<第二章:忍び寄る狂気>


「きゃああっ」
「あいつら、どうにかしてるぞ!」
「助けてくれぇっ!」
神谷道場の前へ、必死で逃げてくる町人の男女が数人。それを、四人の愚連隊が追いかけてくる。
「うひゃははははっ!」
「オラオラ、逃げ回るんじゃねぇよ!」
愚連隊は、不気味な笑いを撒き散らしながら、剣や木刀を手に人々へ迫っていく。その目はどれも皆、何かに取り憑かれたかのような鈍い光を放っている。
「何なの、この騒ぎ!?」
そこへ薫が道場から飛び出してきた。小袖姿ではあるが、家を出る直前に手にしてきた竹刀がなお凛々しさを感じさせる。
「何だ、お前は?」
「それはこっちの台詞だぜ! 人ン家の前で暴れ回りやがって!」
一人の愚連隊の言葉に、薫より一歩遅れてやってきた弥彦が答える。その後ろから、聖と宗次郎も続く。
「一体何が起きたんだ?」
「穏やかじゃないですねぇ・・・」
「死ね―――っ!!」
のほほんと呟いた宗次郎とは対照的に、髪の逆立った愚連隊が町人に突然襲い掛かる。しかし、さっとそこへ割って入った薫に突き飛ばされた。
「天下の往来で何してるのよ! 相手は丸腰じゃないの!」
薫は倒れた愚連隊をキッと睨みつけた。愚連隊も、負けじとガンを飛ばしてくる。
「何だてめーは! 邪魔しやがるとてめえらからぶっ殺すぞ!」
「やれるもんならやってみなさいよ!」
正面を切って向かい合う薫と愚連隊。町人達に、今のうちにといって逃がしながら、聖は何かを感じていた。
(薫さんは、多分あんな人達相手に負けないだろう。でも、何だろう、この感じ・・・・)
胸の奥が熱くなってくる。掌が震える。
〈ぼくも、闘える・・・?〉
聖の体は自然に動いた。腰の短刀をさっと抜き、逆手に持って構えると、薫の隣に立った。
「! 聖君!?」
「お前も闘えんのか! よーし、このバカを助太刀しようぜ!」
「バカとは何よ! それに、助太刀なんてされなくても、私一人で・・・・」
「十分だとは思いますけどね。まぁ、念には念をってやつで」
弥彦、宗次郎も薫の横へつく。宗次郎は、ちゃっかりと、先程薫が倒した愚連隊の木刀をいつの間にか頂戴していた。
「・・・いいわ。行くわよ!」
四対四の勝負が始まった。
薫の胴打ちは見事に当たり、弥彦の巻き抜け面も綺麗に決まった。宗次郎もたった一撃で相手を倒していた。
そして、聖。
彼が対峙していたのは、愚連隊を先頭に立って率いていた男だった。長い木の棒を持って、馬鹿笑いをしながら向かってくる。乱暴なその攻撃を、聖はひょいひょいと避けた。
(何でぼくは闘えるんだ?)
相手はおそらく、戦闘に関しては素人。そうだとしても、何故一度も攻撃を喰らわない? どうして自分はこんなに身軽に動ける?
(・・・・だけど)
愚連隊の一撃をかわし、当身を喰らわせ、刀の柄で腹に攻撃を叩き込む。愚連隊はたったそれだけで呆気なく仰向けに倒れた。
どうして自分がこんな風に闘えるのか分からなかった。でも、これだけは、確か。
(ぼくも、闘える・・・・!)
「やるじゃん、聖!」
「ぅわっ!?」
僅かに乱れた呼吸を整えていた聖の背中を、弥彦がパンと叩いた。不意打ちにびっくりする聖。
「あなたも闘えるなんてちょっと意外だったけど、すごいじゃない」
「いい体術でしたよ」
「・・・・・・・」
薫と宗次郎にもそう言われて、聖は何だか照れくさくなって頭を掻いた。と、
「つ、強え・・・・」
「くそ、おぼえてろ!」
愚連隊がゆっくりと起き上がり、捨て台詞を吐いて逃げていった。たった一人、聖が倒した男だけが残る。様子が変だ。
「う・・・・。きゅ、急に頭が・・・・!」
そのまま、頭を抱えて気絶してしまった。ぽかんとする四人。
「な・・・何? どういうことなの、一体」
「うーん・・・・」
驚いて立ち尽くした薫の横を、スタスタと宗次郎が歩いていく。そのまま、倒れている愚連隊を覗き込んだ。
「さっきのこの人達の目、普通って感じじゃなかったですよねぇ」
「あ、ああ、確かにな」
宗次郎の言葉に、弥彦は愚連隊の目を思い出す。焦点が合わず、血走っていた目・・・。
「この人に話を聞いてみた方が良さそうですね」
「そうね。弥彦、恵さんを呼んでおいで」
「ああ、わかったぜ!」
薫の指示を受け、弥彦は町の方へ駆けていった。
「さあ、私達はこの人を運びましょう」
「ええ。あ、聖君、そっち持ってくれないかな?」
「あ、はい」
愚連隊を運びながら、聖はぼんやりと思う。
これは何かの始まり?
それとも、
もう何かは始まってしまったのか、と。







つい先程まで聖達が話をしていた座敷に布団を敷き、愚連隊を寝かせた。その横に、薫と聖、宗次郎。
「おーい、連れてきたぜ」
弥彦が髪の長い美人を伴って入ってきた。町の診療所で助手をしている恵である。
恵はその綺麗な顔に、少しばかり不満の色を浮かべていた。
「まったく、わけも言わずに引っ張り出すんだから・・・・・って、あら、そちら、お客様?」
恵は聖と宗次郎の方に目を止め、訊いた。
「あ・・・うん。こっちは、えっと、瀬田宗次郎君」
薫が宗次郎を紹介すると、案の定、恵も顔を引きつらせた。
「それって、剣さんが言ってた志々雄一派の―――」
「まぁそうなんだけど、今は悪い人じゃないわよ(多分)」
「はじめまして」
確かに、にこにこにこと笑う宗次郎は悪人には見えないのだが・・・・彼が剣心につけた傷の治療をしたのは何といってもこの恵。何だか複雑な気分の彼女である。
「そ、そう。まぁいいわ。私は高荷恵。医者をしているの。それで、こちらは?」
今度は聖に目を向ける。
「こっちは聖君。道でぶつかったのが縁で知り合ったの。でもそういえば、まだ名前しか聞いてなかったわね。せっかくだし、あなたのこと、もっと詳しく教えてくれない?」
「え・・・と」
薫の質問に、聖は顔を曇らせる。
自分のことを考えようとする。
名前は・・・聖。
年齢は、・・・・・? どこから来たのか、・・・・?
分からなかった。
頭の中に白い靄がかかったようで。
ただ、頭が痛い。締め付けられるような痛み。
思い出せない。
あの流浪人さんに訊かれた時と、同じで。
「聖君!」
突然頭を抱えてうずくまってしまった聖を心配して、薫がその名を呼ぶ。恵がさっと聖の体を支えた。
「ちょっと、あなた、」
「どうしたってんだよ、いきなり?」
「?」
弥彦も宗次郎もびっくり。
聖の様子をしばらく見て、恵は言った。
「・・・何も思い出せないのね。無理に考えようとすると、頭が痛くなるんだわ」
「どういうこと?」
薫が聞き返すと、恵は続ける。
「この子は、おそらく記憶喪失・・・名前以外の記憶を、すべて失くしているのよ。何か、余程の体験をしたんでしょうね」
「そんな・・・治す方法はないの?」
「・・・分からないわ。何かの拍子に、ふっと記憶が戻るということもあれば、一生そのままということも・・・」
「そのまま・・・?」
恵と薫のやり取りを、聖はただ漠然と聞いていた。
記憶喪失? 何か余程な体験をした? 一生そのままかもしれない?
自分の身に、一体何が起きたんだ?
「聖君!」
薫に肩をがっと掴まれて、聖ははっと我に返る。目の前には、心配そうな顔をした、でも真剣な薫の顔。
「記憶が戻るまで、うちにいていいからね! 一緒に頑張ろう!」
「薫さん。・・・・・・。
・・・ありがとう」
その、真摯な気持ちが、嬉しかった。
「う・・・ん」
その時、布団で寝ていた愚連隊の男が目を覚ました。
「ここは・・・どこだ? 俺、何でこんなところにいるんだ?」
上半身を起こして、周りを見回す男。見慣れぬ室内、更に見知らぬ者達に戸惑っている、といった感じだ。目の鈍い光は、消えているようだった。
「何で、じゃねぇ! 大暴れして、ぶっ飛ばされたのを忘れたか!」
弥彦が、頭から湯気でも出しそうな勢いで怒る。男は驚きに目を見開いて、
「大暴れだと、一体、何のこった?」
「今更しらばっくれる気かよ!」
「待ちなさい!」
思わず掴みかかろうとする弥彦を恵が止めた。そして男に向き直る。
「あなた、ちょっと目を見せて」
「えっ? な、何で・・・」
「いいから! それから口を開けて、舌を見せてちょうだい」
男は恵の迫力に押され、黙ってされるがままになっている。しばらく男の様子を見て、恵は、
「うーん、特に薬物を使っていたわけでもなさそうね」
「じゃあ、その人も記憶喪失、ってやつですか?」
宗次郎の問いにも、小さく首を振り、
「違う、と思うわ。もっと、何か、こう、作為的な感じ」
そう答えた。薫は、男の顔をじっと見る。
「だけど、嘘をついているようには見えないわよ。本当に、自分のやったことを覚えてないみたい」
「催眠術か何かかもしれないわね。でも、誰が何のためにそんなこと・・・」
考え込む恵。一同も揃って同じように首をひねる。その様子に痺れを切らせた男が言った。
「おい、何なんだよ? 俺が何したって言うんだよ?」
「お前は誰かに操られて、町中で武器を振り回してたんだよ」
「誰かに何かをされたか、とか、覚えてない?」
「な、何だって!?」
弥彦と聖にそう言われて、男は仰天顔。本当に何も覚えていないようだ。天井を見上げて、しばし考えている。
「・・・・・何も覚えてねえや。クソ。この俺があっさり操られちまうなんて・・・・」
そのまま黙り込む。蝉時雨だけが空しくその場に響き渡る。と、
「そうだ! 何となく思い出してきたぜ。同じ顔した子どもが三人、楽しそうにケタケタ笑ってやがったんだ」
「子ども? それって、男の子? 女の子?」
「女だったぜ。そう、確か、仲間とメシ食いに行って・・・そこで、会って・・・それから何も分からなくなって」
「どこの店?」
「赤べこ、っていう牛鍋屋だったぜ」
「赤べこ!?」
赤べこ、の単語を聞いて、薫と弥彦はさっと顔色を変える。
「大変だわ! 赤べこって私達の知り合いがいるお店なの。妙さん達に何かあったら・・・・」
腰を浮かしかけた薫に、男は、
「ちょっと待った。何だかよくわからねェが、何にしても迷惑かけちまったこと、謝るぜ。俺は桧ノ山隼人。東の橋の側の長屋にいるから、何かあったら訪ねてくれよ」
「もう大丈夫なの?」
「おう。俺は俺で、俺にそんなことをさせた奴らを探して、落とし前を付けさせるつもりだ。そんじゃあな」
そう言い残して、桧ノ山は部屋を出て行った。しっかりした足取り、本当に彼が言う通り、もう体の方は何ともないのだろう。
「・・・どうやら、どこかで悪巧みをしている奴らがいるようね。催眠術で他人を暴れさせるなんて、ろくな人間じゃないわ。とっ捕まえてやる!」
「本気かよ、薫!? 剣心もいないのに?」
険しくなった薫の表情に、弥彦も少し驚く。
「私だって、神谷活心流師範代よ。剣心が戻ってくるまで、知らなかったふりで待ってるなんてできない。弥彦、あんたはついてこなくてもいいのよ」
「冗談言うなよ! 薫一人じゃ、危なっかしくて見てらんねぇ。・・・あんたらはどうする?」
弥彦は目線を、聖と宗次郎に向ける。聖は、毅然と、
「ぼくも行く。ぼくは、どうして闘えるのか、自分のことが良く分からないけど、この力で誰かを助けることができるなら、助けたい」
「それじゃ、決まりだ!」
その答えに弥彦は満面の笑みになるが、
「僕も行きます。知ってしまった以上、関わらないわけにはいきませんしね」
宗次郎には、鋭い眼差しで、
「・・・俺は、まだお前を完全に信用したわけじゃないからな。少しでも怪しい素振りを見せたら、その時は」
「弥彦、」
「でも、今は非常事態だ。そんなことしてる場合じゃねぇ。・・・行くぞ!」
素直じゃなくも、ほんの少しだけ宗次郎を認めた弥彦に、薫は小さく笑みをこぼす。
「何笑ってんだよ?」
「別に。さあ、行きましょう!」
四人はそのまま赤べこへ向かった。一人残された恵は、ぽつりと。
「何だって、こんな事件が始まったのかしら。ああもう、こんな時に剣さんもいないなんてっ」
そう、漏らしていたとか。







第三章へ





戻る