―第一章:夜明け前―
町中が騒がしい。理由は分かっていた。
内務卿、大久保利通暗殺。
人垣の向こうからでも漂ってくる血の匂いに、は肩をすくめた。
と、その人込みの中から、ひょいと書生姿の青年が現れた。柔和な顔立ちに穏やかな笑顔。短い散切りの髪がさらさらと風に靡く。
まさか、誰も思わないだろう。
この人当たりの良さそうな青年こそが、大久保を暗殺した張本人だということを。
「・・・・本当に殺ったんだ」
その青年、瀬田宗次郎の側にすっと近付きながらは言った。勿論声は抑えて、宗次郎以外誰にも聞こえないように。
「殺して欲しくなかったんですか?」
宗次郎は笑顔のままでさらりと言ってのける。並んで歩く二人の背は、宗次郎の方がほんの少し高い。
は薄紅色の着物と臙脂色の袴を身につけ、革のブーツで足元を包んだその姿はまるで女学生のようだ。首の後ろで細いリボンで括ってある長い髪は、歩くたびに揺れている。
青と赤。
身を纏う着物の色こそ対照的に違うものの、彼らの根底に流れる気質は、似たようなものがあるかもしれない。
人通りの少ない道まで出て、それからはようやく答えた。
「別に。あんな人どうだっていいし、それに明治政府が志々雄サンのことちゃんと殺してたら、私の家族が皆殺しの目に遭うこともなかったんだし」
「その言い方、さんらしいなぁ」
くすくすと宗次郎は笑う。は一つ溜息を吐いて。
「当たり前でしょ。何で私が志々雄サンの一派にいると思ってるの?」
「志々雄さんを殺して、家族の仇を取るため、でしょ?」
穏やかでない言葉が行き交うが、二人は日常の会話であるかのように自然に話している。
宗次郎は笑顔のままで、もその返答に満足したかのように笑む。
「分かってるんじゃない。さてと、志々雄サンのとこに報告に行きましょ」
そうして二人は、颯爽とその場を去っていく。
明治十一年五月十四日。
日本の命運をかけた闘いが、始まろうとしていた―――。
「すごいですね。四入道に得意の瞬速四身一体すら出させないなんて」
軽く拍手をしながら宗次郎がにこやかに言う。その隣のは感嘆の声こそ上げないものの、目の前の男、四乃森蒼紫の強さはかなりのものだと感じ取っていた。
修羅に近付きかけたこの男を、何かに使えるのでは、と考え、平たく言えば二人は彼を勧誘しに来ている。
蒼紫が闘うのを直接見たのは初めてだが、成程、強い。本気を出してはいなかったのだろうが、それなりに腕の立つ四人を一瞬で殺した実力は確かだ。
けれど彼が四入道を一瞬で殺したのには、実力以外にも理由があるとは思っていた。
蒼紫は二刀の小太刀を鞘に納めないまま、鋭い目で二人を見据えた。
「お前らも志々雄の手の者か」
「はい。瀬田宗次郎。志々雄さんの側近を務めています」
満面の笑みで宗次郎はそう名乗った。蒼紫はまだ二人を睨んでいる。というより、今度はを。例え少女だろうと、志々雄一派の者であることに変わりはないと思っているのだろう。
は笑みこそ浮かべなかったものの、素直に自己紹介した。
「私は。私もまぁ・・・・志々雄サンの側近かな」
「・・・・・・」
蒼紫は無言で二人に目を向けたままだ。
それにしても、と宗次郎が言った。
「それにしても、本当にすごいですね」
宗次郎の目線の先には、血溜まりに沈む四入道の死体。普通の者なら吐き気を催し直視もできないであろう惨たらしい有様なのに、宗次郎はそのことはまったく気にかけていない。相変わらず笑顔のまま、ただ蒼紫の腕前が本当にすごいと感心しているばかりだ。
「どうです? 一緒に来て話を聞くだけでも―――」
「失せろ」
言葉の途中で蒼紫は宗次郎を一蹴した。更に冷たく、鋭い眼差しを宗次郎に向ける。
「俺は誰ともつるむつもりはない。特に、相手の力量を測るためだけに自分の部下を捨て駒にする無情な男とはな」
「何だ、分かってたんですか」
宗次郎は困った風に頭を掻く。けれどもすぐに、蒼紫を見据えて静かに笑う。
「でも、捨て駒と分かっていながら、あいつらを躊躇いもなく刻み殺したあなたも、十分無情ですよ」
風が流れ、沈黙が落ちた。
宗次郎は意外な程に呆気なく踵を返した。
「まぁいいや。気が向いたら京都へ来て下さい。僕達はそこで待っていますから。
時代の変わり目と二度も見える事になりながら、二度ともその中心地に居合わせないなんて・・・・。それじゃあ、お庭番衆御頭の名が泣きますよ」
宗次郎はどこか挑発的な言葉を投げかける。
四乃森蒼紫の存在を知り、その後宗次郎とは彼についての情報を集め、調べ上げた。どんなことを言えば効果的なのか知っている。だからこその、その言葉。
「まぁ、来るも来ないもあなたの勝手だけどね。それじゃあ」
宗次郎に続き、もその場を去りかけた。
けれど数歩歩いたところでぴたと足を止め、振り向く。
「あなたにとっての大事な場所を汚してしまって、ごめんなさいね」
は詫びを述べた。四入道は蒼紫の部下の墓の上で飲み食いをし、墓石に唾さえ吐いた。
その行いに、蒼紫が怒らない筈がない。だからこそ彼は、あんなにもあっさりと四入道を斬り捨てたのだろう。
誰にでも大切なものがある、とは知っている。だからこその、言葉。
「・・・・・・・」
蒼紫はそれでも表情を変えなかったが、のその言葉は少し意外なようだった。
は蒼紫に軽く頭を下げると、宗次郎を追いかけて足早に歩いていった。宗次郎にはすぐに追いつくことができた。
「四乃森さんとは何を話してたんです?」
「んー、ちょっとね。それより―――」
木々の間を歩く二人の前に開けた空間が現れた。そこに敷物を敷き傘を立て、美女を侍らせ酒を煽っている男がいる。
志々雄真実。
そう、この男こそが宗次郎とが仕えている者。
「どうです、あの人は?」
志々雄はニッと笑ってみせる。今でこそくつろいでいるものの、少し前までは蒼紫の強さを直に見に行っていた。使えるか使えないか、自分自身の目でそれを見極めるために。
「気に入った。人をゴミ同然に斬る所が特にな」
志々雄は満足そうにまた酒を飲む。
は少し眉根を寄せた。志々雄の言葉に不愉快になったようだった。
「誰にだって大事なものはあるわ。あの人が怒ったのは当然でしょ」
それを聞いて志々雄はククッと笑う。
「まぁ・・・・確かにそれもあるかもしれねぇな」
「志々雄さん、あの人、なかなかなびきそうにないですけど・・・・・次は、何をしましょうか?」
志々雄は宗次郎の言葉に少し考え込むと、冷徹な目を細めた。
「そうだな・・・・とりあえず人斬りの先輩様に早目に挨拶しておくか」
人斬りの先輩。それはすなわち、緋村剣心―――人斬り抜刀斎のこと。
既に東京を離れたという情報も入り、部下に後もつけさせている。はまだ緋村抜刀斎と会ったことはなかったが、幕末に最強という伝説を残したことからして、相当な強さであるはずだ。
「志々雄さん。楽しんで―――いません?」
「まぁな」
宗次郎の言葉通り、実際志々雄は楽しそうだった。抜刀斎の存在が、先に控えている国盗りの障害となるのは分かっているのに、それでも志々雄にとっては強者と闘えるということは喜びであり、血が騒ぐものだった。
「ところで、さん?」
「何?」
呼びかけられて、は宗次郎に振り向いた。
「誰にだって大事なものはあるから、だから四乃森さんは怒ったんだって言ってましたけど・・・・・。
もし僕が、緋村抜刀斎さんに殺されたとしたら、さんは怒りますか?」
突然の問いには目をぱちくりさせた。そんな仮定を宗次郎が持ち出すなんて、珍しい事もあるものだ。
は少しだけ考えた。
「そりゃ勿論、怒るよ。怒るだろうけど・・・・・」
その先は即答だった。
「多分それはないと思う。だって、宗がその緋村抜刀斎さんに負けるはずがないじゃない。私は宗を信じてるもの」
力強い笑みと共に紡がれたの言葉に、宗次郎は笑みを深くした。
「あはは、そっかぁ、そうですよね」
「あらあら、まったく仲が良ろしいこと。妬けちゃうわねぇ、志々雄様」
志々雄にしな垂れかかっている女性、由美がそう言った。幼い頃から共に過ごしながらも、それでも未だ初々しいこの宗次郎との二人が、由美は可愛くて仕方がないのだ。
普段は気丈なも、宗次郎の前ではふとごく普通の少女へと戻る。
が志々雄の命を狙っていると知っていながらも、何故か由美は彼女を嫌いにはなれなかった。
「まぁ、何にせよ、もうすぐ国盗りの始まりだ。俺がこの日本を盗ったら、どっかの地方はお前ら二人にくれてやってもいいな」
「いらないわよ。私は宗がいればそれでいい。それに、」
は志々雄にキッと鋭い目を向けた。
「あなたがこの国を盗る前に、私があなたを殺す」
それでも志々雄はまた楽しそうにクッと笑うと、一気に酒を飲み干した。
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ちょっと変わった設定の宗次郎ドリーム長編です。
結構前から案はあったのですが、やっと書き始めることができました。
最後まで、お付き合い頂ければ幸いです。
2005年2月26日
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