもトロンも、疲れ果てていた兵士達も、全身に力が蘇った。もう精も根も尽き果てたのに、不思議なことに、全身に力が漲った。
そう、これこそがハーメルとライエルの力。彼らの魔曲の力。
大序曲を二人の魔曲使いが演奏することで、自らの持つ能力を最大限に引き出せ、片や多くの人間を操ることができる。つまり、すべての兵隊が最大限の力で戦うことができる―――!
「なぁにぃぃぃ!?」
息を吹き返した魔法兵団の攻撃に、ドラムは顔を引き攣らせる。
魔曲により力を取り戻した兵士達は、一気果敢にドラムを攻め立てた。クラーリィもまた自身の奥から噴き上がってくる法力を、惜しみなく撃ち続けている。ドラムの竜の何頭もが一気に弾け飛んだ。
エルも爆裂魔法で攻撃し、トロンも勇敢に剣を振るっている。まともな攻撃手段を持っていないフルートも、石を投げつける、という形で戦闘に参加している。ハーメルが即座に突っ込むが、まぁその一幕は置いといて。
同時に演奏することで相乗効果を得たその魔曲は、スフォルツェンド陣営の戦力を、何倍も、何十倍にも膨らませていた。
「何という曲の力だ! このままいけば、ドラムを倒せるぞ!!」
勢いづいた魔法兵団は、攻撃の手を休めない。実際、ドラムは腕の竜のほとんどを倒され、焦りの表情すら見える。しかし、一転。
「ふざけるなぁぁぁぁ!!!」
雄叫びとともに、ドラムは腕を無造作に振り回して魔法兵団の攻撃を撥ね退けた。あちこちボロボロになりながらも五体自体は無事、というドラムの姿に、クラーリィは驚きを隠せない。
「馬鹿な・・・・効いてないのか!?」
「このワシを本気で怒らせやがって・・・・クズ共どもめ」
ドラムは喉の奥から低く唸るような声を出した。侮っていた人間達にここまで苦戦を強いられたという屈辱もあったのだろう。怒りでギラギラとした目をかっと見開くと、ドラムは皆殺しを宣言し、徐々にその姿を変え始めた。
再び腕から竜を生やし、何頭も分裂させていく。体の形そのものも変え、肉体は見る見るうちに膨れ上がっていく。もはや最初のドラムの面影は無い。
呆気に取られるスフォルツェンド勢の見上げる先には、天をも揺るがす勢いで伸び、蠢く数十の竜の首。スフォルツェンド城をあっさりと見下ろせる程の計り知れない大きさの、巨大なヒドラ―――。
そのあまりにも圧倒的な竜族の王のスケールに、誰もが言葉を失う。戦う気力すら、無くなってしまう。
「おっ、おのれ。こうなったなら・・・・」
けれど真っ先に動いたのは流石は勇者、ハーメルだった。歯を食い縛り、ぎり、とドラムを見据える。
「みんな! 一生懸命謝るぞ!! 誠意を尽くせば真心は必ず通じる筈だ―――!」
「ハーメル!」
「仮にも勇者がいくら何でもそれは無いでしょおぉっ!!」
ぺこぺこと土下座する情けないハーメルの姿に、フルートとエルが呆れつつも勢い良く突っ込む。ハーメルは全く堪えず、今度はライエルに八つ当たりをする始末だ。
「えーいくそっ! こーなったのもみんなてめーのピアノが下手くそだからじゃぼけー!!」
「わーん何だよハーちゃんだってェ」
「えーい、仲間割れしとる場合かーい!!」
「うぅ、さっきの演奏をしていた人と同一人物に思えないわ・・・・・。そしてフルート王女、苦労してんのね・・・・」
突っ込みつつストッパーに回るフルートに、しみじみ同情してしまったエルであった。
「仕方ない、あの手を使うか・・・・」
ようやっと真面目な顔に戻ったハーメルが手を顎に当てて神妙に呟く。
「えっ!? 何か手があるの!? ハーメル!」
「マーラー作曲の『巨人』でフルートを巨大化させて戦うんだ」
「だーっなんじゃあそりゃーっ!!」
「ただし一年間は元に戻れんがなフフフ・・・・」
「いやーっやめて弾かないでェーっ!! それならばいっそ、私なんかより全然強いクラーリィさん巨大化させればいーじゃないのよー!!」
焦りのあまり、フルートは話をクラーリィに振る。そんなわけで動揺が一気に周りに飛び火する(ギャグの世界に巻き込まれたともいう)。
「バッ、バカな!俺なんか巨大化させるより、ダル・セーニョの剣士をでかくした方がいーぞ!!」
「わー何言ってんだよ! だったらライエルの方が」
「わーそんなー!」
「えーい、落ち着きなさいよあなた達っ! クラーリィもっ!」
「俺以外はみんな巨大化してしまえ〜っ!」
「何だとぉー!!」
「巨大化したらあんたを先に踏み潰してやるー!!」
「あああ、誰も私の話を聞いてない上にもう収拾がつかない・・・・」
よよよと後退するエルの側に、ひょこっと現れた影が二つあった。それは実はホルンとパーカスだったのだが、しかし、大騒ぎを繰り広げているハーメル以下数名は全く持って気付いていない。
それどころか、焦りのあまりライエルが黄金のピアノを振り上げる始末だ。
「わーん、どーせみんなドラムに殺されるんだ! みんな殺してやるー!!」
「わーライエルぅ!」
「えーかげんにせんかい!!」
あまりの有様にホルンが額の十字架からピーと光線を放ってハーメル達に喰らわせる。
どっごおおおおん。おおおおん。おおん・・・(エコー)
「混乱してる場合じゃないでしょ!!」
怒りと呆れの綯い交ぜになったホルンの突っ込みである。ドラムの真の姿を目の当たりにして混乱していた一同も、はっと正気を返ってやっと落ち着きを取り戻した。
「五つの大きな希望って・・・・」
「クラーリィ様まで・・・・」
と周りの兵士は呆れてはいたが。
「まったくじゃ。さっきの攻撃だってドラムに効いていないわけではないんじゃぞ!」
突然輪の中に入ってきたオリンがパイプをふかしながら一同に言う。
「だからドラムは本性を現したんじゃないか・・・大丈夫! もう一息じゃ! みんなで力を合わせれば何とかなる!!」
「オリンさん」
エルは目をぱちくりと瞬いた。確かに、オリンの言うことは的を得ている。ドラムが本性を現したのは厳しいが、裏を返せばそれだけ追い詰めていたということだ。さっきの大序曲の力もあり、皆全力でドラムに対抗している。あとは何か、決定的なとどめと言えるべきものがあれば・・・・。
「手は・・・無いことは無い」
クラーリィの一言に、皆一斉にそちらを振り向く。クラーリィが左手に持ち、皆に見せたのは彼がいつも身につけていたイヤリングだ。鈍い金色に輝いている。
「これは神官のイヤリング・・・・俺の法力の半分はこの中に入っている」
クラーリィは説明を続けた。魔法兵団はいざという時のために法力を貯えている、と。兵士が錫杖であるように、神官はイヤリングに。このイヤリングは、自分の十年分の法力が入っていると。
クラーリィはそれを、ぐっと力強く握り締めた。
「確かにドラムは丈夫な化け物だ。しかしどんな化け物も、中から破壊すれば倒せる。これを、奴の体の中深くで爆発させる! ・・・・みんなは奴を足止めしてくれ! あとは、俺が・・・・」
けれど、クラーリィのその決意とは裏腹に、ドラムに酷く痛めつけられた足は、いうことを聞いてくれなかった。エルの回復魔法で怪我は治っていても、その後の戦いで体力を消費し過ぎているのだ。
ふらつき、倒れたクラーリィに優しく手を差し伸べたのはホルン。その掌には、温かい治癒の光が―――。
「ホ、ホルン様!? やっ、やめて下さい・・・そんな!!」
焦燥で顔を歪ませたクラーリィがホルンに必死に言い募る。けれどホルンは、ふわりと笑ってゆっくりと首を横に振った。
「その体で戦うのは無理です」
「でっ、ですが・・・・・」
クラーリィの頭にあるのは、ある一つのことだった。自分の傷などどうでもよかった。
スフォルツェンド血族の者が使用する回復魔法は、怪我を治癒する代償にその術者の命を削る。慈母の心で数多くの者に手を差し伸べたホルンに残された時間は―――もう。
「ですが、あなたの命は後五年・・・・・!!」
クラーリィの悲痛な言葉に、その事実を知る者も知らない者も、一斉に沈痛な面持ちになった。エルもまた、改めてその現実を突きつけられて、ホルンに残された時間はあと僅かだということを、噛み締めずにはいられない。
そして、フルートは。
ようやく分かり合えた母親の、残りの命の火の時間を知って、ただ、呆然とするしかなかった。
それでもホルンは、穏やかな微笑を浮かべているだけだった。まるで、もうすべてを受け入れている、とでもいうように。
「・・・その、ドラムの体を引き裂く役。俺が、やる!」
押し黙っていた一同の中で、開口一番に口を開いたのはトロンだった。一番幼いながらも、もう堂々とした男の顔で、怯えることなくはっきりと言い放つ。
むしろその姿に圧倒されたのは、ハーメルやフルートの方で。トロンの真剣な瞳にただ息を飲む。
クラーリィもじっと、その目を見つめる。そしてトロンの肩に手を置くと、限りなく真摯な眼差しでその覚悟を問う。もうそこには、トロンを軽視していた頃のクラーリィの面影は無い。震えていたトロンの面影も。そして。
「・・・やれるか」
「ああっ」
「危険な役だぜ」
「平気さ!」
「死ぬかもしれないぜ」
「分かってる!!」
―――臆病さなど、欠片も見られなかった。
「何をごちゃごちゃやっとるかぁーっ!! このワシの本体を見て、怖気づいたかクズ共めー!!」
彼らのやり取りなどお構い無しに、ドラムは巨大な竜の首を振り回した。口から放たれる火炎放射を凌ぎ、ハーメル達は再び陣形を整える。
「兵団全員でドラムに結界を張れ! 砲兵、引き続き一斉砲火!」
魔法兵団に指示を下したクラーリィはだっと駆け出す。隣に並ぶのは、抜き身の剣を構えたトロン。
「やるか!!」
「ああっ!!」
「行くぜライエル!! もう一回!!」
「うんっ!!」
ハーメルとライエルは、再びそれぞれの楽器を構える。
バランスを崩し倒れかけたホルンを、フルートは涙を堪えぐっと支える。
今度こそドラムとの最後の戦いだと、誰もが己の力のすべてを懸けて向かっていく。そしてそれは、エルも、また。
「・・・・・・・」
ただ無言で、胸元のリュートの十字架を握り締める 。まるで彼に力を分けて貰うかのように、祈るかのように。
(私じゃ、あなたには及ばないかもしれないけど・・・でも、絶対に、スフォルツェンドを守る・・・・!!)
そうしてエルは再び光砂風陣を纏い、ドラムに向かって飛び込んでいく。長い髪をなびかせ、ただひたすらに勇ましく、彼女は戦場を駆ける。
それぞれがそれぞれの想いを賭して、ドラムという巨大な相手に立ち向かっている。フルートはホルンと固く手を握り合い、母を支え、皆を心の中で応援することしかできなかったが・・・・それでも、意志の強い真っ直ぐな目で、皆の戦う姿を見守っていた。
(みんな、頑張って)
「・・・似てるわ。十五年前の戦いに」
「えっ?」
ふと、ホルンの漏らした一言に、フルートは目を丸くする。ホルンは戦う皆を遠い目で見据えながら、もう十五年も前のことを思い出していた。
思い出さずにはいられなかった。
あの時と同じく、魔族の襲撃で火に包まれたスフォルツェンドの街。勇ましく立ち向かう戦士達。再び取り戻した我が子。そして今でも一途にもう一人の我が子のために戦う、痛ましいまでのエルの一途な姿に―――。
思い出さずにいられようか。
あの、強くもどこまでも優しかった、もう一人の大切な我が子のことを。
「そうじゃの、ホルン。十五年前もちょうど、こんな感じじゃった。みんなで力を合わせて戦ってな」
オリンの一言に同感しつつ、一方でホルンは胸の奥で反論する。
―――確かに似ている。でも、それはむしろ、あの子を失ってからの戦いだ。
あの子がいる間は、いつも、あの子がその一身にすべてを背負って戦っていたから。
十五年前の戦いの時も、あの子はいつも一緒だったエルを遠ざけてまで、やっぱり一人で戦っていたわ。
きっと、それはエルを魔界軍王との戦いに巻き込みたくなかったあの子の優しさ・・・・でも、あの子のその優しさの為に、エルは今でも、後悔に苛まれてる。
でも、あの戦いの時もこんな風に、リュートと並び立って、肩を並べて戦える程の者達がいて、力を合わせて戦うことができていたなら―――
「・・・・フルート。こんな時にこんなこと言うのも何だけど、あなたには兄がいたのよ」
「なっ!?」
フルートは目を瞬く。そんな話をいきなり切り出されたのだから当然だろう。
けれどホルンは微笑んだ。
あの子が、誰よりも大切に想っていたフルートに。教えたかった。あなたには兄がいると。
フルートはもう、憶えていなくとも。あの子がどんなにかフルートを大切に想っていたか。
私はそれを、知っているから。
「名前は、リュート・・・・・優しくて、強い子だった。・・・・・・でも・・・・・・・死んでしまった」
ホルンは微笑んだ。微笑みながら涙を流し、そのまま嗚咽を上げる。
フルートは戸惑って「お母さん」と声をかけることしかできず、同時に、自分にもう一人家族がいたことに、不思議な感慨を抱いてもいた。けれど、兄がいた記憶もフルートには無いから、今はまだ、ただそれだけ。ホルンの悲しみに同調できなくて申し訳なくて、だからその分、フルートはぎゅっと母の体を抱き締めた。困惑しながらもそうしていた。
ホルンは、リュートのことはただそれだけをフルートに伝えた。
もっと言いたいことはいくらでもあった。リュートがどれだけフルートの誕生を待ち侘びていたか。どれだけ可愛がっていたか。どれだけの力を尽くして、守り抜いたか。
けれど、今言ったこと、それ以上のことはホルンはフルートには言えなかった。ずっと堪えていた悲しみが、再び溢れ出してしまったから。
リュートの死ももちろん、底の無い程の悲しみだった。それ以上に、その死後に彼の身に起こったことを考えると、もう言葉にならなかった。
あの時、リュートがその両腕に抱えていた赤ちゃんが、今は我が身を抱き締められる程に大きくなった、そのことを再び噛み締めながら、ホルンはフルートにしがみついてしばし泣いた。
リュートは死んだ後に魔族にその身を奪われて、利用されている操り人形になった、などと。
そんなことが、今どうして言えただろう。
第十七章へ
割と原作通りの章。オリハキャラを入れて原作の風味を損なわないようにオリジナル展開を進めるのは難しい・・・と改めて実感(まー今のところ原作の流れをなぞってるからしょうがないのですが・・・・・)。
特にギャグ。削らないと長くなっちゃうけど、ハーメルンの場合ギャグで話が進む所もあるから結局入れてしまうという・・・(苦笑)
エルは今のところほぼツッコミしか参加しとらんな・・・・。
大序曲、以前ちょっとだけ聴いたことがあるのですが、本当に綺麗で荘厳な曲です。曲の感じについては記憶を頼りに書きましたが(オイ)また聴いてみたいです。
ホルン様の余命が伸びてるのはちょっとしたミソです。ホルン様以外の回復魔法の使い手、つまりエルがいることで原作よりはちょっと寿命に余裕があるのですね。はてさて、これが後にどう絡んでくるかはお楽しみということで。
2008年5月13日
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