<第二十八章:Closed the heart>


修道院の事件の翌日。聖達は改めて横浜の町で情報を集めていた。
今までは、一見平和そうに見える町にも、どこかに今十勇士の影があった。けれど不思議なことに、横浜にはその気配がまったく感じられない。修道院の事件も今十勇士は絡んでなく、まったく手掛かりが掴めない状態だった。
(うーん、何か見落としてるのかな)
そう思って頭に手を当てた聖だったが、ふと海の方を見ると、多くの船が海上を行き交っているのが見えた。
そうだ、港だ。港には行ってなかった。
「ねぇみんな、港の方に行ってみようよ」
「港、でござるか。そういえば、港にはまだ行ってなかったでござるな」
「何か今十勇士の手掛かりが掴めるかもしれないわね」
聖の提案に皆も同意し、一行は港へと向かった。
波止場には、数隻の船が停泊していた。大きな船、小さな船、様々な船があったが一つだけ、不気味な黒一色の船があった。人々の話によると、その船が誰のものか不明で、人の出入りする様子もないらしい。
「もしかして、今十勇士の船・・・・・?」
「かもしれねぇな。入ってみるか、聖?」
「うん」
聖がぽつりと言った言葉は、どうやら皆の見解とも一致したらしい。
辺りを見回しながら、六人は慎重に船に乗り込む。今十勇士の物であるとしたら、どんな罠が待ち受けているかも分からない。
甲板には誰もおらず、聖達はそのまま船室へも入っていく。狭い廊下を通り抜け、奥へ奥へと進んでいくと機関室へと出た。そこも無人だった。
「ここが機関室ってやつか?」
物珍しそうに船の動力部を見ている弥彦。確か、それを操作して船を動かすはずだ。なのにこの機関室にも誰もいないなんて?
「こら、お前ぇら! この政吉様の船で何してる!」
背後から怒鳴り声が聞こえ、聖達はびくりとして振り返る。そこにはいかにも海の男、といった風の壮年の男性が立っていた。
「ご、ごめんなさい。奇妙な船だったから、つい・・・・・」
聖が頭を下げて謝ると、政吉と名乗った男は仕方ねぇな、といった風に溜息を吐いた。
「誰もいないなんて無用心じゃねぇか。泥棒に入られるぞ」
弥彦がそう言うと、政吉はふんと鼻を鳴らして動力部の方に歩いて行き、
「わしの持ち物はこの船だけだ。その他に取られるような物は無いわい。この船だけは、何としても残すがのう」
「何でですか?」
素朴な疑問を聖が口にすると、政吉はしんみりと言った。
「わしのたった一人の身内の、才蔵にやるためだ」
「才蔵・・・・・?」
聖は眉をひそめた。思い浮かべたのは、勿論今十勇士の才蔵だ。
同一人物とは限らない、単なる同名というだけかもしれないが。
聖の表情を違う風に捉えたのか、政吉は話を続けた。
「・・・ああ、才蔵ってのは本名じゃない。昔から手先が器用で、まじない師みたいなことが得意でな。物語の十勇士から、自分でつけた名前さ」
(まじない師? まさか・・・・)
まさか本当に、政吉が語る才蔵と今十勇士の才蔵は同じ人物なのか。
「まじないのできる才蔵っていえば・・・・奴じゃないのか?」
弥彦も同じことを考えたらしく、聖にそっと耳打ちしてきた。
そうかもしれない、と言葉を返して、聖は政吉に尋ねた。
「おじさん、その、才蔵さんとはどういう関係なの?」
「わしの甥っ子だ。産んだ妹はとっくに死んだから、二人っきりの身内さ。もっとも、せっかくの幻術の腕を生かすといって飛び出したっきり、何年も会ってないがな」
「・・・・・そうだったんだ」
目を伏せた政吉を見て、聖の胸の内も苦しくなる。
話からすると、政吉は才蔵が今何をしているのか知らないようだ。それを知ったらどう思うのだろう。たった一人の身内が、人々を苦しめるためにその力を使っている、と知ったら。
「あんた達は旅をしているみてぇだな」
聖達の姿を眺めて、政吉は言った。そうして聖の目をじっと見て。
「いつか才蔵に会ったら伝えてくれんかな。わしが待っている・・・・と」
「・・・はい」
聖は力強く頷いた。
今の才蔵が何をしているのか知らなくても、それでも待っている人がいるのだ。政吉のためにも、そして才蔵のためにも、それを伝えなければならないと。そう聖は思った。
「ありがとよ」
政吉は安心した風にほっとしたような表情を浮かべ、それから船の動力部をいじり始めた。
「行きましょうか」
「・・・・ん」
薫に促され、聖は一礼をして機関室を出た。そのまま廊下を通って甲板に出ると、空には一面の青色が広がっていた。それを眩しく感じながら船を下りる。それから、その黒い船を見た。
不思議な気分になって、聖は目を歪ませた。
「才蔵が襲ってきたの、横浜の町の直前だったよね。・・・・・・こんな近くに、ずっと待ってる人がいるってこと、知らないんだろうね」
「・・・・そうでござるな」
剣心は静かに頷く。彼も、聖と同じようなことを考えていたので。
「もしそれを才蔵に言ったら、由利さんみたいに、やり直そうって気になってくれるかな」
「ええ、きっとそうよ!」
誰にともなく投げかけた言葉に薫が同意し、それで聖の表情も明るさを取り戻した。
人は、やり直そうと思えばいつでも、いくらでもやり直せる。聖はそう思っている。由利もそうであったように―――もっとも、その彼女は才蔵に殺されてしまったのだけれど、その才蔵も政吉の思いを知れば、きっとやり直せるのではないかと。そう思ったし、そう願っていた。
「うん・・・・そうだよね!」
自分の考えに自信が持て、聖は笑顔を浮かべる。けれどその横で左之助が腕組みをしながら。
「けどよ、肝心のその才蔵がどこにいるか分かんねぇんだよな」
「うーん、そ、そうなんだよね・・・・」
聖もそれは思っていたことだったのでぽりぽりと頭をかく。由利を葬りに来た時だって、街道で彼が攻撃を仕掛けてきた時だって奇襲に近かったのだ。・・・・奇襲?
「・・・・もしかしたら、ぼく達が町を出たら襲ってくるかもしれないよ」
「何でそう思うんでぇ?」
「才蔵は横浜の直前でぼくらを襲ってきた。横浜では何も無かったし・・・・・だから、町を出たところで待ち受けてるのかも」
「一理ありますね」
納得した風に宗次郎も頷く。
「あいつの陰険な性格からすっと、それも有り得るな。よっしゃ、街道に行ってみようぜ」
左之助がぱしっと拳を叩き、一行はそうして横浜の外へと出た。










街道を抜け、峠道に差し掛かる頃には、空はその青色を薄暗い雲の下に隠してしまっていた。いつ雨が降ってきてもおかしくない、そんな天気だ。
そんな風に考えながら進んでいく聖達の前に、前方の木の陰からすっと人影が現れた。その姿を認め、左之助は声を荒げる。
「てめえ、才蔵!」
「今度こそ、決着をつけましょうか!」
才蔵は即座に手をかざした。才蔵の前に淡い桃色の光を纏った六体の天女が現れる。龍神に代わる彼の幻獣のようだ。
「待って、あなたに話が・・・・・」
「さあ、行け!」
聖の言葉を遮って才蔵は天女を仕掛けてきた。天女はふわふわとした動きで聖を翻弄する。攻撃がなかなか当たらない。すぐにひらりとかわされてしまう。他の皆も同様らしく、苦戦している。
「くっ!」
天女は薄笑いを浮かべ羽衣を振り回す。聖は後ろに飛びそれを避けた。すぐさま天女がこちらに向かってくる。刀に力を込めた聖は素早くそれを振るった。梵天の型の衝撃波は天女を切り裂いたが、それでもすぐに天女は復元してしまう。
「な・・・・」
「ふふ・・・・お前らごときが私に敵うはずがない。死ね!」
才蔵は高らかに笑う。
そんな彼を見て聖はやるせない気分になって、天女の攻撃を捌きながら必死に才蔵に叫んだ。
「才蔵! もうこんなことはやめるんだ!」
「フ・・・・戯言を」
才蔵は聖の言葉に耳を貸さない。聖は尚も彼に訴えかける。
「あなたの伯父の政吉さんが、あなたをずっと待ってるんだよ!」
「―――っ!?」
その瞬間、明らかに才蔵に動揺が走り、天女達の動きが一旦止まった。
才蔵は今まで崩したことの無い冷静な顔に、初めて狼狽した色を浮かべた。
「まさ・・・・き・・・ち?」
「そうだよ。横浜の港で、あなたの帰りをずっと待ってるんだ!」
『いつか才蔵に会ったら伝えてくれんかな。わしが待っている・・・・と』
多分政吉が思っているより、早く叶ってしまったその約束。どうかその思いが才蔵に届いて欲しいと。
そう願って、聖は才蔵に呼びかけたのに。
「知らない・・・・そんな男は知らない! 私は、今十勇士の才蔵だ!」
才蔵は聖の言葉を打ち消すように頭を振り、再度天女を放ってきた。彼はどこかまだ戸惑っているように見えたが、天女は迷い無く聖達に攻撃を仕掛けてくる。
「もうやめよう、こんなことは・・・・・政吉さんのためにも、あなたのためにも!」
「黙れ! 私は今十勇士の才蔵・・・・・私が忠誠を誓うのは、真田様のみ!」
才蔵は再び頭を振り、ギッと聖を睨みつけた。鬼気迫る表情に、聖の背にぞくっとしたものが走った。
どうしてこの人は、こんなにも今十勇士にこだわるのだろう。どうして、こんなに。
天女の攻撃が一層激しくなった。才蔵は相変わらず憎悪の目でこちらを睨んでいる。
と、彼の背後から現れた一つの影があった。
「才蔵! もうやめるんだ!」
政吉だ! どうしてここに!?
「政吉さ・・・・・」
「邪魔をするな!」
聖が呼びかける間も無く、才蔵が召還した新たな天女が政吉に攻撃を仕掛けた。不思議なことに、政吉はそれを避ける風でもなく、わざと食らったように聖には思えた。
「政吉殿!」
剣心の鋭い声が飛ぶ。それを聞いて、才蔵の顔に再び戸惑いの表情が浮かんだ。力無く彼は首を振り、すうっと天女達の姿も失せた。
政吉は血がぼたぼたと足れる腹を押さえながら、才蔵にゆっくりと近付いた。
「さ・・・・才蔵、なんだろ。わしだ・・・・・政吉だ」
「な、何故・・・・・・」
才蔵は戸惑いと怯えが入り混じったような顔になった。信じられない、といった顔で政吉を見つめている。
二人の間に入るのが憚られるような気がして、聖達はその場に立ち尽くしていた。
「お前ぇ・・・・いつも、自分の力を発揮できる場所・・・・探してたな。でも、これは・・・・いけねぇよ。お前の力は、人を傷つけるためのもんじゃ・・・・ねぇ・・・・」
政吉の額には脂汗が浮かび、話すのもやっと、といった感じだ。才蔵はそんな彼をじっと見下ろしている。
「親のないお前を差別して、実力を認めなかった世間を・・・・・恨んでたんだろう。分かってる。分かってるとも・・・・」
そこまで言ったところで、政吉はどさりと崩れ落ちた。聖は金縛りが解けたようにハッとして、政吉に駆け寄った。
「政吉さん!」
「伝言・・・・伝えてくれたんだな。ありがとよ」
政吉はうっすらと笑む。
これは聖の預かり知らぬところだし、政吉にももう語る力は残ってなかったが、彼は聖が去った後、何やらある予感がして彼らの後を追いかけたのだ。虫の知らせとでも言おうか。
政吉がここに辿り着いた時は、丁度才蔵が聖達と闘っているところだった。聖の言葉に聞く耳持たず、更に攻撃を仕向ける才蔵。
何としてでも、政吉は止めようと思ったのだ。そう、たとえ自分の身を犠牲にしてでも。
彼の心の支えになれなかった自分が、甥のためにできることは、もうそれしか無かったから。
「なぁ・・・・・才蔵。血を流すのは・・・・・わしで終わりに・・・・・・」
政吉の頭ががくりと力無く垂れた。聖は唇を噛み締めて、その死に顔を見つめていた。
才蔵も同じだった。目を見開き、眉根を寄せて政吉を凝視している。
しかしやがて、静かに首を振った。
「違う。私は・・・・・・今十勇士の才蔵。政吉などという男は知らない。私が慕うのは・・・・・真田様のみ」
まるでその言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
才蔵はばっと踵を返すと、跪いて空に乞うた。
「真田様! 真田様、あなたのしもべにお助けを!」
「寝言言ってんじゃねぇ! 現実を見ろよ!」
弥彦が才蔵を一喝し、その側に近付こうとした。が、二人の狭間の空間が光り、弥彦はそれに弾かれるようにして尻餅をついた。
そしてその次の瞬間、才蔵が見上げた空に、長身の男が現れた。赤い外套を羽織り、長い髪を風に靡かせたその男は、才蔵と聖達を冷徹な目で見下ろしていた。
才蔵はどこか嬉しそうにその男の名を呼ぶ。
「真田様!」
「あれが・・・・!」
対照的に、剣心は鋭い目で真田を見た。どういう原理か分からないが、宙に浮かぶその男は、凄まじい威圧感を放っている。真田は剣を握ってはいなかったが、それでも伝わってくる研ぎ澄まされたこの剣気。
今十勇士の首領である以上、やはり只者ではない、と剣心は真田を見据えた。
「この今十勇士の才蔵、真田様に永遠の忠誠を誓います。どうか、どうかお慈悲を」
才蔵は真田に向けて平伏した。真田は何も言わなかったが、その首から提げた青い水晶がどういうわけか光を放ち始めた。
空に溶け込むように真田は消え、才蔵の体も消え始めた。
「・・・・過去など、とうに捨てた。私は、今十勇士の才蔵・・・・・・」
今の言葉は、自分達に言っているように聖には思えた。才蔵の姿もふっと消え失せ、後には聖達と、政吉が残された。
「・・・・政吉さん、ごめんなさい。あの人を止められなくて・・・・・」
聖は静かに政吉に語りかけた。その死に顔は穏やかだったが、どこか、無念の色を浮かべているようにも見える。
剣心が、ぽんと聖の肩を叩いた。
「聖。聖も政吉殿も、できるだけのことをやった。気に病むことは無い・・・・・」
「剣心・・・・」
聖は目尻の涙を拭った。震える声で、ようやく言葉を紡ぐ。
「・・・・・そうだね」
近いうちに、また才蔵との闘いになるに違いない。
彼が政吉の思いを知った上で、それでもまだ今十勇士を選ぶとしたら、それは彼が選んだ生き方なのだろう。できることなら、由利や幸吉達のように、思い直して欲しいものだったが―――。
「でも、どうして才蔵は、あんなにも今十勇士にこだわるんだろう・・・・」
聖の呟きは、皆も気になっていたことだった。一同が疑問符を浮かべる中、宗次郎だけが、珍しく真顔で何かを考えているようだった。








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