―第二十七章:其の刀が示すもの 弐―



雷十太の間を後にし、次の対戦相手との部屋へと向かう宗次郎達。彼らを先導して板張りの廊下を歩いているのは勿論鈴で、宗次郎達は彼女のその急ぐわけでもなくかといって緩慢なわけでもないごく普通の速さの歩みに大人しく従って、黙々と歩を進めている。
その道中は、廊下の途中で右に曲がってみたり左に曲がってみたり、短い階段を昇ったり降りたり、となかなかややこしく、方向感覚も何となく鈍ってくる。
と、突然鈴がくるりと振り向いた。
「ねぇ、あたしさっきから気になってることがあるんだけど」
「何ですか?」
宗次郎は特に驚くこともなく、のんびりと答える。
「さっき、雷十太さんのところで言ってた、その刀の話よ。刃が無いなんて、つくづく不思議な刀だよねぇ」
「ええ、そうですね。それがどうかしました?」
宗次郎の返答に鈴は口角を上げ笑みを深める。そうして鈴は、宗次郎に人懐こく擦り寄るようにして言った。まるで玩具をおねだりする子どものように。
「あたし、その刀についての話、もっと聞きたいなぁ。良かったら聞かせてくれない? 次の間までまだかかるし、歩きながらでいいからさ♪」
「おい、何勝手なこと言って・・・・・」
目くじらを立てかける弥彦の隣で、けれどあっさりと宗次郎は頷いていた。
「いいですよ」
「本当っ!? じゃあさっそく聞かせて聞かせて♪」
宗次郎の返答に気を良くしたのか、鈴はにんまりと笑う。弥彦はすっかり呆れた様子で、ぼやくように言った。
「オイ、確かに俺も気になることではあるけどよ、お前そんなに安請け合いしていいのか?」
「ええ、まぁ別に隠すようなことでもないですから」
宗次郎のけろりとした返答に、弥彦はますます脱力してしまって思わず剣心の方を見遣る。剣心も苦笑しつつも、咎めるつもりは無いようだった。宗次郎がいいと言うなら別に良いではござらんか、とでも言いたそうな顔だ。
そこで弥彦もいよいよ諦めて、ここは大人しく、鈴と同様に宗次郎の話に耳を傾けることにした。
宗次郎は歩を緩めないまま、穏やかに語り出す。ぽん、と天衣の柄尻に左手を置いた。
「この刀を手に入れたのは、五年前のことだったんですけど・・・・・」









それは、暦の上では明治十六年十一月のこと。
風が日増しに冷たくなり、冬の訪れを間近に感じさせる、そんな頃だった。
咲雪の死から早くも半年以上の時が過ぎていた。その時の流れの中で、宗次郎は本州の最北端まで到達し、また南下を始めて東京にも訪れたりしながら、今度は進路を信州の方へと向けていた。
閑散とした林の中を、宗次郎は一人のんびりと歩いていた。己の足音以外にたまに聞こえてくるものといえば、何かの鳥の囀りや風が木の葉を揺らす音といったのみで、木立ちは静寂に満ちていた。ともすればそれは一種の寂寥感のようなものも漂わせているのかもしれなかったが、宗次郎は別段そんなことは気にせず、ただ今日も寒くなってきたなぁ、と思いながら自らの旅を続けるだけだった。
そんなごく静かな林道に、けれどその空気を打ち破るような喧騒がふと、遠く前方の方から聞こえてきた。
(? 何だろう?)
不思議に思って首を傾けながら、宗次郎は僅かに歩く速さを上げた。何事か争っているような声が再び宗次郎の耳に届く。
どうやらそれは複数の男の声のようだった。人気の無い林道のことであるから、その中を歩く稀有な旅人を狙って、山賊や追い剥ぎの類でも現われたのか。
困った者を見過ごしてはおけない、という性質の宗次郎では無かったが、通りかかったのも何かの縁、とりあえず行ってみることにした。
案の定、というかやはりというか、宗次郎が行き着いた先、林道の幅がほんの少しばかり広くなっているその場所には、侍崩れといった風体の野盗が数人と、絡まれていると思しき一人の壮年の男の姿があった。
「オラ、命が惜しけりゃ有り金出しな!」
「あんたも怪我なんかしたくねぇだろ?」
陳腐な台詞を吐きながら、野盗達は男を脅している。とりあえず木の陰で様子を見ている宗次郎には、双方共にまだ気が付いていないらしい。
野盗達もそこそこの体格をしているものの、恐喝されている男の方も、なかなかどうして筋肉の引き締まった良い体をしている。短く刈り上げた頭には粋な感じが漂っていて、野盗達に相対していても一歩も引かず、という強い意志がその目からは見て取れた。
「生憎と、てめえらなんぞに渡す金なんか、持ってねぇな」
きっぱりとその男は言い切った。その返答に野盗達がいきり立つ中、彼は少しも動じる様子は無い。
半ば感心しながら事の成り行きを見守っていた時、宗次郎は気が付いた。その男は手に長い何かを大事そうに抱えていて、どうやらそれは黒い刀袋に入った刀らしいということに。
「俺は先を急ぐんだ。分かったら道を空けな」
「てめぇっ・・・」
「まぁ、待て」
掴みかかろうとする一人の野盗を制して、もう一人の野盗がずいと前に進み出た。肩まで散切りを伸ばした大柄の男だった。他の野盗達が仕込み杖や棒程度の武器しか構えていないのに対し、その男は大振りの日本刀を手にしている。また、薄汚れた着物を纏う野盗達の中でも、一番上等そうな物を着ていることから判断すると、その男は野盗達の大将格のようだ。
刀袋の存在に目を付けたのは、どうやら宗次郎だけではないらしい。
「あんたが持ってんのは、見たところ刀だな? このご時世に大事そうに抱えてるってことは、相当な値打ち物ってトコだろ? 違うか?」
「・・・・・・」
男は黙って野盗達を睨みつけている。その反応に野盗達は得心したようににたりと笑みを浮かべ、じり、と男に近付く。
「金がねえってんなら、その刀で勘弁してやらぁ。大人しくその刀を寄越しな!」
「断る」
気の弱い者なら素直に渡してしまいそうな野盗達の剣幕に、けれどその男ははっきりと返答を返した。
「この刀はな、俺が認めた奴にしか譲らねぇって決めてあるんだ。てめえらみてぇな下衆野郎に誰が渡せるかってんだ!」
男が威勢良く切った啖呵に野盗達は一瞬声を失い、次の瞬間にはそれぞれの握り締めていた仕込み杖や棒といった凶器を一斉に構えていた。とうとう我慢の限界が来たらしい。いくらうまいことを言ったところで、この手の輩は、結局暴力に訴えるしか手段は無いのだ。
「どうやら痛い目見ないと分からねぇみたいだな。覚悟しや・・・・・ん?」
男を痛めつけようとしていた野盗の大将が、その時ようやく宗次郎の存在に気が付いた。一見争い事とは無縁そうな優男がいつの間にか気配も無くこの場にいたことに、流石の野盗もぎょっとする。
「な、何だてめぇは! いつからそこにいた!」
その言葉に男も振り返る。無精髭を生やしたその男と目が合い、宗次郎は反射的にニコッといつもの柔らかな笑みを返していた。その反応に男も野盗も更に呆気に取られる。
「いつからって、ついさっきからですけど」
野盗の問いに宗次郎は素直に答える。素直に答えたのにもかかわらず、野盗達は宗次郎の態度が気に食わなかったらしい。
「そんなことより、何だ、てめぇも痛い目見たいってのか?」
「邪魔するんだったら容赦しねぇぜ」
「邪魔するも何も、邪魔してるのはそっちじゃないですか。この人も僕も、この道を通りたいだけなんです。分かったら、早くどいてくれません?」
宗次郎が口にしたのは、真っ当な正論である。元々人通りが少ないとはいえ、それでも道は道である。追い剥ぎなどして通行の妨げをする方がおかしい。
が、そうは言ってもその正論が通じないのが小悪党というものである。むしろその宗次郎の全く動じていない様に、頭に血が上ったらしい。
それでも何とか野盗の頭としての面目を保つかのように、大将は口調はまだ冷静なままで宗次郎に詰め寄る。勿論、手にした日本刀をぎらつかせて、だ。
「ふん、女みたいな顔してるくせに、なかなか度胸が据わってるじゃないか、えぇ? 俺達に逆らうとどうなるか、覚悟はできてんだろうな」
大将のその言葉に、野盗達はようやく許可を手に入れたとばかりに、ついに仕込み杖を鞘から抜き放った。勢いのまま放り投げた鞘がカランと地面に転がる。いつしか野盗達は獲物を宗次郎一人に定め、じりじりとその周りを取り囲んでいる。
焦ったのは最初に絡まれていた男だ。
「ちょっと待った、てめぇらの狙いは俺だろ? その小僧は関係ねぇ・・・・」
巻き込んだとでも思ったのか、焦ったように言い募るその男に、けれど野盗達は下卑た笑い声を向けただけだった。
「ふん、俺達の邪魔をした時点で、関係ないもクソもあるか」
「安心しな、この小僧をいたぶった後で、お前もたっぷり痛めつけてやらぁ」
全く以って小悪党丸出しといった台詞に、宗次郎は思わず吹き出してしまう。
「嫌だなぁ。どっちも御免ですよ、そんなの」
宗次郎がぽつりと呟くと、それが合図だったかのように野盗達は一斉に宗次郎に飛び掛ってきた。
常人なら逃げ場も無いであろう無頼漢達の輪を、宗次郎は難無くスッと擦り抜けた。宗次郎の姿が突如消え、己の武器が空振りしたことに気付いた野盗達は再びぎょっとしたような顔になる。
野盗達は慌てふためいた様子で宗次郎の姿を探す。そうして宗次郎が自分達の背後にいることに気が付くと、野盗達はうろたえながらもそちらに向けて身構えた。
それはほんの数秒程度の間のことだったが、もうその時には宗次郎は野盗の一人が落とした仕込杖の鞘を拾い上げ、それを刀のように持ち肩にトンと当て、立ち構えの姿勢を取っていた。肩にかけていた荷物は動きの邪魔にならないように、既に近くの木の根元に下ろしてある。
そうしてざっと野盗の数を数えた。全部で八人。
「おい、あんた・・・・?」
「話は後です。巻き添えになりたくなかったら、ちょっと下がってて下さいね」
ぽかんとしている男に言うが早いか、宗次郎は今度は自分から野盗達に仕掛けていった。
それはまさに、神業だった。
鞘を刀のごとく振るった宗次郎は、その一薙ぎごとに確実に相手を地に叩きつけていった。複数の手から繰り出される無遠慮な攻撃すらも、軽やかな動きでさらりとかわし、一太刀もその身に受けることは無い。剣など生涯持つことは無いように見える宗次郎のその華奢な腕からは、驚く程鋭い太刀筋が生み出されている。
綻び一つ無いその動きは、剣の真髄を極めた者にしかできないものであると、その時誰の目にもそう映った。最も、野盗達はその動きを見たが最後、宗次郎の剣技の前に敢え無く倒れていったのだったが。
「・・・・凄ェ」
半ば茫然とした感嘆の声が、ただ一人残った壮年の口から漏らされた。
野盗達は全員、瞬く間に宗次郎によって地面に転がされ、当の彼は役割を終えた鞘をぽいと投げ出し、実に平然としてにこにこと笑っている。
「おっ、おい・・・・!」
「はい?」
吃りながらも声をかけてきた男に、宗次郎は下ろしていた荷物を再び肩に背負いながら返事を返す。
見たところ三十代前半といった年の頃には似つかわしくなく目を子どものように輝かせたその男は、宗次郎の目の前まで近付くと、感極まった風にその肩にがしっと手を置いた。そうして喜びを噛み締めるように、首をゆっくりと左右に振った。
「俺ァ感動したぜ! お前さんみたいな剣のことを、まさに天衣無縫って言うんだろうな。いや、まさか今の時分にお前さんほどの凄ぇ使い手に出会えるだなんてなぁ・・・・!」
興奮冷めやらぬ、といった様子で捲くし立てる男を前に、宗次郎は褒められているのにもかかわらずかえってぽかんとしてしまい、笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「あのー・・・?」
「あ、悪ぃ悪ぃ、助けられた礼をまだ言ってなかったな。助けてくれてどうもありがとうよ」
訳も分からず目を丸くしていた宗次郎から、その男はパッと手を離した。そうして深々と頭を下げる。口調からは気風の良さが窺い知れた。
宗次郎としては積極的に彼を助けたつもりは無かったのだが、この人がそう思ってるならまぁいいか、と深く追究しないことにした。
濃紺色の法被に猿股、とよくよく見れば職人風の姿をした男は、顔を上げるとニッと笑った。
「俺は獅堂栃尾ノ助。日本全国を当ての無い旅をしてるモンだ」
「あれ、奇遇ですね。僕も流浪人なんです」
”とちおのすけ”なんて変わった名前だなぁ、と思いながら宗次郎も自らの名前を名乗った。
宗次郎が流浪人だということを聞くと、獅堂はほう、と感心した風に目を見開いた。
「流浪の剣客か。道理で滅法強ぇわけだ」
そうして獅堂はちら、と後ろを見遣る。宗次郎に倒された野盗達が、そこかしこで倒れて呻いていた。
そのうち、一人の傷の浅い野盗ががば、と起き上がった。彼は慌てて他の仲間達を叩き起こして回っていた。目を覚ました野盗達は、大将を始め、皆ほうほうの体で林の中に逃げていった。「覚えていろ」とこれまたお約束な一言を残して。
残された宗次郎と獅堂は、顔を見合わせるとぷっと吹き出した。
「あはは、懲りない人達だなァ」
「あぁ、けどお前さんに負けたことでちったぁ懲りただろ。野盗なんて馬鹿な真似、止めてくれりゃあいいんだが・・・・」
そうして獅堂は、手にしていた刀袋をよっと持ち直す。宗次郎がそれにふと目を止めたことに気が付くと、獅堂はニッと力強い笑みを浮かべた。
「気になるか? お前さんも剣客だもんな。野盗共も狙っちゃいたがよ、けどお生憎様ってなもんだ、この刀は名刀なんかじゃねぇ、俺が打った鈍刀なのさ」
獅堂の軽快な言い回しは何とも絶妙だった。
それにしても、彼の口ぶりからすると、その刀は彼自身が造った物ということだろうか。
「俺が打った・・・って、もしかして、獅堂さんって刀匠なんですか?」
疑問をそのまま宗次郎は口にした。獅堂は頷いて、けれど何故か苦笑しながら答えた。
「ああ、刀匠だったさ。時代に乗り遅れた、な。俺は新井赤空みたいに、時代を動かせる刀を造りたかったのによ・・・・」
その時の獅堂の表情を一言で表せば、無念、その言葉に尽きる。維新回天から長い年月を経ていても、彼の根底には決して消えぬ悔しさがあるのが見て取れた。
その一方で、獅堂が口にした名前に宗次郎は聞き覚えがあった。新井赤空は確か幕末の頃の刀匠で、志々雄の無限刃と剣心の逆刃刀という相反する名刀を造り上げた男だ。
獅堂は傍らの大木の根元にどっかと腰を下ろすと、つらつらと己の過去を語り始めた。
「俺ァ、時代の為に闘ってる剣客達の力に少しでもなれるように、刀匠になりたかった。勿論、刀が人殺しの道具だってことは百も承知だ。けどそれ以上に刀って奴は武士の魂とも呼べるモンだ、命を懸けて時代を動かそうとしている男達の手助けをしたかった。刀匠として純粋に、誰が作った物よりも素晴らしく、切れ味のいい刀を造りたいって思いが無かったっつったら嘘になるけどな・・・・」
黙って獅堂の話を聞いていた宗次郎は、少し離れた場所にちょこんと座った。獅堂は目の前の中空をぼんやりと見ながら、なおも言葉を連ねる。
「けど、俺がようやく刀匠として一人前になった時には、もう幕末の動乱は終わっちまってた・・・・。幕末の頃に半人前だった俺は、結局時代の変わり目に間に合わなくて、刀を打てず終いだったのさ」
はっ、と力無い笑いを獅堂は漏らした。それはまるで、時代の流れに乗り損ねた自分をせせら笑うかのような笑みだった。
刀匠として生きたかった時代に刀匠として生きられず、ようやく望みを叶え刀匠になれた時には、もうこの国は刀の時代に終焉を告げていたのだから。
「廃刀令まで出されちまった時は、俺ァ心底絶望したぜ。もう刀でどうこうって時代じゃねェんだってな。とっくにそんなこと、分かっちゃあいたけどよ・・・。
だから俺は刀匠をやめた。だがよ、ただやめるんじゃ癪だった。この国が、もう刀を必要としないってのは分かってた、けど、刀匠としての最後の悪あがきってやつに、この刀を打ったのさ」
「悪あがき?」
それはどういう意味だろう、と思って宗次郎は聞き返した。獅堂は今度は先程とは打って変わって自信に満ちた表情になり、ニッと口の端を吊り上げた。
「これは、俺が俺なりに考えた新時代に相応しい刀さ。どっかの神社に奉納しても良かったんだが、けど刀ってのは剣客が使ってなんぼのモンだろ。だから俺はコイツに相応しい持ち主を探して旅をしてるのさ」
「へぇ・・・・」
宗次郎は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。獅堂の話は分かるが、その刀に込める思いまでは宗次郎は理解できない。
元々宗次郎は刀を振るう側であって、そのくせ刀についてはあまり詳しくない。造り手がどんな気持ちで刀を打っていたのかなど、考えてみたことも無かった。
ただ、刀の話題が出たことで、宗次郎は自らが多くの人間を斬り殺してきたことを再度思い浮かべずにはいられなかった。
「お前さんは?」
「え?」
「お前さんも、何か理由があって流浪人してんだろ?」
突如話を振られて、宗次郎ははっと我に返った。獅堂は苦笑しつつ、けれど何事かを見透かすような鋭い視線を宗次郎に向ける。
「お前さんの剣は、人を斬ったことがある剣だな」
「! どうして、それを・・・・」
言い当てられて、宗次郎は驚きに目を見開いた。獅堂は再び苦笑して、けれど宗次郎を責めること無く静かに言う。
「同じく刀に携わった者同士、何となく分かっちまうもんさ。今時、お前さんみてぇな剣才の持ち主に出会えたのには感激したけどよ、お前さんの剣は完成され過ぎてるんだ、それこそ、人を斬り殺さなくちゃ辿り着けねぇ域くらいにな」
「・・・・・・」
宗次郎は再びぽかんとし、今度は口も半開きになった。宗次郎の素性も全く知らずに、ここまで推測を的中させたのはこの男が初めてだ。
しばし唖然とし、けれどその刀匠ならではの洞察力に宗次郎はどこか感服し、声を上げて笑った。
「あははは、参ったなぁ。何で分かっちゃったんだろう?」
疑問の形で語尾を上げながらも、別に不思議で仕方のないことでもなかった。刀に携わった者同士、と獅堂も言ったが、彼が刀匠だったことを考えると、剣客を見る目は当然のごとく鍛えられているのだろう。
宗次郎は笑って溜息を吐くと、柔和な表情を獅堂に向けた。そんな顔だけなら、彼がかつて人を斬ってきただなんて、普通の人間ならまず感じ取れもしないのに。
「確かに、獅堂さんの言う通り、僕はたくさんの人を斬ってきました。そうしなくちゃ、生きてこられなかったんです」
弱肉強食という自然の摂理。その下に繰り返した数え切れぬ程の殺戮。
強ければ生き、弱ければ死ぬという現実。それは生き残る為には強くあれ、と志々雄が宗次郎にくれた言葉だった。
ただし今は、その限りでは無いから。
「それが正しかったんだって、ずっとそう思ってた。でも、もしかしたらそれは間違いだったのかもしれなくて。僕は何が正しいのか分からなくなっちゃったんです。だから、」
宗次郎は一息吐いた。長い流浪の旅の中で、出逢った人達に流浪れる理由を掻い摘んで説明するたび、幾度と無く口にしてきたことだ。言う毎に旅の原点を振り返るような気分になる。
けれどそれが無ければ、宗次郎が今ここでこうして過ごしていることは無かったのだ。
「僕自身の生き方を、今は探してるところなんです。それでその中から、僕にとって何が正しいのか、その答えも見つける為に」
宗次郎が言葉を終えると、獅堂は納得したように頷いた。
「成程な。お前さんの旅は、言わば自分自身の探求の旅ってとこか」
「ええ。僕は僕の真実を見い出したいんです。それに・・・・」
それは流浪の旅に出た当初から胸にあった、宗次郎の意思だった。加えて、春の訪れを待たずにこの腕の中で逝った咲雪の遺した言葉もまた、宗次郎の真実探しを後押ししていた。
宗次郎が殺めた人達の死を無に帰さない為にもいつか真実を見い出せと、彼女はそう、言ったのだ。
「・・・ある人を僕のせいで亡くして、それで僕はやっと自分がしてきた罪に気が付いたんです。気付くのが遅過ぎたし、どうすれば償えるのかなんて全然分からない。でも、その人が教えてくれたたくさんのことを無駄にはしたくないなぁって、そう思って。
だから、今は前よりもっと、答えを見つけたくなりました」
宗次郎はにこっと微笑む。
気付かされた罪も、己の犯した過ちも、一つの命の重みも、彼女を失って得た痛みも。
何も宗次郎は手放すつもりは無い。むしろそれをずっと抱えていけば、いつか本当の答えに、辿り着けるのかもしれなかったから。
まだまだ、宗次郎が知り得ないことは、山程あるけれど。
「・・・・・・」
宗次郎の話を聞き終えると、獅堂は瞼を伏せた。腕組みをし、しばし無言で何事かを考えているようだった。
そうしてゆっくりと瞼を上げると、覚悟を決めたように、己の手にしていた刀袋を宗次郎に差し出した。獅堂の意図が掴めず、宗次郎は首を傾げる。
「どうしたんです?」
「どうやらお前さんは、この刀を託すに値する男みたいだ。強さだけじゃなく、その旅の目的も含めてな」
宗次郎は僅かに目を見開いた。きょとん、とする宗次郎をよそに、獅堂は刀袋を更に前に突き出した。丁度宗次郎の胸の辺りにそれはあった。刀袋の中で、小さく鍔鳴りの音がする。
「受け取ってくれ」
「せっかくの申し出ですけど、お断りします」
限りなく本気な表情の獅堂に対し、けれど宗次郎は丁重に断った。己の認めた奴にしか譲らない、と言っていた獅堂から、その刀を渡されるのは光栄なのかもしれなかったが、宗次郎はもう、なるべくなら刀を腰に帯びたくはなかった。
「僕、もう人を斬りたくないって思ってますから」
宗次郎が微苦笑して理由を述べると、獅堂は一瞬、訝しむような表情を浮かべ、次に今まで以上に真剣な顔つきになった。
そうして、宗次郎に確かめるように問うた。
「『斬りたくない』? 『斬らない』、じゃなくてか?」
「―――え?」
宗次郎は真顔で聞き返していた。獅堂は表情を変えず、ただじっと真正面から宗次郎を見据えている。
獅堂の尋常でない雰囲気に宗次郎は気圧されたというわけではなかったが、何となく気まずさを覚え、ぽつりと補足した。
「・・・・そりゃあ、斬らないようにしようとは、思ってますけど・・・・」
実際、剣心との一戦で敗れ流浪れ始めて以来、宗次郎は誰一人殺めてはいない。過去の罪が遠因で、病でこの世を去った咲雪はともかく。
どこか自信無さそうに言った宗次郎に、獅堂はニヤッと笑った。
「そいつぁまた、随分頼りねぇ返事だな。斬りたくない、斬らないようにしようってのは、お前さんの単なる手前勝手な思いだろ」
宗次郎は呆気に取られるような顔をして獅堂を見た。そんな宗次郎を真正面から見据えながら、獅堂は言葉を続ける。
「『斬りたくない』と『斬らない』の違いは大きいぜ。ま、まだお前さんにゃあまだピンと来てねェみたいだがよ・・・・」
獅堂は再度苦笑した。宗次郎も同じような笑みを浮かべた。が、確かにピンと来ていないとはいえ、その二つの違いは宗次郎とて何となく分かる。
流浪の旅の中で、斬りたくない、と思っていた心は、しかし少しずつ、斬らないという方へと揺れ動きつつあった。それに拍車をかけたのは、やはり咲雪の死だろう。
彼女の死が無かったら、個としての人の命を見据えることは無かったかもしれない。自分の犯してきた罪を、改めて認めることも無かったかもしれない。
何より、一人を失うだけでも大きな苦しみが在り、そしてそれを宗次郎自身が多くの人達に味合わせていたという事実に思い至ったことは、人の命を奪うことについてを宗次郎に考えさせるには十分だった。斬る側だけでなく斬られる側にもまた、気持ちというものはあったのだ。
元より、彼の心の奥底には、ずっと昔に封じ込めた、人を殺したりなどしたくなかったという思いも存在する。それに気付かされたからには、もう誰かを斬ることはしたくないと、宗次郎はそう思っていたのだったが。
けれど、それでもまだ、『斬らない』とは言い切れなかった。
黙ってしまった宗次郎に、獅堂は今度は限りなく力強い笑みを抜け、どんと胸を張った。
「けど、安心しな。俺が打ったこの刀は、どう足掻いたって誰かを斬ることなんざできやしねぇからよ」
「?」
「見てみるか? 百聞は一見に如かず、ってな」
不思議がる宗次郎の前で、獅堂はしゅるっと刀袋の紐を解いた。黒い袋から顔を覗かせたのは、奇しくも宗次郎の以前の愛刀・菊一文字則宗と同じ、白塗りの鞘に納まった一振りの刀だった。
どこか懐かしくも思う符合の一致に宗次郎が僅かに戸惑っていると、獅堂はその刀の鞘を掴み、ずい、と突きつけてきた。
「・・・・抜いてみな」
「・・・・・・・」
ほんの少しの躊躇はあったが、宗次郎は受け取り、柄に右手をかけた。そのまま握り締め、馴染んだ感覚を覚えると共に一気に刀身の半分まで鞘から引き抜く。
現われた刀身に宗次郎は目を丸くした。刃が無い。丁度、剣心の逆刃刀のように。
かと言って、峰の部分に逆刃があるわけでもない。峰の部分は通常の日本刀と造りは同じだ。
宗次郎はその刀を鞘から完全に抜いて刀身をまじまじと見た。木漏れ日を柔らかく反射するその銀の面は、曇り一つ無い。鈍刀だと獅堂は称したが、それでもよほど丹念に仕上げなければこのような見事な出来栄えにはならないだろう。
刃の部分は刃引きされた刀のようになっているが、その面は滑らかに整えられていて、たとえ振るったところで誰かを斬れはしないに違いない。とはいえ、使い方によっては骨の一本や二本は砕けそうだが。
刀は人を斬るための物。それなのに刃の無い刀だなどと、そんな代物が存在するのか。
「これ・・・・」
「どうだ? お前さんにぴったりの刀だって、俺ァ思うんだがな。お前さんの今の話を聞いて、ますます譲りたくなったぜ」
吸い寄せられるように刀身を見つめていた宗次郎は、刀から目を離し獅堂の方を見た。獅堂は自信に満ち溢れた眼差しで、宗次郎に強気な笑みを向けている。
「さっきも言ったがよ、こいつは俺が俺なりに考えた、新時代に相応しい刀さ。もう刀の時代じゃないんなら、いっそ刃の無い刀を打っちゃみたらどうか、ってな。まァ、刀としちゃあナマクラだがよ」
豪快に獅堂は笑った。或いは出来損ないの作品を笑い飛ばしているようにも思えたが、それでも彼が確固たる信念の下にこの刀を作り上げたこと、それは恐らく間違いではないのだろう。刀の無い時代に生きるしかなかった刀匠としての意地と、ならば新時代に呼応する刀を作ってやろうという挑戦と。
「人を斬りたくないって思ってるんなら、持って来いだ。それに、コイツを振るってるうちにもしかしたら、『斬りたくない』と『斬らない』の違いに、気付ける日が来るかもしれねェよ」
宗次郎は再びその刀に目を落とした。それでも獅堂の発する言葉は、一つも聞き漏らしはしない。
「もしお前さんがまた人を斬る道に戻るんだとしても、それは構わねェ。何にしても、お前さんの流浪の旅の役に立つはずだ」
宗次郎の視界の外、獅堂は顔を引き締めた。未だ茫漠と刀を見つめている宗次郎はそれに気付くことはなかったが。獅堂のその表情は、限りなく真剣なものだった。
「―――で、どうする?」
答えあぐねている宗次郎の返答を促すように、獅堂は尋ねた。
宗次郎はまだ刀を見ていた。その間ずっと考えていた。
それがようやく、纏まりかけていた。宗次郎は唇に小さく笑みを浮かべる。
「・・・・そうですね。僕はまだ、斬らない、なんて言い切れませんけど」
斬りたくない、ではなく、斬らない。
要は剣心の唱える不殺だ。かつて戯言だと一笑に付した彼の信念。全く理解できなかったその思い。
それでもいつか宗次郎自身も、その誓いを理解できるようになる日が来るのだろうか。
「また弱肉強食の理念に戻るのかもしれませんけど、でも」
『あんたが、簡単に死んじゃったらさ・・・あんたに命を奪われた人達の死が、本当に無意味になっちゃうよ』
不意に、咲雪が臨終の間際に言った言葉が蘇ってきた。宗次郎は再び、じっと手の中の刀を見た。
義理の家族達から殺されかけたあの時、本当は人殺しを望んでいなくても、宗次郎は最後には志々雄の弱肉強食の理念と共に脇差を選んだ。
そして彼と袂を分かった時に、刀は棄てたはずだった。本来の自分は人を斬りたくなかったと気付いたから、刀を持たずに歩き出したはずだった。
けれどそれは、正しかったのか。
刀を棄てたからとて、己の手を人の血で染めたあの日以前に戻れるはずもない。殺めた命が戻ってくるわけでもない。自分自身の答えを探すにはもう刀は必要無いと思っていた、けれど逆に、敢えて刀を持つことで、見えてくることもあるのではないだろうか?
少なくとも十年は、と思い流浪れ始めた旅も折り返し地点を過ぎ、だからこそ当初とは違う考えが宗次郎にふと湧き上がった。刀を再び持つことが正しいのかどうかも、今はまだ分からない。
ただ、それでも、また刀を手にすることで新しい何かを得ることができるなら。
「とりあえず、また刀と一緒に行ってみようと思います」
それでやっと決心が付いたように、宗次郎は顔を上げてにっこりと笑った。
その答えに満足げに獅堂は何度も深く頷き、こちらもまた、ニッと笑う。
「あぁ、それがいいと思うぜ。・・・・っと、まだその刀に名前を付けてなかったな・・・・」
獅堂は顎に手を当てて、目を細めて宗次郎と刀を交互に見た。じろじろっといった視線に、宗次郎は肩を竦めるようにして笑う。
ややあって、獅堂は妙案を思いついたといった風に、ぱしっと己の膝を叩いた。
「・・・・『天衣』。天衣ってどうだ? お前さんの剣技はまさしく天衣無縫って言葉通りだったからなぁ」
てんい。天の衣と書いてそう読む。
しばし頭の中でその響きを反芻して、宗次郎はにこっと笑って頷いた。
「ええ、いい名前だと思いますよ」
獅堂は知るはずも無いが、秘めた剣才を存分に発揮した宗次郎の剣技は、かつて天剣と呼ばれていた。天という語が一致しているし、仰々しくなくさらりとした響きを、宗次郎も気に入った。
さっそく受け取った天衣を、宗次郎は左腰に差した。刀を腰に帯びるのは何年振りだろうか。慣れ親しんだ重さとはいえ、それでも久方振りのそれはずっしりした感覚がある。
「おぉ、よく似合ってるぜ。やっぱり刀は、剣客が帯びなきゃな・・・・!」
獅堂は満面の笑みで顔を綻ばせた。
一見書生風の出で立ちの宗次郎は、体付きが華奢なのと幼い顔立ちのせいか、刀は似つかわしくないようにも思える。それなのにいざこうして帯刀してみると、存外似合ってしまうから不思議なものだった。
獅堂は心底嬉しそうにする反面、けれど廃刀令の取締りには気を付けろよ、と真面目くさった顔でこそっと言ったので、宗次郎はくすっと笑った。
「じゃあな。その刀を託すお人にゃあ出会えたが、俺は当分はさすらいの刀匠として生きていくつもりだ。旅人同士、縁があったらまた会うだろうよ」
「ええ、獅堂さんもお元気で」
獅堂は宗次郎が歩いてきた方へ。
宗次郎は獅堂が歩いてきた方へ。
その場を入れ替わるようにして、二人は己の先へと続く道を進んでいく。一度刀を棄てた剣客と、刀を棄てられなかった刀匠との奇妙な出逢い。それは確かに不思議な縁に違いなかったが、それでも互いに何かをもたらした。
数歩歩くと、左腰の方から小さな鍔鳴りの音が聞こえてきた。そちらを見遣り、宗次郎は無意識に小さく笑む。
と、背後から獅堂の「オイ」と呼びかける声がし、宗次郎は振り向いた。
十間程、宗次郎から離れたところに立っていた獅堂は、それでも良く通る声で、声援のように最後にこう言った。
「もし、お前さんが―――・・・」









「『もし、お前さんが斬りたくないじゃなくて斬らないってはっきり言える時が来たら、その時はお前さんの答えが見つかった時なのかもしれねぇな』って、獅堂さんは言ってました」
何だかこの間から昔語りばかりしているなァ、と思いつつ、宗次郎は天衣についての話を終えた。
獅堂とはそれきり、一度も会っていないが、それでもきっと彼のことだ、元気にしているだろう。いかにも職人らしくさばさばとした獅堂の笑みが、ふと脳裏に浮かび上がってくる。
「良い御仁と出会ったのでござるな」
穏やかな笑みを湛えながら、剣心は感想を述べる。かつて所持していた逆刃刀と性質は似ているといえど、込められた思いはまったく別である天衣。それでも今の話を聞いて、天衣は成程、宗次郎に相応しい代物だと剣心は感じ入った。
時に相槌を入れ時に頷いてと、何だかんだで話に聞き入っていた弥彦は、宗次郎の語りを聞き終え、腕組みをして頷いた。
「ふーん、成程ねェ・・・・って」
けれど宗次郎が天衣を手に入れた経緯について納得しつつ、その一方で獅堂の言い残した言葉に弥彦はあることを思い出す。
静岡で久方振りに再会した時、宗次郎は何と言っていた?
「お前確か、静岡での蘇芳の辻斬り騒ぎの時、もう人は斬らないってはっきり言ってよな?」
そう、言い切っていたのだ。その時天衣の中身を知らなかった弥彦は、宗次郎がまた真剣を帯び弱肉強食の理念に戻ってきたのかと危ぶんだ。
そんな弥彦の憂いを消し去るように、宗次郎ははっきりと、こう言ったのだ。
『旅の間に色々あって、僕、もう人は斬らないって、―――決めましたから』
「ってことは宗次郎、まさかお前、もう答えは見つかったのか!?」
今にも掴みかかりそうな勢いで尋ねてくる弥彦に、それでも宗次郎は少しも動じず、実にあっけらかんと答えた。
「ええ、まぁ」
「それって―――」
しかし、問い質そうとしていた弥彦に、その時待ったの声がかかった。
「ちょっと待った。あたしも聞きたいけど、残念、時間切れ。もう次の間に着いちゃったよ」
鈴の言葉に反感を抱きながら弥彦は前方へと視線を移した。言われて見れば、いつの間にか宗次郎達の目の前には、立ち塞がる大きな観音開きの扉がある。
自分から話を振っておいてそれかよ!と、弥彦は舌打ちせずにはいられなかったが、鈴は悪びれること無くニッと笑う。そうしてどこか、挑発するように。
「どうせ答えを言うんだったら、蘇芳さんの前で言いなよ。最も、それまで瀬田さんが生き残ってたら、の話だけどね」
鈴はちらっと不敵に笑んで、ゆっくりと、その第三の間の扉を押し開いていった。