<第二十一章:繋がっていた糸>
皇海山で入手した筧の割符には、日光の町が示されていた。聖達は渋川町を経つと足を西に向け、その場所へと行くことにした。
自然に囲まれ、過去の趣を残す町日光だったが、一件だけ、やけに真新しい洋館が建っていた。町の人々曰く、そこはこの町一番の富豪・南里家で、その家の一人娘が何者かに狙われているという。
詳しい話を直接南里の者に聞くことにした聖達は、さっそくその洋館に向かった。
「わぁ・・・・立派な建物だなぁ」
歩道を歩きながら洋館を見上げて、聖はそう呟いた。レンガ造りのその洋館は荘厳な雰囲気を醸し出している。と、美しい細工が施された扉から、突然一人の町人風の男が叩き出された。
「!?」
びっくりしながらその様子を眺めていると、洋館から今度は無精髭を生やした男が現れた。がっしりとした体付きをし帯刀しているその男は、前時代の侍を思い出させた。
「この俺がいる限り、南里家には手出しさせん。帰れ帰れ!」
その男が低い声でそう言うも、町人風の男は虚ろな目で彼に殴りかかっていった。それを難なくかわし、かかってきた男を返り討ちにする。町人風の男は呆気なく吹っ飛んだ。
「ふん、まいったか」
「高瀬、終わったの?」
可憐な少女の声が洋館の中から響いてきた。その少女は侍風の男の側に駆け寄る。女学生風の着物と袴を身に纏い、柔らかな髪をリボンで結っているその少女は、十五、六歳くらいに見える。おそらく、件の南里家の一人娘だろう。
「おお、沙織お嬢さん。ごらんのように怪しい奴は倒しましたよ」
高瀬、と呼ばれた男の言葉に、沙織は良家のお嬢さんらしく少し高飛車に、
「当たり前じゃないの。あんたはそのために雇われてるんだから」
「まったく、仰せの通りですな」
それをまったく気にする風でもなく、高瀬はハハハと笑う。やがて沙織が彼を促し、二人は洋館の中に戻っていった。
「あれが、狙われてるっていうお嬢さんか・・・・」
聖がポツリと言うと弥彦も、
「じゃあ、さっきの怪しい奴も十勇士の一派か?」
と倒れている男に近付いた。見たところ普通の町人のようだが。見下ろしていると、不意にその男は目を覚ました。
「いててて・・・・。? ありゃ? ここはどこだ? 俺は何してたんだっけ??
・・・・・ま、いっか・・・・・」
聖達がいるのにも気付かず、そのまま去って行ってしまった。言動からするに、彼は何者かに操られていただけだったのだろう。
「噂は本当みたいだね」
「何にせよ、南里家の者に話を聞いてみるでござるよ、聖。行こう」
六人は南里家の扉を叩き、挨拶をした。返事は返ってこない。仕方がないのでそのまま中に入る。
目に飛び込んできたのは、絨毯が敷かれた豪華な洋風の広間。そんな絢爛な所に入ったのは初めてだったので、聖は思わずぽかんと口を開けて辺りを見回してしまっていた。
とその時、その広間へと続く階段から、すごい勢いで沙織が駆け下りてきた。咄嗟の事で判断が間に合わず、聖は見事に彼女と激突する。
「うわっ!?」
「きゃっ! ・・・・痛ーい、何こんなところで突っ立ってんのよ!」
「あ、ごめん・・・・」
どちらかというと沙織の方が悪いような気がしないでもないのだが、そこは聖、責められて思わず謝ってしまう。
と、階段から執事風の初老の男性と高瀬が連れ立って下りてきた。
「じいや、高瀬、何しに来たのよ! 私はこれからお出かけするんだから!」
「沙織お嬢様、我侭を言ってはなりませ・・・・ん?」
じいやは沙織をなだめようとしたが、広間の中に見知らぬ者達がいるのに気付き言葉を止めた。訝しそうに高瀬が聖達に目を向ける。
「あんた達は?」
「ああ、拙者達は旅の者でござる」
年長者の剣心が一歩進み出て名乗る。
「どうやら、取り込み中でござったかな」
「そんなことないわよ! 私はただ、ちょっとお出かけしようとしただけだもの」
「だから、俺がついていくと言っているでしょうが」
高瀬の言葉に、沙織はイヤイヤと首を振って感情的に声を上げる。
「私はね、可愛い小物や、リボンが買いたいの。高瀬みたいなゴツイおじさんと一緒に行くような店じゃないのよ!」
「何つーか、我侭な女だな・・・・」
弥彦がぽそっと小声でそう言い、聖も苦笑しつつも内心少し同意だった。
「そんなこと言ってもですねぇ、お嬢さんは狙われてるんですよ? 何とか十勇士とか、ふざけた名前の奴らに」
(十勇士!? ・・・・やっぱり、そうだったのか)
沙織を狙っている者がやはり十勇士だと分かって、聖達に緊張が走る。けれどそれには気付かずに、沙織は相変わらず地団太を踏んで。
「いやったらいや! 高瀬の顔なんて見たくないの!」
そう言ったかと思うと、ふいっと高瀬に背を向けてしまった。あれでは彼女が機嫌を直すまでは、こちらを向いてくれないだろう。
じいやもその事を心底分かっているようで、困りましたなぁ・・・と眉を八の字にしている。
それを見かねた薫が一つ提案をした。
「私達が一緒に行ってあげましょうか。ねぇ、剣心」
「ああ、今十勇士が絡んでくるとあらば、放ってはおけんでござるよ」
二人のその言葉を耳ざとく聞きつけて、沙織は嬉しそうに笑って振り向く。
「そうね・・・うん、決めたわ。私、この人達と買い物に行く」
「な、何ですとぉ!? 」
いきなりの急展開に驚いたのはじいやと高瀬である(聖達もだが)。
沙織に詰め寄り必死に説得する。
「なりませんぞ!」
「そうだぜ、お嬢さん、そいつはダメだ! こいつらの素性も分からないのに」
沙織はその言葉を半分聞き流し、聖に近付いてその瞳を覗き込んだ。同世代の女の子に接近されて、聖は思わずドキッとする。
「あら、この子の目は澄んでいるわ。悪い人じゃないわよ」
「しかしですなぁ・・・」
沙織は外出を諦める気はないらしい。妙案を思いついたようで、更にこんな事を言い出した。
「それでもダメなら、人質を置いていきましょう。えーと・・・」
(何だか話がどんどん進んでるな・・・)
そんな聖の思いとは裏腹に、沙織は聖達を順に見ていく。左之助のところで立ち止まって、
「そこの、ハチマキのっぽの男の人を置いていくわ。仲間が人質になってれば、悪い事もしないと思わない?」
「ハチマキのっぽたぁ、俺のことか?」
人質が自分に指定された事を知って左之助は愕然とする。加えて、他人にアダ名を付け慣れている自分が、こんな少女に妙なアダ名をつけられたという事もショックだった。
ガーンという文字を背後にしょっている左之助には構わずに、沙織はじいやに懇願する。
「ね、いいでしょう?」
「・・・仕方ないですなぁ」
じいやもついに折れて、聖達との外出を許可する。
「では、お前さんはここに残るんだぞ」
念を押すように言ったじいやの言葉に、左之助は渋い顔をする。
「チッ・・・・勝手な奴らだぜ」
「まぁまぁ。何かお土産買ってきますから」
「いらんっつーの!」
すっとぼけた宗次郎に、左之助は更に脱力する。
「この娘御が本当に十勇士に狙われているのなら・・・仕方ないでござろう。堪えてくれ、左之」
「分かってらぁ!」
剣心に言われなくても、そんなことは分かっている。ただ、色々と理不尽な気がして「理に叶っているけど腑に落ちない」という感じなだけなのだ。
何にせよ、少女を守るためにはしょうがない。
「じゃあ、俺はここで待ってるからよ。気をつけて行って来い」
「うん」
ぶっきらぼうだが温かい左之助の言葉に、聖は笑顔を返す。
うきうきした沙織を伴って、聖達は洋館を出た。
「じゃあ行きましょ。前の通りを東に行った小物屋さんよv」
彼女の言葉の通りに、聖達はその道を東に向かって歩いていく。道すがら、剣心が沙織に尋ねた。
「お主は何故、十勇士達に狙われてるのでござる?」
「さぁ? 分かんないわ。でも、多分、家がお金持ちだからじゃないの? 今まで何度か、変な奴らが家に来たり私をさらおうとしたけど、でも全部高瀬が追い払ってくれたから平気だったの」
「そうなんだ・・・」
頷きながら聖は考えた。
家が裕福だから、という事は、十勇士は金が目当てなのか? 今までの十勇士達の動向を見ると、そんな理由だけではないような気もするのだけれど。
そうこうしているうちに目的の小物屋が見えてきて、沙織は目を輝かせた。
「さぁ、いっぱい買うわよ♪」
「はは・・・。・・・・・!」
違和感に気付いて、聖は目を細めた。一件、普通の店だ。しかし、その屋根の上に、二つの人影が立っている。
その二人も、聖達を見てすたっと地面に降り立った。双方とも美しい顔立ちをした少年だった。かたや切れ長の目で緑がかった黒髪の少年、かたやあどけない顔をした色素の薄い茶の髪を持った少年。共に艶やかな戦闘装束を纏い、握り懐剣を手にしている。
聖は彼らをどこかで見た事があるような気がしたが・・・・けれどそれがどこでの事だが、いつの事だったか、分からなかった。
そう、聖には分からなかったが、彼らは神爪の里を滅ぼしにも来ていた由利の部下、松風と千鳥だった。
「お前ら、今十勇士だな!」
「婦女子をさらおうなんてどういうつもり!?」
威勢良く声を発した弥彦と薫だったが、
「答える必要はない!」
松風は冷たさをを含んだ声で言い放ち、手にした武器を構えた。千鳥も同じく臨戦態勢に入る。それを見て、薫は沙織を連れてさっと後方へ下がった。
「行くぞ!」
松風は猛然と聖に飛び掛ってきた。聖は彼の第一撃を刀で防ぐ。
ぐぐ、と鍔競り合いが続く中、冷たい彼の目と視線が合った。
「! お前は・・・・」
「えっ・・・?」
何かに気付いたようにハッとした松風に、聖も戸惑いの表情を浮かべる。しかしそれも一瞬の事、松風は後ろに飛び退き、聖と距離を取る。
「・・・まぁいい。お前が相手では遠慮はいらないようだ。―――旋輪斬!」
そのまま松風は、体を回転させながら聖に向かってきた。攻防一体の技。一度でも受ければ体はズタズタだろう。聖はそれを避けながら、反撃の仕方を考えていた。
(上半身には攻撃を当てられない・・・・だったら、下段の技で!)
松風の斬撃を食らうか食らわないかギリギリのところで待ち受けて、聖は迦陵の型を放った。足下を斬り上げられ、松風は体勢を崩し技が止まる。その隙に聖は鳩尾に肘鉄を叩き込んだ。
「ぐっ・・・!」
「松風! よくも!」
呻いて膝をつく松風の向こうから、今度は千鳥が聖に襲い掛かってきた。千鳥は片方の懐剣を聖めがけて飛ばす。聖はそれをかわせたが、既に彼の目の前まで迫っていた千鳥に思いきり蹴り飛ばされた。
「がっ!」
聖の体が地面に打ち付けられ、砂煙が舞う。咳き込みながら顔を上げると、再度千鳥が聖に向かってきていた。咄嗟に聖はそれを避け、交差攻法気味に刀を振るった。聖の力と千鳥自身の勢いと。それらがぶつかり合って、千鳥はその反動で吹っ飛んだ。
「すげーや、聖、二人ともあっという間に倒しちまいやがって!」
「ええ、こっちも手を出す暇がありませんでしたよ」
近付いて来る弥彦と宗次郎を見て、聖もほっと息を吐く。
「さあ、諦めて縄につくでござるよ」
「・・・・・・・っ」
静かながらも威圧感のある剣心の言葉に、松風と千鳥は地に膝をついたまま後ずさった。
と、彼らと反対の方向から、三尺ほどの背丈をした大きな猿がやって来た。爪と牙を剥いて唸っている。
「危ない!」
「ウギャ―――ッ!」
剣心と大猿が叫んだのは同時だった。大猿は沙織を掻っ攫おうと薫に飛び掛っていく。
「くっ!」
「な、何なのよあの猿!」
薫は沙織を抱えて横に飛び、大猿を避けた。大猿はそのまま松風達の元へ行く。どうやら彼(?)も十勇士一派のようだ。そしてまた新手が現れる。
「ヘイ、ボーイ!」
「あ、アイツ! 渋川町にいた妙な異人!」
弥彦がビシッと指を差す。そう、現れたのはあのフーディニだった。フーディニは不敵に笑い大猿に命令する。
「ヘイ、ゲットレディ、ゴー!!」
同時に煙幕を放ち、視界を隠す。辺りは白い煙で覆われ何も見えず、しばらくしてそれが開けた時には、沙織はもう大猿が抱えていた。
「沙織さん!」
聖が呼びかけるが、沙織はぐったりとしていて反応がない。気絶しているようだ。
「今のうちだ! 行くぞ、千鳥!」
「ああ!」
松風達は沙織を抱えた猿とフーディニも連れて逃げていく。
「いかん、追うでござるよ」
「うん!」
町の外へ出た彼らを追って、聖達もまた駆けて行く。と、宗次郎が剣心に言った。
「猿が抱えてるんなら、渋川町で人質を取られた時よりは危険は少ないですよね?」
「ああ、どうやら沙織殿を殺す気も無いようでござるし・・・」
「じゃあ、僕が行って沙織さんを取り戻してきますね」
宗次郎は地を蹴る足に力を込めた。
「二歩手前で十分かな」
呟いてそのまま縮地の二歩手前まで速さを上げる。土煙を上げながら、宗次郎は松風達との距離をどんどんと縮めていく。松風達が日光の町の外の沼田の森に入った辺りで、宗次郎は彼らに追いついた。
松風達も何者かが迫ってくるのは見えていたが、速過ぎてそれに反応できなかった。あっと思った時には、沙織は宗次郎に取り返されてしまった。
「なっ・・・・貴様!」
「ノ、ノォ―――ッ!」
敵わないと思ったのか、フーディニは情けない声を上げてその場から逃げてしまった。それをさして気にする風でもなく松風は宗次郎を睨んでいる。
「貴様、何故我らの邪魔をする・・・!」
「そういうあなた達こそ、何で沙織さんをさらおうとするんですか?」
質問に質問で返されて、松風は言葉に詰まる。と、聖達も追いつき、松風達と対峙した。
松風はじっと聖達を見る。しばし睨み合い、やがて松風はふっと力を抜いた。
「どうやら、この場は一度退いた方が良さそうだな」
「松風!? 何を言うんだ!?」
松風の言葉に驚き、千鳥が声を上げる。
「娘を連れて帰れとの由利様の命令だったではないか!」
「分かってる。だが、このまま闘いを続けても我々には分が悪い。由利様に一度報告し・・・改めて娘を奪取しに行こう」
「・・・・・・・・・」
千鳥は何かを考え込むかのように不満げな顔をしている。
「―――というわけだ。我々はここで一旦退こう。だが、近いうちに必ずその娘は由利様の下へ連れて行く!」
「・・・・あなた達は、どうして沙織さんを狙ってるの?」
松風は、聖の言葉には答えずに、つかつかと彼の側へと歩いていく。正面から聖の顔を覗き込み、そして松風は言った。
「確かお前は、聖といったな。
・・・・お前の兄を殺したのは、私と千鳥だ」
「・・・・・・!」
聖は息を呑んだ。言葉を失った聖を見て、松風はどこか寂しそうに不敵に笑んだ。
「行くぞ、千鳥」
松風は千鳥と大猿と共に森の奥へと去っていった。
聖は彼らの後姿を見つめたまま動かない。茫然と突っ立ったままの彼に、聖、と剣心が呼びかけた。
それでも聖の瞳は、もう姿の見えない松風達に向けられたままだった。
「あの人達が・・・・ぼくの兄さんを殺した・・・・・?」
『お前の兄を殺したのは、私と千鳥だ』
―――松風のその言葉が、聖の頭の中でいつまでも響いていた。
日光の町へと戻る道を行く一行だったが、聖は足取りは重い。力無く最後尾を歩く聖は、無言のままじっと考え込んでいるようだった。
そんな聖を気にして、剣心はくるりと彼に振り向いた。
「聖・・・・先程言われた言葉、まだ気になっているのでござるか?」
薫達も足を止め聖の方を見る。聖はこくん、と頷いた。
「うん・・・・」
「無理もない。・・・・肉親を殺した者を、目の前にしたのでござるからな」
「・・・・それもあるんだけど、そうじゃなくて・・・・・」
歯切れ悪く聖は言った。言おうか言うまいか迷っているような瞳だ。
けれど聖は意を決して言ってみた。
「だって、何も覚えていないんだ。あの人達がぼくの兄さんを殺したって言っても、その兄さんの事だって、ぼくに本当に兄さんがいたのかどうかさえ・・・・何も分からない」
淡々と話す聖は辛そうに頭を振った。
ああそうだった、と剣心は思う。もし、十勇士達が聖の里を滅ぼしたのが確かな事であったとしても、聖のその記憶は失われている。だから辛い事実を突きつけられても、聖には実感が無い。彼は、それが辛いのだろう。
「だから、あの人達が兄さんを殺したって・・・・それが分かってもあの人達に対して憎いとか、兄さんが死んで悲しいとか、そういう感情は無いんだ。でも・・・・・」
聖は胸元の服をぎゅっと握り締めた。
「何か、こう、胸の奥が苦しくて・・・・」
眉も苦しげに歪んでいる。彼の言葉通り、憎いとか、悲しいとか、そういった名のつく感情は無いのだろう。元より記憶が無いのだから、悲しみようがない。ただ、神爪の里を訪れた時のような言い様の無い苦しさだけが、聖の胸の内にあった。
記憶が無いからこそ、その苦しみがかき立てられてなお辛い。
「・・・聖君、辛い時は、泣いてもいいんじゃない?」
その言葉に、聖ははっと顔を上げた。その言葉は、確か。
「聖君と緋村さんの、受け売りだけどね」
それを言った宗次郎は、淡い微笑を浮かべていた。
そう、それは渋川町で自分達が宗次郎に言った事だ。あの時、同じように言葉にできない苦しさを味わった宗次郎。だからその彼にそう言われた事で、彼がそう言ってくれた事で、何だか喉の奥が熱くなって、聖はぽろっと涙をこぼした。
「・・・うん、ありがとう・・・・・・」
そうして聖は、少しだけ泣いた。
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