<第二十章:もう一つの顔>
渋川町の東北に位置する皇海山。緑に覆われ傾斜がきついその道を、一行は黙々と登っていた。誰も何も言わず・・・いや、言えないような雰囲気であったので。
足早に先頭を歩く剣心の後姿を見て、聖は出発前の事を思い出していた。
あの後、操られた子ども達をとりあえず親元へ返し、そしてさらわれた子の祖父に事情を説明した。その子―――修二の祖父は、突然いなくなっていた孫を探していたという。
「そうですか・・・その男は、わしの孫を人質に・・・」
うな垂れる老人に、聖はかける言葉が見つからなかった。普段通りの穏やかな表情に戻った剣心が、沈痛な面持ちで詫びを述べる。
「ご老人・・・・すまぬ、拙者達の力が及ばなかったばかりに・・・・」
「・・・・いいえ、あなた達を恨みますまい。見ず知らずの者のために、ありがたいと思っていますじゃ・・・・・ううっ・・・」
「おじいさん・・・」
老人は涙を流し、聖はいたたまれない気持ちでいっぱいになった。
「あなた達のおかげで、多くの子どもが助かった。ただ、さらわれた孫が、不憫でならぬのですわい。無事でいるのか・・・・今頃、恐ろしい目に合っているのではないかと・・・・」
「ぼく達が助けます。必ず・・・!」
聖には、その言葉しか言えなかったが、その思いは確かだった。何としてでも、あの子を助け出してみせる。絶対に。
その言葉に老人は深々と頭を下げ、お願いします、と呻くように言ったのだった。
(早く、少しでも早く、あの子を助け出さないと・・・・!)
筧は一体どこにいる。登っても登っても、それらしき場所はない。その焦りが、聖の足を更に速める。
水飛沫を上げて流れ落ちる滝の前を横切る道を通り、その先の洞窟を抜ける。青空の見える場所へ出た。
山の中腹と思われるその場所に、筧がいた。
「筧!」
剣心がその名を呼ぶ。そこにいたのは彼だけで、あのさらわれた修二の姿はどこにも無かった。
「あの子はどうしたの!?」
聖のその問いには答えず、筧はふふんと鼻で笑って。
「ごゆっくりでしたね。待ちくたびれましたよ」
「さらった子どもはどこだって訊いてんだよ!」
二度目となる弥彦のその問いかけに、ようやく筧は答えを返した。
「あの子は大事な切り札ですよ。そう簡単には教えられませんね」
「なっ・・・・!」
子どもを返して欲しくば皇海山に来い、と言ったはずなのに、その返答。筧のことだから、素直に返さないかもしれない、とは思っていたが、この男は一体どれだけ舐めた真似をすれば気が済むのか。
「・・・・お前の無駄口を聞いている時間は無いでござる」
剣心が逆刃刀の柄に手をかけながら、じり、と筧に近付いた。
「さっさと子どもを返せば、よし・・・・・」
「返さなくば?」
「・・・・・・・」
敢えて返答せず、ただ怒りに満ちた表情で返す剣心に、筧はやはり飄々と。
「おお、恐い顔ですね」
「てめえ、なめてんのか!?」
弥彦が声を荒げても、筧はそれを一笑に付して。
「ふ・・・・弟子の若彦から聞いたんじゃないですか。我々は今十勇士。伊達や酔狂で、こんな面倒な事をしているわけではない・・・と。私を止めたいのでしたら、息の根まで止めるつもりでどうぞ」
「つまり、あなたを倒せばいいってことですね。ここは僕がお相手します」
木刀を構えて、すっと前に進み出たのは宗次郎だった。聖が何事か言おうとする前に、彼に振り向いて、
「心配しなくても大丈夫。こんな人が、僕にかなうはずないから」
「・・・ほう?」
宗次郎のその一言にカチンと来たのか、筧が片眉を吊り上げた。
「言ってくれますね。若彦から聞きましたよ。あなたは昨日・・・・私達が仕掛けた化け物屋敷で、酷く錯乱してたそうじゃないですか。今は平気そうにしてますがね・・・・私から言わせれば、そんな人が私に勝てるんですか?」
「・・・・・・・」
宗次郎はただにこっと笑う。それが筧の言葉に対する返答だった。
「昨日は昨日、今日は今日ですよ。聖君はちゃんと乗り越えてるんだもの。僕もそれを見習わなくちゃ」
過去は消せない。痛みは消えない。それでも、それを乗り越えて進んでいく。
宗次郎は、聖にその強さを見た。そして、苦しみを一人で抱え込まなくてもいいと、剣心や皆が教えてくれた。
だから宗次郎は、改めて一歩踏み出すことができた。まだ答えを得るには遠いけど、いつか来るその時を目指して。
筧に対して、昨日の意趣返しをしたいという気は毛頭無い。もう、強さで全てを決めようとする気も無い。
ただ、彼と真っ当に闘って、勝ちたかった。
「言っている意味がよく分かりませんが・・・?」
「あなたに分かってもらわなくても結構です。さぁ、そろそろ始めましょうか」
筧と宗次郎が向き合う。どちらとも動こうとしない静かな雰囲気に、聖がごくっと喉を鳴らした。
その時だった。
宗次郎の姿が一瞬消え、あっと思う間も無く、筧は地に打ち付けられていた。
木刀の峰で肩をトントン叩いている宗次郎と、うつ伏せの姿勢のまま呆然として苦しそうな息をしている筧。刹那の勝敗に、一同は息を呑んだ。
「すごい・・・・」
「あいつが本調子なら、筧なんざ敵じゃねぇな」
聖は素直に感嘆の声を上げ、弥彦もどこか安心した風に言う。
「く、くうぅ〜・・・・っ」
筧は悔しそうに呻く。
若彦の話と違う。若彦の話では、こいつは昨日、かなり自分を見失ってたっていう話だったじゃないか。心の弱さを抱えた奴なら、簡単に倒せると思ったのに、何故・・・!
「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ」
宗次郎が呟いた言葉に、筧はハッとして顔を上げた。聖もまた、宗次郎を見た。宗次郎が言ったのは確か、昨日錯乱していた彼が口走っていた言葉。
聖は正直、その言葉の全てが正しいとは思えない。思いたくない。
何故ならこの世の中は、そんな強い弱いという事だけで括られる程、簡単じゃないと思うから。それでも、宗次郎にとっては深い意味のある言葉なのだと、何故か思えて止まなかった。
そしてそれを知っている剣心は、宗次郎にただ真摯な眼差しを向けていた。
「多分、ちょっと前までの僕だったら、そう言ってあなたをこのまま殺していたんだろうな」
穏やかな表情で、さり気なく恐ろしい事をさらりと宗次郎は言った。けれど、でも、と宗次郎は続けた。
「でも、今は・・・・・」
宗次郎は木刀を下ろした。本当は誰かを殺したりなどしたくなかったと気付いた・・・・いや、気付かされたあの時から、ならばもう人は殺さないと。それだけは決めていたし、もう誰かを殺めるのは、やっぱり嫌だから。
弱肉強食の理念が、間違っていたとは言えない。あの時の自分を助けてくれたのは、他ならぬその言葉。それでも、今は、その言葉だけに頼るのはやめようと。そう思っているから。
だからもう、誰も殺さない。
「ふ・・・・甘いですね。言ったはずですよ。私を止めたいのでしたら、息の根まで止めるつもりでどうぞ・・・と」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ! 覚悟しやがれ!」
筧が攻撃を受けた胸の辺りを押さえながらぐぐ、と起き上がる。詰め寄る弥彦に、筧はどうしてだか、にやりと勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「覚悟・・・? 覚悟とは、打つ手が無くなって初めてするものですよ」
「何っ!?」
その次の瞬間、背後から悲鳴が上がった。聖達がばっと振り向くと、若彦が薫を羽交い絞めにしていた。
「薫さん!?」
「ちょっ・・・・放しなさいよ!」
薫は何とか逃れようともがくが、若彦は薫の首筋に短刀を押し当てていた。川原での時と同じだ・・・これでは、手が出せない!
聖達が焦りの色を浮かべる中、若彦は薫を捕らえたまま悠々と筧の元へと行く。
「よくやりましたね、若彦」
「若彦、一体どうして・・・・牢屋に入れられたはずなのに?」
聖のその言葉に、若彦は余裕の表情で。
「カラクリ、罠抜けはお手の物。筧様、お待たせしました」
「よしよし。結果として人質が増えました。行きましょう」
「け・・・剣心!」
無理矢理連れて行かれそうになり、苦しそうに薫が声を上げる。
「薫殿!」
「安全な場所まで行けば、解放してあげますよ。では、失礼!」
それだけを言い残すと、筧と若彦は薫を連れて山頂の方へ去っていった。またしてもまんまとしてやられ、聖の中に悔しさが湧き上がる。
「あいつ・・・・どこまで汚い手を使えば気が済むんだ・・・・!」
「焦っては、相手の思う壺でござる。薫殿ならきっと大丈夫でござるよ」
聖の肩にぽんと手を置きながら、剣心がそう諭す。
「やっぱり、ちゃんとトドメを刺しておけば良かったかなァ・・・」
こんな事態になってしまったことを、多分自覚の無いうちに気にしたのか、ぽつりとそう言う宗次郎に、剣心は優しく微笑みかける。
「いや・・・・お主がもう誰も殺したくないと言うのなら、それでいいのでござるよ。正直、お主が筧を殺そうとしなかったのを見て、ほっとしたでござる」
彼がこの先、どういった答えを出すのかは剣心にも分からない。それでも彼が、もう人は殺さないと、そう思っていた事に安堵せずにはいられなかった。
「さぁ、筧を追いかけるでござるよ」
「今十勇士だか何だか知らねぇが・・・この落とし前はきっちりつけさせてもらうからな!」
左之助も筧のやり方に怒り心頭の様子で、拳を掌にバシッと打ち付けている。そのままダッと駆け出し、聖達もそれに続く。山頂までの道を走り続け、あともう少しで着く、というところで、弥彦がふと足を止めた。
「どうしたの?」
沈んだ様子の弥彦が気になって、聖達も立ち止まる。弥彦は俯いていた顔を上げ、剣心に尋ねた。
「剣心・・・・本当に薫は無事だと思うか?」
彼女の事を信じてはいても、その心配が弥彦は消えなかったのだろう。聖も内心抱えていた思いだったので、何と返せばいいか分からなかった。
剣心がすっと弥彦に近付き、その目を見据えて言った。
「薫殿とて、一流派をになう剣客でござる。心配はござらん」
その言葉は、弥彦を力付かせるためだけのものではなかっただろう。剣心は、薫を心から信じている、だからこそ出た言葉。
「そう、か・・・? うん、そうだよな」
「そうだよ。きっと、薫さんは大丈夫だよ」
その力強さに、弥彦も自信を取り戻す。聖も、また然り。
「よし、行こうぜ!」
気を取り直して、一行は更に山頂へと進む。
しばらく行った所で視界が開け、再び青空が見えた。山頂だ。その場所には、小さな木造りの小屋があった。
「どう考えてもこの中だよね。行こう!」
聖が小屋に向けて歩を進めると、突然横開きの戸ががらりと開いた。筧か、と思い身構えたが、その影は意外にも小さかった。
「助けてぇ!」
涙を浮かべて飛び出してきたのは、筧に連れ去られた子、修二だった。修二が無事だった事に安心し、聖はほっと息を吐く。
「よかった、もう大丈夫だよ」
修二に近付こうとする聖に、剣心がハッとして声を上げる。
「待つでござる!」
「ギャハハハハッ!」
剣心の制止の声と、修二の狂気じみた笑い声が飛ぶのは同時だった。修二は勢いよく聖を突き飛ばす。
「わっ!? ・・・・まだ、操られたままなの!?」
すぐに体勢を立て直し、聖は修二を見た。よくよく見れば、目の光は鈍く、口元にも薄ら笑いが浮かんでいる。
「どうやら、そうらしいでござるな。薫殿は・・・・」
剣心は開け放たれたままの戸へ目をやった。程なくして、そこから今度は聖達がよく見知った少女が出てきた。そう、言うまでもなく、薫だった。
だが。
「・・・・・・・・・・・・」
「薫!」
いつもの明るい顔ではなく、どこか遠くを見つめる眼差し。弥彦の呼びかけにも、何の反応も示さない。
「薫殿!?」
「・・・・・・・・・・・・」
剣心の声にさえ。嫌な予感が、聖達によぎった。
「まさか、薫さんまで・・・・?」
茫然と呟く聖。薫ならきっと大丈夫だと、信じていたのに。それなのに、まさかこんな。
絶望を感じた聖達の前に、今度こそ、筧と若彦が小屋の奥から姿を現した。
「ようこそ、ここまで。さあ、二人を返しますよ。もっとも・・・・素直に帰るとは限りませんけれど」
くっくっと笑う筧が癪に触る。どこまで汚い手を使うんだ、この男は!
「薫さんにまで、術をかけたな!」
「さて、無事に連れて帰れるといいですねぇ」
聖の鋭い声にも少しも動じず、筧は指をぱちんと鳴らした。それに呼応して、薫と修二が聖達に生気の無い顔で詰め寄ってくる。聖達は後退するしかない。
「おや、どうしました?」
筧が可笑しそうに嘲笑する。聖達は二人に崖の方にまで追い詰められてしまっていた。
「どこまで逃げる気ですか。せっかく人質を帰すと言っているのに」
「うるせぇ! 汚ねぇ真似しやがって!」
声を荒げる左之助。今すぐにでも、筧をぶん殴ってやりたいのに。恐らく向かって行ったところで、筧の操り人形と化した薫達に阻まれてしまうだろう。彼女らを攻撃するなど、できるはずも無い。聖達も、それを同様に思っていて。
抵抗の意志を見せない彼らに、筧はさも残念そうに溜息をつく。
「フウ・・・・これでは面白くありません。しょうがない」
筧が手招きをすると、薫と修二は彼の前まで歩いていく。剣心が剣呑な瞳を向けた。
「何をする気でござる!」
「あなた達が相手をしないのなら、彼ら同士で楽しませてもらおうと思います・・・・。さあ、目の前の相手を倒しなさい」
「! 筧、やめろ!! 薫さん、しっかりして!!」
聖が叫ぶが、薫は眉一つ動かさない。筧はやれやれ、といった風に大袈裟に肩を竦めて。
「無駄です。今の彼らには、あなた達の声など聞こえない。さあ、やれ!!」
「薫殿!!」
「・・・・・・っ!」
剣心の声に、少しだけ薫の表情が歪んだ気がした。けれどそれでも、彼女は修二に竹刀を向け、そのまま飛び掛っていく。修二の方もまた、短刀を突き出す。
「薫さん!」
聖の悲痛な声が辺りにこだまする。薫は修二と打ち合って離れ、立ち尽くした。苦しそうに頭を振る。様子がおかしい。
隙だらけの薫に、修二が短刀を投げつけた。
「きゃああっ!」
「薫殿!」
倒れた薫に聖達が駆け寄る。剣心が薫を抱き上げると、その瞳は優しい色を浮かべて、彼を見上げた。
「大丈夫・・・・咄嗟に避けたから、深い傷じゃないわ」
「薫殿・・・・」
剣心がほっとしたように彼女の名を呼ぶ。微笑みを浮かべた薫は、剣心にいつも向ける眼差しをしていた。筧の術から、完全に逃れている。
それに気付いて、筧は驚愕の声を上げる。
「私の術が効かなかったと!?」
「これでも鵜堂刃衛の”心の一方”を破った女よ・・・・神谷活心流をなめないでよね」
薫はすっと立ち上がる。毅然とした薫の態度に、弥彦が心底嬉しそうに
「やったぜ、薫!」
とぐっと拳を握り締めた。反対に、筧は忌々しそうに。
「むむ・・・ならば、子どもの方だけでも!」
「させないわ!」
薫は筧を突き飛ばして、修二の元へ向かった。
操られている間、薫は強靭な精神力を以ってして、ずっとその意識があった。心の一方の時もそうだったが、強い意志を持ち、術になど負けないという気概で、薫は筧の術を破ったのだ。
今度こそ、これ以上あの男の思い通りになどさせてはならない!
「君、しっかりして! こんな奴らに、勝手に体を操られてたまるもんですか。さぁ、心をしっかり持つのよ!」
「うう・・・・・」
薫のその言葉が胸に響いたのか、修二が苦しそうに呻く。
「そんな言葉、役に立つものか! 早く、その女を殺すんだ!」
「ううっ!」
筧の命令に修二はもがくように暴れ出し、再び短刀を取り出して薫に向ける。薫は修二の右手首をしっかりと握って押さえつけて。
「しっかりして、君! 指先に神経を集中させるの! 大丈夫、こんな術、破れるわ」
「う・・・・・」
「何をしている! もたもたするな!」
修二は更に体をよじる。冷や汗が流れ落ち、顔も苦痛に満ちている。けれどそれは、修二が懸命に筧の術に立ち向かっている証。もう一歩だ、と薫は思い、励ますように優しくも厳しい表情で語りかけた。
聖達は、息を呑んで彼女達を見守っている。
「君の体は、君のものよ! 奴らに負けないで!」
「う・・・・・」
「殺せ!!」
「う・・・・・」
「負けないで!!」
「ううっ!」
薫と筧、相反する言葉に修二は頭を振った。薫を突き飛ばし、短刀を構える。その様子に、筧はにやりと笑う。
「そうだ、それでいい!」
「うう・・・・うわああ―――っ!!」
しかし、筧の思惑とは裏腹に、錯乱した修二は滅茶苦茶に走って若彦へ突っ込んでいった。若彦はちっと舌打ちし、修二の鳩尾へ拳を入れる。
倒れた修二に薫は駆け寄り、その体を支えた。顔を覗きこむと、その瞼が力無くゆっくりと開き、澄んだ目が薫を見つめた。
「・・・お、ねえちゃん・・・・」
「しっかりして!」
「ごめんね・・・お姉ちゃんの声、聞こえてたのに・・・体がいうことをきかなくて・・・・」
修二の言葉に、薫は首を振った。自然と瞳に涙が浮かぶ。
「ううん、君は自分の力で筧の術を解いたのよ! すごいわ・・・・」
「・・・えへへ・・・・・」
修二は照れ臭そうに笑い、がっくりとうな垂れた。慌てた薫だったが、どうやら修二は気を失っただけのようだった。術を解くために全精力を使い果たしたためだろう。
「馬鹿な! あんな子どもにまで、術を破られるとは!」
「言うことは、それだけなの!?」
狼狽した筧に、薫が怒気を含んだ言葉を放つ。修二をそっと草の上に横たわらせ、竹刀を構えて筧に向き直った。と、
「・・・・その子を頼む」
怒りの表情を浮かべた剣心が、すっと前に進み出た。凍りついたような冷たい眼差しに、薫の胸がざわめく。
「け、剣心・・・・?」
「・・・・・・・・」
薫の呼びかけには答えず、剣心は筧達を見た。筧達の非道な行いの数々は、剣心を本気で怒らせるには十分だった。
そう、そしてそれは、剣心のもう一つの顔が現れるのを意味する。
「人を弄び、身勝手な野望のために使い捨てる・・・。貴様らだけは、許しておけんな」
「・・・・上等です。これ以上は術も使えないようだ。ここで決着をつけましょうか」
筧を庇うようにして、若彦が剣心の前に出る。
「筧様、ここは若彦にお任せを」
「うむ・・・・」
頷き、後ろへと下がろうとした筧だったが、剣心の目にハッとして足を止める。
「時間がもったいない。二人同時に相手をしてやる。・・・・・・来い!」
研ぎ澄まされた凄まじい剣気が、剣心から迸った。
針を突き刺したようなその鋭さに、筧達は勿論、聖達も圧倒される。ビリビリと、体の心から痺れるような、そんな感じだ。
「う・・・・うっ?」
筧は剣心に気圧され、後ずさった。剣心はそんな筧を見据えながら、抜刀術の構えを取った。
(・・・・? いつもの剣心と違う・・・・?)
そのことに気付いた聖が、少し前に進み出る。剣心の怒りの表情は見た事があったし、闘うところを見るのも初めてではない。
それでも、今の剣心は、明らかにいつもの剣心と違う。うまく言葉では表せないが、彼を纏う空気そのものが違うような―――・・・。
「奴ら、剣心を本気で怒らせちまったようだぜ」
険しい顔をして、弥彦もまた剣心を見ている。
「あれが抜刀斎・・・・・緋村剣心の、普段は見せねぇ、もう一つの顔だ」
左之助の言葉に、聖は顔を上げる。
抜刀斎。
その名は聞いたことがあった。閉ざされた神爪の里の中にも、外部の情報を収集してくる者がいて、その人が語ってくれた。その人の事は勿論、神爪の里に関するすべては忘れてしまった。それでも、得た知識は聖の中に眠っている―――だから、その抜刀斎のことは記憶に残っていた。
時は幕末、”人斬り抜刀斎”と呼ばれた志士がいた。修羅さながらに人を斬ったその男は、動乱の終結とともに歴史の表舞台から姿を消したという。最強という伝説だけを残して。
その話を聞いた時、聖は抜刀斎に畏怖と尊敬の念を抱いた。一体どんな人物なのだろうと思った。
けれど、それがまさか、剣心だったなんて!
「そんな・・・剣心が・・・?」
聖は驚きを隠せず、剣心を見た。彼が筧に向けているのは、冷たい眼差し。いつもの剣心の優しい瞳じゃない。
「あれが、抜刀斎・・・・」
志々雄から話に聞いていた抜刀斎を目の当たりにして、宗次郎も茫然と呟く。剣気の通じない彼でも、抜刀斎の強さがどれ程のものなのか、肌に伝わってきた。
誰もが、あまりの緊迫感に動けずにいた。
「どうした? 今更、怖気づいたのか・・・・」
硬直したままの筧達に、剣心が静かに問いかける。
「ほざくな、浪人風情が!」
若彦が独楽を手に剣心へ向かっていく。剣心は即座に抜刀、刀を一閃させた。独楽と紐が若彦の手から離れ、地に落ちていく。
「うおっ!?」
「は、速い・・・・・!?」
その抜刀術のあまりの速さに、筧と若彦は驚きの声を上げる。剣心は何も言わず、二人を睨みつけたままだ。
「ま、まだまだっ!」
このまま引き下がれない、と思った若彦が、再度剣心に向かっていく。が、剣心が素早く振るった逆刃刀を腹に食らい、苦しそうに地に膝を着く。
「・・・どうした? 貴様達が相手をできるのは、女子どもだけなのか?」
冷徹な剣心の言葉に、若彦が悔しそうな声を上げる。
聖は目を見開く。驚きのあまり声も出ない。強さの桁が違う。強過ぎる。こんなにも、”抜刀斎”は強かったのか。
剣も、その様子も、普段の剣心とあまりにも食い違う。これが、抜刀斎―――。
「こんな・・・・こんなに実力差があるとは。あ、相手になるはずが無い・・・・・」
ようやく剣心の本当の恐ろしさを知り、筧がじりじりと後ずさる。その姿に弥彦が声を飛ばす。
「筧! てめえ、一人で逃げる気かよ!」
「化け物相手に、まともに闘える筈が無い! これでも食らえ!」
「!」
筧は右目に指を突っ込んだかと思うと、すぐさまそれをえぐり出して剣心と若彦に向かって投げつけた。驚きに満ちた若彦の顔が筧の目に映った次の瞬間、爆発が起こった。爆風が迸り、土煙が上がる。
「剣心!」
薫が涙声で彼の名を呼んだ。
「剣心・・・!」
爆煙で何も見えないのがもどかしい。聖の胸にざわざわと胸騒ぎがした。下妻町でも同じようなことがあった。あの時は宗次郎が爆弾を爆発する寸前に避けていたから事無きを得たが、今回は、若彦と剣心が爆発に巻き込まれたのをしっかりと見てしまった。
剣心は、果たして無事なのか。
煙が風によって空へと運ばれ、彼らの姿がようやく見えた。横たわる若彦と、膝をついた剣心。
それを見て、義眼を失い片目を閉じた筧が、狂喜の声を上げる。
「義眼に仕込んだ爆弾の威力はどうだ! いくら化け物じみた奴でも、これなら・・・・」
「そ、そんな・・・・筧様・・・・・」
ぐぐ、と若彦が動いた。その爆弾は、通常の爆弾より大分爆薬を押さえてあったとはいえ、人を殺傷するには十分だった。捨て駒にされた、ということを感じながら、若彦はそのまま、ばたりと地に伏して、動かなくなった。
そして、そんな彼とは正反対に、剣心は膝をついていた状態から、ゆっくりと立ち上がった。
「ゲゲッ!」
筧の顔が途端に引きつる。見れば、剣心はところどころに火傷は負っているものの、体そのものはまったく無事だ。
恐らく・・・・筧は焦りのあまり、うまく狙いを定められなかったのだろう。そして若彦だけが死に、剣心は生き残った。
「剣心・・・・」
素直には喜べないが、聖はほっと息を吐く。薫も、気が抜けたのか、地面にへたり込んでいた。
「・・・・部下まで巻き添えにして、生き長らえようとする・・・・。それが、貴様の大義か!」
「ひっ・・・・!」
カッと剣心の目が見開く。鋭い眼光に筧は震え上がった。
「た、立ち上がるとは・・・・本物の化け物か!?」
筧はダッと逃げ出す。どう考えても勝ち目は無い。こうなったら逃げるしか!
けれど、逃げた先に黒い影が現れ、筧の行く手を阻む。
「うおっ!? お、お前は・・・・」
「・・・・・我らの大義を汚す者・・・・・」
黒い忍び装束を纏ったその者は、それだけ筧に告げると、刀で彼を突き通した。
筧の目が苦しそうに見開き、聖達にも驚きが走った。
「な、何故私が・・・・」
「・・・・・・・・・・」
筧の口の端から血が流れ落ち、唇は小さく震えた。が、やがてそれも止み、筧はがっくりと頭を落とした。筧が死んだのを確認すると、男は無言で彼をそのまま崖の向こうに突き落とした。
呆気に取られる聖達の前で、男は今度は若彦の死体にも近付き、同じことをした。
卑劣な師弟が崖下に消えていったのを見て、男はそのまま、空気に溶け込むようにしてふっと消えた。男が今までいた場所に、からんと割符が落ちた。
「今のは、筧の仲間かな・・・・・?」
「そうね、きっと・・・・・」
誰にでもない聖の問いに、薫がそっと言葉を返す。
あの黒い影は、先日の神谷道場での闘いの時にも姿を現した。その時は闘いに敗れた海野達を回収しに来たようだったが、今回は、彼の”我らの大義を汚す者”、その口ぶりからするに、筧を粛清しに来たようだ。
聖は複雑な気分だった。確かに、筧は憎らしい敵だった。それでも、この後味の悪さ。まぁ、ある意味これは、彼に相応しい最期だったのかもしれないが。
「まぁ、でもとにかくこれで、操られてた子ども達も正気を取り戻すはずだぜ」
「そうだね・・・・」
弥彦の言葉に頷きながら、聖は剣心を見た。剣心は無言で、黒装束の男が消えた空間を見つめている。
剣心から発せられていた先程までの鋭い剣気は、すっかり消え失せている。
「・・・・・聖。あれが、拙者のもう一つの姿・・・・緋村抜刀斎でござるよ」
剣心は後姿のままそう言った。もう一つの自分、抜刀斎が聖を怖がらせてしまったのではないかと、それを思うと、容易に振り向けなかった。けれど。
「剣心・・・・良かった、無事で」
聖は、剣心の前に回りこんで、その顔を見つめた。きょとんとしている顔は、いつもの剣心の顔だ。
「聖、拙者が・・・・抜刀斎が怖くないのでござるか?」
その問いかけに、聖は笑顔を返した。
たとえ抜刀斎であろうと、剣心であろうと、彼が”緋村剣心”という人間であることは変わらない。
そう、聖が記憶を失っていても、”聖”という人間であるのと同じように。
それを教えてくれたのは、他でもなく。
「ぼくがぼくだって言ってくれたのは剣心でしょ。だったら剣心だって、抜刀斎だろうと何だろうと、剣心じゃない!」
飾り気無い、聖の素直なその言葉に、剣心は微笑った。聖がそんな風に言ってくれた事が、嬉しかった。
「・・・・ありがたいでござる」
聖に礼を言うと、剣心は腰を抜かしたままの薫に近付き、手を貸して彼女を立たせた。
「薫殿、大丈夫でござるか?」
「ええ、大丈夫。それにしても、こんな小さい子まで利用するなんて・・・今十勇士、絶対に許せないわ!」
薫の目線の先には、未だ意識を失ったままの修二。年端も行かない者に、あんな真似をさせるなんて。改めて怒りが跳ね上がる。
「それももっともでござるが、まずはとにかく、この子を家に帰すでござるよ。ご家族も心配しているはず」
「そうね。帰りましょうか」
子どもを連れ、割符も手に入れ、一行は山を下りた。
ふと、剣心は足を止め、思う。
(今十勇士のあれ程の執念・・・・一体、何故・・・・?)
空は青から橙色へ移ろいつつあった。それを一度仰ぎ見て、剣心は再び歩き出した。
渋川町に戻るとすぐに、聖達は修二の家へと向かった。孫が無事に戻ったことが分かると、その子の祖父は涙を流して喜んだ。
幸いにも修二には大した怪我も無く、家について間もなく覚醒した。
「お姉ちゃん達・・・助けてくれてありがとう」
修二はすっかり元気になり、はにかんだ笑顔で礼を述べる。祖父もまた、深く頭を下げて。
「孫が戻ってきたのも、この町が救われたのも、すべてあなた達のおかげ・・・・・本当に、ありがとうございました」
「いやいや、礼には及ばぬでござるよ」
「自分の力で、筧の術に勝ったんですものね」
「うん!」
薫の言葉に、修二は嬉しそうに笑う。
「それでは、私達はこれで・・・」
「また遊びに来てね!」
聖達の姿が見えなくなるまで、修二は手を振っていた。
町中を歩きながら、そこが活気に満ちた場所である事に気付く。夕暮れが辺りを淡い光の色に染め上げている中でも、路地を走り回る子ども達は、みんな元気一杯だ。
「筧に操られてた他の子ども達もみんな正気に戻ったって言うし、めでたしめでたし、だな」
「うん、そうだね」
弥彦に頷きながら、聖はこの町や皇海山であったことを思い出す。
色々な事があったけれど、この平和な風景を守れて良かった。みんなと、こうしてまた一緒に歩けて良かった。
「どうしたの、聖君? ぼーっとして」
「何でもないよ、宗次郎さん。ただ、この町では色々あったなぁって、それを考えてたんだ」
「そうですね。色々な事がありましたね・・・」
「何しんみりしてんだよ! 無事に事件解決したんだから、今日は宿でパーっと飲もうぜ!」
「お、いいねぇ♪」
「ちょっとちょっと、飲むのもいいけど、程々にしておきなさいよ」
「固いこと言うなって。なァ、剣心!」
「おろ〜・・・」
聖はくすくすと笑う。
人は、胸の内に様々なものを抱えている。それは自分だけではないのだと、聖はその事を、改めて知った。
それでも、みんなとこんな風に笑い合えるのがとても嬉しい。誰かとこうして一緒にいられる事が、すごく幸福であるように聖には思えるのだった。
第二十一章へ
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ハイ、というわけで筧編終了です。
正直な話、筧編前半に全精力を使い果たし、なかなか続きを書けないでいました・・・書きたくて書きたくて仕方ないシーンを書き上げてしまったゆえ燃え尽きてしまったというか・・・。でも、皇海山で剣心が抜刀斎に戻るシーンはすごく好きなので、頑張って気を取り直して書きました。皇海山でのシーンはどうしても一章に収めたかったので、二十章えっらい長くなっちゃいました(ハハハ・・・(汗))
この章では、ちょっと剣心×薫っぽいシーンを随所に入れてみました。うまく書けなかったけど(爆)。剣心×薫・・・好きなんだけど、書きなれてないのバレバレですな(汗)
聖が抜刀斎のことを知ってる、ってのは、まぁオリジナル設定ですね。だって、知ってないと驚きにならないじゃん!!と思いまして。聖は神爪関連はすっぱり忘れてるけど、生活の仕方とかは覚えてるようなので、知識も覚えてるのではないかと。まぁそんなわけで。
それと、剣心が筧に爆薬食らうシーン! ゲームやってても、オイオイ剣心なんで大怪我して無いの!?と突っ込みたくなるシーンですが、まぁ、上の小説で書いたような風に脳内補完してます・・・。
というわけで、次は由利・幸吉の章です。
またしてもオリジナル展開が多くなる予感。
2004年10月17日
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