―第十四章:闇の現―
安慈は左之助に破れ、宇水は斎藤と交戦中。
そして剣心は、方治の部屋で四乃森蒼紫と戦闘を開始。
志々雄から案内役を頼まれた由美から電信が入り、方治の予想を裏切る戦況が続々と送られてきた。方治としては、順調に剣心達が斃されていくのを期待していたのだろう、冷や汗交じりに志々雄に報告をする。
「あーあ。これなら十本刀を全員こっちに残しておいた方が良かったんじゃない? ねぇ、志々雄サン」
幾らかの皮肉も込めて、は志々雄を横目で見遣った。
今現在、志々雄の部屋で宗次郎とは待機していた。無論、方治の期待通りに事が運んだならば、宗次郎もも刀を抜く機会はないだろうが、このままいけば闘いは避けられそうもない。
もっとも、避ける理由はどこにも無いが。
「・・・・ふっ。安慈相手に闘って無傷で済む奴などまず間違いなくいねェし、宇水は恐らく斎藤に負けるだろうが、奴だって意地の一つかけてそれなりの傷は負わせるはず」
志々雄は煙管を口から離し、白煙を吐き出した。
「手負い二人と抜刀斎なら、俺と宗、それにで十分片が付く。だろ?」
志々雄からそう切り返されて、はいつものようにぷいっと顔を背けた。
「ふん、いつまでその余裕面でいられるかしらね」
「もう、さんてば」
やんわりと諫めながらも、宗次郎の顔は笑っている。反対に、方治は不機嫌そうな顔で。
「全く、、お前という奴はどうしていつもそうやって志々雄様に無礼なことを・・・・!」
「そんなの私の勝手でしょ。大体、緋村さんを始末したら次は志々雄サンの番なんだからっ!」
「またそんなことを言って!」
「何よっ! 何で私が志々雄サンのとこにいると思ってんの!?」
「まぁまぁ、さんも方治さんもそのくらいにして」
言い合っているうちに白熱して喧嘩になりそうな二人だったが、宗次郎が止めに入る。はまだ何か言いたそうだったが、宗次郎にこう止められたら引き下がるしかない。大人しく言葉を飲み込む。
一連の流れを、志々雄は面白そうに眺めていた。その視線に気付いた方治は、慌てて咳払いをして場を繕った。
「・・・・失礼しました。それにしても、の言葉を借りるわけではないのですが、志々雄様は余裕ですね」
方治のこの言葉に、志々雄は底冷えのするような不敵な笑みを浮かべた。
「お前はオロオロとうろたえる俺が見たいか?」
方治は目を細めて薄く笑むと、いいえ、と首を振った。
「それはそうと、とうとう抜刀斎と四乃森蒼紫の対決の時か。宗、愛刀の手入れ、もっと丹念にやっときな」
「はい?」
と方治の喧嘩が収まり、刀の手入れを再開していた宗次郎は、また手を止めて志々雄に目を向けた。
「奴らの闘いは、かなり長引くだろうからな」
「長引く? 何でです?」
「見てもないのにどうして分かるのよ」
宗次郎とは率直な疑問を志々雄にぶつけた。
志々雄はふっと笑って言葉を返す。
「簡単な事だ。今の抜刀斎と四乃森蒼紫は実力伯仲。その二人が刀を交えれば、命を削り合う死闘は必至だからな」
「へぇ・・・・成程」
宗次郎は笑って頷くと、再び刀に向き合った。志々雄の言葉通り、宗次郎は丹念に刀の手入れをしていた。その間、はちょっと手持ち無沙汰だったりする。
しばらくした後、宗次郎はようやく刀の手入れを終えると、刀身を鞘に納めて志々雄に尋ねた。
「あの二人、どちらが勝つと思います?」
「そうそう、私もそれ気になってたんだよね」
「さあて・・・・実力伯仲だからな」
意外にも、志々雄は素っ気無い返事だった。裏を返せば、志々雄でもその答えははっきりと分からない程、剣心と蒼紫の強さが拮抗しているということ。
それとも、どちらが勝っても一番強いのは自分だという自信があるのか。
「相打ちで双方共斃れが一番理想的だ。余計な手間が一切省ける」
「何か方治さんらしいね、その言い方・・・・」
口を挟んできた方治に、は思わずそう呟く。
「僕は緋村さんに勝って欲しいなァ。新月村や煉獄での決着つけたいし」
刀身を肩に担ぎながら、宗次郎はにこにこと。そんな彼にも頷く。
「宗は緋村さんとまた闘いたいんだものね」
新月村では引き分け。煉獄では勝負そのものをしていない。宗次郎が剣心との決着に拘るのは無理もない話だ。
それに加え、宗次郎の行動理念『弱肉強食』。強ければ生き、弱ければ死ぬ、その言葉を信じている宗次郎にとって、どちらが強いのかはっきりさせたいというのもあるのだろう。
「でも、四乃森さんが勝ったら、志々雄さん、どうします?」
宗次郎のその質問に、志々雄はしばし考え、冷笑を浮かべこう答えた。
「そん時ゃ四乃森蒼紫を斃して、俺が最強だ」
「成程・・・・それは分かりやすいね」
は考えを巡らせた。
蒼紫は剣心を斃し、最強の証を手に入れることに固執している。蒼紫が勝つ、それは即ち剣心の死を意味する。
そうすれば残りは斎藤と左之助、志々雄の言う通り手負い二人ならば、十分に始末できるはずだ。加えて、志々雄は蒼紫をも斃し最強の座を頂くと。
けれどは何となく、剣心が勝つような気がしていた。そう考えた理由に根拠はない。それでも、剣心は蒼紫を打ち破るような、そんな予感がする。
それは―――もう考えないと決めたのに―――操のことが、ふっと頭をよぎったからかもしれない。
『あのさ、ちゃんだから訊くけど、蒼紫様は・・・・・・』
操にとって、蒼紫がどんな存在なのかは分からないが、あの時の彼女の表情を思い出すと、胸の中がしんとする。
あの時、は操に誰か好きな人はいないのか、と言葉を投げかけたが、もしかしたらそれは、四乃森さんじゃないだろうか・・・・・?
今更になって、そう思った。
「どうしたんですか?」
ぼんやりとしていたは、宗次郎の声で我に返った。
そうだ、操のことを考えてる場合じゃない。それに彼女が蒼紫のことを想っているかどうかなんて、考えても詮無いことだ。
「ん、ちょっと考え事」
小さく笑って言葉を返すと、宗次郎は「?」と首を傾げながらもにこっと笑んだ。
「それにしても、まだ決着つかないのかなぁ。緋村さんと四乃森さん」
話題を変えるようにが呟いた丁度その時、通信台に向かっていた方治が喜び勇んだ声で志々雄の元へ歩み寄った。
「志々雄様、由美から電信入りました! 緋村がなんと奥義を放ったとの事!! 蒼紫の渾身の一撃が入るか否かの一瞬の抜刀術!! その詳細は―――」
興奮気味に方治は一気にまくし立てた。剣心が奥義を放ったと聞き、一体どんなものだろう、とも息を呑む。
・・・・しかし。
「『見エナカッタ』・・・?」
「あっはっは」
「ふふっ・・・由美姐さんてば・・・・」
あんまりな報告だったが、宗次郎は肩を震わせて笑っている。も脱力した後、小さく笑いを漏らした。
「っの役立たず!!」
方治は怒りのあまり紙をびりびりと破り捨てた。が、志々雄は由美からの報告を冷静に分析し、こう述べる。
「そうでもねェさ。蒼紫の回天何とかの後に発動してもなお先に極まった。つまり奴の奥義は、それ程までに速い『超神速の抜刀術』だということだ」
「へぇ、流石志々雄さん。それにしても、緋村さんの奥義は抜刀術かぁ・・・・」
宗次郎は含み笑いをしながらそう言った。
特に流派を持たない宗次郎だったが、たった一つ、自分で名前をつけた技がある。その技も抜刀術だったから、剣心のそれと、同じ符号のようなものを感じたのだろう。
宗次郎は屈んで、足に脚半を巻き付け始めていた。
由美の報告が意味するのは、蒼紫の敗北。つまり、剣心は順調に先へと進んでいる。
「どうやら、次は私達の出番みたいだね、宗」
「ええ。いよいよですね」
もまた宗次郎の隣に屈んで、ブーツの紐を結び直した。
・・・・悪い知らせというものは、何故か重なるもので、京都の通信兵から葵屋襲撃失敗の電信が入った。方治はぶるぶると震え、歯軋りしながらそれを志々雄に告げる。
「夷腕坊は逃走。蝙也、鎌足、不二、才槌は敗北後、捕縛・・・・!!」
鎌足さんも負けちゃったんだ、とは思った。そして、葵屋の面々は、操は無事だったということも。
ほっと安堵の溜息が口をついて零れ、はハッとする。
(どうして私、安心してるの?)
もう操のことは考えないと決めたのに。所詮敵同士なのに。
どうしてその無事を知って、安心してるんだろう?
「つまり、これで十本刀はほぼ壊滅ってわけか」
志々雄はそれでも、余裕の笑みを崩さない。逆に、方治は憤りのあまり、報告書を床に投げ捨てて頭を抱えた。
「何故だ? 不二まで含めたあの布陣で敗北など有り得ないはずなのに何故!?」
「向こうがこっちより強かった、それだけのコトですよ」
宗次郎の澄んだ声が辺りに響き渡る。この状況下で何の動揺も見せず、むしろ楽しそうに手甲を腕にはめている。
「所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬ。でも、大丈夫ですよ」
宗次郎は床にトントンと爪先を打ちつけた。腕に手甲、足には脚半、それは宗次郎が本気で闘う時の姿といっても相違ない。
そして勿論、手には愛刀、菊一文字。
「僕は強いから。後は僕が十本刀十人分闘えば済むコトでしょ? それに・・・・」
宗次郎の穏やかな笑顔が、今度はに向けられる。
「さんだっているんだし」
その微笑を受け、も強気に笑んで頷く。
そう、もうこの刀を手にしたからには、はただの少女ではなく、志々雄一派の一員『樋刀』の。
今度こそ、余計なことを考えている場合じゃない。
―――何故、自分はここにいる?
すべては志々雄を殺して、家族の仇を討つため―――
愛刀を携え、は志々雄をキッと睨みつける。
「さっき方治さんにも言ったけど、緋村さん達を斃したら、今度はあんたの番だからね」
「ふっ・・・・楽しみに待ってるぜ」
志々雄はソファーの背もたれに手をかけ、ニヤッと笑ってこう答えた。
普段のなら、志々雄の返事を聞いた途端、顔を背けるのだったが。
「・・・・じゃあ、行ってくる」
しっかりと、気丈に志々雄を見据えたまま言い放った。そんなに志々雄は口の端を更に吊り上げる。
それを見てからも踵を返した。遅れて宗次郎も軽く会釈をする。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
『天剣』の宗次郎の部屋、無間乃間へと続く最短の通路。そのドアを開け、二人は真っ暗な廊下を歩いていく。
床を踏みしめる度に上がる音だけが辺りにこだまする。
蝋燭も洋灯もない暗闇の空間、それでも目が慣れてくれば、ぼんやりと相手の顔が確認できた。
「いよいよだね・・・・」
ぽつりと漏らした声が、やけに響いて聞こえる。そうですねと宗次郎も返して、ふと足を止める。
「大丈夫。僕は負けませんから」
「うん、それは私も思う。でも、私に先に緋村さんと闘わせて」
え、と宗次郎がほんの少し目を丸くしたのが分かった。
は少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。宗も緋村さんとは決着つけたいよね。でも、私、これ以上あの人に邪魔されたくないの」
言い切ったの目は、底冷えするような色をしていた。
暗闇に紛れて、宗次郎には見えなかったけれど。
「志々雄サンを殺すことも、宗と一緒にいることも、私が私の道を行くことも・・・・もう、何も、邪魔されたくない!」
は一息で言葉を吐き出した。
剣心が悪い人でないことは分かっている。個人的な恨みもない。
それでも、剣心にこれ以上邪魔されたくなかった。彼の存在が、の歯車をずれさせる。いや―――歪んでいたのが、元々であったとしても。
ぎゅっと拳を握り締めて俯いていたの頭を、ぽんと宗次郎が軽く叩いた。ぽん、ぽんとそれは何度か繰り返される。
宗次郎のその仕草に、ふと、ずっと昔に亡くした家族を思い出した。
「・・・・宗」
顔を上げると、宗次郎と目が合った。宗次郎はにこっと笑い、の髪を撫でてから手を離した。
「いいですよ。さんがそうしたいなら」
「・・・・ごめんね。ありがとう」
「気にしないで下さいよ。緋村さんに邪魔されたくないって気持ち、何となく僕も分かりますから」
「・・・・宗も?」
宗次郎のその言葉に、今度はの目がほんの少し見開かれた。
「ええ。理由は違うかもしれないけど。もしかしたら、どこか一緒かもしれないけど」
唄うように宗次郎は言った。言葉に秘められた本意を掴みかねては首を傾げた。
けれど、それでもいいと思った。
目的は同じ、剣心を斃すこと。
そうすればきっと、自分達は今まで通りで居られるのだ。例えばそれが、この空間と同じような先が見えない暗闇の中であったとしても、排他的な安らぎを得て。
「行きましょう」
「うん」
血に染まった手を繋いで、二人は漆黒の中を歩み出す。
闘いの時は、近い。
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