―第八章:流浪人と御庭番衆と―



秋が訪れるのは、静岡よりも京都の方が早い。
遠くの山々は、緑色の中に赤や黄色を織り交ぜて、あたかも錦の衣のように華やかな美しさと情緒を醸し出していた。
宗次郎の旅は、滞りなくすんなりと進み、静岡を発って五日目の昼には、もう京都の地へは着いていた。
(・・・・懐かしいなぁ)
十年前と比べ、少し町並みは変わりつつも、それでも古都としての趣を色濃く残す京都の町を歩く宗次郎。ふと、自然とそんな言葉が心中で漏らされる。
十年間、一度も訪れなかったわけではないが、それでも志々雄の元にいた頃ずっと過ごしていたこの地に再び戻ってくるというのは、宗次郎に郷愁的な感慨を抱かせた。京都の地そのものに、それもある。けれどそれ以上に、志々雄や由美、方治ら十本刀の面々、今はもう遠い場所にいる彼らのこともまた、思い出さずにはいられなかった。
思想や理念は違えど、明治政府転覆という目的を同じくした同志達。
その中で、絶対的な強者として君臨していた志々雄は、緋村剣心との死闘の末、由美と共に命を落とした。
すんでの所を安慈に助けられた方治は、結局は自害したという。安慈は北海道での集治監で再会を果たしはしたが、同じく警察に引き渡された鎌足達のその後は分からない。同じ組織にいながらも、宗次郎は彼らの大半の行方を知らなかった。もっとも、彼らとて、今の宗次郎のことを知り得はしないのだけれど。
十年前の死闘で、散り散りになった者達。それから時を経たこの明治二十一年、宗次郎はその修羅達の残燭とも言える蘇芳らとの闘いに応じるべく、今再びこの地を踏んでいる。そして地獄の業火の落し子、真由と真美。
日本を守るという、崇高な目的などでは無い。ただ、宗次郎は彼らの剣に応えたいと思った。闘いの末に何があるのか、まだ全く見えないけれど。
「とりあえず、まずはやっぱり情報収集かな」
京都で待つ、と蘇芳は言っていたが、彼らの居場所など皆目見当が付かない。或いは蘇芳のことだから、向こうが先に仕掛けてくるかもしれなかったが、宗次郎が京都に到着したことを、果たして察知しているかどうか。
いずれにしろ、手がかりがないのでは動きようが無い。志々雄の組織にいた頃はその情報収集力を以ってあらゆることを調べ上げられたものだが、何分今は宗次郎はたった一人だ。恐らく剣心と弥彦がまだ京都に着いてないと思われる以上、自分で情報を集めるしかない。
「・・・・あ、」
情報収集、そして剣心。
その単語を思い浮かべて、宗次郎はあることを連想し、ふと声を上げた。
十年前の闘いの時、剣心を援護した存在がこの地にはいた。そう、京都隠密御庭番衆。
初めは侮っていた彼らに、けれど梟爪衆を返り討ちにされたり、京都大火の際にはその行動力で町の焼失を防がれたりと、ことごとく志々雄一派は辛酸を嘗めさせられた。特に方治は屈辱を覚え、アジトでの決闘の日には作戦を変更してまで御庭番衆を殲滅しようとした。
結局は、彼らの結束の力と強い思いと、予期せぬ比古清十郎の登場に葵屋襲撃は失敗したのだったが・・・・。
「―――行ってみようかな」
かつての敵だった自分に、葵屋の面々がそう易々と情報を教えるとは考えられなかったが、それでも行ってみる価値はある。どちらにしろ、剣心達もまた、京都に着いたならまず葵屋を目指すだろう。
それに、葵屋にいると思われる巻町操と四乃森蒼紫、この二人と宗次郎は面識もある。
そうと決まったら行動は速い。
宗次郎自身は葵屋の場所は知らなかったが、京都ではそれなりに名の知れた料亭らしく、町の人々に話を聞いているうちにすぐに探し出せた。もっとも、京都の人々は宗次郎が帯刀しているのを見て恐れ戦き、場所を聞き出すまでにそれなりに苦労はしたのだが。
京都ならではの、細い格子窓のはまる店や家々の間を通り抜け、宗次郎はようやく目的地である葵屋の前に到着した。宗次郎は少し離れたところでその様子を窺う。
二階建ての造りのしっかりとしたその建物には、大きく『葵屋』と書かれた看板が掛けられていた。東京等よりも少し丸みを帯びた瓦屋根の輪郭線、通りに面した表玄関の造りには風格も漂っている。
どこからどう見ても普通の料亭といった感じだ。まさかここが、幕末に暗躍した御庭番衆達の終の住処だとは、誰も思わないだろう。
その玄関先では、一人の女性が箒を持って掃き掃除をしていた。明るい藍色の小袖は襷掛けがしてあって、彼女の印象をより快活なものにさせている。伸ばした髪はお団子状に一つに纏めて結ってあり、髪形こそ昔と違えど、以前と変わらぬその気丈そうな表情に、宗次郎はある少女を思い出す。
(もしかして、巻町操さん、かな?)
新月村で会ったことがあるとはいえ、言葉を交わしたわけではない。ましてあの時、操は宗次郎が剣心の逆刃刀を折る場面をしっかりと目撃している。
簡単に話は付けられなさそうだなぁ、と思いつつ、宗次郎はそのまま操と思しきその女性をじ〜っと凝視していた。
と、女性の方はその視線に気が付いたのか顔を上げた。宗次郎の姿を認め、こちらへとタタッと駆けてくる。
「いらっしゃいませ! 旅人さん、お食事は当店葵屋でどうですかぁ? 何なら宿泊も・・・・って、」
単なる旅人と勘違いしたのか、その女性は宗次郎を葵屋に引き込もうと一気に捲くし立てた。
が、何かに気が付いたように宗次郎の顔をじっと見直すと、「あ゛〜〜〜〜ッ!!」と声を上げ、バッと彼から離れた。
「あんた、確か志々雄の時の、瀬田宗次郎!!」
「お久し振りです」
驚くのも無理ないよなぁ、と思いつつ、宗次郎はぺこりと挨拶した。反応から察するに、どうやらこの女性は巻町操本人で間違いなさそうだ。
「今になって、何しに来たのよ! 復讐!? それとも志々雄の仇討ちにでも来たの!?」
身構える操は、元々高めの声を更に荒げる。響き渡る操の声を聞きつけて、葵屋の周りには次第に人だかりができてきた。
「嫌だなぁ、そんなんじゃないですってば。立ち話もなんですし、中でお話しません?」
「何よ、騙されないわよ! そんな、刀なんか持ってるくせに!」
宗次郎は穏便に話を進めようとするが、感情の高ぶった操は聞く耳持たない。宗次郎が刀を帯びていることもまた、大きな要因の一つだろう。目的が分からなくても、宗次郎がこの葵屋を攻めに来たのだとしか思えないに違いない。
「だから話を、」
「問答無用! 喰らえ、貫殺―――!!」
終いには、懐から苦無を取り出し、宗次郎に向かって投げつけようとする。弱ったなぁ、と思いつつも、宗次郎が避けようと思ったその時、
「・・・・止めろ、操」
操のその手を、第三者の手が止めた。操も、そして宗次郎もその声の主を見る。
漆黒の洋風スーツの上下姿の上に、白く長い外套を着込んだ男がそこに立っていた。長身のすらっとした体つき、伸びた前髪で表情は隠れているものの、そこから覗く顔は紛れも無く。
隠密御庭番衆御頭、四乃森蒼紫に違いなかった。
「蒼紫様!」
「お久し振りです、四乃森さん」
操の声と、宗次郎の声が重なる。
蒼紫はふっと視線を宗次郎に移し、それからまた操を見た。
「・・・・何の話かは知らんが、用件は中で聞こう。操、これ以上騒ぎを大きくするな」
「・・・・は〜い」
蒼紫にたしなめられた操は、不満気に返事を返し、渋々といった風に苦無を懐に収めた。それから溜息を吐き、宗次郎をキッと睨んだ。
「仕方ないから中に入れてあげるけど、妙な真似したら承知しないからね」
「あはは、分かってますって」
笑って頷きながらも、宗次郎は内心蒼紫に感謝していた。もし彼が来てくれなかったら、操の怒りは当分収まらなかっただろう。
まず、操が玄関の戸を引き、宗次郎を中に招き入れる。「お邪魔します」と律儀に挨拶をして宗次郎は草鞋を脱いで板間に上がり、蒼紫もそれに続く。
宗次郎はくるりと振り向いて蒼紫を見ると、にこっとあどけない笑みを浮かべた。
「十年ぶり、ですか。本当にお久し振りですね」
「・・・・・・」
宗次郎の言葉に、蒼紫は答えない。ただ無言で、目の前にいるかつて十本刀最強と呼ばれていたその笑顔の青年を見下ろしている。
十年前、蒼紫と志々雄は奇妙な同盟関係にあった。剣心を斃し、最強という華を欲する蒼紫と、そんな孤高の人間は部下にいらないと言い放ちつつも、蒼紫の存在自体を気に入り、何かに使えると考えた志々雄。
互いに利用し合うためとはいえ、この二人は手を組み、蒼紫は修羅へと堕ちた。かつての同胞すら斬り捨て、抜刀斎を斃すことが全てだと言い切って―――。
宗次郎はその頃の蒼紫しか知らない。修羅の道を選び、暗く澱んだ生気の無い目をした蒼紫しか。
十年前の闘いで剣心をもう一歩のところまで追い詰めつつも、天翔龍閃の前に敗れ去ったことは知っているが、その後の彼については知らなかった。
けれど、あれから長い時を経て、久方振りに再会した蒼紫は、あの頃とは確かに何かが違っていた。その瞳には強い意思が戻り、生き方にもう、何の迷いも無いように見えた。最強という強くも脆く儚い華ではなく、仲間との絆という真の華を手に入れたからだとは、宗次郎は知る由も無かったが。
「四乃森さん、何だか変わりましたね」
素直に、宗次郎はそう言った。沈黙を続けていた蒼紫は、宗次郎を一瞥して、ようやく口を開いた。
「・・・・お前はあの頃と大して変わっていないな」
「そうですか? 僕、一応これでも二十八なんですけど」
あはは、と笑いつつ、宗次郎はそう言葉を返す。確かに外見は昔とあまり大差ないとはいえ、こちらもそれなりに様々な経験を積んできたのだ。
そう思っての返事だったのが、蒼紫よりも操の方が反応は早かった。
「二十八ィ!? あん時の緋村と同い年じゃん! 緋村も若作りだったけど、あんたもそーとーなモンね! だって、十年前とほっとんど変わってないもの!」
「操さんだって、十分お若いじゃないですか」
思ったままを言ったまでだったが、これで操の機嫌はいくらか良くなったらしい。
「そ、そう? ありがと。ま、あんたに褒められてもあんまり嬉しくないけどね〜・・・」
そんなことも言いつつも、先に立って宗次郎を案内する操の足取りは軽い。
操に続き、宗次郎も廊下を歩く。料亭らしく衝立を飾ってあったり欄間の造りが凝っていたりと、中の様子もなかなか趣がある。
宗次郎が葵屋の内部を見回していると、ふと、廊下の角から覗き込む小さな頭が見えた。
恐らく三、四歳だろうその子は、大きな目でじっと宗次郎を見ていた。首の横からちょこんと三つ編みが見えることからして、女の子ということが分かる。
どこか操に面影が似ているその少女と目が合い、宗次郎が反射的ににっこり微笑むと、その子はさっと廊下の奥に引っ込み、行ってしまったようだった。
「ホラ、何してんのよ。こっちよ」
「あ、はい」
ふと足を止めてしまっていた宗次郎を操が促す。少女のことが少し気になりつつも、そのまま操の後をついていくと、客間へと案内された。操が三人分の座布団を広げ、それぞれが腰を下ろす。
「・・・・で、あんたが今頃になって葵屋に来た用件は何?」
皆腰を落ち着けたところで、操は鋭い目線を宗次郎に向ける。
宗次郎は微笑を湛えたまま、
「話せば長くなるんですけど・・・・」
と事情を説明することにした。
十年前の剣心との闘いの後、敗れた宗次郎は自分の生き方と真実とを探す旅を始めたこと。
静岡での一件のこと、その首謀者・蘇芳との因縁、そして志々雄の忘れ形見の真由と真美のこと。
そして、この国に再び、動乱が起こるかもしれないということ。
志々雄一派が絡んでくるとあれば、操もまた黙って見過ごすことなどできない性質だ。初めは宗次郎を疑ってかかっていた操も、いつしかじっと彼の話に聞き入っていた。蒼紫もまた黙したまま、けれど真摯に耳を傾けている。
「・・・・そういうわけなんで、事情を知ってる弥彦君や緋村さんも、そのうち京都に来るとは思います。ただ、僕は蘇芳さんがこっちで何をしてるのかなんて全然分からないから、京都にいるあなた達なら何か知ってるかもって思って、」
「それで葵屋に来たってわけね。成程ね」
ようやく事情を飲み込んでくれた操は、納得した風にうんうんと頷く。
しばらく腕を組んでう〜んと考えて、そうして上目遣いで宗次郎を見る。
「事情は分かったけど、あたしはまだあんたを完全に信用したわけじゃないからね、そう簡単に情報はあげられないわ」
「そう、ですよね」
また宗次郎は声を上げて笑い、そうしてふっと何かを得心した風な笑みを浮かべる。
「―――で、僕は何をすればいいんですか?」
「話が早いわね」
操もまたニッと笑う。
宗次郎自身も志々雄一派であった以上、操もあっさりと宗次郎の言うことを信用することなどできない。宗次郎もそれは十分承知だ。
だから、操は宗次郎を信じるに値する確証が欲しい。宗次郎もまた、操や蒼紫、御庭番衆の面々を納得させるためには、それを示さねばならないだろう。
いわば、交換条件というやつだ。
「実はここ最近、京都の名立たる道場に道場破りが現われるっていうのよ。道場主の方も納得しての真剣勝負だから、道場破り自体は別にいいと思うんだけど・・・・」
「けど?」
「あたしの知り合いの道場主さんのところにも、挑戦状がきたって言うのよ。その人は道場の威信の為にも絶対に負けられないって言うんだけど、その道場破り、かなりの凄腕らしいのよね」
そこまで聞けば、その先は聞かなくても分かる。
「で、僕にその道場破りを倒せと?」
「そ。剣客のあんたには、悪くない条件でしょ?」
操は挑戦的な力強い笑みを宗次郎に向ける。それを受け、宗次郎もまたにこっと笑う。
「ええ、お安い御用ですよ」
「決まりね。じゃあさっそく行きましょう!」
話が纏まるや否や、操はすっくと立ち上がる。宗次郎は内心、「今から?」と思ったが、特に異論は無いので彼もまた立ち上がる。
御庭番衆の、というより、彼女の行動力には脱帽するしかない。
と、客間の戸が開かれ、部屋にタタッと入ってきた影が一つあった。
「母様!」
その小さな影は、ばっと操に抱きついた。揺れる三つ編みを見て、あ、さっきの女の子だ、と宗次郎は認識した。
「翠、どうしたの?」
そっと抱き止めながら、操はその子をみどり、と呼んだ。驚きで目を丸くしながらも、操の表情は柔らかいものになった。
もしかして、とは思っていたが、少女の顔立ちや操のこの態度から判断するに、翠は操の子どもで間違いないようだった。
父親が誰かは、・・・・聞くまでも無いだろう。
蒼紫の穏やかな目を見れば自ずと分かる。
「ねぇ、母様、あたしも行きたい! 連れてって!」
操を見上げた翠は、幼い子ども特有の好奇心で目を輝かせていた。そのキラキラした眼差しに気圧されながら、操は半ば呆れて呟く。
「さては、あなたこっそり話聞いてたわね? ま、聞かれちゃったからには仕方ないか。翠、あんたもおいで。そのかわり、母様から離れちゃダメよ?」
「うん!」
操の許しを得た翠は、満面の笑みで頷く。そうして、今度は操の手を握りながら、もじもじと興味津々といった風に宗次郎に目を向けた。
父と母のところにいきなり訪れた来客だから、翠としては気になって仕方ないのだろう。総じて子どもとは、好奇心旺盛なものである。まして、この操の娘となれば。この母にしてこの子あり、といったところか。
宗次郎はにこにこと、翠と同じような屈託の無い笑顔を浮かべて。
「はじめまして。えっと、四乃森さんと操さんの子どもだよね。僕は瀬田宗次郎っていいます」
よろしくね、と顔を覗き込むようにして笑ったら、翠は恥ずかしそうに操の背中側に逃げてしまった。それでいて、ちらりと顔を覗かせて宗次郎を見ては、はにかんだような笑顔を浮かべている。
「あはは、恥ずかしがりやなんですね」
「いつもはこうじゃないんだけどね」
操は翠の頭をぽんぽんと撫でながら答えた。そうして意気揚々と声を上げる。
「さて、それじゃあ翠、瀬田、さっそく行くわよ!」
「・・・・待て、俺も行こう」
と、それまで事の成り行きを静観していた蒼紫が、すっと立ち上がった。蒼紫は行かないものと思っていた宗次郎と操は、少なからず驚く。
「蒼紫様も来てくれるの?」
「ああ。その一件は俺も気になっていた所だ。それに、お前と翠だけを行かせるわけにも行くまい」
どちらかといえば、後者の方が蒼紫の本音だろう。それを感じた操は、頬を緩めて心底嬉しそうに笑った。
そうして蒼紫は、今度は宗次郎の方に目を向ける。
志々雄配下の十本刀で最強と呼ばれた修羅、『天剣』の瀬田宗次郎。楽以外の感情を欠落しているがために、常に自然体の剣を振るい、何の呵責も無く人を殺めることができるのだという。弱肉強食の理念の下、志々雄の忠実な配下として。
思えば短い付き合いではあったが、それでも志々雄のアジトにいた頃、そうした宗次郎の修羅としての片鱗を、蒼紫は確かに垣間見てきた。そう、例えば剣心の情報を得るためには翁に拷問をかければいい話だと、笑顔であっさりと何の躊躇いも無く言ってのけたその時などに。
あの頃と比べ、宗次郎の外見は然程変わってはいない。けれど、自分がそうであったように、或いはこの青年も。
あの闘いを経て、時を重ねて、何かを見い出しているのだとしたら。
でなければ、今この時に再び京都になど来なかったであろう。たとえ待ち構える者がいるとしても。
何かに、誰かに心を動かし、自分の意思で行動することが、宗次郎があの頃とは確かに違うという証拠。だから。
「お前もまたこの十年でどう変わったのか、見せて貰おうか」
試すような蒼紫の言葉に。
宗次郎もまた、不敵に笑って頷くのだった。