―第五章:見えない心―


元々旅館か何かだったのだろう、館の作りはそれほど複雑ではなかった。
に先導されて、操と栄次はその後ろを歩く。程なくして、最奥の間に着いた。
「ここ?」
「そう。この向こうに志々雄サンはいるわ」
「じゃあ気付かれないようにそーっと・・・・」
慎重に襖に手をかけた操だったが、は首を横に振る。
「気付かれないようにも何も、志々雄サンと尖角に会いに行くんでしょ。堂々としてていいのよ」
「え、でも・・・・」
戸惑う操に構わず、は襖をすっと開いた。その途端に聞こえたのは、志々雄の冷たい言葉。
「このまま抜刀斎に技一つ出させないまま負けてみやがれ。この俺が直々にブッ殺してやる」
尖角は恐怖に震え、そのまま半ば自棄になった風に剣心に飛び掛っていった。剣心は逆刃刀を構える。
「飛天御剣流、龍翔閃!」
強く畳を蹴って跳躍し、尖角の顎を逆刃刀の腹で打ち上げた。尖角は轟音と共にその重い巨体を畳に沈めた。落ちた時の衝撃で畳や床の破片が舞う。
開け放した襖のすぐ側で、斎藤が舌打ちするのが分かった。
「阿呆が・・・そんなデクの棒にまで情けをかけやがって。その甘さが命取りとなるぞ」
「別に構わんさ。”後輩”相手にそう気張ることもあるまい!」
剣心の静かな迫力に、操も栄次も感嘆のあまり声を失う。
へぇ、とは思った。予測していた通り、剣心は尖角と闘っていた。案の定、尖角は剣心に倒された。
意外だったのはその倒し方だ。志々雄の言葉からするに、尖角は彼の相手には力不足過ぎて、剣心が剣技を使うまでもなかった。けれど使わぬままだったなら、尖角は確実に志々雄に殺される。だからそれを止めるために、彼は技を出したに違いない。
斎藤の言葉を借りれば、そんな奴にまで情けをかけて―――といったところだが、その優しさが、現在の剣心が人斬りではなく流浪人として生きている所以なのかもしれない。
ただ、今の剣心の瞳は、幕末の頃のような鋭さを帯びていた。
「・・・剣を取れ。志々雄真実」
「その前に、客が来たみてぇだな」
「客?」
その言葉に振り向けば、開いた襖の向こうにと操と栄次が立っていた。何故ここに。剣心はその思いを隠せない。ここには来るなと直接的にではなくても、言ったはずなのに。
「あっ、さん、お帰りなさい。いつの間にそこにいたんですか?」
「ついさっきからよ。ただいま、宗」
宗次郎と笑顔で言葉を交わす。剣心はピンと来た。そうか、この少女が―――。
剣心と斎藤をこの館へと案内した後、用事があると言って去っていった。恐らく彼女が、どういう理由かは知らないが操と栄次をここへと連れてきたのだろう。
「相変わらず面白ぇ真似するな、は」
志々雄はくくっと笑う。はふんと鼻で笑って事も無げに言葉を返した。
「私が何しようと勝手でしょ。操ちゃんと栄次君が尖角のとこに行きたがってたから案内した、それだけのことだもの。もっとも―――」
は口から血を流して倒れている尖角をちらりと見下ろした。
「肝心の尖角は緋村さんが倒しちゃったけどね」
「ま、死んじゃいねぇけどな。今の龍翔閃とかいう技、」
志々雄は剣心へと目線を移した。
「刀の腹で尖角の顎を打ち上げたわけだが、恐らく本来は刃を立てて斬り上げる技だろ?」
「・・・・ああ」
剣心は頷く。推察の通りだった。洞察力は大したものだ、と剣心は内心思う。
志々雄はふう、と重い溜息を吐いてみせた。
「がっかりしたぜ。先輩が人斬りを止めて不殺の流浪人になったとは部下の報告で聞いていた。が、この目で直に見るまではちょいと信じ難かった」
志々雄は凄みを帯びた目で、剣心を静かに睨みつける。
「そんなんで俺を倒そうなんて、100年早え」
剣心もじっと志々雄を見据える。つまらない闘いはしたくない、と言った志々雄は、傍らにいた由美に合図すると、脱出用の通路を用意させた。
挑発するように剣心は言い放つ。
「尻尾を巻いて逃げるのか」
志々雄はそれには何も答えず、不敵にニッと笑った。そうして傍らの刀を取る。
鞘に収まったままの刀身を持ち、剣心に向けて放った。風を切って飛んできたそれを剣心は難なくかわしたが、その背後にいた宗次郎が刀を受け取った。元より、志々雄はそのつもりであったらしい。
「宗次郎、俺のかわりに遊んでやれ」
「いいんですか?」
柄を握りながら宗次郎は聞き返す。その顔に浮かぶのは、まるで子供が玩具を手にした時のような屈託のない笑み。
「ああ。『龍翔閃』とやらの礼に、お前の『天剣』を見せてやれ」
「じゃあ、遠慮なく」
宗次郎は前にすっと進み出る。踵を返しかけた志々雄は、何かを思い出したかのようににも目を向けた。
、お前も残れ。俺にとっての敵―――つまり、お前にとっての敵の強さがどの程度のものなのか、抜刀斎と宗次郎の闘いで見極めとくんだな」
は冷たい目で志々雄を見据え、やはり素っ気なく言葉を返す。
「言われなくてもそのつもり。志々雄サンの敵は私の敵。緋村さんなんかに私の邪魔はさせない。志々雄サンは、私が殺すんだから」
志々雄はその言葉に満足したように笑みを浮かべると、隠し階段を下りていった。
殿は、一体・・・・・?)
二人のやり取りを聞いて、剣心の頭に疑問符が浮かぶ。今の会話は何を意味する? 二人に何の因縁がある?
何より、そう言えばは自分達にこう名乗ったのだ。『志々雄サン側の人間よ。一応ね』と。
それにの志々雄に対する態度は、主君と部下というのには程遠い。むしろ、疎ましく思っているような、嫌いな相手に接しているような、そんな感じだった。
『志々雄サンは、私が殺すんだから』
もっともその台詞からして、何か事情があって彼の一派に属しているのに違いないだろうが。
けれど、剣心が引っかかるのは、のその言葉の、表情の、態度の割りに。彼女に、その気が―――。
「すいません、早くしないと志々雄さんに追いつけなくなっちゃうんですけど・・・・」
そう、今相対しているこの青年にも、闘気や殺気がまったく感じられない。無邪気な笑顔の彼にいくら剣気を叩きつけても、何の感情も読めなかった。どう攻撃してくるのか、いつ仕掛けてくるのかが分からない。相手の動きを先読みして制する、その闘い方を得意とする剣心には、酷く異質な存在に思えた。
強いて言うなら、感情の欠落。笑顔を浮かべていることからして、喜怒哀楽の”楽”の感情はあるのだろうが、それ以外の心がまったく見えない。
後の先が取れない相手。ならば。
(・・・・抜刀術!)
刀を納め、構えた剣心には表情には出さず感嘆する。確かにそれしかないだろう。相手の動きが読めないのなら、己の最速の剣で先の先を取るしか。
(でも、そううまくいくかな)
は薄く笑む。抜刀斎、の志士名の由来はも知っている。抜刀術のすべてを知り、極めた男。抜刀術で剣心の上をいく者など、そうはいないだろう。けれど。
何と言っても、今の彼は”緋村抜刀斎”ではなく、流浪人の”緋村剣心”なのだから・・・・。
「抜刀術、ですか。それじゃあ僕も」
宗次郎もまた抜刀術の構えを取る。
静かに滲みより、お互いが仕掛ける瞬間を計る。鯉口を切り柄を握り締め、その刀身が放たれたのはまさに同時だった。
互角の剣速でぶつかり合う二人の剣。だが。
キン、と金属音がして、逆刃刀の折れた切っ先が舞った。操も、栄次も、斎藤も、そして剣心も、驚きに目を見開き、声を失う。
笑っているのは、宗次郎とだけだった。
「勝負あり―――かな?」
と、相変わらずにこにこと笑いながら宗次郎。冷静さを取り戻した斎藤が、宗次郎の刀も見て口を開く。
「ああ。お互い戦闘不能で、引き分けってとこだな」
「え・・・・?」
その時、も初めて気付いた。宗次郎は確かに剣心の刀を折った。それでも宗次郎の勝ちを確信していたのだが・・・・よくよく見れば宗次郎の刀にも全身に細かいヒビが入り、修復不可能の状態になっていた。
確かに、これでは引き分けだろう。
「へぇ、こりゃ凄いや。これじゃあ修復はもう無理だ。ま、いーや。どーせ志々雄さんのだし」
「そうそう。どーせ志々雄サンのなんだからいーっていーって。どうせあの人、掃いて捨てるほど刀持ってんだろーから」
粉々の刀を鞘に納める宗次郎に、もそんなことを言いながら近付く。そうして二人は、共犯者めいた笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「そうだね。宗の『天剣』も見せたことだし」
二人は並んで部屋の奥、脱出通路の方に歩いていく。すれ違い様に剣心に言った。
「この勝負、確かに勝ち負けなしですね。今日はこれで失敬しますけど、出来たらまた闘って下さい」
どこか試すような口調で宗次郎は続けた。
「その時までに、新しい刀用意しておいて下さいね」
「よろしくね、緋村さん。京都では私とも闘いましょ。今度は私の『樋刀』、見せてあげるね」
もそう声をかける。そのまま去っていこうとした二人を、今度は操が呼び止めた。
「待って、ちゃん!」
ぴた、とは足を止める。振り向くと、狼狽した顔の操が目に映った。
「分からないよ・・・・どうして、志々雄の側になんかいるの? 家族の仇を取りたいんなら、あたし達と一緒に行こうよ! あたし達と一緒に、志々雄を倒せばいいじゃない!」
訴えるような操の言葉を、はじっと聞いていた。何かを考えているようなの瞳と、彼女を引き止めたい操の瞳が向き合った。
は目を逸らして、答えた。
「ごめん。それはできない」
「・・・・どうして!?」
操は思わず声を上げる。彼女なりに色々考えて、それでもの行動に納得が行かなかったのだ。志々雄が憎いなら、倒したいなら、何も彼の元で悪事に手を染めなくても、違う方法で・・・・・たとえば、自分達と一緒に彼を追えばいいのではないかと。
話してみれば、も普通の少女だ。だからこそ、出来得ることなら、自分達と一緒に。
けれどその願いも空しく、ははっきりと断った。
「私は私のやり方で仇を討つ。もう、ずっとずっと前にそう決めたの。だから、操ちゃん達とは一緒に行けない。それに―――」
は隣に立つ宗次郎を見た。宗次郎は一連のと操のやり取りに口を挟まず、ただ穏やかな笑顔を浮かべている。まるで、
「こっちには、宗もいるから」
まるでその答えを、予期していたかのように。
ちゃん・・・・・」
力無く操は呟く。まるで表面上だけのようだった宗次郎の笑みが、の言葉でほんの僅かだが深まったのを、操は確かに見た。
「行きましょうか?」
は頷く。宗次郎が先に階段を降り、もそれに続こうとし、その前に一度だけ振り返った。
「それじゃあ、行くわね。今度は京都で会いましょ。緋村さんも斉藤さんも、操ちゃんもね・・・・・」
トントンと軽快に階段を降りていく。二人の姿が見えなくなったのと、その音が遠ざかったのを聞いて、剣心は刀を納めた。
「緋村・・・・・。逆刃刀、折れちゃったね」
話題を変えるように、操は剣心に話しかけた。絶妙なタイミングで斎藤が茶々を入れる。
「志々雄達も逃がしちまったしな」
「コラ!」
けれど暗い表情の操の不安を消すように、剣心は柔らかく笑んで言った。
「何、刀はまた作ればいいし、志々雄達もまた追えばいい。とりあえず、この村から志々雄一派を退けた。それだけでも良しでござるよ」
それを聞いて操の顔も明るくなる。けれど、ふと、剣心が思案顔になった。
「どしたの?」
「いや、あのという少女・・・・。操殿達は、彼女に連れられてここに来たのでござろう?」
「うん・・・・。ここに案内してくれる、って言って。栄次の気持ちが分かるから、って。ちゃんも、家族を志々雄に皆殺しにされたんだって・・・・・」
「そうか、それで・・・・」
操の説明での今までの言動が少しは納得が行った。剣心がの言葉を思い出していると、目の前の操はぐっと拳を握り締めていた。
「でも、何でちゃん、志々雄となんか・・・・。あたし達と一緒に行けばいいのに・・・・」
の口からはっきりと理由を聞いても、操はまだ割り切れないらしい。家族を奪われた悲しみを知っているのなら、仇を取るためとはいえ、人々を苦しめる志々雄に何故加担するのか、と。
自分達と同じ道は、どうしても歩めないのか・・・・?
「操殿。操殿の気持ちも分かるが、殿には殿の理由や事情があるのでござろう。とはいえ、あのような少女の手を血で汚し続けるのは忍びない・・・・出来ることなら、思い直して欲しいでござるがな・・・・」
操に穏やかに話しかけながら、剣心ものことを思う。
それに・・・・瀬田宗次郎。二人が今までどんな人生を送ってきたかは知る由もない。ただ、二人が今まできっと寄り添うようにして修羅の道を歩いてきたことに相違ないだろう。そして多分、誰かが止めない限りはこれからも。
剣心は息を吐いた。そうして今度は、誰にともなく呟いた。
殿は、本当に志々雄を殺そうとしているのでござろうか・・・・?」







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