<第三十二章:戦火に交錯する思い(中編)>


―――そこは、祈りの間だった。
空洞から差し込む日差しは、石壁に反射し青く淡い光となってそこにいる者達に降り注ぐ。無数の蝋燭と仏像が立ち並び、憤怒に溢れた、悲しみに満ちた、或いは慈愛を湛えた、そんな様々な顔を聖達に向けていた。
聖は圧倒され息を呑む。
空気が揺らめいた感覚がして、そして。
真田と望月が、忽然と姿を現した。
「真田・・・・」
「とうとう来たな。さあ、始めようか」
真田は不敵に笑む。どこか嬉しそうなのは気のせいだろうか。
刀を抜き放たなくとも、彼の鋭利な剣気は体中に痺れが走るほど伝わってくる。
「ここが、お前の選んだ最後の闘いの場・・・・というわけか」
柄に手をかけず、静かに問う剣心。
真田は目を細めた。
「俺が選んだのではない。選ぶなど、できようはずもない。俺にとって、これはすべて必然なのだから」
「・・・・・どういうこと?」
聖が訝しげに眉根を寄せる。
真田はふ、と笑んで二刀を抜刀した。長い刀身が、少しずつその姿を見せる。
「・・・・フッ。お前らを倒さねば、俺がこの世にいる意味が無い、ということよ」
剣心も柄をぎゅっと握り締め、抜刀の構えを取る。キッと鋭く、真田を見据えた。
「やはり、闘う以外、無いようだな!」
「おう!」
真田が目を見開く。その剣気は風のように辺りを吹き荒れた。二刀を構え、悠然たる態度で、けれど凄まじい威圧感を持って聖達を見下ろしている。
刀を構えながら、しかし聖は動けずにいた。一度敗れ、彼の強さは身を持って知っている。真田の間合いには迂闊に飛び込めない。だが飛び込まなければ、真田に攻撃を仕掛けることもできない。
互いに睨み合う膠着状態が続く。
緊迫感を破る声を上げたのは弥彦だった。
「どいつもこいつも、怖気づいてんじゃねぇよ! あんな奴、屁でもねーぜ!」
無茶な攻撃を止める間も無く、聖の横を弥彦はすり抜けた。そのまま真田に向かっていく。
弥彦は正面にいる真田に竹刀で打ち込んだ。けれどその時には、真田は望月と共に姿を消していた。次の瞬間、弥彦の横には真田がおり、前には望月がいた。
真田は刀を振り上げる。望月が、それに合わせるように手を動かす。
剣心はそれに気が付いた。
「フン!」
真田の攻撃を食らって弥彦は倒れた。とっさに竹刀で防いだためか、左腕に掠り傷を負っただけですんだ。
「弥彦君!」
聖と薫が弥彦に駆け寄った。弥彦は痛みを堪えて立ち上がる。平気そうに強気な表情を浮かべてみせる。
「イチチ・・・・な、何だこのくらい・・・・」
薫は心配のあまり弥彦を怒鳴りつけた。
「無茶しないで! 闇雲に向かっていって勝てる相手じゃないでしょ!」
「いや・・・・そうでもないでござるよ」
薫の言葉を打ち消したのは剣心だった。聖は目を丸くする。
「剣心?」
「少なくとも弥彦のおかげで・・・・真田の攻撃を見切れたようでござる」
「えぇっ? 本当に!?」
剣心は穏やかな顔で皆を見回すと、何も言わないまま真田と向き合った。
鯉口を切り、再び抜刀の構えを取る。
「本当かどうかは・・・・・試せば分かるでござる!」
剣心の十八番、抜刀術。その鋭い一閃は、真田を捕らえたかのように思えた、が。
「甘い!」
ふっと姿をかき消した真田は、剣心の横に立っていた。真田は刀を振り下ろす。だがそこに剣心の姿は無い。
「何っ!?」
後ろに飛び退いた剣心は、真田のすぐ隣にいた望月に刀を振るっていた。右胴に攻撃を食らい、意外そうに目を見開いて膝をつく。
一連の流れに、聖達は驚きを隠せない。
剣心は得心したように頷く。
「やはりそうでござったか。望月はお前の影。お前と共に行動し、協力をしていたのでござろう」
「え、それって・・・・・」
聖は下仁田の館での闘いを思い描いた。皆が皆、ことごとく真田に倒されていく。圧倒的な力の差に成す術もなく敗れ去った。それは何故か。どうして死角から攻撃を受けたのか―――。
「そうか・・・・・真田の技だと思ったのは、実は真田と望月の複合攻撃だったのか。だから一方的に不利になってたんだ」
「そうね。だって、知らずに二対一の闘いをしているようなものだもの!」
聖の言葉を薫が引き継ぐ。そう、彼らは真田と闘いながらも、実際は望月も含めて二人を相手にしていたのだ。二対一、しかもそれと知らずに闘っていたのでは、苦戦するのも当たり前だ。
「汚ねえぞ!」
弥彦が怒るのも無理はない。連携攻撃を見破られた望月は、くっと呻いて真田の側に下がる。
丁度その時、根津、穴山、海野の三人が焦った様子でその場に飛び込んできた。
「間に合ったか!」
「真田様、ご無事で!」
無傷の真田の姿を見て、根津と穴山がほっと胸を撫で下ろす。
「このまま、一斉攻撃をかけましょう!」
海野がそう言い、三人は真田の側に控え、臨戦態勢を取る。
「チッ! 面倒な事になりそうだぜ!」
二対一だったとはいえ、真田自身の強さが凄まじいことに代わりは無い。加えて四人の今十勇士。彼らが一致団結して向かってきたなら、左之助の言う通り面倒な事になりそうだった。
だが。
「・・・・いや、手出しはするな」
前に進み出たのは、真田、たった一人だった。
「十勇士を名乗っていても、こいつらは皆、食い詰め者に過ぎん。新しき明治の世は、こいつらには生きにくいものだった・・・・・」
今十勇士達を見遣って真田は言った。どこか、哀韻の響きがあった。
「真田様は、我らの祈りに答えて下さったのだ!」
「我らの悲願は、もはや真田様にしか成就させる事はできん!」
穴山と海野の言葉に、横浜で対峙した今十勇士を思い出した。
彼らも才蔵と一緒だ。もはや真田しか信じられず、今十勇士として生きるのが己にとってのすべてで。
剣心は無言で一歩前へ出た。望月が行く手を遮る。
剣心はじっと真田と今十勇士達を睨みつけた。はっきりと言い放った。
「悲願だと・・・・? 力で他者をねじ伏せる事でしか叶わぬ願いなど、願いではない! 欲望だ!」
過去の境遇、時代の流れ、そして本人にしか分からない辛苦―――それらが彼らをただの人間から、真田に絶対の忠誠を誓う今十勇士へと変えた。
真田の存在が、彼らにとっては紛れもない救いだったに違いない。今十勇士達は、皆、きっと。
真田に全てを賭けて、自分達が生きるに相応しい、戦国の世に引き戻そうと―――。
それでも、と聖は思う。
「あなた達にとって、今の世は確かに生きにくいのかもしれない。でも、だからって今の世を壊そうなんて間違ってる。
色んなことがあって、辛い目にあって、苦しんでるのはあなた達だけじゃない。自分達が苦しいからって、他の人達まで苦しめるなんてしちゃいけない! みんな、辛い事があっても精一杯、一生懸命生きてるんだ!
戦乱の後、やっと訪れた平和な世を、自分達の望む世の中じゃないから壊してやろう、だなんて、そんなの・・・・・・そんなの間違ってる!」
叫ぶように聖は言った。
今までに出逢った人達が教えてくれたこと、敵対した今十勇士達の思い、自分自身が経験してきたこと全部。
すべてをひっくるめた、自分の思うままの言葉を、聖は真田達にぶつけた。
しっかりと真田を見据える聖の目に、もう迷いは無い。強き意思を込めた真っ直ぐな瞳。
真田もその目をじっと見返す。しばし睨み合い、やがて真田はふっと息を吐いた。今十勇士達に向かって告げた。
「もういい、下がれ。今度は俺が・・・・・お前達の想いに応える番だ」
真田様、という響きが根津達の口から漏れた。真田は目を伏せて微笑を浮かべる。
「その祈り・・・・・無駄にはせん」
根津達三人は頷いて、黙ってその場から下がった。
剣心は振り向き、聖に言った。
「望月は、拙者が引き受けた。聖・・・・・真田はお主に任せるでござるよ」
「・・・・・!」
剣心は、聖のことを心から信じている、そんな限りなく優しく、力強い表情を浮かべていた。
聖が言葉を返せずにいると、弥彦が聖の肩を両手で掴んだ。
「そうだな。聖がやらなくちゃな・・・・。神爪の民の仇を取るんだ」
「え、でも・・・・・」
今まで皆で旅を続けてきたのに、自分だけで決着をつけてしまっていいものか。
そう思って戸惑った聖だったが、
「おう、行ってこい。こりゃあ、お前にしか終わらせられない闘いなんだからな」
「聖君なら、きっと大丈夫ですよ」
「剣心は・・・・いいえ、私達みんな、あなたを信じて任せるの。頑張って・・・・!」
左之助に宗次郎、そして薫も後押しした。
皆が自分のことを信じて、任せてくれている。
始まりは、東京での事件だった。正確に言うなら神爪の里が襲撃された時から―――いや、きっともっと以前から、この闘いは続いている。
それでも、聖にとっては、やっぱりこの一連の出来事は、彼らとの出逢いから始まっている。
楽しいことも、辛いことも、ずっと分かち合ってきた皆が、自分に託してくれている。
その思いを汲んで、聖は深く頷いた。
「うん・・・・・ぼくは真田と闘う。絶対に負けやしない!」
剣心は頷き、聖に何かを差し出した。それは、決戦の前日、恵から渡された薬だった。
「聖、これを飲むでござるよ。みんなの思いに応えるためにも」
聖はその薬を受け取り、一気に飲み干した。その途端、体中に力が湧いてくるような、そんな気がした。
剣心もその薬を飲むと、キッと望月に目を向けた。望月は忍者刀を持ち、静かに身構えている。
「さあ・・・・行くでござるよ!」
剣心は言うやいなや、望月に向けて一足飛びで斬りかかった。抜刀された刀身を、望月は軽い身のこなしでかわす。彼も忍びの者だったのだろう、掴み所のない動きで剣心を翻弄する。
剣心は一旦下がって間合いを取る。と、望月が剣心に話しかけてきた。
「確かに私は、お前の言う通り、真田様の影・・・・・・。だからこそ、負けるわけには行かぬ!」
望月は天に手をかざした。どこからともなく十数羽の大鴉が舞い降り、望月の周りを舞う。次の瞬間、すべての鴉が剣心に襲いかかった!
「雲霞烏!」
大鴉の影に紛れて、望月は剣心に斬り付けた。大勢の大鴉に飛びかかられ、体勢を崩していた剣心はその斬撃を不覚にも受けてしまった。とっさに体を捻ったため、深手には至らなかったが。
望月が剣心から離れ、大鴉達もまた彼の下へと戻る。
剣心は望月を静かに見据え、言った。
「拙者も負けるわけには行かぬ。聖がすべてに決着をつけ、更に前に進むためにも・・・・・」
初めて逢った時は、聖は酷く傷付いた瞳をした少年だった。まだ年端も行かぬのに、自分の居場所も行くべき場所も、すべて見失ったかのような。
再会し、共に旅をして、彼は少しずつ、けれど大きく成長していった。いつしか、かけがえのない仲間となっていた聖。いつの間にか、自分の力で踏み出せる、そんな強さを身につけていた。
それはみんなのおかげだと彼は言った。剣心は思う。聖と出逢えたことによって、自分達も多くのことを知り得ることができたのだ、と。聖に逢えて、本当に良かった、と。
「だから・・・・全力を尽くす!」
剣心は逆刃刀を鞘に収めた。抜刀術の構えを取った。
剣心が全力を尽くすと言った以上、考えられる抜刀術はただ一つしかない。
「飛天御剣流奥義・・・・」
「天翔龍閃!」
京都での闘いでそれを目の当たりにしている左之助と、実際にその技を受けた宗次郎がほぼ同時に声を上げる。
超神速の抜刀術、飛天御剣流奥義・天翔龍閃。
静かな剣気が剣心から放たれる。その只ならぬ雰囲気に何かを悟ったのか、望月もすっと構えを取った。
場を静寂が支配する。
先に仕掛けたのは望月だった。大鴉を飛翔させ、剣心に刀を振りかざす。
剣心も抜刀した。踏み込んだ。抜刀術の定石である右足ではなく、天翔龍閃の要たる、そう、左足を。
望月は目を見開いた。その時にはもう、逆刃刀が深く胴にめり込んでいた。勢いのままに、その体が宙に跳ね上がる。望月の体はゆっくりと落下し、地に叩きつけられた。
剣心は左足を踏み込んだ姿勢のまま、荒い呼吸を繰り返していた。
誰もが天翔龍閃の凄まじさに息を呑む。
「す・・・・凄い・・・・・」
聖は茫然と呟いた。話には聞いていたが、まさかこれ程凄いとは。薫と弥彦も呆気に取られている。
「やっぱり流石ですねぇ。天翔龍閃」
宗次郎が感心した風に言う。その破壊力を一度味わってはいるが、あれなら自分が競り負けたわけだと改めて納得する。
「ふぅ・・・・・・」
剣心は大きく息を吐くと、すっと身を起こした。ゆっくりと聖に近付く。
ぽん、とその肩を叩き、穏やかな笑みを向けた。
「聖。後は任せた!」
「うん!」
もう迷わない。躊躇わない。
自分のために全力を尽くしてくれた、彼の思いを無駄にしないためにも。
聖は前に進み出た。
真田もまた、感覚が麻痺して動けない望月を今十勇士に下げさせ、自らが前に出て聖と対峙する。
「そうか・・・・お前は神爪の者か。では来るがいい。お前にはその資格がある!」
真田は二刀を抜き放ち、同時に雷鳴のような激しい剣気が辺りに迸った。
聖にはそれが痛い程に感じられたが、もう恐れたりはしなかった。力強い澄んだ真っ直ぐな目を真田に向け、神爪の刀を抜く。
正真正銘の最後の闘いの幕が、切って落とされようとしていた。










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