―第十五章:緋色の刃―


宗次郎がその脚力を遺憾無く発揮できるようにと、無間乃間は他の十本刀の部屋と比べて広々として、床に畳が敷き詰められているだけという質素な造りだった。
正面の入り口から六間ほど離れた所に、宗次郎とは並んで立って、来訪者を待ち続けていた。
「遅いね、緋村さん」
「ええ。でも、そろそろじゃないかな」
宗次郎がそう答えたその時、偶然にも無間乃間の戸がゆっくりと開け放たれた。そうして中に入ってきたのは、話題に上がっていた緋村剣心その人と、左之助と由美。
剣心を真っ直ぐに見据え、宗次郎とはにっこりと笑って、綺麗にハモってこう言うのだった。
「「ようこそ、緋村さん」」
剣心は口を引き結んだままで、僅かに顎を引いて二人に真摯な目線を向ける。
ここは『天剣』の宗次郎の間だと由美から聞いていた。ある程度予想はしていたが、、やはりこの少女もいたか、と剣心は自分の考えが当たっていたことを悟る。
「お久し振りです、緋村さん。ここまで御無事で何よりです」
宗次郎がにこやかに、これから闘うことなど微塵も感じさせずに剣心に挨拶をする。
「こいつか・・・・」
剣心と引き分ける位だからどれ程の豪傑だろう、と思っていた左之助は、宗次郎の容姿に肩透かしを食らう。剣心に負けず劣らずの優男じゃないか、と。由美から散々『宗次郎は十本刀最強だ』と聞かされてきたのだから無理も無い。
それはそれとして。
「・・・・おい。まさかあの嬢ちゃんも十本刀だってのか?」
左之助が由美に顎をしゃくって示唆するのは、当然のことである。
(そういえば、まだ直接顔を合わせたことは無かったな)
は思った。
「あの子は十本刀じゃないわよ。まぁ、それに準ずる立場ではあるけど」
「初めまして、相楽左之助さん。私は。十本刀じゃないけど、私の字名は、『樋刀』の
由美の言葉を引き継いで、は軽く会釈をして自己紹介した。
「オイオイ、まさか嬢ちゃんも闘う気かよ? 一体どーいうことでェ、ここは『天剣』の宗次郎の間だって言ってたじゃねーか」
が刀を帯びているのを見て、左之助は由美に因縁をつける。由美が何事かを言い返そうとした時、
「ちょっと待った。由美姐さんに文句をつけるのは筋違いよ。方治さんの作戦じゃ、このアジトに残る十本刀は宗と宇水さんと安慈さんの三人ってことだったけど、私は十本刀じゃないから数に入ってないの。つまり、私がどう動こうと私の勝手。ここは宗の部屋だけど、私が先に闘わせて貰うわ」
立て板に水を流すように話したに宗次郎はくすくすと笑い、由美は苦笑して、左之助はぽかんとしていた。
ただ一人、剣心だけが未だ鋭い目でを見据えている。
「そういうわけだから、よろしくね、緋村さん」
は目を細めてにこっと笑って、一歩前に進み出る。
後ろから、宗次郎の「ねぇ」という呼びかけが聞こえてきた。は足を止めて振り返る。
「何?」
「行ってらっしゃい、さん」
「うん!」
は宗次郎に屈託の無い笑みを向ける。それを受けて、宗次郎もあどけなく笑う。
この笑顔を見ているだけで、はとても嬉しくなる。そう、例えどんな時でも。血の臭いが漂う修羅の巷でも。
「お待たせ。さぁ、始めましょうか」
は再び剣心に向き直り、強気な笑顔を浮かべる。
剣心はその言葉を受けてもなお、その場から動かずにいたが、やがて何かを決意したかのように足を踏み出した。
「二人共・・・・丁寧な挨拶、有難く頂戴致すが、生憎とこちらにはゆるりと会話と洒落込んでいる時間がござらん。殿、お主がここにいる以上、答えはもう決まっているのかもしれぬが、退くか闘うか、まず即答願いたい」
「時間・・・ああ、葵屋のコトですね」
が返事をする前に、宗次郎が即答した。
「葵屋なら大丈夫ですよ。さっきこっちが敗北したって電信が入りましたから」
「・・・・!」
宗次郎の言葉に、剣心も左之助も由美も少なからず驚く。
宗次郎の口から葵屋についてを知らされるとは思わなかったのもあるし、単にその事実に驚いたこともあるし、薫達が無事であったことに安堵する気持ちもあって。
もっとも、それは剣心と左之助の二人だけで、由美は心外だといった風に「何ですって?」と声を上げていたが。
「方治さんもえらく驚いてましたけど、まぁ、事実は事実ですから」
宗次郎はさらっとにこやかに続ける。
「でも、その代わり、今度はこっちの時間が無いんですよ。何せ、僕とさんで十本刀十人分の働きをしなくちゃならなくなりましたから。ねぇ?」
「そうそう。緋村さん一人に長々と時間は費やせないってわけ。・・・・緋村さん、あなたの予想通り、私は退く気は無いわ」
言葉と共には刀を抜き放った。鈍い銀色の刀身が姿を現す。
彼と闘うことに、何の躊躇いも無い。
「あなたに私怨は無いけど、私はあなたにもう何も邪魔されたくないの。だから・・・・
死んで頂戴」
次の瞬間、は一足飛びに剣心の懐に入り込んだ。
「!」
それに気付くや否や、剣心も逆刃刀を抜刀した。
と実際に剣を交えるのが初めてだったということもあり、彼女がまだ少女だったというのもあり、いきなり攻撃を仕掛けてきたのは剣心にとっては少し予想外だった。
攻撃への反応が遅れ、が目の前に迫ってきていた時には、彼女の刃は剣心に向けて横薙ぎに払われていた。が、剣心は長年の勘で咄嗟に逆刃刀を振るい、の一撃を受け止める。
「へぇ・・・・やるね」
ニッと笑うにはまだ余裕がある。剣心が体勢を整える前に刀を引き、すぐさま第二撃を繰り出す。
それも剣心には防がれてしまったが、それでもは続けて攻撃を仕掛けていく。
幾度も刃を交える音が響き、互いに傷は負わせられないものの、の素早い連続攻撃を剣心は今のところ捌くしかできない。
(一見、普通の少女でありながら、何故こんなにも速く刀を振るうことができる?)
様々な方向から斬りつけてくるの刀を弾きながらも、剣心は考えを巡らせていた。
刀によって様々ではあるが、通常の日本刀の長さはおよそ二尺五寸から八寸といったところ。の刀は、どうやらそれよりは短い造りであるらしかった。ただし、脇差よりは長く、約二尺、といったところだろうか。
長さが短ければ、当然刀の重量も軽くなる。少女であるにとっては、腕力が男性のそれより劣っていても、扱いやすい刀だと言えよう。
(だが、それだけではないはずだ)
何か他にもの刀には工夫が凝らしてあるはず。彼女が『樋刀』のと呼ばれるその所以。
(樋・・・・・そうか、成程)
剣心はの刀を思いっきり弾き飛ばして、自らも後ろに飛び退いた。も体勢を立て直すべく、剣心を深追いはせずにその場に留まった。
「分かったでござるよ。お主のその剣速の理由、そしてお主が何故、『樋刀』のと呼ばれているのか」
「・・・・・・・」
は口の端を吊り上げながら、じっと剣心の話に耳を傾けている。
深い息を一つ吐いて呼吸を整えた。
「通常の物より短いその刀には、樋が彫られているでごさるな。それも、刀の強度を弱らせないぎりぎりのところまで深く掘ってある樋が」
「・・・・御名答。流石は緋村さん」
はニッと笑う。
剣心程の剣客なら、この刀のことをすぐに見破ってしまうであろうことは予測していた。もっとも、樋のある刀自体、それほど珍しい物ではない。
樋とは刀身に彫られた溝のことで、役目は主に刀の重量を軽くする、曲がりにくくする、衝撃を緩和する等がある。
つまりは、手に返ってくる衝撃も緩やかな軽めの、ただし殺傷力は衰えていない刀を使っていることになる。
「樋の入った刀を振るう・・・・それが私の字名、『樋刀』の由来。これは女である私でも存分に闘えるようにって、志々雄サンがくれた物だけど・・・・」
は刀身を持ち上げ、ちらっとそれを一瞥した。
「刀を軽くする他にも、役割はあるんだよねぇ・・・・」
今度は剣心を鋭く睨みつけ、けれど顔には不敵な笑みを浮かべたまま。
剣心も柄を持つ手にぐっと力を込める。
「この『樋』の他の役割、それは、血走りを良くするのよッ!」
は猛然と攻めかかった。は剣心程の神速は持ち得ないが、少女ならではの軽い身のこなしで再度懐に飛び込む。
振り下ろそうとした一撃を、けれど剣心は逆刃刀で受け止める。はすぐに刃を退き、次は剣心の大腿部を狙った。足を斬れば動きは鈍る、は容赦なく刀を振り払った。
だがその刹那、剣心は後ろに飛び退き、の刀は剣心の袴を掠っただけに終わった。は小さく舌打ちをして、更に剣心に追い打ちをかけるべく飛び掛った。
斬撃の中では最も威力がある突きを繰り出す。しかし剣心は身を捻ってかわすと、の脇腹に手刀を入れた。
「くっ!」
走る痛みに顔をしかめながら、それでもは倒れない。「さん」と宗次郎が声を上げたのが聞こえた気がした。
は何とか踏み止まって剣心を睨みつける。
剣心は刀を右手に持ち、無形の位でを見据えていた。
「どういうつもり? 私が女だから、本気で闘えないってわけ?」
「・・・・・・・」
嘲るようなの言葉にも、剣心は何も答えない。
刀ではなく、手刀で攻撃を食らったことに屈辱を覚え、更に剣心が無言でいることもの怒りを煽る。
「言っておくけど、私は本気よ。緋村さんも、相楽さんも、斎藤さんも・・・・邪魔者は全部消してやるんだから!」
感情に任せては言葉を吐き出す。柄を握る手に力を込め、刃の先を剣心に向けた。
「あなたがいると邪魔なのよ。あなたがいたら、私は志々雄サンを殺せない」
「それは・・・・拙者が志々雄を倒してしまうから、お主自身の手で家族の仇が討てなくなると、そういう意味でござるか?」
黙っての言葉を聞いていた剣心が、静かに口を開いた。
そう切り返され、は一瞬言葉に詰まったが、すぐにふっと少し歪んだ強気の笑みを浮かべた。
「そうよ。私はずっと、家族の仇を討つために志々雄サンの側にいたんだから」
「ならば問うが、お主はその刀で一体誰を斬ってきたのでござる?」
「・・・・・えっ?」
に戸惑いの表情が浮かんだ。まさか話をそう持ってこられるとは思っていなかった。
僅かに狼狽の色を見せたに、剣心は更に畳み掛けるように問いかけをする。
「お主はその刀で、志々雄ではなく、一体誰を斬ってきた?」
「それは・・・・」
の脳裏に赤い色が甦る。
志々雄の下にいるためなら何でもやった。使えないと分かったら、すぐに自分も家族のいるあの世へと送られる。
それは御免だった。
だから殺した。
志々雄の命ずるままに。
力無い人々を。裏切り者の配下を。或いは、
かつてののような、温かい家庭を持つ者も。
直接手にかけなくても、苦しんでる、悲しんでいる人を、大勢見殺しにしてもきた。
―――こうするしかないの、こうするしか。
―――だって、私が志々雄を殺さないと、もっともっとたくさんの人が苦しむことになるんだから。
―――そうするしか、私はここに居られないから、だから―――
「だっ・・・・て・・・・」
まるで親に叱られた子どもが言い訳をするように、はぽつりと呟いた。
「仕方・・・・ないじゃない。私が志々雄サンを殺さなきゃ、もっとたくさんの人達が・・・・私の家族みたいに志々雄サンに殺されちゃうのよ。私が志々雄サンを殺せば、たくさんの人が助かる。だから・・・・・」
「罪の無い人々を、大勢斬ってきたと?」
「・・・・・・・・・」
剣心の静かな迫力に押されて、は思わず後ずさりした。
剣心は怒っているわけでもない。を憐れんでいるわけでもない。
ただただ真っ直ぐに、に目線と言葉を向けていた。
「志々雄を殺し、家族の仇を討ちたいと言いながらも、お主が斬ってきたのは誰だ? どんな手段を用いてでも志々雄を本当に殺したいというのなら、いくらでも殺す手立てはあったはずだ」
「・・・・・っ」
は更に後ずさった。
剣心の言葉は、今まで誰にも突かれたことの無かった所を、遠慮なく抉ってくるようだった。
これ以上聞きたくなくて、両耳を塞いでしまいたいのに、何故だか体が麻痺して動かない。
「本当は、お主は・・・・」
聞きたくない。
その思いに反して、剣心の口から静かに紡がれた言葉は。






「志々雄を殺す気が、無いのではござらんか?」
「―――!!」






は目を見開いた。
宗次郎が彼女の名を呼んでも、その時のには、届かなかった。









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