もう、誰にも、あんな思いは。



―第十二章:戦火、再び―



「パーカス! これは一体どういうことなの!?」
夜が明けたばかりのスフォルツェンド城に、エルの憤然とした声が響いた。
ここは城の一角。傍らに控えるクラーリィは憮然とした表情を浮かべ、エルに怒鳴りつけられているはずのパーカスは意に介さず、といった風にエルを一瞥する。
「どういうこと、とは・・・どんな意味ですかな?」
白々しい返答をするパーカスに、エルは更にカッとなって声を荒げる。
「どうもこうもないわよ! ハーメル君のバイオリンを直すことを条件に、フルート王女に王女であることを認めさせるなんて! そんなの、そんなの二人を引き離す口実でしかないじゃない!!」
「エ、エル様」
流石にクラーリィが諫めるが、あまり効果は無さそうだ。エルもまたスフォルツェンドの血筋ゆえ情が深い、だからこそ、一度感情が昂ぶると歯止めが効かない。
ハーメルとフルートの意思を無視してまで事を運ぼうとするパーカスのやり方に、エルは納得が行かないのだ。
「そんなやり方、私は認めないわよ。いくら、ホルン様の為だって言っても・・・・」
パーカスが、ホルン様の為に、この国の為にとそういう手段を取ったと分かってはいても。
「そんなので・・・あの子が、ホルン様のことを母親だって認めるはずがないじゃない・・・!」
歯噛みするようにエルは俯き、拳をぎゅっと握りしめる。
パーカスが用いたのは、フルートがハーメルを想う気持ちを利用した卑劣なやり方だ。卑劣な、けれど賢く、効果的なやり方。現にフルートは王女であることを認め、ハーメルとライエルはバイオリンを直す為に旅立ってしまっている。
パーカスもまた、十五年前の悲劇を知っている身。国やホルンへの忠誠心も人一倍強い。それは分かっている。けれどそれでも、エルはどうしても彼のやり方には賛同できなかった。
「分かってるよ、パーカス、あなたの考えは。でも、でも・・・・!」
語尾は震えていた。クラーリィは表情を変えず、けれど気遣わしげな目でエルを見ている。
パーカスもまた、何かを堪えるような顔をしている。それでも、自分はこれ以外に良い方法は考えられなかったのだ。ホルン様と、この国の為に。
「エル王女、私の役目はスフォルツェンドの秩序を守ること。その為には、仕方のないことなのです」
「・・・・分かってる。分かってるよ、でも・・・・」
大切な人と引き離される思いを味わうのは、私だけで良かった。
エルは心の中で吐き捨てるようにそう言うと、転移魔法でスッと姿を消した。
「・・・困りましたなぁ」
パーカスはふうと息を吐いて誰にともなく言う。その言葉の対象は、エルとフルート、どちらに対してもだ。フルートをあんな手を使ってまで王女として認めさせた理由、それはホルンだけでなく、エルの為でもあったのに。もっとも、本人はそれに気付いてはいない、いやそれどころではないだろうが。
「エル王女も、リュート王子を失くしてからずっとフルート王女に会える日を楽しみにしていたからな。それなのに、どうしてこうもうまく行かないのやら・・・・」
パーカスはもう一度溜息を吐いて頭を振る。ずっと沈黙を保っていたクラーリィは、左耳のイヤリングを握り締めながら、静かに口を開く。
「口で言っても分からないさ。今のフルート王女にはな。実際にその目で見せるしかない」
「おい、クラーリィ、まさかお前・・・・」
パーカスが言い終わる前に、クラーリィもまた転移魔法でその場から立ち去っていた。
一人残されたパーカスはやれやれ、といった風にまた重い溜息を吐いたのだった。










ほぼ同じ頃。
フルートはスフォルツェンド城の城門が見下ろせる眺めのいい部屋で、侍女達に付き添われながら椅子に座っていた。
その目に映るのは、この城から去っていくハーメル達の乗る馬車。王女であることを認める代わりにバイオリンを直して欲しいと、ハーメルとの別れを了承したのは他ならぬ自分なのに、どうして、こんなにも胸が苦しいのだろう。
(これでいいんだ、これで・・・・・)
自分に言い聞かせるようにフルートは思う。
あのバイオリンはハーメルの母親の形見のようなものだとオーボウは言っていた。ハーメルにとってとても大切な物だった、それはバイオリンが壊された時の彼の反応を見れば分かる。
フルートが十字架をスタカット村のおじいちゃん達との結びつきだと、大事に思っていたのと同様に・・・・あのバイオリンはきっと、ハーメルの心の支えの一つなのだ。
だから、バイオリンが直って、ハーメルが喜ぶのならそれでいい。ハーメルと離れ離れになっても、どんなに悲しくても、ハーメルの大切な物が元に戻るのなら。
そう、思っているのに。どうして涙が止まらないんだろう。
「フルート姉ちゃん・・・・」
そんなフルートを見てトロンもやりきれなくて、遣る瀬無いといった風にそっぽを向いてしまう。
「でも・・・・」
けれど、力無いフルートの声が聞こえ、どうしても気になってまたそちらを見てしまう。
「何で・・・私を・・・捨てたのかしら・・・・」
フルートが握り締めているのは例の十字架だ。おじいちゃん達との結びつきだと思っていたそれは、彼が言っていたようにやっぱり本当の親の手がかりで。スフォルツェンド王家の証であるという。
幾分か気持ちも落ち着き、ハーメルが母親との絆を取り戻すかのようにバイオリンを直しに行った今、だからこそフルートは己の母親のことに初めて感情が向いた。
再会したことをあんなに喜ぶのなら。突き飛ばされてあんなにショックを受けるのなら。
どうして、私を捨てたりなんかしたんだろう。
『これだけは知っていて欲しい。ホルン様は・・・・・あなたを捨てたわけじゃないってこと。
ずっと、あなたを想ってたんだっていうことを』
昨夜、実は自分の従姉妹だったあのエルという少女もそう言っていた。ホルン様だけじゃなく、みんな、フルートに会えるのを待っていたと。もしそれが本当だとしたら尚更気になる。
どうして、母親は自分を捨てたのか?
「教えてやろう」
ぽん、と帽子に手が置かれ、フルートはその声の主を見上げる。そこには確か魔法兵団の隊長だという青年、クラーリィが立っていた。その傍らにはエルもいる。二人とも、どこか神妙な顔をしている。
「クラーリィさん・・・・エル、さん・・・・」
突然の二人の登場にフルートとトロンが戸惑っていると、クラーリィはトン、と絨毯の敷かれた床の上に楕円形の物を置いた。
「俺はパーカスのように面倒くさいことは嫌いな性質でな」
フルートがよくよく見てみれば、それは鏡のようだった。ただし、鏡面は靄がかかったように霞んでいて、何が映っているのかは分からない。
「”真実の鏡”だ」
クラーリィが短く説明するが、それだけではフルートには何のことだか分からないだろう。
けれど、エル達スフォルツェンド城の者なら知っている。
真実の鏡。それは文字通り、真実を示す鏡。過去を、現在を、そして未来をその面に映す神秘の至宝。未来は朧げにしか映らないが、過去のことならばはっきりと映像が映る。
かつて、エルがこの鏡を使ってリュートの最期を見届けたその時のように―――クラーリィは、十五年前の戦いでホルンがどういった思いでフルートを手放したのか、見せるつもりなのだ。
クラーリィから、真実の鏡でフルートに過去を見せる、との提案を受けた時は、エルは正直面食らった。成程、確かに真実を伝えるのにこれ以上の手は無いけれど、もし、それでもフルートに母の想いが届かなかったら。
けれど、あの時のホルンの涙の決断は、口で言うだけではきっと理解しきれない。ならば、フルートの心の奥底に眠っている母との記憶、それが蘇るように、蘇ることを信じてこの鏡に託してみようと思った。
勿論、直視するのは辛い事だってあるだろう。けれどそれでも、フルートに母の深く、切ない愛情を伝えたいから。
「この鏡には、真実の出来事が映るの」
「見てろ。何があったか教えてやる。お前が捨てられたっていう、十五年前だ」
ホルンのことを分かって欲しいと思うのはクラーリィも同じ。だから、ホルンがフルートに向けた想いが映るように念じて、鏡を彼女に向ける。
フルートは困惑しながらも、鏡から目が離せない。鏡が何かを捉え、映し出し始めた。
と、その時!
「!?」
城が揺れた。轟音と共に、いきなり激しい地震が来た時のように。
フルートやエル、クラーリィも床に投げ出され、強かにその身を打ち付ける。揺れは断続的に続き、その場はたちまちパニックになる。
「えっ!?」
「わぁっ!」
「な、何だ!? 何が起こった!?」
悲鳴に近い声が上がる。その中でただ一人、エルだけは冷静だった。
(まさか―――これって―――・・・!!)
鮮明に過去の記憶がフラッシュバックする。
十五年前の第一次スフォルツェンド大戦。あの時も、こんな風に始まったのではなかったか。城が爆撃され、悲鳴が、上がって。
「・・・・っ!!」
エルはすぐさま身を起こし、窓際へと走った。
目に飛び込んできた光景は、やはりあの日と同じだった。空を埋め尽くす程の戦艦の群れ、陸では咆哮を上げる魔族達が町を闊歩している。
覚悟はしていた。ホルンがこの国に千億の絶望がやって来ると予言したその日から、また魔族の襲撃があると。それでも、フルートにまた会えるという喜びの方がその時は大きかったのに。
よりによって、今このタイミングでスフォルツェンドが再び攻められるなんて。
(魔族め・・・・!)
あの日と同じ光景に、エルの体の震えは止まらなかった。それは恐怖と緊張にだけではない。むしろ、激しい怒りに。
今でも鮮やかに思い出せる十五年前の戦い。焼け崩れた町、無残にも殺された多くの人々の屍、そして―――それらを守るために命を賭して闘い、魂を奪われたリュートの姿。
怒りの炎がエルの中で燃え上がる。一度は焼け野原と化したスフォルツェンドの町。十五年の時をかけ、ようやく元のように復興してきたというのに、それをまた魔族達は蹂躙しようというのか。
あの人が守った国、守った人々。ホルンやフルートといった、彼にとって掛け替えのない家族達。それらが再び、危険に晒されるというのか。
(そんなこと、絶対にさせない・・・・!)
「たっ、大変です! 魔族が、魔族が攻めてきました―――!!」
焦りをも含んだ伝令の声がどこからか上がる。流石のクラーリィも冷や汗を流し、フルートとトロンは今までに見たことも無い程の魔族の群れに竦み上がっている。
無理も無い、とエルは思う。勇者と共に旅をしてきたとは言っても、一国を攻め滅ぼそうとする魔族の大群など、恐ろしい以外の何物でもない。まして、一度祖国が滅んだ様を目の当たりにしているトロンにしてみれば、怖くて怖くて仕方がないはずだ。
「ついに来たか・・・千億の絶望どもめ・・・・!」
呻くようにクラーリィは呟いた。彼もまたあの戦いで母親を、そして兄代わりだったリュートという存在を失っている。魔族への怒りはエルに勝るとも劣らない。
加えて、今の彼はこの国を守護する大神官だ。リュートの後を継ぎ、その役目に就いた時から、スフォルツェンドはこの俺が守るという、強い責任感を抱いている。
エルとクラーリィとが使命感と魔族への怒りの感情をその瞳に強く浮かべている中、トロンはぶるぶると震え、フルートはそんな彼を優しく抱きしめ、心配そうにその顔を覗き込んでいる。
エルは唇を噛み締めた。
二人とも、魔族に肉親を奪われた子。これ以上、辛い思いなどさせたくない・・・・!
「フルート王女、トロン王子。あなた達はここにいて。まだ魔族達はここからは遠い場所にいるし、城の守りもサックス達クルセイダーズが固めてくれているはずよ。ここにいれば、安全だわ・・・・」
エルはぐっと胸元の十字架を握り締めた。ずっと身につけている、リュートの額の十字架。不老の法で法力を高め、更に十五年間修行は積んできたが、それでもあの頃のリュートの強さにはまだまだ及ばない。
それでも、この国を守りたい。この町に住む人々を守りたい。クラーリィも、トロンも、パーカスも・・・・・そしてエルにとっても家族である、何よりもリュートが命を懸けて守ったホルンとフルートを。
「エルさん、あなたはどうする気なの? まさか・・・・」
何かを察したらしいフルートの顔がさっと青ざめる。エルはそんな彼女を安心させるようににこっと微笑むと、凛とした声で言い放つ。
「私は魔法兵団第一番隊隊長だもの。魔族達を倒してこの国を守る。大丈夫、心配はいらないわ」
リュートを救い出すまで、自分は負けるわけにはいかないから。心の中で、今再び自分に誓う。
魔法で縮めてあった錫杖をスッと元のように長く伸ばすと、エルは今度はクラーリィにきびきびと指示を出す。
「全軍の指揮はあなたに任せるわ。私は一足早く戦場へ行って魔族を片付けてくる」
「はい・・・・お気をつけて」
クラーリィは礼をして戦地へと向かうエルを見送る。
エルの性格なら、真っ先に飛び出していくと思っていた。あの時から、リュートが魔族に奪われたその日から、彼女はずっと彼の分まで戦い続けてきたのだから。ベースへの、魔族への消えることの無い怒りと憎しみの炎を胸の中に宿して。
エルは再びにこっと微笑むと、転移魔法の陣を描いた。法力がエルの体を包み込み、その身を瞬時に戦場へと移動させる。
そこは、まだ安全だった城の中とは空気が違っていた。町が燃えているのだろう、熱風がエルの長い緑色の髪を靡かせる。逃げまどう人々の恐怖に満ちた悲鳴が聞こえる。醜悪な魔族達の雄たけびも聞こえる。
敵陣の真っ只中にただ一人舞い降りた彼女を、どう殺してやろうかと魔族達は降って湧いた獲物をぎらついた目線で睨めつける。
エルは堂々と大地に立ち、錫杖を構える。無数の魔族達に囲まれながらも、それに臆することなく勇ましく敵を見据えた彼女の様は、まさに、戦乙女の字名に相応しかった。
「スフォルツェンドは、私が守る!」
この国は、また戦火に包まれるだろう、けれど、全てをあの日と同じようにする訳には行かない。
誰かを失くす辛さを、出来得ることなら、もう誰にも味合わせたくは無いのだ。









第十三章へ









ハイ、とゆーわけで第二次スフォルツェンド大戦勃発です(何がとゆーわけでだ)
エルは第一次スフォルツェンド大戦の際に非常に悔しい思いをしているので、もう魔族に対しての敵愾心で燃えています。
また、他者に親しい人を奪われた哀しみを知っているので、フルートとハーメルに対するパーカスのやり方には納得行かないのですね(パーカスの気持ちは分かってはいても)。

何だか解説ばかりの後書きになってしまいました;


2006年11月28日



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