<第十六章:えぐられる傷(前編)>
化け物・・・・そんなものが本当に存在するのか、正直、疑わしかったが、それでも聖達は、一路渋川町へとやって来た。
割と多くの民家が立ち並ぶ、ごく一般的な町並み。規模は下妻町より、少し広いと言ったところだろうか。どう見ても、普通の町。けれども、町中は、聖達の思いに反して、化け物の噂で持ちきりだった。
「この町には、化け物が出るのよ。悪いこと言わないから、早く逃げるのね」
「あそこの家には、恐ろしい化け物がいるんだ。出会ったら最後、生きては帰れないって言うぜ」
町の人々は口々にそう言い、警戒を促すかわら版も立っていることから、化け物が出るのは、どうやら本当だと言う事が分かる。
化け物が出る家は三軒、どの家も、住民は化け物を恐れて逃げ出したという話だ。
「やっぱり、退治しなくちゃだよな」
情報収集の後、弥彦が開口一番そう言った。
「けど、三軒も化け物が出るだなんてね。どうする? みんなで、一軒一軒当たってく?」
との聖の意見だったが、左之助は。
「そんな面倒くさい事しなくてもいいだろ。俺達は六人もいるし、二手に分かれて二軒の化け物を倒して、また合流して最後の一軒に行けばいいじゃねーか」
「う〜ん・・・・」
そう言われると、それでもいいような気もする。聖は腕組みをして考え込んでしまった。
得体の知れない相手である以上、みんなで行ったほうが良いと思う。けれど、左之助の言った方法の方が、手っ取り早い。要は、この町の人々が早く恐怖から解放されるということだ。
どちらがいいのだろう。
同じことを思案していた剣心が、聖より先に言葉を発した。
「二手に分かれよう。化け物は、家の外には出ないというから、もし危なくなっても引き返せばいいでござるし、拙者達が動く事で、町の人々が安心するなら、早い方がいい」
「そうね、そうしましょう。・・・でも、どうやって二組に分ける?」
薫は皆をぐるりと見回した。剣心がしばし考えて、
「拙者と聖、薫殿。それから、左之と宗次郎と弥彦。その組み合わせでどうでござるか?」
二組の強さの差が極端にならないよう、分けたつもりだった。
「いいんじゃねぇか、それで? じゃあ、さっそく行こうぜ」
左之助があっさりと賛成し、さっそく向かう事となった。相変わらず、彼は物事の決断が早い。
「気を付けて」
町の南に向かう左之助、宗次郎、弥彦の三人にそう声をかけて、聖達もまた、同じ通りの町角に位置する家へと赴く。
無人の家はどこか薄汚れて見えて、入らずとも、いかにもここが化け物屋敷だ、という感じがした。
「行くでござるよ」
「うん!」
思い切って、引き戸を開け、中に踏む込む。その途端。
底冷えした空気が流れ、さらにそれが歪んだ気がした。
「!」
目に映る景色の歪みに、聖は頭がくらくらした。少しするとそれは止み、家具などがすべて取り払われた、殺風景な家の中が見えた。
どこか、重くて暗い雰囲気が立ち込めているような気もするけれど。
「な・・・何なの、今のは?」
薫も、目をぱちくりさせている。剣心も、驚きはしたが、冷静に、
「一瞬、目の前が歪んだような気がしたでござるな」
「うん・・・・これって、化け物の仕業かなぁ?」
見回すが、それらしき姿は見えない。化け物がいる、というならば、侵入者の存在に気付き、襲い掛かってきそうなものだが。
「さぁ、どうでござろうかな。とにかく、進むでござるよ」
聖達は、辺りに気を配りながら、慎重に家の奥へと踏み込んで行く。
未だ化け物が現れないこの”化け物屋敷”だったが、もしも本当に化け物が出るとしたら、唐獅子や餓鬼、といった類だろうか。聖はふと、そう思った。
「ね、ねぇ・・・・あれ、見て・・・・」
突然、薫が青い顔で、部屋の隅を指差した。
見ると、そこには化け物がいた。たった今、聖が想像したばかりの、唐獅子の姿をした化け物。ただし、その身に炎を纏ってはいたが。
ふわふわと浮遊し、こちらの様子を窺っている。
「ほ・・・本当にいたんだね・・・」
言いながら、聖は抜刀する。と、また薫から小さく悲鳴が上がった。
「剣心、聖君、あ、あっちにもいるぅ〜・・・・」
今度は薫は、廊下側を示す。廊下から、青白い餓鬼が覗いていた。しかも二体。
「素直に通してくれそうもない・・・闘うしかないでござるな。薫殿、大丈夫でござるか?」
「う、うん、何とか」
剣心の言葉に薫も持ち直し、竹刀を構える。剣心も逆刃刀を構え、化け物と向き直った。
次の瞬間襲い掛かってきた化け物を、剣心はすれ違いざまに横薙ぎに払っていた。その向こうでは薫が面で打ち倒し、聖も唐獅子の化け物を、下段からの攻撃で倒していた。
三体の化け物は、皆一様に甲高い悲鳴を上げながら、弾けて光の粒となり、空気と同化するようにして消えた。
「き、消えた? 不思議ね・・・・さすが化け物・・・」
薫が呆然として呟いた。
「今の三体だけじゃないよね、きっと」
「ああ、進もう」
聖達は、その部屋から出て廊下を進み、二階へと続く階段を上った。二階にも、化け物はあちこちから現れて、それらは皆、唐獅子や餓鬼の姿をしていたけれども、三人で蹴散らしながら、更に奥へと向かう。
「二手に分けて正解だったね。化け物達って、思ったほど強くないし」
左之さん達も、今頃余裕で倒していってるんだろうなぁ、そう続けた聖に、剣心は柔和な表情に厳しさも交えて。
「そうかもしれぬな。だが、油断は禁物でござるよ」
言いながら、最奥の部屋の襖を開けた。そこには、今までの化け物より一回り大きい、金色の毛をなびかせた、唐獅子がいた。唸り声を上げて、聖達を威嚇している。
「どうやら、アイツがここの大将格らしいでござるな。奴を倒せば、ここの化け物も、いなくなるでござろう」
「じゃあ、ぼくが闘ってくるよ」
聖は、一歩前に進み出た。大将格、というからには、今までの化け物のように、簡単には行かないかもしれない。けれどこれは、少しでも油断した自分への戒めだ。
聖が身構えた途端、唐獅子は爪を剥き出しにして襲い掛かってきた。横に飛んでそれを避けるが、体まであと一寸くらいのところまで爪は迫っていた。あの鋭い爪に切り裂かれたら、肉は簡単にむしり取られるだろう。
人間じゃない分、相手の動きが読めずに厄介だ。やはりここは、先手必勝か。
聖は懐から火薬を取り出し、唐獅子に投げつけた。炎魔の型。神爪の里に行ってから、体が思い出した飛び道具を使った技だ。
火薬が爆発し、唐獅子が炎に飲まれた。が、大した傷は負っていない。元々、体中に炎を纏っていたのだから当然だ。しかし、聖が狙っていたのは、唐獅子に傷を負わせることではない。狙っていたのは―――。
「タアァァッ!」
掛け声と共に、聖は跳躍していた。落下しながら刀を振り下ろし、その勢いのまま唐獅子に斬り付ける。迦楼羅の型。炎魔の型は、これを決めるための布石。そう、唐獅子に隙を作るための。
火薬を投げつけられ、動揺していた唐獅子は、聖の技をまともに食らった。真っ二つに体を切り裂かれ、驚きに目を見開いた金の唐獅子は、今までの化け物と同じく、弾けて消え失せた。
それと同時に、どこかから硝子の割れたような音がして、不穏な空気が一瞬で去った。町中に溢れているような、温かい空気へと戻っている。
「ふぅ・・・・これで、一安心かな?」
化け物の気配は、もうどこにも無い。
額の汗を拭いながら一歩踏み出した聖は、ジャリ、という音と、何かを踏んだ感覚に足を止めた。その場からそっと離れ、よく足下を見てみると、畳の上に、何かの入れ物の破片が飛び散っていた。そこは、元々化け物がいた場所だったかもしれない。
「何だろう、これ?」
何かが入っていたのかもしれないが、その”何か”は見当たらない。それ以上、推測しようが無かった。
「もう、放っておいても大丈夫だと思うでござるよ」
「それより、早くここから出て、左之助達と合流しましょう。向こうも、そろそろ片が付いてるんじゃないかしら?」
「そうだね。出ようか」
そうして聖達は、化け物がいなくなったその家を後にした。そのまま、集合場所である北の広場に向かう。
のどかな空気の中、子ども達が遊び回り、若い女性達はお喋りを楽しんでいる。
左之助達の姿は無い。
「あれ? 左之さん達いないね・・・・苦戦してるのかな?」
心配そうに辺りを見回す聖。と、広場の入り口から左之助達がやって来るのが見えた。元気そうな姿に安堵して、胸を撫で下ろす。が、聖は違和感を感じた。
左之助と弥彦は、怪我も無くいつも通りだ。けれど、その少し後ろを歩いている宗次郎。彼にいつもの笑顔が浮かんでおらず、顔色も、少し青ざめているように思える。
「宗次郎さん、元気ないみたいだけど・・・・どうかしたの?」
聖のその問いに、宗次郎が口を開く前に、弥彦が答えた。
「それがさー、こいつ、化け物を怖がっちゃって、全然闘わねーでやんの」
「宗次郎が、化け物を怖がった・・・・?」
訝しげに、剣心が呟くと、今度は左之助が、
「そうなんだよ。こいつ、家に入った時は普通だったのに、化け物を見た途端、様子がおかしくなって。初めは闘おうとしてたんだけど、結局、固まったまんまで闘えなくて。俺と弥彦だけで化け物倒してたから、時間かかっちまった」
「すみません」
小さく謝り、宗次郎はようやく笑みを浮かべた。いつもより力無く、どこか頼りなさげな微笑。
「そうだったんだ・・・。でも、そういう事なら、宗次郎さんは、次の所行くのは控えた方がいいんじゃない? 誰にだって、苦手なものはあるんだし」
「いえ、平気です。僕も行きます。もう、大丈夫だから」
何故か慌てるようにして、宗次郎は早口で言葉を紡いだ。聖は何か釈然としないものがあったが、宗次郎がそう言うなら、と思い直した。
「お主が行きたいと言うのなら、止めはせぬよ。闘わなくとも、それは構わない。ただ、無理はしないで欲しい。宗次郎、それだけは、気に留めておいてくれぬか?」
「ええ・・・・分かりました」
剣心の言葉に、宗次郎は頷いた。笑みが戻っても、表情は陰ったまま。剣心には、それが気に掛かった。
「あ! みんな、あそこ見て!」
暗い雰囲気を吹き飛ばすように、薫が明るい声を上げた。
彼女が指し示した方を見ると、広場の真ん中に、赤い頭巾を被った若い男の芸人がいて、独楽を用いた芸を披露しているところだった。両手で持ち、ピンと張った綱の上で、器用に独楽を回らせて、更にそれを、空高くへ投げ上げた。同時に芸人自身は跳躍し一回転、着地すると共に、独楽も無事綱の上に降り立った。
見事な芸に、見ていた観客は勿論、聖達からも拍手が巻き起こる。
「すごいわねー。どうやったら、あんな事ができるようになるのかしら」
素直に感嘆の声を上げる薫に、宗次郎も、そうですね、と相槌を打っている。その声も、どこか沈んでいて。
聖は、やはりそれが気になった。
「よっし、じゃあ、そろそろ行くか」
芸人の芸が一通り終わった後、弥彦がパシッと拳を叩いた。三軒目の化け物屋敷は、この広場のすぐ隣にある。
宗次郎に元気が無いのが心配ではあったが、本人の言葉を信じ、一行は六人揃って、最後の化け物屋敷へと入っていく。
その様子を、先程の芸人が、じっと見つめていた。
「わ・・・・」
家に入った瞬間、聖は声を上げた。揺らぐ空気。それをまた感じたからだ。
そしてこの家は、先程の家よりも、漂う瘴気が濃いように思えた。
「最後の化け物屋敷、気を引き締めていくでござるよ」
剣心が、険しい顔で皆に声をかけ、辺りに気を配りながら、一行は廊下を歩いていく。と、前方の暗闇から、ぞろぞろと化け物達が現れた。五、六体はいるだろうか。それらは、いずれも、唐獅子や餓鬼の類だった。
(家が違っても、いる化け物は同じなんだなぁ)
そう思いながら、聖は刀を構えた。化け物達は、一様に気味の悪い笑いを浮かべ、こちらに目を向けている。
その時、背後からガタン、という音がした。振り向くと、それは宗次郎だった。壁に寄りかかり、目を見開いて化け物達を凝視している。
聖は、宗次郎が怯えた表情を浮かべているのを、初めて見た。
「宗次郎さん、大丈夫・・・・?」
心配そうに、聖は宗次郎に左手を伸ばした。
宗次郎はひっと息を呑んで、更に目を見開いた。その目線は、聖の左手から、刀を持っていた右手へと移った。
宗次郎の顔が、恐怖に歪んだ。
「宗次郎?」
「・・・・・・れる・・・・」
剣心も、穏やかな声で呼びかけるが、宗次郎にはまるで聞こえていないようで。
彼の唇は、震えながら言葉を絞り出していた。
「殺される・・・・・・・・・誰でもいい・・・・・誰か、誰か助けて!!」
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