―第十一章:蒼い記憶―


―――そして一日が経ち、京都大火の実行日。
十本刀や兵隊達が大火のために京都の街を奔走している中、宗次郎とは志々雄達と共に大阪湾にいた。
「どうですか、この船?」
船を紹介しながら、宗次郎はに尋ねる。船の準備に行かなかったは『煉獄』を見るのは初めてだった。ペリーの黒船来航を模して東京に砲撃を仕掛ける、と聞いていたので、さぞすごい船なのだろうと思っていたのだが。
「いや、どうもこうも・・・・・」
夜の闇の中、海に浮かんだその船は、あちこちがひび割れ老朽化した、一言で言えば『ボロ船』だった。感想を言おうにも困ってしまう。
同じことを由美も思っていたようで、その船の甲板に上がってからも、顔を引きつらせていた。
「どうした、由美」
「今の今まで十本刀にさえ極秘だった東京砲撃に同伴させて下さるのは光栄ですけど、でも本当にこんな・・・その・・・・ボロ船で?」
志々雄の顔色を窺いながら、由美は恐る恐るといった風に言葉を返す。志々雄はそれにニッと笑ってこう答えた。
「なあ由美。お前は俺の見てくれに惚れたのかい?」
「え?」
「お前が惚れたのは俺の中身だろ。だったらこいつも中身を見てみろ」
志々雄は船室の扉を開けようとして、ふと手を止めて振り向いた。
「あぁ、もこの船には不服そうだな。お前も一緒に見てみるか?」
「・・・・いい。私は宗と一緒に見に行くから」
志々雄が言うその船の中身とやらも気になったが、はふいと顔を背けて宗次郎の着物を掴んだ。
志々雄は目を細めて笑むと、由美を伴って船の中身を見に行った。扉を開け放ち、由美にそれを見せる。扉の向こうに何があるのかは、の位置からは見えなかったが、由美が酷く驚いているのは分かった。へたり込んだ由美に、志々雄は大胆に言い放つ。
「どうだ、由美。惚れてくれるか?」
「・・・ええ。これがあれば、憎い明治政府なんてイチコロだわ! 早く、早く出航しましょう!」
由美は満面の笑みで志々雄の腕を掴む。何を見たのかは知らないが、相当に嬉しいらしい。
今度は宗次郎との手を掴んで、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねた。
「ゆ、由美姐さん?」
「さすが志々雄様だわ。これで明治政府も終わりよ!」
こんなにはしゃぐ由美を見たのはも初めてである。そんなにこの船の中身はすごいのか。
そういえば、とは思った。
そういえば、は由美が何故明治政府を憎んでいるのか知らなかった。志々雄と宗次郎と共にあちこちを放浪して、そのうち明治政府を憎む者や志々雄の考え方に賛同する者が集い出し、段々と兵団が形成されていき、そしていつしか京都を拠点とする組織が出来上がった。
由美が加わったのは、もう五、六年前のことだったろうか。
夜伽役、ということで甲斐甲斐しく志々雄の身の回りの世話をし、は子ども心に、『由美姐さんは志々雄サンが好きだから仲間になったんだな』と思っていた。今でも、その考えは間違ってないと思う。
けれど、少しずつ知った。由美は明治政府を憎んでいることを。妖艶で姉御肌で、意外と面倒見がいい彼女が時折見せる明治政府への怒り。
その理由は何なのだろうと今更ながら思う。
「ねぇ、由美姐さんは―――」
「こんなに嬉しい事ってないわ。ああ、ワインでも飲みましょ♪」
尋ねようとしたの言葉など聞こえていない様子で、浮かれた由美は軽い足取りで去っていった。多分、兵隊にでも頼みに行ったのだろう。
「・・・・あんな由美姐さん、初めて見た」
聞きそびれてしまったな、と思う。でも、またいつか何かの折に聞けばいい話だ。
「ええ、僕もですよ。でも、それだけこの『煉獄』がすごいってことじゃないですか? ねぇ、志々雄さん」
宗次郎の問いかけに、志々雄は無言でフ、と笑う。
「今度はさんも見てみて下さいよ。ね」
「うん」
宗次郎に連れられて、も船の中身を覗き込む。
ボロ船だと思ったその外見はただの偽装―――中身は、ペリーの黒船もかくやと思わせる程の、大形甲鉄艦だった。あちこちに大砲が顔を覗かせる鉄の船。これなら明治政府も、そう簡単に太刀打ちできないだろう。
「ね、すごいでしょう?」
「う、うん・・・・・」
これにはも度肝を抜かれた。志々雄は武器商人も配下に入れているし、領地から納められている金もあるから財力は相当なものだろう(実際、比叡山中にあんなアジトもあるわけだし)、とは思っていたが、まさか一個人で甲鉄艦を手に入れるとは・・・・。
「どうだ、。お前も惚れてくれるか?」
呆然と突っ立っていたに、志々雄のこの一言。ハッと我に返り声の方を見ると、志々雄は余裕綽々といった風に笑んでいる。
ふん、とはまた顔を背けた。
「もう、相変わらず仲悪いですねぇ」
二人の様子を見て、そんなことを言いながらも宗次郎は笑っている。
「ね、さん。ちょっと船を探検してみませんか? まぁ、ボロ船のままではあるんですけど」
「おい、もうすぐ出航だぞ」
「行く行く。出航の時間に間に合うように戻ってくればいいでしょ?」
咎める方治にそう言葉を返し、は宗次郎の後ろにくっついていく。後ろで方治の「全く・・・」という呟きが聞こえたが、気にしないことにした。
宗次郎とは、二人で船の中を見て回る。敵の目を欺くために民間船に偽装している『煉獄』だったが、その外観のボロ船部分もよくできている。
一通り見て回った二人は、船縁に寄りかかって休んでいた。目の前には暗い海が広がり、静かな波の音が聞こえる。
「夜の海って、何だか怖いね」
「昼間の海とは随分違いますよね」
今夜は闇夜だから、尚更そう感じるのかもしれない。黒い水面を眺めながら、はふとあることを思い出した。
「そういえば私、小さい頃に宗と志々雄サンと行くまで、海って行ったことなかったんだよね・・・」
「そうでした?」
「うん。初めて見た時、あまりの広さと綺麗さに驚いたっけ・・・・」
夜の海を見て思い出した、昼の海の記憶。
あれは、志々雄と宗次郎についていって、間もない頃だったろうか。
歩いているうちに海岸に出て、その先に広がる海を見て、子どもだった宗次郎とは無邪気にはしゃいだものだった。









『うわぁ・・・・これが海? 初めて見る・・・・』
『何だ、。お前海に来たことなかったのか?』
『・・・・・・』
『志々雄さん、僕も初めてですよ』
『宗次郎もか・・・・。この海の向こうにはな、でっけぇ異国があるんだぜ』
『海の向こう?』
『ああ。凄く強ぇ国がゴロゴロしてやがる。西欧列強にしてみれば、日本なんざちっぽけな弱い国さ。だから俺がこの国の覇権を盗って、この国を強くしてやるんだ』
『・・・・良く分からないです』
『所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ、ってことさ。人間だけじゃねぇ、国もそうだ』
『・・・・ふぅん。でも、この国が強くなる前に、絶対に私があんたを殺してやるから』
『楽しみに待ってるぜ』
『・・・・ふん』
『まぁまぁ。それより、海で遊びましょうよ。水がとっても綺麗だよ』
『うん、行く行く! ・・・・わぁ、水がつめた〜い・・・・!』
『あ、貝も落ちてるよ』
『ホントだ〜!』
『オイオイ、あんまり羽目を外すなよ。波に飲まれちまうぞ』
『平気ですよ〜だ。あ、こっちにもあるよ!
・・・っわ!?』
さん!?』
『ったく、だから言わんこっちゃねぇ。よっ・・・と。おい、、大丈夫か?』
『ゲホゲホゲホッ! な、何これ、しょっぱ〜い・・・!』
『そんだけ元気なら、大丈夫だな』
『良かったぁ』
『・・・波がいきなり来るなんて思わなかったよ。それより・・・・志々雄サンが私を助けたわけ?』
『凄かったよ。波をジャブジャブかき分けてって』
『・・・・何で、あんたに助けらんなきゃいけないのよ・・・・あんたなんかに、助けて欲しくない!』
『お前は家族の仇を取らないうちに死にたかったのか?』
『・・・・・・っ』
『お前も宗も、これからもっと強くなる。こんなとこで死なせるわけにはいけないんでな』
『・・・・その言葉、いつか後悔させてやるから』
『そう来なくちゃな。おい、宗、、そろそろ行くぞ』
『はーい。さ、行こう』
『・・・うん』
『また、いつか三人で来れるといいですね。ねぇ、志々雄さん』
『ああ、そうだな・・・・』









「・・・そう言えば、そんなことありましたねぇ」
思い出話を語るうちに思い出したのか、宗次郎もうんうんと頷く。
「確かあの時、さんがいきなり来た波に飲まれちゃったんですよね。それで、志々雄さんが助けて」
「・・・・今思い出しても一生の不覚よ。あんな奴に助けられるなんて」
「あははっ」
船縁に両腕を乗せて、そこに顎をのせた姿勢で憮然と呟く。宗次郎は軽く笑う。
「でも、あの時言ってたこと、叶っちゃいましたね。また海に行く、っていう。まぁ、今回は随分と人数は多いですけど」
「そうだね・・・・」
確かに、宗次郎が言っていたそのことは実現した。
けれど、が言っていたことは未だ叶っていない。この国が強くなる前に、志々雄を殺す。今まさに、東京と明治政府の破滅のためにこの船に乗っているというのに。
「・・・・ねぇ、宗。緋村さんは来るかな」
「どうしたんです? いきなり」
突然の質問に、宗次郎はきょとんとした顔になる。
は単に、志々雄の野望を阻止しようとしている剣心の顔が頭に浮かんで、そのことを口にしたに過ぎなかったが。
恐らく彼のことだから、京都大火のことは知っているだろう。
「敵の裏をかいてのこの作戦だけど、もしかしたら緋村さんはそれも読んでるのかなぁ?」
「さぁ、どうでしょうね」
「もし緋村さんが来たら、また闘う気?」
「う〜ん、新月村では引き分けだったから、勝負を着けたいってのはあるなぁ。でも緋村さんもこの場所までは知らないわけだし、そんなに気にすることも無いんじゃ?」
事も無げに言ってのけた宗次郎に、けれどはうーんと首を捻った。
「まぁ確かに、もしもの話なんだけどね・・・・。でも、何だか嫌な予感がするんだよね」
その予感に根拠はない。
ただ、どうもあの緋村剣心が現れてから、志々雄の国盗り計画にひずみが出ている感じがする。事がうまく運んでいるようでいて、それでいて不安感を拭えないような。
もっとも、そんなことを志々雄に言いでもしたら、一笑に付されるだけだろうが。
それに―――ひずみが生じているのは志々雄の計画だけではない。
自身にもまた、恐らく・・・・・。
さんの杞憂ならいいんですけどね。でも、もし緋村さんが来たとしても大丈夫ですよ」
を安心させるかのように、宗次郎はぽんとその小さな肩に手を置く。は顔を上げて宗次郎を見た。
穏やかで、幼い頃と変わらぬ無垢な笑顔がそこにあった。
「僕は強いから」
「・・・・そうだね」
も目を細めて微笑む。肩に触れる温もりに安堵を覚え、そっと右手でそれに触れる。
宗次郎の手。幼い頃、過酷な環境で育ち酷使された手。幾多もの人間を殺し、血に染まった手。
それでも、この宗次郎のこの手は。初めて会った時と同じく、温かく、安心する手。
「そろそろ戻ろっか。あんまり遅いと、方治さんに叱られちゃうしね」
「そうですね。行きましょうか」
寄りかかっていた船縁から体を離し、二人は連れ立って志々雄達のいる甲板へと戻っていく。
歩くたびに上がる板の軋む音と、静かな潮騒の音を交えて聞きながら、はとりあえず昔の蒼い記憶を頭の片隅に追いやった。









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