<第五章:暗躍>


新座村は、ごく普通の村だった。
のどかで穏やかな空気が流れ、村の人達は汗を流しながら懸命に畑仕事をしている。
根津はおろか、怪しい者は誰一人として見当たらなかった。
「う〜ん、絶対に何かの手がかりだと思ったんだけどなァ〜・・・?」
割符を見ながら、薫が首を傾げる。
「村をぱっと見ただけじゃわかんねぇだろ。この村の長んトコにでも行って、情報を集めてこようぜ」
「あら、左之助もたまにはいいこと言うのね」
「たまにはって・・・・」
「まぁまぁ、とにかく、行って見ようよ」
「聖の言う通りだって」
そんなわけで、一行は新座村の村長の家に向かった。この村の中では一番大きな建物だ。
奥の間に通された聖達は、村長からにわかには信じがたい話を聞くこととなる。
「鬼婆ァ!?」
「左様。この村の近くの谷には、昔から鬼婆が住んでいると言われておっての・・・・最近、その鬼婆に、村人が何人もさらわれたのじゃ」
沈痛な面持ちの村長に、けれど左之助は一笑に伏して、
「この明治の世に、そんな古くせぇバケモノがいるわけねぇだろうが」
「そうは言っても・・・・村人がいなくなってしまったのは事実じゃ」
「その、村人達を助けに行ったりはしないんですか?」
聖の問いにも、村長はふるふると首を振って。
「勿論、捜しには行った。じゃが、捜しに行った者も、鬼婆にさらわれ、誰一人として戻ってこないのじゃ・・・」
聖達は顔を見合わせる。
左之助の言う通り、鬼婆なんて迷信めいた化物がいるとは思えない。しかし、現に何人もの人達がいなくなっている。
もしかしたら、これは鬼婆の仕業ではなくて。
「よし、村長さん、俺達がその谷に行ってくるぜ!」
「な、いくらなんでも、他所から来た方々を、そんな危険な目に合わせるわけには・・・・!」
弥彦の申し出に驚き、止めようとする村長。
突然この村を訪ねてきた若者達。何か事情があるのは分かる。けれど、みすみす危ない場所へ飛び込ませたくはない。そう、思ったのだが。
「村の人の中には、家族がいなくなって悲しんでる人もいるかもしれない。それを知って、放っておくなんてできません」
聖の、強い瞳。それは毅然とした意志を秘めている。
彼の若く、けれど熱い正義感が、そう見せるのか。
村長は息を呑んだ。
「ご心配なく。僕達、こう見えても強いんですよ」
「そうそう。鬼婆だろーが根津達だろーが、コテンパンにのしてきてやらぁ!」
力強い言葉。もしかしたら、この者達なら・・・・。
「・・・わかりました。どうぞ、よろしくお願いいたします。
鬼婆の谷は、この村を出て西の方角へずっと進んだところです。お気をつけて・・・・」
深々と、頭を下げて、村長達はそう言った。








荒涼とした谷。うっそうと木が生い茂り、時には獣が出るというその谷は、古くから新座村の人達に恐れられてきたという。そのことを証明するかのように、時折、遠くから狼の唸り声のようなものが聞こえてくる。
「なんか、本当に鬼婆が出てきてもおかしくないわねぇ・・・」
胴着姿に着替え、竹刀を持ちながらも、不気味な雰囲気に眉をひそめる薫。が、
「ハッ、お前を見たら、鬼婆の方が裸足で逃げ出すに決まってらぁ」
「ど〜ゆ〜意味よっ!!」
弥彦がからかった途端、いつもの元気を取り戻し、竹刀でどつく。弥彦も負けじと応戦する。
皆、漫才のようなやり取りを、笑いながら見ていたのだが・・・。
「!」
聖が、ふと何かの気配を感じる。ほとんど同時に、何かの低い唸り声。そして、
「ここを鬼婆の谷と知って来やったか・・・・おのれらすべて食うてやるぞえ・・・・」
「!?」
皆の間に緊張が走り、体が強張った。地を這うような老婆の声・・・けれどその姿は見えない。
「命が惜しくば立ち去れ・・・・立ち去るのじゃ・・・・」
残響が辺りに響き渡った。聖は先程の気配の方へ振り返ったが、そこにはもう何も感じられなかった。
弥彦が茫然と呟いく。
「鬼婆なんてマジにいるのかよ?」
「さあ、どうなんでしょうね。とにかく、先へ進みましょう」
この状況下、少しも動じない宗次郎。一人だけけろっとした顔をしている。
とりあえず、ここで立ち止まっても仕方がないので、一行は谷の奥へと進んでいく。木の量は次第に増え、辺りも薄暗さを増してくる。
岩壁が前方に見えて来た時、また声がした。
「命を惜しまぬ愚か者よ・・・・今すぐ立ち去るがよい・・・・」
「また聞こえた!」
「立ち去れ・・・・でなくば、死が待つのみじゃ・・・・」
言葉の終わりと共に消える気配。何者かは分からないが、誰かがいる、確かに。聖はそれを確信した。
立ち去れ、と鬼婆は言うが、大人しくその言葉に従うわけがない。
五人は構わずにどんどん進んでいく。砂利道を踏みしめて歩くその音だけが、静かに、不気味に、絶えることは無かった。
「まだ分からぬのか、愚か者めが・・・・」
声が響く。今までの中で、一番近い場所から。
「それほどまでに命が惜しくないというのじゃな・・・・・」
聖は必死に気配の居所を探ろうとする。一体どこから?
そしてそれは、左之助も同じだった。
「もはや許しはせぬ・・・・たった今出て行かぬなら、お主らを食う・・・・」
「・・・んなとこで、何してやがるんでぇっ!」
聖が気配を突き止めたのは、二間ほど離れた岩壁。そこへ左之助が突進し、拳打を食らわせる。本物の岩ではなく、何かで作った隠れ蓑だったのか、呆気なくそれは崩れ落ちた。驚く聖達の前に現れたのは、茶色い布を纏った人物。その顔は見えない。
「鬼婆!?」
「そんなわけがあるか!」
弥彦に言い返しながら、左之助はその布を剥ぎ取った。そこから覗いた顔は、意外にも、
「お、女ァ!?」
若い女性。巫女のような服を着て、長い髪を垂らしている。整った美しい顔立ちには、鬼婆のふりをしていたには似つかわしくもない、清楚な感じが漂っていた。
「・・・・・っ!」
顔に驚きの色を浮かべたその女性は踵を返し、一目散に逃げ出した。
「ま、待ちやがれっ!」
左之助が駆け出し、聖達も一足遅れて走り出す。
「綺麗な人・・・だけど、普通の人間だったわね」
浅い息の中、薫がぽつりとそう漏らす。
「鬼婆のふりをしてまで、何をしようってんだ?」
「さあ・・・・でも、どうやらぼく達を奥に近づけさせたくなかったみたいだね」
あくまでもそれは聖の考えだった。不思議に思った宗次郎が聞き返す。
「何でそう思うんです?」
「だって、何だか意図的に追い返そうとしているみたいだったからさ、あの鬼婆さんがさ」
「言われて見れば、確かに・・・・」
薫ははっと気付く。
村長からは、村人達は鬼婆に捕まったと聞いた。
けれど、自分達の前に現れた鬼婆は、左之助が暴くまで「立ち去れ」の言葉を繰り返し、その正体は普通の女性だった。
自分達をさらうような素振りはなく、去れ、の一点張りで。
「へっ、あの女を捕まえりゃあはっきりするさ」
谷の奥、視界が開けたところに古びた小屋を見つけた左之助は足を止める。戸は開け放たれているものの、暗くて中の様子は見えない。
「あの女、ここに逃げ込みやがったのかな」
「多分ね。行くわよ、覚悟はいい?」
「勿論!」
頷き、聖達は武器を構え、小屋の中に踏み込む。
思ったよりも広いその小屋の中には、座敷牢が作られていて、その中には新座村の人らしき男女が数人、そしてその牢の前には先ほどの女性がいた。
「見つけたぞ! 何だって鬼婆の真似なんかしやがったんだ」
「・・・・・・・」
弥彦が詰め寄ると、女性は無言で後ずさった。
「だんまりかよ。そこの牢にいるのは、さらわれたはずの奴らじゃねぇのか」
「お願い。女の人に手荒なことしたくないの。その人達を帰してあげて下さい」
左之助と薫の言葉に顔色一つ変えず、更に女性は後ずさる。
「どうして村の人達をさらったんですか? あなたも、あの根津の仲間なの?」
「・・・・・・・」
聖の問いにも、何も答えない。苛立ちが募ってきた左之助は、声を荒げて、
「返事くらいしたらどうでぇ!」
「返事は否だ!」
途端、野太い声が辺りに響き、皆揃ってそちらへ振り向く。小屋の入り口から、無精ひげを生やしたいい体格をした男が入ってきた。腰には、太目の刀を帯びている。
「百鬼!」
女性が小さく叫ぶ。どうやら彼女の仲間であるらしい。
百鬼、と呼ばれたその男は、そのいかつい顔に、にやりと質の悪い笑みを浮かべた。
「ここを知られたからには、こいつらを帰すわけにはいかんな。死んでもらおうか」
「面白え。ここは俺に任せな」
前に進み出たのは左之助。生来の喧嘩好きも手伝ってか、不敵に笑うその顔は、むしろ楽しそうにも見える。
聖達が何かを言う前に、もう左之助は百鬼に拳を繰り出していた。それをかわしつつ、百鬼は抜刀、そのまま左之助に斬りかかっていた。振り返りざまに放つ一閃の刃、けれど左之助は身を低くすることで難なく回避する。すぐに体勢を立て直し、百鬼の腹に乱打を叩き込んだ。
「オラァァぁ!!」
「ぐっ!」
呻き声を上げながら百鬼は吹っ飛び、壁に叩き付けられた。女性が慌ててその側に駆け寄る。
「へっ、ちょろいもんだぜ」
「ううっ・・・・形勢不利のようだな。小糸、ここは退くぞ!」
百鬼の言葉に女性は頷き(小糸というのが彼女の名前のようだ)、二人はすぐに身を起こし、小屋の外へ飛び出て行った。聖達もすぐさま追いかけるものの、小屋の外にすでに百鬼達の姿は無かった。来た時と変わらぬ、寂寥な風景が広がっている。
「あらら、逃げ足速いですねぇ」
「感心してる場合かよ!」
感心した風に呟く宗次郎に、弥彦がそのまんまのツッコミを入れる。
「いいわ。今はとにかく、牢の人達を助けましょう」
「そうだね。元々は、さらわれた人達を助けに来たんだし。何にしても、見つかってよかったよね」
悔しさを微塵も見せずに言い放つ聖。それとは対照的に、百鬼達を逃したことをかなり悔しがっている左之助。少々聖に呆れつつ、
「・・・奴らにまんまと逃げられたってのに、えらく前向きだなぁ、聖は」
「まぁ、あの人達は後でまた追えばいいしね。今は、村の人達を助けるのが先決じゃない?」
「へっ、違えねぇ」
しかし聖の言葉も確かに正論ではあるので、悔しさを今は忘れることにした。
聖達はすぐに小屋に取って返し、体当たりをして牢を壊した。
村人達は、牢の中で先程の一連のやり取りを聞いていたのか、自分達を捕らえていた存在が無いことに安心し、戸が開け放たれると、わっと聖達の周りに群がった。
「あ、ありがとうございました!」
「ああ、これで家に帰れる!」
解放された村人達は、皆聖達に何度も何度も礼を言い、それぞれの無事を喜び合った。
村へと帰る道の途中、嬉しそうな村人達の笑顔を見て、聖も心から安堵していた。彼らを連れ戻せて良かった、と。
けれど内心、取り逃がしてしまった百鬼達への、また何かをやらかすのではないか、という懸念もあった。
そしてその予感は、現実のものとなってしまう。










夜、村人を助けてもらった礼に、と、聖達が村長の家で手厚く歓迎を受けていた頃、あの鬼婆の谷の小屋に、三つの人影が訪れていた。
小糸、百鬼、そして。
身の丈七尺はあろうかという、髭面の大男。
「何でぇ、これは!?」
小屋の中の惨状を見て、大男が声を上げる。小糸は深々と頭を下げながら、
「も、申し訳ありません!」
と非礼を詫びる。
「実は、不審な奴らが来て、せっかく集めた人間を逃がしてしまったのです」
百鬼の説明に、大男はふぅむ?と唸って、
「お前を打ち負かすたぁ、なかなかできる奴に違いねぇな。まぁ、俺の戻りが遅くなったのが悪かった」
「いいえ、そんな・・・・わたくし達のせいです」
主の寛大な言葉が恐れ多くて、小糸は必死で首を振る。大男はそんな小糸を見て、豪快に笑った。
「いいってことよ。もう一度村を襲えばすむことだ」
「穴山様がいてくだされば、怖いもの無しだぜ!」
大男、穴山の力強い言葉を、百鬼は心底頼もしく感じ、今度こそ誰にも邪魔はさせない、と意気込んでいた。
穴山は勇ましく声を上げた。
「行くぞ、小糸、百鬼!」
そうして三人は小屋を出て行く。
遠く、何かの獣が吼える声が響いていた。








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