今でも鮮やかに甦る白と赤の記憶。
誰かが死ぬことの苦しさを教えてくれた彼女を死に追いやったのは、他でもない自分だった。
あれから模索し始めた償いの形。
それが今、ようやく示せるのならば。
―第三十章:寒梅、花をつけしや未だしや 九―
鈴の間の先に続く廊下を一同は進み、しばし歩いたところでようやく辿り着いた次の間に彼はいた。
やはり部屋の造りは同じようで、広々とした畳敷きの和室だった。そうしてその中央で彼は、雪哉は大小の刀を二本腰に差し、己の間へと足を踏み入れた宗次郎をじっと睨みつけていた。
何も言葉を交わさなくとも、彼が自分と闘いたいと望んでいるということは、よく分かっていた。
「それじゃあ、ちょっと行ってきますね」
それでも宗次郎は屈託無く笑い、手甲や脚半が緩んでいないのを確認すると、剣心達にそう告げ雪哉の元へと向かっていく。咲雪との過去の出来事を直に聞いていた弥彦は元より、剣心もまた、声も無くただ宗次郎の背中に目を向けていた。
(・・・・・宗次郎)
ただ、心の中でその名を呼ぶ。
二年前に宗次郎が神谷道場を訪れた際、腰に天衣を帯びていたことやどこと無く宗次郎の雰囲気に変化があったことに剣心は気付いていた。その時、宗次郎は言ったものだった。『旅の途中である人を亡くしたんです。それで色々、思ったことがあって』。
桐原咲雪のことについて詳しく聞いたわけではなかったが、それでも彼女は宗次郎にとって己で言えば巴に当たるような存在なのかもしれない、と剣心はそんな気がしていた。彼女は世の中を変えるべく剣を振るい続けていた剣心に、個の命を見つめるきっかけを与えてくれた。宗次郎もまた咲雪によって、一つの命の重みを感じさせられたという。
そうして昨夜、弥彦から詳しい経緯を聞き、咲雪にもまた兄がいて、宗次郎を恨んでいるということを剣心は知った。
巴と縁。咲雪と雪哉。
姉と弟。妹と兄。
何とも数奇な運命の巡り合わせだが、かつての自分と同じような局面に向き合った宗次郎を、ただ剣心は固唾を呑むような思いで見守るしかなかった。
剣心と縁との闘いが私闘であったならば、この宗次郎と雪哉との闘いも純然たる私闘。他の何人も介入できぬ闘い。当の宗次郎自身が、自分自身の手で決着を着けなければ。
奪った命への償い、という、いくら何をしても埋められない罪科の深さを贖う道を、宗次郎は見つけ出すことができたのか。
「お久しぶりです、雪哉さん。お元気そうで何よりです」
けれど剣心の憂慮にも関わらず、宗次郎はあっけらかんと雪哉に挨拶を述べる。雪哉はそれを受けてぴくっと片眉を吊り上げると、不機嫌そうに返事を返した。
「お前に挨拶なんか貰っても、嬉しくも何とも無い」
まぁ確かにどこかの誰かさんみたいに敵からの挨拶を有り難く受け取る方が珍しいのかも、とのほほんと挨拶をした自分を棚に上げて宗次郎はそんなことを思った。
と、雪哉は早くも刀の柄に右手をかけ、刀身をすらりと引き抜いた。続いて左手を脇差に伸ばすとそちらの方も抜刀し、雪哉は二本の刀をそれぞれの手に持ち無形の位で身構えた。刀を下げ自然体を取る無形の位は一見隙だらけのように思えるが、熟練した剣客が使えば相手の攻撃に変幻自在に対処できる型ともなる。
「二刀流、ですか」
対する宗次郎も未だ両手は体の脇に下ろしたまま、至って自然体だ。表情も穏やかで少しの動揺も見られない。
雪哉はそれぞれの手を胸の辺りまで上げ、大刀と脇差を交差させるようにして構えを取った。ぎらつく刃越しに、仇敵である宗次郎を静かに憎悪の火を灯した暗い瞳で見据えてきた。
「さっさとお前も構えろ。お前を俺の手で殺さない限り、親父とお袋の、何より咲雪の無念が晴れることなんて無いんだ!」
「・・・・・・・」
憤怒の形相で恨み言を吐いた雪哉を、宗次郎は黙って見返していた。
そこに浮かぶのは色濃い怒りの感情―――それには確かに、見覚えがあった。
『父さん達は弱いから死んだんじゃない、あんた達が殺したのよ!』と、宗次郎に向かってそう吠えた咲雪のと同質のものだった。
やっぱり兄妹だな。
場違いにもそんなことを、思う。
「雪哉さんが怒るの、無理も無いです。直接じゃなくたって、あなた達の家族を僕が奪ったことに違いは無いですから」
自分の犯した罪を開き直るというわけではない。ただ宗次郎は認めただけだ、己のしてきた所業は人から『悪』だと呼ばれることだということを。
だから近しい者の命を奪われた者がこうして宗次郎を責めるのも、至極当然のことだと思う。咲雪と同じように。
いや、その咲雪の命も散った今、その分の痛みや怒りが雪哉にはある。それで自分を討ちたいと思うのも、当然の感情だろう。だが。
「でも、僕も蘇芳さんの元に辿り着くために、立ち止まるわけには行かないんです。だから、」
とはいえ、宗次郎はそう言いながらも、ほんの少し迷っていた。それを象徴するかのように視線が畳に落ちた。
避けられない闘いなのは分かっていた。けれど、ここで彼と闘うのは本当に正しいのか。
仇を討とうとする者と、討たれることになる者と、立場的に分があるのは明らかに前者だ。大人しく討たれた方が雪哉にとっては本望なのかもしれない。
けれど、素直にそれを受け入れるわけにはいかない理由が宗次郎にはある。
この先にも闘いは控えている。その相手は修羅だった頃の己と深い因縁を持つ志々雄の遺児達と、かつての同志・蘇芳。そして蘇芳の元には、彼と共に自分を待っている人がいる。
それを思えば、ここで力尽きることなどできはしない。何より、当の雪哉が先程宗次郎に構えるように促したように、一方的な断罪よりも仇と剣を交えることを強く願うなら、それに応えることが恐らくは最善の方法。
(雪哉さんとは、やっぱり闘うしかないんだよね)
そう思い至れば、宗次郎の中から迷いは嘘のように消えた。先へと進み、すべてを終わらせるには、雪哉を打ち破る以外に道は無い。
そして宗次郎なりに輪郭が見えてきた償うということへの答えも、怒りに身を任せている雪哉に伝えようとしても、きっとまだ彼には届かないだろう。今はただ、言葉よりもある意味饒舌な、剣で語るしかない。
宗次郎は天衣の柄にスッと手を伸ばすと、僅かに伏せていた瞼を上げた。正面から雪哉を見据え、はっきりと言い放つ。
「すみませんけど、あなたには負けられません」
変わらない柔らかな笑みで告げたその言葉がきっかけだったかのように、雪哉がダッと前に踏み込んできた。上段から振り下ろされた雪哉の大刀を受け止めるように宗次郎はすかさず抜刀、鋭い刃を鍔元で防いだ。
「ちっ!」
舌打ちしながらも、雪哉は間髪入れずに左手の脇差を下段から振り上げようとする。鞘から抜け切っていた天衣を振り払うようにして宗次郎はそれを弾く。けれど宗次郎が息吐く間も無く、雪哉の大刀が煌めいた。
「!」
腹を薙ごうとした太刀筋を、体を捻って宗次郎は避けた。避けた場所には脇差が突き出され、今度は宗次郎はかわしきれず左上腕から鮮血が舞った。同時に痛みも走ったが、けれどそれで怯むような宗次郎ではない。幸い骨や筋肉には切っ先は至っていないようだ。
笑みを浮かべたままの表情で、宗次郎は雪哉の肩口を狙って天衣を振り下ろした。素早い一閃だったが、刀身は敢え無く雪哉の脇差に受け止められた。雪哉はそのまま脇差を握る手に力を込めて、宗次郎の方に向けて天衣を押しやろうとする。
次には多分大刀での一撃が来る、と察した宗次郎は、刀に込める力を緩めて脇差を受け流すとそのまま弾き飛ばし、ひらりと後ずさって雪哉から間合いを取った。
二刀流の相手と闘った経験はあまり無かったが、雪哉はその数少ない相手の中でも上位に入る剣の持ち主だ、と宗次郎は思った。ならば簡単に決着は着くまい。
「縮地の三歩手前、行きます」
宗次郎は右の爪先を二、三度トントンと畳に打ちつけると、腰を落として身構えた。
直後、宗次郎の姿が掻き消える。彼の位置を示すのは縮地で走った時の衝撃で千切れ飛ぶ畳の藺草のみ、それもまた常人の目では追えない速さで移動の痕跡を残していく。
驚異の脚力を以って瞬く間に雪哉の懐に飛び込んだ宗次郎は、すれ違い様に刀を左から右へと薙ぎ払う。だが刀が雪哉の胴に当たった感触は無く、代わりにキィンという甲高い金属音。雪哉が咄嗟に構えた大刀が宗次郎の一撃から身を防いだのだ。
それに気付くや否や、宗次郎はくるっと踵を返し進行方向を変えると、また雪哉に向かって駆けた。雪哉の表情は怒りに溢れた鋭いものながらも冷静さは失われていないのか、迫り来る宗次郎に対して少しの動揺も見られない。ただ炎と氷が同居したような、激しくも凍てつくような視線で宗次郎を睨みつけている。
宗次郎は今度は袈裟懸けに斬りつけた。だが、また雪哉の体に刀身が触れることは無かった。雪哉の右手にある大刀が、宗次郎の刀と丁度十字の形になるように横に倒されて交わり、ぎぎ、と耳障りな金属音を上げながらその攻撃を押し留めている。
再度斬撃を阻まれたことに宗次郎が目を丸くする暇も無く、雪哉の左手の脇差が容赦なく宗次郎の胸目掛けて突き出された。
宗次郎は刀を僅かに引き、迫り来る雪哉の刃から逃れるために縮地の三歩手前で横に飛び退こうとし―――けれどそれを見透かしたかのようなもう一つの刃が、宗次郎の動きに合わせて追いかけてきた。
大小の刀を二つまとめて天衣で弾いて雪哉から間合いを取り、宗次郎は再び三歩手前で駆ける。雪哉の眼前とも言える距離で中段に振るった刀は、けれど下方から振り上げられた彼の脇差によって遮られた。
(へぇ・・・・)
宗次郎は内心感心した。三歩手前とはいえ、それでも縮地の速さに着いてこられるのは大したものだ。
穏やかな表情の宗次郎に対して、雪哉は殺気を漲らせた表情でなおも斬撃を繰り出す。鋭い太刀筋の間から垣間見える雪哉の顔は、やはりかつて己を糾弾した時の咲雪に似て、宗次郎の胸にほんの微か苦いものがよぎる。
けれどここで、負けるわけにはいかないのだ。
「今度は二歩手前で行きます!」
宗次郎は速さを吊り上げた。三歩手前ならば剣の達人なら何とか見切ることはできるだろうが、二歩手前以上になるとそうもいかない。
端で見ている剣心や弥彦、鈴らも宗次郎の動きを目で完璧に追尾するのは困難な様子だった。宗次郎の駆けた場所の畳が弾けるのを認識した時には、宗次郎はもうその先へ先へと移動しているのだから。
目には写らない宗次郎の速さ―――けれどそれでも、雪哉は宗次郎の攻撃をことごとく防いでいた。
「どうした! 貴様はその程度か!」
挑発するように言い放ちながら雪哉は刀を振るう。動きの読み辛い宗次郎の動きをそれでも読んでいるかのように、その二本の刀は宗次郎の剣を掻い潜って胸や腹といった箇所を的確に狙っていた。
(へぇ、雪哉さんてば凄いや。この速さでも平気だなんて)
けれど、そんな息も吐かせぬ攻防の中でも呑気に感想を抱いてしまう辺りやはり宗次郎である。それはそれとして、いつまでもこんな膠着状態を続けるわけにもいかない。
宗次郎は雪哉の脇差を斬り飛ばすと、その場に踏み止まった。動きを止めた宗次郎に容赦なく振り下ろされる雪哉の大刀。しかしそれが右肩に届く刹那、宗次郎は縮地の二歩手前でその一閃を避けた。その結果、渾身の一撃を空振りした雪哉の背中が宗次郎の目の前にある。
技の後の隙を狙うのは戦闘における定石。思惑通り好機を得た宗次郎は、刀を思い切り雪哉の右脇腹に叩き込んだ。
しかしその一撃は、極まらなかった。
「えっ・・・・!?」
流石の宗次郎も驚きを隠せない。雪哉は背後にいるはずの宗次郎の動きに合わせたかのように振り向き、大刀を振るってその一撃を受け止めていた。
何故。
緋村さんみたいな神速の持ち主でもないのに、どうして。
宗次郎の頭にそんな疑問が浮かび上がる。それに応じて宗次郎の剣の力が僅かに弱まったのを雪哉は見逃さなかった。天衣を大刀で押し退けると、脇差で宗次郎の腹を突いた。
「・・・・っ!」
咄嗟に避けたため串刺しは免れたが、宗次郎の右脇腹にその切っ先は抉り込んだ。熱い痛みに宗次郎は顔をほんの僅か顰めると、ザッと後ろに飛び退いた。雪哉は追ってこず、ただ冷たく宗次郎を見据えている。
「宗次郎!」
弥彦の焦ったような声が上がる。
脇腹からぼたぼたと赤い血を滴らせる宗次郎は、今度はあちゃあという顔をしてその傷の箇所を見遣った。ずきずきと痛むが、闘えない程の傷でもない。内臓を損傷していないようなのも僥倖だった。
「大丈夫かよ、オイ?」
「ええ、このくらい平気ですよ」
それに怪我をすることには慣れていたから、気遣うように声をかけてきた弥彦に宗次郎はもう笑顔を返す。そうしていささか鋭い視線を、今度は雪哉に向けた。
「背後からの一撃を防ぐなんて、なかなかやりますね雪哉さん。縮地の二歩手前の速さにも着いて来られるみたいですし」
侮っていたわけではないが、それでも雪哉の実力は宗次郎の予想以上だった。縮地の二歩手前の速さでも宗次郎の攻撃を凌いでいたのも賞賛に値する。
宗次郎をじっと睨みつけていた雪哉は、ややあってふっと鼻で笑った。
「たとえ縮地で来ようが同じことだ。お前の動きは、全て俺には見えているんだからな」
「え、それって・・・・」
宗次郎が目を丸くすると、雪哉は対照的にニィと不敵な笑みを浮かべた。
「俺の目は、いかに速く動くものでもその動きを一挙一動捉えることができる。お前の超神速の動きもそう・・・・俺にはその一つ一つがはっきりと見えているのさ」
「そうか・・・・成程」
雪哉がそう語るのを聞いて、剣心は納得したように一人ごちた。
雪哉自身には、宗次郎のような神速を超えた足の速さや素早い身のこなしは備わっていない。宗次郎の速さに着いていくことはできぬはず、ただし、その動きが見えているのならば話は別だ。
天性のものか後に鍛えたものなのかは分からないが、話からすると雪哉は恐らく桁外れの動体視力の持ち主。即ち、常人の目には写らない宗次郎の速さを、雪哉ならばその目で捉えることができる。
速さでは敵わなくとも、宗次郎の動きは全て捕捉可能。故に、雪哉は宗次郎の太刀筋を防ぎ切り、背後からの一撃もまた見切っていたのに違いない。
「つまり、僕の動きは全てお見通しだと・・・?」
「そういうことだ」
確認するように尋ねた宗次郎に、雪哉はあっさりと頷いた。そうして脇差を振るって血糊を払う。雪哉の周囲の畳の上に、宗次郎の血が飛び散った。
う〜んと宗次郎は考えた。こちらの動きを見透かしている相手とはどう闘えばいいのだろう。
しばし考え、宗次郎は右足をトントンと畳に打ちつけ始めた。たとえ動きを見切られていようが何だろうが、縮地の真髄を全て披露したわけではない。まだ何か手はあるはずだ。
「懲りずに縮地か」
「ええ。ただし今度は・・・・・一歩手前です」
笑んでいた宗次郎の姿がふっと消え、その場の畳が砕けた。次の瞬間、その真上の天井もまた同じように大きな破裂音と共に弾け跳ぶ。その衝撃はそのまま四方の壁、畳、そしてまた再び天井にと凄まじい速さで移動していく。雪哉を包囲するように。
横方向だけでなく、縦も絡めた全方位空間攻撃。宗次郎の強靭な脚力を以って室内を縦横無尽に駆け巡るこの技から逃れる術は無い。
雪哉は目でその動きを追っているようだったが、今いる場から一歩も動こうとしない。宗次郎の空間攻撃に対して積極的に仕掛けてくる気は無いようだ。ただ、いつでも迎撃できるようにか、二刀はしっかと身構えている。
(でも、頭上はがら空きですよ)
宗次郎は両足にぐっと力を込め、天井を蹴った。瞬く間も無く到達した雪哉に向けて天衣を振るう、しかしそれは敢え無く大刀で受け止められた。
「無駄だ!」
鋭い雪哉の声に宗次郎はにこっと微笑むと、すぐさま刀を引いて退いた。
今度は畳の上を迂回するように駆け、正面からの一撃。それは雪哉の交差した二本の刀で防がれた。三本の刀が交わる鍔競り合いの音が、ぎぎぎと不快な響きを奏でる。
「無駄だと言ってるだろう!」
「無駄かどうかは、まだ分かりませんよ」
雪哉の刀を弾いた宗次郎は、再度縮地の一歩手前で上下左右を駆ける。そうして宗次郎は全方位から幾度と無く攻撃を繰り出す。様々な角度からの斬撃が通じなくとも、何度も何度も雪哉に向かっていく。どんなに動きを見切られても。
「けど、マズいんじゃねェか? このままじゃ宗次郎が不利だぜ」
弥彦が懸念するように呟く。部屋中を絶えず縮地の一歩手前の速さで駆けている宗次郎と、その刀が向かってきた時にしか反撃しない雪哉。体力的にどちらに分があるかは一目瞭然。このまま闘いが長引けば間違いなく宗次郎が不利だ。
「そうだねぇ、瀬田さん、さっきから何度も無駄な攻撃してるけど・・・・」
「いや、無駄ではござらん」
鈴の言葉を遮るように剣心はそう断言した。十年前、宗次郎のこの戦法に剣心も閉口したものだったが、あの時と違い雪哉に攻撃が通じないと分かっていても彼がそう闘い続けているということは。
きっと、宗次郎は何か手を考えているに違いない。
(そろそろ、いいかな)
四方を駆け続けながら宗次郎はそう思案していた。雪哉の目は相変わらず、宗次郎の動きを一つも漏らすまいと鋭くこちらを見据えている。
宗次郎は雪哉から五間程間合いを取った場所に降り立った。同時に一歩手前で雪哉に向けて畳の上を疾走する。宗次郎を迎え撃つべく、雪哉が二刀を構えるのが見えた。雪哉もまた、この辺りで決着を着けようと目論んでいたのだろう、眉がキッと吊り上る。
「これで終わりに、・・・・・っ!!?」
雪哉のその言葉は最後まで紡がれなかった。
雪哉まであと一間の距離。一歩手前で駆けていた宗次郎は、その位置で速さを正真正銘の縮地に切り換えた。
一歩手前の速さに見慣れていたが故に、雪哉は段違いに速さを増した縮地には対応することができず―――宗次郎の振るった天衣の一撃を鳩尾にまともに食らい吹き飛んだ。
目を見開いた雪哉は、そのまま畳の上にどさりと仰向けで倒れた。そうしてぴくりとも動かない。刀での一撃に縮地の速度が加わっていたのだ。気を失うのも当然だろう。
それを見届けて、宗次郎はようやく息を吐いた。
「はぁ〜、なかなか手強かったなぁ」
目がいいならばそれを逆手に取って、と即興で考えた戦法ではあったが思いの他通用して、宗次郎は胸を撫で下ろすような思いだった。ひとまず闘いが終局すると、脇腹の痛みがずきんと戻ってきた。天衣をとりあえず納刀して、宗次郎は右手で脇腹を押さえた。着物越しだから傷の深さは窺えないが、出血はまだ止まっていないようだ。
「大丈夫かよ? 案外苦戦してたじゃねぇか」
そう言いながら弥彦が宗次郎の元に近付いてきた。「このくらい大丈夫です」と屈託のない笑みを返すと、宗次郎は次に、少し複雑そうな表情になった。
「どうしたんだ?」
「いえ・・・・勝てたからそれで良し、ってわけじゃないなぁと思って。負けるわけにいかなかったのも確かだけど、僕、まだ咲雪さんのことは、雪哉さんと決着つけてないですし・・・・」
避けられない闘いだったから、まずは剣で応えた。けれど言葉で彼に伝えたい思いもあった。咲雪が教えてくれたことを宗次郎なりに考え、そうして見えてきたものを。
闘いにはひとまず終止符が打たれた。とはいえ、彼が失神してしまった以上、彼の目覚めを待つしかない。
どうしようかな、そう思って宗次郎は倒れている雪哉の方を見遣り、そうして目を丸くした。
倒したはずの雪哉が立ち上がっていた。
その顔に戦意は、潰えていなかった。
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