<第三十一章:戦火に交錯する思い(前編)>
最終決戦の地は、険しい石岡の山を越えた先にある、石岡の洞窟だった。
入り口には青白い光沢を放つ石柱が何本もそびえ立ち、幻想的な雰囲気も漂わせている。
中に足を踏み入れると、人工的な洞窟内部の様子が無数の蝋燭の明かりに照らされて浮かび上がっていた。曼荼羅があちこちに掛けられ、ある種の異様な空気を醸し出していた。
「すごいね・・・・」
漠然とそう感じ、聖はぽつりと言葉を漏らした。今までにも感じていた今十勇士の執念、そのすべてがこの洞窟内に集結しているように何故か思えたからだ。
六人は燭台の並ぶ通路を進んでいく。床に円形の曼荼羅が描かれたその場所に足を踏み入れた時、見計らったように奥からあの根津が現れた。
「てめえら、よくもこんな所まで来やがったな!」
腹立だしげに根津が言い放つ。彼は事の発端とも言える東京の事件の首謀者だ。それを聖達に阻止され、神谷道場に襲撃した時も敗戦を喫している。
そして今、こうして聖達が本拠地にまで乗り込んできた。根津には彼らが忌々しくて堪らないのだろう。
「てめえこそ、しつこい奴だぜ!」
「うるせぇ! これ以上行かせねぇ!」
弥彦の言葉に根津は更に声を張り上げ、刀を抜き放った。そのまま左之助に突進していく。
「上等! こいつは俺に任せな!」
左之助は右手の拳を左手の掌に打ちつけながらニッと笑った。皆を後ろに下がらせると、根津と真っ向から向かい合う。
「ウオオオオォオオッ!」
凄まじい気迫の篭もった根津の第一撃をかわす。根津は怯まずに横薙ぎに刀を払う。
左之助の胸がピッと薄く斬り裂かれる。
「前よりやるじゃねぇか」
そう言いながらも、左之助は余裕の表情だ。それが根津の癪に障る。根津は次々に攻撃を繰り出してきた。所々左之助の体に掠るものの、決定的な傷は負わせられない。
「赤狗!」
中段の技を繰り出す根津。けれど左之助はその技が決まる前に、根津の刀を持つ手に拳打を打ち込んでいた。走る痛みに刀を取り落とす根津。その隙に左之助は、がら空きになった根津の体に轟乱打を打ち込んでいた。
重い拳や蹴りを浴びながらも、根津は何とか踏み止まっていた。しかしよろよろと後退し、壁に背を預けると、ただ茫然と呟いた。
「か、勝てねぇ・・・・・」
悔しそうに呻く。
「俺達の夢が・・・・・・」
「夢だと? 他人をぶっ潰してまで叶えてぇ夢なんざ、認められねぇな」
根津達今十勇士のやり方がどんなものか知っている。だからこそ、根津のその夢は、とても”夢”とは言えなかった。
けれど根津にとっては、それは夢以外の何物でもなく。
吐き捨てるように彼は言った。
「・・・・てめえらなんぞに何が分かるってんだ。俺の親はなぁ、幕末の戦に巻き込まれて死んじまった。それから俺は、一人で生きてかなきゃなんなかったんだ・・・・」
「同情はしないぜ。俺の父上だってそうだったんだからな」
弥彦ははっきりと言う。それはそうだろう。あの激動の幕末、そうして家族を失った者がどれだけいることか。
根津とてそれは分かっている。分かっては、いるが。
「俺の親は侍でも何でもなかった。運が悪くて巻き込まれちまっただけさ・・・・。だが、今更恨み言があるわけじゃねぇ。今のこの国が、それ程の犠牲に値するほど素晴らしいもんにゃ思えねぇだけだ・・・・」
「・・・・だから、真田達の仲間になった、ってこと?」
確かめるような聖の問いに、根津はふんと鼻で笑う。
「真田様が俺達を集めたんじゃねぇ。俺達が真田様を求めたんだ・・・・・」
「え?」
どういう意味だろう、それは。
そう思ったのは聖だけではないようで。
「どういう意味だ!?」
弥彦が率直に聞く。根津は目を閉じて口の端を吊り上げると、ばたりとその場に倒れ込んだ。
気絶したわけではないが、顔は相変わらず、皮肉気な笑みを浮かべたままだ。沈黙が落ちる。
「これ以上、話す気はねぇようだな」
左之助の言葉に剣心も頷く。きっともう、何を言っても言葉は返って来ないだろう。
「行こう」
聖達は根津をその場に残し、先へと進んだ。
石造りの階段を上ると、不動明王像の立ち並ぶ広間へと出る。
待ち受けていたのは、穴山と小糸だった。こちらの二人とは、茂原の森以降の久方振りの再会となる。
「来たか。待ってたぜ」
槍を構え、ずんと前に立ち塞がる。小糸もまた鉄扇を手に、無言でこちらを睨みつけている。
「またてめえらか。何度来ても俺達にゃ勝てねぇぜ」
「ほざけ、若造が!」
左之助の言葉に穴山がカッと目を見開く。そのまま弥彦に目線を移した。
穴山は弥彦に一度倒されている。あんな子どもにやられるとは、と穴山は悔しくて悔しくて仕方がなかった。今度こそ、とばかりに槍の先を弥彦に向ける。
「俺の相手はお前だ、このガキが!」
「ああ、受けて立つぜ!」
弥彦も竹刀を構え、穴山と対峙する。その横では小糸が、薫に目を向けていた。
「前と同じく・・・・私はあなたの相手を致しますわ」
「望むところよ!」
薫も威勢良く言い放つ。穴山と弥彦、薫と小糸、因縁の闘いが始まろうとしていた。
「行くぜ!」
真っ先に仕掛けたのは弥彦だった。穴山の槍は長柄武器、間合いが長い。だからこそその攻撃が来る前に間合いに飛び込む!
「ぐっ!」
弥彦の突きを腹に受け、穴山の体が傾ぐ。しかしその程度で倒れる穴山ではない。
「がああぁっ!」
槍を振るった。柄の部分が弥彦の体に迫る。弥彦は即座に竹刀でそれを受け止めた。しかし力負けして軽いその体は払い飛ばされてしまう。
それでも弥彦はすぐに立ち上がった。振り下ろされた槍をすばやくかわし、もう一度突きを叩き込む。突きは元々強力な殺人技、竹刀ではそこまでの殺傷力は無いにしても、同じ部分に打ち込めばそこに受ける衝撃はかなりのもの。
体が崩れ落ちかけた穴山に弥彦は更に巻き抜け面を打ち込み、勝負を決めた。
「・・・・強くなったな、弥彦」
剣心のその言葉に、弥彦は照れくさそうにへっと笑う。自身が憧れ、目標としている彼にそう言われたことが、何より彼に近付くための第一歩だから。
「―――っと、そう言や、薫は?」
「まだ闘ってますよ」
宗次郎が示す方向を見ると、薫はまだ小糸と攻防を繰り広げている。鉄扇はかなりの重さがあるというのに、それを軽々と振り回す小糸。薫はそれをかわすか竹刀で受け止めるかして捌いている。
ひゅっと小糸が鉄扇を振るった。薫は竹刀でそれを弾く。きゅっと柄を握り直し、その柄で喉笛を突いた。小糸は目を見開き、膝をつくとごほごほと咳き込んだ。
苦しげな呼吸を繰り返す小糸を見て、仰向けに倒れていた穴山は茫然と呟いた。
「もういい、小糸。こんな奴らに、二度も負けるなんて・・・・」
「あ・・・・穴山様・・・・・」
小糸がようやく掠れ声で言った。穴山はぼんやりと虚空を見上げている。
「夢を・・・・見たかっただけなのに・・・・・なぁ」
また”夢”。しかしそのために、彼らは多くの人々を苦しめてきた。
「そのために罪も無い人を苦しめるなんて・・・・許せないわ」
怒りを滲ませる薫に、穴山は何かを確かめるような口調で言葉を返した。
「罪も無い人・・・か。それならお前らは何を以ってして罪と呼ぶのだ?」
「えっ・・・・?」
思いがけない問いに聖が言葉に詰まる。聖が考え込む前に、穴山は話を続けた。
「俺は幕末の頃、とある討幕派の藩主の警護をしていた。どんな時でも主と行動を共にし、普通の侍のような公務も持たずに・・・・な。そして幕府が倒れた後、俺は放り出された。政務もこなせぬような男は、この先の新時代にはいらぬとよ」
「そんなこと・・・・本当に?」
薫が戸惑った風に聞き返す。
剣心は何も言わず穴山をじっと見ていた。あの混乱の時代、命を掛けて主君に仕えた者がどれだけいたか知っている。仕えた主君に裏切られ、絶望した者がどれだけいたか知っている。そして新時代ができた後、闘うことしか知らぬ者が、どれだけ自分の居場所を求めているのかも。
そう、たとえばあの四乃森蒼紫がそうだったように。
『我らは皆、この明治の世に弾き出された半端者よ』
かつての今十勇士、幸吉の言葉が頭をよぎる。
「主のために命を投げ出し、守ろうとしてきたのが罪か。賢しく立ち回り、自分の生き延びる術を考えなかったのが罪なのか。だから俺は、この新時代に取り残されたって言うのか?」
「それは・・・・」
聖は何も言えなかった。彼が言っているのは罪ではないと、聖は思う。それで時代に取り残されたとも言えないと。
それでも、何も言えなかった。
「・・・・取り残されたって、そこで生きるって方法もあるだろうが」
左之助の言葉に、穴山はふっと自嘲的な笑みを浮かべた。
「・・・・そうかもしれん。だが、俺の生きてきた理由が・・・・・俺が命を掛けたものが消え失せた途端、どうでも良くなっちまってなぁ。俺は、所詮生きた盾くらいに思われてただけなんだろうな」
「で、でも・・・・」
薫は何か言葉を探しているようだった。穴山がそれを制す。
「ああ、もう何も言うな。俺はもう動けねぇ。先に行くなら、行くんだな」
「てめぇ・・・・」
左之助は何かを言い掛けたが、やめた。
「・・・・分かった。行こうぜ」
聖は少し戸惑いつつも、頷いた。穴山も根津と同様、これ以上何も喋る気も無ければ、何かを言われたくも無いのだろう。
一向は奥へと続く長い通路を行く。ずっとずっと進んでいくと、またも見知った男が行く手を阻んだ。
「ここは通さん!」
「あなたは、左近児君の・・・・」
聖は呟く。そう、彼は海野だった。
海野はふふんと鼻で笑う。
「まだあのガキのことを気にしているのか。あんなガキ、ただの手駒に過ぎんと言っただろう!」
「・・・・・・・」
宗次郎が無言で前に進み出る。穏やかな微笑を浮かべ、けれど瞳は普段は見せない鋭さで海野を見据えている。
「あなたの相手は僕がします」
木刀を構いかける宗次郎、しかし海野がばっと両手を前に出した。右手には拳銃、左手には炸裂弾を持っている。
「動くな! 少しでも動けば、後ろの奴らは吹っ飛ぶぞ!」
海野は小賢しい笑みを浮かべる。後ろの仲間達を人質に取り、相対する者の動きを止める。更にそうしておいて、拳銃で確実に葬り去るつもりなのに違いない。
「相変わらずのやり方ですね」
溜息を吐く宗次郎は少しも動じてはいない。柄を握る手に力を込める。
「動くなっ! 仲間がどうなってもいいのか!?」
海野は引き金に指を掛ける。それでも宗次郎は動じない。聖達にも動揺は見られない。
海野は焦りの色を浮かべる。
確かにこいつの速さは下妻町で見ている。だが、まさか拳銃の弾より速いなんて、そんなこと、あるはずが無い!
引き金を引きかけた海野の目前で、宗次郎の姿が消えた。次の瞬間、海野は仰向けで倒れていた。
何が起こったのか分からなかった。ただ胸に強い痛みを感じていた。
茫然とする海野に、宗次郎はただ一言。
「僕の縮地を甘く見ないで下さい。これでも二歩手前なんですから」
二度目の溜息はごく軽い。表情もあっけらかんとしたものに戻っている。
海野はやっと己の敗北を悟ったのか、悔しそうに呻いた。
「ま、またしても・・・・!? く・・・・私のこの頭脳が活かしきれない世など・・・・・」
「頭脳で人は動かん。人を動かすのは心でござる。それが分からぬ者の策に、世がついていくわけは無い」
海野に皆まで言わせず、剣心は静かにそう述べた。
海野は、やはり自嘲気味に笑った。
「フン・・・・笑わせる。私は”草”だ。普通の人間に混じり、情報を集める役目を負った忍びだったんだよ。戦が終わり、幕府が倒れ・・・・不要になって、命を狙われるようになるまでは」
「・・・・・”草”?」
忍びではなかったけれど、境遇がちょっと志々雄さんに似てるな、と宗次郎は思った。
「自分で言うのも何だが、私は有能な”草”だったよ。だからこそ・・・・狙われたのだろう。知り過ぎたのだ・・・・・色んなことを」
機密を知り過ぎれば、それだけでその者は危険な人物となる。そうして消された者も幕末には大勢いたことだろう。
あの時代に思いを馳せ、剣心の胸がしんと冷える。
「知っているだろう、筧という男を。あいつも私と同じ”草”で、同じように追われた。あの右手は追っ手との闘いで失ったのさ。
私達は追い詰められていた。この手で守ろうとした者に!」
海野の憤りがすべて放出されたかのようだった。目は血走り、拳もぐっと握り締めている。
「だ、だからって・・・・・戦乱の世に引き戻そうなんて!」
戸惑いながらも言った薫に、海野はぎんと強い眼差しを向ける。
「今、こうして成立している世界は、我らの仲間や敵の屍の上にあるのだ。それを愚かな民どもに思い知らせてやるのが、何故いけない!?」
「そんなの、単なる嫌がらせじゃねーか!!」
弥彦の突っ込みは的確である。
剣心が前に進み出て、静かに、だがしっかりと海野に告げた。
「やっと戦が終わり、平和に暮らせるようになった人々も大勢いる。その者達の小さな幸せを、壊すことは絶対に許さぬ」
海野はじっと剣心を見ていたが、やがて吐き捨てるように、言った。
「所詮、お前らに・・・・・我らの苦しみは分かるまい・・・・・」
「分からないわ。分からないけど・・・・・苦しむ人が増える世界なんて、選んじゃいけないのよ」
薫の言葉に、ふっと海野は笑った。
聖は、お前らとは分かり合えないさ、と海野が言ったような気がした。
「・・・・・・行くでござる」
六人はその場を離れ、また奥へと進んだ。
歩きながら聖がぽつりと言った。
「・・・・今十勇士達も、色んな辛い過去を抱えてるんだね・・・・」
根津、穴山、清海、伊三、海野、筧、幸吉、由利、才蔵、望月。
彼らはきっと、それぞれが違う苦しみを持ち、やり切れない思いを抱え、今の世を憎み、そして今十勇士となったのだろう。
けれど。
「それでも、やっぱり負けられない・・・・・!」
すべてに決着をつけるために。立ち止まるわけにはいかなかった。
「ああ、行こう!」
剣心もはっきりと言い放つ。
この洞窟の最奥まで、あと僅か。
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