「志々雄さん、志々雄さん」
「何だ? 宗次郎」
「僕、自分の技に名前付けてみたんです。縮地の突進から天剣の抜刀術に繋げる技だから、『瞬天殺』って」
「ふーん・・・成程ねェ。お前にしちゃあなかなかいい名前じゃねェか」
「でも、せっかく名前を付けたのはいいけど、滅多に使う相手なんていないですよ。僕は強いから、瞬天殺を使わなくたって大抵の相手は一撃で死んじゃうんですもの」
「確かにそうだろうな。けど、取って置きの技があるのに越したことはねェ。いつかそれを使う時がきっと来る。だから確実に相手に極められるよう、しっかりその技を昇華しておくんだな」
「あははは、志々雄さんの言う通りですね。分かりました、そうします」
―第三十四章:The Last Wolf Suite(後編)―
(懐かしいなぁ。今になって、そんなこと思い出すなんて)
口元に微笑を浮かべ、左手で鞘を引き上げながら宗次郎はふと過去を思い出す。
志々雄との何気ない会話・・・・けれどその取って置きの技を彼の実子に使うことになろうとは当時は露程も思わなかった。
「もどかしいものでござるな。体が思うように動かないというのは・・・・」
「大丈夫ですよ、緋村さん。後は僕が闘いますから、適当に休んでて下さい」
床石に突き刺した逆刃刀を支えにして震える足で立ち上がろうとする剣心を、宗次郎はやんわりと笑んで制した。
二対二で始まった闘いは、真美と剣心が痛み分けの形で戦闘を離脱することとなり、宗次郎と真由との一騎打ちに持ち越された。互いに全身に深手を負い、着物を染める真新しい血の赤が痛々しい。
けれどそれでも宗次郎は笑っているし、真由もまた不敵な構えを崩さない。
「どうやら俺の期待には応えてくれるようだな」
「ええ、まぁ。でも、言われなくても瞬天殺は使う気でいましたから」
にこ、と宗次郎は小さく笑った。慣れた手つきで、するりと天衣を納刀する。焼印を押されたような左肩の傷かひりひりと痛んだが、技を出すのには障りは無い。
「そうでもしないと真由君には勝てないでしょうし、納得もしないでしょう?」
抜刀術の構えを取りながら、宗次郎は真由に笑みを向ける。
瞬天殺を使うこと。それは宗次郎の本気の表れでもある。
絶対の信頼を置いている技だからこそ、例えば剣心との闘いのような極限の勝負の時でなければ用いなかった。かつての己が志々雄にも語ったように、瞬天殺を繰り出すまでも無く宗次郎は相対した相手を葬ってきたからだ。
けれどだからこそその己の全力を込めた技を、この局面で放つことに意義がある。
佩刀は真剣では無いから本来の瞬天殺のように相手を一瞬で殺すとまではいかないだろうが、それでも相当な攻撃力を持つはずだ。
真っ直ぐに真由を見据えた宗次郎は、右手をやや下げ気味に身構えた。
(あの構え・・・・やはり瞬天殺か)
宗次郎の抜刀術の構えを目にし、彼がその技を使うことに迷いは無いことを剣心は感じ取った。
かつて天翔龍閃との真っ向勝負の末に破った宗次郎の秘技。技の性質は似ていても破壊力では天翔龍閃の方が勝ったため、あの時の軍配は剣心に上がったが、まともに相手にその技が決まったのなら『瞬天殺』はその文字通りの終幕になる。
刃の無い天衣でも十二分にその威力は発揮されるであろうと剣心は推測する。ただ、気懸かりがあるとすれば、真由が焔霊の他にも、志々雄から終の秘剣をも継承しているのではないかということ。
「お前のことだから、知ってるんだろ? 親父の終の秘剣のこと」
「ええ。確かカグヅチ・・・・火産霊神って言いましたっけ」
宗次郎の返答に、真由は得心したような、どこか宗次郎を忌むような複雑な笑みを浮かべてみせる。
が、ほんの一瞬でそれを払拭すると、今度は真由は純粋に不敵に笑んで言い放つ。
「相手の技の全貌を知ってるっていう条件は、互いに同じ・・・・だったらもう、俺とお前の最強の奥の手を出し合うしかねェな」
そうしてふと、何か悪戯でも思いついたような顔つきをした真由は、剣心に目を向けてにやりとした。
「そうそう、あんたの天翔龍閃も・・・・残念ながら、その正体はとっくに見破られてんだよ。左足での踏み込みを要とした抜刀術、ってな。仮に撃ってたとしても、まともに極まったかどうか」
「なっ・・・・何でそれをお前らが知ってんだ!?」
天翔龍閃の原理を看破していた真由に、弥彦が驚愕の声を上げる。それを鼻で笑うようにして真美が一言。
「ふん、他でもないそこの宗次郎が、抜刀斎との闘いの時に見切って母さんを通して父さんに伝えたのよ」
「・・・・・・」
じとー、と思わず弥彦は宗次郎を見る。あははは、実はそうなんですと宗次郎は全く悪びれもせずに言う。
「でも、あの時由美さんに教えて、志々雄さんに伝えて貰った天翔龍閃の正体が、真由君達にまで届くだなんて思わなかった」
瞬天殺との激突の瞬間、確かに見た天翔龍閃の正体。抜刀より刹那の拍子でずらして踏み込む左足での最後の一歩。生と死の極限の狭間で更に一歩前へと踏み出す意志。そこから生まれる超神速の抜刀術。
それを由美を通じ志々雄に伝えたのは、去りゆく自分ができるせめてもの恩返しだった。
恩返し、だなんて表現は陳腐だし宗次郎には似つかわしくないのかもしれなかったが、それでもあれは彼なりの、志々雄のための最後の奉仕だったのだ。そしてそれを、志々雄は別れの贈り物と称した―――。
時を、世代を越えて受け継がれるものがある。それは形を残した何かだったり、或いは形を残さぬ何かだったり。自身の全く予測できぬところから、その繋がりが転がり出てくることもある。
あの時、自分の残した慕情の欠片がこんな風にして姿を表すとは思わなかった。人と人との繋がりは、そしてそれを取り巻く環境の変化は、何故にかくも数奇で、不思議で、そしていつかは自分自身へと還ってくるものなのだろう。
「それに、瞬天殺を真由君に放つことにもなるなんて」
志々雄も認めてくれた技をその息子へと撃つことに、宗次郎もどこか複雑な思いだ。
けれどこの際、一切の雑念を宗次郎は振り払う。構えを取り続ける右手の細い指先をスッと揃えた。
「でも、僕も本気で行きますから」
笑みこそ消えたものの穏やかで柔和な表情。ただし宗次郎の目はどこまでも真摯に真由へと向けられる。
ただ静かに身構えたその姿からは、まるで流れる水のような、或いは風が一瞬だけ凪いだような、そんな踏み込みがたい雰囲気が発せられていた。
「今更、人生の不可思議さを説いたところで仕方ねェ。御託は・・・・終わりだ」
冷然と真由が声を発し、張り詰めた空気が辺りに満ちる。抑揚の無いその声が逆に、彼の底の知れなさを物語っている。
向き合う宗次郎と真由は元より、二人の闘いの行く末を見守る剣心、真美、それに弥彦と鈴も、誰も何も言わない。
「いざ―――勝負!!」
高らかに宣言すると同時に、宗次郎の後の先を取るより先の先を取る、とばかりに真由は動いた。
無限刃の鍔元をグッと鞘の鯉口に押し付け、切っ先まで一気に滑らせる。摩擦熱が刀身全体に伝わり、無限刃の全発火能力を解放する。
最早それは炎というよりも、天をも貫く程の火柱。火産霊神というその技の名に相応しく、まさにそれは火炎を生み出す神の如く。炎の渦を纏う無限刃を真由は高く振り上げた。
「―――!!」
端で見ている剣心達にも、その技の威力は目にしただけで分かった。炎の勢いだけに頼った技では無い。もしあれを受けたなら、灼熱地獄のような炎熱で全身を焼かれた挙句に、その炎に捕らわれて身動きの止まった隙に脳天から斬り裂かれるであろう。
既に辺りを舐めるように飛び散った蛇のような火は、宗次郎の周りをのた打ち回っている。火産霊神の発動を目にしても、宗次郎はまだ動かない。
「シャアアアアアッ!」
その宗次郎目掛け、真由は渾身の力を以って終の秘剣を振り下ろした。無限刃そのものよりも、まずは猛る炎が宗次郎に襲い掛かった。煌々と燃える火が宗次郎の体を包み込み、けれどそれを薙ぎ払うようにして彼は縮地で駆け出していた。
超神速の縮地で疾走することにより生まれた風は、炎が宗次郎のその体に燃え移る暇を与えない。炎の海を掻い潜った宗次郎は真由の眼前まで瞬時に辿り着く。
懐に迫った宗次郎に真由が瞠目する。真由を真っ直ぐに見据え、宗次郎は右手を柄に伸ばす。
柄を強く握り締めた宗次郎は、天衣を鞘から抜き放ちそのまま抜刀術を放った。それこそが縮地の突進から天剣の抜刀術へと繋げる、一撃必殺の威力を持つ宗次郎の連続技―――瞬天殺。
神速の鞘走りと縮地とで存分に速度効果をつけた抜刀術は、真由の右脇腹から左肩に向けて抉るようにして刀身をめり込ませていた。勢いのままに宗次郎が天衣を振り切れば、その衝撃で真由の体は中空へと高く打ち上げられる。
「がっ・・・・!!!」
真由は霧状になった血反吐を吐き出した。瞬天殺を食らったせいか真由の体はだらんと弛緩し、千切れ飛んだ着物の端切れや真っ赤な血を撒き散らしながら落下してくる。真美が受け止めようとして駆け出したが間に合わなかった。受身も取れぬまま、真由の体は背中から石板の床に叩きつけられる。
「・・・・終わりです」
瞬天殺を放った姿勢のまま呼吸を整えていた宗次郎が小さく言い切った。踏み込んでいた右足をスッと戻し、天衣を静かに鞘に納める。
そうして宗次郎は振り返った。瞬天殺が極まったことに息を呑む剣心や弥彦、鈴といった面々よりも先にその目に飛び込んできたのは、傷だらけの真由と彼を抱え起こそうとする真美の姿。
真由は瞬天殺による手酷い打撲傷を受けたものの意識は失ってはおらず、真美もまたそんな弟を支えながら、鋭い視線を宗次郎にぶつける。
「終わりなんかじゃねェ。まだ・・・・まだッ・・・・!!」
そう吼える真由だったが、未だ潰えぬ戦意とは裏腹に体が動かないのだろう、ただ悔しげに宗次郎を睨み付けるだけだ。真美も双龍閃での腕の痛みが消えぬのか、同じような視線を向けてくるのみ。
けれど腕の中の弟に対し、真美が傾けたのはこれ以上の闘争を咎めるかのような瞳。
「少しは自分の体を労わりなさい! これ以上闘うのはもう無理よ・・・・!!」
真美の悲痛な叫びは、かつて彼女らの母・由美が志々雄が窮地に陥った時に上げたのと同質のものだった。両親を早くに亡くした分、己の片割れに対する思い入れは互いに強い。
辛苦に満ちた真美の表情をしばし見ていた真由は、だからこそこれ以上の闘いは諦めた。
けれど宗次郎に対する敵意は失われてはいない。それは真美も同様で。
「クソ・・・・親父が最強の修羅だって言うだけあるな。宗次郎、お前大したもんだぜ・・・」
「・・・・・・」
言葉では宗次郎を褒め称えていても、真由の本意までもが込められているわけでは無さそうだった。その証拠に、真由は奥歯を噛み締め、目は腹立たしげに据わっている。
宗次郎は無言のまま二人を見た。
「だが、俺達も親父達の役に、十分に立てたはずだ・・・・。俺達は、決して弱者なんかじゃねェ・・・・・!!」
真由は未だ手放さぬ無限刃の柄をもう力の篭もらぬ手で握り締めた。体は動かなくとも、気力を奮い立たせ宗次郎に食って掛かる。
ぎり、と真由は再び歯を食い縛った。呻くように声を吐き出した。
「畜生・・・・どうして親父は俺達じゃなく、こんな赤の他人なんかを側に置きやがったんだ・・・・っ」
それは、真由が初めて宗次郎に剥き出しにした、嫉妬の感情。
どうして俺達を差し置いてあいつは父の側にいるんだと、俺達は親に求められた存在じゃないのかと、長年宗次郎に対し抱いていた屈折した思い。
双子の姉弟だからというだけでなく、真美も真由のその思いが痛い程に分かるのだろう、唇を噛み締め、俯いた。
ただ単に、剣客として宗次郎の力を凌駕したかった。それだけではない。自分達よりも普段ずっと父母の側にいた宗次郎が、何よりも疎ましかった。
だから彼を押し退けて、いつか自分達もその場所へ。二人がそれを願わなかったはずが無かった。叶うことも無かった。だから宗次郎を剣心を憎んだ。だから彼らを斃したかった。誰よりも強くありたいという剣客としての矜持とて、無論あったけれども。
どんなに強くとも、どんなに我を立てようとしても。
彼らはまだ、十六の少年と少女―――。
「そうよ、父さん達は何であんたなんかを・・・・。もっと早く生まれてたなら、私達だって父さん達の力になれた。私達の方が、絶対に力になれた!」
言い張るように真美は喚いた。いや、実際真美は言い張った。
感情の高揚を抑えきれないのか、真美の目尻に涙が浮かぶ。その唇を震わせるのは、疑いも無く悔しさだ。
「どうして父さんは私達じゃなくあんたみたいな他人を・・・・!」
「他人、だからじゃないですか?」
宗次郎のぽつりと呟いた声が、一石を投じた瞬間池に広がる波紋のようにしんとその場を静まり返らせた。
予測し得なかった言葉を受け、途端黙ってしまった真由と真美に、宗次郎は柔和な笑みを浮かべたままで続きを連ねた。
「赤の他人なんかを、って真由君達は言いましたけど。他人だったら幾らでも替えが利くし、死んだって別にどうってこと無い。そんな風に志々雄さんも思ってたんじゃないですか? 何より弱肉強食の理念をずっと貫いてた人だったから・・・・そんな風に考えてても、不思議じゃないと思うんですよね」
自分以外の存在は、すべて糧だと思っていた節もある。
けれどそれでも志々雄はそれだけの男では無いということも、宗次郎は当然知っている。
「お主達が親元から引き離されて育ったのは不憫にも思う」
ようやく動くようになった足で緩やかに歩を進めながら、剣心も真由と真美へと語りかける。風が肩までの赤い散切りの髪を揺らしても、その真摯な視線までは揺るがない。
「だが、志々雄がお主達を手元から離して育てたのは、強くしたいという思いと同時に、万が一自分の身に何かが起こった時に、巻き添えにせぬためではないか・・・? 志々雄の子であると政府に知られたら、いかに幼子いえどただでは済まぬ・・・志々雄も由美殿もそのことが分かっていたからこそ、お主達を危険な目に合わせぬようにしたのではないかと、拙者は思うのでござるよ」
真由と真美の目が、初めてそのことに思い当たったとでも言うように見開かれた。二人は一瞬だけ顔を見合わせ、けれど真由はすぐに目を吊り上げると、皮肉な笑みを口元に乗せた。
「どこまで甘いんだあんたは? あんたの戯言はもううんざりだぜ」
「戯言か・・・。確かにそうかもしれぬ」
真由の返答を剣心は素直に受け入れる。
実際にあの志々雄という男と相対している剣心にしてみれば、確かにそのような考え方など甘過ぎるのだろうと自分でも感じる。
けれど自分も親となり、初めて分かる親心。あの志々雄にも果たしてそんな心が存在していたのかどうかは、最早当人が故人であるために確認しようがない。が、ただ、己の元から引き離して育てることで真由達を強くしようとしたのは志々雄なりの親心の表れ―――そしてそこには真由達にも隠された真意があるのではないかと、剣心はそんな風に、思ったのだ。
もしも戯言の方が真実なら。
真由と真美の幼き頃より鬱積し続けた親への思いは、幾らかは形を変えるのではなかろうか。
剣心は再び、真由に語りかけた。
「けれど拙者の言うことが戯言かもしれなくとも、志々雄がお主に、影打ではなく真打の方の無限刃を遺したことは事実でござろう・・・・?」
真由は再び瞠目した。それは剣心の言わんとすることを察したが故に。
真由が受け継いだのは確かに無限刃の真打。影打と比べると性能は上。
つまり、志々雄は自分にとっても価値のある物を、敢えて優れた方を息子へと譲り渡したのだ、と。そしてそれは何故かと、その志々雄の行為の意味を剣心は遠回しに真由へと説いたのだ。
まさか、とでも言う風に真由と真美は愕然とした表情になる。そんな二人を見て宗次郎は僅か、微苦笑を浮かべた。
「まぁ、あの志々雄さんがそこまで考えてたかどうかなんて、今となっては分かりませんけどね」
剣心の見解は、宗次郎にとっても意表を付かれたものだった。けれど、言われてみればそういった着眼点もあるのだなと気付く。
一番の側近の宗次郎にですら、志々雄は真由達を手放したのは「親への甘えを断ち切って強くするためだ」の一点張りで、それ以上語ろうとはしなかった。男女の双子は不吉だからなどという理由も今となっては付け足した感が無くも無い。
真相は闇の中。
けれど、剣心の唱える説が存外的を付いているのだとしたら。
「でも、もし緋村さんの言ってることが当たってるとしたら、僕こんな風にも思うんですよ。志々雄さんが僕を側近にしたのは、部下で一番古くに知り合ったとか十本刀最強だとか、そういうことも勿論あったんでしょうけど・・・・」
宗次郎は一呼吸分間を置いて、言葉を繋げた。
「やっぱり、真由君と真美さんが大切だったんじゃないかって」
まぁ口が裂けても志々雄さんはそんなこと言わないでしょうけどね〜と宗次郎は続ける。あぁ、でも由美さんはどうか分からないなぁとぶつぶつと呟く宗次郎に、真由は無限刃を握らぬ方の拳をぶるぶると震わせた。
「袂を分かった癖に・・・・楽しそうに親父達のこと語ってんじゃねェよ馬鹿野郎・・・・ッ!!」
掠れ声で言葉を吐き出した真由に、宗次郎はどこか申し訳無さそうににこっと笑った。
そう、確かに宗次郎は志々雄達とは袂を分かち、自分自身の人生を再び歩き始めたのだろうけれど。
それでも、それまでの時間は決して幻などではない。志々雄の元で過ごした時を経たからこそ、今の宗次郎がいる。そしてあの氷雨の日には、一度に色々なことがあり過ぎたけれど、志々雄がいなければ宗次郎は死んでいた。たとえ彼との邂逅が惨劇の序曲だったとしても、それでも志々雄のおかげで宗次郎は強さというものの一つの意味を知った。
それに何より、志々雄は表現の仕方はどうであれ、宗次郎にとっては初めて本気で接してくれた人だったのだ。
「今でも僕にとって志々雄さんは、何ていうか、こう、特別な存在なんですよね」
今度は屈託なく笑いながら、さらりと宗次郎は言った。
飾り気のない言い方が逆に、彼の本心を率直に表しているかのようだ。
「死んだ瞬間を実際に見てないからかなぁ。いくら志々雄さんが死んだって聞かされても、あんまりその実感が湧かないんですよ。・・・・まだどこかで、由美さんと一緒に生きてるんじゃないかなぁって、そんな風にふと思っちゃう時もありますし」
方治の口から志々雄の死の報せを聞かされた時、胸がぐっと詰まるような思いを覚えたのは確かだ。多分、あれは悲しい、という感情だったのだろうと思う。
ただそれでも、やはり二人の死の時を目の前で見ていないからか、宗次郎は志々雄が死んだという実感が今ひとつ湧かなかった。頭では彼の死を認識しているのに、どこかそれを現実のこととして受け止めていない自分がいる、例えるならばそんな感じだ。
だからこそ旅の途中で咲雪の死を目の当たりにした時、人の死というものの重みを初めて知ることになったのだけれど。
「認めないわよ、そんなの・・・・ッ」
宗次郎の発言を全否定するように、真美は頭を振った。
目尻に溜まった涙が流れ落ち、声も微かに掠れている。
「今更何言ったって、あんたが父さん達から離反したのは事実なんだから・・・!!」
ただ悔しそうに、真美はぼたぼたと涙を零す。けれど内にあるものは、きっと悔しさだけではないのだろう。
宗次郎がただ裏切ったわけではない、ということが、今初めて真美の心に染み入った。宗次郎が志々雄のことを今でも慕っている、ということが分かってしまったから、今までとは違う感情が、真美の心に浮かび上がる。
「あんたなんかより、私達の方がずっと父さん達のことを想ってた! 私達の方がずっと、父さん達の力になれたはずだったんだから! 私達の方が、きっと・・・・!」
だからその宗次郎が志々雄に向ける気持ちよりももっとずっと強いものを自分達の方が持っている、ということを真美は言い張らずにはいられなかった。父の下を去っていった宗次郎が、それでも今もなおその彼を心の根幹に住まわせているのが真美には恐らく、切ない安堵を覚えると同時に、どこか認めたくない事実だった。
もう何のための涙なのかも自分自身でも分からない、といった風に静かにしゃくりあげる真美と、何かを割り切れずにいるといった風に悔しげに息を震わせる真由とを、宗次郎は交互に見遣った。
実際の志々雄の本意は、宗次郎には計り知れない。剣心の仮説とて、彼特有の甘い戯言だと言ってしまえばそれまでだ。
ただそれでも、思ったことは皆伝えた。理解してもらえたかどうかはともかく、宗次郎は己の中にある志々雄や真由達への気持ちを、剣と言葉という形で表せたのだ。
宗次郎にしてみれば、やれるだけやってみた。けれど真由達からすれば、同じようにやれるだけやってそれでも宗次郎に敵わなかったのだ。
凝り固まった心の中のしこりはそう簡単には瓦解しない。自分達の力に絶対の自信を持っていたのに、ずっと敵視していた宗次郎に敗れたのなら尚更。宗次郎の父に対する今の気持ちを知っても、あっさりとは受け入れられないし、自分達の力や気持ちも決して劣ってはいないと悔しさもまた募る。
闘いが終わっても、真由と真美はまだ何かに納得の行かない様子。それがはっきりと見て取れたから、どうすればいいかな、と宗次郎はしばし考えた。
未だ二人がすっきりとしないなら、取るべき手はただ一つ。
「真由君、真美さん」
思案の纏まった宗次郎は、真由と真美に呼びかける。二人が睨むようにこちらを見ても、宗次郎は全く動じる様子もなくにっこりとして。
「この勝負の結果に納得が行かないなら、また闘いませんか? 僕だったらいつでも相手しますよ」
宗次郎はあっさりと提案する。
まるで今日の夕飯のおかずはこれにしましょう、とでも言うようなあっけらかんとした調子に、弥彦は思わずぎょっとする。
「オイ、お前―――」
「嫌だなぁ、全部を言う前からそんな怒らないで下さいよ」
咎めるような声を上げかけた弥彦に宗次郎は肩を竦めた。そうしてまた目線を真由と真美に戻すと、提案の補足を宗次郎は口にする。
「国盗りとかそういうの抜きで、僕と真由君達とのただの勝負です。その勝ち負けに納得行くまで」
でも他の人達を巻き込むのはもう勘弁して下さいよ、と宗次郎は笑って続ける。
「一度や二度の勝負で、何でも決まるわけじゃないですもの。いっそ気の済むまで闘い合った方が、その方がずっと真由君達はすっきりすると思うんですよね」
自分で言いながら、前半の言葉はどこか聞き覚えがある、と宗次郎は思った。その出所に思い当たった時、宗次郎は受け売りになってしまったなと苦笑いする。
「一年後でも十年後でも、それより前でもずっと時間が経ってからでも構いません。二人がまた闘いたいって言うなら、僕もそれに応じますから」
笑顔で告げた宗次郎に、真由と真美は何も答えない。双方のやりとりに誰も口を挟まず、剣心も唇を閉ざしたまま、ただ静かに三人を視線だけで見比べている。
ようやく言葉を発したのは、冷笑を浮かべた真由だった。
「・・・・いいのか。そんなことを言って。俺達はきっと性懲りも無く、お前の命を狙いに行くぞ」
「そしたらその時は、また闘いましょう」
にこにこと、無邪気という言葉がそのまま当てはまるような笑みで、宗次郎は簡単に了承した。
その笑顔に毒気を抜かれたかのように、真由もまたふっと冷笑を緩め、姉の意思を確認するように真美に問うた。
「だとよ、真美。どうする?」
「決まってるわ。今度こそ、宗次郎を斃す!」
見上げてくる真由に即座に返答すると、真美はキッと宗次郎と剣心とを睨みつけた。そこに敵意と殺意はあるが、先程までの澱みは感じられないように剣心には思えた。
「緋村抜刀斎、ひとまずあんたのことは後回しよ。宗次郎を斃したら次はあんたの番だから覚悟することね。二人とも首を洗って待ってなさい・・・・!」
「承知した、でござるよ」
真美の言葉に、剣心も穏やかだが真っ直ぐな笑顔で頷いた。万事解決、とまでは行かなくとも、とりあえず今はこれでいいのだと思う。宗次郎も同様のことを心に浮かべる。
少なくとも彼らの、宗次郎と剣心を標的とした闘いには、ここでひとまず終止符が打たれたのだ。いつかまた闘うことになることになろうとも、その時はただ、互いに全力で応じるだけ。
真由と真美にとっても、長い闘いは今一度終わりを告げ、そしてこれはある意味新たなる始まり。
長年の確執は消えなくても。
二人の中にある宗次郎へのわだかまりは、この闘いを経て解けたのかもしれなかった。
たとえそれが、ほんの僅か、だとしても。
次
戻