拒まれる可能性を。
どうして少しも考えなかったのだろう。




―第十章:再会のラプソディ―




エルは目の前にいる少女を見て、胸が一杯になっていた。
髪を二つに結わえ、桃色の帽子とスカートを身に着け、怪我をしているハーメルを気遣わしげに、そして自分達を不思議そうに見ているその顔には、ホルンや、そしてリュートの面影があった。
首には王家の証である十字架が下げられており、その少女はあのフルートに違いなかった。
当時のフルートは赤ちゃんだったから、当然覚えてはいないだろうけれど、実に十五年ぶりの再会だった。ホルンやリュートが命がけで守った子―――。ずっとずっと、逢いたかった。
正直、立派に成長した彼女の姿にじーんとなって、今すぐにでも抱きしめたい衝動に駆られたが、それを何とかエルはぐっと堪えた。一歩前に進み出て、あくまでも初対面のように(実際、ハーメル達とは初対面だが)振る舞う。
「驚かせてごめんなさいね。初めまして。私はスフォルツェンド魔法兵団第一番隊隊長のエレクトーンと申します」
緩やかに頭を下げながら言うと、ほんの少し、ハーメル達が緊張を解いたのが分かった。よくよく見れば、彼らの一行の中にはダル・セーニョ王子、トロン・ボーンの姿もあるではないか。
「エ、エル姉ちゃん・・・・」
スフォルツェンドとダル・セーニョは親交も深く、立場上顔見知りで、幾度か遊んだこともあるゆえに、トロンもまたエルに気が付くとその名を呼んだ。最後に会ったのは・・・・・そう、ダルセーニョが魔族に滅ぼされる数週間だろうか。
色々と話したいこともあったが、ハーメルが左腕に怪我を負っているので、まずはそちらの手当てが先だと思った。トロンに微笑だけ向け、またハーメルに視線を戻す。
「その怪我・・・・ちょっと見せてね」
すっと近付き、ハーメルの左腕の怪我に手をかざす。温かい光がエルの掌から溢れ、それは少しずつハーメルの怪我を癒していった。傷口が段々塞がっていく様に、ハーメルやフルート達は驚きを隠せない。
「なっ・・・・・」
「これでもう大丈夫よ」
エルはにっこりと微笑む。ハーメルの左腕の怪我はすっかり治ってしまっていた。ハーメルは不思議そうに右手でその治った辺りを撫ぜている。
彼はまだ全身に小さなかすり傷を負っていたが、それを手当てするのはフルートの方がいいだろう。そもそも、左腕の怪我だって、きっとフルートが手当てしたかったのに違いない。彼を心配そうに見ていたその表情からそれが分かる。血がかなり流れていたので、自分が先に魔法で治癒してしまったが、ちょっと余計なことだったかも・・・・とエルは思った。
「エル様」
不意にクラーリィがエルに近付き、耳打ちした。その意図はエルも察していた。先程からの騒ぎを聞きつけて、辺りの人垣が段々厚くなってきていた。これではますます騒ぎが大きくなってしまう。これ以上街中で話をするわけにはいかなかった。
エルは単刀直入に話を切り出す。
「あなた達のことは存じているわ。勇者ハーメルとその一行達。スフォルツェンド女王陛下ホルン様が、あなた達に是非会いたいと仰っています。これから、お城の方へご案内致しますね」
ハーメル達が呆気に取られる中、エルは用意してあった馬車に彼らを半ば強引に案内する。ハーメル達がまだ唖然とした顔のまま席に座ったのを確認すると、エルとクラーリィも自分達の馬車に乗り込んだ。
「いいんですか、一緒の馬車に乗らなくて」
本当はそうしたかったのでは、と思いクラーリィはそう言った。エルは少し複雑そうな笑みを浮かべた。
「うーん。本当はそうしたかったけどね。でも、フルート王女と勇者ハーメルの邪魔はしない方がいいかなーと思って」
何だか少しギクシャクしてたみたいだから、とエルは続けた。ならば部外者の自分が立ち入るよりは、とりあえず彼らだけで解決した方がいいだろう。
「それにしても、フルート王女があんなに大きく、可愛くなってるなんて。もう十五年も経つんだものね」
エルはしみじみとそう漏らす。
昔はあんなに小さな赤ちゃんだったのに、今では素敵な少女へと成長していた。エル自身は魔法で肉体の時間を止めてしまったけれど、フルートは流れる年月の中で当たり前のように歳を重ねていたのだ。
「リュートにも、逢わせてあげたいな・・・・・・」
ぽつりと呟く。本音だった。
母であるホルンより、兄であるリュートより、従姉妹である自分が一番に再会を果たしてしまった。ホルンはこれからフルートに逢えるが、未だ北の都にいるリュートは逢えるはずもない。フルートのことを本当に大事にし、誰よりもその成長を待ち望んでいたというのに。
「・・・・そうですね」
エルの心中を察し、クラーリィも静かに答える。
馬車の窓の景色は流れるように過ぎていき、もうすぐ着くであろうスフォルツェンドの城を思って、二人はふと黙り込んだ。








「でも、何でまたボクらをお城に・・・・・?」
ガラガラと音を立てて走るもう一台の馬車。ハーメルとフルート、ライエルとトロンの組み合わせで座席に座り(オーボウはトロンの肩の上にいる)、不思議そうにライエルが呟いていた。
「女王陛下がわしらに会いたいと仰っている、と先程の少女は言っておったがのう。そういえばトロン、先程の少女・・・・エレクトーンといったか。彼女とお主は知り合いなのか?」
オーボウの問いに、トロンはこくりと頷いた。
「ああ。エル姉ちゃんとは、前に良く遊んでもらったんだ」
「エル?」
「エル、っていうのは愛称なんだ。本名はエレクトーン=スフォルツェンド。魔法兵団第一番隊隊長をやっちゃいるけど、実は今の女王ホルン様の亡くなった妹アルト様の第一子、れっきとした王女様なのさ」
「へぇ〜・・・・・お姫様なんだ」
フルートが感心したように呟く。スフォルツェンドに着いたばかりの頃、そびえ立つ大きな城を見てどんなお姫様が住んでいるのだろう、と思いを馳せていたフルートだったが、さっそくその”お姫様”との対面が叶ってしまった。もっとも、最初は素敵なドレスを着たお姫様、といった想像をしていたので、魔法兵団に属し優しくも勇ましいエルの姿は少し意外だったけれど。そして自分も”お姫様”であることを、まだ知る由もないけれど。
「・・・・・ということは、あの少女はフルートの従姉妹になるんじゃな」
オーボウがそっとトロンに耳打ちする。頷きながらトロンも考えていた。エルは、そしてホルンは、フルートが実は王女であることを知っているのだろうかと。
「じゃあ、もう一人のあの青年の方は・・・・?」
今度はみんなにも聞こえる声でオーボウは尋ねる。トロンは少し考えて、首を振った。
「知らない。俺は会ったことない」
「そうか・・・・」
頷きながらオーボウも考える。態度や立ち居振る舞いからするに、彼はただの一兵卒には見えなかった。おそらく、彼もまた魔法兵団の中で上の立場にいるのだろう。
「・・・・・待てよ」
「どうしたんだい、ハーちゃん?」
「いやな・・・・・・長髪にタレ目に金髪・・・・あの手の顔とくれば、案外ホモかもしれん!」
「真剣な顔して何を考えとるんじゃおのれはぁぁぁっ!!」
どこからともなく巨大十字架を出してフルートがツッコむ。
―――恐らく今の台詞をクラーリィが聞いていたら、ハーメルは黒焦げになっていたに違いない。
「いってーな、何すんだよフルート!」
「・・・・・ったくもう」
フルートは喚くハーメルの左腕をぐいと引っ張る。先程の大怪我はエルが魔法で?治してくれたようだが、他にも小さい怪我は一杯あるのだ。自分を庇ったために、ついた傷。
バッグから救急セットを出して、フルートはその怪我一つずつを丁寧に消毒していく。ハーメルは困惑しながらも、何も言わずに顔を背けて、大人しく治療を受けている。
「私、まだ怒ってんだからね」
ふと漏らされたフルートの一言に、ハーメルはハッとして思わず言い返す。
「何だとてめー! 誰のせーで怪我したと・・・・」
「動かないでよ、しみるわよ!」
「いてっ!!」
わざと多めに消毒液をかける。走る痛みにハーメルは声を上げたが再び静かになった。
ガーゼで怪我の血を拭いながら、フルートは切ない気持ちで考えていた。
(こんな怪我までして・・・・いつもはあんなヒドいことや・・・・悪口ばかり言ってるのに、いざって時は助けてくれて・・・・・・)
先程の仕打ちや、今までにハーメルからされた酷いことがフルートの脳裏に蘇る。バニーガールの格好をさせられたり、売り飛ばされそうになったり、マリオネットで強引に寿命を縮めさせられたり・・・・・。
他にも上げたらキリが無いが、それでも、フルートが危なくなると、ハーメルは身を呈して守ってくれた。
(昔は”役に立つ道具”だからって言ってたけど・・・・今はどう思ってるのかしら・・・・・)
ハーメルは本心を見せない。捻くれた性格もそれに輪をかけているのだろうが、とにかく素直じゃない。
だから彼が本当はどう思ってフルートに接しているのか分からなかったし、だからいつか、知りたかった。
「・・・・・・・」
目を伏せて包帯を結ぶ彼女を、ハーメルはほんの少しだけ赤くなった顔で見下ろしていた。そんな二人を見て、ライエルやトロンはやれやれ、といった風に肩を竦めている。
と、いきなり馬車が止まった。
「着いたわよ」
前を走っていた馬車も既に止まっていて、降りてきたエルがハーメル達に窓越しに声をかけた。
自然と、五人は窓の向こうにそびえ立つ巨大な建物を見上げる。
「ここが、スフォルツェンド城よ」
エルの声にそこが城であることを知る。街に入る前からこの国のシンボルのように荘厳たるその姿が見え、実際にそれを目の前で見て、城のあまりの大きさにハーメル達は思わず口をぽかんと開けてしまう。どれだけの高さがあるのかまったく見当が付かなかったが、まるで空まで伸びているような・・・・そんな感じがした。
「あっ、あれ・・・・・?」
フルートは不思議そうに呟いた。初めて見たはずの城。なのに。
(このお城・・・・・どこかで・・・・・・)
ふっと浮かぶ既視感。
けれどいくら記憶を手繰っても、この城に来た覚えは、やはり無い。
(気のせいかな。でも・・・・・・)
何故だか、胸のつかえが取れなかった。エルに促されて馬車を降り、直接城を見上げてからも。
「ごめんなさい、私、一足早く先に行って、ホルン様にお知らせしてくるわ。クラーリィ、後の案内よろしくねっ!」
ぺこり、と一礼して、何故だか嬉々としてエルは城の中に走って行ってしまった。ふわり、となびく長い薄緑の髪に、フルートは再び既視感を覚える。
(あの人にも、どこかで会った気が・・・・・?)
「こっちだ。ついて来い」
フルートの思考は、クラーリィのどこか冷たい声に遮られた。ニコニコしてハーメル達と接していたエルと対照的に、クラーリィは険しい表情を崩そうとしない。
とてつもなく大きな扉をくぐってからも、クラーリィからは”城を案内する”といった感じはまったく伝わってこず、むしろ”こっちだから勝手について来い”といった風に、突き放したようにハーメル達を振り返ることもせずただひたすらに廊下を歩いていた。
そんなクラーリィの高慢な態度に、気が長い方ではないハーメルやトロンが不満の声を上げていた。
「何なんだよあんたのその態度! どーせ案内してくれるなら、さっきのお姉ちゃんの方が良かったぜっ!」
「そうだぞ無礼者! 余を誰だと思っている!」
「・・・・・・ちっ」
クラーリィは小さく舌打ちして足を止めた。振り向かずにそのまま言葉を返す。
「ダル・セーニョの王子だろう。魔族どもに滅ぼされた情けない国のな・・・・。剣技の国とか大口を叩いておいて、ああも脆く全滅するとは笑い話にしかならんがな」
「何っ!?」
クラーリィの冷たい言い草にトロンはカッとなる。それに構わずクラーリィは続けた。
「我が国の守護国だったらしいが、自国も守れぬ騎士では何の役にも立たんな・・・・」
「無礼者! 父も母も立派に戦ったんだぞ! それを侮辱するかー!!」
あまりの言い様に、トロンは背中の剣を抜いた。敵意むき出しのトロンだったが、それでもクラーリィはそんな彼を一瞥して、更に言い放った。
「負け犬のガキが吠えるな。ハーメルどもにくっついて・・・・勇者ごっこしている奴がな」
「何だとこのタレ目ー!!」
剣を振り回して暴れるトロンを、ライエルが必死に押さえ込んでいる。それでも顔色を変えず、冷たい眼差しのまま、クラーリィは内心溜息を吐いていた。
十五年前―――自分は今のトロンより幼かった。それでも、ホルンを守りリュートを助け、それにエルも支えたいという一心でサックスらと共に魔法兵団に入った。それから懸命に肉体や法力を鍛え上げ、今、こうして自分はリュートの次の代の大神官となることができた。
そう、リュートがスフォルツェンドからいなくなった後、その代わりの大神官はエルかと思われた。実際、多くの高官達からそれを望む声が上がっていたらしい。
しかしエルは、それを謹んで辞退した。理由は二つ。一つは、エルはリュートと一緒に戦っていた頃と同じ第一番隊隊長のままでいたかったこと。
もう一つは、次の大神官はクラーリィであって欲しいと、そう強く願っていたこと。
それは、彼女がリュートの予言を信じていたからでもあるし、クラーリィの頑張りを知っていたからでもある。エルやホルンの期待に応えようと、またそれ以上に彼女らの力になりたくて、人一倍修行し、学問を学び・・・・クラーリィはそれこそ死に物狂いで、頑張ってきた。
そうして大神官不在の数年を経て、彼自身がその席に着くことができたのだ。
それに比べれば、祖国を滅ぼされ魔族に両親を殺され、それなのに口先ばかりで何もしようとはせず、ハーメル達なんかにくっついて勇者気取りでいるトロンが、酷く甘く思えたのだ。
「お主・・・・何故わしらのことを知っておる?」
トロンがライエルの腕の中でもがき、ハーメルやフルートも剣呑な表情を浮かべる中、オーボウが羽音を響かせながらクラーリィに近付いた。
口を動かすのもやめないまま、尚も近くへと飛んでいく。
「警戒の厳重さも気になるし、それに女王陛下がわしらに会いたいとおっしゃっているのに、おぬしのその態度は・・・・・。そして”千億の絶望”とは一体・・・・・?」
国内に入る前に耳にしたその単語を口にした途端、クラーリィの腕がすっと伸びた。右手をぴたっとオーボウの体に当て、鋭い目で睨みつける。
「お前・・・・魔族の”気”を持っているな。それも飛びっきり上等の・・・・」
「!!」
オーボウが表情を変えた。即座にクラーリィは右手の掌に魔法陣を出現させる。陣に囲まれてオーボウは身動きができない。
「オ、オーボウ!」
「消し飛ばしてやろうか・・・・・」
五つの希望の一人(一匹?)とはいえ、魔に属する存在であるのは間違いない。とはいえ、本気で消し飛ばそうと思っているわけでは勿論ないが、それでもクラーリィは掌に法力を集中させた。
「てっ・・・てめぇ・・・・・!! ザケんなよコラ! オーボウを放せ!!」
カッと怒りが跳ね上がったハーメルは声を荒げる。クラーリィに掴みかかろうとした寸前、しかし周りにいた兵士達が一斉にハーメル達に槍を向けた。動きが止まる。
「控えろ! このお方を誰だと思っておる!」
「ちっ」
クラーリィは後ろ手にオーボウを放り投げた。フルートが慌ててキャッチする。
「このお方はな、スフォルツェンド魔法兵団十万騎を束ねる兵団隊長、大神官クラーリィ・ネッド様であらせられるぞ!!」
「大神官!?」
「十万騎の兵団隊長!?」
兵士の言葉に驚き、色めき立つハーメル一行。
成程、確かに魔法兵団の中でも幹部クラスだとは思っていたが、それにしてもまさかトップだったとは。
「どっ、どおりで」
「只者じゃないとは思ったけど・・・・」
「だが・・・・、ホモなんだろう?」
「いきなり何を言い出すんだ貴様はっ!!」
額に怒りマークをいくつも浮かべて、両手に法力を集めるクラーリィ。
しかしすぐにふっと力を抜いて法力を霧散させる。
「ちっ。これが”五つの大きな希望たち”とはな」
呆れたような口調だった。
「やがてスフォルツェンドに巨大な絶望が来る・・・・。女王様の予言では、お前らがかなりの力になるらしいが・・・・。
スフォルツェンドを守るのは、我ら魔法兵団だけで十分だ!!」
大神官の証であるイヤリングにクラーリィは触れた。これを賜った時から、ずっとエルや魔法兵団と共にこの国を守ってきたのだ。それが自分達の役目であるし、自負もある。今までずっとそうだったのに、それなのに、どうしてこんなふざけた連中と協力できるだろうか。
「悪いが俺は、エル様のようにお前達を認めたわけじゃないんでな」
目線だけをハーメル達に向け、吐き捨てるようにクラーリィは言った。
リュートやホルンの予言を信じたいというエルの気持ちは分かる。分かるが、現れたのはイマイチ信用ならない連中。こんな奴らにスフォルツェンドが守れるか、と、クラーリィはハーメル達を認めたくなかった。
ハーメル達は彼の静かな迫力に押されてごくりとのどを鳴らす。フルートの手の中のオーボウは、先程の魔法陣のせいで酷く体力を消耗し、苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。
クラーリィの仕打ちに我慢ならなかったフルートは、とうとう彼に詰め寄った。
「ちょっと! 酷いじゃないのよ、あなた! 何でこんなことするのよ、トロンのことだって知らないくせに! それでも人間なのー!!」
仲間を思いやるからこそのフルートの怒りにクラーリィは目を細めた。
やはり血筋なのか。自分のことよりも他者を想う、そんなところはホルンやリュート、エルを髣髴させた。
「・・・・ご無礼を」
「えっ?」
突然畏まって頭を下げたクラーリィに、フルートは戸惑いを隠せない。
と、廊下の向こうからエルがやって来るのが見えた。
「・・・・どうしちゃったの、この雰囲気」
戻ってくるなり、エルはそう言い放った。それは何だかあまり宜しくない雰囲気が漂っていたからに他ならないのだが。
どこか少し気まずそうな顔のクラーリィと訝しげに彼を見ているハーメル達を交互に見て、エルはピンと来た。
「はは〜ん・・・・・さてはクラーリィ、あなた勇者ハーメル達に何か変なこと言ったでしょ」
「・・・・言ってませんよ」
クラーリィは目線を逸らす。変なことを言っていないのは確かだが、かと言って褒められるようなことを言っていないのも確かで。
「ごめんなさいね。クラーリィはプライドが高いから、失礼なことを言ったんじゃない? 代わってお詫びを言うわ」
「エ、エル様」
どんどん話を進めていくエルに、クラーリィはますますバツの悪そうな顔になる。ハーメル達はというと、いきなりのこの展開に唖然とするばかりだ。
微苦笑で謝っていたエルだったが、ふと、真剣な表情を浮かべた。
「・・・・トロン王子」
トーンが落ちた声に、トロンははっとしてエルの方を見た。
エルは先程までの朗らかな表情とはうって変わり、沈痛な面持ちで眉根を寄せていた。
「ごめんなさい・・・・ダル・セーニョを、あなたの国やご両親を守れなくて・・・・・」
「・・・・・・。エル姉ちゃんが、謝ることじゃないよ・・・・」
トロンは俯き、上着の裾をぎゅっと握り締めた。
「あの時、魔族は奇襲に近かったから。いきなり城を一気に攻めたから・・・・援軍が間に合わなかったんだって聞いた。でも、それはエル姉ちゃんのせいじゃないから・・・・・・魔族が全部、悪いんだから」
泣くのを堪えるような顔で、そしてどこか自分に言い聞かせるようにトロンは言った。
ダル・セーニョに魔族が侵攻した、という知らせがスフォルツェンドに届いた時、エルはすぐさま魔法兵団と共にダル・セーニョへと向かった。だが、既に魔界軍は軍王四人で即座に城を攻め滅ぼし、彼女らが着いた時にはもう、城は焼け落ちていたのだ。
だから彼女は、知らなかった。トロンの父、ダル・セ−ニョ王シュリンクスを殺したのは、他でもないベース、リュートであることを。
「魔族が全部、悪いんだからさ」
「・・・・そうね。そうかもしれないね・・・・」
もう一度言い、ぎこちなく笑顔を浮かべたトロンに、エルもまた少しだけ笑みを浮かべてみせる。
「それに、俺はいつか、絶対にこの剣で父さん達の仇を討ってみせるからさ」
トロンはへへっと笑って剣を掲げた。そうしてそれを鞘に戻す。柄から手を放さないまま、続けた。
「いつか、父さん達みたいに・・・・強い剣士になるんだ」
「ええ、きっとなれるわ、トロン王子。シュリンクス王のように・・・・」
エルの励ましにトロンはまたへへっと笑ってみせた。
が、ふと、今度はトロンが真剣な表情になった。
「あのさ、エル姉ちゃん、実はさ・・・・」
トロンは一瞬だけフルートを見遣った。その視線を追って、エルは彼の言わんとしていることを察する。もしかしたら、トロンはフルートの正体に気が付いているのかもしれない。
エルは黙って頷き、チラッと目線を走らせた。クラーリィも右手を左胸に当て頭を下げる。ハーメル達もつられるようにしてその目線の先を見た。
ごたごたしていて今まで気が付かなかったが、ここは大きな広間のようだった。槍を持った多くの兵士達が壁際や絨毯の両脇に控えている。
そして、丁度ハーメル達がいる正面に位置する階段の上に、一つの人影が見えた。 ゆったりとしたローブを着てマントを羽織り、十字架の紋様の入った長い杖を手にしている。ゆっくりと降りてくるその姿からは、気品のようなものが感じられた。
「えっ・・・・? ま、まさか・・・・」
数メートル先に降りてきたその人は、鼻から下を薄布で隠してはいるが、優しそうな色を湛えた瞳から女性だということが分かる。
まさか、そのまさかじゃないだろうか。
息を呑み、体を強張らせるハーメル達。エルが静かな声で告げた。
「その方が、スフォルツェンド女王陛下、ホルン様よ」
「あれが、女王・・・・・」
ハーメル達が茫漠とホルンを見つめたまま突っ立っていると、控えていた兵士達から鋭い声が飛んできた。
「下がらんか貴様ら!女王様の御前であるぞ!」
「は、ははっ!」
慌てて膝をつくハーメル達。エルは内心、もう、と思う。それが役目だから仕方がないとはいえ、兵士達ももっと穏便に行かないものかと。
「あれが女王か・・・・?」
「みたいだけど・・・・でも何で女王陛下はボクらに会いたいなんて・・・・?」
ヒソヒソ声でハーメルとライエルは言葉を交わす。
それを聞きながら、フルートはその女王に、城を入る前に感じていたような既視感を、また感じていた。
(あ、あの人・・・・・)
「頭を上げて下さい、皆さん。そんなにかたくならないで・・・・」
穏やかでふわりとした、優しい声だった。ホルンは穏やかに微笑みながら非礼を詫びる。
ハーメル達も体の強張りを解いて、ゆっくり立ち上がった。
「少し手荒なこともあったようですね・・・・ごめんなさい。大神官のクラーリィは少し不器用でね。責任感の強さゆえ無礼な形になってしまって、許してやって下さいね」
「もっ、申し訳ございません、ホルン様!」
クラーリィは、まるで母親にいたずらを窘められて照れた子どものような顔になった。それを微笑ましそうに見つめながら、ホルンは今度はハーメル達に目を向ける。
「あなた方のことはよく存じておりますわ。勇者ハーメル達。北へ災いを鎮めるための旅・・・・そしてそのご活躍ぶり・・・・ご苦労様です。今日はゆっくりこのスフォルツェンドで旅の疲れを癒して下さい。あなた方は私の大切なお客様なのですから。”五つの大きな希望たち”なのですから。
そして・・・・トロン王子」
ホルンはすっと左手をトロンに伸ばした。トロンはもじもじしながら、ゆっくりとホルンを見上げる。
ホルンの温かい掌が、トロンの頭を撫でていた。そうして慈愛に満ちた瞳で。
「あなたの国があのような事になって、とても辛かったでしょう。今までその小さな体で、よく、耐えてきましたね・・・・」
にっこりと微笑む。トロンは、その微笑が母親のそれと重なって見えた。
母を思い出し、そして緊張の糸が切れ・・・・・トロンはばっとホルンに抱きついて泣き出した。
「ホルン様ぁ―――っ!」
歳相応に泣きじゃくるトロンを見て、ライエルとオーボウも感嘆の声を漏らす。
「あの強がりのトロンが、あんなに素直に・・・・・」
「うむ。どうやら評判通りの慈愛に満ちた優しいお方のようじゃのう・・・・」
温かく、優しい雰囲気が満ちる。
ホルンがトロンをそっと抱きとめるのを見て、何故だかフルートの胸は小さく疼いていた。
(何かしら・・・この雰囲気・・・・・・・何か、何か懐かしい・・・・・・・)
ドキドキするのとは違う、胸騒ぎに近いような、それでいてどこか温かいような。
どうしてそんな風に感じるのかも分からず、フルートは困惑していた。
初めて会ったはずなのに。どうして、どうして懐かしく感じるのだろう?
「・・・・・あの、ホルン様、実はお話が・・・・・」
「ええ、分かっていますよ」
顔を上げ、意を決した風に告げたトロンに、ホルンもゆっくり頷いた。
ああ、とエルは思った。
ああ、ついに待ち焦がれたこの時が来たのだと。
「十五年もの間・・・・国を挙げ兵を挙げ全てを挙げて、懸命に捜したのですが・・・・・何の手がかりも得ぬまま月日は流れました・・・・・。ですが、ようやく真実の鏡は私に応えてくれたのです。私の願いを・・・・・」
ホルンは一度そこで言葉を切り、フルートに向き直った。
顔が綻ぶ。胸が熱くなった。
それは、その場にいるエルも同様で。
「十五年前に失くしたもの・・・・私の赤ちゃんを・・・・・」
ホルンは口元の薄布を取った。
ハーメル達は思わず息を呑んだ。その言葉は衝撃的だったし、何より。
その顔が、フルートに似ていたので。
「こんなに立派になって・・・・・」
ホルンは涙で視界を滲ませながらフルートに歩み寄る。呆然と立ち尽くしたその少女には、十五年前のあの赤ちゃんの面影があった。
両の手で抱えられるほど小さかったのに、こんなに可愛らしく、大きくなって。
やっと娘に会えた喜びで胸が一杯になって、ホルンは腕を広げてフルートを包み込むようにして抱きしめた。柔らかく、温かい感触が、娘が確かに戻ってきたという実感をホルンに与えた。
「お帰りなさい・・・・フルート。私の子・・・・・・」
あの時、リュートが命をかけて守った子。一度手放し、そのまま行方不明になって絶望し・・・・・けれど再会を信じ、待ち続けた子。
リュートもフルートもいないまま過ごしたこの十五年間。
エルやクラーリィ、パーカスらは側にいたし、自分を慕ってくれる国民もいて満たされてはいたけれど、それでも常に喪失感は付きまとっていた。
寂しかった、苦しかった。けれど、今こうして、
やっとやっと・・・・・逢うことができた。もう一度この腕に抱くことができるなんて。
ホルンはフルートを抱く手に力を込めた。
エルはホルンの気持ちが痛いほどに良く分かったし、そして同じように嬉しかった。フルートも、やっと母に会うことができて、喜んでるに違いない。そう思い、エルは満面の笑みを浮かべ二人に近寄ろうとした。
その時だった。
「・・・・・嘘よ!!」
フルートが、力いっぱいホルンを突き飛ばした。
慌ててエルとクラーリィ、パーカスが倒れたホルンに駆け寄る。
膝をついて起き上がったホルンは、信じられないといった風に、自分を突き放した我が子を見た。
「フ、フルート・・・・・」
「嘘よ・・・・私にお母さんなんかいないもん! お母さんなんか・・・・・!」
フルートは小刻みに震え、茫然とした顔をゆっくりとホルン達に向けた。
揺れる瞳で戦慄く唇で、懸命に言葉を紡いでいた。
けれどその言葉を、ホルンやエルは聞きたくなかった。一番聞きたくなかった、拒絶の言葉―――。
「私の・・・・私の本当の両親は、スタカット村の人達だもん・・・・・・おじいちゃん達だもん!!」
ばっと身を翻し、フルートはホルンに背を向けて駆け出した。泣き声だった。
誰も彼女を追えなかった。
ハーメル達は呆然と立ち尽くし、ホルンはショックのあまり泣き出してしまった。
そしてエルも、足が凍りついたようにそこから動けなかった。
―――いきなりの母親との再会でも、フルートならきっと解ってくれると思った。
最初は戸惑っても、段々と受け入れてくれると思った。そうしてホルンのことを、彼女が最もフルートから聞きたかった言葉で・・・・・・”お母さん”と、呼んでくれると思った。なのに。
衝撃で真っ白になったエルの頭に、幾つもの思いが浮かんでいた。
どうしてこうなってしまったのだろう。どうしてすれ違ってしまったのだろう。
拒まれる可能性を。
どうして少しも考えなかったのだろう、と。










第十一章へ














何だか視点がころころ入れ替わってますね・・・・・。
いきなりだったから仕方ないとは言え、フルートにこんな風に拒絶されて、この時のホルン様はさぞ辛かったろうなぁ、と思います。フルートも、自分はずっと捨て子だと思ってたから、何を今更、って言う気持ちもあったろうし、いきなり言われてびっくりしただろうし・・・・。
ドラマCDだと、BGMもあいまってここのシーンはほんとドラマチックです。台詞等、ドラマCDの方を参考にしてるとこもあったり。

話は変わりますが、エルとクラーリィの掛け合いが、書いてて楽しいし、お気に入りのシーンです♪
そういえばDSに魔族が来た際のこと、小説内ではああ補完してますが、実際どうだったのでしょうねぇ。

久々の更新でホントすみません;




2005年8月15日






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