―第一章:互いの面影―


目的の品、及びにヨネ婆さんお勧めの大根を買い終えた宗次郎は診療所へと帰宅した。
玄関の戸に手をかけながら「ただいまぁ」と明るい声を上げる。家の中に入っただけでも大分寒さが和らいで、宗次郎はほっと息を吐く。
(・・・・あれ)
ふと、宗次郎は足元に目を落とした。外来患者用の下足置き場に一つ、見慣れない履き古した靴があったからだ。しかもそれには大陸の―――例えば清国のような、そんな異国情緒の感じられる模様が縁取られていた。
(舶来品かな。それにしてはえらくぼろぼろだなぁ。余程長いこと履いてたみたい)
どうやら今の時間、患者はその靴の持ち主一人だけのようだった。いささかその人物に興味を引かれた宗次郎は、台所に野菜その他をひとまず置いてくると、や浅葱に帰還の挨拶も込めてちょっと診療所を覗いてみることにした。
ぱたぱたと廊下を歩いて行くと、とその人物らしき声がする。
「へぇ。兄さんと二人で医者やってんのかい。大したもんだな」
「元々は両親がこの診療所を開いたんです。でもその後を兄が継いで・・・」
「亡くなった親御さんの志を継いだってわけか。泣かせる話じゃねぇか」
(あれ・・・? この声、どこかで聞いたことあるような・・・・?)
扉越しに聞こえてくる男の声に、宗次郎は聞き覚えがあるような気がした。やや掠れ気味の低い声。
どこかで確かに、けれど、それがどこでのことなのか思い出せない。
うーん、どこでだっけ・・・・と宗次郎は診療室の戸の前で首を傾げた。
「二人で切り盛りしてるんじゃ大変だろ」
「えぇ、まぁ。でも、今はもう一人、頼りになる人がいてくれてますから」
「へぇ? 嬢ちゃんのいい人かい?」
「え、な、そういうわけじゃなくて・・・・えっと、元は流浪人だった人なんですけど、今は家に居候してて・・・・」
「・・・・何かどっかで聞いたことある話だな」
(喉の奥まで出かかってるんだけどなぁ。・・・いいや、入っちゃえ。そうすればはっきりするし)
自分のことに話題が移ったらしいとその患者のいる診療室の戸を、宗次郎はがらっと開けた。
何も言わずに入ってきたことに驚いたのだろう、がぎょっとしたような顔をして振り向いて、けれどそれが宗次郎だと分かると、ほっと頬を緩めた。
「診察中にすみません、さん。頼まれた物、買ってきましたよ」
「あ、お、おかえりなさい、宗次郎君」
言葉を返してきたににこっと笑みを向けて、そうして宗次郎は自然と患者の男に目を移した。
ツンツンと逆立てた髪、赤い鉢巻、精悍な顔立ち。
突如現れた宗次郎に驚いたような顔をしているものの、全身についた引き締まった筋肉、背丈のあるその男に宗次郎はやはり見覚えがあった。
一方、その男の方もまた、宗次郎の姿に見覚えがある、というような顔をしていた。そのことに彼はむしろ驚いていたのだ。信じられないものを見た、というような顔つきで、男は宗次郎をわなわなと指差す。
あ、と唐突に宗次郎は思い出した。そう、自分は確かにこの男に会ったことがある。
彼は十年前の京都での闘いで、緋村剣心と一緒にいた―――
「相楽さん?」
「宗次郎!?」
声を発したのはほぼ同時だった。
宗次郎が十年前の彼を、相楽左之助の姿をよくよく思い出してみれば、確かに今目の前にいる男のはその頃の面影がある。髪や無精髭も伸ばしているから、あの頃とは随分印象が違ってしまっているけれど。
思わぬ懐かしい人に再会した、という意外さに、宗次郎の顔は無邪気に明るくなる。
「うわぁ、お久しぶりですねぇ。ほとんど十年ぶりですよね。お元気でした?」
「な、何いけしゃあしゃあと言っていやがる! てめぇ、こんなところで一体何してやがったんだ!?」
声を弾ませた宗次郎とは対照的に、左之助は半ば臨戦態勢を取って声を荒げる。明らかに敵意を込めた視線だ。
宗次郎は一瞬、きょとんとして、
「何してって・・・・・買い物してきたとこですけど」
「だああっ! 俺はそーゆーことを聞きたいんじゃなくてなぁ!!」
宗次郎のずれた回答に、思わず左之助はのけ反る。
は、というと、目の前の状況に不思議そうに戸惑うばかりだ。
「宗次郎君、お知り合い?」
ようやくがおずおずと発した言葉に宗次郎は頷く。
「ええ。と言っても、直接話したりはしてないから、顔見知りって言った方が近いかもしれませんね」
それで今度は宗次郎は左之助の方に向き直って。
「それにしても驚いたなぁ、こんなとこで相楽さんにまた会うなんて。十年前とは全然違っちゃってたから、最初誰だか分らなかったですよ」
「俺だって驚いたぜ! まさかお前ととこんなとこで会うなんてな!」
左之助の口調は荒っぽい。そして相変わらず表情は厳しい。
まぁ仕方ないか、と宗次郎は思う。
剣心や弥彦と違い、左之助とはこの十年、一度も会ったことが無かった。その上剣心らの話では、彼はこの日本から出奔し海外の様々な国を回って旅をしていたのだという。
今の宗次郎のことを知らない左之助にしてみれば、未だ『志々雄真実の側近にして十本刀最強の剣客』という意識なのだろう。
「お前の方は前とほっとんど変わってねぇから一目で分かったけどよ・・・・って、お前今幾つなんだよ!? 何で十年経ってんのに老けてねーんだよ! ・・・・そんなとこまで剣心並みかよ」
宗次郎の外見がほとんど昔と変わっていないことに突っ込み、左之助は苦悶するように頭を抱える。
宗次郎は苦笑して、
「そんなこと僕に言われても・・・・。ちなみに、今僕二十八ですよ。年が明けたら二十九ですね」
「さらっと言うなさらっと! つーかお前、俺と一つしか歳変わんないんだな・・・」
左之助は一八六〇年二月生まれ、宗次郎は一八六一年九月生まれ。
数え年計算だと、確かに一つ違いである。
片や年相応に顔に深みを増している左之助、片や某若作り剣客顔負けの童顔のまま年を重ねている宗次郎。左之助が思わず悶々としてしまっても無理も無い。
と、ここで成り行きを大人しく見守っていたがそうっと口を挟む。
「あの・・・・相楽さんは、緋村さんともお知り合い、なんですか?」
「ああ、剣心は俺のダチだぜ。・・・ってか、嬢ちゃんも剣心のこと知ってんのか?」
一見剣心とは無関係のように思えるが彼を知っていたことに、左之助は少なからず驚く。
「はい、緋村さんには、先日とてもお世話になって」
笑みを湛えて語るはどこか嬉しそうで、その様子に左之助は彼女が嘘を言っていないことを悟る。
けれど一体どういうことなんだ・・・・と左之助は訝しげな視線を向けた。
「まぁ、立ち話も何ですから、お茶でも淹れましょうか。おいしいお茶菓子があるんですよ」
「・・・・・。お前が淹れた茶ってのは何だか不本意だけど、腹も減ってるし有り難く頂いてやらぁ」
食べ物に釣られたのか。
宗次郎の申し出に左之助もどうにか折れ、ようやく騒ぎは収束したように思えた。
・・・・・が。
「ただいま。・・・・って、、何だこの怪しい男は!?」
折しもその時帰ってきた浅葱が、診療室内の様子を見て仰天する。
見るからに怪しい男が、いる。
「まさかさっきの騒ぎを起こした奴じゃ・・・・おい宗次郎、一体これはどーゆーことなんだ!?」
「えっと、僕に聞かれても・・・・ちょっと、落ち着いて下さいよ浅葱さん」
「お兄ちゃん、この人は患者さんで・・・・」
「何なんだ、一体俺が何したってんだよ!?」
全く状況の掴めない浅葱が、再びその場をかき乱す羽目になったのだった。









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