絶望の中に見えた光。それは。




―第十四章:五つの大きな希望(前編)―



(無念だ。この俺の力では・・・魔族を止めることは・・・・できなかった)
ドラムの腕から生える竜に四肢を噛み砕かれながら、クラーリィは燃える故郷を見て茫然とそんなことを考えていた。
強くなったはずだった。法力を鍛え上げたはずだった。あの十五年前の戦いの日から。
それでも、数多くの魔族を地界の魔法で封じ込めはしても、この強大な力を持つドラムを倒すことはできなかった。
無力感にクラーリィは打ちひしがれた。自分の力は所詮この程度だったのか、と。
あの時、母を投げ捨てられたクラーリィを救いに颯爽と現われた人類の守護神リュートは、一撃の下にドラムを地に沈めていたのに。
「スフォルツェンドもこれで終わりだな。虫ケラどもが」
ニィ、と質の悪い笑みを浮かべているドラムが、あの時の少年がクラーリィだったということを果たして覚えているかどうかも分からない。それでもその因縁には関わらず、人間を無力だと嘲笑ったドラムは更にクラーリィを痛めつける。
骨の砕かれる音が鈍く響き、クラーリィは堪らず大声を上げた。
「クラーリィ!」
城の司令室でスクリーン越しにその惨劇を見ていたホルンは、悲痛な叫び声で彼の名を呼んだ。その声が戦地にいるクラーリィに届いたわけでもあるまいが、彼の脳裏にはホルンとの思い出が、まるで走馬灯のように流れていた。
(ホルン様・・・あなたは・・・十五年前の戦いで父を助けてくれて、母を亡くした俺に、本当の母のように接してくれた・・・・・)
そこにあるのは、仕えるべき君主、女王としての彼女への忠誠の思いだけではなく。
それ以上の、親愛の情。
「紅蓮の炎よ・・・・」
クラーリィは左耳からイラリングをもぎ取り、高く掲げた。それは昇り始めた太陽の光を反射し、一瞬煌めく。まるで消えゆく命の最後の輝きのように。
「クラーリィ!!」
クラーリィがしようとしていることを即座に理解し、エルはようやく喉につかえていた声を出すことができた。
ドラムによって痛めつけられているクラーリィを前に、その衝撃の余り体が硬直して動けなくなってしまっていたが、直後の彼のその行動でエルの金縛りも解ける。
紅蓮の炎。それはある魔法を放つためのキーワード。
魔法を使える者なら誰もが会得していながらも、禁呪とされる最大にして最後の魔法。
己の命を燃やすことで体を紅蓮の炎と化し、敵を確実に葬る自己犠牲自爆呪文―――!
「止めなさい! クラーリィ!」
叫びながらもエルは飛び出していた。クラーリィが自分を犠牲にしてドラムを倒したところで、誰も喜びはしない。遺された者に残るのは哀しみだけ・・・・そう、あの時のリュートのように。
それに何より、彼まで亡くしたくない。
(エル様・・・俺は・・・・)
視界の隅に、こちらに駆けて来る彼女の姿が映る。
ホルンを母と、リュートを兄とするならば、エルは姉。それ以上に、共にリュートを救い出すと誓った同志。
いつの間にか歳を追い抜いて、背丈も彼女のものを越え。それでもエルが姉のような存在であることに変わりはなく、リュートを想って時々憂う表情を浮かべた彼女に言葉にできない思いを抱いたのも確かで。
リュートをベースから救い出す、という重みを、彼女一人に背負わせてしまうのを申しわけなく思いながらも。
(結局は、あの方のようにはなれなかった・・・・)
その強さも、その器も、あの偉大な英雄に届きはしなかった。
ここで散るのを無念に思いながらも、ここまで傷付いた自分に国を、民を、妹を、女王を、王女を、そして彼女を守る方法は、それ以外には無かったから。
(さようなら)
自分を取り巻くもの全てに別れを告げ、クラーリィはイヤリングに念を込めた。
その瞬間、紅い閃光が迸りドラムの体を燃やした。周囲に激しく吹き荒れる熱風―――
けれどそれは、クラーリィの体が生み出したものではなかった。
左腕から生えた竜はその真ん中で焼き千切れ、ドラムもまた焦りの声を上げる。
予測したものと違う結果に、クラーリィは目を丸くする。イヤリングは無事のまま、自爆呪文は作動していない。投げ出されたクラーリィの目に、狼狽し痛みにのた打ち回るドラムの姿が映る。
「クラーリィを死なせはしないわ!」
そしてその傍らには、ドラムに向けて魔法を放ったと思われる、右手を突き出したエルと、
「ストラヴィンスキー作、組曲”火の鳥”! 愛の勇者ライエル参上!!」
火の鳥を背後に従え、高らかに名乗りを上げる五つの大きな希望の姿があった。
「い、五つの大きな希望・・・!」
ホルンはその姿に喜びに打ち震えた。
千億の絶望と共に五つの大きな希望もまた現われる。真実の鏡が映したその予言は正しかった。暗闇の中でどこか足掻く様に小さく輝いていた五つの光。
少なくとも、今クラーリィを救ったライエルの姿は、ホルンにとっては間違いなく希望だった。
「大丈夫!? クラーリィ!」
「エ、エル様・・・・」
地に打ち付けられる寸前の所を兵士達に支えられたクラーリィの下にエルが駆け寄ってきた。戸惑いの表情を浮かべるクラーリィに構わず、エルはすぐさまドラムの竜に喰い千切られた箇所に回復魔法の光をかざしていく。
「ったく、ドラムの奴、散々クラーリィのこといたぶって・・・! 私がここに来たからには、これ以上あいつの好き勝手になんかさせないんだから!」
クラーリィの腕も足も体も、とめどなく血が流れ自力でなかなか動けないほどに骨も砕かれている。ここまでの大怪我を負わせたドラムへの憤りと、その痛みの渦中にいたクラーリィのことを思い、エルは顔を顰める。
「エル様・・・申し訳ありません。俺は、奴を倒すことができなかった・・・・」
治療を受けながらも、クラーリィの表情もまた陰る。スフォルツェンドは自分が守ると誓ったのに、それを果たせなかった悔しさ。大敵を打ち滅ぼすことができなかった己の無力さ。そしてこうしてエルの寿命を縮めていることへの申しわけなさ。
幾つもの感情が複雑に絡み合って、クラーリィに重く圧し掛かる。
けれどそんなクラーリィの心を晴らすかのように、エルはふっと、微笑を浮かべた。
「そんなこと気にしなくていいのよ。クラーリィは良くやったわ。それに、無事で良かった・・・」
ドラムを倒してはいなくても、クラーリィはこの国を守るという役目を果たしている。それに何より、あの愛の勇者の乱入もあってクラーリィを助け出せたわけだが、その彼にこうして命があることに、安堵せずにはいられない。
「ドラムとの戦いはこれからよ。クラーリィの法力でも倒せないほどタフな奴だとは思わなかったわ。だったら、一人の力で無理だったなら、みんなで力を合わせればいい。でしょ?」
クラーリィの治療を大方終え、エルは立ち上がる。視線の先には、火の鳥と共に地に降り立つ勇ましいライエルの姿。
エルのその顔に浮かぶのは前向きな笑顔だったが、瞳だけは何故か、どこかか寂しげな色を湛えていた。
―――あの人はいつも、結局は独りで戦っていた。
十五年前もこんな風に、リュートと並ぶ力を持って戦う者がいたのなら。そうしたら強過ぎるが故の彼の孤独も、少しは和らいだのだろうか。
「・・・そうですね。五つの大きな希望っていうのも、案外まんざらじゃなさそうだ・・・」
兵士に肩を支えられながら、クラーリィもゆっくりと立ち上がる。魔法兵の砲弾や己の法力でもビクともしなかったドラムの腕を、吹き飛ばしたその力は大したものだとクラーリィも思う。
二人の話題のそのライエルは、ばっちり決めポーズを決めドラムに向き直っていた。
「フッ」
そして、ライエルが気障にも見える笑みを浮かべた次の瞬間。
彼の体は燃え上がった。
「ああちい〜〜あちい〜〜〜っ!! ひぃ〜背中に燃え移ったぁ〜〜〜熱過ぎる〜〜!!」
敵も味方も、皆一斉にずっこけた。
「たあすけてぇくれぇ〜〜火傷する〜〜〜!!」
どうやらライエルは自分で出した精霊で火傷をしたようだった。何とか火を消し止めた後、火の鳥に向かって「ちゃんとやってくれなきゃ!」と怒っている。火の鳥も謝っている。
「わーん! 転んじゃったよ、助けてよ〜!!」
更に、ライエルはふとした弾みで転び、背中のピアノで押しつぶされたために起き上がれずに困っているようだった。
あれが五つの大きな希望か・・・と、エルもクラーリィも周りの兵士達も、今度は呆れた眼差しでその光景を見ていることしかできない。
「すみません、そこの人・・・・たっ、助けて下さい」
「こっ、こうか・・・?」
「ああっ、助けて頂いてどうもありがとうございます!!」
終いにはドラムに助けを求め、つられて助けてしまったドラムの姿に、スフォルツェンド勢はひっくり返らずにはいられない。
「フッ、愛の勇者!! ライエル参上!!」
トドメがこれである。
再び決めポーズを決めたライエルに、司令室のホルンまでもが呆れ返っていた。
(こ、この人・・・・リュート以上の大ボケだわ・・・・)
エルもがっくりと肩を落とす。かつてリュートも凄まじい天然ぷりを発揮していたが、この愛の勇者はその比ではない。
思わず助けてしまったドラムもどーかと思う。それだけ彼が己のボケの世界にドラムをも引きずり込んでいたのだろうが。
「さあ来いドラム!! この愛の貴公子ライエルが相手だ!!」
「ぬぅ〜おっ、おのれェ」
先程までのギャグの世界を払拭するかのように、ライエルは毅然とドラムに向き直る。ドラムもまた威厳を取り戻し、圧倒的な威圧感を持ってライエルを睨みつける。
「けっ、知ってるぜぇ、てめえ・・・ピアノを弾いて精霊を操る愛の勇者ライエル。ハーメル達の一味だよな。ハーメルはどうしたあ? この次期大魔王のドラム様が、ぶっ殺してやろうと思ったのによ」
「フッ、ハーメルはまだ来ないさ。貴様ごときはこのボクで十分」
それに少しも怯むことなく、むしろ挑発的にライエルは言ってのける。まんまとそれに乗ったドラムはすかさず左腕の竜を繰り出すが、怒りに任せた直線的な攻撃を迎え撃つのは雑作も無いこと。
ライエルは再び『火の鳥』の旋律を奏で、力の増した彼の精霊はその体に深紅の炎を纏い高く飛び立った。火の鳥とドラムの竜が互いに炎をぶつけ合い、そのせめぎ合いの余波でスフォルツェンドの町に巨大な火柱が上がる。
「あのドラムが押されてる! なんて力なの・・・!」
その光景にエルも驚愕と期待に目を輝かせる。ライエルの戦いぶりを見つめていたクラーリィは、その姿にかつて耳にしたことのある話を思い出していた。
辺境にピアノを奏でてその美しい音色で魔族を倒し、愛を語る無敵の勇者がいるという。
その彼こそが、今ここでドラムと相対している愛の勇者ライエル・・・!
(こいつがホルン様の言っていた、五つの大きな希望)
初めは、クラーリィはその存在を認めたくなかった。スフォルツェンドを守るのはこの自分だと、スフォルツェンドで生きてきた自分達だと、その思いがあったから。けれど。
悔しいが、ホルンが”希望”だと称しただけある、とクラーリィは思った。
強い。
こいつなら、こいつらなら、或いはあの化け物も・・・・。
「うっ・・・・」
左足に痛みが走り、クラーリィは膝を折りかけた。けれどその肩を、ふわっと支えたのはライエルだった。
「大丈夫かい? クラーリィさん」
「あっ、ああ」
戸惑いながらもクラーリィは返事を返す。気遣うような表情で、エルはクラーリィを諫めるように言う。
「怪我が治ったとはいえ無茶しないの! 体力は戻ってないんだから」
「フッ、もう安心していいよ! この愛の勇者に任せてもらえばね!」
二人の懸念を吹き飛ばすかのように、ライエルは明るく笑って言う。エルもクラーリィも、ライエルのその自信満面の笑みに思わず頬をほころばせる。
(こいつ・・・)
伊達に勇者は名乗ってないな、とクラーリィがライエルを認めかけたその時、
「言っとくけど、”愛”と言ってもホモじゃないからね!」
「だ―――っ俺もじゃボケ―――!!」
すかさずクラーリィのツッコミが炸裂した。
半ば呆れつつも、そんなクラーリィの姿を見てエルはどこか安堵していた。自然と小さく笑みが零れる。
(こんなクラーリィ、久々に見たな)
生き生きしているというか、有りのままの姿というか。
普段のクラーリィは大神官という役目とその重責もあってか、常に冷静な表情を湛え、どこか他者を寄せ付けないような雰囲気も漂わせている。
だからこんなクラーリィの姿を見るのは、本当に久しぶりだった。
「よおおし! 魔法兵団!! まだ戦えるぞ!!」
五つの大きな希望の力がドラムを凌いだことで、魔法兵団もまた士気が高まり、時の声を上げた。勢い付き、法力を一斉に放ち始める姿に、さしものドラムも表情を凍てつかせる。
絶望的だった魔法兵団がライエルの存在に勇気付けられ、スフォルツェンドを守るという思いを一つに、再びドラムへと立ち向かい始めたのだ。
「フッ、貴様にも聴かせてやろう! 愛の鎮魂歌を!」
ライエルは鍵盤に指を走らせ、美しくも激しいピアノの音を戦場に鳴り響かせる。エルとクラーリィもまた、再び錫杖を手にドラムへと向かって行く。
「行くわよ、クラーリィ!」
「ええ! あいつとの戦いはこれからだ・・・・!」
圧倒的な絶望を前に、尚も皆を立ち上がらせる力がそこにはあった。
それは確かに、希望だった。











第十五章へ

















クラーリィに視点を当てたはずなのに、何故かライエルの方が主役っぽい・・・(笑)
前半と後半のギャップが凄まじいですな。シリアスとギャグと・・・・でもどこまでもボケ倒してくれるライエルは大好きです。

クラーリィとエルは互いに大切な存在なのですね。姉弟のように。でも多分、それを越えた思いもあるのだと思います。


2007年1月6日





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