「クク・・・・真由達と瀬田達の闘いが始まったようだな」
アジト内部のあちこちに放った隠密部隊からの報告を受け、蘇芳はほくそ笑む。
自身のアジトである以上ここは彼の城、離れた内部の状況を知る手段は幾らでもある。
既に己専用の闘場に身を置き悠然と身構える蘇芳は、側にいるへと目を向けニヤリとした。
「真由と真美は雪哉のように甘くは無い・・・・。雪哉はその家族への情とかいう脆さのために、あと一歩のところで瀬田を仕留め損ねたがな」
蘇芳は喉の奥で低く笑う。後ろ手で縛られ、柱に括りつけられたは身動きもできず、ただ蘇芳を戸惑いがちに睨み付けるしかできない。
「真由と真美の連携攻撃は簡単には打ち崩せん。あの志々雄の血を受け継いだ者、というのも伊達では無い。それに各々の強さとて一流だ。果たして今の瀬田達に打ち破れるかどうか・・・・」
謳うように語る蘇芳に、はただ不安を掻き立てられる。今の所は無事だと聞かされても、具体的な戦況をこの目で見ることができぬこの状態では、本当に宗次郎は大丈夫なのかとは思わずにいられない。
「瀬田のことが心配か? ん? クッククク・・・・」
の心中を見透かしたかのように蘇芳は底意地の悪い笑みを浮かべてからかうように問うてきた。
その態度には思わずカッとし、悔しさのあまり言い返す。
「宗次郎君は負けないわ、きっと・・・・!」
本当は、宗次郎への心配は勿論尽きなかった。それでも、宗次郎はきっと負けないとは思いたかった。
蘇芳の物言いに不安な態度ばかり見せていたが、ここで心が折れてしまったら己の負けだ。宗次郎も今懸命に闘っている。ならば自分も、ただ宗次郎を信じよう。彼に迷惑をかけてしまったという後ろめたい思いは消えない、けれど、その一方で彼が前へと進みここへと無事に辿り着くことを。
声に出したことで自分の思いに信を置けたのか、強い光を瞳に灯したに、蘇芳は再びクッと笑った。そうして左腰の村正を鞘から抜き放ち、その切っ先をスッとの首元に当てた。
ひやりとした感覚に、思わずの息が詰まる。
一瞬にして表情の変わったに、蘇芳はどこか満足気な顔になる。そうして三度、低い笑いを漏らした。
「人の心配より、自分の心配を先にするんだな」
―――瀬田宗次郎。
早く真由達を打ち破り、ここまでやって来い。
この娘を殺された時の、お前の顔が見物だな。
―第三十三章:The Last Wolf Suite(中編)―
「壱の秘剣、焔霊ッ!」
闘いの火蓋を切ったのはやはり真由の放った焔霊だった。中空を炎が駆け巡り、鋭い切っ先が宗次郎に振り下ろされる。
ギリギリまで引き付けてからかわし、宗次郎は素早く刀を振るう。宗次郎の天衣と真由の無限刃とがぶつかり合った所から火花が生まれ、刀身を伝ったそれは再び焔霊となる。
炎の熱さはじりじりと身を焦がすかのようだったが、それでも宗次郎は退かなかった。
「本当に、強くなりましたよね。今の真由君と真美さんを志々雄さんが見たらびっくりするんじゃないですか?」
焔霊を押し止めながらそう語った宗次郎に、真由はチッと舌打ちをして笑う。
「それこそ願ったりだな。俺達の方がお前なんかよりももっと優れた修羅だってことを、親父達に知らしめることができるんだから、なァッ!」
天衣を弾き上げた真由は、宗次郎の全身を撫でるように斬る。それも、薄皮一枚だけを傷つけるように。まるで旋風に巻き込まれたかように体中を斬り裂かれた宗次郎は思わず膝を折りかける。そして更に。
「うあああああっ!」
左肩に激痛が走り、思わず宗次郎は声を上げた。
真由は無限刃で斬るのではなく、その炎熱を宿した刀身をまるで焼きごてのように宗次郎の肩に押し付けたのだ。文字通り身を焦がす痛みに、宗次郎の意識がほんの一瞬だけ飛びかける。
「宗次郎!」
真美と刃を交えながらもそう叫んだ剣心の切迫した声に、宗次郎はハッと我に戻りどうにか踏み止まる。
全身から赤い血を撒き散らしながらも宗次郎は倒れず、むしろそれでも床を蹴ると、縮地の三歩手前で真由の背後に回り込んだ。それに気付いた真由が刀を振りかざす前に、宗次郎はその背中に向けて袈裟懸けの一撃を極めていた。
「グッ!」
真由が呻き、その体が傾く。刃が無い天衣であるから致命傷には至らない、それでも真由の体勢を崩すことには成功した。
追い打ちをかけようとした宗次郎に、けれど真美が邪魔をする。
「させなくてよッ!」
射程の長い薙刀での焔霊が、宗次郎の足を払うようにして繰り出された。脛を狙ってきた刃を飛び越え、前に踏み出す頃には真由と真美が揃って宗次郎を待ち構えていた。だが、宗次郎の隣にもまた、剣心が並ぶようにして逆刃刀を構えていた。
横一列になるようにして宗次郎と剣心は真由と真美に突進していく。縮地を使わない状態での宗次郎の足の速さと、剣心の神速はほぼ同じ。相手側の懐に飛び込んだタイミングもほぼ同時だった。
「ちっ!」
今度は真由は剣心と、真美は宗次郎と刃を交し合う。側面を打ち据えようとした真美の薙刀を宗次郎は刀で防ごうとした。けれど真美は攻撃をスッと止めると、柄を握り直し石突の部分で剣心の脇腹を突いた。真由と相対していた剣心は、全くの虚を衝かれた形でその一撃を食らうこととなった。
「ぐっ・・・!」
「二対二であることを忘れてもらっちゃ困るわねッ!」
高飛車に言い放つ真美に剣心は一瞬、目を向ける。その時、真由も高く跳躍していたのが同時に剣心の目に飛び込んできた。
「シャアアアッ!」
落下速度を付けながらの焔霊。剣心は龍翔閃で迎撃すべきかと身構えたが、脇腹の一撃が想像以上に深く穿たれていて、途端、激痛が襲った。その痛みに技の発動が僅かに遅れた。
真由の焔霊は剣心を叩き斬るべく振り下ろされたが、その両者の間に宗次郎は割って入った。宗次郎が真由の無限刃を受け止めていると、その背中側にいた剣心に真美が薙刀を打ち込んできた。
ぐっと両足に意識を集中させると、宗次郎は縮地一歩手前の突進を以って真由の刀を弾きその体をも跳ね飛ばした。片や剣心も逆刃で真美の薙刀の柄を狙って武器破壊の一撃を叩き込む。木で作った芯に薄い鉄板を螺旋状に巻きつけてあるその柄は存外丈夫で斬ることこそ叶わなかったものの、その渾身の一撃は真美を後方へと退けさせるのには十分だった。
図ったわけではないが、呼吸の合った宗次郎と剣心の反撃に、闘場の端で観戦している鈴も目を見張る。
「ふぅん、最初は真由達の方が押してたけど、瀬田さんと緋村さん組も流石にやるじゃない」
「当然だろ。今更何言ってんだよ」
ムッとして言い返す弥彦に、鈴は軽く首を振る。
「あぁ、そういう意味じゃなくて。あの二人が相当に強いってことはとっくの昔に知ってるよ。ただ、二対二の闘いだっていうならさ、どう見たって真由達の方が有利でしょ」
「そりゃ、否定はしねェが・・・・」
今度は口篭るように弥彦は呟いた。
同じ条件なら、二人で組んだ時の闘いの経験を多く積んでいる真由・真美の方が確かに断然有利だ。彼らに比べれば即興的な組合わせの宗次郎と剣心とが、自分達の方へとなかなか流れを引き寄せられずとも無理も無い。
もどかしそうに二人の方へと目を戻す弥彦を横目で見ながら、鈴は心の中でちらりと思う。
(もし真由と真美の二人を倒そうと思うなら・・・・まずはその連携を崩すしか無いね。ま、そう簡単にはいかないだろーけど・・・・)
「・・・宗次郎」
「何です? 緋村さん」
息を整えながら小声で名を呼んできた剣心に、宗次郎は笑顔を浮かべながら同じように小さな声で返事を返す。左肩を始めとした全身を焼くような痛みは依然として消えないが、宗次郎の口元は自然、笑みを象る。
対照的に険しい表情をした剣心は、向こう側からこちらを睨みつけてくる真由達への警戒を解かぬまま、宗次郎に話を切り出す。
「あの二人を打ち破るには、まずはどちらか一人を倒すしか手は無い」
「そうですね、僕もそう思います」
剣心の言う手段が理に適っていることは宗次郎も分かる。真由と真美の焔霊や剣術、薙刀術も手強いが、剣心と宗次郎とを何よりも翻弄するのはその二人の連携だ。
「だから拙者がどちらかの動きを・・・・可能ならば真美殿の動きを止めるでござる」
どうしてだが、どこか悲壮な決意をも漂わせるような声の響きに、宗次郎はきょとんと目を見開く。
それでも眼光の強さを湛えたまま真っ直ぐに前を見据える剣心に、宗次郎もまたその思いに答えるようにこくんと頷く。
「分かりました。緋村さんにお任せします。でも、動きを止めるなんて一体どうやって?」
宗次郎の言外には、武器破壊攻撃は先程防がれたのに、という含みがある。剣心が真美を倒すのではなく止める、と断言した辺りは、できれば女性に向けてこれ以上の剣を振るいたくは無い、という心境から来るのかもしれない。
「クク、作戦会議、ってトコか? 何かいい策でも浮かんだのかねェ」
視線の先にいる真由と真美は、宗次郎と剣心とに挑発するような笑みを向ける。その発言が意味するのは、たとえどんな策で来ようとも真っ向から打ち破れるという自信の表れか。
すっと大きく息を吸い込み、再び堂々とした姿で身構えた剣心はゆっくりと前に踏み出した。ちゃき、と逆刃刀の鍔元が鳴る。
「ただ拙者は、本気でお主達に応えるのみでござるよ。十年前、あの時志々雄との闘いでそうしたように」
剣心の言葉に真由は顔を僅かに傾ける。真美もまたぴくっと反応した。
「あの時、この国の行く末をかけてはいても、己の信念を以って闘ったという点では拙者と志々雄は同じ・・・。そういった意味では、此度の闘いも似たようなものなのかもしれぬ」
ひゅう、と上空で紅い葉が舞う。
それが剣心の剣気に反応したものなのか、ただ流れる風に身を任せたものなのかは、一同が判別することは無く。
ただそれでも一片の木の葉が舞う。
「拙者が志々雄と由美殿とを最後は死に追いやってしまったことは事実。仇だと言われても否定はせぬ―――この国を守るためにしたことが、お主達の両親の命を奪うことになってしまったことは、本当に申し訳なく思う」
苦い表情で目を伏せる剣心。しばしそれを見ていた真由は、けれど意外にも剣心のそんな態度を打ち消すように言う。
「あんたの詫びなんざいらねェ。前に言ったかも知れねェが、親父とあんたの勝負は真っ向勝負だったんだ。剣客同士の闘いに恨み言は無しだ。親父だってきっと、あんたと闘ったことに後悔はしてないと思うぜ」
剣を交える以上、その終局は生きるか死ぬか、二つに一つ。
それは剣客ならば誰もが覚悟していることであり、志々雄も自身もまた恐らくは深く理解していたこと。
分かっていても感情が追いつかない真美はともかく、真由はそのことをもう割り切ってしまっている。だから彼の内にある剣心への気持ちは、剣で彼の力を上回りたい、ただそれだけ。
「けどな、幾らあんたを恨んでないたぁ言え、親父達の邪魔をしたのは確かだ。志半ばで計画の頓挫した親父の国盗りは俺達が引き継ぐ。二度目の邪魔は入れさせねェぜ!」
真由のその言葉を聞き、剣心は何事かを考えるようにしばし目を閉じた。
が、ややあって瞼を上げると、決意を新たにといった毅然とした表情で剣心もまた声高に述べる。
「父の志を継ぐのは立派。だが、多くの者を苦しめる弱肉強食の名の下の国盗りという凶行を、断じて見過ごすわけには行かぬ!」
両手で逆刃刀の柄を握り、剣心は覇気のある声で言い放つ。今度こそ、彼の剣気に引き寄せられたのだろう、闘上の周りを覆う紅葉した葉が一斉にさざめいた。
「凶行だと? それは違うな」
聞き咎めるように口の端を吊り上げると、真由は無限刃の切っ先で床の石板を削り、その摩擦熱で炎を発生させた。
「覇権を明治政府から勝ち取り、この国を強くすること。それは父さんと母さんの大願、そして・・・・」
真美もまた同じようにして、薙刀の刃に炎を灯す。
深紅の輝きを映す志々雄譲りの互いの双眸が浮かべるのは、揺るぎなき野心と―――信念。
かつて志々雄が新月村で相対した剣心に語った野望と同質のもの。その時宗次郎は、志々雄側にいた。
真由と真美はどこまでも志々雄に似ていると思いながらも、今は違う立ち位置に立ちその彼らと剣を交えているという数奇さに、どこか自己への矛盾をも含むような気持ちで宗次郎は思いを馳せる。
けれど今は、闘うしかないから。
宗次郎もまた、天衣を持つ手にぐっと力を込める。
「それが俺達の正義だ!!」
真由は猛然と斬り込んできた。神速とは呼べぬが、それでも常軌を逸した速さで一気に間合いを詰めてきた。
身構える剣心が詮ずる所どんな手段を用いる気なのか宗次郎は聞き損ねたままだったが、当のその剣心に何か考えがあるのなら、彼が真美の動きを止めやすいように、
(うまくその状況に持ち込めるように加勢した方がいいんだろうな)
そう思案した宗次郎は、とりあえず真由と真美を撹乱するように縮地を使うことに決めた。
一方、
「飛天御剣流―――!」
「壱の秘剣、焔霊ァァ!」
高く宙へと飛んだ剣心は己の十八番の技、龍槌閃で真由に迫る。対する真由もまた、空へと向けて突きを繰り出すようにして焔霊で迎え撃つ。
「龍槌!」
剣心の龍槌閃の方が僅かに早く極まり、肩口に一撃を食らった真由は前のめりに倒れそうになる。着地した剣心は間髪入れず床を蹴った。
「翔閃!!」
鳩尾を打ち上げたその技は、かつて志々雄にも放ったことのある二連撃と同じだった。この機を逃すまいと剣心は攻撃を繋げようとするが、真美の薙刀が迫ってきたために、これ以上の連撃を断念する。
が、縮地の二歩手前による疾走で闘場の内壁を駆け上がってきた宗次郎が、その真美に向けて天衣を振るう。これでは真美も攻める相手を切り替えるしかない。
「くっ!」
刃と刃がぶつかり合い、甲高い金属音を奏でる。己の得物を引き、ほぼ同時に着地した二人だったが、しかし身のこなしは宗次郎の方が素早かった。
再び縮地の二歩手前による疾駆。
「こ・・・・のっ!」
衝撃で床が砕ける縮地の軌跡に対し、真美は薙刀を豪快に振るうがそれは当たること無く。むしろその土煙は真由の方へと向かっていく。
すれ違い様に真由に向けて刀を一閃する宗次郎、その一撃は脇腹に入ったものの、浅い。真由からしばし距離を置いたところで立ち止まった宗次郎は振り向くと、同じく宗次郎の方へと体を向けた真由と相対することとなった。
けれどその向こうでは、いつしか剣心が逆刃刀を腰紐から外した鞘に納めていた。左手で鞘を握り、そして右手は柄に伸ばす。その構えは紛れもなく抜刀術の放つ時のそれ。
それに気付いた真美、真由、そして宗次郎の顔つきがさっと変わった。過去に闘ったことのある宗次郎は当然、方治より志々雄と剣心との闘いの顛末を聞いていた真由らもまたその存在については知っている。そう、これはまさか。
(飛天御剣流奥義、天翔龍閃・・・・!?)
かの技を知っている者ならば、誰もがそう思ったであろう。けれどまだ断定はできない。天翔龍閃は左足の踏み込みがあってして初めて、絶対の破壊力を持つ奥義へと変貌するのだから―――。
「受けて立つわよ、抜刀斎!!」
凛とした真美の声が響く。
どんな技でも構いはしない。たとえ奥義を放ってこようと、絶対に捌いてみせる、そう心を決めた真美は抜刀の構えを取る剣心に向き直ると、薙刀で床を削って刃を着火させた。
八相の構えから放つ上段の焔霊。その薙刀の振り下ろされる動きを剣心はしかと目で負い、そして技を放つ時を見極めると柄をぎゅっと握り締めた。
剣心は抜き放つ逆刃刀と共に前に踏み出す。
ただしそれは、左足では無かった。
「!」
「飛天御剣流―――」
真美は目を見開く。次の瞬間、神速で抜刀された刀身が薙刀を高く弾き飛ばした。手放しはしなかったものの、跳ね上げられた衝撃で腕の自由が利かない。
真美が薙刀を手元に引き寄せる前に、逆刃刀の鉄拵えの鞘が、同じく神速の速さで真美に攻めかかった。
「双龍閃!!」
『人斬り抜刀斎』という剣心の志士名の由来ともなった二段抜刀術の鞘での二撃目は、真美の右手首を強かに打ち据えた。これには流石の真美も顔を苦痛に歪めて、薙刀を取り落とす。
「抜刀斎っ!」
真美が崩れ落ちるのとほぼ同時に斬りかかってきた真由を剣心は鋭い目で睨みつけた。鞘をひとまず投げ捨て、即座に逆刃刀を両手持ちにすると、剣心はカッと目を見開いた。
次に放つのは、飛天御剣流突進術系最速にして最強の技。
「九頭龍閃!!」
同時に放つ九つの斬撃が、驟雨の如く真由に襲い掛かる。真正面からまともにその全てを身に受けた真由は、技の威力に耐え切れずに後方に吹き飛ばされた。内壁に激突し、崩れた瓦礫がその体の上に降り注ぐ。
奥義・天翔龍閃の会得の前には九頭龍閃の習得が必須。それからしても九頭龍閃という技の凄さは窺い知れる。
ただ、今の剣心にとっては諸刃の剣だ。強大な力を持つ反面、剣心の体にかかる負担とて相当なもの―――。
「く・・・・」
九頭龍閃を放った直後、剣心もまた崩れ落ちた。九頭龍閃を真っ向から受けた真由が、満身創痍になりながらも瓦礫の中から立ち上がったのに対し、剣心はがくりと膝を折り、苦しげな呼吸を繰り返す。
「立てますか、緋村さん?」
問いかける宗次郎にもすぐには答えられぬくらいだ。
それでもようやく息が整い始めた剣心は、すっと顔を上げた。額から血を流す真由と目が合う。
真由は身に纏う着物がぼろぼろになりながらも、それでも悠然と笑んだ。その剣気に底は無いのかと、そんな風にも感じるほどに。
「ククク・・・・今の九頭龍閃が最後の飛天御剣流の技ってとこか? なぁ抜刀斎」
「・・・・・っ」
図星を疲れたのか、剣心が小さく呻く。
その反応を見ていよいよそのことを確信した真由は、少し離れた場所でしゃがみ込み、右手首を押さえている真美を見た。
手首があらぬ方向に曲がっていたりなどはしていないから、どうやら骨折は免れたようだが、それでも先程の双龍閃の一撃は真美にこれ以上薙刀を持たせぬようにするのには十分だったようだ。右手に走る痺れや震え、痛みといったものを抑えるかのように左手は添えられている。右の五指はゆるりと開かれたまま硬直している。麻痺してしまっているのかもしれない。
「真美。しばらく休んでろ。後は俺に任せな」
「真由・・・・」
真由の言葉に、真美は痛みで強張った顔を僅かに上げた。闘いの途中で離脱することがさぞ口惜しいのであろう。真由の言葉に頷くのにはしばしの時間を要した。
と、真由は鈴に向かって顎をしゃくった。咄嗟に意味を理解できなかった鈴だが、真由が意図していることに気が付くと、さっと真美に駆け寄った。
そうして鈴は真美の体を支えるようにして立ち上がらせると、正面から見て闘場の右横の方へと共に退いた。
それを見届けると、真由はまた剣心へと目線を映した。
「双龍閃で真美を戦闘不能にさせたのはいい判断だったが・・・・その後の九頭龍閃で、あんたもそれ以上飛天御剣流を撃てなくなっちまったな」
にや、と真由は笑う。剣心は立ち上がれず、膝を折ったままその表情を見上げるしかない。
「本当は天翔龍閃も拝みたかったところなんんだが、今のあんたにそれを言うのは酷ってもんだな。例え撃ちたくても、もう技の威力に体がついていかねェんだろ? そんな状態で放ったところで技にすりゃなりゃしねェ。天翔龍閃のなりぞこないを破っても、満足には程遠いぜ」
ぎり、と歯噛みする音を宗次郎は聞いた。
その剣心の様子をよくよく見てみれば、体に受けた損傷は宗次郎よりも少ないのに、刀を持つ手や身体を支える両足は小刻みに戦慄いている。まるでこうして起き上がっているのもやっととでも言うかのように。
それ程までに飛天御剣流の技の反動は凄いのか、と宗次郎は改めて思う。
その飛天御剣流の奥義、天翔龍閃は神速の抜刀術に左足での踏み込みを加え、刀に一瞬の加速と加重を与えた剣心の最大の攻撃力を誇る技。
それがどれだけ凄まじい破壊力を持つのかは、宗次郎が自身の身を以って実証している。
けれど、だからこそ思う。あれ程の破壊力を秘めたあの技を、今の剣心が撃つのは確かに無理だ、と。
「あんたの時間切れなわけだから、俺が勝ったとは言い難ェ。全盛期の頃のあんたと闘えなかったのはつくづく残念だぜ」
真由はぼやくように言う。
実質、剣心はこれ以上闘えぬのだから引き分けもいいところだ。満足に身動きのできぬ剣心を殺したところで、それは本懐を遂げたことにはならない。
或いはそれも一興かもしれなかったが、真由が闘うことを望んだ相手は剣心一人ではない。
剣心よりも先に、その強さを越えたいと願い、その強さを妬ましくも思い、押し退けたくて堪らなかった存在―――。
誰よりも、ある意味では母よりも父に近い場所にいた、父が作り上げた最強の修羅、瀬田宗次郎。
「だったらせめて、瞬天殺くらいは見せて貰わねぇとな。なぁ―――宗次郎」
真由の言葉に、宗次郎は顔をゆるりとそちらに向けた。
目が合うと、真由は宗次郎を試すような得体の知れぬ笑みを、その面に浮かべた。
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