―第二十章:再会―
―――志々雄一派と剣心達の死闘から早一ヶ月。その間に雨の季節を過ぎ、京都は初夏を迎えていた。
街の人達は、そんな闘いがあったとも知らず、京都大火の大騒ぎも忘れたかのように、穏やかで平和な日常を送っているように思える。
蝉時雨を聞きながらは歩いていた。夏の始まりでも太陽は眩しく、は青い空を見上げて、顔に手をかざした。
背中に背負った刀袋の中で、歩く度に樋刀が揺れる。
「それにしても、どこやろうなぁ、例のトコは」
隣を歩く長身の男から、陽気な大阪弁が聞こえてくる。髪を逆立て背中に刀を二本帯刀している彼、張に目を向けながら、は前方を指差した。
「もうすぐよ。ホラ、そこ」
目の前には、『京風牛鍋白べこ』と書かれた看板を掲げる店があった。ようやく目的の場所に辿り着いて、張はニィ、と笑うと愛刀の殺人危剣、薄刃乃太刀を構える。
「ここやな。連中が集っている牛鍋屋」
「ちょっと、何する気!? 今日はそんなことするために来たんじゃ・・・・・」
張の行動にはぎょっとし、
「分かっとるって。ただ、ちょお驚かしてやろ思うてな」
制止しても張はからからと笑っている。街中でこんな危ない刀を振り回させるわけにも行かないとが思ったその時。
バッと牛鍋屋の戸が開け放たれ、勢いよく二人の男が飛び出してきた。剣心と左之助だ。
二人の姿を認めると、張は心底つまらなさそうに溜息を吐く。
「何や・・・せっかく派手に挨拶かましたろ思うたのに、ホンマつまらんやっちゃ」
「刀狩の張! それに、殿まで・・・・!」
流石の剣心も驚きの声を上げる。
久し振りに会った彼は、あの時瀕死の重傷を負っていたとは思えないくらい元気そうで、は少し安心した。
「久し振りだね、緋村さん」
はぺこっとお辞儀をした。あの闘いの後、設え直した女学生風の着物がふわっと揺れる。
丁度その時、奥から操と翁も飛び出してきた。操はまず張を見て驚き、次にの姿を認め、目を丸くした。
「ちゃん・・・・!」
「・・・操ちゃんも、お久し振り」
今度は少し気まずそうには笑んだ。操とは実に、あの京都大火実行前の時以来の再会となる。
操は目をぱちくりさせていたが、やがて強張った頬を緩めた。
「ちゃん・・・良かった、また会いたいと思ってたんだ。緋村から色々聞いて、話したいこともあったから・・・・。・・・・・で、」
安堵した表情でに話しかけた操は、目線を今度はぎろっと張に移した。
「何で刀狩の張なんかも一緒にいるわけ?」
「そうだぜ、てめえ警察に捕まってるはずじゃあ!?」
警察署内で張と喧嘩をやらかしている左之助も声を荒げる。張は鼻でフンと笑い、一触即発の空気が流れたかのように思えたが。
「まぁ、積もる話は中でゆっくりとしようや。ワイ、腹減っとるんや」
「おい、てめえ、何を図々しく・・・・!」
「まぁまぁ、ちゃんとお金は払うからさ。白べこに来た客ってことで許してくれない?」
喧嘩腰の左之助をは宥めた。ここで揉めては元も子もない。
左之助はそれでも少し苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、
「左之、殿と張がここに来たのには何か用があるからでござろう。こんなところで立ち話も何だし、中で二人を持て成しても良いではござらんか」
剣心が穏やかな笑みを浮かべながら二人を中に招き入れる。は嬉しそうに両手をぽんと合わせた。
「さっすが緋村さん、話が分かる〜♪」
「・・・・嬢ちゃん、何か性格変わってねェか?」
「そう? ちゃんって結構、素はこんな感じだと思うけど。それよりホラ、中に入って入って」
ジト目の左之助を尻目に、操はの背を押して白べこの中へと招き入れた。張も刀を納めてその後についていき、剣心も店内へと戻っていく。
渋々、といった風に、左之助も最後に続いたのだった。
「警官―――!!」
数分後、店内に操の元気な声が響き渡った。
客席の一角にと張、剣心が向かい合って座り、操や左之助、薫、弥彦と言った面々は、その周りに立っていた。
白べこのおいしい食事を口に運びながらの張の衝撃的な一言に、誰もが驚きを隠せない。
「お主がか」
「うっそだーっ!!」
「正確には密偵やけどな」
志々雄一派だということで警察に捕縛されていたはずなのに、何故娑婆に出てこられたのかという問いに、張はからからと笑ってそう答えた。
剣心は何かを察して、会話を続ける。
「・・・裏取り引きか」
「政府からそうすりゃ恩赦してやると言ってきよったんや。志々雄様が亡くなった今、突っ張ったって仕方あらへんからの」
「じゃあ、ちゃんは?」
事情が分かっても、赤子までも手にかけようとしたあの張が警官だということに何か釈然としないものを感じつつ、操は今度はに尋ねた。は咀嚼したご飯を飲み込んでから、小さく笑って答える。
「私も密偵と似たようなものだよ。ただ、私は恩赦なんかが目的じゃなくて、自分で動いて罪を償っていきたかったから・・・・」
刑に服すこともできた。それでもが政府の裏取引に応じたのは、今言ったように自分で動いて贖罪をしたかったからだ。
刑務所という狭い世界でだけ動くのではなく、もっと広い場所で、ずっと昔の自分のような一般の暮らしの人達を、少しでも助けていけるように。それがひとまずが選んだ、償いの形だった。
「そう・・・・・」
と操は頷く。と操、二人は視線を交し合い、ほぼ同じタイミングで笑みを浮かべた。が己の罪を認め、前向きになってくれたことが、実のところ操はとても嬉しかったので。
敵同士でありながら二人に親交があったことは、剣心や操本人から聞いて知っていたのだろう、周りの者達もと操のやりとりを穏やかな表情で見守っていた。
辺りは優しい雰囲気に包まれたかのように思われたが、
「せやけど、ワイは密偵はあくまで次までのつなぎ。もっとおもろいこと見つけたら、即トンズラや」
「いーけないんだ♪ いけないんだ♪!! 少しはちゃんを見習いな!」
「イタチ娘は少し黙ってろ。るっせェんだよ」
「イタチ言うな!!」
張の発言がそれをぶち壊しにする。操は張の不誠実な発言に目くじらを立て、左之助にも絡まれて更に怒り出す。薫が慌てて操を止めた。
「それで、一体何の用だ、ホウキ頭」
「相変わらずごっつむかつくわこのトリ頭。せっかく来たけど、もう帰ってもええかなぁ、なぁ」
左之助のホウキ頭発言に機嫌を悪くした張が不満気にに漏らす。
ははぁ〜・・・と重く溜息を吐いて。
「全くもう、喧嘩ばっかして。いいよ、もう。そんなに帰りたきゃ帰ればいいでしょ、張さんは。私だけでも話してくから」
「オイオイ、、そんなつれないこと言わんといて。わーっとるって、用を忘れたわけじゃあらへんて」
冷たい声色で言ってのけたに、張は慌てて取り繕う。はもう一つ溜息を吐いて、次は真顔になって剣心に向き直った。
「実はね、緋村さん。捕まった十本刀六人の処置が決まったの」
「それで教えたろ思うて、わざわざ来てやったっちゅうことや」
の言葉を張が引き継ぐ。一同に驚きが走る中、剣心は静かにその先の説明を求めた。
「―――で、如何様に・・・・」
「ほとんどはワイと一緒や。その常人離れした能力を買われ、裏取り引きで恩赦。その後政府の支配下に組み込まれ、適材適所の任につきよったわ」
『飛翔』の蝙也は陸軍斥候、『破軍(甲)』の才槌は外務省の裏役人、『破軍(乙)』の不二は北海道で屯田兵。
『大鎌』の鎌足は先進国を探る諜報員になる予定で、『明王』の安慈は北海道の集治監で服役中だという。
張の口から、生き残った十本刀達のその後の生き方が、次々に語られていく。
「あの男は? 拙者と志々雄の闘いに立ち会った、あの―――恐らくは十本刀一番の忠臣・・・・」
剣心が言っているのは、方治のことだろう。一番の忠臣と言うのなら、彼をおいて他に無い。
彼を思い浮かべて、と張の表情は暗く陰った。何故なら。
「・・・・方治さんは、死んだわ」
「ああ。『百識』の方治は、もうこの世にはおらへんのや」
重々しく言った二人に、剣心も目を見開く。志々雄に忠義を貫いていた方治が死んでしまったという事実は、剣心に少なからず衝撃を与えた。
「死んだ・・・? あの男が・・・・」
信じられない、といった風に聞き返した剣心に、張は頷いて話を続けた。
あの闘いの後、警察に出頭した方治は『弱肉強食』の政策の正当性を訴え、志々雄の汚名を少しでもそそごうと裁判を待っていた。だが、志々雄の存在を表沙汰にしたくない政府は方治に公の場で語る機会を与えず、それどころか彼の意志とは逆に、裏取り引きの話しかしなかった。
方治は絶望したのだ。今の日本にも、志々雄がいないこの世にも―――・・・・。そうしてその末に、方治は自らの命を絶った。
真に国を思っていた方治の姿が脳裏に蘇り、の胸の中はしんとなった。
「何かせっかく勝ったっていうのに、どっちが正しかったか判んなくなりそうな話だな」
弥彦が歯噛みしながらぽつりと言った。張は茶を一口飲んで、遠い目を弥彦に向ける。
「世の中そんなモンやでボウズ。死んだ由美姐さんかてそうや」
「志々雄真実と一緒に死んだって言う・・・・?」
薫が小さな声で聞き返す。張は頷くと、今度は由美の話を語り始めた。
それはも知らなかった、由美の昔話・・・・。
「一度酒の相手してた時、酔って一度だけ話してくれたんやが、由美姐さんは元々新吉原で一番の花魁やったんや」
の懐に仕舞ってあるもう動かない懐中時計が、ゆっくりと逆回りするように、張は由美の過去を語った。
選ばざるを得なかったとはいえ、自分自身で選んだ人生。花魁であることに由美は誇りを持っていた。
しかし、それが粉々に打ち砕かれる出来事が起きた。明治五年のマリア=ルーズ事件。諸外国との対応に困った政府は、苦界に落ちても懸命に生きていた由美達、娼婦を、女ではなく雌なのだと、言い切った。
「・・・そんな話、初めて聞いた・・・・」
女として、これほど屈辱的なことはあろうか。生前の由美に結局は聞きそびれてしまった明治政府を憎む理由が、今更になってよく分かった。
辛酸を舐めて、苦境を味わって、それでも毅然として生きてきた由美を、は改めて思い出す。そうして、志々雄と寄り添い、彼を愛していた彼女の姿も。
「ますます・・・・どちらが正しいのか判らなくなる話だぜ」
「せやから、世の中そーいうもんなんやボウズ」
事も無げに張は言ってのけたが、かつての歴史でも、幕末の動乱でも、多くの者達が様々な主義主張を持って争った。誰が正しいとか、何が間違っているとか、そういうことではなく誰もがそれぞれの思いを掲げて。
剣心も言っていた。勝った方が正しいわけではないと。何が正しいのか、簡単には言い切れないと。
「けどな、そんでも志々雄様と巡り合えてからの由美姐さんは幸せやった。それだけは唯一、確かやで・・・・」
「うん・・・・。私も、そう思う・・・・」
例え世間では稀代の大悪党だったとしても。それでも由美にとっては、全てをかけて愛した人で。
志々雄と一緒にいた時の由美は本当に幸せそうだったと、も、それは確かに思える。あの世まで添い遂げた彼女は、きっと今でも、彼の傍にいるのだろう。
何となく、そんな気がする。
「アカンアカン、辛気臭くなってしもうたわ。そろそろワイは退散するわ」
しんみりした空気を打ち破るかのように、張は明るく振る舞って腰を上げた。ブーツを履いて立ち上がる。
もまた、それに続いた。
「そうそう、言い忘れるところやった。捕まらなかった残りの二人、未だに逃走中や。『丸鬼』の夷腕坊はもともとバカで一人じゃ何にも出来へん人畜無害なやっちゃからな、まぁ、放っておいても大丈夫やろ」
張は刀を携えながらさらりと伝えた。は懐から財布を出し、冴に勘定を支払っている。
剣心はに静かに近付いた。あと一人、行方の知れぬ十本刀の生き残りがいる。
それは彼と闘った人で、誰よりも彼女に近かった人で。
「・・・・宗次郎は?」
「・・・・・・・」
の動きが一瞬止まる。
「てっきり嬢ちゃんはあいつと一緒かと思ってたぜ」
「そうそう。だってちゃんは、あんなに、あいつのこと・・・・・」
左之助と操も不思議そうに眉根を寄せていた。
ブーツの爪先を土間にトントンと打ちつけ、着物の裾を整えると、は皆に向き直って、ほんの少し寂しそうな笑顔を浮かべた。
そうして、まるで他人事のように言う。
「『天剣』の宗次郎は・・・・・自分の真実を見つけに行ったわ。あの闘いの後、別れてそれっきりだから、今の宗が何してるのかは分からない。まぁ、宗のことだから絶対捕まらないと思うよ。今頃どこかで、呑気にお茶でも飲んでるんじゃないかな」
「って、そうじゃなくてちゃん! ちゃんは平気なの!? だってあの時、言ってたじゃない・・・・!」
操はに詰め寄った。操の脳裏にあるのは、あの日、から向けられた問いかけ。
『操ちゃんは、好きな人いる? もし、好きな人がいるなら・・・・・
その人の傍にいたいって気持ち、分かるはずだよ』
そう言ったこそが、何よりも彼の傍にいたいと望んだのではなかったか。
剣心から、彼女との闘いの顛末は聞いていた。はただ、今そこにある幸せを失くしたくなかっただけなのだと。
が幸せであったのは、宗次郎の存在が大きく関わっている。あれだけ彼に固執していたのに、離れていても平気なのかと。操はそう、訊きたかった。
「・・・・そりゃ、寂しいけど」
は一旦、言葉を切った。
「私達、新しい道を歩いてみようって決めたから。私も、宗も、本当の自分と答えを見つけるために。それは同じ道じゃいけないと思うんだ。一緒だったら、きっとまた、甘えちゃうから。でもそれじゃ・・・・成長できないでしょ?」
宗次郎と共に行くことはできた。行きたいという思いはあった。それでもはそうしなかった。
宗次郎が居たから、ここまでやってこれた。宗次郎の存在に甘えて、寄りかかって、先のことには目を瞑って。その宗次郎がずっと苦しみを胸の奥底に抱えていたのにも気付かずに。彼を支えることは無く、支えられてばかりで。
宗次郎にも言ったことだが、は本当に自分のことしか考えていなかった。それが酷く申しわけなくて、情けなくて。はそんな自分を変えたかった。
剣心に諭され、宗次郎は自分の真実を探そうとしている。もまた、自分の生き方を見直してみたいと思った。だからこそ、別々の道を歩き出す。
同じ道だったならば、今までとさほど変わりは無い。同じ道を歩んできた二人だから、この先は敢えて違う道で。そうすることでお互いに色んなことを知ることができる。一人で行くからこそ、一人で立てる強さが得られる。
一人で立つことができて初めて、相手をしっかりと支えられるのではないだろうか。
宗次郎を支えたい、今度は―――支えられるだけではなく。
「・・・・本当は、凄く寂しいよ。逢いたいよ。でも、」
頭ではそう思っていても、ぽつりと漏らされる本音。
いつも傍にいた彼がいないだけで、こんなにも胸が痛い。逢いたい。もう一度あの笑顔が見たい。
思い出は鮮やかに蘇るけれども、虚像ではないあの人を、この瞳でしっかりと捕らえたい。
は宗次郎を想った。宗次郎を真に想うからこそ。
は、こう願っていた。
「宗が自分で探してみようって決めたんだもの、そうさせてあげたいし、そうして欲しい・・・・!」
今まで弱肉強食の理念の下、行動していた宗次郎。強ければ生き弱ければ死ぬ、それのみを頼りに、それだけが絶対だと信じて。
けれども剣心との闘いの最中、本当の自分を垣間見てそれは崩れた。何が真実なのか分からない。だから何が真実なのかを見つけに行く。弱肉強食の理念から放たれ、宗次郎はもう一度一からやり直そうとしている。
それをは邪魔したくはなかった。何よりも彼が、自分自身で決めたことだから。
「だからほんの少し、お別れしたんだ」
「ちゃん・・・・」
その笑顔は、強がっているようにも見えた。それでも、が言ったことも考えていることも、全部心からの想いなのだろう。葛藤はしても、そのいずれもがの確かな意思。
だから、操はに切なさは感じても、哀しさを感じたりはしなかった。
「そっか・・・・・」
操はぎゅっとの手を握り締めた。それ以上何も言わずに、ただただ強く。
操は閉じた瞳に、うっすらと涙を浮かべていた。口元は微笑んでいる。眉根は少しばかり、歪んでいた。
もまた目を伏せた。視界が滲み、目にするものはゆらゆらと陽炎のように揺れていた。
操の手から伝わってくる、彼女の気持ちを受け止めながら。その温かさを心地良く感じながら。
これは自分が宗次郎に良くやる仕草だったなと、は漠然とそんなことを思い出していた。
目に痛いくらいの晴天の下、と張は剣心達にお暇を告げた。支度を整え、挨拶もそこそこに去ろうとする張を剣心は呼び止めた。
「張。牢で自害した志々雄の忠臣・・・・あの男の本名を教えてくれぬか」
「確か・・・佐渡島方治やな」
返事を受け、剣心は真摯な目を張に向ける。
「憂国の士・佐渡島方治の霊前に伝えてくれ・・・。志々雄真実と駒形由美、そして集いし十本刀。例え歴史に残ることがなくとも、拙者の胸の内にしかと留め置くと・・・・」
「・・・大敵の男にそう言われてもあの男が嬉しがるとは思えんが、分かった、任しとき」
剣心の言葉に、張はしっかりと了解の意を伝えた。
彼の言葉を、は正直嬉しいと思った。志々雄の存在が歴史に残ることは無いだろう、そこに集った者達もまた。歴史の裏を暗躍した存在だから誰にも知られることなく、ただ時間は流れていく。
それでも、剣心は彼らの存在を、しっかりと胸に刻むと言ってくれた。もそう思う。
彼らの存在は、にとっては確かなものだったから。
彼らのことを誰もが知ることがなくても、自分は、いつまでも憶えていようと・・・・・。
「・・・・それじゃあ、私もこれで」
既に張は雑踏の中に紛れてしまっている。この先の任務は別だが、そろそろも、ここを去らねばならない。
は軽く会釈をした。薄紅色の着物の袖がふわりと揺れる。
「緋村さん、色々とごめんなさい。それから、・・・・ありがとう」
素直に言葉を紡いだ。
彼に対して申しわけない気持ちと、感謝する気持ちとでいっぱいで。
何に対して、というよりも、本当に色々なことに対してとしか言いようがない。関わった時間は僅かだったけれど、それでもこの人はや宗次郎に、新しい生き方のきっかけをくれた。
「殿。長い人生、これからの方がむしろ大変かもしれぬ。それでも・・・・達者でな」
「・・・・ん」
そう、これからの方が苦難は多いかもしれない。それでもは挫けるつもりは無い。自分の人生は、他ならぬ自分が歩んでいくものだから。
剣心自身が波瀾に富んだ生き方をしてきた。が知り得ない哀しみや苦しみも、彼の内にはあることだろう。だからこそ彼は言ってくれた。や宗次郎を、心から思いやった言葉を。
剣心の穏やかな笑みに、も微笑んで頷いた。
そうして今度は、操の方へと向き直る。
「操ちゃんも、色々、ごめんね」
「うん。蒼紫様から聞いた。だから、もう気にしないでよ、ごめんねはお互い様だからさ」
からっとした表情を浮かべ、操は屈託無く笑う。すべてを水に流すような操の態度を、も少なからず有り難く感じる。それでもやっぱり悪いことをしたな、という思いもあって、はもう一度ごめんねと言った。操はまた笑って許してくれた。
そうしてふと、操は神妙な笑顔を浮かべる。
「・・・・ねぇ、ちゃん。あの時言ってたこと・・・・・好きな人の傍にいたいって気持ち、私にも分かるよ」
好きな人がいればその人の傍にいたいと思うのは当然のこと。まして、多感な少女なら尚更。
それで操は蒼紫を探し回って、その途中で剣心と出会って、志々雄一派とも関与することになった。奇しくも、蒼紫もまた運命の糸に手繰り寄せられるかのように京都へと赴いた。
血と涙と、絶望と希望と、それらを乗り越えて蒼紫は操達の元に戻ってきた。今は生憎と禅寺へと通っていてここにはいないが、側にいるから焦がれる気持ちは尚も強く。
「ちゃんのことだから、もう気付いてるんじゃない? 私の好きな人が誰なのか」
「うん、何となくね」
が頷くと、操も思った通りだといった風に。
「やっぱりねェ。蒼紫様に言伝頼んでたから、そうじゃないかなぁとは思ってたんだ。・・・・あのさ、ちゃん」
「何?」
が首を傾げると、操は気恥ずかしそうにもじもじしだした。
けれども、何かを決心したかのように真っ直ぐにを見て、明るく、それでいてこの上なく優しい笑みを浮かべて。
「私、その、好きな人の傍にいたいって気持ち、よく分かるからさ・・・・・
いつかまた、ちゃんとあいつが一緒に居られるようになること、祈ってるよ」
それは、とてもとても、嬉しい言葉だった。
胸がいっぱいになって、ありがとう、という言葉は声にならなかった。
そうしては、内心とても訊きたかったことを、ここでようやく口に出した。
「・・・・ね、操ちゃん。また操ちゃんのとこに、遊びに来てもいい・・・・?」
操は、一瞬目をぱちくりさせた。けれども次には満面の笑みを浮かべて、思いっきり頷いた。
「もっちろん! だって、あたし達、友達でしょ?」
操は躊躇うことなく、はっきりとそう言ってくれた。
新月村で初めて会い、初対面だったのにもかかわらず親しげな呼び方が口をついて出た時。あの時、は友達が欲しいわけじゃないと突っぱねていたけれど。
本当はそうじゃなかったんだと、はやっと自分に素直になった。
友達なんて欲しくない。ならばどうして、操と普通に会話し合ったのだろう。あの甘味処で本音をぶつけ合ったのだろう。お互いをずっと、気にかけていたのだろう。
本当はずっと願っていた。心の奥底で、普通の友達が欲しい、と。
は今、ようやく気付いた。
あの時からずっと、と操は友達だったのだ。
「・・・・ありがと」
今度はちゃんと言葉に出せた。少しばかり照れ臭かったが、しっかりと操の方を見て。
そうして一歩後ろに下がって、にっこりと笑う。
「じゃあ、またね。緋村さんも操ちゃんも、皆さんも・・・・元気でね!」
少しだけ手を振って、は踵を返した。歩き出した背中を、操の「元気でねー!」という声が追いかけてきた。は口元に小さく笑みを浮かべて、そのまま歩き続ける。操の明るい声も、やがて町の人々の話し声に紛れ、いつの間にか聞こえなくなっていた。
振り向いても剣心や操の姿は見えない、というところまで来て、はやっと足を止めた。振り向かないまま、彼らのことを思い出す。確かな絆で繋がれた者達。
そういえば、斎藤が実は生きていたことを伝えていなかった。特に、左之助などはあの時の様子を見た限り、かなり気にしていそうだったが。
もっとも、斎藤自身が彼らに生きていることを教えてやることは無い、といった風だったが。
(・・・・ま、いっか。生きていれば、いつかまた会えるよね)
誤魔化しのように心の中で呟いて、はふと俯いた。
これは何も、彼らだけに思ったことではない。
(・・・・宗、元気かな・・・・)
出会ってから今まで、こんなに長い間離れたことは無かった。家族の時もそうだったが、いなくなってから更に、どれだけ自分が彼を慕っていたのかを知る。
逢いたくて、けれども逢えないもどかしさは、の胸の中を掻き乱した。宗も頑張っているんだから、と普段は自分を納得させ平然と振る舞っているが、こうして何かの発作のように、時折その苦しさは切なさと共にに襲い掛かってくる。
違う道を行くと言ったのは他ならぬ自分なのに、それでも、決して埋めることのできない淋しさ。
「―――って、何弱気になってるんだろ。宗も頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃ!」
胸の苦しみを追い出すように、は自分に言い聞かせた。
改めて前へと歩き出そうとして、ふと気付く。
雑踏の向こう、往来を行きかう人々の中に、ただ一人立ち止まってこちらを見ている青年に。
はただ目を見開く。
青年はただ微笑む。
それはが誰よりも逢いたいと願っていた、瀬田宗次郎その人だった。
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