ああ、でもこれじゃ、あの時と同じだ。



―第十三章:威風堂々―



エルが戦地へと赴き、残されたフルートはしばし茫然とその場に立ち尽くしていた。
スフォルツェンドが魔族の大軍に攻められているという、突然の緊急事態に頭がついていかないというのもあるし、それ以上に魔法兵団に属しているとはいえ、エルがたった一人で魔族を倒しに向かっていったことへの驚愕も大きく。
「一人でなんて、無茶よ・・・・」
ぼんやりと呟きながら、フルートは窓際へと近付く。魔族に滅ぼされた国は数多くあると、ライエルから以前聞いたことがあった。けれど、実際にこうして見たことも無いような魔族の群れを前にすると、普段は気丈なフルートといえど流石に震えが止まらない。魔族達は千億の絶望という予言の言葉に相応しく、スフォルルェンドの地を埋め尽くしている。
あんな大群相手に、エルはたった一人でどうするというのか。無茶というよりも無謀だ、とフルートは感じた。
狼狽するフルートを一瞥して、クラーリィは冷静さを取り戻した視線をスッと窓の外へと向けた。
「確かにそう思うだろうな。だが、見ていろ」
クラーリィは遠く国境付近の方を眺めている。フルートとトロンもつられるようにそちらに目を向けた。ここからでは黒い無数の影が蠢いているように見える。けれど。
不意に、白い光が一閃した。次の瞬間、その光の箇所からは魔族が消え失せ、群れの中のそこだけに鋭い亀裂が入ったようになった。
再び閃光が走る。更にもう一度。光が煌めく度、魔族達は確実にその場から姿を消している。
「なっ・・・・」
トロンが驚きに目と口を見開いている。クラーリィは目を細め、その閃光が迸る場所を―――エルが戦っているのであろう場所を見据える。
「確かに、敵陣に一人だけ飛び込むのは無謀だ。が、それを覆すだけの実力があの方にはある」
魔族の群れにたった一人で切り込み、その数を減らすと共に敵を混乱させ、またそれによって味方の士気を上げる。かつてリュートがしていたその役目を、今はエルが担っている。
今エルが戦っている国境付近は、突然の魔族の襲撃に大混乱に陥っている。だからこそ敢えてそこに向かい敵を蹴散らすと共に、国民の城への避難がスムーズに行えるよう誘導しているはずだ。
この十五年、法力を鍛えてきたのはクラーリィも同様だが、エルにはそれ以上に戦の経験がある。実戦での彼女の強さには、クラーリィも及ばないところがある。エルはクラーリィよりも戦い慣れしているのだ。不老の法を使う以前に、リュートと共に戦い続けてきた分。
「スフォルツェンドの戦乙女・・・・エル様のその字名は伊達じゃないんだ」
リュートの力になろうと、そしてベースからリュートを取り戻そうと、その為にエルは力を磨いてきた。クラーリィも大神官を目指したのは、リュートの影響が大きい。自らを省みず、全てを守ろうとしたあの偉大な王子の―――。
だからこそ、クラーリィにもまた譲れない思いがある。
「先程エル様も言っていたが、城の中なら安心だ。じきに国民も避難してくる。お前達はここにいろ。
スフォルツェンドは・・・・俺が守る!」












空が少しずつ青く染まってきた。けれど朝の清々しい空気をもみな奪うかのように、幻竜軍の戦艦は威圧的に浮かんでいる。
地上では、侵攻してきた魔族に対し魔法兵団も立ち向かい出し、国のあちこちで魔法の破裂音と爆音とが響いていた。
「雷帝よ! その烈しき怒りを地に降らせよ!」
エルの勇ましい詠唱が響いたかと思うと、その手から放たれた雷が魔族達を討つ。
エルが来てくれたことで国境の兵士達は士気を奮い立たせ、スフォルツェンドを守るべく皆一丸となって戦っていた。エルの率いる一番隊もまた、国境の防衛戦に参加している。
魔族達を倒しながら、エルはちら、と国境の外を見た。遥か彼方に、控えている超獣軍の大軍が見える。
(少しも動こうとしないわね・・・。もしかしたら、こちらが戦い疲れた時に出撃してくるのかもしれないけど)
そう、今回スフォルツェンドに押し寄せたのは幻竜軍。十五年前の時のように、魔界軍が総出で来たわけではない。あの時はリュートの強さを警戒したのもあったのだろうし、何より聖杯の儀という目的の為にベースも全軍を率いてきたのだろうが。
(リュートのいないスフォルツェンドは幻竜軍だけで十分ってこと? それとも、何か他に理由があるのかしら・・・・)
あの戦いの時、誰も魔族の本当の目的に気付かず、その為にみすみすリュートの魂を奪われた。
今回の戦いは、スフォルツェンド壊滅だけが目的なのだろうか。それとも、何か別の狙いが?
(いずれにしても、魔族達がスフォルツェンドを目障りだと感じてるのに間違いはないわ。この機に一気に叩き潰そうとしてるのかもしれない・・・・。恐らく幻竜王ドラムも来てるだろうし、近いうちにクラーリィと合流した方がいいわね)
「地陣天風光! 爆!」
考えを巡らせながらも、エルは戦いの手を休めない。魔族を吹き飛ばし、ひらりと身を翻す。長い緑髪が風に流れる。
国境外から侵入してくる魔族をここで撃退する。既に国内に入ってしまった魔族は、各地に配置された魔法兵団が相手をしているはずだった。
「エル様!」
魔族の攻撃が一時収まり、その隙に伝令兵が素早くエルの所へ駆けて来た。息を整えながらエルは振り向く。
「どうしたの?」
「はっ、国民の避難はほぼ完了しました。各地の魔法兵団の活躍により、魔族達も少しずつその数を減らしています。それから・・・・」
伝令兵が全てを伝える前に、その遠い背後でカッと光が疾走った。
町を通り抜け、その先の山までも貫く光。その閃光より刹那の差で轟音が迸り、爆発が巻き起こす風がエル達の所にまで届いてきた。
「・・・・クラーリィ様が、最前線で幻竜王ドラムと戦っておいでです」
「どうやら、そのようね」
背後を見遣りながら、どこか萎縮したように報告する伝令兵に、エルはニッと力強く笑って見せた。
今の閃光は間違いない、クラーリィの天輪だ。光撃魔法では最大級の破壊力を誇る呪文。かなりの修練を積んだ者でないと、あの魔法は習得できない。
けれど、その天輪いえど、もしかしたらあのタフそうな幻竜王には通じないかもしれない、という懸念もあった。
伝令兵に礼を言って持ち場へ返し、エルはもう一度魔族達に向き直る。どこか不敵に笑って竜の群れを見渡す。
「クラーリィも頑張ってるんだもの。私も負けてられないわね」
エルは両手に法力を集め、精神を集中させる。エルの手の中から、小さな風が生まれてきた。
「風華よ、舞い踊れ。滅すべき者の熱を奪い、その身を凍てつかせよ!」
魔法にも様々な属性がある。例えば光、闇、炎、氷など・・・・そうして大抵は、魔法を学んでいくうちに己の得意とする属性が分かってくるのだ。
勿論、リュートのように聖魔両方の魔法を使いこなせる者もいる。もっとも、リュートはその体に秘めた法力が膨大であるため、古の魔法を始め、高等呪文をほとんど会得していたが。
エルの最も得意とする属性は風である。
風は大地を巡り、優しい香りを運ぶ。けれどそれも極限まで研ぎ澄ませば、敵を容赦なく切り裂く疾風となる。
「氷華風乱!」
エルの手から解き放たれた冷たい風が、錫杖を伝い吹雪となって魔族達の間を駆け抜ける。雪のようにも見える小さな白い一片の華、それが無数に集まり風に乗れば、瞬く間に敵の体を凍りつかせることができるのだ。
「な、何だこりゃあ・・・!」
「さ、寒ぃ・・・・」
体の熱を奪われ、ガタガタと震える魔族達が完全にその身を氷像に変えるまで、ものの数秒もかからなかった。辺り一面に白く凍りついた魔族達の姿が広がる。
改めて目にする戦乙女の勇姿に、味方の魔法兵団も舌を巻く。
「す、すごい・・・・!」
「流石はエル様!」
「クラーリィだけに重荷を背負わせるわけには、いかないからね」
振り向いたエルはにこっと笑ってみせる。いざ戦となれば恐るべき程に雄々しい兵士の顔となるエルも、こうやって微笑むとどこかホルンを彷彿とさせる可憐な少女の顔となる。
更に力付いた魔法兵団達は、残りの魔族達も一掃しようと陣形を組む。
と、突如としてその魔族達が、何かに引っ張られるようにして宙に巻き上げられたのだ。
「!」
これには流石のエルも驚く。浮き上がった魔族達を見上げると、更にその上空の幻竜軍の戦艦までも、スフォルツェンドの町の中央に吸い寄せられていくではないか。
そう、あたかもこれは、力を発揮すれば邪悪なるものを全てその中に吸い込み、封印することができるというパンドラの箱の如く。
(クラーリィ・・・・!)
国内の全ての魔族が何かに吸い込まれていく様を見て、魔法兵団にも困惑が広がる中、ただ一人エルは心の中でその名を呼んでいた。
十五年前から、リュートを助けること、スフォルツェンドを守ることを共に誓い合ったもの同士だった。クラーリィがひたむきに頑張る様を、エルはまるで姉のような気持ちでずっと見守ってきた。
この魔族達の吸い込まれた現象は、恐らくは彼が長年をかけて習得した『地界』の魔法によるもの。パンドラの箱と同じ効果を持ち、深い大地の底に魔族達を封印する。千億の絶望と呼べる程のあの多くの魔族達を、クラーリィは残らず封じ込むことができたのだ。
あの戦いから十五年。クラーリィのその成長を思い、エルは胸が熱くなる。
「すごいよ、クラーリィ。頑張ったね・・・」
顔が自然と綻び、泣き笑いのような顔になる。
あのドラムといえど、この魔法の前ではただでは済まないだろう。超獣軍が国境の外で待機している以上、まだ油断するわけにもいかないが、それでもほとんどの幻竜軍がいなくなったのは事実。戦況も大きく変わってくるだろう。
「あなた達はここで引き続き国境の守りに務めて。まだ超獣軍はいるし、国境外にもしかしたらまだ幻竜軍が残っているかもしれないわ」
その場の魔族達がいなくなっても慢心せず、エルは次の指示を兵士達に与える。そんなエルを兵士達は頼もしく感じ、力強く頷くとそれぞれが再び元の持ち場へと帰っていく。
それを見届け、エルは超獣軍に鋭い目を向ける。
(来るなら来なさい。幾らでも相手になるわよ。ギータの奴も多分・・・・来てるんだろうし)
エルは錫杖を持つ手に力を込めた。魂を奪ったベースは言うまでもなく、リュートを散々いたぶったギータも、エルにとっては心底憎い相手だ。今日戦えるというのなら、願ってもない。
と、轟音が響いた。超獣軍がついに動いたか、とエルは思ったがそうではなかった。
その音は背後から聞こえてきた。振り返ったエルは、その目を大きく見開いた。
何頭もの首長竜が、スフォルツェンドの中心地から天に向かって伸びている。ある竜は炎を吐き、またある竜はその体から刺を突き出し空の中を蠢いている。
「なっ・・・・!」
エルも息を呑んだ。
まさか、あれはドラム? クラーリィの術が完璧ではなかったのか、それとも完璧であったとしても封じられない程の力をドラムは持つのか。
「え、エル様! ここはとりあえず大丈夫ですから、クラーリィ隊長の加勢に行って差し上げてください!」
「行って下さい、エル様!」
「後は我らだけで何とかします・・・だから、エル様は早くクラーリィ隊長のところに!」
「・・・・みんな・・・・・」
エルは茫漠と呟く。
ああ、これは既視感だ。酷い既視感だ。
これではまるで、リュートを失ったあの時と同じではないか。
「・・・・ありがとう」
けれど、クラーリィまで死なせるわけにはいかない。強くなる為に、肉体の時を止めてまでこの十五年間、己の法力を鍛え上げてきたのだから。
兵士達に礼を述べて、エルはすぐさま転移法陣を描く。一瞬の後、エルはクラーリィとドラムが戦っているのであろう、スフォルツェンドの中心地に着いた。
町が燃えていた。
瓦礫の山が激戦を思わせる。
傷付いた兵士達がそこかしこに横たわっていた。そして。
高笑いを上げながら、その両の腕から数頭の竜を生やしているドラムの姿が目に入った。
耳障りな笑い声を上げ続けるドラムを忌々しく思いながら、エルはクラーリィの姿を探す。そうしてようやくクラーリィを見つけた時、エルは信じられないものを見たかのように大きく目を見開いた。
クラーリィは、地に倒れ伏しているわけではなかった。ドラムの腕から生える一頭の竜に咥えられ、その身を無残にも砕かれていた。
エルのクラーリィの名を呼ぶ声は、声にならなかった。







第十四章へ












一気に六巻の真ん中まで進みました。まぁ、バトルシーンが多いですからねぇ。
今回、いくつか魔法が登場しましたが、とりあえずオリジナル魔法は一つだけです(『雷帝』の魔法に勝手に詠唱つけちゃいましたが)
エルの吹雪の魔法『氷華風乱』は『ひょうかふうらん』と読みます。本文にも書きましたが、エルは風属性の魔法が得意なので、これから他にもいくつかオリジナル魔法が出てきます。


エルとクラーリィの、交差する戦いは書いててちょっと難しかったけど楽しかったです♪
そうしてふと浮かんだ疑問。
クラーリィさん、あの、天輪で思いっきり町ふっ飛ばしてるんですけど・・・(汗)
町中の魔法兵団に当たったりはしなかったんでしょーか。それとも、光撃魔法ということなので邪悪な者にしか効かないとか・・・?(その割りに町は大破してましたが)
まぁ、とりあえずそーゆーことで脳内補完しときます。



2006年12月3日




戻る