<最終章:風に手をかざしてる>


野道を行く影が二つ。先を行く者は軽快に、後を行く者はどこか力無く。
風が二人の柔らかな髪をさらさらと揺らした。
「・・・・大丈夫?」
先を歩いていた宗次郎が、振り向いて聖に尋ねた。聖は涙を擦りながら笑って言葉を返した。
「うん、もう平気」
先程、聖は言葉少なに剣心達と別れた。あんなに長く共にいたのに、あっさりと別れを済ませた。
でないと、泣いて未練が残る事が分かり切っていたからだ。
「本当に、みんなといて楽しかったから。みんなといられて良かったから」
「うん、そうだね・・・・」
宗次郎は歩調を緩めて聖の隣を歩く。風がまた髪を撫ぜた。
涙の止まった顔を、聖は真っ直ぐに前へと向けた。この先は分かれ道となる。
「宗次郎さんは、この先、どこへ?」
「うーん、やっぱり北の方かな」
元より彼はそのつもりで旅をしていたのだ。行き先を決めず、刀も持たず。そう言えば、宗次郎は今十勇士との闘いの中で使っていた木刀を、律儀にも元の持ち主である愚連隊に返していた。
気ままに続ける旅に、多分必要なさそうだったので。
「そういう聖君こそ、どこに?」
「もう決めてあるんだ。最初は、神爪の里に」
宗次郎はほんの少し目を丸くした。確かに聖につられて歩いていたこの道は、神爪の里の方面へ向かっている。
あ、と思い当たって、宗次郎は聖に訊いてみる。
「聖君、もしかして、記憶・・・・・?」
聖はその言葉に、舌を少し出して笑ってみせた。
「うん、実は戻ったままなんだ」
みんなには内緒だけどね、と聖は続けた。
あの一瞬。真田は確かに、彼の記憶を封印しようとしたのだろう。
けれどその刹那、聖は強く思ったのだ。忘れたくはない、と。
「確かに、里が滅んだことやみんなが死んだことは、すごく悲しいし悔しいし辛いけど、でも、あの里でずっと生きてきて、楽しいことだっていっぱいあったんだ。
それに、兄さんや忍達・・・・・ぼくのことを何としてでも生き延びさせようとしてくれたみんなのことを、もう忘れたくないんだ・・・・!」
聖は真っ直ぐに前を見据える。
かつてはすべてを忘れ去りたかった程の記憶が蘇ったというのに、その表情にその瞳に、一点の曇りも見られない。
「・・・やっぱり、聖君は強いなぁ」
しみじみと、感心した風に宗次郎が言う。聖が「え、何が?」と聞き返すと、笑って誤魔化されてしまう。
そうして歩いているうちに、二人は分かれ道へと差し掛かった。
右は葉隠山へと続く道。左の道の行く先は二人には分からない。
「それじゃあ、ここでお別れですね」
左の道の前へと立って、宗次郎はそう言った。聖は頷き、右の道の前に立つ。
「宗次郎さん、元気でね」
「聖君も。じゃあ、どこかでまた会えるといいですね」
「・・・・うん」
同じように流浪れ行く二人。神谷道場の者達と違い、宗次郎とまた会える保証は無いのだ。
それを思って、聖の笑みも暗いものとなる。
「・・・・ん? 何か違う気がする・・・・?」
宗次郎がはた、とその何かに気付き、考え込むような素振りを見せる。
聖が首を傾げていると、宗次郎はにっこりと柔らかな笑みで。
「聖君、また、どこかで会いましょうね」
「・・・・うん!」
聖はその二つの言葉の意味の違いに気付いた。だから聖の顔はぱっと明るくなった。
左の道を進む宗次郎を、聖は元気良く手を振って見送った。彼が以前言っていた自分探し。剣心達との旅の中で、お互いに少しだけそれを得ることができたような気がする。
そして自分達は、新たなそれを求めてまた流浪れる。
「さて、ぼくも行くか」
宗次郎の姿を見送ると、聖は右の道へと踏み出した。
どんどん行くと葉隠山へと出る。例の隠し通路を通り、聖は再び神爪の里へと戻ってきた。
剣心達と来た時とほとんど変わっていない、焼き払われた里。
聖は隅々を見て回った。自分の家。忍の家。長老の家。かつて自分が過ごした場所。
そうしてぐるりと里を巡ると、聖は懐から朱色の鉢巻を取り出した。兄、龍也の鉢巻だ。
聖は地面を刀を使って掘り、それを埋めると、また土をかけた。花を探してきて供えると、じっと手を合わせた。ただただ皆の冥福を祈った。
しばしそうしていた後、聖は立ち上がった。周りを見回す。焼け焦げた家。滅びた里。それを取り囲む葉隠山の木々。
いつしかこの神爪の里も、焼け跡に草木が芽吹き、野山へと還るだろう。けれども聖は、それでいいと思っている。
平穏で、近代化の進む今の時代、遅かれ早かれ里は滅びていたはず。それに、里が無くとも、力が世に必要とされなくても、古より伝わるその信念は決して消えない。
取り戻した心は、もう絶対に手放さない。どんな辛い事でも、受け止め、乗り越える強さ―――それを得ることができたから。だから自分は、これからも、きっとずっと歩いて行ける。
「・・・・さよなら」
聖は神爪の里に背を向けた。剣心達にそうしたように、少し駆けたところで振り向いて、小さく手を振った。それからはもう振り向くことなく、聖は歩いて行く。
隠し通路の岩をしっかりと戻し、山を下り始める。
彼にさよならを言うかのように、風が吹き、木々がさざめいた。
「さぁ、行こうかな」
剣心達との旅で沢山の事を学んだとはいえ、閉ざされた世界で生きてきた自分には、まだ知らない事が多すぎる。
もっと沢山の事を知って、もっと大きく成長できたら、その時は、また彼らに会いに行こう。
聖は清々しい笑みを浮かべると、再び歩き出した。また風が吹き、聖は誘われるようにして上を見上げた。
聖は目を細めた。揺れる葉の間から覗く太陽が眩しい。その周りの澄んだ青は、限りなく世界を包んでいる。
これからはもう、他の誰でもない自分のために。行ける所まで、歩いてみよう。
この空は。
―――笑みが、零れた。
そう、この空は。
どこまでも、広がっているのだから。








<了>










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