―第四章:腐れ縁―



日本一の霊峰・富士山を臨む広大な海、駿河湾。
大小の様々な港がそこには点在しているが、宗次郎と左之助の二人はとりあえず、街と比較的行き来しやすく、尚且つ人目につきにくい場所からあたっていくことにした。
いかに悪事が露見せずに事を運べるか、犯人もその点については知恵を巡らせているに違いないので、少なくとも目立つ場所に拠点はないだろうし、それでいて街と頻繁に往復のしやすい所に本陣を構えている筈だ。
もう人の住んでいないあばら家、人気の無い木立の中、そういった箇所を宗次郎と左之助は次から次へと周り、或いは周囲の人達に最近怪しい人物を見かけなかったかどうか、聞き込みもしてみた。
そうしているうちに、夕陽が富士山の頂上にかかる頃には、それらしき人物の情報を得、その居場所を突き止めることに二人は成功したのである。
「・・・・ここか」
小さな港の裏手側に広がっている林の中、かつてこの辺りの地主が住んでいたが、今は空き家であるという屋敷の前に宗次郎と左之助はいた。
人の手入れがされなくなって十数年は経つのだろう、茅葺きの屋根には所々に穴が空いており、土壁のほとんどに亀裂が入っている。元は立派な屋敷だったのだろうが、今はさしずめ幽霊屋敷といった風貌だ。周りの木々に遮られ陽の光もあまり届いていないので、尚更不気味な様相を漂わせている。
近隣の人々はほとんど近付かないというその林の周辺に、近頃怪しげな二人組の男の姿があるという。
「流石に悪事そのものは見られちゃいねェみてぇだったが、その二人組がここをアジトにして何かやらかしてる可能性は高いよな」
左之助は拳を鳴らしながら屋敷を睨みつける。何でも、その男のうち一人は八尺を越える屈強な大男だというから、近くの人々が余計なことに首を突っ込むまいと、深入りを避けるのも無理も無い。
「それで、この後はどうします?」
ここがアジトだと決め付ける前に、一度こっそり中の様子を探った方がいいのでは?と言外に含ませながら宗次郎は左之助に一応意見を求めたが、
「どうするって、決まってんだろ。中に乗り込んで、犯人達をぶちのめす!」
返ってきたのは、そういった単純明快な答だった。左之助はもう突入する気満々である。
宗次郎はやや考えて、
「・・・まぁ、いいか。多分ここであってるだろうし」
とあっさりと頷く(どうやらあまり深くは考えなかったらしい)。
どの道、こんなあからさまに怪しい場所をねぐらにするような人間は、きな臭い連中と相場が決まっているものだ。
「よし、行くか」
ぱし、と左之助は右の拳を左の掌に打ちつける。宗次郎も天衣の鞘をぐっと引き上げて、先に門をくぐった左之助に続いた。
玄関まで続く渡り石を軽快に進み、念のために用心しつつ引き戸を静かに開く。屋敷の中も外観同様に荒れていて、奥に伸びている廊下は板が老朽化していて、所々に踏み抜いたような穴がある。
「・・・・誰かが出入りしてる証拠だ」
声を潜めて言った左之助に、宗次郎も黙って頷いて同意する。
そうして二人は、土足のまま屋敷に上がりこむ。廊下を走ったらそれこそ踏み抜いてしまいそうなので、二人はそろりと足を進めていった。板の軋む音だけが静かに響く。
廊下脇の部屋を順番に様子を窺っていくが、人の気配は無い。
「誰もいないですね」
「なーに、悪人ってのは一番奥の部屋にいるもんだろーが」
何故か自信満々に答える左之助に、そういうものなのかな、と宗次郎は変に納得してしまった。
その言葉が正しいのかどうか定かではないが、突き当たりの大部屋の障子戸の前まで辿り着くと、確かに中からヒソヒソ声が聞こえてくる。
当たりだ、と顔を見合わせ、二人は部屋の中の会話に耳を済ませる。
「・・・・で、ガキ共の様子はどうだ」
「最初は家に帰せだの何だのやかましかったが、今は静かなもんだ。俺が凄んで見せたら、一発で大人しくなったぜ」
「まぁそうだろうな。大の大人だってお前の姿に怯むからな。お前にしては利口なやり方だな」
「大事な商売品に傷をつけるわけにはいかねぇんだろ? 兄貴がよく言ってるじゃねぇか」
「ああそうだ。数も集まってきたし、そろそろ売りに出す頃合いだ。物好きな異人共に高値で売れるぜ・・・」
(ふぅん、成程。なかなかの小悪党振りですねぇ)
会話内容からそんな印象を持ち、宗次郎は静かに溜息を吐く。どうにもやり方が姑息というか何というか、頭の方ばかり回る二人組らしかった。
「こいつら・・・・」
「これで確定ですね相楽さん? ―――って」
中の二人組が一連の神隠し騒動の犯人であることがはっきりし、いざ踏み込もうとした宗次郎が確認するように左之助を見上げるも、その当の左之助は既に動いていた。
苦虫をつぶしたような顔をして、障子戸を勢いよく弾き開ける。すぱぁんと小気味良い音が響き、その勢いで天井の埃がぱらぱらと舞った。
傍らの宗次郎は元より、部屋の中にいた二人の男も驚いたようで、ビクッとこちらへと振り向き、立ち上がった。
左側にいたのは、件の八尺を越える背丈をした大男。いかつい顔に長く髭を伸ばしている。右側には小柄の初老の男がいた。成程、こちらはずる賢そうな顔をしている。
「な、な、な、何だ貴様らは!」
突如現われた宗次郎と左之助に、大男の方が狼狽した風に声を上げる。左之助がチッと吐き捨てるように言った。
「何だはこっちの台詞だぜ。てめーらとの腐れ縁は一体いつになったら切れやがるんでぇ」
「? お知り合いですか?」
どうも今の言葉から察するに、左之助はこの二人の男と面識があるらしい。二人組の男の方もまた、神妙な顔つきで左之助の全身を嘗め回すように見る。
そうして、とんでもないことに気が付いた、といった風に揃って後ずさる。
「あ、兄貴、こいつ、斬左じゃねぇか!?」
「ああ、姿は大分見違えちまったが、間違いねぇ・・・!!」
そのまま二人は、まるで熊を目の前にした人間のようにガタガタと震えだした。障子越しの会話では堂々とした風であったが、こうして見ると悪事に手を染めている割に矮小な人間、といった感じがした。いや、或いは過去に左之助に余程怖い目にでも合わされたのか。
「相楽さん、斬左って?」
「昔の名前だ。それにしても、今回の犯人がまさかこいつらだったとはな」
宗次郎の質問に簡単に答えを返し、左之助はギロッとその二人を―――そう、この二人は十年前左之助が剣心と闘った時に手を組んだ、比留間喜兵衛・伍兵衛兄弟だった―――を睨みつけた。
この二人に左之助が最後に会ったのは、やはり十年前に己の故郷・信州で起こった事件の時だったろうか。左之助の方は髪を伸ばしたり無精髭を生やしたりとで以前と雰囲気が変わっていた為か、比留間兄弟はすぐに気が付かなかったようだが。比留間兄弟の方は十年前と比べて年を取った以外に外見は不思議とそんなに変わっていなかったので、左之助はすぐにピンと来た。
その時に左之助に散々やられたことを思い出したのか、比留間兄弟は怯えた目で左之助を見る。
「相変わらず悪知恵ばっか働かせやがって。てめえらみてぇに、どこまでいっても小悪党ってな人間もこの世にはいるもんだな」
心底呆れ返った様子で左之助が言う。比留間兄弟は低く呻くような声を出した。どうやらぐうの音も出ないようだ。
「オイ宗次郎。あの嬢ちゃんの心配は、どうやら無用だったようだぜ。こんな奴ら、俺やお前なら一秒で片が付く」
「はい?」
比留間兄弟のうち、弟の伍兵衛の強さは、常人にとっては脅威だろう。だが、左之助や剣心並の達人ともなると、相手をしてもまるで赤子の手を捻るが如し、である。それを根拠に言ったのだが、宗次郎はイマイチ飲み込めていないようで、首を捻る。
そんな左之助の余裕たっぷりの態度が比留間兄弟には気に入らなかったようで、兄の喜兵衛の目に憎悪の色が浮かぶ。
抜刀斎に復讐をしようとした時も、東京を追われようやく信州の地で新たな職を得た時も、左之助に邪魔をされた。その左之助が評したように、自分達が子悪党であることなど百も承知、小悪等には小悪党なりの生き方がある―――。そうして今、高額の富を期待できる商売を、三度邪魔されようとしている。
喜兵衛は懐に忍ばせた短銃にそっと手を伸ばした。左之助に撃っても、恐らくは通用しないだろう。抜刀斎にかつて撃った時も防がれてしまった。こいつも抜刀斎も、普通の人間ではない。
ならば狙いは、左之助の連れている華奢な優男。帯刀してはいるようだし、何者かも知らないが、どうせ抜刀斎のような使い手ではあるまい・・・!
「伍兵衛!」
喜兵衛は伍兵衛に、顎で左之助を指し示す。当初は怯えていた伍兵衛も、積年の恨みを思い出したのか、目に力を取り戻す。
「お、やるのか。懲りてねぇみてぇだから、容赦しねぇぜ!」
左之助は拳を鳴らし準備運動を済ませると、ダッと床を蹴って伍兵衛に向かっていく。
「ふん、ほざけ。今日という今日は剣の錆にしてやる!」
伍兵衛の方もまた、手にしていた刀を抜き放つ。宗次郎の視線も、自然とその二人に向いた。
喜兵衛は好機とばかりに銃を取り出す。そして銃口の狙いを宗次郎に定めた。
「死ね!」
喜兵衛の金切り声とほぼ同時に、銃声が響く。してやったりとばかりに喜兵衛は顔に歪な笑みを浮かべ・・・
「・・・・あが?」
その表情のまま、前のめりに倒れた。ゴン、と床に頭を打ちつける喜兵衛の背後には、手刀を構えた宗次郎の姿があった。
「無防備な僕を狙うなんて、目の付け所は良かったんですけど、相手が悪かったですねぇ」
「ったく、手口が変わってねぇな、こいつらは」
ぱんぱん、と両の掌を払うように叩きつけている左之助の正面には、やはり床へと崩おれる伍兵衛の姿。顔をぼこぼこに腫れ上がらせた伍兵衛は、まず膝をつき、そうしてバタンとうつ伏せに倒れた。
こうして比留間兄弟は、例えの一秒という時間ではないにしろ、宗次郎と左之助に物の数秒で片を付けられてしまった。
「でも、流石に銃が出てきたのには驚きましたよ」
あの一瞬、喜兵衛が懐から銃を取り出したのを宗次郎は横目で捉え、その瞬間に縮地で駆け出していた。反応が早かった為、喜兵衛が宗次郎の姿が消えたことに気が付く前に後ろの首筋に手刀を叩き込むこともできた。
縮地の軌跡で床板のあちこちが踏み抜かれて、元々荒れていた板間は更に荒れ模様になってしまっていたりする。
「しっかり避けておいて良く言うぜ。ま、銃声が聞こえた時は俺も一瞬驚いたがよ」
左之助はその宗次郎を狙った銃を喜兵衛の手からひょいと取ると、両の拳で殴りつけて壊した。最早役目を果たさない金属片が、喜兵衛の体に落ちていく。
そうして左之助は、しばしじっと、倒れている喜兵衛と伍兵衛を見遣った。
「・・・どうしたんです?」
ややあって宗次郎が尋ねると、左之助は静かに頭を振った。
「いやな、こいつらとは色々あったんだけどよ。十年経っても、まだ悪さしてんだって思ったらな。こいつらには相応しい生き方なのかもしんねぇし、そういった風にしか生きられねぇ奴がいるってことも分かってんだけどよ」
「・・・・・」
しんみりと呟く左之助に、宗次郎も黙り込む。
そういう風にしか生きられない。そういった人間は、少なからず存在する。理由はそれぞれでも、何かに流されるようにしていつの間にか自分の生き方が決まってしまった者、それはむしろ、自分で生き方を選び取った人間よりも、多いのかも知れない。思う通りに生きられない人間の方が、多いのかもしれない。
「だからって、悪さしていいとは言えねぇけどな」
「あはは、そうですね」
打って変わって鼻を鳴らす左之助に、その悪さをした経験の多大にある宗次郎は思わず苦笑いを浮かべる。
かつて背中に大きく悪一文字の書かれた服を着ていた左之助だが、それ故に悪に関しては何かと思うところがあるのだろう。左之助が悪一文字を背負っていた理由を、宗次郎は知る由も無いが、それはきっと自分にとっての弱肉強食の信念と同じように、左之助からは切っても切り離せぬものなのだろう。
そんなことを考えていた宗次郎に、左之助が不意に振り返った。
「それにしても、こいつら引き合いに出すのもなんだがよ、俺はちょっと安心したぜ」
「何がです?」
不思議そうに首を傾げる宗次郎に、左之助はニッと笑みを浮かべた。
事情はどうであれ、結局刀も使わずに宗次郎は済ませてしまった。まるで、必要の無い時は、刀を抜かずに事を済ませたい、とでも言うように。
それに話には聞いていたが、宗次郎は敗者を殺めようとはしなかった。弱い者は死ぬべきだと、かつての宗次郎は言っていたのに。救い出そうとしている子ども達も、弱い者、その部類に入るのに。
もう、強さ弱さだけですべてを判断しているわけでは無い、それを再び感じて、左之助は少し安堵した。
「お前はこの十年で、少しでも変わっててよ」
「それは、どうも」
左之助のその言葉は、どうやら好意的に解釈しても良さそうだった。宗次郎のは、いい意味での変化、だと。ふわり、と宗次郎は笑みを浮かべる。
「・・・・・あ、」
と、その左之助がまずい、といった表情をした。
「どうしたんです?」
「さらった子ども達の隠し場所、訊く前にぶちのめしちまった」
「・・・・あー・・・・、そうですねぇ・・・」
はた、と宗次郎もようやくそれに気付く。
今度は気まずい笑みをつき合わせた二人は、比留間兄弟を揺り起こして、子ども達の居場所を吐かせる作業に入るのだった。






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