<第二十三章:対峙の時>


迷宮のように道が入れ組む伊香保の森のずっと奥に、その廃屋はそびえていた。
そこを守るために随所に配置された雑兵達を倒しながら、聖達は進んでいった。廃屋とはいっても、元は立派な建物だったのだろう、造りはしっかりしており、大部屋がいくつもあった。
そうして中を探索しながら、一行は二階へとたどり着く。
そこには松風と千鳥・・・・そして、由利がいた。
「フフ、来たわね」
「あなたは・・・根津と闘った時の・・・」
聖の脳裏にあるのは、彼らが東京で根津と闘った時、彼と共に退散した彼女の姿だ。今にして思えば、確かに根津は彼女を由利と呼び、松風達もまた主の名を由利と呼んでいなかったか。
聖の中で彼女の顔と名の符合が、今ようやく一致したように思える。
「まさか、ここまであたし達今十勇士を追い詰めるとはね・・・褒めてあげるわ。だけど、それももうお終い。
松風! 千鳥!」
笑んでいた由利の顔が、一瞬で鋭いものへと変わる。
ざっ、と松風と千鳥が彼女を守るようにして立ち塞がった。松風達の目線は、真っ直ぐに聖へと向いている。
聖もそれに気が付いた。彼らとは、先程日光の町でも闘ったが、真実を知った今、もう一度闘いたいと思った。
「・・・ぼくが行く」
聖も刀を抜いて前に進み出る。憎しみでもなく、怒りでもなく、ただその闘志を二人に向けて。
「今度は負けん! 行くぞ!」
名誉挽回とばかりに、まず千鳥が聖に飛び掛ってきた。突進してきた第一撃をさっとかわし、聖は間合いを取る。その時だった。
「ハッ!」
今度は松風が攻撃を仕掛けてきた。不意の斬撃に聖もハッとしたが、刀で松風の握り懐剣を弾き返す。松風は後ろに飛び退き、聖との距離を取った。そして二人と聖はまた向かい合う。
そう、これは二対一の闘い―――。
「おい、二対一なんて卑怯じゃねーか!」
弥彦が思わず声を上げるが、由利は鼻でふふんと笑って。
「あたしは勝つためには手段を選ばないわ。あの二人は、二人で闘う時にその真価を発揮する。松風、千鳥、やっておしまい!」
由利のその声で、二人はまた床を蹴って聖へと攻撃を仕掛ける。二人と何とか攻防を続ける聖を、薫ははらはらしながら見守っている。
「ああ、聖君大丈夫かしら。私達も加勢した方がいいんじゃ・・・・」
「大丈夫。聖は、負けぬでござるよ」
その肩にぽんと手を置き、静かに答える剣心。
聖を信じているからこその言葉。それに何より、今闘っている聖の瞳が、この闘いは自分自身が決着をつけたいと、そう言っているように見えたので。
何人の手出しも無用、そう思ったのだ。
「斉天の型!」
聖は中段技を繰り出し、それで千鳥を仕留める。その向こうから松風が跳躍して来た。中空に向けて刀を振るい、聖は梵天の型で松風を撃ち落とす。
二人が全力で向かってきたのが分かったから、聖もまた全力で答えた。強力な彼の技を食らい、松風と千鳥は倒れたまま動けなかった。
「松風! 千鳥!」
由利が悲鳴に近い声を上げる。二人は、ゆっくりと目を開けた。
「・・・・・殺せ」
松風の第一声はそれだった。千鳥も彼と同じような目をして聖を見ている。
「生き恥を晒すくらいなら、その方がいい・・・・さあ、殺せ!」
「嫌だ」
聖ははっきりとそう言った。
その答えを聞いて、松風が目を見開く。
「何故だ!? 私達を殺せば、お前は兄の仇を取れるのだぞ!?」
「・・・ぼくは別に、敵討ちをしたかったわけじゃない」
ごく静かに、聖は言葉を吐き出した。
「だってぼくには記憶が無い。兄さんのことも、神爪の里のことも、何も・・・・」
「な・・・・」
松風と千鳥は驚きのあまり声を失くす。
この少年は、神爪の里の敵討ちのため今十勇士達の邪魔をするのだと、ずっと思っていたからだ。神爪の生き残りがいると知った時、ならばそれはあの少年だろうと、二人はそう確信していたので。
「それに・・・・ぼくはあなた達を殺したいわけじゃない。止めたいだけなんだ」
聖は今までの事を思い返す。今十勇士達の野望の下、苦しんでいた、傷ついてきた人がいた。聖自身は覚えていないが、神爪の民のように、無残に殺された人達もいた。
もう、そんな人達は増やしたくない。それが聖の思いだった。
「ふん、お優しいのねぇ。けど、あんたなんかにあたしの邪魔はさせないわ」
聖に由利は嘲りの入り混じった笑みを向けた。そのまま武器を構えて進み出てくる。
「あたしは、あんたと違って敵討ちを諦めたりなんかしない。・・・松風、千鳥、そこでゆっくり休んでなさい。仇は取るわ」
「・・・・・・・・」
聖は無言で由利と向き合う。彼は、由利の戦意に応えるつもりだ。
「三連戦!? いくら聖でもキツイんじゃねーか?」
「大丈夫・・・・聖は、負けぬでござるよ」
弥彦の言葉に、剣心は先程薫に言ったのとまったく同じ言葉を返した。
そう、きっと聖は負けない。
「あんたの兄さん、なかなかいい男だったわよ。まぁ、あたしの言うことを聞かないから、松風と千鳥に殺させちゃったけど」
由利の言葉に聖がぴくっと反応する。覚えていなくても、兄の最期の事をそんな風に言われて聖も動揺する。
だけどこれは挑発だ。乗ってはいけない!
「残念だったわね。彼があたしの言うことを聞いて部下になっていたら・・・ここで感動的な兄弟の再会ができたのに」
「そう・・・・。でも、それで良かった。だって、ぼくの兄さんはあなたの部下になるような人だ、なんて思いたくないもの」
由利の皮肉に、聖もまた皮肉で返す。もっとも、それは聖の本心でもあったけれど。命乞いのために今十勇士の部下になる兄だったと、本当に思いたくなかったので。
「兄弟揃ってあたしに逆らうのね。・・・・なら、あんたも兄と同じところに送ってやるわっ!」
由利は猛然と聖に攻撃を仕掛けてきた。刀と鞭の特性を併せ持った武器が聖の体に迫る。聖は体を捻ってそれを避け、肘打ちを由利に食らわせた。脇腹に走る痛みに顔をしかめる由利。けれど彼女は、再び攻撃を繰り出してきた。
「艶舞・胡蝶蘭!」
武器を振るい、乱れ打ちを仕掛けて来る由利。聖は同じく乱打技の偉駄の型を放ち、それを相殺した。
由利がチッと舌打ちをして、武器を振り上げた。振り下ろされた刃片がしなって聖に襲い掛かってくる。その軌道を見極めて、聖はすっと一連の攻撃を避けた。驚きに目を見開く由利に、聖は拳を叩き込んだ。
「が・・・・っ」
由利が腹を押さえてしゃがみ込む。由利様、と、松風と千鳥が声を漏らした。
「・・・強ぇな、聖の奴」
ぽつりと呟く左之助に、宗次郎も頷く。
「ええ。初めて会った時よりも、ずっと強さを増してますね」
短期間とはいえ、ずっと今十勇士の一派と闘ってきた事もある。そして、彼の内に秘められている神爪の血がそうさせるのか。
いや、恐らくそれだけではない。今十勇士達の凶行を止めたいと、その思いが彼を更に強くしたのかもしれない。
聖は、じっと由利を見下ろしていた。と、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「まだまだ! あたしは、負けたわけじゃない!」
叫ぶなり、また聖へと攻撃を仕掛ける。聖はそれを見切って、由利に手刀を入れた。
首を強打され、脳震盪を起こしかけているというのに、由利はなおも聖へと武器を向けた。
「もう勝負はついたよ。これ以上闘っても・・・・」
「うるさい!」
由利の執念に流石の聖も戸惑ってそう諫めるが、彼女は聞く耳を持たない。
瞳に憎悪の炎を燃やし、聖と対峙する。それは聖というよりも、他の誰かに向けられた感情―――。
「あんたに、あたしの邪魔はさせない・・・・!」
由利は武器を一閃すると、部屋の隅へと走った。そこには大きな麻袋がいくつも並んでいる。
「こうなったら、この爆薬でお前らと一緒に吹っ飛んでやる!」
「由利様!?」
千鳥が声を上げた。その声に、由利は一瞬すまなそうに松風と千鳥を見た。
「すまないね、松風、千鳥、巻き添えにしてしまって・・・・でも・・・」
次の瞬間、由利は狂気に満ちた顔で、懐から出した松明に火をつけた。
「みんな死ぬんだ! アッハハハハハ!!」
「くっ・・・・!」
聖は由利を止めようと駆け出した。が、間に合わない!
松明の火が爆薬に燃え移ろうとするその刹那、辺りに何者かの声が響いた。
「水遁の術!」
かと思うと、由利の持っていた松明の炎は消え失せていた。
由利は怒りに満ちた表情で叫ぶ。
「その声は・・・幸吉だね! 余計な事をしないでよ!」
「やれやれ・・・・」
しわがれた声と共に、その幸吉は姿を現した。腰の曲がった白髪の老人だが、ただならぬ雰囲気を醸し出している。その後ろには、忍びのような装束を身につけた少年、そして日光の町で沙織をさらおうとした大猿か控えていた。
「お前さんはいつでも勢いだけで突っ走るからのう。お目付けというわけじゃ」
幸吉のその言葉に由利は激怒する。
「ふざけんじゃないよ! あたしは、こいつらを殺すまでここを動かないよ!」
一歩も退こうとしない由利だったが、幸吉は冷静に、
「雷太よ」
「アイ」
雷太、と呼ばれた少年は、一瞬のうちに由利の背後に回り込み、彼女に手刀を入れた。ぐったりとした由利を、あの大猿が背負う。
「由利様!」
心配そうに身を起こす松風と千鳥に、幸吉はくるりと振り返って。
「安心せい、気絶させただけじゃ。雷太、先に行っておれ。松風、千鳥も共に行くといい」
「アイ」
「・・・・・・・・・・」
何か言いたそうな松風と千鳥だったが、大人しくそのまま雷太についていく。
彼らは聖の横を通る際、ちらりと彼に目線を向けた。
「由利様はああ言っておられたが・・・・お前の兄は、最期まで立派に闘っていたぞ」
「そう・・・最期まで、お前の身を案じていた。しかし、記憶喪失とはな・・・・」
あの惨劇を目の当たりにしては、聖くらいの歳の少年なら無理もない、と松風は言外に付け加えた。
「・・・一つ、訊いていい?」
「何だ?」
「どうしてあなた達は、それをぼくに教えてくれるの?」
聖は二人を見た。あまりにも真っ直ぐで澄んだ瞳に、松風と千鳥は圧倒される。
そうだ、この目だ―――。
彼は、自分達がもう失くしてしまった純粋さを秘めている。だからきっと、何も知らない彼に、言わずにはいられなかったのだろう。
「さあ、な」
けれど。
「ただの気まぐれだ」
それを素直に告げるつもりはない。
松風と千鳥はふっと淡い笑みを浮かべて、そうして部屋を後にした。
「・・・・・・・・」
聖は黙って、そんな二人を見送っていた。
結局、何故教えてくれたのは語ってくれなかったが、それでも彼らは兄の最期を知っている。
記憶には無い兄でも、少しでも彼を知る事ができて。
切なさに似た安堵が、聖の胸に込み上げてくる。
「さて・・・と」
雷太達の姿が完全に見えなくなってから、幸吉は聖達に振り向いた。
「根津や穴山辺りからお前さん達のことは聞いていたが・・・・」
言いながら、幸吉はぐるりと聖達を見回した。ふうむ、と溜息を吐く。
「何じゃ、小童ばかりじゃな」
「何だと、じじい! てめえも十勇士か!?」
声を荒げる左之助に、幸吉は飄々と。
「そうじゃとも。それがどうかしたか、馬鹿者どもが」
「バッ・・・・」
いきなり馬鹿者、等と言われて、左之助はわなわなと震えている。
つい、と剣心が前に出た。
「そなた達が主義主張を持ち、行動するのは勝手。だが、無関係の者を傷付けるのは許さぬ」
剣心の凛とした言葉に、幸吉は馬鹿にするように、ほ、と笑った。
「なんの、無関係なものか。お主ら、自分達だけが正義かと思うてか」
「え・・・?」
含みのある言い方に、聖は戸惑いを隠せない。
幸吉は更に続けた。
「この廃屋に、元は誰が住んでいたのかも知らぬじゃろう。小童どもが、偉そうな口を叩くでないわ」
「どういう意味だよ!」
じれったくなって弥彦が怒鳴りつける。が、幸吉はまったく動じない。
「知りたくば、南里家の過去を調べてみよ」
それだけを言い残すと、幸吉は煙幕を放ち忽然と消えてしまった。
まだ白い煙の残る中、
「何なんだ、アイツ・・・・」
幸吉が消え失せた空間を見て弥彦が首を傾げた。聖も、茫然と呟く。
「南里家の過去・・・・・?」
『お主ら、自分達だけが正義かと思うてか』
幸吉はそう言った。
その思いが無かったといえば嘘になるが、正義だけを振りかざして闘ってきたわけじゃない。
けれど、幸吉がああ言っていた以上、敵にも敵の正義があるということか・・・?
そしてそれは、彼らを止めるためにも、知らなければいけないのかもしれない。
聖は毅然と言い放った。
「日光に帰って、南里家の過去を調べよう!」






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