<第二十六章:海の見える町>
日光をそのまま南下し、一行は横浜へと向かう。由利の割符にはその場所が記されていたからだ。
途中の村や町で幾度か宿泊しながらの道中だったが、何事も無く旅は進み、あと一歩で横浜、というところまで来ていた。
街道には多くの通行人が行き交い、ひたすらのどかな風景が広がっている。
「随分平和そうだな、この辺は。本当に十勇士の奴がいるのか?」
立ち寄った飯屋で食べた魚の骨を咥えながら、左之助が怪訝そうに言う。
「う〜ん。でも、割符通りに来てるんだし」
聖が苦笑しながら言葉を返す。
由利が託してくれた割符。彼女の思いに答えるためにも、進むしかない。
六人は更に街道を行く。青い空は今日も高く、済んでいる。
団子屋を通り過ぎた辺りで、聖は不穏な空気に感付きハッと足を止めた。
道端にあの龍神が現れたのは、次の瞬間のことだった。
「りゅ、龍だっ!」
「きゃああっ!」
人々は突如現れた龍神に恐れおののき、逃げるようにその場を去っていった。
残ったのは聖達だけ。凝視するように龍神を睨みつけている。
剣心が静かに、けれど鋭く言い放った。
「才蔵! これはお主の幻術でござろう」
龍神の向かい側の木陰から、その言葉通り才蔵が現れた。静かに聖達に歩み寄り、ふうと溜息を吐く。
「これ以上、つけ回すのはやめろ・・・・と警告したはずですよ。見逃してあげるのは、一回だけだとも」
「そうは行かない!」
聖は一歩も引かない。誰に何と言われようと、今十勇士の暴走を止める、その決意は揺るがないから。
その返答に、才蔵はふう・・・と、先程よりも重い溜息を吐いた。
「やれやれ、愚かな・・・・・」
そうして、不意に手をかざす。それに呼応するように龍神の口が赤く光った。すぐさま炎が迸ったが、皆一瞬にして散り散りに避け、その直撃は免れた。
体勢を立て直しながら聖は考えていた。
あの龍神は幻覚に違いない。けれど麻生の山で剣心が言っていたように、かけられた物を傷付ける程の幻覚ならば、油断はならない。
と、龍神の前にざっと一人の男が立ちはだかった。
左之助だ。
「この間の借りを、返させてもらうぜ」
魚の骨をブッと吐き捨て、左之助は拳を鳴らした。自分の体より二回りも大きい龍神を目の前にしても、少しも動じてはいない。
「フッ・・・・消し炭にしてあげましょう!」
才蔵は不敵に笑う。同時に龍神が左之助に襲い掛かった。
「左之さん!」
思わず聖は叫ぶ。だがそれは杞憂だった。
左之助はその龍神の鋭い爪を避け、長い蛇のような胴に乱打を入れていた。
龍神の体がかしぐ。左之助がその隙にまた蹴りを入れようと足を振り上げる。けれど龍神はひらりと舞ってその攻撃をかわした。そうして間合いを取って、炎を吐く。
「しゃらくせぇっ!」
左之助は素早く地を蹴って、炎が当たらない死角に飛び込んだ。龍神の目が驚きに見開く。左之助はニッと笑って、その顎を下から殴り上げた。
落ちてきたところにもう一発、左之助は拳打をお見舞いした。龍神は空気をつんざくような叫び声を上げると、光を放って消えた。
不敵な笑みを浮かべる左之助。逆に才蔵は、狼狽した表情を浮かべて後ずさる。
「私の幻術が・・・!?」
詰め寄る聖達に、才蔵は更に焦りの色を浮かべた。
「くっ・・・・!」
そのまま踵を返し、走り出す。すぐに木立の中に飛び込み、才蔵のその姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「あらら・・・・逃げられちゃいましたね」
宗次郎がのほほんと言い、けれど目は追いましょうか?と聞いていた。
剣心は険しい表情を崩さぬまま、首を振った。
「構わぬでござるよ。必ず、追い詰めて見せるゆえ・・・・」
「・・・・そうだね」
聖も頷く。
今逃げられたとしても、いずれ絶対に決着をつける。
その思いを胸に、聖達は再び街道を進んでいった。
緊張感の漂ったまま横浜に入った一行。けれど聖は、その町の様子を見て目を丸くした。
港町であるためか、洋館が立ち並び、近代的な雰囲気が漂う。異人も多く、日本人と仲良く談笑している姿も見られる。
東京も革新的な町並みだったが横浜の方が明らかに異文化が感じられ、今まで通ってきた町とは違う様子に、聖の胸も思わずわくわくしてくる。いつの間にか、緊張感もどこかにいってしまった。
「うわぁ・・・・すごいね! こんな建物、初めて見たよ!」
「おい、向こうの方も何だか面白そうだぜ!」
弥彦も聖と一緒になってはしゃいでいる。何せ二人とも、年齢だけならまだまだ子どもだ。真新しい町の様子に目移りするのも無理はない。
左之助は、やれやれ、と言った風に苦笑して。
「ったく、ガキだなぁ」
「いいではござらんか。こうして楽しく過ごすのも、大切な事でござるよ」
と剣心は微笑して諫めている。
浮かれているのは聖達だけでなく、薫もまた、道行く異人に絵の”もでる”を頼まれて、上機嫌だった。
「見て見て剣心、この錦絵一枚貰っちゃった! どう? なかなか可愛く描けてると思わない?」
「ああ、そうででござるな」
剣心のその一言に、薫の気分は更に高揚する。
「でしょーっ? あの人、絵のもでるに私を選ぶなんて、なかなかいい目してるわよね!」
「たまたま通りかかったからじゃねぇのか?」
「もう! 左之助は口が減らないわねっ」
「おろろ。・・・・ん? いつの間にか宗次郎の姿が見えないでござるな?」
剣心はきょろきょろと辺りを見回す。聖や弥彦は目の届く範囲にいるものの、宗次郎が見当たらない。
と、通りの向こうからひょっこりと宗次郎が姿を見せた。
「宗次郎、どこ行ってたんでぇ?」
宗次郎は左之助のその問いには答えずに、にこにこと笑って、
「これ美味しいですよ。異国のお菓子で”しょくらーと”っていうんですって」
さっきそこで異人さんに貰ったんです〜と笑顔で箱を差し出す宗次郎。宗次郎も宗次郎なりにこの町を楽しんでいるらしい。
しょくらーと(要はチョコレート)の甘い味を堪能した一行は一息つくと、改めて横浜の町を探索し始めた。
潮風の匂いがする。
それに誘われるようにして道なりに進むと、海に面した場所に、一際大きな洋風の建物があった。
大きな十字架が掲げられ、窓には色とりどりのガラスがはめ込まれている。
美麗な建物を、聖はしばしぽかんとして眺めた。聖はその建物の名は知らなかったが、そこは西洋の神に仕える者達が集う場所、修道院だった。
その大きな扉の前に、十歳前後と思われる一人の少女が立ち尽くしている。少女は聖達が来たのにも気が付かない様子で扉に駆け寄ると、どんどんと叩いた。
「姉さん! 静姉さん、いるんでしょ!? お願い姉さん、せめて声だけでも・・・・・」
少女はその扉を叩き続けた。しばらくすると不意に扉が開き、背の高い女性が現れた。清楚な衣に身を包んだ修道女、つまりはシスターは異人であるらしく、流暢だがどこか片言な響きを持つ日本語でこう答えた。
「ここは神に仕える者の集う場所、修道院です。騒がれては迷惑です」
「私の姉さんに会わせて下さい! ここに来たっきり戻ってこないんです」
詰め寄る少女に、シスターは大袈裟に首を振った。
「ここに魂の平穏を求めてやって来る者はたくさんいるです。どの人のことだか分からないです」
「名前は静、年は十八なんです。妹の梢が来たって言ってもらえれば分かると思います」
少女、梢の説明に、シスターはまたも大袈裟に首を振った。
「おお・・・・少女よ。ここに来る者は、みんな悩み苦しんでいるのです。たとえ家族にでも、会いたくないと言う者は多いです」
シスターの言葉に、梢は顔色を変えて更に詰め寄った。
「そんな! 姉さんが私に会いたくないなんてことあるわけないわ! たった一人の身内なのよ」
「真実は一つです。ワタクシにできることはありませんです」
必死な梢の訴えにもかかわらず、シスターは梢にぴしゃりと言い放つと修道院の中に入ってしまった。
「ま、待って下さい! 待って!」
無情にも扉は閉まってしまい、それから開くことは無かった。
梢は座り込み、うな垂れる。
「何だか、可哀想・・・・」
薫がぽつりと言った。聖も同意する。
何分、困った人を放っておけない性質の彼だ。
「何だかわけありみたいだね。話を聞いてみようよ」
聖はそっと梢に近付き、その前にしゃがみ込んだ。そうして優しく話しかける。
「ねぇ、どうしたの?」
少女はゆっくりと顔を上げた。聖を見てぽかんとした顔をする。
聖は笑って、
「あ、いや、ぼく達は別に怪しい者じゃないよ。ただ、ここを通りかかったら、さっきの人と君の話が聞こえちゃって・・・・何だか困ってたみたいだったから。良かったら、何があったか話してくれないかな」
聖の誠意を感じさせる言葉に、梢も少し心を開いたのか、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あの静姉さんが・・・・わたしを置いて行ってしまうわけがない。父さんと母さんが死んで、この町に引っ越してきたばかりなのに。二人っきりになったけど・・・・頑張ろうねって、約束したのに・・・・・」
剣心がふむ、と頷く。
「この西洋の寺の中に入ったきり戻らぬ姉上を、探しに来たようでござるな」
「悩んで悩んで耐え切れなくなって出家したってとこか。俺にゃあピンとこねぇが、そういうこともあるだろうよ」
左之助のその言葉に、梢は怒ったような拗ねたような表情を浮かべて反論する。
「出家するんだったら、一言、言ってくれれば良かったのよ。誰も知り合いがいない町で、わたし、独りぼっちになっちゃったじゃないの・・・・・」
しまいには梢は泣きそうな顔で俯いてしまう。薫も梢の心情を汲んだのか、しんみりと言った。
「そうよね。置いてけぼりにされた者だって、辛いわよね・・・・」
薫もまた両親を亡くし、しばらく一人で暮らしてきた身。今でこそ剣心達がいるが、あの時の寂しさは良く憶えている。むしろ、忘れられない。
だから突然独りぼっちになってしまったこの少女の気持ちを考えると、それが痛い程に分かって胸が苦しい。
「つまり、あんたは姉さんと会って、話がしたいんだな?」
弥彦の確認するようなその一言に、梢はこくりと頷いた。
「ええ。それで姉さんの意志が固いなら諦めるわ」
「よーっし分かった。待ってな。おーい、頼もーっ! 頼も―――っ!!」
弥彦は扉の前に立ち、どんどんと叩くと大声を張り上げた。
扉が開き、先程のシスターが訝しげな表情で出てきた。
「何事です」
「こいつを姉さんに会わせてやって欲しいんだ。あんたには迷惑かけないよ、俺達が探すから・・・・・」
シスターの脇を通って弥彦は入ろうとした。シスターは跳び上がるほど驚き、声を張り上げた。
「駄目です! ここは神に仕える女性のみが入れる場所です! 神に仕える気のない者や、男性を入れるわけにはいかないです!!」
シスターは慌てて弥彦を突き飛ばすと扉を閉めた。締め出された形となった弥彦は、起き上がりながら悪態をつく。
「イッテェ・・・・・何なんだよ、あの態度」
剣心は弥彦の怒りを宥めるように穏やかに、
「男は入れない・・・・と言っておったでござる。弥彦が入りかけたので、慌てたのでござろう」
「尼寺みてえなもんかい」
左之助が納得した風に呟く。
「チックショウ、忍び込んでやるか」
息巻く弥彦に、剣心は諫めるように首を振った。
「中で見つかったら、大変な騒ぎになるでござるよ。ことに西洋が絡むと、政府のお役人も黙ってはおらぬだろうし・・・・・」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
埒が明かない会話に弥彦は苛立って声を上げる。
まぁまぁと弥彦を落ち着かせながら、聖も困っていた。
少女を助けてあげたい。そのためにはあのシスターに掛け合っても恐らく無駄だろうし、ならば中に入るしかない。しかし剣心の言う事ももっともなわけで。
「・・・・・決まってるじゃない、私が行くわ。それしかないもの」
弥彦の言葉に答えるように、毅然と薫は言い放った。
驚いたのは聖達である。
「薫さん!?」
「本気かよ、嬢ちゃん、たった一人で!?」
「だって、この中で女は私だけでしょ。それにこれでも、神谷活心流師範代よ」
「しかし・・・・」
薫の意志は固いようだ。困ったように聖達は言葉を失う。
確かに一行の中で女性は薫だけであるし、彼女が強いことも知っている。けれどたった一人では・・・・。何より、中で何があるか分からないのだ。
「駄目だよ、薫さん。やっぱり一人じゃ危ないって! 何か、他に方法を考えて・・・・」
「でも、入れるのは女だけなんでしょ。だったら私だけじゃないと、・・・・・・!」
聖の言いたいことは分かる。けれどやはり方法はそれしかないのでは、と思っていた薫だったが、ふとあることを思い付き、じっと聖の顔を見る。
「な、何・・・・・・?」
じ〜っと薫に見つめられて、聖は思わず赤くなる。
薫はそのまま、剣心、宗次郎へと視線を移した。
「・・・・・・・・・いけるかもしれないわ」
顎に手を当ててぼそっと呟く薫。
聖は頭にハテナマークを浮かべ、剣心はおろと言い、宗次郎はあははと笑っている。
「な、何?」
引きつった笑みを浮かべて問いかける聖に、薫はにっこりと笑って、
「私、いいこと考えちゃった♪」
どこか楽しそうなその笑顔に、何だか嫌な予感がしないでもない聖だった。
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