<第十九章:卑劣>


渋川町の宿で夜を明かし、次の日の朝。
聖が中庭に出て太陽の光を浴びて、うーんと伸びをしていると、不意に声をかけられた。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「うん、そうだね」
声の主は宗次郎だった。昨日のような痛ましい表情や、無理している様子はなく、いつも通りの明るく元気な姿にほっとする。
宗次郎は聖の近くまで来て、微苦笑を漏らした。
「昨日はすみません。聖君にも、嫌な思いをさせちゃって」
「や、別に、ぼくは気にしてないから大丈夫だよ。それに、宗次郎さんが謝る事でもないし」
恐ろしいものを見せたのは敵の策であるし、錯乱したのは、それによって心の傷を思い出したせいだ。その傷だって、望んで付いたわけではなくて。
宗次郎だけが悪いとは言い切れない。それなのに、どうして彼を責められるだろう。
「宗次郎さんも、あんまり気にしないで。第一ぼくだって、記憶の事では、みんなにお世話になりっぱなしだったんだから」
聖は朗らかに笑う。
強いなぁ、と宗次郎は素直に思った。
聖も、記憶が無い事で、不安そうだったり、悩んでいたりもした。なるべく皆に見せないように振る舞ってはいたが、それでも、彼の抱えている哀しみが垣間見えた。
けれど、それが吹っ切れてからは、前向きに進んでいこうとしている。聖の中で、辛い過去が消えたわけではない。それでも、そうでありながらも、強く生きていこうとしている。
「・・・聖君は、強いなぁ」
「え? 何言ってるの、宗次郎さんの方が、ぼくよりずっと強いじゃない」
「はは・・・・いや、そうじゃなくて」
きょとんとしている聖に、宗次郎は小さく吹き出した。
「まぁいいか。そろそろ朝餉の時間みたいですし、行きましょうか」
「何か気になるんだけど・・・・?」
「あはは」
(笑ってごまかされちゃったよ・・・・)
宗次郎の言葉の真意は掴めなかったけれど、どうやら感心された?らしい。剣の強さでは、聖は宗次郎にまだ及ばないが、その事を差しているわけではいないようだった。では、彼は何を言いたかったのだろう。
(ま、いっか。よく分からないけど、宗次郎さんが元気なら、それでいいや)
誰しも、心の中に抱えている傷というものはある、と剣心は言った。
それは宗次郎だけでなく、自分も例外ではないだろうし、或いはその言葉を言った剣心自身もそうなのかもしれない。
簡単には癒せるものではない、とも剣心は言ったが、それでも、少しずつ、その痛みが和らいでいけばいいと、願わずにはいられなかった。
長い時間が掛かっても、いつか皆、自分の望む生き方ができますように。
「聖君?」
「あ、ごめん。今行く」
不思議そうな宗次郎に、聖は笑顔を返し、慌てて後を追いかけていったのだった。







朝食を取った一行は、その後すぐに支度を整え、宿を出た。
町の化け物が化け物が退治されたことで、安心して家事や仕事に励んでいる人々の姿が、至る所で見受けられ、中には、功労者である聖達に感謝の気持ちを伝える者もあった。恩を着せるつもりは全く無かったが、それでも礼を言われると、何だか心が温かくなってくる。
満たされた気持ちで河原の側の道を歩いていた聖達は、けれど、異変に気付いて足を止めた。
「ねぇ、あれ見て。何か変じゃない? 子ども達があんなに・・・・」
十数人はいるだろうか。男の子も女の子も、様々な年恰好の子ども達が、河原に集まっている。しかも、何かをして遊んでいるというわけではなく、ただぼうっと、突っ立っている。異様な光景だった。
「行ってみようぜ」
弥彦が駆け出し、皆もその後に続く。
聖達が近付いても、子供達は身動きせず、ただ立っているだけだ。無表情で何の反応も無く、やはり様子がおかしい。
「あなた達、ここで何をしているの?」
「・・・・・・・・・・・」
薫が優しく尋ねても、返事もしない。目の焦点が合っていない。もしかして、これは。
子ども達は、目線を動かさないままで、一斉に聖達に向かって歩いてきた。ただならぬ雰囲気に気圧され、川の方に後ずさる聖達。
「何かヤバイ雰囲気だぜ」
「あの目を見るでござる。どうやら、正気を失っているようでござるよ」
剣心の言葉に、改めてその目を見る間も無く、皆は更に子ども達に詰め寄られ、周りをすっかり囲まれてしまっていた。後ろは川。周りには子ども達。無理に退かすのはできなくも無いが、一つ間違うと、子ども達を傷つけてしまう事になりかねない。
子ども達は更に、聖達に迫る。
「ど、どうすればいいの!? この子達に刀なんて向けられないわ!」
「チックショウ!」
「・・・・・っ」
今にも川に突き落とされそうになったその時、聖は道具袋の中から、あの水晶玉を取り出した。もし、東京の事件の時のように、子ども達が何者かに操られているだけだとしたら、それを使えば、何とかなるかもしれない。
聖が水晶玉を高く掲げると、まばゆい光を放ち、それに呼応するようにして子ども達は倒れていった。
「それ・・・・根津達に操られてた人を助けた水晶玉ね?」
「そうか、その手がありましたね」
「冴えてるじゃねーか、聖!」
感心する弥彦達に頷きながら、聖は子ども達を見た。怪我などは無い。剣心が、一人の子どもに近付き、じっとその様子を窺った。
「うむ・・・・気を失っているだけでござるな」
「よかった・・・。でも、どうして子ども達が?」
聖が訝しげに呟くと、突然、辺りに乾いた拍手が響いた。皆、ばっとそちらを振り向く。あの曲芸師風の男が、にやりと笑みを浮かべながら、手を叩いていた。
「いや、なかなかの腕前ですね」
「・・・・・・・・」
聖は無言で、男を睨みつけた。その男が自分達の前に現れた時、聖は気を失っていたので、彼の姿を見た事は無かった。が、容貌は薫達から聞いていた。彼は、あの清海を葬った者らしい。そして恐らく、今回の化け物騒ぎの首謀者。
「またお会いしましたね。私は筧と申します。
あなた達は、どうやら相手にとって不足はないようです。まぁ、その水晶玉が無かったら、どうなっていたか分かりませんけどね」
その口ぶりからするに、子ども達の様子がおかしかったのも、筧の仕業のようだ。罪のない子ども達を巻き込んだ事に、聖達に怒りの色が見える。
皆の気持ちを代弁するかのように、左之助が叫んだ。
「てめえ! 正々堂々と勝負しやがれ!」
筧は鼻で笑って、
「いいでしょう。こっちにも、可愛い弟子をやられた恨みがありますからね。いざ、勝負!」
扇子を広げて身構えた。飄々としているのに、不気味な気迫が漂ってくる。
「私が闘うわ。私に行かせて」
凛と言い放ったのは薫だった。リボンを外し、道着に身を包んだ彼女は、既に一介の剣士としての覚悟を決めている。たとえ今十勇士が相手でも、それは勿論変わらない。
「薫さん、」
名を呼んだ聖に、薫は振り向かないままで、
「幻覚で人の心を傷付けたり、子ども達を巻き込んだり・・・・この人のやり方は許せないの! みんなもそうだとは思うけど、でも、ここは私に闘わせて。お願い」
キッと筧を見据えて。その胸の内にあるのは筧への怒りだ。
薫は一見、活発で男勝りな少女。しかし、本当は、限りない優しさを秘めている。誰もを包み込む、広い心を持っている。それに剣心も安息を見い出し、神谷道場に留まる事にしたのだから。
だからこそ、無差別に人を傷つけるやり方が許せなかった。昨日の宗次郎の、痛いくらいの心の叫び。何の関係も無い子ども達を巻き込む事。
もう、繰り返させやしない。
「分かった。ここは、薫殿に任せるでござる」
止めなかったのは、薫への信頼からだろう。力強く頷く剣心に、聖はそう思った。
「・・・ありがと、剣心」
薫は心なしか嬉しそうに笑って、けれどすぐ笑みを消した。
竹刀を構え、向かっていく瞬間を見計る。筧は相変わらず、飄々と笑ったままだ。
「おや、来ないのですか? なら、こちらから行きますよ!」
筧が、ひゅうっと薫に飛び掛ってくる。薫は飛び退いて第一撃を避け、そのまま反撃に転じた。居抜き胴を決めようとするが、難なくかわされてしまう。
筧はにやりと笑って、扇子を投げつけてきた。
「千寿扇!」
「くっ!」
竹刀で振り払うと隙ができる。瞬時に、薫は左手を柄から離し、扇子を払い落とした。右手で待ったままの竹刀を、そのまま筧に振り下ろす。浅い攻撃だが、確実に筧に面が入った。体勢を崩したところを、更に脛払いで追い撃ちをかける。
「ふぎゃっ!」
情けない声を上げ、筧はうつ伏せに倒れた。そのまま、何故か起き上がろうとしない。
呆気なさ過ぎる。
不思議に思って、聖は首を傾げた。
「うう・・・・やはり勝てません、か・・・・」
観念したような声を上げる筧に、薫も向けていた竹刀を下ろす。と、その時、筧はむくっと起き上がって、一番側にいた小さな男の子を抱え上げた。
「な・・・・っ!」
動きかけた聖達に、筧はにやりと笑って、
「おっと! ・・・・・動いては困ります。こんな可愛い子どもを、死なせたくはないでしょう・・・・?」
「その子に何をする気!?」
「私が無事に逃げるまでの間・・・・楯代わりになってもらいます。人質がいれば、あなた達は手出しできないはずですから」
筧は聖達から、じりじりと後退していく。その間にも、懐から短刀を出し、その子の首に押し当てていた。確かにそれでは、何の手も出せない。迂闊な事をすれば、子どもを傷付けてしまう!
「何て事を・・・!」
聖は怒りに震えながら、無力感を感じていた。握り締めた掌に爪が食い込む。この筧を目の前にして、何もできないなんて。
しかし悔しいが、今は堪えるしかない。そうでないと、あの子は・・・・。
「私は、こんなところで倒れるわけにはいかないのですよ。私達の目的のために」
「どんな目的か知らねぇが、子どもを利用するなんて、許されることじゃねぇ! 正々堂々と勝負しろ!」
吠えた弥彦に、筧は冷笑を向けて。
「正々堂々と・・・ね。ふん、つまらないことでギャアギャアと」
「何だと!?」
「大切なのは手段ではありません。目的こそが重要なのです。どんな経路を辿るにしろ、最終的に勝った方が正義となる!
・・・・それがあなた達の、腐った明治政府のやり方でしょう?」
「・・・・・・!」
思う節があるのか、剣心が唇を噛み締めた。
筧は、畳み掛けるように、更に言葉を続ける。
「青臭い理想論など、何の役にも立たないんですよ。今、それを教えてあげましょう」
筧が倒れている子ども達に、カッと目を剥いた。気絶していたはずの子ども達がいっせいに起き上がり、生気の無い顔を揃って聖達に向けてくる。
「水晶玉を使ったのに、まだ元に戻ってない・・・!?」
茫然と呟く聖に、筧が得意げに言う。
「そう・・・・まだ私の呪縛から逃れていない。この子達を、あなた方の理想論で救えますかね。アッハッハッハ!」
筧の高笑いと共に、子ども達がじりじりと聖達に迫っていく。
「これじゃあ、手が出せない!」
「人質さえいなければ、縮地で何とかなりそうなのに・・・・」
「やめて、目を覚ますのよ、みんな!」
焦りと動揺が入り混じる聖達に、筧は余裕の表情で。
「例の水晶玉をもう一度使ってみてもいいんですよ。ただし、本当に術を破るには、私自身が術を解くか、私が死ぬか・・・・・しかありませんがね」
「チッ!」
思わず飛びかかろうとした左之助と弥彦。しかし、剣心がばっと腕を広げ、すかさずそれを止める。
「何で止めるんだよ!」
「無駄だ! 子ども達を傷付ける気か」
剣心とて、今にも筧を倒したい気持ちは同じだった。しかし、ただ向かって行ったのでは、子ども達の命が危険に晒されるだけだ。それを分かっているから、剣心は二人を制したのだ。
「ハッハッハ・・・・冷静ですね。そう、この子達の命は、私の手の内にある事を忘れないように。大人しくしていて下さいよ」
「くそ・・・・・っ!」
聖は筧を鋭い眼光で睨みつけた。そうする事しかできないのが、悔しかった。
真っ向からぶつかってくるわけではなく、搦め手から、精神的に追い詰める。
そんな敵のやり方が、憎らしくも思えた。
「小さな命一つのために何もできない。そんな力が役に立ちますか? 結局あなた達は、この子達すら救えないじゃないですか」
「・・・・・・・・・・・・」
筧の言葉に、剣心は普段見せないような怒りの表情を浮かべていた。
そう、それは、剣心というよりも―――抜刀斎に近い。
「では、この辺で失礼しますよ。そうそう、この子を助けたかったら、北の皇海山へ来ることです。甘っちょろい理想が通用するか・・・・・まだ試したいと言うのならね」
「待てっ!」
聖が呼び止め、追おうとするが、子ども達に阻まれる。その隙に、筧の姿はどこにも見えなくなっていた。
「うっ・・・・」
筧がこの場を去ってもなお、彼がかけた術とやらは作用するのか。
術を破るには、自分が術を解くか、死ぬしかない、と筧は言った。しかし、彼を逃してしまった今、そのどちらも叶わない。
ならばせめて、と、聖は水晶玉を掲げた。光が子ども達を照らし、先程と同じように子ども達は倒れた。気を失っているだけ、けれど、意識を取り戻しても、正気ではないだろう。
「悔しい・・・・!」
聖は呟いた。心の底からの思いだった。
昨日といい、今日といい、相手の仕掛ける罠が、これ程までに卑劣な事に怒りを覚えて。
そしてそれを、どうする事もできない、無力な自分に。
「・・・・・・・・・」
剣心もまた、何かを考えるようにして黙っている。その顔は、未だ抜刀斎に近かった。
そんな彼を気遣うように、剣心、と、薫が小さく名を呼んだ。










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