―第八章:儚い、言の葉―


京都からは北東の方角にそびえ立つ霊峰、比叡山。古くから天台宗の総本山として栄えてきたその山の、誰にも知られることの無い一角に、六連ねの鳥居があった。
「ここです」
その前に立つのは、宗次郎と、安慈達三人、そして、四乃森蒼紫。
鳥居の奥の山肌にぽっかりと開いた暗い穴に、宗次郎はにこやかに「さぁ、どうぞ」と案内する。
そう、ここは秘密裏に造られた志々雄一派のアジト。
洞窟かと思われたそこは、意外にも中の造りはしっかりしており、山の中だということを忘れてしまう程に良くできた居城だった。
あちこちに雑兵が立つ、つやつやとした板張りの廊下を進んでいく。程無くして奥からカツカツとした足音が響いてきた。
「あ、方治さんだ、きっと」
「ええ、間違いないでしょうね」
宗次郎とが悪戯っぽい目線をかわし、耳打ちし合った直後、廊下の角を曲がって一人の男が現れた。鬢付け油で髪を張りつけたような髪型に、西洋風のコートを纏ったその男は二人の予測した通り、一派の補佐役にして十本刀の一人、佐渡島方治だった。
「おお、戻ったか、宗次郎」
神経質そうな顔に、この時ばかりは笑みを浮かばせて方治が皆を出迎える。や久方振りの十本刀の面々にも、一言二言声をかけると方治は、
「そうだ、志々雄様にも報告せねばな」
と言い残して、さっさと先程来た方向へと戻っていってしまった。
「相変わらず忙しそうな人ね」
が方治の後ろ姿を見送って軽く息を吐くと、宗次郎も、そうですね、と相槌を打つ。
「さて・・・と。僕らも志々雄さんのところに行きましょうか。ねぇ、四乃森さん」
宗次郎はにっこりと笑って後ろに振り向くが、蒼紫は相変わらず無表情で、押し黙ったままだ。
会話らしい会話も無いまま(ただし宗次郎とは他愛もないお喋りを続けてはいたが)、一同はアジトの奥へ奥へと進んでいく。
内部をよく知った宗次郎達だからこそ易々と進んでいるが、実際は道は相当に入り組んでおり、部外者が中に入り込もうものなら一分も経たずに迷子になるだろう。もっとも、案内役がいれば話は別だが。
外敵の侵入を防ぐために複雑に造られたアジトだったが、勝手知ったる何とやらで宗次郎達はもちろん迷うことは無い。
普段志々雄がいる奥の間へ進んでいた彼らだったが、ふと鍛錬場の方から物音が聞こえたような気がして進路をそちらに変更する。
鍛錬場の開け放たれた扉の前には先程別れた方治が何故か立っていた。その後ろから宗次郎とはひょいと中を覗き込む。
丁度、志々雄が不敵な笑みを浮かべて、おそらくは抜刀していたのであろう刀を納めていた。次の瞬間、真っ二つになった吊るされた人間の体が燃え上がった。
方治は初見だったのだろう、その技に目を見開いて驚いていた。が、宗次郎とは知っていた。
「久方振りですね。壱の秘剣『焔霊』」
「斬って燃やすなんて・・・・相変わらず悪趣味な技。」
宗次郎は感心した風に、は不愉快そうに。
声のする方向へと目を向けて、志々雄はフッと笑んだ。
「揃って人の剣を盗み見てんじゃねぇよ。何か用か、方治」
「は・・・はい。宗次郎帰還の連絡をと思ったのですが・・・・・」
志々雄が自分の愉しみを邪魔されて気分を害した、と思った方治は、いささか萎縮して申し訳なさそうに告げる。宗次郎は別段気にする風でもなくあっけらかんと。
「まぁまぁ、怒らないで。ただいま、志々雄さん。東日本の十本刀、連れてきましたよ」
「それと、お客様もね」
志々雄はまた不敵な笑みを浮かべると、宗次郎とが連れて来た者達一人一人に声をかけていく。安慈、蝙也、夷腕坊。そして―――。
「部外者でこの砦に来たのはあんたが初めてだ。歓迎するぜ」
―――四乃森蒼紫。
志々雄と蒼紫、人の上に立つ者と、孤高に生きる者。
相容れぬかに思われた二人だったが、幾らかの会話の末に、同盟を結ぶことが決まった。志々雄側は情報を提供し、蒼紫は己の意志で剣心と自由に闘う。それは志々雄側のメリットにも繋がるし、蒼紫にとっても都合が良い。
同盟を持ちかけたのは志々雄だが、蒼紫が成立に踏み切ったのは宗次郎のこの言葉による。即ち、
「ホラ、さっき四乃森さんが会っていた老人。あの人、確実に緋村さんと接触を持っていたわけでしょ?
だから葵屋ってトコを襲撃して拷問の一つや二つかませば、多分何か掴めますよ」
この一言。
情報が無いのなら、その手がかりを締め上げて聞けばいい―――。
宗次郎に悪気は無い。それが一番手っ取り早く、確実だと知っているからだ。元より、”哀”の感情が欠けている彼は、何も感じずにただ効果的な方法を口にしたに過ぎない。例えそれが、蒼紫がかつての同志を見捨てるような方法だったとしても。
感情が無いのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、それでも、あまりにも無邪気に残酷。そしてそれに、蒼紫はしばし考えた末、こう答えたのだ。
「構わん。抜刀斎を斬る事が俺の全てだ」
こうして、志々雄と蒼紫が手を組むことが決まったのだった―――。











「え? 志々雄サンが?」
蒼紫を部屋に案内し、その後自室に戻って宗次郎とくつろいでいたに、志々雄からの伝達が伝えられた。
一人で鍛錬場に来い、と。
「何でまた、私一人なわけ?」
「そうですよ。どうして僕も一緒じゃないんですか?」
不満気な二人に伝達役の雑兵はたじろぎ、しどろもどろに答える。
「それが・・・・様に久しぶりに稽古をつけたいとのことで。他に何人たりとも入れるなと・・・・・」
「分かりました。すぐに行くって、志々雄さんに伝えてきて下さい」
ではなく何故か宗次郎が答え、雑兵はそれに一礼すると廊下を急ぎ足に去って行った。
「・・・・たく、ゆっくりする暇もありゃしない」
は溜息を吐きながら愛刀を帯びる。その刀はずっとこの部屋に置きっ放しだったから、実に久し振りの帯刀となる。その重さが懐かしかった。
「じゃあ、行って来るわ。志々雄サンが何のつもりか知らないけど、早めに戻ってくる」
「はい。・・・・・・」
部屋を出る前に振り向いたに、宗次郎は微笑を向ける。けれど、ふとその口の端が少し下がった。
不思議に思ってはほんの少し顔を傾ける。
「? どしたの?」
「いえ・・・・まさか志々雄さん、二人っきりなのをいいことに、さんに変なことする気じゃ、なんて思って」
宗次郎にしては珍しく訝しげな笑顔である。
おそらく真剣に言っているであろうその言葉に、は思わず吹き出した。
「何言ってんのよ。そんなことあるはず無いでしょ。志々雄さんには由美姐さんがいるんだし」
「いや、でも、さんは可愛いから」
重ねて言うが、宗次郎は真剣である。
今度は笑って流せずに、は顔を朱に染めた。
「・・・・・・・
あ、ありがと
ぽそりと呟くと、照れ隠しのようにそっぽを向く。その後ろでは宗次郎が、「怒られても構わないから僕も行こうかなぁ」と、これまた珍しいことに考え込んでいた。
「い、いいよ。やっぱり私一人で行ってくる」
「そうですか? じゃあ、くれぐれも気を付けて下さいね」
最後に再び念を押す宗次郎に、は苦笑しつつも嬉しかった。
嫉妬・・・・などという感情を、宗次郎が持ち合わせているのかどうか分からなかったし、今のはそこまで深いものではなかったから、或いは”楽”の感情に含まれる淡いものなのかもしれない。それでも、多少なりともヤキモチを妬いてくれて、は嬉しかった。
だが―――いつまでも甘い気分に浸ってはいられない。
長い廊下を歩き、鍛錬場の前に立つと、は瞳を閉じ精神を集中させた。
中にいる者の、鋭く、血を匂いを纏った闘いの気が伝わってくる。酷く好戦的で、残虐で、誰よりも強い己の仇敵、志々雄真実。
はゆっくりと瞼を上げる。そこには先程宗次郎と軽口を交し合った時の、花が綻ぶような柔らかな表情は無い。
あるのはただ・・・・・冷たい眼差し。
は左手で愛刀の鞘をぐっと握り締めながら、もう一方の手で漆塗りの戸を横に引いた。その部屋の中心には、腕を組み口の端を吊り上げた志々雄がいる。
は無言で足を踏み入れると、後ろ手で戸を閉めた。
「よぉ。早く来る、って言った割には遅かったじゃねぇか」
責めるような口調ではなく、逆に楽しんでいるようにも聞こえる。
それには答えず、は口を開いた。
「何の用? どうせ何か用があって呼んだんでしょ?
それとも、本当にただの稽古?」
冷たい声色だった。目尻の上がった瞳は志々雄を睨みつけて。
「おいおい、穿って考えるな。言ったはずだぜ、久々に稽古をつけてやるってな」
その言葉に嘘は無いらしい。は更に問うた。
「何のために?」
「近々、また抜刀斎達と闘いになるだろうからな。強くなっておいて損はねぇ。それに―――」
志々雄はニッと笑った。
「俺のことだって、早く殺してぇだろ?」
次の瞬間、刀身が煌めいた。が素早く抜刀、志々雄に斬りつけたのだ。体に迫った刃を、けれど志々雄は同じく一瞬で抜いた刀であっさりと受け止めていた。
「いきなり戦闘開始か?」
「奇襲も戦法のうちよっ!」
力負けすると分かっているはすぐに刀身を引く。しかし再び前に踏み出し、敏速に志々雄に斬り込んでいく。
は接近戦が得意だった。自身が女で身軽なことを利用して、相手の間合いに飛び込む。そうして相手に反撃させる間ができないように幾度も幾度も攻撃を仕掛ける。
刃と刃のぶつかり合う音が辺りに響く。
「腕を上げたじゃねぇか」
それでも志々雄はそれらの鋭く早い斬撃を難なく捌きながら感心した風に呟く。その余裕のある態度を見て、も皮肉な笑みを浮かべる。
「ええ・・・・・おかげ様でねッ!」
昔もこうして稽古をつけてもらったものだった、宗次郎と二人で―――。稽古というよりもむしろ、今のように実戦に近い形で幼い頃から容赦なく鍛え上げられて、今では二人とも若年の身でありながら相当に強くなった。ただし、宗次郎は生まれ持った剣の才能と、感情欠落と、そしてもう一つの能力を以って、よりずっと強くなってしまったが。
それでも、年を重ねるごとにめきめき腕を上げていく二人に、志々雄はいつも言ってくれたのだ。は稽古とはいえ、いつもその刀で志々雄を殺そうとしていたのに、それでも、力強い笑みを浮かべて。
『強くなったな』、と。
「たあああぁっ!」
は渾身の力で下から斬り上げた。けれど、その刃は志々雄に届くことは無かった。何故ならその前に―――。
志々雄の刀の切っ先が、の喉元に突きつけられていたので。
「・・・・・っく」
こうなっては、は動きを止めざるを得ない。悔しそうに硬直しているを見て、志々雄は満足そうに笑んで刀を離す。
そのまま刀を鞘に納め、に背を向けてその場を去ろうとした。
「・・・・何のつもりよ」
冷や汗を流しながらも気丈に言い放つに、志々雄は踵を返した。
「稽古はこれで止めだ。なかなか楽しかったぜ」
「・・・・私は楽しくなんかないわよ」
の返答に志々雄はククッと笑うと、再び戸の方へと歩き出した。戸口へと手を伸ばし、そこで志々雄はもう一度振り返る。
そこに浮かぶのは、あの頃にもよく見た、力強い笑み。
「強くなったな、
「―――・・・・ッ!」
それだけを言うと、今度こそ志々雄は戸を開けて廊下へと出て行った。戸が閉まる音と、遠ざかる足音が消え去ると、その場はただただ静かになった。
そうしてようやく、は脱力して床に膝をついた。
「『強くなったな』・・・・だって」
呟いて、ぼんやりと床を見つめる。茫然としたまま、口が自然に笑みの形をかたどった。
「あはは、は、はは・・・・・・」
乾いた笑い声がの口から漏れる。一度笑い出すと止まらなかった。
何かの糸が切れたかのように、笑って、笑って、笑い過ぎて・・・・・目には涙が浮かび、声はいくらか掠れた。終いには、もうほとんど息しか出なくなって、はようやく笑うのをやめた。
刀の柄を握る手に、ぐっと力を込める。自嘲気味に吐き捨てた。
「何のために・・・・・私が強くなったと思ってるの?」
―――何のために強くなったか。何のためにこの手を血で染めたか。
それは全部、あんたを殺すため。あんたを殺すため。
所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。
弱いままならあんたを殺すことはできないし、それどころか、いつあんたに切り捨てられるかも分からない。強くなって、強くなって、他者を蹴落としてでも強くなって。
家族の仇を討つ。あんたを殺す。そのために私は強くなった。なのに―――
何でいつもそんな風に、私の成長を嬉しそうに言うの・・・・?
『抜刀斎を斬る事が俺の全てだ』
あんな風に言い切ることができたなら、どんなに楽だっただろう。
けれど自分には、どうしても捨てられないものがあるから。
志々雄を斬る事が、全てだと。きっと、言えない。
だけど、言い切れたのなら、どんなに―――。
「・・・・大っ嫌いよ、あんたなんか・・・・・」
志々雄にぶつけたその言葉を。
聞いていたのは、他でもない自身だった。











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