―第七章:旅の途中で―



東海道。それは江戸日本橋から西方沿海の諸国を経て京都へと上る街道。この国の五街道の一つだ。
古来から重要な街道ではあったが、この近代化が進む時代、徒歩で旅をする者はかなり少なくなっていた。
それでも宗次郎は、京都へと向かう旅路は東海道と決めていた。この十年、幾度となく通った道であるし、長いこと流浪れてきた自分には相応しいとも思う。
まぁ、帯刀者が機関車や船に乗ったのでは何かと面倒だよねという思惑も、あるにはあったのだが。
(京都へはあと三、四日って所かな。緋村さんと弥彦君の方は・・・どうかなぁ。もう東京を出たのかな)
夕闇の迫る空の下、それでも歩みを止めないまま宗次郎はふとそう考える。
静岡を出立した宗次郎は、もう浜松の目前にまで来ていた。旅は今の所これといって問題は無く、順調に行けば読み通りあと三、四日程で京都には着くだろう。
一度東京に戻って、それから京都に発つと言っていた弥彦の方はどうだろうか。
事情を知った剣心ともう東京を発ったのか、そして、発っていたとしたらその方法は?
もっとも、宗次郎と同じように徒歩だとしても、船を使うにしても、地理や時間的に考えれば、京都に着く日は数日程しか差異はなさそうだが。
煌々と明かりの灯る宿場町の中、宗次郎はそれでも宿へと足を向けようとしない。のんびりと物見遊山をしながらの旅、というわけでもないし、一日で進めるだけ進みたい、というのもある。
笑顔で呑気そうにも見えて、それでもれっきとした日本刀を(鞘の中身は少し違うのだが)腰に帯びている宗次郎を、行き交う人々は怪訝な目をして見送っている。
このご時世に刀なんて・・・と、そんな視線である。あからさまに宗次郎を避けて通る人もいる。それでも宗次郎はそんなことは全く気にもせずに、のほほんと歩いているのだけれど。
そうこうしているうちに、夜は更けていった。窓の明かりが、一つ、二つと消えていき、町も次第に闇に包まれていく。通りを歩いている者のほとんどは、宿の中へと消えていった。町の中心部から離れるにつれ、人気はますます無くなっていく。
(今日は、野宿でいいか)
このまま歩いていけば、夜中にはきっと山の中にいるだろう。ぼんやりとそんなことを考えつつ、宗次郎はふと、彼女の言葉を思い出す。
『いざとなったら野宿する気なんでしょ。迂闊に野草を食べちゃ駄目だよ、また中毒起こしちゃうから』
そうして、くすっと笑う。心配性の彼女らしい言葉だ。
思えば、初夏の頃からずっとあの家で過ごしていたから、野宿なんて、いや、誰かと一緒に食卓を囲むことが無いなんて。―――随分と、久し振りな気がする。
流浪中は、それが当たり前だった。なのに、今ではそれを何となく、物足りなく思う自分がいる。
(・・・変なの。何だか胸の辺りがもやもやする)
形にならない思いにもどかしさを感じながらも、それでも宗次郎はただ困った風に笑って首を傾げる。
或いはそれは寂しさなのかもしれなかったが、宗次郎はまだ、その感情をはっきりと自覚してはいなかった。ただ、形にならない思いだけがあった。
何はともあれ、今は京都に向かうしかない。
胸のもやもやをまだどこかに抱えながら、それでも宗次郎が気持ちを切り換えて、再び先を目指そうとした時。
宗次郎はおや、と思って足を止めた。誰かがこちらに向かって駆けてくる。
「〜ッもう、しつこいなぁ!」
まだ距離は十間程は離れていたが、それでもその人物の声は宗次郎の耳に届いた。そして、シャンシャン、という鈴の音が足音に合わせて響いてくる。
闇の中、顔ははっきりとは見えなかったが、やや高く幼げな印象を受ける声や小袖という姿形から判断するに、どうやら少女のようだった。
「あ、た、助けてっ!」
「・・・・・はい?」
その少女は宗次郎の目の前まで走ってきて、開口一番にそう言った。
さっぱり状況を掴めない宗次郎は、きょとんとして聞き返す他なかった。
「あ、あたし、鈴っていうの。この町に住んでるんだけど・・・」
胸に手を当て、息を整えながらその少女はそう名乗った。
子どものような幼さを残す全体的に小作りな顔の中で、仔猫を連想させるようなくりっとしたつり目が印象的だった。
闇の中なので色は良く分からなかったが、少女らしく花弁模様があしらわれた小袖姿で、髪は頭の高い位置で二つに分けて結っていた。鈴、というその名の通り、きゅっと結ばれたその髪の根元には鈴が付いていた。
さっきの鈴の音はこれだったのか、と納得しながら、宗次郎は年の頃はおそらく十五、六のその少女の顔を見た。
目が合うと、鈴は心底困った風な顔で必死に宗次郎に訴えてきた。
「ちょっとタチの悪い奴らに絡まれちゃって。助けて欲しいの!」
「タチの悪い奴ら? それって、」
「オイ、いたぞ!!」
事情を聞こうとしたその時、幾つもの影がざっと躍り出て宗次郎と鈴とを取り囲んだ。成程、確かにタチの悪そうな面構えをした者ばかりだ。加えて、恐らくゴロツキの連中なのだろうが、そのいずれもが短刀や棒、鎌といった凶器を手にしている。さらに。
「えーと、鈴さん? これって、ちょっとどころじゃないんじゃあ?」
その数は、三十人程はいるだろうか。
「だから困ってるんだよぅ。お願い、助けて!!」
すっかり眉毛をハの字にして、鈴は宗次郎に泣きついて来る。
宗次郎はぽりぽりと頬をかいて、仕方ないなぁ、と溜息を吐きつつ。
「ま、関わっちゃったからには放っとくわけにもいかないか」
すっかり囲まれているので、完全にゴロツキ連中から鈴を庇えそうには無かったが、それでも宗次郎は彼女を背中側に押しやって、自身は刀の柄に手を伸ばした。
「わ、それってカタナ!? き、斬っちゃうの?」
宗次郎の仕草を見て、鈴が今気が付いたという風にぎょっとして目を見開く。宗次郎は鈴に振り向いて、安心させるようににっこりと笑う。
「大丈夫ですよ。この刀『天衣』には、刃が付いてませんから」
「オイ、さっきから何ごちゃごちゃ言ってやがる! てめぇも痛い目に合いてぇのか?」
「さっさとその女を渡しな!」
二人を囲んでいるゴロツキ達から威嚇するするような怒声が飛ぶ。
殺気立つゴロツキ達を見てひっと身を竦める鈴を見遣って、宗次郎は今度は彼らに目を向ける。
「事情は知りませんけど、女の子一人を大の男が寄ってたかってっていうのは酷いんじゃないですか? ホラ、こんなに怖がってるじゃないですか」
飄々とした宗次郎の態度が気に入らなかったのか、ゴロツキ達はますますいきり立った。
「やっぱり痛い目に合わねぇと分からねぇみたいだな・・・!」
「邪魔したてめぇが悪いんだぜ!」
「ブッ殺してやるぜ!」
物騒な台詞が次々にゴロツキ達の口から飛び出してくる。けれどそんな殺意剥き出しの言葉でも、宗次郎は笑顔を浮かべて平然としていた。
幾ら数を集めようが、それでも町のゴロツキなど、宗次郎にはただの雑魚にしか過ぎない。たとえ武器を手にしていても一般人とはそう大差ないのだ、天賦の剣才と、幾多もの闘いを潜り抜けてきた彼にとっては。脅しの言葉ですら、ああ、またか、と聞き飽きているくらいだ。
宗次郎をその外見で判断し、内に秘める強さに全く気付けない輩はごまんといる。このゴロツキ達もそういった種類の人間のようだったが、宗次郎に助けを求めた鈴もまた、もう今にも泣き出しそうな顔でがたがた震えている。刀を手にしていても、この人数相手に勝てないと思っているのだろう。
「鈴さん、大丈夫ですよ」
にこっと微笑み、宗次郎は言った。それはまるで子どものような屈託のない笑顔で、それを見た一瞬、鈴も恐怖を忘れたようにぽかんとした顔になった。
そうして、宗次郎はあっけらかんと言い放つ。
「だって多分、剣の腕なら僕が上ですから」
「優男が・・・・覚悟しやがれ!」
その言葉を封切りに、ゴロツキ達が一斉に宗次郎に飛び掛ってきた。
笑顔のままの宗次郎は、天衣の柄をきゅっと握り締めると即座に抜刀、そのまま横薙ぎに振るった。刃の無い刀身がゴロツキ達に打ちつけられ、それだけで二、三人は呆気なく地面に転がる。
「! てめぇ!」
今度は後ろから、ざっとゴロツキ達が殺到する。宗次郎は素早く身を翻し、ゴロツキ達の間をすり抜けるようにして駆けた。囲まれている状況から逃れるためでもあるし、
「ほら、言ったとおりでしょう?」
鈴から注意を逸らし、ゴロツキ達の標的が自分一人になるように仕向けるためでもある。
「クッ・・・・このガキが!」
宗次郎の(自身は全く意識はしていないが)挑発にまんまと乗り、ゴロツキ達は狙いを彼一人に定め、数に物を言わせて八方から攻めていく。
一人の攻撃をかわしながら、宗次郎はもう一人を袈裟懸けで倒す。瞬時に刀を返し、背後にいる者に振り向きざまに一撃を叩き込む。
まるで風のようにしなやかで素早く、そして捕らえ所の無い宗次郎の剣に単なるゴロツキが敵うはずも無く、天衣が振るわれるたびに一人、また一人とゴロツキ達は倒れていった。
累々と転がる彼らが呻き声を上げる中、最後にたった一人だけ残ったゴロツキを見据えながら、宗次郎はどこか不敵に笑む。
「さて、あなたで最後みたいですね」
「く・・・・クソォッ!」
仕込み杖を振り上げ、猛然とそのゴロツキは斬りかかってきた。
逃げなかっただけ立派だけどね、と、宗次郎は心の中で呟く。
「・・・・・!」
鈴は息を飲んだ。向かってきた男に対し、宗次郎は一歩も動かず刀を一閃させた。ゴロツキは悔しげに顔を歪め、そして、どさりと崩おれた。
今、この場に立っているのは、宗次郎と鈴だけとなった。
「やっぱり、大したこと無かったなァ」
キン、と天衣を鞘に納めながら、宗次郎は汗一つ流さず感想を漏らす。案の定雑魚ではあったが、とりあえずこの場を無事に切り抜けられたことにほっと息を吐く。
「大丈夫ですか?」
呆然と立ち尽くしたままの鈴に向き直って、宗次郎はにこやかに問いかける。鈴はぱくぱくと口を動かした。
「す・・・・」
「す?」
「凄いじゃない! こんなに強いなんて思わなかったよ! あんなにあっさり、こいつらをやっつけちゃうなんて!」
鈴は宗次郎の手を両手で握り締め、嬉々としてぴょんぴょんと飛び跳ねた。
呆気に取られて宗次郎は鈴を見るが、彼女は興奮した様子でなおも機関銃のように喋り続ける。
「それに傷一つついてないし、あっという間に倒しちゃったしねっ。やーもう、ホント凄いよ!!」
「あはは、でも、あの人達もそんなに強くなかったから」
一人で盛り上がってる鈴に、宗次郎も軽い笑い声を上げてそう言葉を返す。自分の強さに驚かれたことは何度もあるが、こんな風に素直に賞賛されることに悪い気分はしない。
「それじゃあ、この人達もやっつけたことだし、僕はこれで」
ぺこり、と会釈をして宗次郎は鈴に別れを告げる。
助けて欲しい、という鈴の希望は叶えた以上、もうここに用は無い。予期せぬ厄介事ではあったとはいえ、大した事件でも無いから、宗次郎は今日はこのまま先を急ぐつもりだった。
「うん、本当にありがとう!」
鈴もにっこりと笑って、一歩下がって手を振る。それはやはり、歳よりも幼く見えるような笑みで。そして鈴は、ほんの一瞬だけ、目を細めた。
宗次郎には、気付かれないくらいに。
「じゃあね・・・・・・瀬田 宗次郎さん」
「ええ、それじゃあ」
またシャンシャンと鈴の音を鳴らしながら鈴は走り去って行く。小袖をひらひらと揺らし、どこか子どものような走り方で。
段々と闇に紛れていく彼女の後ろ姿を見送って、彼自身もゴロツキ達の転がるその場を後にしながら。
そういえば、と宗次郎は首を傾げた。
(僕、鈴さんに名乗ったっけ?)
ふと、足を止めて考える。
自己紹介した覚えは、無い。
慌ただしい騒動の中、鈴が何故彼らに狙われていたのかも結局は聞きそびれてしまった。いくつかの謎が残る。
彼女は、一体?
「・・・・ま、いっか」
それでも、とりあえず事件は解決したから良しとしよう。
宗次郎はそう思って、更に旅路を急いだ。
やっぱり今日は野宿だなぁ、と、静岡の地にいる兄妹の姿を、ほんの少しだけ思い浮かべて。












そうして、宗次郎が去った後、その残された闇の中で。
獲物を見つけた時の猫の瞳のような色を、その目に浮かべた少女が一人。
「配下とはいえ下っ端連中じゃ、束になっても手も足も出ない、か。ま、ある程度は予測してたけど」
「ケッ。鈴も良くやるぜ、あいつの力量を測るために、わざわざ手の込んだ芝居して。けど、あんな奴、俺の敵じゃねぇな」
「あはは。結構楽しかったよ。一郎汰はこう言ってるけど・・・・如月はどう思う?」
「多勢とは言っても所詮は雑魚、参考にはならないわね。まぁ、剣の腕や身のこなしは流石は最強の修羅、といったところね」
「ちっとも本気を出しちゃいなかったようだけどな。まぁいい、楽しみは京都まで取っておくさ」
「うん、そうだね」
その少女、鈴は笑う。顔を上げると、リン、と鈴が一つだけなった。
漆黒の闇に、ただその音と、
「あたし達も行こう・・・・蘇芳さんの待つ、京都へ」
―――その言葉だけが、静かに染み渡った。