―第三十二章:The Last Wolf Suite(前編)―
皮肉を込められて、だろうか。
唯一名前の付けられた真由と真美のその間は、『大灼熱の間』といった。
それとも父親への二人の慕情がそうさせたのか、いずれにせよ、十年前の死闘を思い出し剣心の顔が強張る。
今まで通ってきた間とは違い、そこへと続く扉は高さは一同の身長を遥かに上回る、重々しい漆黒色の鋼鉄製の造りだった。硬く冷たく、その扉は閉ざされている。
そしてその扉は廊下の端で、宗次郎達の訪れを静かに待っていた。蘇芳の元へと先を急ぐ彼らの行く手に立ちはだかるようにして。
「言うまでもないけど、この先にいるのは真由と真美だよ」
いつになく真面目な顔をして鈴は宗次郎に振り向いた。その手は、扉を開く仕掛けであろう、壁からせり出した金具から釣り下がった鎖の先にある鉄の輪に添えられている。
宗次郎は頷いた。あの二人と剣を交えることは、以前邂逅した時に既に宿命付けられている。もしくは、彼らが親から引き離され宗次郎こそが最強の修羅となるべく育て上げられるという、実子と他人の子とのその立場が入れ替わってしまったその時からか。今更、立ち止まる道理は無い。
剣心とてそれは同じなのだろう。同じ人斬りとしての道を歩みながらも違う生き方を見い出し、この国の命運を懸けて闘った志々雄真実の遺児達が控えているその間を凛呼として見据えている。
「・・・・弥彦、頼みがあるでござる」
「何でェ? 改まって」
どこまでも落ち着いた声の剣心に、弥彦は自身にもまた緊張が走るのを覚えながら言葉を返す。剣心は顔だけで振り向いて続けた。
「お主の逆刃刀を、今一度だけ拙者に返してくれぬか」
「!!」
弥彦だけでなく、宗次郎も目を見開いて驚く。
「以前拙者が使っていたとはいえ、今その逆刃刀は間違いなく弥彦の物。お主に授けたその刀を返して欲しいなどと、無理を言っているのは重々承知している・・・」
剣心は懊悩するように眉を顰め、目を伏せた。
事実、その申し出は苦渋に満ちているのだろう、剣心にとっては。弥彦が一人前になったことをその剣と魂を通して認め、元服の祝いに譲り渡した物を今になって返して貰おうとは。
けれど、どこか後ろめたい思いを抱えながらも、剣心はその意志を曲げるつもりは無かった。
ゆっくりと瞼を上げた剣心は、今度は迷い無き瞳を尖らせた。
「けれど、拙者はあの者達に本気で応えたいのでござるよ。拙者の今持ち得る力全てで・・・。そうでなくてはどちらが勝っても、恐らくあの二人は納得すまい・・・・」
避けられない闘いであることは剣心も宗次郎同様、深く理解している。けれどだからこそ、本気で真由と真美の二人と闘うべきだと剣心は思った。もう満足に闘えない体であることは事実、それでも全力を尽くさずしてどうしてあの二人の思いに応えられようか。剣と心に語りかけられようか。
だからこそ、剣心は弥彦の物となった逆刃刀をこの時だけは再び手にしたかった。木刀では存分に闘えないから、では無い。剣心の信念をそのまま体現化した逆刃刀を以ってして、あの二人に真に応えるために。
「剣心の気持ちは良く分かったぜ。それに、俺に断る理由なんかありゃしねぇ。これは元々、剣心の刀なんだからな」
剣心の思いを汲み、弥彦は力強く笑んで逆刃刀を腰紐から外した。
剣心とのやりとりから、かつて雪代縁から人誅を仕掛けられた折、乙羽瓢湖という男と闘った時のことを弥彦は連想した。あの時は満身創痍となった弥彦がそれでも一歩も引かず、強くなりたい一心で乙羽に立ち向かったものだった。そんな弥彦に、剣心は不殺の信念を一時預け、闘いを続けることを認めてくれた。
状況は違うが、己の思いとでもいえるべきものを人に預け渡すという点では同じ。先程言ったように逆刃刀の元の持ち主は剣心であり、それにあの時のお返しだなという気持ちも手伝って、弥彦は今は己のその刀をぐっと剣心に差し出した。
「・・・・かたじけない」
弥彦の笑みに剣心もまた笑んで頷き、逆刃刀を両の手で受け取った。柄と鞘との部分をしっかと掴むと、どこか懐かしい感触と重さを掌全体で感じる。
剣心は腰に差してあった木刀を抜いて弥彦に預けると、逆刃刀を腰紐に通した。鞘を左手で掴み、凄味を帯びた表情で威風堂々とした剣心の立ち姿は、幕末最強の貫禄を否が応でも思わせた。
佩刀を一つ換えただけでもこの変化、と鈴は威圧感の増した剣心に内心口笛を吹く。
「何だか懐かしいですね、その姿」
宗次郎が笑顔で感想を口にすると、剣心もにっと表情を緩めた。
「あの時はまさかお主とこうして肩を並べて闘うことになろうとは、夢にも思わなかったでござるよ」
今と同じ京都の地でかつて死闘を繰り広げた相手とこうして共に闘うことの不思議を、改めて剣心は思う。
まして、相手は志々雄の遺した子ども達。これを奇縁と言わずして何と言おう。
「準備はできたみたいだね? それじゃあ開くよ、この扉」
宗次郎が頷くと、鈴は扉を開く装置に繋がる鉄の輪を掴むと、力任せに下に向けて引っ張った。途端、仕掛け内部の歯車が連動して回るような音が木霊し、それに伴い扉がゆっくりと外側へと向けて開かれていく。
開かれた扉の間から飛び込んできた、痛い程に眩しい太陽の光が宗次郎達を貫いた。
角灯などの明かりがあったとはいえ、それでも地下の室内と空の下でとは光の量が圧倒的に違い過ぎる。目を焼き尽くすような太陽の眩しさに、宗次郎は手で顔を覆った。ちかちかする目を何度か瞬く。そうしているうちに次第に視力がきちんと機能し始め、周りの状況を把握できるようになった。
「ここは、外・・・・?」
思わず宗次郎は呟いてしまったが、太陽が見えるのだから確認するまでも無かった。
翁から借りた懐中時計は剣心の懐に仕舞われたままだったから、正確な時間が何時なのかは分からなかったが、このアジトに来た時よりも僅かに色の薄くなった青い空と光を損なわぬながらもずっと傾いた太陽は、夕暮れもそう遠く無いであろうことを一同に知らしめた。
アジト内部の地下をどう突き抜けたものか、扉の先は外へと繋がっていた。更にその先には石畳の長い昇り階段が続いていて、両側は嵐山を彩る紅葉や楓の森。ただしその深さはまるで樹海のように限りが無い。
「この先だよっ」
鈴はとんとんと軽快にその階段を上っていく。先程雪哉が教えてくれた蘇芳の企みのこともあり、後に続く宗次郎と剣心の足も自然速まる。奇しくも白神神社で真由と真美と対面した時と同じ構図だった。
百段以上はある階段を上り切った先には、白壁作りの建物がそびえ立っていた。まるで中に入った獲物を逃がさないようにか、その高さは優に三間はある。
ただし天井は無い。強固な城壁で闘場の四方をぐるりと包み込んだような造りと、そんな風にも言い表せた。
そして、階段の正面、開け放たれた入り口の扉の向こう。
森の中をその部分だけ四角く切り取ったかのような闘場―――石油による篝火こそ無いものの、正方形の石板を敷き詰めた造りはやはり志々雄のそれとよく似た新たな大灼熱の間の中心に。
炎を統べる悪鬼・志々雄真実の血を引継ぎし者達、真由と真美は立っていた。
「意外ね。雪哉も幾らかは宗次郎に手傷を負わせられたのね」
薙刀を右手に持ち、肩に軽く柄を預けた真美は、宗次郎を見るなりそう言った。傷の量や深さよりも、雪哉が宗次郎の体に傷をつけたことが彼女にとっては少なからず心外だったのだろう。
けれど冷静にその傷を検分し、闘うのには恐らく別段支障は無い、と見た真美は、赤く紅を差した綺麗な形の唇をニィと吊り上げた。
「嬉しいわ。ようやくこの日が来て。これで、やっとあんた達と闘える・・・!」
心底、喜びで打ち震える、といった風に笑む真美の隣で、真由もまた待ち侘びたようにゆるりと口を開いた。
「待ってたぜ、瀬田宗次郎。それに・・・・緋村抜刀斎」
真由は剣心の左腰へと視線を落とした。そこに以前のような木刀ではなく、形は日本刀と同じ造りの逆刃刀が据えられているのを見て、満足そうににやりと笑った。それは愉悦によるものだということに疑いは無い。
父である志々雄と同じように、剣心や宗次郎といった剣の強者との勝負はこの上なく血が滾る。きっとそうであるのだろう。真美はともかく、少なくとも真由の方は、二人に対する恨みよりもその思いが遥かに上回る。
「とっとと始めようぜ。ここまで来たら、もう互いに口上は無用・・・・」
真由は左手で鯉口を切ると、右足をすっと前に出した。
真美もまた薙刀を構え直した。右手は肩の辺りまで上げられ、薙刀の長い柄の中央の辺りを握っている。左手は腰まで下げ、柄尻から一尺程離れた箇所にある。切っ先を高く、上段に向けるように構えた攻撃的な構え、いわゆる八相の構えだ。
宗次郎と剣心も、それぞれ己の刀の柄に手を伸ばす。敢えて相手に確認せずとも、これは二対二の闘い・・・・純粋な一対一との闘いや、二対一の不利な闘いともまた違う厄介さがそこにはあるだろう。加えて、真由達の実力の程も計り知れない。
それでも、と宗次郎は思う。
それでも、弱肉強食の理念を信条としている彼らには、かつての自分がそうであったように、やはり何よりも闘いで応えるしか無いのだ、と。
戦意を示した宗次郎と剣心に、先に踏み込んできたのは真由だった。間を置かず、真美もまた果敢に斬りかかってくる。
逆刃刀を抜刀し、剣心は真由の刀を受け止めた。同じく天衣を抜いた宗次郎は、真美の上段からの一撃に備える。
薙刀の間合いは刀よりも広いため、宗次郎からやや離れた位置で真美の刃は振り下ろされた。それを弾こうと宗次郎は右手を伸ばし刀身を前に出す。が、真美の薙刀の切っ先は、天衣を巧にするりと斬り払い、逆に宗次郎の胴へと向けて打ち込んできた。
「たぁぁっ!」
「!」
勇ましい気合の声と共に踏み出した真美の一撃を、宗次郎は体の半分だけを後ろに退くようにして避けた。その体を狙って真美は即座に横薙ぎに薙刀を振るう。
宗次郎はひゅっと高く跳躍した。薙刀を相手にするのは、通常の刀を相手にするのとは勝手が違う。長柄武器な為、距離を取られてしまうと攻撃はあちら側に分がある。
間合いを詰めて闘わなくちゃ、と宗次郎は緩やかに落下しながらそう考える。が、宗次郎が着地するのを待つよりも、真美はもう一人の相手、剣心に斬りかかることを選んでいた。
「シャアアアッ!」
掛け声まで志々雄真実そのままに、真由は剣心と鍔競り合いに興じる。力負けすまいとした刀が、互いに反発した鋭い剣気が、柄を握る手だけで無く辺りの空気までビリビリと震わせるかのようだった。
真美が剣心に向けて薙刀で攻撃を仕掛けたのはそんな最中だ。双子の弟と刃を交える剣心の、そのやや後方気味の場所から真美は薙刀でその体を薙ぎ払おうとする。
それは丁度宗次郎が着地した瞬間。縮地で駆け出す間も無く、真美の薙刀が剣心の体を裂かんとする。
「緋村さ・・・」
宗次郎は思わず声を上げかけた。が、次に目の前で起こった光景に、驚きのあまりその声は飲み込まれる。
迫る真美の刃に対し、カッと鋭い眼光で睨み付けた剣心は常人を超越した反応の速さで真由の刀を弾き飛ばした。そうして即座に体の向きを反転させると、刀身を倒しそこに左手を当てる。
「飛天御剣流、龍翔閃!!」
一足飛びで真美の懐に入り込んだ剣心は、薙刀を持つ腕を目掛け、刀の腹で勢い良く打ち上げた。真美が咄嗟に身を引いたため、その一撃が腕に極まることは無かったが、薙刀は高く弾かれ、その衝撃で真美は後方に吹っ飛ばされる。
「ホウ・・・・」
それを目の辺りにした真由はピタ、と動きを止め、興味深そうに目を見開く。
数度浅い息を吐いた剣心に驚愕の目を向けていたのは、決して彼だけではなく。
「緋村さん、今の技って」
半ば唖然と宗次郎は剣心に問う。
以前、宗次郎も見たことがあるから間違い無い―――先程の技は紛れもなくあの尖角を倒した飛天御剣流の技、龍翔閃だ。当の剣心もそう叫んでいたから今更その是非を問うまでも無いが、気になったのはただ一つ。
「何でお前・・・・飛天御剣流使ってんだよ!?」
一同の疑問は、弥彦のその問いに集約される。
扱うには小さ過ぎた体躯であったが故の肉体への反動、長年に渡る激しい闘いの末に蓄積された損傷。そのために剣心は飛天御剣流を撃てなくなることを余儀なくされた。
それは剣心とて当の昔に了承済みのことではあったし、ここ数年の闘いは飛天御剣流を使わずに切り抜けていた。飛天御剣流を使わなくとも、それでも彼は強かったからだ。このアジトの初戦の雑兵達との戦いでも、それは証明されている。
それなのに。
「確かに・・・・今の拙者は、飛天御剣流を撃てる体ではござらん。だが・・・・」
剣心は息を整えると、短い髪を揺らしながら真由に向き直った。真美もまた体勢を立て直し、彼の隣へと戻ってきている。
「この者達が真に望むのは恐らく―――志々雄と対峙した当時の拙者との闘い。今の弱った拙者ではなく、あの死闘を繰り広げた時の・・・・」
「ふん、分かってるじゃねェか」
鼻で笑いながらも、真由は剣心の言葉を肯定する。
今の剣心の強さが、全盛期の彼のそれに遠く及ばないことは真由とて百も承知。外見こそ未だ若々しいものの徐々に肉体を蝕んでいく老いという現象、それに飛天御剣流を振るうことでかかっていた四肢への負担は、確実に剣心から往年の力を奪っている。
それを理解していてもなお、彼が父・志々雄を破りその野望を潰えさせたという事実は変らない。だからこそ真由は剣心と闘うことを望んだ。腐っても鯛というわけではないが、どれだけ幾星霜の時を重ねようとも彼は幕末の頃最強と謳われた『人斬り抜刀斎』。
次第にその力の薄まっていく彼に失望が無いと言えば嘘になる。だがそれでも、かつて最強と呼ばれた彼を、それをも超える強さを欲していた父を制したその存在を、斃すことに意義がある。
願わくば弱くなってしまった今の剣心でなく、かつて父と争った時の、あの頃の強さの彼を―――。
「かつてのように自在に闘うことがもう無理だとしても、拙者はお主達に本気で応えたい。だからこの闘いにおいて拙者は、志々雄と闘った時と同じく、全力を以って挑むでござる!」
剣心は逆刃刀の柄を改めて強く握り締め、真由と真美に毅然と言い放った。
二人の真意を汲み取ったからこそ、剣心はそう決意した。全力で、本気で、ただ彼らと闘うべきだと。闘いの前に弥彦らにも述べたように、今持ち得る力全てで。
体中が軋み、声無き悲鳴が聞こえるようだ。けれど剣心はそれを気合で耐え、目を細めて言葉を紡いだ。
「そう長い時間使うのは無理だが・・・・それでもなるべく体に負担をかけぬようにして飛天御剣流を撃つ術を、拙者は蒼紫との鍛錬の中でどうにか見い出すことができた」
「成程、前に緋村さんと四乃森さんが揃っていない日がありましたけど、そういうことだったんですね」
内心ぽんと手を打ちながら、宗次郎が納得して頷く。
白神神社で蘇芳やこの双生児と対峙した次の日以降、剣心と蒼紫は日中は葵屋からふらりと姿を消してしまっていた。訳を訊いても剣心は曖昧に笑むだけで多くを語ろうとはしなかったのだが、今の話で彼らが外出時に何をしていたのか合点がいった。
敢えて語ろうとしなかったのは、きっと語れば今や彼の伴侶である薫が、この上なく心配してしまうからだろうか。
宗次郎は何となくそう思った。
「それで、どのくらいの間なら大丈夫なんですか?」
薫の心配を抜きにしても、剣心の肉体にかかる負荷を思えば、それは訊いておいた方がいいだろう。
率直に尋ねた宗次郎に、剣心はややあって返事を返した。
「・・・・およそ十五分。それ以上は、恐らくは・・・・・」
肉体が飛天御剣流を撃つことに耐えられまい。剣心は言外にそう告げた。
それは何の因果か、志々雄と同じ時間の縛り。
「そんだけありゃあ、十分さ」
刀を下げたまま、真由は緩やかな動きで前に踏み出してきた。口元には依然不敵な笑みが浮かぶのに、眼光は鋭く研ぎ澄まされ剣心を穿つ。
「あんたの覚悟、しかと見せてもらった」
す、と真由が動いた。ゆらりとどこか陽炎めいた動作で刀を構えると「真美」とほんの一瞬だけ真美に目配せした。それを受け、真美もこくんと頷く。
「行くぜ! 戦闘再開といこうじゃねぇかッ!」
再び、真由が真っ先に刀を振り被る。間合いを一気に詰めてきた真由に剣心も床を蹴って応戦する。キン、と再び刀と刀がぶつかり合う。
と、先程の鍔競り合いとは違い、真由は逆刃刀と交わった己の刀の切っ先を、意図的に下方へと動かした。金属同士がと擦れ合う不快な音を上げながら、真由の刃は逆刃刀の鍔元まで下りて来る。
次の瞬間、真由の刀から迸ったのは紅き炎!
見覚えのあるその技に剣心が目を見開く。
「!!」
「壱の秘剣、焔霊!!」
炎を纏った切っ先は剣心の胴を一文字に斬り裂いた。技が完全に入る前に身を退いたから斬られたのは精々皮一枚というところだったが、それでも刀身に宿った炎熱が傷口をじわじわと焼き熱い痛みを生じさせる。
志々雄が得意とした斬ると焼くを同時に体現した技『焔霊』を真由も使ってみせたことに、宗次郎も目を丸くする。
「驚くのはまだ早くてよ!」
真美の凛々しい声にはっと我に返れば、彼女もまた薙刀を宗次郎に向けて突進してくる所だった。先に間合いを制そうと真美の懐に飛び込もうとした宗次郎だったが、それを邪魔するかのように薙刀が正面から突き出された。自然、宗次郎はその刃を天衣の刀身で受け止める。
けれど宗次郎の刀を弾くようにして振り払ったその切っ先には、真由のそれと同じく燃え盛る炎が生じていた。
「焔霊ッ!!」
刃を返し、茜色の軌跡を描きながら上段から大きく振り下ろされた真美の薙刀は宗次郎の右肩を縦に薙いだ。布と肉の焦げるような臭いと同時に鋭い痛みが走る。
「・・・・っ!」
後ろに飛び退き追撃をかわしながら、焔霊って喰らうとこんなに痛かったんだ、と宗次郎はちらっと思った。志々雄がその技を使うのを見たことはあっても、自分で受けるのは初めてだったのだ。
(でもどうして真美さんは薙刀なのに焔霊を?)
「考え事してる時間はねェぜ!」
その声に視線を後方に向ければ、中段に刀を構え宗次郎を待ち受ける真由の姿があった。宗次郎は一旦足を止めると、そのまま軽やかな足捌きで体の向きを変えた。
「シャアアアッ!」
真由は刀の切っ先を床に突き刺すと、柄を強く握り締め石板を削るようにして宗次郎に向かってきた。石を斬り裂いた時の摩擦で火花が散り、地を這うようにして炎もまた燃え上がる。
あくまでも刀身に宿るものだから、火炎自体の殺傷力はそんなには高くないのだが、それでも目に見える脅威に宗次郎も思わず惑わされそうになる。それでも意識は真由の刀身に集中させ、その斬撃の動きを宗次郎は見極めようとした。
捲り上げられるようにして放たれた下段からの焔霊を、宗次郎は刀で振り払った。宗次郎が体勢を整え、真由に一撃を入れようとしたその刹那、いつの間にか間合いを詰めていた真美が間髪入れず襲い掛かってきた。
「! 宗次郎!」
それまで真美と剣を交えていた剣心が緊迫した声を上げる。
一切の油断を許さぬ激しい闘いの最中、剣心は悟っていた。この二人の真の強さは、まさに二人で闘う時に発揮されるものなのだと。無論、個々の剣や薙刀の腕とて相当のものなのだろうが、その二人が息の合った連携を極めた時こそが、何よりも強い瞬間なのだと。
例え剣心と競り合いをしていても、宗次郎に付け込む隙があらば容赦なくそちらを仕留めにかかる。その逆もまた然り。
何も言葉を交わさなくともお互いの考えを読んで相手への攻撃を繋げていく。お互い血肉を同じくした双子だから、という理由だけでは無いのだろうが、それでも真由と真美のこの剣戟の連携はまさに完璧な意思疎通の産物であり、それ故に簡単には打ち崩せない凄まじい力を持つ。
決して俄仕込みの共闘では無いのだ。
「死ねッ!!」
宗次郎に対する憎しみをそのまま言葉に乗せて真美は火炎を帯びる薙刀を振り上げてきた。その時には真由もまた構えを整え切っており、宗次郎に向けてほぼ同時に斬りかかる。
一方の攻撃を防いでもその間にもう一方にやられてしまう。
一瞬でそう判断した宗次郎は、足に力を込めて縮地の二歩手前でその場を離れた。攻撃対象を失った真由と真美は、驚愕した顔で動きを止める。
ならば剣心の方をと真由と真美が体の硬直を解き切る前に、当の剣心は二人の懐へと斬り込んでいた。彼らが動き出す前のほんの刹那の間に、剣心は既に技を撃っていた。
「飛天御剣流、龍巻閃!!」
遠心力を以って振り回された逆刃刀は、確実に真由と真美を打ち据え弾き飛ばした。それぞれが闘場の内壁に体を強く打ちつけ、短い悲鳴を上げる。双方とも背を壁に預けて立つような姿勢になった。
技を放った方の剣心もまた、膝を折りはしないものの僅かに震える足で浅い息を繰り返している。
「大丈夫ですか?」
「・・・・ああ」
緩やかに駆け寄ってきた宗次郎に、剣心はただそう短く返事を返す。返しながらも、鋭い瞳が見据えるのは真由と真美の動向だ。恐らく、あの二人はまだ立ち向かってくる。
「それにしても驚いたなぁ。まさか真由君と真美さんが焔霊を使うだなんて」
激戦の最中であるにもかかわらず、どこまでも穏やかな声で宗次郎は呟く。志々雄の側近として仕えていた宗次郎であるから、彼の愛刀の無限刃のことも、焔霊の技の原理も当然知っている。
あらかじめ刃の一部をこぼしてしまうことで殺傷力を保ちながら常に一定の感覚で連続使用できる、という特性を持つ殺人奇剣『無限刃』。その鋸のような刃に染み込んだ人間の脂を燃やし技として昇華したものが『焔霊』。
それが剣術における俺の弱肉強食だ、と志々雄がよく言っていたのを宗次郎は思い出す。まさに彼に相応しい技だし、真由達がそれを使っていても不思議は無いとも思う。
ただそれには無限刃の存在が必要不可欠。志々雄のアジトが崩壊したあの時に失われたと思われる無限刃が、何故に真由の手の中にある? それに真美の薙刀も、どうして焔霊を発動できる?
「恐らくは・・・・無限刃はこの逆刃刀と同じように、二本あったのでござろう。真美殿の薙刀もまた、刃の構造は無限刃と同じ・・・」
「御名答だ」
低い声の方向に、宗次郎と剣心は揃って視線を向ける。
壁から背を離した真由は龍巻閃での痛手を全く意に介さず、といった風に実に堂々とした振る舞いで宗次郎と剣心の方へと歩み寄る。真美の方もまたひらりと身を翻し、真由の隣に寄り添うようにして並んだ。
「これは親父が俺に遺した『無限刃・真打』。抜刀斎、さっきあんたが言ったように、その逆刃刀同様、無限刃も初めから二本存在していたのさ」
真由は己の無限刃の刀身を見せ付けるようにして構え直した。宗次郎と剣心がその刃の表面をよくよく見れば、やはり志々雄の無限刃同様、細かい刃が刀身全体に連なっている。
「そしてこっちは新井赤空がその生涯の中で打った唯一の薙刀、『無限刃・紅』。残念ながらこちらは一振りしかないんだけど・・・・真由の無限刃と対になっているのよ」
真美もまた薙刀の刃が宗次郎達に良く見えるように持ち替える。成程、こちらの刃も真由のそれと同様だ。無限刃という名の他にくれない、と名があるのは、薙刀に銘を付ける際は女性名にすることに由来しているのだろう。
真由と真美は志々雄から受け継いだ血肉を持つだけでなく、同じ愛刀を以って父と同じ技をも振るう。二人の発言により密かに遺されていた無限刃の存在が明らかになり、その事実がなお重みを増す。
改めて向き合った四人の間に、緊迫した重い空気が立ち込める。入り口の扉の前でその闘いを見守っている弥彦や鈴が一言も口を挟めない程に、その場は緊張感で満ちている。
「・・・・所詮、この世は弱肉強食」
嵐の前の静けさ、といった感のあるその状態を打ち破ったのは、真由が落ち着き払った声で放ったその一言。
「強ければ生き、弱ければ死ぬ」
それを繋ぐようにして、真美がその続きを口にした。
二人は一歩もその場から動いていないのに、その身から放たれた殺気や闘気といった烈火の如き激しさを秘めた敵意が、それでも凍てつく様な温度を以って宗次郎と剣心の包囲を侵食するように辺りに充満していく。人の発する剣気を物ともしない宗次郎すらも、息苦しさを覚える程に。
真由と真美は志々雄に似た鋭い視線で宗次郎達を睨み付ける。真美の顔立ちは由美の面影を受け継いでいるから、まるで志々雄と由美その人達に見据えられているような、そんな気すら宗次郎に起こる。
裏切り者、恩知らず、と宗次郎は以前真美に謗られた。宗次郎自身にそんなつもりは無くても、少なくとも真由と真美にはそんな風に受け止められてしまった。
誤解は、もしかしたら解けないかもしれない。けれど、宗次郎が始めに決め、剣心もまたそうすることを選んだように。
ただ、本気で彼らに応えるしかない。
「宗次郎も抜刀斎も、予想以上に手応えがありやがる。こんなに愉しいのは久々だぜ。だが・・・・・」
真由は言いながら宗次郎と剣心の顔を交互に見遣った。普段は柔和なのであろう彼らの顔が、今この場では流石に闘いに相応しく鋭さを帯びている。
宗次郎はそれでも真顔に近い表情をしていたが、笑み以外の表情を引き出せたことに真由はいささかの優越感を覚える。
幕末最強の人斬りと、父が才覚を見い出した最強の修羅、その強さは本物だ。けれど、だからこそ。
今この時は弱いからではなく、強いからこそ斃したい。
互いに血を流す闘いにも愉しさを求める、それは確かに真由が志々雄から譲り受けた性質だった。
「俺達と親父達のために、お前らには糧になってもらう」
真由と真美が揃って刃を構えた。
灼熱の闘いの第二局目の開始である。
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