<第三十三章:戦火に交錯する思い(後編)>
「下仁田の闘いの時は力を抑えたが、今度はそうはいかん。行くぞ!」
真田が刀を振るった。前回のような峰打ちではない、研ぎ澄まされた刃が聖を襲う。
聖は即座にその刀を弾いた。今度は逆方向から真田の刀が迫る。跳躍して避け、真田の肩を蹴りつけて間合いを取った。
「今度こそ、あなたを止めてみせる!」
「止められはせん!」
真田が横薙ぎに刀を振るった。剣風で足止めされることを予測し、聖は横方向に飛び退いた。すかさず体勢を立て直し、梵天の型を放つ。
だが真田は、刀を胸の前で交差させその衝撃を防いだ。ニッと笑うと、二刀を振り払い、今度は地を蹴って聖に向かってきた。
「影牙・眩耀刃!」
鋭く重い乱撃が聖に振り注ぐ。刀で防ぎ、或いは弾き、聖は何とかその攻撃を耐える。しかし徐々に力負けし、押されてきた。
「どうした? お前の力はその程度か!」
「くっ!」
攻防が続けは不利と見て、聖は後ろに下がった。その瞬間を見逃さず、真田は技を繰り出す!
「空牙・烈風刃!」
神速で刀を払い、その剣圧が聖を捕らえた。衝撃を腹に受け、勢いのままに吹き飛ばされる。壁に激突する、と思われた寸前、聖は何とか体の向きを変え、足で壁を蹴りつけていた。力を込め、そのまま真田に向かって飛びかかる。
すれ違いざまに胴に攻撃を入れた。真田は少し顔をしかめたが、体はびくともしない。
再び刀を振り下ろす真田。聖はそれを刀で受け止めた。ぎぎ、と鍔競り合いの音が響く。更に真田はもう一振りの刀を振り下ろした。交差した二振りの刀に力を込め、真田はぐぐ、と聖の刀を押していく。
聖の目前に真田の刃が迫る。少しでも力を抜けば、聖の体は即座に叩き斬られることだろう。
煌めく刃の向こうに真田の顔が見える。険しく、激しく、是が非でも負けられない、そんな形相の。
(でも・・・・・ぼくだって負けられない!)
少しずつ、聖の刀が真田を押していく。
目の前の闘いに集中しながらも、ふと脳裏を掠めるものがあった。
剣心、薫、弥彦、左之助、宗次郎。仲間達。
恵、隼人、平八郎、沙織、高瀬、梢、政吉。出逢った人達。
そして、記憶の底に眠る、神爪の者達―――。
「な、何っ!?」
聖に押され始め、真田の顔に初めて狼狽の色が浮かんだ。聖は真田の刀を弾き、真っ直ぐに真田を見据え、言い放った。
「負けられないんだ!」
迦陵の型、迦楼羅の型、那托の型。がら空きになった真田の体に叩き込む。真田の体が傾いだ。
真田が体勢を立て直す前に、聖は何度も素早く、鋭い斬撃を放つ。そのすべてを真田は受けた。崩れかける真田の体を、聖は最後に思いっきり薙ぎ払う。
自在の型。聖が渾身の力を込めた技だった。
「ぐっ・・・・!」
真田は膝をつきかけた。一振りの刀を地に差し、体を支える。だがその刀は、キンと音を立てて折れた。
真田は、がくりと膝をついた。
「やったぜ!」
弥彦は手放しで喜ぶ。薫達も嬉しさを隠せない表情だった。
聖は膝をついた真田を見下ろしながらも、どこかまだ茫然とした表情をしていた。倒した、という実感が湧かないようだ。
一方の今十勇士達は、茫然を通り越して愕然としていた。彼らにとって神も同然の、主君が敗れたのだから・・・・・・。
「真田様!」
「来るな!」
けれど、近付きかけた今十勇士達を、真田は一喝して制した。
ゆっくりと顔を上げ、真田は聖を見た。無事なままのもう一振りの刀を持つ手に力を込める。
「危ないわ!」
薫と弥彦は飛び出しかけた。しかし剣心はそんな二人の前に立ち押し止め、首を振った。
「剣心!?」
「・・・・・・・」
剣心は無言で聖と真田を見遣っている。
真田は聖を見上げ、ふっと笑って潔く言った。
「俺の負けだ・・・・・神爪の者よ」
その瞬間、聖にようやく勝利の実感が湧いた。倒した。あの、真田を。
聖は顔を綻ばせ、剣心達に振り向こうとした。自分一人では勝てなかった。きっとみんながいたから―――。
だが。
「チキショウ! もう何もかも終わりだぜ!」
根津だった。彼は心底悔しそうに呻いたかと思うと、立ち並ぶ仏像に向けて炸裂弾を投げつけた。木造のそれに、あっという間に炎が広がる。
「なっ・・・・!」
「あの野郎!」
驚きに目を見開く聖達の前で、根津は高笑いをしながら更に炸裂弾を放っていく。
「どうせ、俺達の夢はもう叶わねぇんだ! てめえらごとすべて片付けて終わりにしようぜ!」
根津の暴走を止めるべく駆け寄ろうとした聖達だったが、
「何しやがる!」
しかしその前に穴山が彼をどつき倒していた。
「我らの祈り、そして真田様の真情・・・・・それまでも汚す気か!」
海野が怒鳴りつけると根津は立ち上がり、ハッと鼻で笑った。
「祈りなんざ通じねぇ! 今までに一度だって、天が俺に何かしてくれたことがあったかよ!? こんなもん、下らねぇ茶番だぜ!」
根津はヤケになったように炸裂弾を投げ続けた。炎の勢いは増し、熱気が辺りに立ち籠める。
「根津! 天の助けなど必要ない。真田様こそが我らの救いだったではないか」
海野の叱咤に、根津はハッとしたように動きを止めた。しかし、泣くのを堪えている子どものような顔つきになって、自暴自棄気味に言い捨てた。
「うるせえ! もうどうだっていいんだよ!」
その時、燃え広がる仏像の方向から、篭もったかすかな轟音のようなものが聞こえた。
「まずいっ!」
「みんな、伏せて!」
穴山と聖が叫んだのは、ほぼ同時だった。聖や剣心達が身を伏せた次の瞬間。
辺りに白と赤の閃光と、爆音が響いた。
「う・・・・・」
聖は頭を振って起き上がった。気を失っていたのは、ほんの数秒だったと思う。
剣心達もゆっくりと身を起こしていた。炎は先程より燃え広がっているが、幸いなことに聖達はほとんど怪我を負っていなかった。
「す・・・凄い爆発だったわね・・・・・」
薫が茫然と呟くと、剣心は重々しく、言った。
「・・・・・ああ。彼らが体で爆風を抑え込んでくれなければ、今頃は拙者達も・・・・・この洞窟も無事ではすまなかった・・・・・でござろうな」
「えっ!?」
剣心の言葉に驚き、聖は今十勇士達の方に振り返った。
その言葉通りなのだろう、彼らは皆、酷い火傷と爆裂傷を負い、全身が血に濡れていた。根津はもう事切れているようだった。穴山達三人はまだ生きてはいたが、その傷は、恐らくは、もう助からないと言える程。
それでも彼らは、満足だったに違いない。身を盾にして、真田を守れたのだから。
「お、お前達・・・・・」
真田は立ち上がって今十勇士達を見遣った。穴山は無事な主君の姿を認め、ニッと笑った。
「ふぅ・・・・・すいません、真田様。・・・・・・どうやら、これ以上はお供できませんや・・・・・」
真田はゆっくりと首を振る。
「謝るのはこっちの方だ。無敵の十勇士の名、轟かすことができなかった」
穴山はもう一度笑った。体が言うことを聞かず、首を振れないのが歯痒かった。
「いいや・・・・・真田様はよくしてくれましたぜ」
「最期の・・・・主君が真田様で、幸せ・・・・・でしたよ」
「我らの祈りに答えて下さったこと・・・・・地獄の底まで忘れませぬ・・・・・・」
穴山、海野、望月の言葉を、真田は黙って聞いている。
聖達も何も言わなかった。言えなかった。
選んだ道が間違っていたものであったとしても、真田の下に集った今十勇士達、彼らの根底に流れていたのは、何にも代えがたいその絆。
誰に何を言われても、きっと彼らは、生き方を後悔してはいないのだろう。
動かなくなった穴山達を、真田はやはり無言で見下ろしていた。
炎が燃え広がる。洞窟が地震のように揺れだす。
赤い、紅い、景色。
(あれ・・・・。何だろ・・・・前にも、こんなことがあったような・・・・・?)
頭がズキズキと痛み出した。聖は頭を抱えてうずくまる。
「聖!」
そう呼ぶ剣心の声を遠くに感じながら、聖は自身の記憶を遡っていた。
「さあ、皆の衆、覚悟を決める時が、来たようじゃ」
「変な奴らが、いきなり攻めてきたのよ! 里を襲うなり、火を放って、仲間を倒して・・・!」
「つまらぬ過去や土地にしがみつき、無駄な死を遂げるのが、神爪の民の末路か? 未来のために、若い者を生き延びさせる事こそ、わしらのすべき事ではないか」
「神爪の民は、きっと我らの計画の邪魔となる。その前に始末させてもらう・・・・」
「・・・・今のうちに逃げるんだ。ここは俺が食い止める」
「聖・・・・俺がいなくても、立派な男になるんだぜ。一人前になるまで、しっかり鍛えてやりたかったけどな」
「・・・・・・聖・・・・・・・深い傷。ありったけの薬草を使うから、・・・・・お願い、死なないで。誰かに見つけてもらって、どうか無事に・・・・・」
「・・・・・・さよなら、聖・・・・・・」
(思い・・・・・出した・・・・・!)
聖はすべてを思い出した。
あの神爪の里。楽しかった日々。兄の龍也、幼馴染の忍、村のみんな。
そして、炎。あの時、何があったのかをすべて・・・・・・。
「あ・・・・」
聖は頭を振って立ち上がり、真田を見た。涙目だった。
元はと言えば、神爪の里が滅んだのは彼のせいだと、蘇った記憶がそう今の記憶と結びつけた。
仇を討つつもりは無かった。けれど結果的に、自分は里の者達の仇を討ったのだ。
その聖の思いを悟ったのか、真田はふっと微笑を浮かべた。
「・・・・嬉しいか、神爪の者よ。お前は仲間の仇を討ったのだ。もうこれで、思い残す事はあるまい。・・・・・俺と共に来い」
「なっ・・・・!?」
真田の突然の言葉に、皆の間に驚きが走る。それに構わず真田は言った。
「・・・・神爪の里が忘れられたのも・・・・・もはや、お前達が必要とされていない証。明治の世では、所詮お前も厄介者だろう」
「そ・・・・そんな・・・・」
薫は戸惑った風に首を振り、絶句した。そんなことは無い、と言いたかった。
聖はただ、黙って真田の言葉を聞いている。
「俺は、俺を必要とする者のため、二度と持つまいと思った剣を取った。この力を役立てようと思ったのだ。しかし・・・・・もう時間切れのようだ。
元の闇の中へ戻ろう・・・・・お前を連れて」
「何で聖君が、あなたと一緒に行かなくちゃならないんですか?」
どこか不満気に笑顔を歪めて、宗次郎がそう真田に問うた。真田は答えない。
洞窟の天井が崩れ、破片が落ちてくる。パチパチと、火のはぜる音がする。
再び、言った。
「俺と共に来い・・・・・・神爪の者よ」
しばしの、間。
沈黙を破ったのは剣心だった。静かに穏やかに、そして、はっきりと。
「聖も拙者も、前時代の遺物・・・・と言われれば、その通りでござるよ。しかし、二人ともこの時代で生きていくつもりだ。時代に必要とされないなら・・・・その方が良いに決まっている。平和だということでござるからな。なぁ、聖」
聖は深く頷いた。真田に真摯な目を向けた。
「ぼくには神爪の民の血が流れてる。でも、力が必要とされなくても、時代に必要とされなくてもいい。それでもぼくは、この世で生きていく。みんなが救ってくれたこの命で・・・・精一杯、生きていきたいんだ!」
真田はその言葉を聞いて、また笑みを浮かべた。そうして今十勇士達を見る。
時代に取り残された者達。新時代を生きようとしなかった者達。
「・・・・・そうか。十勇士も、お前達のように考えられたら・・・・きっと、俺など必要ではなかったのにな」
真田は聖に歩み寄る。己よりずっと小さなその少年を見る。
この世にたった一人の、最後の神爪の民。戦国時代の遺産。本当ならば、確かにその存在はこの時代には必要とされないはずなのに、それでも彼は生きていくと言った。
「ならば・・・・もう一度眠るがいい、神爪の者よ。目覚めた時には、また過去を失っているだろう・・・・。
だが、その方がいいのだ。古き因縁から解き放たれ、未来を生きようとするお前達には・・・・・」
真田はほんの少し寂しげな微笑を浮かべて聖に手をかざした。聖はすうっと意識を失って倒れる。
「聖君!」
薫は聖に駆け寄ろうとした。が、洞窟の揺れが激しくなり、足止めされてしまう。天井の破片が次から次へと落ちてきた。火の粉が舞う。
「危ねぇ! ここは崩れるぜ!」
左之助がチッと舌打ちをする。恐らくこの後十分も持たないだろう。
真田はゆっくりと立ち上がった。倒れている聖に目を向ける。刀を地から抜き、振り上げた。そのまま聖に向かって振り下ろす。
「!」
しかしその切っ先は、聖の顔のすぐ横、石畳に突き刺さっていた。彼にとって、聖と過去を切り離すべく行った儀式のようなものだろうか。
驚く薫達を尻目に、真田は聖を抱え上げた。とっさに鯉口を切り、抜刀しかける剣心。しかし真田は剣心の意に反して、ひょいと聖のその体を放った。剣心は慌てて受け止めた。
「真田・・・・・・」
剣心は真田をじっと見た。真田もまた剣心に目を遣る。
聖同様、剣心達もまた、まだ若く未来がある。自分と違い―――この先も、前を見据えて生きていくのだろう。
「・・・・お前達とは、もっと早く、俺の時代で会いたかったがな・・・・」
言い残し、真田は踵を返す。彼の目線の先には、既に生き絶えた今十勇士達。皆、安らかな死に顔だった。
「・・・・左之、彼を頼む」
剣心は気を失ったままの聖を左之助に預けた。彼の真意を汲み取ったのだろう、左之助はああ、と頷き、聖を抱え上げてその場を脱出した。
弥彦の真田の背中を見て何かを感じ取ったのか、左之助の後を追う。宗次郎もまた、剣心と真田の姿を交互に見て、その場を後にした。
残されたのは剣心と薫、そして真田。真田はまだ、今十勇士達を見つめていた。剣心は何も言わず、薫の手を引いて走り出した。
「け、剣心!?」
何か言いたげに薫は声を上げるが、剣心の押し黙った顔を見て口を噤んだ。
剣心は真田を見て思ったのだ。真田にとってはもう、今十勇士達と共に闇の中へと戻るのが、ただ一つ残された彼の望みなのだ、と。
剣心は後ろを振り返らずに走っていく。だから剣心は知る由もなかった。真田が今十勇士達の亡骸を並べて横たわらせた後、満足そうに笑んで瞳を閉じたことを。
祈りの間の入り口は崩れ、真田達の姿はその中に飲み込まれた。
すべては戦火の中に、消えた。
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