―第九章:傷だらけのツバサ―


「どうしたんですか? ぼーっとしちゃって」
「え? あ、何でもないよ」
いきなり顔を覗きこんできた宗次郎に、はすぐに笑みを作って言葉を返した。宗次郎はその返答に「そうですか?」と半分疑問符を浮かべながらも納得する。
ここのところ、はこうして考え込むことが多くなっていた。宗次郎がそれについて尋ねても、はいつもうまくはぐらかしてしまうから、彼がその内容を知ることは無かったのだけれど。
けれど、宗次郎は彼なりにのことを気にかけていたのだ。
さん。煉獄の準備は僕一人で行って来ますから、ここで休んでいて下さい」
珍しく強い口調で宗次郎は言った。道の途中にたまたまあった甘味処の腰掛けに、の肩を押さえて強引に座らせた。
「え、私は大丈夫だって。一緒に行くよ」
「ダメです」
の申し出にも即却下。
本当に珍しいこともあるものだと、は面食らった。
今、宗次郎との二人は、近日に迫った志々雄の京都破壊計画の準備の真っ最中だった。切り札ともなる戦艦『煉獄』の用意を、宗次郎は任されていた。はそれを志々雄から直接頼まれたわけではなく、宗次郎が行くなら私も、といった風にくっついてきたようなものだったが。そしてそれを、宗次郎も受け入れてくれていたのに。
が不満気に宗次郎を見上げると、笑顔を浮かべる彼と目が合った。
「すぐに片付けてきますから、ここで甘い物でも食べて待ってて下さい。最近、何だか疲れてるみたいだし、無理しない方がいいですよ」
「でも・・・・」
「ね?」
にっこりと微笑まれると、は何も言えなくなってしまう。少しばかり間を置いて、はこくりと頷いた。
「良かった。じゃあ、行ってきます」
「・・・行ってらっしゃい」
ほっとしたような顔で去って行く宗次郎を、は小さく手を振って見送る。
しばらくは笑みの形を作っていた口元が、宗次郎の姿が見えなくなると、途端にきゅっと引き結ばれた真一文字の形になる。
京都の街から少し離れ、田畑が広がるのどかな光景の中にぽつんと立った一軒の甘味処。ぽつりぽつりと歩く人の姿を見ながら、は溜息を吐いた。
頬杖をついて、ぼんやりと目の前の風景を眺める。ふと、視界の隅に見知った人がいた気がして、はばっと顔を上げた。
向こうもに気が付いたらしい。驚いた顔で、その人はその場に立ちつくしていた。
「・・・・操ちゃん」
ちゃん!?」
「どうしてここに」
「こっちの台詞よ、それはっ!」
ハッと我に返った操は、の方にタタッと走り寄ってきた。腰掛に座ったまま、は目の前の操を見上げる。心なしか、以前よりほんの少しやつれたような気がする。
操は操で、の所に走り寄っては来たものの、次に何と言葉をかけたらいいか分からない、といった顔をしていた。は笑みと溜息を同時に漏らして、自分の隣を示した。
「とりあえず、ここ座ったら?」
「う、うん」
操は素直にストンと腰を下ろす。二人の間に何となく沈黙が落ちた。
操が先にに声をかけようとし、けれど丁度その時、若い女の店員が二人の元へ注文を取りにやってきた。
「あ、私はお団子で」
「あたしも」
同じ物を頼むと、店員は会釈をして去っていった。程なくして、さっきと同じ店員が二人分の串団子とお茶を持ってきた。それぞれに財布を取り出し、勘定を払う。
が団子の一つを頬張ると、口の中にほんのりと甘い味が広がった。
「おいしい」
「うん」
操も団子をおいしそうに食べている。その横顔をチラッと見て、から先に話題を切り出した。
「あのさ、操ちゃんはどうしてこんなトコに?」
「気晴らし・・・・かな」
操は微苦笑を浮かべた。一口お茶をすすって、の方を見る。言おうか言うまうか、迷ってるような表情だった。
「・・・・何?」
「あのさ、ちゃんだから訊くけど、蒼紫様は・・・・・・」
そこまで言って、操は言葉を飲み込んだ。そのまま黙り込んでしまう。
が代わりに口を開いた。
「四乃森さんが、どうかしたの?」
促すと、操は力無く首を振った。
「やっぱりやめとく。やっと、気持ちの整理がついたとこだから・・・・・」
俯いて、小さく笑みを浮かべる。くるくると表情が変わっていた新月村の頃とは随分と違う、沈んだ表情。
も何も言えなくなる。操と蒼紫がどんな関係にあったのかは知らない。それでも、緋村抜刀斎を斬ることに全てを賭け、かつての同志を見捨てた蒼紫。彼のことを考えると、操も胸中、複雑なのだろう。
操は何を、訊こうとしたんだろうか。
「・・・・四乃森さんは、健在だよ」
それだけを、は答えた。それが操の望んだ答えかどうかは、分からなかったけど。
「そう・・・・・」
どこか安心したような、寂しそうな表情を操は浮かべた。
それから、いきなりお茶をぐいっと煽る。ごくごくっと一気に飲んで、お団子もパクパクと食べた。
「み、操ちゃん?」
「ん〜、おいし〜!」
は呆気に取られて操を見た。操は吹っ切れたような明るい笑顔を浮かべていたが、は思う。これは、彼女は自分を誤魔化してるんじゃないだろうか。虚勢を張ってるだけじゃないだろうか。或いは―――これが彼女の強さなのか。
「そー言えば、ちゃんはどうしてここに?」
操は話題をいきなり変えた。
やっぱりこれ以上、四乃森さんのことには触れたくないのかも。
そう感じたは、操の疑問に正直に答えた。
「宗の任務にくっついてきたんだけど・・・・お留守番みたいなものかな。ここで待っててって言われちゃった」
は苦笑してぽりぽりと頬をかく。反対の手で最後の団子の串を取り、口に運んだ。
ここのお団子はおいしかった。けれどそれも、二人で食べたからかもしれない。もしも操に偶然再会しないで、一人でここにいたら、これ程までにおいしいとは、感じなかったかもしれない。
「・・・・ねぇ、ちゃん」
「ん?」
が団子を食べ終え、その串を皿に置くと、意を決した風に操が言った。
「やっぱりちゃんは、志々雄から離れる気は無いの?」
「・・・・・・」
またその話か、とは内心思う。けれど、操は心配そうな顔でを見ている。
新月村以来、ずっと気にかけていてくれたのだろう。が、操のことを気にしていたのと同様に―――けれど。
「言ったよね。私は、私のやり方で家族の仇を討つって。だから、一緒には行けないって」
あの時と同じように。はっきりとは言った。
操はそれをほんの少し唇を噛み締めて聞いていたが、拳にぎゅっと力を込めると、静かに口を開いた。
「栄次のこと・・・・覚えてる?」
「・・・・覚えてるよ」
突然出てきた名前に、はぴくっと反応した。新月村で、尖角に家族を惨殺され、その仇を取ろうとしていた少年―――。
尖角は剣心に倒され、その後栄次の敵討ちの行方を見ないままは新月村を去ったから、その後彼らがどうなったのか、知ることは無かったけれど。それでも、胸の奥にそのことが引っかかってはいた。
「栄次君が、どうかした?」
「栄次はね、結局家族の仇は取らなかったの」
「・・・・諦めちゃったんだ?」
あんなに尖角を憎んでいたのに。
揶揄するように言うと、操は反論する風でもなく、ただの目を見据えた。
「緋村が、栄次に言ったの」
切なさの中に強い意思も秘めた、そんな瞳で。
「死んだ者が望むのは、敵討ちではなく」
一言一言、はっきりと。
「生きている者の、幸福だって・・・・・」
どうかに、届くように―――。
「あたしも・・・・そう思う。ちゃんの家族が、どんな風に志々雄に奪われたのかは知らない。ちゃんがどんな辛い思いをしたのかは知らない。
でもあたしは・・・・きっとちゃんの家族も敵討ちなんかよりも、ちゃんが幸せであることを望んでると思うよ!」
操は一気に思いを吐き出した。
緋村が栄次に諭した言葉のためもある。それに、蒼紫の凶剣に倒れた翁も、操への書き置きの中で、彼女が危険な生活から身を引き、普通の生活の中で普通の幸せを掴むのを願っていた。同様に、きっとの家族も、彼女が幸せであることを望んでいると。操にはそう思えた。
もっとも、操には御庭番衆と共に在ることが彼女の幸せであり、翁の言葉には従えなかったけれど。
それでも、には、どうか今の道でない道を選んで欲しいと。そう、思わずにはいられなかったから。
新月村でも。
・・・・今も。
「・・・・・そう」
は呟いて立ち上がった。二、三歩歩いて操に背を向ける。
「死んだ者が望むのは敵討ちではなく、生きている者の幸福、か・・・・・・」
剣心なら言いそうなことだ。ありふれた言葉かもしれない。
それでも―――胸が痛かった。
「生きている者の幸せ・・・・・なら、私も、間違ってなんかない・・・・・」
ぽつりと呟いたの言葉は、操にも、自分自身に向けても、言っているように思えた。え、と、操も立ち上がる。
ちゃん?」
操の呼びかけにもは答えない。その背中はもう、何者も拒絶しているかのように見えた。
「私は・・・・・間違ってなんかないよ・・・・・」
は自分の二の腕を、両腕で包み込むようにしてぐっと握り締めて。
言い聞かせた。他でもない自分自身に。
これ以上、心が揺らがないように。
「でも、ちゃん、」
「操ちゃん」
何か言いかけた操を、はぴしゃりと撥ね退けた。そこでようやく振り向く。
が操に向けた顔は、どこか自嘲的で、どこか優しげな、不安定な笑顔を浮かべていた。
「操ちゃんは、好きな人いる?」
「え?」
「もし、好きな人がいるなら・・・・・」
操の返答を待たずに、は続けて言った。
「その人の傍にいたいって気持ち、分かるはずだよ」
ちゃ・・・・・」
操が呼び止めるのにも構わず、はだっと走り出した。
胸が苦しかった。ここのところ、胸の中を占めていた形にならない苦しさが、操との会話の中でようやく形になって、それが酷く息苦しく思えた。
逃げるように、夢中で走り続けた。頭の中で、先程の操の言葉が木霊する。
『死んだ者が望むのは敵討ちではなく、生きている者の、幸福だって・・・・・』
(それが本当だとしたら、私は、私は間違ってなんか・・・・・)
「おっと!」
誰かにぶつかった衝撃がしては足を止める。同時に、振ってきた声が耳に良くなじんだ声であることを知って、ハッと顔を上げる。
さんじゃないですか」
少女めいた温和な顔立ちに、ほんの少し驚きを浮かべていたのは、紛れもなく、宗次郎だった。すぐに彼に浮かんだ柔らかな笑みに、はほっと肩の力を抜く。
「宗・・・・・」
「どうかしたんですか?」
憔悴したの顔を見て、首を傾げる宗次郎。
穏やかな声と笑顔に、の胸に、先程とは違う切なさがよぎる。
「・・・・何でもないわよっ!」
精一杯取り繕って、は強気に言い放つ。宗次郎は「そうですかぁ?」と不思議そうにしているが、それ以上は追求してこなかった。今はそれが、ありがたかった。
「それより、船の方は?」
「無事に準備は済みましたよ。あとは、アジトを三日開けた理由を考えるだけですね」
あははは、と宗次郎は無邪気に笑う。もつられて、ようやく笑みを浮かべた。の口から安堵の溜息が漏れる。それは随分、深かった。
「そう、良かった」
「それより、すみません。無理させないためとはいえ・・・・さんを置いてっちゃって」
今度は申し訳なさそうな笑顔で。
軽く頭を下げる宗次郎に、はううん、と首を振った。
「大丈夫。だって・・・・・」
はそっと右手を伸ばし、宗次郎の左手を握った。
「これからは、一緒でしょ?」
「ええ、もちろん」
その答えに、は破顔した。の表情が綻んだのを見ると、宗次郎も笑みが少し、深くなった。
「帰りましょうか」
「うん」
手を繋いだまま二人は歩き出す。
繋いだ手に温もりを感じながら、できればこの手を離したくはないと、はそう思っていた。
それは、思慕の情というよりも―――片羽を失くした鳥同士が寄り添って飛ぶ様に、似ていたかもしれない。
それでも宗次郎がに向ける笑顔は、彼女にとっては本当の笑顔であることに変わりはなく。
だから願う。
先のことなんて見えないし、分からないし、・・・・・分かりたくもない。
ただ、今だけは。
今だけは、どうかこのままで、と。








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