―第二章:仄かな相違―



「あ〜っ、流石は静岡。蜜柑が美味いな! 欧州の方にも似たよーなのがあったけど、こっちの方が断然いいぜ」
「そうですか。それは良かったですねぇ」
「何つーか、甘味の感じが違うな。昨日の晩飯も美味かったし、やっぱ飯は日本に限るな!」
「それは何よりなんですけど。・・・・あの〜、蜜柑食べるそばからさり気な〜く僕に皮渡してくるの、止めて貰えません?」
無精髭を生やした体格のいい男と、細身の優男という奇妙な取り合わせの二人の男が冬の快晴の空の下で並んで歩いているという光景が、今この静岡の街では繰り広げられていた。
勿論これは言うまでもなく、相楽左之助と瀬田宗次郎の二人である。左之助は大量に蜜柑の入った紙袋を小脇に抱え、実にご満悦といった表情で蜜柑を次から次へと口に放り込んでいる。ひょいひょいと皮だけを手渡される宗次郎には、やや困惑したような笑顔が浮かんでいた。
そもそも、何でこんなことになっているのかというと。
昨日、この二人が揉めているところに浅葱が帰ってきたことで、左之助について何やら誤解している彼が一方的に騒ぎ立てて、と更に一悶着があった。
が、とりあえずは落ち着こうと、これまた静岡名産である茶を宗次郎がそそくさと用意し、それを飲み交わしながら今まで何をしていたのかとか今はこんな風に暮らしているだとか色々と語り合い、そのうちに互いの誤解も無事に解け、この騒動は案外あっさりと決着を見ることとなったのだった。
その後、宿を決めていない(おまけに路銀も碌に無い)ということも判明した左之助を浅葱との二人は快く診療所に泊めることにし、明くる日である今日、宗次郎が簡単な街案内を彼にしている、というわけである。
当初は宗次郎をいぶかしんでいた左之助であったが、宗次郎のこれまでの事情を知ると認識を多少は改めたのか、敵視することは無くなった。むしろ、さばさばと接してくる程ですらある。
この辺りは、左之助もまた剣心と宗次郎の十年前のあの一戦を最後まで見届けた人物だから、ということも作用しているだろうが、何よりも彼の竹を割ったような性格によるところが大きいに違いない。
その左之助は手持ちの蜜柑を全て食べ終えると、宗次郎に違う話題をふっと持ちかけてきた。
「しっかし、お前と剣心が共闘した、なんてな。本当に驚いたぜ。十年前にはそんなこと全然思いもしなかったんだがな」
「あはは、それは僕も同じですよ」
どこか感心した風に肩を竦める左之助に、宗次郎も小さく笑って返す。
昨日、会話の流れで蘇芳一派との一件も話すことになり、その闘いの詳細を知った左之助は心底仰天した、というような顔をしていた。お互いに因縁の深い相手だったから、という理由で共闘するに至ったわけだが、そもそも剣心と宗次郎が力を合わせて闘った、という事実自体が左之助には俄かには信じられなかったのだろう。
もっとも、剣心の性格を考えれば、それも不思議じゃねぇなと左之助も妙に納得してしまっていたりもするのだが。
「けど、そんな国を賭けた大喧嘩するんだったら、剣心の奴、俺に声かけてくれてもいいのによ」
そしたら久しぶりに大暴れできたのによ、と左之助は不敵な笑みを浮かべて拳を鳴らす。
「別に喧嘩じゃないんですけど・・・」と宗次郎は小さく突っ込みつつ、けれど元を正せば喧嘩の延長戦のようなものなのかも・・・・とも一方で思い直す。
「相楽さんのことの方が僕は驚きましたよ。あの後日本を飛び出して十年近く世界を渡り歩いてた、だなんて」
宗次郎は笑って息を吐く。宗次郎がこの十年で様々なことがあったのと同様に、左之助にもまた多くの出来事が起こっていた。この十年、左之助は米国、欧州、果てはモンゴルといった宗次郎には未知の国まで放浪の旅をしていたのだという(それで昨日見た左之助の靴は舶来物だったのか、と合点はいった)。予想だにしなかった左之助の遍歴には宗次郎もびっくりである。
宗次郎がそう話を振ると、左之助はからからと笑って答える。
「まぁな。でも俺には性に合ってたみたいで、楽しい暮らしだったぜ。こっちと飯とか言葉とか、習慣とか価値観とか、違うとこは多いけどよ」
そうして一度一息ついて、左之助は続きを口にする。
「知ってるか? 米国じゃ家ん中入る時に履物を脱がないでそのまま入るんだぜ。人の肌の色だって日本人より白くてよ、逆に黒い奴もいたし、あっちこっちで色んな奴がいたな。やっぱ、色んな奴に会えた、ってのが一番良かったな」
楽しげに語る左之助に、宗次郎も淡く笑みを浮かべて同意の意味で頷いた。
国は違えど、宗次郎もこの十年旅をし続けてきたからよく分かる。様々な場所で色々な人達と出会って、多くのことを知り、学んだ。
流浪したからこそできた得難い経験。それを、左之助もまた深く身に沁みているに違いない。世界という広い場所を歩いてきたなら尚更、或いは宗次郎よりもっと多くのことを経て来ているのであろう。
「きっかけはお尋ね者になっちまったから、なんて俺にゃあ不名誉なことだったけどよ。世界は広ぇなって、俺の知らねぇことがたくさんあんだなって、そんな風に思ったな」
左之助はしみじみと頷く。と、ここで少し声を潜めて。
「でもよ、お前だって一応お尋ね者だろ。俺の場合はもう昔の奴らも忘れちまってるかもしれねぇけどよ、お前はそうもいかないだろ。こんな白昼堂々、大手を振って歩いてていいのかよ」
僅かに目を鋭くした左之助の問いに、けれど宗次郎はあっけらかんと。
「まぁ確かにちょっと心配ですけど、この辺りの人達とは顔馴染みですし。この町で知り合った警察の人も何も言ってこないし、それに、明治政府の方だって僕に接触してきたことは無いですよ、今のところ」
確かに、この点は懸念するところではある。現に流浪中は一応そういった人達に見つからないように気を付けてきたつもりである。
だがしかし、静岡に居付いてもう随分経つというのに、宗次郎の言葉通り明治政府側の人間が接触しようとしてきたことは無い。こうも長く同じ場所に留まれば、居場所くらいは掴まれていてもおかしくは無い筈である。
政府が隠密裏に志々雄事変と呼ぶこの国の一大事に大きく関わっていた宗次郎を、流石に無罪放免するとも考えられないが。
「ま、とりあえずは大丈夫だとは思いますよ」
「とりあえずてオイ・・・・」
あははと笑う宗次郎に、左之助は脱力して呆れ返る。
それでも事実、宗次郎には政府の手が何も伸びていないのだ。少なくとも、今、は。
いざその時が来たらどうしようか・・・その点についてはいま一つ不安のようなものが過ぎる宗次郎ではあったが、死刑台に上がらされる時が訪れるまでは、まだ今の暮らしをしていたい。そんな風にも思ってしまう。あの蘇芳の一件を経てからは、特に。
とはいえこの場所に関して言えば馴染んだ土地であるから、実際のところ宗次郎はそんなには警戒はしていないのだけれど。
「・・・・あ、」
ふと、宗次郎は声を上げた。
噂をすれば何とやら。丁度その、顔見知りの警官を含む警官隊の一行が神妙そうな顔つきをして歩いているのが目に飛び込んできた。どうやら道を行き交う人々に何かの聞き込みをしている様子だったが。その数、およそ十人。
「お、何だ? 何かあったのか?」
こういったことに割りと目聡い左之助もその存在に気が付いたようだ。時を同じくして、警官の一人が宗次郎と左之助達の方をふっと見遣った。
「あれ? 瀬田じゃないか」
「新田さん」
宗次郎もその声に答える。まだ二十代前半、といった若い風貌の新田という名のその青年は、他の警官達の輪から離れ宗次郎達の所へ歩み寄ってきた。
「こんなところで会うなんて奇遇だな。しばらく診療所の方行ってないけど、ちゃんや浅葱の奴は元気?」
「ええ、元気ですよお二人とも」
「・・・・ところで、何でそんなに蜜柑の皮持ってるんだ?」
「え〜と、まぁ色々ありまして、あはは」
「しばらくぶりだけど、相変わらずだなぁ瀬田は」
気さく、というよりも気軽といった風に新田は話を連ねる。警官職に就いている者としてはやや明る過ぎる性格であるきらいはあるが、この新田という青年は根は存外真面目だということを宗次郎は知っている。
「オイ、知り合いか?」
話の輪に加われないでいる左之助が宗次郎をちょいちょいと肘で小突く。宗次郎はええ、と頷いて、
「元々浅葱さんの御友人なんですけど、前にこの街で事件があった時に知り合いまして」
「新田といいます」
宗次郎の言葉を引き継ぐようにして新田は会釈する。つられて左之助も軽く頭を下げる。
顔を上げた新田は、何故か左之助をじっと凝視して、
「・・・・こちらは?」
新田に浮かぶのは明らかに不審の眼差し。ただでさえ見かけない顔である上に、よく言えば豪快、悪く言えば無頼の輩、そんな風な外見をしている左之助だからまぁ当然なのかもしれなかったが。
そんな雰囲気を汲み取って、宗次郎がにこやかにこう告げる。
「あぁ、こちらはええと、僕の知り合いで相楽左之助さん。そんなに怪しまなくても大丈夫ですよー。確かにちょっと怖い顔してますけど、決して怪しい人なんかじゃありませんから」
「・・・・オイコラ」
本人にとっては不本意な、好き勝手な紹介をされた左之助は宗次郎の頭を両の拳で挟んでぐりぐりと締め付けた。宗次郎は痛いですよ〜と声を上げるが、顔は笑っている。
「まぁ大陸帰りだからこんなボロい格好してっけど、こいつの言う通り怪しい奴じゃないと思うぜ、自分で言うのも何だがよ」
宗次郎をぱっと解放すると、左之助は事も無げにそう言ってのける。
ややあって新田は頷くと、今度は非礼を詫びた。官憲ということを傘に着て威張り散らしたりせず、人の良さを感じさせる辺りは、印象こそ違うもののかつて世話になったヒゲメガネこと浦村署長を左之助に連想させた。
「いや、疑って悪かったね。この街で初めて見かける顔だったから、ついね。申し訳なかったよ」
「別に鎌わねーけど・・・・それより、ポリ公がこんな大勢で一体どうしたんでい? 何かあったのか」
左之助が聞き返すと新田は声を潜めて、
「実は最近ここいらの界隈で子どもの神隠しが相次いでな、その犯人を追ってるとこなんだ」
「子どもの神隠し?」
宗次郎は目を瞬く。そんな事件が起こっていたというのは初耳だった。
新田は続けて事件の詳細を語る。
「ここ数日で男女合わせて二十人近くさ。いずれもこの町に住んでる十歳前後の子達で、身分は様々。金銭の要求とかは無し。この辺りから頻繁に攫っているわけだから、犯人はそう遠くには行っていないと思うんだけど、幾ら探しても見つかりやしない。子どもの死体が見つからないだけマシなんだろうけど・・・・」
「それで、大規模な捜索や聞き込みに当たってるわけですか」
宗次郎が先程の警官の一行に振り返ると、それぞれ散らばって情報収集に励んでいるようだった。攫われた子どもの両親だろうか、涙ながらに警官に詰め寄っている人々の姿も見える。
「そういうこと。もし何か犯人の手がかりでも掴むようなことがあったら教えてくれ。・・・それじゃ、俺は仕事に戻るから」
そう言い残すと、新田は慌ただしく本隊に合流して行った。警官隊の方もまた場所を移して捜索するのだろう、相変わらずピリピリとした雰囲気のままその場から去っていった。
残された宗次郎と左之助は、それぞれぽつり、と声を漏らす。
「神隠し・・・ですか」
「何かキナ臭ぇ事件にぶち当たっちまったな」
左之助は眉根を寄せ、拳を鳴らしてみせる。
「知っちまった以上、俺としちゃ放っておけねぇな。そんな小さいガキばっか攫って、一体何考えてやがるんでぇ」
「さぁ・・・・僕に訊かれましても」
ぽりぽり、と宗次郎は頬をかく。物騒な事件が起きたなぁ、とは思うが、犯人の目的など見当も付かない。
未だのほほんとしている宗次郎とは対照的に、左之助は静かな怒りを燃やしているようだった。更に拳をバキバキと鳴らし、眼光に鋭い光を宿している。
「俺がこの街に来た途端そんな事件と出くわすんなんざ、これも何かの縁だ。放っておいてさっさとよそに行っちまうなんて俺の性に合わねぇ、必ず犯人をとッ捕まえてやるぜ! ・・・オイ、お前も手伝えよな、宗次郎!?」
「ええ、いいですよ」
勢いのままに宗次郎に協力を求めた左之助は、けれど宗次郎が意外にもあっさりと了承の意を口にしたことに逆に呆気に取られてしまった。宗次郎にそう呼びかけたものの、こんなにも簡単に頷くとは内心予想外だったからである。
「・・・どうしたんです? 鳩が豆鉄砲食らったような顔になってますよ」
「・・・・いや、何つーかよ、あの宗次郎がこんなにあっさり人助けに加担するようになったっつーことが驚きでよ・・・・」
左之助は『あの』を強調してそう答えた。あの宗次郎、とは、恐らくは左之助の知る、十年前の弱肉強食の理念のみを頼りにしていた宗次郎を指しているのだろう。
弱い者は死ぬだけ、そう事も無げに言い放っていたあの宗次郎だったら、こんな事件のことなど気にも留めなかった筈だ。むしろ当然のことだとせせら笑っていても可笑しくなかった。
それなのに、今は違っていた。だからこそ、これまでの宗次郎のことを話に聞いただけでは理解し得なかった部分、すなわち、十年前と比べて確かに変化したという実感を、左之助はまさに今感じた。
ほんの些細なものかもしれない、けれど確かに感じる、手応えのようなものを。
あまりに左之助が固まっているので、宗次郎はくすくすと笑う。
「そんなに驚かなくても。僕もあなたと同じですよ。知ってしまった以上は放っておけないって、ただそれだけです。今僕が住んでいるこの街のことなら尚更じゃあないですか」
「それにしたって。・・・・あの頃のお前じゃあ考えられない台詞だぜ」
ふわりとした笑みを浮かべる宗次郎に、左之助はやや複雑そうな面持ちになる。かつての宗次郎を思い出していたからだ。
ただひたすらに一つの信念の下に、見ていてどこか痛々しくなる程に強さのみが全てだと言い切っていた宗次郎を左之助は知っている。あの時、闘っていた相手が剣心だったから、強いのに弱き者を守る、という宗次郎とは正反対の理念を持つ剣心だったからこそ宗次郎の心も揺り動かされたのかもしれなかった。
それから時を経た宗次郎の変わり様を、左之助はいみじくも、遅まきながら実感した。あの頃の宗次郎を、ほんの一部でも知っていたからこそ感じる。そこまで深く関わったわけではないから、その何か、をうまく言うことはできない、けれど何かがあの頃とは確実に違っているのだと。
「・・・・ま、悪かないけどな」
剣心が共闘した理由が分かったような気もする。そう思って、左之助は目を伏せた。
「相楽さん?」
「あー・・・と、何でもねぇよ。それよか、とっとと行こうじゃねぇか、その神隠しの犯人探しによ」
何故か一人で何かに納得したような顔をしている左之助に首を傾げつつも、宗次郎はその言葉に頷いたのだった。







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