<第二十九章:それは、雷鳴にも似て>



瞳を閉じ、才蔵は思う。
自分は、今十勇士の”才蔵”なのだ、と。
本名など、過去などとうに捨てた。虐げられた弱い自分など、要らなかった。
自分は強い。力がある。そしてそれを、認めてくれた人がいる。その人が、今の自分にとってのすべてだ。
『待っている』と政吉は言った。多分、自分を信じてくれた伯父。それを裏切ってしまった自分。殺してしまった自分。
胸の奥が痛んだ気がした。けれどそれも気のせいだと才蔵は思った。いや、思わずにはいられなかった。
何故ならもう、今の自分はそんなことに痛みを感じはしない。今十勇士の才蔵となったその時から、その存在として生きることを決めたのだ。今までの自分を何もかも捨てて。
ゆっくりを瞼を上げる。脳裏に浮かぶのは、あの真田の姿だ。ただ一人、忠誠を誓う人。才蔵がすべてを賭けた人。
だから。
「私は、今十勇士の才蔵・・・・・私が忠誠を誓うのは、真田様のみ。今度こそ、あの者達を・・・・・!」
才蔵は言った。どこか、祈りを捧げる言葉のように。







政吉の亡骸を葬るため一度横浜に戻っていた聖達は、彼を埋葬し終えると、再び街道へと歩を進めた。
また才蔵が待ち受けているのに違いないと、聖には妙な予感があった。
あの時は彼を止められなかった。自分達の言葉が届かない程に、政吉の命をかけた説得も意味を成さない程に、才蔵は今十勇士に固執している。
闘いは避けられない。
聖のその思いに呼応するように、前方の道、才蔵がゆっくりと姿を現した。既に天女の幻獣を何体も引き連れている。
「また幻獣かよ。しつっこい野郎だぜ」
左之助が魚の骨を吐き捨てながら言うと、才蔵も隈の浮いた顔で不敵に笑む。
「何とでも言うがいい・・・。これが、私の持てる力のすべてだ!」
天女が風のような速さで飛翔し、聖達に突進してくる。第一撃をかわして反撃に転じながら、聖はおや、と思った。
才蔵の様子がおかしい。
自身が闘うわけではなく、幻獣を繰り出す以外は何もしていないのに、何故か才蔵は激しく疲労している。脂汗をかき顔はやつれ、けれど瞳だけが燃えるような鋭い光を浮かべている。息も浅く、苦しいのか胸を押さえていた。今までの闘いでは、そんなことはなかったのに。
「・・・・・・?」
聖にはそれが気にかかったが、そんな隙にも天女は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。身を低くして避け、蹴りを放つ。天女には確実に当たったのに、あまり痛手にはなっていないようだった。一撃では駄目だ。だったら。
聖はぎゅっと柄を握り直した。向かってくる天女の攻撃を弾き、すかさず斬撃を叩き込む。一撃や二撃ではない、聖自身にも数え切れないほど何度も。そうして聖の乱打を食らって怯んだ天女に、彼は更に火薬を投げつけた。
千手の型をまともに受けた天女は、悲鳴を上げて消滅した。
聖はふうと息を吐く。見ると、剣心達もそれぞれ天女を倒し終えたようだった。
「私の・・・・幻獣が・・・・・」
天女達が倒されたのを目にして、才蔵がよろよろと後退する。
けれど彼は血走った目で聖達を睨みつけると、ばっと左手をかざした。手の先に天女の姿がぼんやりと浮かび上がり―――けれどそれは、形にならないまま消えた。
「く・・・・・っ」
才蔵は悔しそうに呻き、がっくりと膝をつく。息が荒い。やはり様子がおかしい。
近付きかけた聖を、しかし才蔵は制した。
「私は今十勇士の才蔵・・・・・敵の情けは受けん!」
「・・・・・っ」
聖は息を呑んだ。それ以上動けなかった。何人たりとも近寄りがたくする気迫が、才蔵から伝わってきたので。
才蔵は聖達に背を向けると、地に平伏した。
「真田様・・・・申しわけ・・・・ありま・・・・・・」
言葉の途中で、才蔵はどさりと横に崩れ落ちた。それからはぴくりとも動かなかった。
ごくり、と誰かの唾を飲む音が聞こえた。
「・・・・・し、死んだのか?」
弥彦が愕然と呟く。動かない才蔵を真摯に見つめながら、剣心は静かに言葉を紡いだ。
「幻術には、凄まじい精神力を必要とするはずでござる。恐らく、しばらく前から極限状態だったのでござろうな・・・・」
刀を鞘に納め、剣心は目を伏せた。
どこか物寂しげに、薫も誰にともなく言った。
「そこまでするなんて・・・・・・この人には、今十勇士にしがみつく以外、生きる道はなかったのかしら」
誰も何も答えず、沈黙が落ちた。
薫の言葉に聖は同感だった。才蔵が今十勇士にこだわっているのは知っていた。それでも、ここまでするなんて。
本当にこの人には、今十勇士にしがみつく以外、生きる道はなかったのだろうか。
「・・・・多分、そうなんじゃないかな」
そう言ったのは宗次郎だった。笑みの無い穏やかな顔で、じっと事切れた才蔵を見据えている。
「宗次郎さん、」
「きっと才蔵さんは、真田って人をすごく慕っていて、今十勇士として生きるのが自分にとってのすべてで、」
そこで一度、宗次郎は言葉を切った。
「僕、何となく分かる気がする・・・・・」
ぽつりと漏らされた思いは、心底本音だっただろう。宗次郎が誰と何を思い出しているのかは、剣心にはすぐ分かった。
以前の宗次郎にとって、志々雄は絶対の存在で、弱肉強食の理念がすべてで。それのみを頼りに生きてきた自分がいるから、立場や思想は違えど同じように生きてきた才蔵の、その気持ちが何となく分かる。
決別はしても、忘れたわけじゃないから。
懐かしい気持ちが甦って、宗次郎は少し、微苦笑を浮かべた。
「・・・・・・・」
聖は何も言えずに才蔵を見た。敵を討てずに心残りだったろうが、今十勇士としての生き方を選んだことに、才蔵は恐らく後悔していないに違いない。宗次郎の言ったことは当たっているのだろうと、聖も何となく思った。
ぼんやりと才蔵を見遣っていた聖だったが、けれどその目は驚きに見開いた。突如、望月が才蔵の側に現れたので。
「!」
ざっと聖達は身構える。望月は仕掛けてくるのではないのかと、刀に手を伸ばしかけた聖だったが。
望月にその気配は無かった。一瞬聖達に目をやると、即座にその目線を才蔵に戻した。そうして才蔵の亡骸を抱えると、望月はそのまま森に溶け込むように消えた。
「な、何だ、アイツ・・・・・」
弥彦が拍子抜けした風に呟く。
「どうやら、今はぼく達とやり合う気は無いみたいだね・・・・」
聖は先程まで才蔵と望月のいた場所に歩いていった。身を屈めて落ちていた割符を拾い、皆に見せた。
「割符!」
「恐らく、才蔵の物でござろうな」
「そうだね」
頷きながら、聖は割符を見た。記されていたのは一箇所。下仁田の森。今の道をずっと北上していけば行けるはずだ。
「ここに行けば、首領の真田達の所に行けるのかしら」
「決まってらあ、早く行こうぜ」
思案顔の薫に、弥彦は即決で言葉を返す。
聖が剣心を見ると、剣心もまた真剣な顔で聖を見つめ返し、頷いた。
「行こう!」
最後の闘いは近いかもしれない。
そんなことを感じつつ、一行は下仁田の森に向けて歩き出した。そうして半刻程の後、聖達はそこに辿り着いた。










大きな沼の側に下仁田の森は存在していた。襲い来る雑兵達を倒しながら、聖達は奥へ奥へと進む。
空を覆う雲は更にその厚さを増し、太陽を完全に隠してしまっていた。薄暗い空は森の中を更に重く染め上げ、不気味な雰囲気を醸し出している。けれど聖達はそれに怯むことなく、更に奥へと向かった。
そうして彼らが見た物は、森の中に荘厳と佇む洋館の廃墟だった。
見上げる聖はぐっと拳を握り締める。多分、ここに首領の真田がいるはずだ。
「油断はならぬでござるよ。恐らく、逃げた今十勇士達も真田の下へ戻っているはずでござる」
剣心が皆を見回してそう言い、彼らは頷くことでそれに答えた。
緊迫感が辺りを包む中、聖がぐっと扉を引いた。扉はゆっくりと,しかし呆気なく開き、六人はそのまま洋館の中に足を踏み入れた。その途端。
外は嵐が吹き荒れ、雷鳴が轟いた。
聖達は思わず無言で立ち尽くす。
「・・・・・・大歓迎ってわけかい」
ようやく、左之助が皮肉交じりにそう言った。
「これって・・・・・偶然だと思う?」
「あ、当ったり前じゃねぇか! 化け物だって、単なる目くらましだったんだ。今十勇士なんて、普通の人間に決まってらぁ」
薫の言葉に、あくまでも強気の弥彦。
確かにタイミングは良過ぎた、入った瞬間に空模様が荒れるなどと。元々天候は良くなかったのだから、偶然という言葉で片付けようと思えば幾らでも片付けられる。けれど―――。
剣心の目は鋭さを帯び、雨音と雷鳴が止まぬ外を凝視していた。
「・・・・とにかく、先に進もう」
聖は皆を促した。考えていても埒が明かない。今はただ進まなければならない。
灯りなどは無い室内だったが、引っ切りなしに響く雷鳴のおかげで明るい。六人は各部屋を探索しながら進んだが、人影は不思議なことにまったく無かった。
しかし一階の奥、二階へと続く階段を目前にしたところで、聖は敵の気配に気付き身構えた。けれどそれは人間ではなく。
「・・・・・鴉?」
普通の鴉よりずっと大きいその鴉は、日光の南里家で見たのと同じように思えた。けれど違うのはその数。一羽だけではなく十何羽も、群れを成して聖達に襲い掛かってくる。
「うわっ!」
「何なんだよこいつら!」
鋭い嘴と爪で容赦なく聖達を傷つける。人間とは違う野生の動きに聖達は翻弄される。身を庇う腕に何本も赤い筋が走った。恐らくこの鴉達は今十勇士の手駒に違いなく、たかが鳥と侮ってもいられないだろう。
「動物を苛めるのは気が引けるけど・・・・っ」
それでもここを突破しない事にはどうしようもない。
聖は刀で鴉を払い落とした。次に襲い掛かってきた鴉は横薙ぎに拳を打ち付ける。そうして何羽かの鴉を倒し、ふと気がつくと辺りには黒い羽が散乱していた。当然それに混じって大きな鴉が十何羽もピクピクしている。
「げ。」
稲光に照らされ、正直ちょっと見たくない光景がはっきりと目に入った。廃墟にもぞもぞと蠢く多くの鴉達・・・・・見ていて気持ちのいいもんでもない。しかも天気は雷。
「何だかなぁ・・・・・」
「仕方ないよ。襲ってきたのは向こうだしね」
肩についた鴉の羽を払いながら宗次郎が言った。見れば聖自身も含め、皆の髪や着物は散々突付かれてよれよれになっている。薫は髪を結い直しているくらいだ。
「行くでござるよ。もう追撃は無いようでござるしな」
真っ暗な階段を聖達は駆け抜けた。その先に敵の姿は無い。
廊下を叩くカツカツという足音が響く。雷はまだ止まない。この廃墟のすぐ側に落ちたその光に照らされ、二階の中央、大きな扉が照らされた。
再び聖がゆっくりと引き、開ける。中では鴉が飛び交っていた。
「な! またかよ! しかも何だアイツ・・・・!」
竹刀を構えながら弥彦が睨みつけたのは、多くの鴉達の中心にいる一番大きな鴉だった。ただでさえ他の鴉達は大きいのに、中心にいる鴉はそれらより更に大きかった。
「今までの鴉とは違う! 気を付けるでござるよ!」
剣心が抜刀しながら言うやいなや、鴉達が皆に飛び掛ってきた。先程のようにそれぞれが応戦する。
最後に、大鴉を聖が偉駄の型で仕留めた。
「や、やった・・・・・?」
累々と横たわる鴉達の上に力無く落ちる大鴉。しかし一声上げて起き上がったかと思うと、ばっと身を翻して逃げ出してしまった。
奥の開け放たれた扉の向こう、暗黒の空間へと。
「追いかけよう!」
聖達は大鴉を追って扉を抜けた。
その瞬間、奇妙な現象が六人を襲った。
足下が揺れる感じがして、真っ逆さまに落ちていく。いや、落ちているのは確かなのだが、いつまで経っても底が無い。
そうしてようやく底に着いた後も、方向感覚が戻らず、頭がくらくらした。
どこだろう、ここは。
細かな光が散りばめられたその空間は、聖達は知る由も無かったが、宇宙の光景に似ていた。
「な、何だ!?」
「どっちが上だか下だか、分からないわ!」
弥彦と薫が困惑した風に辺りを見回る。
「二人とも、落ち着くでごさる!」
剣心が二人を諫めている。その声を聞いて、聖もすうっと落ち着いてきた。
そして感覚を研ぎ澄ます。
「これも相手が仕掛けた罠か何かなんじゃないですか?」
「そうだぜ、こんな目くらまし、もう俺達にゃ効かねーんだよ!」
宗次郎と左之助の言う間に、聖は胸元から小柄を取り出していた。そして不穏な気配を色濃く感じる、空間のある一点に投げつけた!
硝子の割れるような音がしたかと思うと、辺りはふっと普通の洋間になった。赤い絨毯が敷かれ、大きな窓には重そうなカーテンが掛かる広い部屋。
高価そうな机が置かれ、滑らかな光沢を放つ革張りの椅子に真田は腰掛けている。その後ろに控えるように望月、その横には、聖が放った小柄によって砕かれた硝子容器の破片が散らばっていた。
「ふ、普通の部屋になった・・・・?」
薫が目をぱちくりさせる。その隣で左之助が真田と望月に吼えた。
「なめやがって。いつまでもそんな幻術もどきが効くと思うなよ!」
望月がチッと舌打ちをして後ずさった。真田は穏やかに笑む。
「フッ・・・・・臆すな、望月」
真田は立ち上がり、部屋の中央へと進み出た。
それだけのことなのに、聖の背に悪寒が走った。才蔵の前に現れた時にも感じていたこの男の威圧感、それがその時より更に聖に迫ってくる。まるで、睨まれただけで一歩も動けなくなるような。
(強い・・・・・!)
本能で聖はそう感じ取っていた。
「お前らなら、ここまで辿り着くと思っていた・・・・・」
低く、重みのある声で真田は言った。
どういう意味だろう。聖がそれを掴みきる前に早く、弥彦が言い放った。
「覚悟しやがれ! てめえらのインチキは、もう通用しないんだからな。何が今十勇士だ!」
肝の据わったその言葉に、真田は満足したようにくっと笑む。
「ククッ・・・・・そうか。ならば通用するかしないか、自分達で確かめるがいい!」
真田が刀を抜き放った。通常よりも刃渡りが長い長尺刀、しかも二刀流だ。
振るった剣圧が風となって聖達に叩きつけられた。
「な・・・・っ!」
「来るッ!」
剣心も逆刃刀を抜刀し身構える。
こんな剣気は初めてだった。鋭く、重く、雷のような激しさを持ちながら、それでいて水のように穏やかな。
真田の刀が一閃した。聖は間一髪のところでそれを避けた。勢いの止まらぬ真田の一撃は、床を見事に深く切り裂いていた。
再び、聖の背にぞっとしたものが走った。今まで感じたことが無い感覚だった。指先が震える。体が動かない。・・・・・怖い・・・・・!
「馬鹿! ボーっとしてんじゃねぇ!」
腕をぐいと引っ張られる感覚に聖は我に返った。尻餅をつき、すぐにハッと起き上がると、先程まで自分がいた場所に真田の刀が突き立てられていた。
聖は隣にいた弥彦を振り返った。彼が自分を助けてくれなかったら、今頃まともに攻撃を受けてしまっていただろう。
「あ、ありがとう、弥彦君」
「気にすんな。それより、怖ぇのは分かるが固まってる場合じゃねぇだろ?」
「・・・・弥彦君は、怖くないの?」
聖はきょとんと弥彦を見た。言ってから気が付いた。
弥彦も、震えている。
「・・・・・怖いさ」
けれど竹刀の柄はしっかりと握ったまま。
何故か攻撃を仕掛けてこず、こちらをじっと見ている真田に目を向けて。
「でも、今はそんなことは二の次だ。何のために俺達がここに来たんだよ。あいつを止めるためだろ。俺達がやんなきゃいけねぇんだ、ここまで来ちまったからにはな。
あいつと今十勇士を止める。そのためには、怖いなんて言ってられっか!」
聖は半ば茫然と弥彦を見た。ただ単純にすごいと思った。自分よりも幼いのに、だからこそ彼の方が怖いに違いないだろうに、なのにどうして彼はこんなにも力強い言葉を言えるのだろう。
「よーっし、弥彦、よく言ったぜ! それでこそ男だ!」
「ぅわっ!?」
左之助ががしがしと弥彦の髪を撫で回す。左之助は弥彦が恐怖を跳ね返してそんな立派は台詞を吐いたことが本当に嬉しいようだったが、頭をかき回される弥彦は迷惑そうな表情だ。
「何すんだよ左之助〜・・・・!」
「気にすんな。それより、聖!」
「は、はいっ!?」
いきなり話の矛先が向けられて、聖は思わずびくっとする。
「いつもの威勢はどうした。弥彦の言葉を借りるわけじゃねーが、俺達は何のためにここに来たんだよ。
お前、いつも言ってたじゃねーか。今十勇士を止める、って」
「あ・・・・・・!」
聖はハッとした。そう、先程弥彦が言っていたが、それは他ならぬこの自分が、ずっと言い続けてきた言葉じゃないか。
やっとここまで来れた。なのに恐怖に震えていてどうする? せっかくここまで来れたのに、自分は今までの旅もその途中で出会った人達の思いも、全部無にするつもりなのか?
何より、行き場を失っていた自分を支え、共に歩んでくれた仲間達も。
「そうだね・・・・うん、左之さんや弥彦君の言う通りだ」
聖の瞳に力強い光が戻った。
「ぼくは、今十勇士を止める!」
抜刀した刃が煌めく。
勇気を振るい起こした聖に、左之助も弥彦も、勿論剣心に薫、宗次郎もほっとしたような表情を見せた。
「フ・・・・話は終わったか?」
黙って聖達を見据えていた真田が、一歩前に踏み出した。
相変わらずの彼の重圧を感じる。けれど聖は、もうそれを恐れたりしなかった。
刀を構え、真っ直ぐな瞳で真田を射抜く!
「ぼくは、あなたを止める!」
「止められはせん!」
真田が袈裟懸けに斬り付けてきた。刀で受け止める聖、しかし反対からもう一振りの剣筋が延びる。
刀を弾き返し、さっと第二撃をかわす聖。息を吐く間も無く、更に真田の刀が振り下ろされる。聖は次々に繰り出される真田の斬撃を防ぐのが精一杯で、攻撃に移れない。
(くっ・・・・・何て強さだ、隙が無い!)
一度身を引き、飛び退いて間合いを取る。
浅い呼吸を繰り返す聖を見て、真田は息一つ切らさずにニッと笑った。
「やぁぁぁっ!」
「覚悟ーッ!」
ひゅっと聖の両脇を風が吹き抜けた。
弥彦と薫だ。二人はほぼ同時に真田に向かっていく。薫は上段を、弥彦は下段を攻める。聖が不利と見て、二人は加勢に入ったのだ。しかし。
真田は左の刀で薫を、右の刀で弥彦を、それぞれ柄で鳩尾を深く突いた。二人は目を見開いてその場に崩れ落ちる。
「弥彦君! 薫さん!」
二人とも苦しそうに呻いている。横たわる二人に、真田はすっと刀を振り上げた。
「や・・・・・やめろッ!」
聖はダッと床を蹴り、一瞬で真田の懐に飛び込んだ。間髪入れずに那托の型を放つ。そう、平八郎直伝の強力な中段技だ。それは確実に真田に入ったように思えた。だが。
「!」
真田がたじろいたのはほんの一瞬で、それどころか笑みを浮かべたかと思うと、振り上げたままの刀を聖めがけて振り下ろした。
反応が遅れた聖はまともにそれを食らった。左肩の骨が軋む音がする。
「ぐっ・・・・・」
聖は肩を抑え膝をついた。血は流れてはいない。何故か峰打ちだった。それでも左の肩から腕にかけて痺れが走り、しばらくは動かせそうにない。
(だからって・・・・・諦めるわけにはいかない!)
聖は渾身の力を振り絞って立ち上がると右手で刀を振るった。刃が真田の体に届く直前、
「なっ・・・・・・?」
聖の死角から真田の攻撃が飛んだらしい。脇腹に痛みを感じ、聖もまた倒れ込む。
「く・・・・・ぅ」
何とか起き上がろうとするが力が入らない。
聖の耳に、気合に満ちた左之助の声が響いた。
「うおぉぉぉぉっ!」
左之助は左手で真田に殴りかかった。けれど真田は余裕でその手首をがしっと掴み、不敵に笑う。
(くそッ、じゃあ右手で二重の極みを・・・・・!)
思いかけ、左之助はハッとした。恵から以前聞いた事を思い出したのだ。
京都での志々雄一派との闘いで、左之助は二重の極みを連発し、酷使されたその右手は深い傷を負っていた。再び二重の極みを使えば、右手が使い物にならなくなるかもしれない、と。
(チッ、駄目だ、二重の極みは使えねぇ・・・・・!)
「それ無しでもやってやらぁ!」
左之助は真田から右手を振り解くと、すぐさま乱打を繰り出した。真田は腕を胸の前で交差されて防ぐが、体には届かなくても腕には強い痛みを受けているはずだ。
左之助は真田を壁際まで追い詰めた。
「貰ったぁ!」
拳を振り上げ、防御されていない顔面を狙う。
攻撃を受けて体勢を崩したのは、左之助の方だった。
「何・・・・だと?」
拳が真田にぶつかる刹那、左之助は反撃を食らったのだ。腹部に強い衝撃を受け、足元がよろつく。その隙を突いて、真田は左之助を薙ぎ払った。やはり峰打ちだった。
「左之まで・・・・・!」
ろくに動けずにいる聖、薫、弥彦の三人を安全な場所に移動させながら剣心は呻いた。
強い。やはりこの真田という男は。
「四人で行っても・・・・ちっとも歯が立たないなんて・・・・・!」
聖が苦しげに息を吐く。体はまだ言うことを聞かない。
「ほらほら、無茶しないで」
立ち上がりかけた聖を、宗次郎はやんわりと制した。
「次は僕が行きます。聖君達はしばらく休んでて下さい」
宗次郎が前に進み出た。爪先をトントンと床に叩きつけている。剣心は彼の意図を察した。
「縮地か・・・・?」
それなら、真田の虚を衝く攻撃ができるかもしれない。
「いえ、」
宗次郎は淡い微笑を浮かべた。
「縮地の、一歩手前です」
床を蹴る凄まじい音がして宗次郎の姿が消える。次の瞬間、天井が音を上げて崩れた。そのまま壁、床、そしてまた天井へと目に映らない速さで衝撃は移動していく。
剣心との闘いの時見せた、横だけでなく縦も絡めた全方位空間攻撃。どこから攻撃が来るのか分からず、そして逃げ場も無い。
「ほう、縮地か。まさかこの時代に、その使い手がいるとはな・・・・」
どこか感心した風に真田が呟く。宗次郎の移動の痕跡を目で追いながらも、真田はその場から一歩も動かない。
頭上は隙だらけだった。宗次郎は天井を蹴って真田に迫る。
「だが・・・・!」
真田の振り上げた刀が宗次郎の攻撃を止めた。鍔競り合いをしながら、宗次郎も少なからず驚く。
「・・・・!」
「俺には通用しない!」
真田は宗次郎の木刀を受けている刀を振るって彼を浮かすと、薫達と同じように鳩尾を柄で深く突いた。どさりと床に落ちた宗次郎は、流石に痛みに笑顔を歪ませている。
「す・・・・ごいですね。縮地の一歩手前を見破ったのは・・・・・志々雄さんと緋村さん以外じゃ、あなたが初めてですよ」
「感覚を研ぎ澄まして気配を読めば、どこから攻撃が来るのか位は分かる。さて・・・・・」
真田は剣心に振り返った。
剣心は既に鋭い剣気を真田に叩きつけていた。真田は剣心の剣気に、久方ぶりに歯応えのありそうな相手だと感じていた。
剣心だけではない。最初に向かってきた聖という少年、彼もまたいい剣気を放っていた。凛として真っ直ぐで、どこか悲壮感も感じさせる剣気を。
二人の剣気は似ているが違う。剣心の方が経験を積んでいる分、完成された剣気だ。それでいて、聖のには無い鋭さがある。
「最後は、お前だな」
「・・・・・・・・」
剣心は無言で切っ先を真田に向ける。次々に仲間を倒していった相手に、言うべき言葉は一つだった。
「行くぞッ!」
神速の速さを以って剣心は真田との間合いを詰めていた。真田は横薙ぎに刀を振るったが、その時にはもう剣心は高く跳躍していた。
「龍槌閃!」
渾身の力で振り下ろす。しかし真田はそれを難なく捌いた。
着地した剣心は、すぐさま身を翻し次の技を放つ。
「龍巻閃!」
体を回転させ、遠心力と共に刀を振るう。しかしそれも二本の刀で止められてしまう。
「くっ!」
後ろに飛び退く剣心。先程から闘い続けているのに、真田にはまったく疲れが見えず、裂帛の気合はその勢いが落ちることは無い。
「その技・・・・・飛天御剣流か」
「! 何故、それを・・・・・」
剣心は鋭い視線を真田に向ける。真田はそれを受け流すようにふ、と笑った。
「俺も話に聞いたことがあるだけで、実際にこの目で見たのは初めてだ・・・・・」
真田は二振りの刀の柄をきゅっと握り直し、剣心を見る。若く見えるが、相当に修羅場をくぐって来た者なのだろう。自ずと分かる。
剣心もまた、真田の只ならぬ強さを肌で感じ取っていた。今までに死闘を繰り広げたどの相手とも違う質の強さ。
攻撃は読まれ、防がれてしまう。相手の斬撃は重く、洗練されている。また隙が無い。ならば。
(天翔龍閃なら―――)
その考えがちらりと頭をよぎったが、剣心は思い直した。
確かに、飛天御剣流の奥義、天翔龍閃は最大の破壊力を持つ。だが、真田がほぼ無傷でしかもまったく体力を消耗していない状態で使っても、恐らく通用しないだろう。
「来ないのか? ならば、こちらから行くぞ!」
真田が先に仕掛けてきた。斬り上げてきた刀を剣心は跳んで避け、真田の背後へと回った。すかさず技の構えを取る。飛天御剣流突進術系、最強にして最速の技!
「九頭龍閃!」
九つの同時斬撃が真田を襲う。反応して振り向いた真田は、防ぎきれずにそのすべてを体に受けた。
体勢を崩しかけた真田に、剣心は追撃をかけるべく踵を返した。一足飛びで真田の懐に飛び込む。好機は今しかない。けれど。
「・・・・・っ!?」
剣心は首の後ろに衝撃を受け、勢いのまま床に倒れ込んだ。失神は免れたものの、頭がくらくらして起き上がれない。
真田は既に体勢を立て直し、冷静な目で剣心を見下ろしている。
(馬鹿な・・・・・何故真田は前にいるのに、後ろから攻撃が来た・・・・?)
その思考もうまくまとまらず、剣心は身を起こしはしたものの、まだ立ち上がれずにいた。
幾分か体力が回復した聖が、膝でゆっくりと歩いて剣心に近付いた。
「大丈夫、剣心・・・・・」
「ああ・・・・・」
剣心は片手でふらつく頭を押さえる。何とか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
「つ、強すぎるぜ・・・・・」
弥彦が悔しそうに呟いた。その思いは、聖もまったく同感だった。
何故こうも歯が立たない程に、真田は強いのだろう。
その割りに、攻撃が峰打ちや柄でのものだった事が、腑に落ちないのだが・・・・?
「もう終わりか。他愛も無い」
真田は事も無げにそう言うと、少し後ろに下がった。胸の青い水晶が光を放つ。
真田の前に、痩せた馬に角が生えたような幻獣、麒麟が煙と共に姿を現した。
「まだ倒れることは許さぬ。倒れた才蔵達の代わりに、才蔵の幻獣が相手をするぞ」
麒麟は爪と牙を剥き出しにして聖達を威嚇している。主を倒された恨みだろうか。
「うう・・・・い、いかんでござる」
剣心は逆刃刀を床に突き当て、それを支えにして立ち上がった。けれど足元がふらつき、再び膝をつく。
「く・・・・」
「剣心! 無理しないで。ここはぼくが行く」
「聖、」
「大丈夫! 痛みは引いてきたからさ」
聖はにこっと笑って精一杯の嘘をついた。確かに痛みは引いてきたが、まだ左手は思うように動かせない。
それでも、皆が傷付き、倒れている今、ここで負けるわけにはいかないから。
麒麟が長い足を振り上げて聖に襲い掛かってきた。聖は横に跳んで避けると、麒麟の背に思いっきり刀を振り下ろした。深く食い込んだ斬撃に麒麟は悲鳴を上げ苦しむ。
刀を抜いた聖は、麒麟の顔を蹴り上げてとどめを刺した。麒麟の現獣は悲鳴を上げて消えていった。
聖はふうと息を吐く。痛む左肩を押さえながら、それでも真田をキッと見据えた。
倒れ伏していた薫達も、ゆっくりと立ち上がる。
真田は聖達を見回した。
「なかなかしぶとい奴らだ・・・・」
「あ、当たり前だわ! あんた達みたいに、自分のことしか考えてない連中に好き勝手させない!」
「そうだ! いくら昔が懐かしいからって、力尽くで歴史を戻そうなんて許さないぜ」
薫と弥彦の言葉を、真田は黙って聞いていた。
「そうだよ・・・・」
聖もまた、ぽつりと言った。けれど瞳は限りなく真っ直ぐに真田に向いている。
「自分達の生きていた時代を取り戻す、なんて言って、あなた達のしてきたことは何?
今十勇士の中には、確かに虐げられてきた人もいたよ、でも、だからって自分達に都合のいいように、たくさんの人を苦しめて、傷つけて・・・・・そんなの、良いわけがない!」
毅然とした聖の言葉に、場はしんとなる。
足のふらつきが消えた剣心が、しっかりとした足取りで前に進み出た。
「誰もが懸命に今を生きている・・・・・。人や世の、本来あるべき姿を歪ませるような真似、見逃すわけにはいかぬでござるよ」
真田は聖達を見据えた。それまで無言だった真田の顔に、笑みのようなものが浮かんだ。
「・・・・・面白い」
そうして背後に控えていた望月のところへ行き、その懐から割符を抜き取ると聖達の方に放り投げた。
「これが望月の割符だ」
「さ、真田様!?」
望月も、まさか真田がそんな行動に出るとは思っていなかったのだろう、焦りの色を浮かべて彼に詰め寄っている。
左之助もまた、訝しげな目線を真田に向けた。
「・・・・どういうつもりでぇ?」
「―――俺に挑んで来い、と言っている」
真田は険しい顔を聖達に向けた。
「本当に今十勇士を許せないなら、俺のところまで来てみせろ」
まるで挑発するような物言いだった。
その意図が掴めず、聖が思案していると、望月もまた真田の考えが読めないようで困惑した風に呟く。
「真田様・・・・・一体何を・・・・?」
真田はそれには答えず、聖達に背を向けた。
「・・・・・行くぞ、望月」
「は・・・・・」
その言葉に望月は跪いた。
「・・・・・御意」
望月は立ち上がって印を結んだ。真田と望月の姿も気配も、ふっとその場から消えた。
「相変わらず不思議ですよねェ、あれ。一体どーやってやってんでしょうね?」
「そんなことより、また割符かよ?」
緊迫感をぶち壊すような宗次郎の言葉を半分流して、弥彦は先程真田が放った割符を拾い、皆に見せた。
記されているのは、石岡の山。真田がああ言っていた以上、今度こそその場が最終決戦の舞台なのだろう。
剣心は真田の消えた空間を見つめ、誰にともなく言った。
「あの真田という男・・・・・何を考えているのでござろう」
「うん・・・・・」
聖もそれは思った。
真田が何を考えているのか掴めない。
どうしてわざわざ割符を?
今の闘いだって、邪魔者である聖達を殺そうと思えばいくらでも殺せたのに、何故手を緩めた?
今十勇士を束ねる存在でありながら、彼は今十勇士とは大きな差異があるように思えてならないのだ。
それは首領としての器なのか、それとも―――・・・・・。
「んなこたぁ、あいつをブッちめて聞きゃあいいことよ!」
考え込む聖と剣心に、左之助は単純明快な答えを突きつけた。確かにそれも一理ある。
「ま、まぁそうだね」
左之助に言葉を返しながら、聖は思った。
いずれにせよ、そのためにはもう一度真田に会い、或いは闘う必要がある。
圧倒的な強さを誇る彼に、もう一度挑んだところで闘って勝てるかどうかは、正直分からなかったが、それでも。
「今度は・・・・・絶対に負けない!」
力強く、言い放った。
その時気付いた。窓の向こうの空の嵐が、すっかり消え去ってしまっていることに。
夕日に照らされた聖の顔は、酷く、凛々しく見えた。












第三十章へ









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というわけで、才蔵編終了&真田・望月編の始まりでした。
えらい長かったですね、二十九章・・・・(汗)
才蔵が死ぬところで一旦区切ろうかとも思ったんですが、それだと一章が短いしやっぱり才蔵の死から真田との戦いにかけて二十九章内で収めたかったのでこうなりました。

才蔵。正直彼のことは掴みかねていたのでちょっと書き辛かったのですが(汗)、本編でも述べていた通り、きっと彼にとっては真田がすべてだったんだろーなーと思いましてあんな風になりました。過去は思いつかなかったのであまり捏造せず(爆)。でもきっと、才蔵にとって真田は赤の他人で初めて才蔵本人の力を認めてくれた人だったんでしょうね。
志々雄と宗の関係ともまた違う感じで。でもどこと無く似てたからこそ、宗ちゃんにあの台詞を言わせてみました。あのメンバーで一番才蔵に共感しているのはきっと彼でしょう。次は左之助かな。ゲームじゃ薫の「この人は今十勇士にしがみつく以外〜」の台詞の後に、左之助の「・・・・・・・・・」と沈黙が入っているのです。多分赤報隊のことを思い出してたのかな。うまく入れられなかったので、この小説じゃ削っちゃいましたが(すみません:)



対真田に関しては、書いてるうちにみんなが勝手に動いてくれたので書きやすかったです。特に弥彦と左之助。聖への叱咤は本当に勝手に喋ってくれました。
真田はとにかくここでは圧倒的に強く!を目指して書きましたが、うまく書けたかどうか・・・・(爆)
彼には石岡の山での闘いも控えてますので、頑張って書きたいです。


さて、いよいよラストスパートです。



2005年1月23日





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