それは、まだ幸福だった頃の話。





―第一章:少年と少女―




戦場を、一人の少年が駆けていた。
深い青の髪を揺らし、十字架型の剣を持った彼は、その凄まじい法力で襲い来る魔族を倒していた。
人類の守護神―――そう謳われるスフォルツェンド公国第一王子、リュートその人である。ようやく最後の魔族を斬り伏せ、彼はふうと息を吐いた。と、その時、
「リュート、大丈夫!?」
背後から可憐な声が響き、振り向いてリュートはにこっと笑った。
「やぁ、エル。君も無事みたいだね」
「何とかね。それよりリュート、あなた酷い怪我じゃない!」
エル、と呼ばれた少女は、長い薄緑色の髪をなびかせながらリュートに近付いた。リュートの右肩からは真新しい血が滲み、彼の法衣を鮮やかな赤に染めている。
「これ位、大した事ないよ」
「またそーやって我慢して・・・・ま、いいわ。貸して御覧なさい」
エルはリュートの制止も聞かずに彼の右肩に手をかざす。ぽう、と温かい柔らかな光が彼女の掌に溢れ、それはリュートの怪我を癒していく。
エルの手から伝わってくる温もりに、リュートは穏やかな微笑を浮かべた。
「ありがとう」
「・・・・どういたしまして」
優しく礼を言われて、エルは思わず赤くなってしまう。傷口が塞がったのを見計らって、エルは手を引っこめた。
「さて、そろそろスフォルツェンドに帰ろうか」
「そうね。ホルン様に報告しなくちゃね」
二人は転移魔法の陣を描き、その姿はふっと空気に溶け込むようにして消えた。
彼らの故国である、スフォルツェンドへと帰還したのである。







リュート=スフォルツェンド。
現女王・ホルンの第一子にして第二王位継承者。国を守護する大神官でもある。
類稀な法力を持ち、魔族からは”スフォルツェンドの魔人”と恐れられ、人々からは”人類の守護神”と尊敬されている。
強く、優しく、賢く、頼もしく・・・・そんな彼の人柄は、誰からも慕われていた。
そんな彼の従姉妹に当たり、また乳兄妹でもあるのが、エルことエレクトーン=スフォルツェンド。
彼女の母はホルンの妹アルト。しかしエルが生まれてすぐに両親が流行り病で亡くなったため、彼女はホルンの元でリュートと共に育った。
彼女も相当な法力を持ち、魔法兵団第一番隊隊長として、リュートと数々の戦線を掻い潜って来た。強さと美しさと慈愛を湛えた彼女を、人々は”スフォルツェンドの戦乙女”と呼んだ。
兄妹のように、幼馴染のように、戦友のように二人はずっと過ごしてきた。胸のうちにかすかな想いはあっても、今はまだそれを打ち明けなくていい、リュートと一緒にいられるのなら。エルはそう思っていた。そしてこれからもそんな日々が続くのだと―――
その時は、そう信じていた。











「ただいまっ、母さん!」
「ただいま戻りました、ホルン女王陛下」
揃って帰ってきたリュートとエルに、ホルンは柔らかな笑みを浮かべた。息子であるリュートは勿論、手元で育ててきたエルは、姪とはいえ実の娘も同然、大切な存在。二人とも無事で戻ってきた事に心底安堵する。
「お帰りなさい、二人とも。でもね、」
ホルンはこほんと咳払いを一つ。
「リュート、皆の前では、母親であっても陛下と呼ぶべきですよ」
「あっ、ごめんなさい、うっかり・・・」
しゃきっと背筋を伸ばすリュートに笑みを漏らしながら、エルは複雑な心境になる。
(陛下、か―――仕方がないこととはいえ、リュートも寂しいだろうな。ホルン様も・・・・)
本当は、リュートもホルンも、素直に親子として向かい合いたいに違いない。けれど、彼らは王家の人間、公の場では女王と王子として他人行儀に接するしかない。
元々、ホルンは公務で忙しく、親子の時間を作りたくても作れなかった。幼い頃はそれが淋しかったに違いないのに、それでもリュートは泣き言一つ言わず、むしろ笑顔で「母さんは女王だもの。この国を守るのがお勤めだからね」と、母親の公務を見守っていた。
エルも寂しかった事に違いはないが―――彼女はリュートが本当は寂しがっているのに気付いていたから、余計苦しかった。
それでも、リュートがいたから。同じ立場のリュートがいたから、平気だったのだ。
「それより、フルートはどう?」
弾んだリュートの声に、エルはハッと意識を引き戻される。リュートは嬉々としてホルンとそのお腹の中にいる赤ちゃんに話しかけていた。
そう、リュートは彼の妹(まだ産まれていないので性別は分からないが彼はそう確信している)に夢中なのだ。
「もう、リュートったら・・・そう簡単に生まれないわよ。それに、またその名前で呼んで・・・・」
まだ男の子か女の子かも分からないのに、とホルンは苦笑する。
「いや、ボクには分かるんだよ! その子はフルートっていってすっごく可愛い女の子で、とっても優しい子なんだよ!」
「本当かしら?」
リュートの熱い語りっぷりにエルもくすくす笑う。
スフォルツェンドは代々女王国家、女子の誕生が切に望まれる。男子が産まれれば、その子は大神官として国を守る。そんな制度が遥か昔からずっと続いてきた。
要は、女子しか世継ぎにはなれない。しかし、そんなことはリュートにとっては二の次で、とにかく彼は可愛い妹が欲しくて堪らないのだ。
「ああ・・・早く産まれないかなー・・・・」
「そんなこと言って、早産だったらどうするのよ。・・・まぁ、気持ちは分かるけどね」
エルも実のところ、ホルンの第二子誕生を心待ちにしている。性別がどちらであれ、年の離れた妹か弟ができるのが楽しみで仕方がないのだ。
できれば、エルも女の子が良かったが。ホルンやリュートに似たら、それはそれは愛らしい姫君である事だろう。そしてその時多分自分は、リュートがその子を溺愛しているのを見て、少し嫉妬してしまう事だろう。
「・・・さて、それではそろそろ見回りに行って参ります」
名残惜しかったが、そろそろ巡回の時間になるので、リュートはホルンの側から離れた。最近、魔族達の動きに不審なものが多い。だから、警備は万全にしておかねばならない。
「行こう、エル」
「ええ、行ってきます」
リュートとエルは礼をしてホルンの部屋を後にする。と、部屋を出る直前、ホルンが二人を呼び止めた。
「二人とも、気を付けてね・・・・」
「「はいっ!」」
揃って元気な声で返事をし、今度こそ二人はその部屋を去る。パタン、と音を立ててしまった扉を、ホルンは切なそうに見つめていた。
大神官と第一番隊隊長という立場にあるとはいえ、二人ともまだ十七歳。そんな若さの二人に、この国や近隣の国々の守りをほとんど任せ切りにしてしまっている。重い苦しみを、痛みを、二人に背負わせてしまっている。そんな彼らに母親として何もしてあげられないのが、ホルンには辛かった。
だからこそ、せめて二人の待ち望んでいる赤ちゃんは無事に産みたいと。
そう思って、ホルンは大きなお腹をさすった。









巡回に行く途中の二人を、城の子ども達が目ざとく見つけて追いかけてきた。スフォルツェンド城の中には高官や大臣の居住区があり、そこに住んでいる子ども達だ。リュートやエルを、王子、王女と分かっていながらも、実の兄、姉のように慕っている。
「リュート兄ちゃん! エル姉ちゃん!」
「遊んで、遊んでー!」
「魔法見せてー!」
あどけない笑顔でそうせがまれると二人は断れない。元より断る気もなく、リュートは空の見えるテラスで、とっておきの魔法を子ども達に披露していた。
リュートの魔法で生み出された純白の鳩が、青空へと羽ばたいていく。それを歓声を上げて喜ぶ子ども達。嬉しそうに微笑むリュート。そしてそれを見て、エルもまた笑みを浮かべる。
魔族が世界のあちこちで暴れ回っていることは知っている。自分達もしばらくしたら、また戦場へと行かねばならない。
けれど、それでも、今この時は、この平穏を噛み締めていたい。幸福を味わっていたい。
その事をエルは願っていた。そしてできれば、そんな平和が続いて欲しいと。
そう、それは、まだ幸福だった頃の話。








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ついに書き始めてしまいましたオリジナルハーメルン・・・・。ドリームにしようかオリジナルにしようか散々悩みましたが、元々の発想が後者としての物だったので、潔く(?)オリジナルに突っ走る事にしました。
しばらくは過去編が続きますが、エルやリュート、もちろんハーメル達とも末永くお付き合い頂けたら幸いです。




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